梗 概
ケプラー
6600万年前、ユカタン半島。翼竜ケツァルコアトルスのアルトは夜ごと高高度を飛びながら、星を観察していた。ある時、夜空を横切る光点の動きが少しずつ変わっていることに気づいていた。何かが近づいてくる。
アルトは友達二頭に報告する。巨大竜脚類アラモサウルスのルカと、肉食恐竜ラボカニアのブランだ。三頭は観測と計算を重ね、やがて「巨大な岩石が地球に向かっており、このユカタンの浅い海岸に衝突する」と確信した。
三頭が対策を考える。問題は、衝突地点の岩盤に含まれる硫黄だ。この一帯の地盤は硫酸塩岩に富んでおり、衝突時に膨大な毒性の霧が舞い上がるだろう。だが岩盤を変えれば、被害を抑えられるかもしれない。
しかし方法をめぐって対立が起きた。ルカは植物で岩盤を覆うことを主張した。有機物と硫酸塩が高温下で反応すれば、硫黄を固体のまま閉じ込められる。ブランは真っ向から反対した。硫黄を含む土ごとどかしてしまえばいいと言い張る。なお、当時の知識では硫黄の層がどこまで深いかわかっておらず、ブランの主張にも一定の説得力があった。対立が深まる。
トリケラトプスの骨で地面を掘るブランと、ステゴサウルスの骨を田植え機にして植林をするルカ。他の仲間への協力を求めるアルト。
「間に合うと思っているのか」。三頭の焦りが募る。
三頭の足元では、小さなネズミのペリオがうろついていた。ペリオはブランの近くでブランの真似をして穴を掘る。ブランは何度も踏みつぶしかけ、そのたびに役立たずだと怒鳴った。
またペリオは、アルトのマネをして木から木へ翔んでみたり、ルカのマネをして高い木に茂る葉を食べてみたりしていた。
ペリオが掘り進めた縦穴をふとアルトがのぞき込んだときに、穴の底まで硫黄の層が続いていることに気づいた。どかす派の前提は崩れた。と同時に、植物で覆う計画も面積的に到底足りないことが改めて明らかになった。二つの計画はどちらも、規模が一桁足りなかった。
三頭は黙って夜空を見上げた。光点はもう、星と見紛うことのない速さで動いていた。ブランが言った。「結局、俺たちには何もできなかったな」。
三頭は慎重に予想を積み重ねた。結果、寿命が長く、必要なカロリーの大きい動物はみんな死ぬ。
僅かな残り時間で何ができるか。三頭は計画を変更した。アルトは小動物たちや植物の種をなるべくユカタン半島から遠ざけるために、背中に乗せて飛んだ。ブランはペリオとその家族のために小さくて頑丈な洞穴を掘った。ルカは自分の巨体で哺乳類たちの巣穴の入り口を覆うように横たわった。熱波と爆風をその身で遮るためだ。
地平の果てから光が満ちてくる直前、ルカはつぶやいた。「俺達のこと、伝えてくれよな」。穴の奥で小さな命が呼吸をしていた。
文字数:1125
内容に関するアピール
絶滅の牙を意識して梗概を作りました。
元々、人間が恐竜時代にタイムスリップした、みたいな設定で考えていたのですが、恐竜たちだけの話でも十分成り立ちそうだったのでこうしました。
肉食恐竜と草食恐竜が普通に仲良くしている件については、アラモサウルスはデカくてラボカニアには倒せないからということにしようと思っています。
白亜紀末期にジュラ紀の恐竜であるステゴサウルスの骨が落ちているかについては、慎重に勉強した結果、確率はかなり低いということがわかりましたが、なんかエモいので残しました。
最終的に継承がテーマになればいいかなと思います。
文字数:263
恐竜最後の一ヶ月
幼い頃のこと。
その日、俺は群れと共に、果てしなく続く蒼い海の上を飛んでいた。
俺たちの種族は、翼を広げれば地上の獣たちが豆粒に見えるほど高く、遠くへ行くことができる。長い首を前に突き出し、歯のない鋭い嘴で風を切り裂き、薄い皮膜の翼で上昇気流を捉える。
穏やかだった空の色が、次第に重苦しい灰色へと変わっていた。遠くの水平線から立ち上がった巨大な雲の壁が、俺たちの行く手を阻むように広がっていた。
俺達は高度を上げようとした。雲の上に抜け、嵐の及ばない静寂の世界へ逃れようとしたのだ。だが強烈な下降気流に阻まれる。叩きつけるような雨が翼の皮膜を重くし、乱気流が細い骨を揺さぶる。
この海を越えなければ、羽を休める陸地はない。俺は必死に風に抗い、一歩でも先へ進もうとした。激しい稲妻が空を裂いた。
その時、乾いた音が響いた。すぐ隣を飛んでいた兄の、左の翼が不自然に折れ曲がっていた。中空の骨が耐えきれなかったのだ。
兄は態勢を立て直そうともがく。だがそうしてる間に海面がどんどんと近づいてくる。まもなく無常にも飛沫が上がった。その波紋の外からそれから、そっと大きな波紋が寄ってきた。水面の下から、長い首を持つ巨大な影が浮かび上がるのが見えた。そして、兄は暗い海に引き込まれていった。
なぜ兄は死んだのか。
俺はこの世界の残酷な真実を学んだ。
生きるとは、予測をすることだ。
風の向き、雲の動き、獲物の逃げ道。
それらを正しく読み解けなかった者は死ぬ。
それ以来、俺はあらゆる現象を記憶し、法則を見出すことにした。
太陽の高さによる風の変化、渡り鳥たちが移動を始める時期、そして夜空に輝く星々の規則的な運行。
それら全てが明日を生きる鍵なのだ。
そして今日、星が一つ消えた。
◆
夜の帳が下りたころに、空気が薄くなるほど高く舞い上がれば、そこには無数の星が瞬いている。
太陽が昇る方角、昨日までそこにあったはずの星が一つ消えている。
俺は冷たい風に身を任せながらその一点を見つめ続けた。時間の経過を測る。しばらく後、消えたはずの星が再びチカチカと灯った。
だが、異変はそれで終わらなかった。
今度はそのすぐ左隣にある星が、ふっと光を失ったのだ。
流れ星が横切ったか。
高いところから日の出を見ると明らかだが、光は硬いものとすれ違う時、その背後に回り込む性質がある。あの明滅はそのせいだろう。
俺は頭の中で、その星が描く見えない線を引いてみた。
このまま進めば、あの星は俺たちが踏みしめるこの星に当たるかもしれない。
流れ星は珍しくない。
この高さを飛んでいると、流れ星が大気に刺さって燃え上がる光景を何度も目にする。それは一瞬輝いて消え去る、儚い現象だ。
もしそれを予測できるとしたら?
俺はそれに挑戦しようと思い始めた。
◆
朝の光が地平線を染めるのを待って、俺は広大な平野へと舞い降りた。
この世界では、目に見えるものすべてを知り、その裏にある法則を探らなければ生き残れない。
俺は地面に落ちていた手頃な枝を拾い、乾いた土の上に円を描いた。中心に据えたのは太陽。その周りを回る、俺たちの住む大地。そして、夜明けの方角に輝く星々の位置を、記憶を頼りに一つずつ投射していく。二つの星が消えた軌跡を繋ぎ、大地へと向かう二本の線を引く。この範囲のどこかを、あの星が横切ったのだ。
だが、これだけでは足りない。
遠くを凄まじい速さで通り過ぎたのか、それとも近くをゆっくりと動いているのか。距離と速度が分からなければ、衝突の有無は判断できない。今夜、もう一度空へ昇り、観測を続けるしかないだろう。
思考を巡らせていた俺の耳に、大地を読み替えるような轟音が届いた。内臓を揺さぶるような衝撃だ。直後、森の境界線が爆発したように弾け、巨木がへし折れた。
長い首を持つ山のような巨獣たちが、平野へなだれ込んでくる。その一歩が大地を叩くたびに砂塵が舞い上がる。
彼らの背後から死の影が躍り出た。
赤みがかった皮膚。岩塊のように分厚い胴体を支えるのは、大樹の幹ほどもある筋骨逞しい二本脚。前足の二本の鉤爪が黒く光り輝いている。そして何より視界の半分を占めるほどに巨大な大顎。上空では分け前を求めて翼竜が旋回を始めた。怪物は巨獣の一頭――群れの中でもひときわ鈍重な個体に狙いを定め、猛然と跳躍した。鋭い牙が巨獣の背中の皮膚を貫き、筋肉の束を断ち切る鈍い音が俺の場所まで届く。鮮血が火花のように散った。巨獣は苦悶に身をよじり、山が崩れるような勢いで地面に叩きつけられた。
怪物の咆哮が大気を震わせる。巨獣もまた、長い首を鞭のようにしならせ、必死の抵抗を試みた。岩をも粉砕する尾の一撃が怪物の脇腹を捉えたが、怪物は微動だにしない。脚で体を押さえつけ、巨獣の喉元に噛みついた。力任せの旋回。巨獣の脊椎が砕ける音が響いた。巨獣は膝から崩れ落ちた。怪物はその頭部を泥の中に押しつけ、とどめを刺す。巨獣の濁った瞳が虚空を見上げ、やがてその奥から生命の火が消えていくのを、俺は息を呑んで見守っていた。
怪物は天を仰いで吠えた。その足元には、ゆっくりと血の川が広がっていく。
森からエリマキトカゲたちが次々と現れた。彼らは大顎の怪物の隙を突き、まだ熱い死骸の端々に無遠慮に噛みつく。
怪物が威嚇の声を上げると、小さな獣たちは飛び退くが、どこか怪物をおちょくっているようでもあった。十分に距離を取ったところで振り返る。怪物が再び内臓を引っ張り出し始めたのを見計らい、彼らはまた、影のように餌に近づく。今度は怪物は何も言わなかった。
俺は巨獣に少し同情した。しかし、予測ができない者はこうして命を落とすのだ。あの深い森を突き切ろうなどと無謀なのである。
そんなことより、彼らのせいで、俺の図がめちゃくちゃになってしまった。
怒りにまかせて俺は大顎の怪物を睨みつけた。すると、こちらの視線に気づいた怪物が、血の滴る顎を上げた。黄色い瞳が俺を捉える。怪物は唸り声を上げ、脚を一歩、こちらへ踏み出した。ずしり、と大地が震える。これは冗談では済まない。俺は慌てて地面を蹴り、大きく翼を広げて死の影が届かない空へと逃げ出した。
◆
その夜、俺は再び星空の下にいた。昨夜からの時間を正確に計測した。
昨日消えた二つの星の延長線上、そこにあるはずの星が、やはり期待通りに明滅した。光が遮られるタイミング。その僅かな差が、答えを導き出す鍵となる。
夜が明け、俺は再び平野の図へと戻った。
乱された跡を整え、新しい線を書き足していく。俺たちの住む大地も星であり、太陽の周りを大きな円を描いて回っている。地上の獣たちは、自分たちが回っているなど気づいていないだろう。だが、空高くから見下ろしている俺には、それが自明の理だった。一昨日と今日。大地の位置がわずかにずれたことで生じる、星の見え方の角度の差。それを元に、流れ星の現在地を特定する線を引いた。
「意外と近いな」
独り言が漏れた。
あの星は、我々の星の外側を回る、赤い星の軌道よりも内側にいる。しかも、大地の進行方向の真ん前から、こちらに向かってきているのだ。正面衝突はあり得る。
だが、その軌道を正確に計算するのは至難の業だ。太陽が持つ、物を引き寄せる力。そして、この大地そのものが持つ引き寄せる力。二つの力が、あの星の軌道を複雑に曲げるのだ。
「坂を作るか」
俺は平たい石を拾い、地面に巨大な穴を掘り始めた。中央を太陽に見立て、深い傾斜を作ることで、物を引き寄せる力を再現する。
さらに、大地の動きも再現しなければならない。これが難しい。大地もまた太陽の周りを移動している。
ただの穴ではなく、イモムシが這ったような半円の溝を掘った。
この作業には、想像を絶する時間が必要だった。太陽が14回沈み、14回昇った。
俺も生きるためには、海へ飛んで魚を捕らえなければならない。食べては掘り、掘っては食べる。泥にまみれ、爪を削りながら、ついに巨大な模型を完成させた。
あとは、この模型の上を転がすための、完璧な丸い石を見つけるだけだ。だが、世界に完全な球など滅多に存在しない。手当たり次第に石を拾って転がしてみるが、わずかな歪みのせいで、軌道はあらぬ方向へと逸れてしまう。
「もっと丸い石がないものか」
溜息をついた時、目の前を一つの小石が転がっていった。
驚いて視線を走らせると、そこには一匹の小さな、毛の生えたネズミがいた。ネズミは俺が石を転がす様子をじっと見ていたようで、それを面白い遊びだと思ったらしい。だが、彼が転がした石もまた歪んでおり、途中で止まってしまった。俺はその石を指先で摘み上げ、ネズミに語りかけた。
「もっと丸くないと」
すると、ネズミは意外な行動に出た。彼はきびすを返し、先日亡くなった巨獣の方へ向かった。しばらくすると、口に驚くほど滑らかな石をくわえて戻ってきた。これ胃石だったのか。いやそんなことより。
「お前、俺の言葉がわかるのか?」
十数年の生涯で、他種族とこれほど意思が通じたのは初めてだった。この小さな生き物は、俺が思っている以上に賢いのかもしれない。ネズミはピーピーと鳴いた。俺は、コイツにペリオと名付けた。そう鳴いているように聞こえたからだ。俺はペリオを助手にすることにした。
「よし、ペリオ。俺が合図をしたら、その石を転がすんだ」
ペリオは小さな前足で石を抱え、ヨタヨタと模型の端へと走っていった。
俺は近くに生えていたキノコを引き抜き、その裏側に印をつけた。このキノコは大地で、印が俺たちの住む半島だ。キノコの柄を指でつまみ、ゆっくりと回転させながら、大地の溝を移動させる。
「今だ!」
俺の声に合わせて、ペリオが石を放った。
丸い石は、太陽の重力に捕まり、滑らかな曲線を描きながら大地へと向かっていく。そして、大地の溝に吸い込まれるようにして、速度を上げた。石がキノコの印をつけた場所に激突した、その瞬間だった。
ガサリと草むらが揺れ、茶色い影が閃光のように通り過ぎた。気がついた時には、そこにペリオの姿はなかった。
「ペリオ!」
足の親指に鋭い大爪を持つ、羽毛に覆われた小型の略奪者が走り去っていくのが見えた。細く長い尻尾をなびかせ、恐るべき速さで森へと逃げ込んでいく。せっかく見つけた珍獣が食べられてしまう。俺は地面を強く蹴って空へと舞い上がった。
空中からなら、森に逃げ込んだ略奪者の動きも手に取るようにわかる。俺は風を捉え茶色い影を追跡し始めた。
茶色い影は、森の木々の隙間を縫うようにして突き進んでいた。その素早い足取りは、地面に落ちた枯れ枝の一本さえ踏み折ることなく、滑らかに獲物を運んでいく。俺は上空からその影を追い続けた。
「まずいまずいまずい」
何がまずいかと言うと。
突如、前方の樹冠が大きく揺れた。その揺れは、凄まじい質量を伴って、略奪者の行く手を阻むように迫っている。地響きが空気に伝わり、俺の翼を震わせた。
この森の主、あの二本指の大顎の怪物がこちらに向かってくる。略奪者もまた、その脅威に気づいたようで、急激に方向を変えた。彼の足取りに、初めて焦りのような乱れが生じる。
俺の真下を、赤い皮膚を持つ巨大な怪物の影が通り過ぎていった。怪物はその巨体に似合わぬ俊敏さで、略奪者との距離を縮めていく。
逃げてくれ。お前が抱えているのは、この大地の至宝なのだ。怪物の顎が空を切るたびに、略奪者は身を翻し、死の淵をすり抜けていく。だが、逃走の果てに待っていたのは、切り立った崖だった。
略奪者は崖の淵で足を止め、眼下に広がる岩場を見てあとずさった。
高く、険しい崖。
ここから飛び降りれば、いかに身軽な彼とて命はないだろう。
背後からは、大顎の怪物が獲物を追い詰めた確信を持って、ゆっくりと歩み寄ってくる。
俺は覚悟を決めた。
翼を畳み頭を下に向けた。視界が加速していく。空気が耳元で金切り声を上げる。
「跳べ!」
俺は声の限りに叫んだ。
略奪者は一瞬、空を見上げた。
彼は意を決し、崖の向こう側へと身体を投げ出した。
怪物の顎が、彼の長い尻尾をかすめる。
自由落下する略奪者の首を足の指でがっしりと掴み、翼を広げた。
俺たちは、怪物の咆哮を背に受けながら、崖の下へと滑空していった。
平坦な地面に降り立つと、俺はそっと足を離した。
略奪者は地面に転がったが、すぐに起き上がり、両手に抱えていたペリオを俺の前に差し出した。
ペリオは身を捩って地面に降りると、俺の足をつたって肩に登ってきた。
略奪者は俺を警戒するように見つめていたが、俺が攻撃する意志がないことを知ると、地面に腰を下ろした。
俺は近くにあった枝を拾い、乾いた土の上に簡単な地図を描き始めた。このあたりの森、そびえ立つ山、蛇行する川、そして広大な海。それぞれの場所に、どんな危険な獣が潜んでいるかを、絵で示してやる。俺は一日の大半を空で過ごしている。この大地の形と、そこに住む者たちの動きについては、誰よりも詳しい自負があった。俺が枝で指し示した場所を、略奪者は食い入るように見つめていた。
すると、彼は自分の鋭い爪を動かし、俺の地図に新しい線を書き加えた。それは、俺が上空から見て「ただの藪」だと思っていた場所を貫く。
「……そこを通れるのか?」
次に、地図の上に小さな木の実の絵を描いた。そして地図の片隅に水が湧き出る印をつけた。
略奪者は、俺の視点から見ることのできない、地上の複雑な地形や、季節ごとの植生の変化を、俺よりも遥かに細かく把握していた。
二人の目の前で、この世界の真の姿が描き出されていく。自分が地上の者に教えられることがあるなんて、思いもしなかった。
略奪者との間に、言葉の壁はあった。だが、彼の鳴き声の抑揚や、尾の動き、瞳の輝きから、彼が何を伝えようとしているのかが、次第に理解できるようになってきた。
俺たちは日が暮れるまで、情報の交換を続けた。
俺は彼を「ブラン」と呼ぶことにした。
彼が自分のことをそう呼んでいるように聞こえたからだ。
俺もまた、かつて家族が俺を呼んでいた時の音を彼に伝えた。
ブランは不器用にその音を真似た。
彼が発するその音は、俺には「アルト」と聞こえた。
本来の響きとは少し違うが、悪くない。
俺はアルトだ。
ペリオはさっきの滑空が気に入ったのか、何度も近くの木に登っては、俺に向かって飛び降りてくる。
当然、彼には翼がないので地面に落ちるのだが、そのたびに身軽に受け身をとり、また木に登る。
ブランは地面に新しい絵を描き始めた。
それは、俺が心血を注いで作り上げた、あの天体の模型だった。
『お前は何をしていたんだ?』
そう問いかけているようだった。
その問いに、俺は本来の目的を思い出した。
「十四日後、流れ星が見える」
『なぜわかる?』
俺は身振り手振りを交え、必死に説明を試みた。
「流れ星の正体は、岩の塊だ。それが時折、俺たちの住む大地に当たる。当たれば空中で燃える」
『見たことがあるのか?』
「ある。何度も。かなり近くで」
『それが地上まで落ちてくることはないのか?』
俺は断言した。
「ない」
『なぜ言い切れる?』
「今まで落ちたことがないからだ」
『今まで見た流れ星の大きさは、いつも同じなのか?』
「いや、大きさはバラバラだ」
『ならば、もしとても大きな岩なら、空中で燃え尽きるといえるか?』
「それはそうだが、過去に起こらなかったことはこれからも起こらない」
ブランは納得したような、していないような顔を浮かべた。
『その星は、今どこにある?』
俺は自分の計算に基づき、まだ見えぬ、深い闇に包まれた空の一点を指し示した。そして凍りついた。ブランもまた、俺と同じ場所を指さしていた。
『お前の言っている流れ星ってあれのことか?』
夜空には、存在しないはずの点が一つ輝いていた。
◆
その光は、まだ小さな点に過ぎなかった。だが、本来ならばまだ何日も先でなければ見えないはずのものが、すでに姿を現している。俺は戦慄を覚えながら、その光の角距離を測った。地面に新しい図を描き、大地の移動速度と岩の接近速度、そして見かけの大きさを計算していく。導き出された数字に、俺の全身から血の気が引いていくのを感じた。
「山くらいの大きさがあるぞ」
俺の声は震えていた。
「すまん、用事がある」
俺は立ち上がり、大きく羽ばたいて空へと舞い上がった。一刻の猶予もない。俺はこの辺り一帯に住むすべての獣たちに、この危機を知らせなければならない。
「逃げろ! 星が落ちてくるぞ!」
俺は雲の下を旋回しながら、枯れた喉を振り絞って叫び続けた。
「ここにいたら潰されるぞ!」
だが、俺の叫びに耳を貸す者は誰もいなかった。
水辺で草を食む巨獣たちは、俺の声を鬱陶しい虫の羽音くらいにしか思っていないようだ。
森の影たちは、空から降ってくる死よりも、目の前の獲物に夢中だった。
俺は一頭の、長い首を持つ山のような巨獣の進路に立ち塞がりガアガアと警告音を発する。
巨獣は俺を気味悪そうに一瞥すると、太い鼻息を吹きかけ、プイと背を向けてしまった。
「そんな……」
俺がなおも食い下がろうとした、その時だった。背後で凄まじい風が切れる音がした。
巨獣の長い鞭のような尻尾が、俺の脇腹を無慈悲に直撃したのだ。
「うげっ……」
衝撃で俺の身体は地面を転がり、肺からすべての空気が押し出された。激痛で視界が白く染まる。俺は泥の中にうずくまった。
『大丈夫か、アルト!』
聞き慣れた鳴き声と共に、ブランが駆け寄ってきた。彼は俺を助け起こすと、巨獣に向かって叫んだ。
『おいお前、アルトの話を聞いてやれ!』
ブランの必死の訴えに、巨獣は首をゆっくりと巡らせた。
だが、返ってきたのは再びの拒絶だった。
巨獣の尻尾がしなり、ブランの頬を強く叩いた。
『痛いっ』
「おい大丈夫か」
俺はブランを助け起こす。
『だ、大丈夫だ』
目の下を真っ赤に腫らしたブランが言った。
『図を書こう』
俺たちは二人で巨大な図を描き始めた。太陽、大地、そして死を運ぶ流れ星の軌跡。
それが交錯する瞬間を、誰が見てもわかるように表現した。作業を続けるうちに、一頭、また一頭と巨獣たちが集まって来た。彼らは長い首を傾げ、不審そうに俺たちの描いた図を見つめている。彼らもまた、夜空に突如現れたあの異様な光には気づいていたのだ。
やがて、群れを割って、ひときわ巨大な個体が現れた。その皮膚は幾多の戦いを生き抜いてきたように硬く、古傷が刻まれている。
彼は長い時間をかけて図を眺めた後、俺とブランをじっと見据えた。そして、アゴで自分の背後を指し、ゆっくりと歩き始めた。
「ついてこいと言っているみたいだ」
『そのようだ』
俺たちはその年老いた巨獣の後を追った。着いたのは、草も生えていない、荒れ果てた荒野だった。巨獣は足先で軽く地面を掘ると、その土を舌で舐めた。そして、俺たちにも同じことをしろと促した。俺は不審に思いながらも、土を少し掬って口に含んだ。
「……酸っぱい」
何とも言えない嫌な刺激が舌を刺した。巨獣は再び歩き出し、別の場所で土を掘った。今度の土は、ひどく渋みが強かった。
彼は鳴き声と身振り首振りで俺たちに伝え始めた。
俺達は長い時間を費やして、ようやくお互いの言っていることがわかるようになってきた。彼が教えてくれたのは、この大地の秘密だった。
土には、酸っぱい性質を持つものと、渋い性質を持つものがある。植物たちが青々と茂ることができるのは、そのどちらでもない、中間の性質を持つ土だけなのだという。
そして、この辺り一帯はほぼ、酸っぱい土だった。もしあの巨大な岩がこの場所に激突すればどうなるか。
地表を覆う酸っぱい土は粉々に砕け散り、空高く舞い上がるだろう。それが風に乗って大陸全土に降り注げば、あらゆる植物は枯れ果て、大地は死の世界と化す。
「逃げたところで、食べるものがなくなる……ということか」
俺たちは絶望の淵に立たされた。
逃げる場所など、どこにも存在しないのだ。
三頭で膝を突き合わせ、夜が明けるまで対策を練った。ところで、俺達はコイツをルカと呼ぶことにした。自身をそう呼んでいるように聞こえたからだ。俺の空からの知識、ブランの機転、そしてルカが長年の経験で培った大地の知恵を総動員し、俺たちは一つの可能性を打ち立てた。
激突の瞬間までに、この場所の酸っぱい土をできる限り掘り返して、海へ流す。
また、山の上にある渋い土をここへ運ぶ。
ただ、その2つを同時にはできない。渋い土を先に運んでしまえば、それは酸っぱい土と共に海へ流れてしまう。
そこで、川を堰き止め、山の上に巨大な池を作る。そこに渋い土を溶かし込み、石が衝突する直前に決壊させて、一気に流し込むのだ。
「ただ、誰が決壊させるんだ?」
『確実に逃げ遅れるぞ』
『私がやろう。かなり力が必要なはずだ』
ルカは静かに、だが揺るぎない意志を込めて言った。
それから、この半島を舞台にした前代未聞の大事業が始まった。
このルカという古獣は群れの長らしい。群れは必ずルカの言う事を聞いた。ペリオもルカのことが気に入ったようで、ルカの頭に登って、ルカと同じ木の葉を食べ、お腹を下したりした。
彼らは効率のため隊を2つに分けた。一方は、湿地から食料を運び込み、もう一方は地面を掘る。
ブランの種族には三本角の骨が人気を博した。この辺りにたくさん生息する、目の上の二本と、鼻の上の一本の角を持つ立派な襟巻きの獣の骨だ。
この襟巻きが地面を掘りやすいと評判だった。襟巻きを地面に突き立て、器用に土を跳ね上げていく。
噂を聞きつけた他の種族たちも次々と仲間に加わっていった。
背中に厚い骨の鎧を纏い、尾の先に巨大な棍棒のような塊を持つ種族も現れた。地面に打ち込んだ杭を彼の尾が一叩きするだけで、固い地表は砕け散り、掘削作業を劇的に加速させた。
ペリオも、ブランの真似をして、小さな骨で穴を掘った。だが、足元をチョロチョロと動き回る彼は作業の邪魔らしく、よくブランに怒鳴られていた。
現場は、異種族の鳴き声と地響きが入り混じる、混沌とした熱気に包まれていた。
一見、すべては順調に進んでいるように見えた。だが、死の影は確実に近づいていた。
◆
「食料隊が大顎に襲われた!」
ある日の昼下がり、血まみれになった数頭の巨獣たちが、悲鳴を上げながら森から逃げ出してきた。彼らの皮膚は深く切り裂かれ、その一歩ごとに鮮血が大地を汚していく。出発した時よりも、その数は一頭足りなかった。
非難の目がルカに集まった。だが、ルカは一言言っただけだった。
『作業を続けてくれ』
明らかに不満が溜まっている。
「すまない。俺のせいだ」
俺はルカに小声で言った。
『お前のせいじゃない』
◆
胃の底が焼けるような罪悪感が俺を突き上げる。俺は重い翼を広げ、再び空へと舞い上がった。視界の端で、森の影が不自然に動いた。これまでの安全な森の道は、すでに大顎の怪物に学習されている。新たな食料調達ルートを見つけ出さなければならない。俺は空気が薄くなるほど高度を上げた。肺が痛み、翼の皮膜が冷気で強張る。眼下には、この半島の全容が赤茶けた地図のように広がっていた。俺は脳内の地図を何度も読み、ブランから教わった森の植生と、空からの情報を組み合わせる。
俺はさらに遠く、峠の向こうに目を向けた。
そこには豊かなシダの森が広がっているが、巨獣の体躯では通るのが精一杯の狭い岩場を抜けなければならない。一歩間違えれば滑落死する。だが、そこなら大顎の怪物が飛びかかったりしないだろう。
雲の隙間から、巨大化した流れ星が顔を出した。残された時間はもうない。
地上に戻った俺は、泥の上に新たな地図を刻んだ。
「次の食料はこっちの峠から取ってきてくれ」
若者たちが拒絶の叫びを上げる。一度も言ったことがないところに行くのは誰だって嫌なのだ。だが、そんな事は言っていられない。ここに餌があると信じてもらう他無いのだ。
◆
「ルカ、お前……その足、どうしたんだ?」
作業が深夜にまで及んだある時、俺はルカの足首が異様に腫れ上がっていることに気づいた。
『少し挫いただけだ。慣れない土木作業でな』
足首の傷口は深く割れ、ひどく化膿して赤黒く変色している。だが、怪我なら誰しも多少なりと負っている。ルカが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。
それから、時間は残酷な速度で過ぎ去った。
衝突の数日前になると、流れ星は太陽をも凌ぐほどの、不気味な青白い輝きを放ち始めた。
その光は夜を昼に変え、獣たちの影を異様に長く、鋭く大地に引き伸ばした。
圧倒的な死の予感に、多くの者が恐怖の限界を超えた。
昨日まで肩を並べて戦っていた仲間たちが、一人、また一人と、パニックを起こして逃げ出していった。
それがさらに絶望を深め、さらなる逃亡者を生む。
逃げる場所など無いのに。作業者が減れば、それだけ死ぬ確率も増えるのに。
俺は、生きるとは予測することだと思っていた。
だが、どれほど精密な計算を重ねても心は予測できない。
自分の無力さに打ちひしがれた。何が予想だ。何が生きるだ。
土の除去は、当初の計画の半分も終わっていなかった。
俺は上空に土を撒いて何度も実験をした。
この土が舞い上がったらどうなるか。まず、酸っぱい土がこの大陸全土を覆う。多くの植物はここで一旦死ぬ。その後、数十年は日光が遮られ、食糧難が続く。
そうなるとどうなるか。三人で様々なケースを検討するも、出る結論はいつも一緒だった。
身体が小さくて、寿命が短く、世代の交代が早い種は生き残れる可能性がある。
大きく、寿命が長い種は確実に死ぬ。
流れ星はもうそこまで来ていた。みんな逃げ出していた。俺は天を仰いだ。
「すまない。俺がもっと早く予測できていれば」
俺がこぼした言葉を、ブランがすくい上げた。
『何もしないよりはましだった』
俺はうつむいた。ルカが言った。
『アルトがいなければ100種類が死んでた。99種類死んでも、アルトのお陰で1種類が生き延びられれば、命は繋げられる』
顔をあげられなかった。しばらくの間、沈黙が三人を支配した。
そんな気を払うようにルカが大声を上げた。
『さあ、行こうか』
そして山頂の堰へと向かって脚を踏み出した。
だがその瞬間、彼の膝が大きな音を立てて崩れ落ちた。足全体が腫れ上がっていたのだ。
「ルカ!」
彼を支えようとした俺の手が、彼の額に触れた。
そこには、今にも発火しそうなほどの凄まじい熱が宿っていた。
もはや、意識を保っていることさえ奇跡に近い状態だった。
『大丈夫だ。これくらい』
ルカは必死に地面を掻き毟り、這ってでも山を登ろうとした。だが、その体は三本足で立ち上がれるほど軽くはない。衝突までもう時間がない。俺にあの堰を壊せるか? いや、絶対に無理だ。
視界の端で、ついに光る石が空気の層に触れ、凄まじい火球となって膨れ上がるのが見えた。
もう終わりなのか。100の1も無いのか。
背後の森が、地鳴りを伴って激しく揺れた。空気を震わせる咆哮が空気を切り裂いた。赤い皮膚、二本指の鉤爪。あの大顎の怪物が森から躍り出たのだ。怪物は狂ったような速さで、山肌を駆け上っていく。
怪物は山頂の堰にたどり着くと、その巨大な顎で、幾重にも組まれた太い土留めの丸太に食らいついた。
そして、全身の筋肉をはち切れんばかりに膨張させ、断末魔のような叫びと共にそれを引きちぎった。
堰が決壊した。大顎の怪物は濁流に飲み込まれる直前、輝く星に向かってもう一度吠えた。轟音と共に、山頂に蓄えられていた渋い土を湛えた濁流が溢れ出し、麓に広がる土と混ざり合っていく。
「俺も出発するよ」
俺はルカとブランにそう告げた。
背中には、この半島に自生するあらゆる植物の種を詰め込んだ、皮の袋が括り付けられていた。
俺の最後の仕事は、この種をできる限り遠く、衝撃の及ばない場所へと運び届けることだ。
「すまんな、俺だけ生き残ることになって」
俺の言葉にブランは笑った。
『心配するな。アルトもすぐ食料がなくなって死ぬ』
俺も笑い返した。
「ペリオ、お前はどうする? 俺と一緒に来るか?」
俺は相棒に問いかけた。
だが、ペリオは答える代わりに背を向けた。
ペリオの先には、彼よりもさらに小さなネズミたちが十数匹、セカセカと走り回っていた。お前、家族がいたのか。
『じゃあ、ここでお別れだ』
ブランはそう言うと、近くで怯えていた小動物たちを追い立て、岩の裂け目から続く深い洞窟へと押し込み始めた。
ペリオも、虫たちの回収に加わった。
最後に、ブランがその入り口に立ちはだかった。
俺は大きく地面を蹴った。空気が翼を押し上げ、地上の仲間たちが急速に遠ざかっていく。
俺はただ日の暮れる方角へ、流れ星から最も遠い場所を目指して飛び続けた。
まもなく、その時が訪れた。
太陽よりも眩しい閃光が世界を白く塗りつぶし、その直後に遅れてやってきた衝撃波が、大気そのものを剥ぎ取っていった。
上空から見下ろすと、地表がまるで水面のように同心円状に波打ち、あらゆる生命を飲み込んでいくのが見えた。
ブランの身体が燃え上がった。
ルカの横たわった荒野も、巨大な砂塵の雲に覆われて見えなくなった。
俺は熱風に翼を焼かれながらも、必死に高度を保ち続けた。
◆
結局俺の予測は、自分が生きるための役には立たなかった。
でも、ブランが守った小動物たちが、一つでも生き延びていればそれでいい。
誰かを生きさせることはできたのだから。
空は灰の色に染まり、太陽は姿を消した。
「ペリオ、俺たちのことを伝えてくれよ」
その子孫が、またこの半島の地図を書けるようになるまで。
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