hungry?

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梗 概

hungry?

「この三分間が、最も幸福な時間なのです」
 
 幼い僕が工場長室を訪れたとき、父は発泡スチロール製の容器を机に置き、ただ黙って座っていた。やがて蓋を剥がすと、人工的な野生の香りが室内を満たした。僕には、その無意味な行為が理解できなかった。
 
 世界戦争と環境破壊、飢餓の果てに文明は崩壊した。最後の文明時代の人類は「今ここ」の生存のため未来へ侵攻し、文明崩壊後の時代から資源を略奪した。その破滅の原因を人類の「欲望」にあると総括した生存者たちは、欲望そのものを捨てる道を選ぶ。性欲を捨て、工場の試験管で培養される新人類〈プロダクト〉が生まれた。彼らは睡眠を最小化され、味覚と空腹感覚を持たず、注射による栄養摂取で生きる。旧人類〈ヒューマン〉に代わる、終末環境に最適化された存在である。僕もその一人だった。
 
 ある戦場で僕は、敵である最終文明人の食糧「カップ麺」を手に入れる。かつて、工場長の父が口にしていたそれに興味を抱き、同じ工場で育った仲間リャンと食べる計画を立てる。清潔な水と火を起こす資材を集めるが、直前にリャンはカップ麺を奪って逃亡する。しばらく後、戦場で死体となったリャンを発見する。敵兵たちがカップ麺を食べていた。彼はそれを奪おうとして殺されたのだ。欲望を持ったがゆえの死。僕は敵兵を射殺し、未開封の一個を奪い返す。
 
 父との記憶がよみがえる。父は僕を工場の外へ連れ出した。「外で食べると、一層美味いのです」と言う。「空腹が人を動かし、道具を生み、巨大な獣さえ倒させました」と語った。やがて老いた父は、合理性を重んじるプロダクトたちに不要と判断され処分される。最期の晩餐を望んだが、その意味は理解されず、願いは叶わなかった。
 
 僕は一人、カップ麺にお湯を注ぐ。三分間を待つ。「あらゆる三分の中で最も長い三分。この時間がスパイスとなります」とかつて父は語ったが、何もしない時間は苦痛だった。だが食べ始めた瞬間、圧倒的な旨さに夢中で麺を啜っていた。僕が食べるこのカップ麺は、自分たちの時代にあったはずにもかかわらず、奪われたものでもあるのだ、と気がつく。
 
 食後、強烈な眠気が襲う。血糖変動、消化による代謝負荷。それはプロダクトの肉体にとって、未経験の神経反応だった。急速な怠さに抗えず、気を失うように意識を手放す。眠りの中で僕は、満たされぬ腹を抱え、食べ物を求めて彷徨う夢を見る。生まれて初めて空腹を知ったのだ。
 
 胸を撃ち抜かれ、血を流しながら目覚める。欲望を知った者の当然の末路だった。けれど最期に、自分はようやく人間として死ねるのだと思い、再び眠りにつく。

文字数:1084

内容に関するアピール

 
三分間。現代人にとってのカップ麺は「時短」の象徴だが、効率を極めた〈プロダクト〉にとっては、その三分間こそが「何もしない=最大の非効率・贅沢」になる。あるいは、工場で作られる科学的な食べ物であるカップ麺を、工場で作られたプロダクトが「野生的」と感じる。そんな価値観の転倒を狙った。実作では父との記憶のパートと現在のカップ麺をめぐる話を交互構成として進む形をとる。着想はカップヌードルのCMから。
 
●世界観
文明が崩壊する寸前の世代が、未来の資源を奪取するため侵略してくる、世界の代わりの時代
 
●なぜ世界が終わろうとしているのか?
人間の「欲望」に起因
 
●SFテーマ
もしも、人間が世界の終わりを生き延びるために最適化させたら?
 
●SF設定
厳しい終末世界を生き延びるため、そしてかつての過ちの反省から、人類は世界の終わりに最適化された「プロダクト」に
 
●モチーフ
カップ麺。不要になった欲望の象徴

文字数:394

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hungry?

 ◆
「この三分間が、最も幸福な時間なのです」
 僕が工場長室を訪ねたとき、父はデスクの上に置かれた発泡ポリエチレンの容器を見つめていた。父はちらりと僕に視線を向け、しばらく黙していたが、おもむろにそう呟いた。
 僕は尋ねた。「どういう意味でしょう?」
 返答はなかった。風に乗って窓に吹き付ける硬質な雨音が沈黙を叩き続けた。父が言った言葉の意味は不明だったが、確かに僕の脳裏に刻まれた。
 
 ◇
 旧市街ナンバー〈二四、一〉。廃墟の街に、漆黒の棺桶の雨が降ってくる。
 棺桶はしばらく空中を落下するとパラシュートを開き、空をふわりと浮かぶ。着陸までにかかる時間を演算しつつ、僕は足を動かす。四階建のマンションに入り、崩壊しかかっている階段を踏み抜きながら二階へ駆け上がる。朽ちた窓枠の下に身を潜め、背負った〈立体印刷機〉を稼働させ、銃弾のプリントを開始。左手に握りしめる機関拳銃に管を接続し、出力した銃弾を補填する。腰に吊り下げたカーボンファイバーの軍刀を右手で抜き、握りしめ、刃を地面に向けてだらりと下ろす。
 目を“瞑り”、周囲を俯瞰する。自分を起点に円心状に広がる場に、着陸し始めた敵の座標と各所に潜む味方の座標がプロットされる。かつて父が言った言葉を思い出す。「人には二つの視点があります。虫の目と鷹の目です。〈ヒューマン〉は自覚的に鷹の目を使うことはできませんが、〈君ら〉にはそれができます。代わりに、我々の敵は技術をもっています。彼らは道具を使い、鷹の目を補うことを、忘れてはいけません」
 武器を持たず鎧も身につけず、この身一つ、一対一であれば、僕ら〈プロダクト〉が彼らに負けることはない。より速く動き、より質量のある肉体が繰り出す拳は、彼らの脆弱な肉体を簡単に打ち砕くことができる。より長い時間を走り、眠らず、脳を働かせ続けることができる。短期戦か長期戦かを問わず、生物的な基本性能はこちらが上だ。にもかかわらず、彼らは容易に僕らを屠る。
 僕らの性能を敵も理解している。彼らは常に集団で行動し、戦闘時はまるでひとつのシステムのように駆動する。優れた兵器を携えた軍隊が僕らを殺戮する。この世界に残された僅かな資源の略奪。それが彼らの目的だった。
 未だ閉じていた瞼の裏側が白光する。爆撃が鳴り、風圧が押し寄せる。あちこちで銃撃音が響き渡る。その全ての位置関係を把握し、細やかに位置どりと身体の向きを調整し続ける。
 三、二。僕は目を開ける。俯瞰で捉えた構図と今この瞬間に己の双眼が写す景色を重ね合わせる。一。左手に握った機関拳銃のトリガーを引く。
 
 ◆
「あらゆる物事には終わりというものがある、と言います。しかし、その戦争に明確な終結はありませんでした。戦争より先に、世界が終わってしまったのですから」
 工場内の講堂。十歳の〈プロダクト〉五十人はアルミでできた椅子に座り、一様に前方へ視線を向けていた。視線の先、教壇には、工場長である僕らの〈父〉が立つ。歴史の講義の時間だった。
「二一〇〇年代前半から地球上で同時多発的に発生した世界戦争とそれに伴う環境破壊。世界のあらゆる場所や空間が、炸裂し続け、炎に包まれました」
 父は左手に紙を持ち、紙を見ながら話をした。紙を捲るたびに、かさかさ、と音をたて、数秒話が中断された。
「世界各国が、戦争に莫大な資源を投入し続けることになりました。一方では金と食料と兵器が刻々と失われていき、他方ではそれを補わんとするように、人類は発明を繰り返しました。戦場の局面を変えうる新発明を、ある国がしたと思えば、すぐにその情報は世界中に拡散される。次の日には、新発明は新発明でなくなっている。そのような時代でした」
 父の話す言葉を一つ残さず記憶する。同じ内容の講義は繰り返されない。一度の講義で、全内容を理解する必要があった。難しいことではない。
「人類は宇宙の誕生を突き止め、世界を構成する素粒子の正体を解き明かす知性を持ちながら、他方で互いを疑い、憎み、殺しあうことをやめられなかった。そうして長い時間戦争状態にある間に、戦争を継続するための資源不足に悩まされるようになりました。戦争をやめることは敗北を意味します。唯一敗北から逃れる手段は、戦争をやめないことでした。そんな極限の状態にある中、〈人類〉最後の大発明と呼ばれる〈時空間輸送艦〉が生み出されたのが二一八四年、今から三百年前のことです」
 この工場には十歳のプロダクトが五十人、十二歳のプロダクトが二十人、十四歳のプロダクトが十人、計八十人のプロダクトがいた。プロダクトの育成カリキュラムは生後四年から開始し、十五年目で終了する。僕らは十歳だから、あと五年。カリキュラムをすべて履修し終えたとき、僕らは一人前の〈プロダクト〉として出荷される。基本的には自衛団へ入団することになる。
「今、我々が戦っている〈敵〉とはすなわち、この〈時空間輸送艦〉によって送り込まれた三百年前の人類による兵団です。彼らは自分たちが暮らす“今ここ”の時代を生きるために、彼らにとっての三百年後の未来の世界を犠牲にすると決めたわけです」
 かさかさ、と音が鳴る。父が紙を捲る。話が中断する。
 

 十六歳の僕の左手が握る銃が、三百年前の人間の胸に風穴を開ける。
 直後、百メートル離れた場所から向けられた照準が、僕の眉間に定まった。撃ち抜いた敵兵の最期を確認する前に、僕は素早く右手に持った軍刀をその場で振るう。百メートル先から射出された弾丸が刀身と衝突し、刀は炸裂したみたいに砕け散る。一時的に己の右腕が動かないのを認識して、速やかに走り出す。不規則に弾丸を放ち、味方の援護をしつつ、一度その場から離脱する。マンションの外に出て小道を蛇行しながら、複数の建物を横断する。崩壊した縁石をかき分けて、一度身をひそめる。
 自分が生き延びることがまず優先される。次に、味方が一人でも多く生き延びること。敵を殺すことは、上述二つの目的達成に最も適う場合に遂行される。接近状態での一対一の戦闘は遂行し、多対一や遠方からの狙撃のような、環境的に不利な戦闘はすべて避ける。僕らの戦いは常にそのように最適化されている。
 沈みゆく夕日の火の玉が、崩壊したコンクリートから伸びる錆びた鉄屑に串刺しにされていた。戦闘開始から二十時間二十三分が経過したとき、敵兵は退却を開始した。彼らの目的は制圧ではなく略奪だ。資源回収のノルマが達成されれば、必要以上にコストを投下することはない。僕らも深追いはしない。僕らの目的もまた彼らの殲滅ではない。世界の終わりのこの荒廃した土地で、僕らはただ生きるだけだ。
 戦場となった旧市街〈二四、一〉を歩く。厚底のブーツ越しに、大地に散らばる瓦礫の破片の感触が伝わる。あちこちに同じ工場で育ったプロダクトの死体が転がっていた。どれも武器や衣類を剥ぎ取られていた。
 戦闘開始時、僕が構えた建物に偶然辿りついた。階段を登り二階へ上がる。朽ちた窓枠からは地平線に全てを呑まれる寸前の夕日が見え、やがて消失した。辺りは急速に暗くなってゆく。僕は窓枠にもたれかかるように腰を下ろす。僕が十九時間十四分前に対処した死体はなくなっていた。彼らは何でも持ち帰る。この時代の物資も、同僚の亡骸も。
 ジャケットの内ポケットから注射器を取り出して、腕に刺し、食事を摂る。ふと、普段目にしない物体が視界に捉えた気がして顔を上げる。底部から緩やかに広がる逆円錐台。サイズは手のひらに乗るくらい。白地に赤色で文字がプリントされている。容器の上下を縁取るように、細やかな幾何学模様が帯状に配されている。
 僕はその物体に近づき、手に取る。手に馴染む素材感。想像より軽い。かさり、と音が鳴る。紙を捲るような。容器の中身が揺さぶられて発生した音だった。僕はこの容器を見たことがある。
 工場長の父が昔、これを食べていた。
 カップ麺。確か、そう呼んでいた。
「生きてたか」
 階段を登ってこちらにやってくる存在には気づいていた。僕は手にもつカップ麺への関心を切ることなく、声の主へ返事をする。
「リャン。君も」
「ほんとにそう思ってるか? 声に気が宿っていない」
「久しぶり」
「手に持ってるそれは?」
 リャンがこちらを覗き込む。僕は言う。
「戦利品だ」
 

 今から三百年前の人類は、すでに世界が取り返しのつかない地点まできてしまっていることを理解していた。修復不可能が決定づけられた未来から資源を略奪し、自分らの時代に帰還する。諦念による開き直りだった。
 彼らの未来への戦争は長く続かない。未来の軍勢、すなわち「僕ら」に敗北したわけではない。時空間輸送艦の発明からわずか百年後には、すでにこの発明品を維持するための資源も技術も失われた。そうして、人類の文明は崩壊に至った。
 かさり、と紙を捲る音が鳴る。父の口が開く。
「〈我々〉人類は、自らの歴史の総括としてこう結論づけました。すなわち、人類は〈欲望〉によって破滅を迎えた、と」
 人類は欲望を捨てることにした。それは単なる総括としてだけでなく、文明が崩壊した世界でそれでも人類が生き抜くために、現実的に要請された方針でもあった。人類は三大欲求を放棄した。性欲を捨て、新人類は世界の終わりを生き抜くために最適化した存在として試験管で育つ。彼らは最小の睡眠で最大の活動効率を持つ。そして味覚と空腹感覚を捨て、注射器による栄養摂取で生きる。工場の試験管生まれの彼らは「プロダクト」と呼ばれ、旧時代の人類「ヒューマン」と区別された。
 プロダクト。すなわち、僕らだ。
「みなさんは、最後の人類です。あるいは人類ではない、とも言えます。ヒューマンである私にできることは、」
 続く父の言葉はしかし、紡がれることはなく、しばらく無言をその場に残した後、かさりと紙を捲る音によって寸断された。
 工場で均一に育てられる僕らだが、個体差は少なからず生じる。同じ年に生まれたプロダクトの中でも、たとえばリャンは最も優秀なうちの一人だった。知能と運動能力に優れ、父の言うことをよく聞き、従った。秀でても劣ってもいない僕は、良くも悪くも父から特別相手にされなかった。ゆえに、その夜の出来事は僕にとって唯一の父との思い出となった。
 十歳の僕はその日、日直の作業を終え、報告のために執務室を訪ねたが、父の姿が無い。講堂、訓練場、制作室、武器庫、工場内を一通り歩き、やがて工場長室に辿り着いた。黒いスチール製のドアを、まるで目に見えない隠しスイッチを慎重に押すようにノックした。中から、言葉になる寸前で形を崩した声が聞こえた。僕はドアを開いた。短い会話が途切れ、しばしの沈黙の後、気まずさをかき消すように父は口を開いた。
「あらゆる三分の中で最も長い三分。何かするには短く、何もしないには長い。しかし、この時間こそが、最高のスパイスとなるのです」
 父はただ時が過ぎるのを待った。やがて腕にした時計にちらりと目をやると、容器の蓋をぺろりと剥がした。人工的な野生の香りが室内を満たした。僕は一度目を閉じ、開ける。父はこちらをまっすぐに見つめていた。
「ええ、そうですね」
 父は頷き、言う。僕が何かを尋ねていて、それを肯定するかのように。
「ついて来てください。少し、外へ出ましょう」
 父は、湯気の立ち上るカップを左手に、アルミ製の“フォーク”を右手に持って、歩き出す。僕は彼についてゆく。
 

「つまり、これは〈奴ら〉の時代の食料、というわけ」
「歩きながら話そう。ふむ。それは確か?」
「工場長が昔、これを食べていた。ヒューマンの食べ物なのは間違いない」
「この時代の、どこかで生きているヒューマンのものという線は? 南西の百七メートル、念のため注意を向けてくれ。生命の運動を捉えた」
「この時代のヒューマン、すなわち性交渉によって生まれた個体についても、基本的に食事は僕らと同じだ。欲望を未だ保持するヒューマンが、その食欲を満たすために特殊な食料を摂取しているとしたら、それは旧時代の産物の可能性が高い。あと、猫だ。問題ない」
「方角をここから北北東に。千メートル先、地下への入り口がある」
「地下。もしかして、水が?」
「その通り」
「見事な推測だね。他に何が必要だと思う?」
「熱、だろうね」
「リャン、さすがだ。その通りだよ」
 リャンは僕の言葉を聞き、手で触れ形を確かめるみたいに頷いた。
「工場長、か。久しぶりに聞いたな」
 彼の言葉に、僕は何も言わない。
「君はこれをどうするべきだと考えていた?」
 もしも僕が、リャンに見つからずにこのカップ麺を手に入れていたとしたら。言外にそう問うていることは理解できた。気がつかないふりをする。先ほどの会話で、彼がこれに関心を示していることは明らかだった。
 そう、関心だ。欲望ではない。生存戦略のための理解促進。それが目的だと、内心言い聞かせる。
「君もわかっているだろう?僕らはもっと知るべきだ。敵のことを」
 それから、ヒューマンのこと。そう続けて言いそうになったのをこらえる。
「よし、ここだ。念のためダブルチェックを」
「問題なさそうだ」
 彼は頷き、地面にはめ込まれた錆びたスチールの蓋を持ち上げる。はしごに足をかけ、リャンは速やかに穴の中を降りてゆく。間をおかず、僕も彼に続いて降りる。肌にまとわりつく空気が重たくなる。水気を含んだ風が流れて来て、臭気が鼻腔を刺激する。
「最適かは、判断つかない」リャンはこちらに顔を向けず、つぶやくように言う。「けれど、君の言うことは間違ってはいない。僕はそう捉えているよ」
 

 砕け散ったガラスの粒のように、夜空を星々が燦めていた。大地を底にして、宙は半球の屋根を成していた。見上げた視線を降ろすと、丸まった大きな背を僕に向けたまま、父はゆっくりと歩いていた。一歩、一歩、靴裏を地面に擦りつけながら進む。
 意味の理解できない歩行を開始してから二分が経った。不安と焦燥が募り始めた頃、父は歩みをとめた。「いけませんね。これ以上時間が経つと、せっかくの麺が伸びてしまいます。それでは台無しだ」彼はつぶやくと、辺りを見渡し、近くにあった彼の腰ほどの高さのコンクリートの瓦礫に腰を下ろした。
「さあ、こちらへ」
「はい」
 父の隣、僕は腰を下ろす。
「これはカップ麺。私が愛する食べ物です。フォーク、は知っていますね?この道具はもともと食事に使うものでした。これで麺を巻き取り、口に運んで食べます」
 父は説明する。
「外で食べると、一層美味いのです」
 彼は容器の中の麺をフォークで器用に巻き取り、湯気を昇らせながら汁を啜る。むせ返るような臭いが辺りに広がる。
「三分間、何もせずにただ待つ。外へ出る。道具を使って食べる。美味しい、のため」
 僕は父が言った言葉を、ひとつひとつ確認する。何か間違えているかもしれない、と思ったが、父は何も言わずただ黙って頷いた。
 麺を啜る音。時々風が吹く。砂埃が舞う。僕はちらり、と父の行為を見やり、空に視線を向ける。
 麺を全て食べ終えると、父は容器に直接唇を這わせ、汁を口内に流し込む。一度容器を口から離し、含んだ液体を流し込むとしばらく咳き込む。呼吸を整えると、残りの汁も飲み干す。ぐふ、と胃の中のガスを吐き出し、ため息をつく。
「あなたには無意味な感情、行為に思えるでしょう。けれど、かつて人間はこうした食への欲望に導かれて道具を発明し、生きてきました。自らより遥かに巨大なマンモスだって捕らえました。空腹が人を突き動かし、生き延びるために発展してきたのです」
 僕は言う。
「欲望によって、人は滅んだ。そう講義で教わりました」
 父は目を細め、頷いだ。
「人は欲望から逃れることはできません。たとえ、人が人でなくなったとしても。そして、たとえ人が欲望によって滅んだとしても、人のすべての幸福もまた、欲望によって生み出されたのだとしたら」
 父は口を閉じ、首を左右に振る。それからふと、悲しそうな表情で言った。
「きっと私はもう長くないかもしれませんね」
 

 僕らは常に行動をしている。周囲に環境を読み取り、音を聞き、思考を巡らしながら、足と手を動かす。
 地下に降りた僕らは方針を整理した。
「手に入れたのは、ひとつのカップ麺」
「過去の人類が、ヒューマンだった父がかつて愛した食べ物」
「僕らはこれを食べる」
「後悔しない?」
「必要な行為だ」
「食べるための用意をしよう」
 リャンは地下を流れる水を汲む。それから、地下に溜め込まれた金属片や過去の道具の残骸を適当に拾い集め、水を沸かすための発火装置の製作に取り掛かる。彼のように器用な真似はぼくにはできない。背負っている〈立体印刷機〉を稼働させ、記憶を頼りにしてフォークをプリントする。そこまで正確でなくても、麺を巻き取って口にもっていくための道具として機能すればいい。
「これまでに無い発想も、今後必要になるかもしれない」
 リャンは言う。
「例えば?」
「敵の目的は殺戮ではなく略奪だ」
「資源や物資の」
「それから、女も」
「男は殺される」
「彼らの欲望するモノを、こちらが事前に用意する。それは、そもそも僕らにとって価値のないもの。彼らに与えることができる」
「例えば、カップ麺を僕らが作って、彼らに与える?」
「そう。もちろん、あくまで、例えばの話だけど」
 確かにこれまでに無い発想だった。リャンの言ったことを、少なくとも僕は考えたことがなかった。敵は初めから僕らにとって敵で、彼らは略奪を目的とする。僕らは彼らの敵で、僕らは生存することを目的に彼らと戦う。
 僕は言う。
「カップ麺が、人類の欲望の先にある存在なのだとしたら、僕らがそれを食べることで、僕らの中で何かが変わってしまう、ということはないだろうか?」
 リャンは何も言わない。彼の肩が僅かに揺れたのを僕は見逃さなかった。彼が言った先の言葉はきっと嘘ではないだろう。けれど彼の本心はまた別のところにある。直感がそう告げていた。
 
 にもかかわらず、リャンにカップ麺を持って逃げられたのは、僕の能力不足だった。
 僕らがいる地点から二キロの場所で戦闘が開始された。リャンは地下に残り、僕は戦場に向かった。
 二時間四十六分の短い戦闘を終えて再び地下に戻ると、リャンの姿はなかった。初め、すぐに戻ってくると思って待っていたが、ついに彼は姿を現さなかった。彼が拵えていたはずの資材、僕が製作したフォーク、ただひとつのカップ麺も一緒に消えていることを踏まえ、僕は彼がカップ麺を持って逃亡したと結論づけた。
 リャンと別れてから一七三日後、ある戦場で死体となったリャンに再開した。リャンの側には、リャンを殺したと思しき敵兵がカップ麺に熱湯を注いでいた。そのカップ麺が、かつて僕らが食べようとして、リャンが持ち去ったカップ麺と同一の物かどうかはわからない。リャンは既に彼が独り占めしたカップ麺をどこかで食べ、たまたま戦場で殺され、彼を殺した敵兵が僕の前でカップ麺を食べ始めただけかもしれない。あるいは、カップ麺を食べたリャンは、もう一度カップ麺を食べたいと考え、カップ麺を探し求め、この敵兵の元へ辿り着き、返り討ちにあったのかもしれない。だとしたら、彼の中に「欲望」が生じ、それゆえに死んだということになる。もちろん、すべて僕の想像だ。
 湯を注ぎ終えた敵兵は、何をするでもなく、ただそこにじっと座り込んでいた。彼は三分間を待っているのだ。彼に気づかれないよう、僕は息を殺して彼の背後に躙り寄る。彼が心の中で数える時間に僕のカウントを重ね合わせる。ジャスト三分、彼がカップ麺の蓋を開き、食べ始める。彼が麺を啜る音に相槌するように、僕の心臓の鼓動が鳴る。途切れることなく彼はカップ麺を食べ続け、やがて麺を食べ終えると汁を飲み始めた。彼の周囲への警戒が最も緩んだ瞬間だった。僕は立体印刷機でプリントした小型のナイフで背後から心臓を静かに突き刺した。彼の手から空になったカップ麺の容器がこぼれ落ちた。からからと転がり続ける容器はリャンの死体のぶつかり停止した。敵兵は一瞬身悶えたのち、地面に向かって倒れ込んだ。
 彼が背負っている袋に視線を向ける。彼らが僕らを殺した際にするように、僕は死体となった彼が身につけているものを隈なく点検する。
 僕は袋の中からカップ麺をひとつ、発見する。
 

 工場は父一人によって運営されていた。父の父がこの工場を設立したらしい。病気や飢え、戦争によってヒューマンはみるみる数を減らした。やがて人口のほとんどがプロダクトになった。
 父は理性的なヒューマンだったかもしれないが、ヒューマンであることに変わりはなかった。一定の合理的な判断ができるものの、欲望を持たないわけではなく、時々感情を抑えきれない場面も散見された。歳を重ね、体力も落ちていった。工場長が時間の経過とともに衰えていくのに対し、工場で育まれたプロダクトは数を増やし、実力をつけていった。
「一人の老いたヒューマンではなく、若く優れたプロダクト複数人によって、この工場は運営されるべきだ」
 生き延びることに最適化したプロダクトは、父の存在を不要と判断した。むしろ、自らの生命を脅かしかねない要因と考えた。僕が十二歳の時だった。十五歳のプロダクトたちはただちに父を拘束し、処分を決定した。
 父は抵抗せず、ただひとつ、望みを伝えた。
「一日だけ、いえ、一時間でよいので、時間をいただけませんか?」
「なぜ?」
「最期の晩餐を楽しみたいのです」
 銃声が鳴った。工場長の身体ががだん、と震え、崩れ落ちた。父の望みは叶えられず、無駄を要することなく、速やかに殺された。
 

 立体印刷機の小さな駆動音が静かに僕の身体に伝い、揺さぶる。灰色のフォークがプリントされると、僕はそれを右手に握りしめる。
 改めてこの場所を観察する。三階建のコンクリートのマンションの、二階の一室。敵兵が簡易的に拠点としていた場所らしく、彼らの時代の道具がいくつか持ち込まれていた。着火装置と飲料水、鍋が揃っていた。鍋に水を入れ、火にかける。水が沸騰するまでの間に、注射器を取り出し腕に刺そうとして、思いとどまる。
 カップ麺を手に取る。発砲ポリエチレンの感触。白地に赤の文字で「hungry?」と書かれている。言葉の意味はわかるが、理解はしていない。プロダクトの自分には、決して理解することができないのかもしれない。あるいは。あの夜、父が僕に語ったすべての言葉を思い出す。
 鍋の湯をカップ麺に注ぐ。三分間、カウントを開始する。一、二。
 そう、三分だ。かつて父が、最も幸福な時間と言い表した時間だった。僕はここが敵兵の拠点であることを忘れていない。いつ、他の敵がここを訪れるかわからない。十一、十二。鷹の目で俯瞰する限り、現状近くに人間の存在は確認できないものの、把握できてからでは遅い場合も考えられる。無意識に、右手が腰に吊り下げたカーボンファイバーの軍刀を手に取ろうとして、フォークを握りしめていたことを思い出す。三十。目を瞑る。瞼の裏側に僕が刻む数値が表示される。数値がカウントされ、増えていくのを黙って眺める。父の言葉とは裏腹に、何もせずにただ待つことが苦痛で仕方がない。一秒が一時間のように引き伸ばされる。思考の演算が空回る。もしかしたら敵がすぐ背後に忍び寄っているのではないか。リャンはなぜ死んだのだろう。部屋の角に横たえたリャンの死体に目を向ける。八十二、三。彼は優秀だった。四。彼が簡単にやられるとは思えない。
 父は死の直前、カップ麺を求めた。リャンはカップ麺を求め、死に至った。
 閉ざした瞼を持ち上げ、僕は先刻自ら手にかけ殺した敵兵の死体に目を向ける。彼らは自分が死ぬ可能性を抱えながら、略奪のためにこの世界にやってきた。なぜそのようなことをするのだろう。彼らが彼らの時代で、死ぬ確率を高める戦争を継続するために、この世界で戦争をしかける。彼らは自分の命を優先しない。手に握るフォークを見る。あるいは、今この瞬間の僕は?本来この場に留まり続けるべきではない。にもかかわらず、僕はここにいる。なぜか。カップ麺を食べるために。
 三分が経った。思考を切断するように、蓋を思い切り完全に剥ぎ取る。
 人工的な、暴力的なまでの野生の香りが広がる。僕は思い切り吸い込み、むせ返りそうになるのを堪える。フォークを突き立て、麺を巻き取り、口に運ぶ。
 目眩がした。
 経験したことのない情報量。僕の口内が、舌が、未だ接触したことのない刺激に興奮する。注射器を腕に刺して摂取する食事とはまるで違う。脳を直接焼くような化学反応が起きたかのようだった。次第に慣れてくると、僕の身体は僕の意志とは無関係にこの食べ物を強力に求め始めた。美味しい、と工場長が言い表したものがこれなのだ。僕は息をする間もなく麺を啜る。素早く麺を巻き取り口に運ぶ手が止まらない。ただ目の前のカップ麺を食べるために、僕の意識のすべてが集中し、駆動された。
 麺がなくなり、スープを直接容器に口をつけて流し込む。あっという間に完食していた。長い距離を全力で走り終えた後のように、僕は呼吸が乱れていた。
 やがて呼吸は落ち着いたが、僕の意識は混乱していた。リャンは間違いなく、これを食べたのだ。僕らの敵の食料。あるいは〈ヒューマン〉の嗜好品。僕ら〈プロダクト〉は初めから欲望を排除され、生きること自体を唯一の目的として設定され、そのための最適化を要求されていた。誰に?わからない。僕が食べるこのカップ麺は、もしも過去の人類が別の選択をしていれば、自分たちの時代にあったはずなのだ。
 身体が急激に重たくなるのを感じた。経験したことのない眠気が僕を襲う。血糖変動、消化による代謝負荷。未経験の神経反応だった。プロダクトとしての感覚がアラートを出すが、急速な怠さに抗えず、気を失うように意識を手放す。
 
 夢を見た。
 眠りの中で僕は、満たされぬ腹を抱え、食べ物を求めて彷徨していた。戦場でどれだけ敵兵を殺しても、カップ麺は手に入らない。途方に暮れる間も無く、僕は次の戦場に赴く。虚無と焦燥が混濁した感覚が募り、どうにも抑えきれない夜を何度も過ごした。一、二、三。その度に、僕は祈るように目をつむり、数を数えていた。八、九。
 瞑っていた目を開け、ふと見上げると、零れ落ちるような星空が広がっていた。隣に父が座っていた。
「食べたいのです。どうしようもなく、何かを食べたくて、けれど食べるものがなくて、苦しいのです」
 僕は父に言う。
「それが、空腹と言うものです」父は言った。
「これが。まるで、ぽっかりと身体に穴が空いたような、」
 
 胸を撃ち抜かれ、腹部から激しく血が吹き出していた。僕は目を覚ました。視線を向けるまでもなく、敵に撃たれたことを理解した。
「これが、人間。なんて、」
 愚かなのだろう。
 閉じた瞼の裏側の極彩色が夕暮れの空の色へ変わり、夜空の暗闇がゆっくりと波のように訪れる。残されたわずかな時間をカウントしようとして、やめた。
 最期に僕は人間として死ぬのだ。
 もっと、多くのことについて考えたかったが、やがて僕は再び、今度は永遠の眠りに就く。

文字数:11030

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