SendUセンジュ ~潜在需要と殺意の出品~

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梗 概

SendUセンジュ ~潜在需要と殺意の出品~

近未来の日本。最大手ネット通販SendUセンジュは、ユーザーの検索履歴やメッセージ等のトラッキングにより、潜在需要を精確に予測し、「ユーザーが注文する前に商品を届ける」という画期的なサービスで急速に成長していた。

休日の昼下がり。富良野遼(三十五歳)が住む高層マンションの一室にSendUセンジュの小包が届く。箱を開けると、中には一丁の拳銃が入っていた。
 通報すべきか迷っている間に、元恋人の万里子が部屋を訪ねる。警視庁に務める万里子は、警察がSendUセンジュに出品された拳銃の行方を追っていると告げる。
 万里子によると、出品された拳銃は三丁——一丁は殺人に使用され押収済み、一丁は行方不明、もう一丁が遼の手元に届いたもの。すでに発生した殺人事件を鑑みて、警察は拳銃の受取人が「潜在的な殺意を有している可能性が高い」として捜査を開始。万里子は遼を助けるため、捜査に先んじて会いに来たという。
 ふたりは、遼が殺意を抱く可能性のある人物を挙げていく。真っ先に思いつくのは、仕事のクライアントだ。かつて警視庁に務めていた遼は、退職後、官公庁向けプロジェクトを強みとするコンサル会社で働き始めた。そこでは社内政治のためだけに本質的でない依頼をするクライアントもおり、遼は虚無感を覚えていた。しかし、殺したいと思えるほどの人間はいない。
 次に、万里子に対する殺意の可能性を検討する。ふたりは警視庁に同期入庁し、交際を始めた。しかし、遼が拳銃を紛失する不祥事を起こしたことをきっかけに退職。その後、順調に出世していく万里子とは自然と疎遠になっていった。恨み嫉みがあるなら撃てと、万里子は拳銃を押し付けるが、遼は静かに首を振る。
 次第に遼は、自分自身が殺意の対象なのではと疑念を抱き始める。警察をやめてから、自分のことをどうしても好きになれなかった。毎日リモートワークで外に出ず、穴が空いた靴下を履き回し、部屋はSendUセンジュの空き箱だらけ。しかし、自殺するほどでもない。
 未来における殺意の不在など、証明不可能なのではないか——そう思い始めた遼は、いつものように窓から向かいのタワマンを眺める。そこでは男がベランダで優雅にワインを飲んでいた。ふいに、男が拳銃を取り出してこめかみに当てる。
 遼は反射的に拳銃を手に取り、ベランダに飛び出た。このとき遼は初めて、自身が押し殺していた欲求を知った。自分は警察に戻りたかった。人を助けたかったのだ。冷静に狙いをつけて発砲すると、対岸の拳銃は弾け飛んだ。万里子の応援要請によって、男は無事取り押さえられる。

後日。遼は万里子に電話をし、警察に戻るか迷っていると打ち明ける。あなたの中で答えはもう出てるんじゃない、と万里子。電話を切ると、インターホンが鳴る。届いたSendUセンジュの箱を開けると、中には真新しい靴下が入っていた。

文字数:1194

内容に関するアピール

クイックコマースを利用すれば、欲しいものがすぐ手に入る。SNSを開けば、心を見透かしたかのようなショート動画が流れ、通販サイトを開けばおすすめ商品がずらりと並ぶ。「自分の気持ちはこうだったのか」「自分はこんなものが欲しかったのか」と気づかされる経験は誰しもあるだろう。数分前に話していたことが広告として表示され、スマホに盗聴されてない?などと疑うこともしばしば。スマホはきっと、自分より自分のことを知っている。

本作はそのような「需要の先読み」が極端に進んだ世界で、翻弄される主人公を描く。自分の中に潜んでいるかもしれない悪意を探るため、遼は触れたくない過去とも向き合わなければならない。

なお、AIやビッグデータを用いて顧客が注文する前に商品の出荷や準備を完了させるシステムは、すでに実用化されている。実作ではその仕組みについても触れながら、遼の戸惑いをリアルに描きたい。

文字数:385

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SendUセンジュ

昨日、家に金属製の筒が届いた。商品名は「配管パーツ」。それが配管パーツではないことを、俺はよく知っている。

一昨日は「DIY用ブラケット」とされる金属フレームが届いた。その前の日は、「汎用スプリング」と記載されたバネ。そのさらに前の日は、「模型用ギア」とラベリングされた、小さな機構部品の数々……。

正直に言えば、最初にパーツが届き始めた頃から、なにが出来上がるのかはわかっていた。それでも警察には通報しなかった。いや、通報できなかった、と言った方が正しい。

そして、今日。平穏な土曜の昼下がり。またしてもインターホンが鳴る。

SendUセンジュでーす、お届け物がありまーす」

玄関の扉を開けて、小箱を受け取る。側面にくっきりと印刷された、SendUセンジュのロゴ。Uの文字の上には点がふたつ打たれていて、スマイリーマークのようになっている。

ロゴの下にはお馴染みの宣伝文句——《あなたの欲しいものを、あなたが気づく前に》。

ラベルの商品名の欄には、「模型用ディテールアップパーツ」の文字列。

リビングの机の上で、小箱を開ける。中には金属製の円筒形の物体。人差し指ほどの大きさで、先端が丸まっている。数量は五発。ちょうど、人の指のように整然と並んでいる。

その隣には、組み立て終わった例の代物が鎮座している。黒光りする外装と、指をかけろと誘うトリガー。

組み立て式とはいえ、紛れもない本物の、拳銃だ。

——状況を整理しよう。

俺の名前は富良野遼。大手コンサル会社で働く、三十五歳独身男性。仕事はうんざりすることばかりだが、今すぐ辞めたいというほどでもない。小綺麗な高層マンションの一室を買えるくらいには、収入もある。過不足のない生活。仮に不足が生じても、SendUセンジュが充足してくれる。SendUセンジュさえあれば、生活で困ることはない。

従来の通販サービスが頭打ちになってきた二十一世紀半ば。注文する前に商品が届く、というコンセプトで急成長を遂げたのがSendUセンジュだ。

SendUセンジュでは、ユーザーの購買履歴、検索履歴、ウェアラブルデバイスから得られる生体情報、音声記録等から、消費者の潜在需要を推測し、それに応える製品を発送する「先取り発送」というサービスを導入している。当然、受け取った消費者が不要だと感じれば返品は可能だ。しかし、サービス全体での返品率は1%以下だというのだから、そのアルゴリズムの精確さには驚かされる。

サービス開始当初は、自分が知らない欲求をサービスプロバイダに見透かされるのを、気味悪がる人もいた。しかし、そんな原理主義者は少数派で、始まってみればこれほど楽なサービスはない、と好評を博した。

俺自身、早々とプレミアム会員に登録してサービスを享受した消費者のひとりだ。商品は予告なく配送される。一ヶ月で上限の支払金を設定することもできるし、商品ジャンルを生活必需品などに限定することもできる。

俺は買い物のほとんどをSendUセンジュに任せている。自分が欲しいと気づいていなかったもの、欲しくなると予想できなかったものを、SendUセンジュは最適なタイミングで届けてくれる。サービスへの信頼度が上がると、商品を受け取ってすぐには必要性に気が付かなくても、例えば一週間後に「ああ、これに必要だったのか」と納得することも増えた。そういうときは特別大きな耳クソを掘り当てたときのような、爽快感すら覚える。

俺は一度も、SendUセンジュの商品を返品したことがない。だからこそ、今回の一連の出来事には戸惑っていた。

数日前から届き始めた届け物も、すべてSendUセンジュから送られてきたものだ。俺はそれらが、組み立て式の拳銃パーツだということにすぐに気づいた。

それぞれのピースは100円にも満たない安価な値段で出品されていた。出品者はそれぞれ異なり、配送が完了すると出品者情報ごと削除されていた。

SendUセンジュは気づいているのに、SendUセンジュを管理している人間は気づいていないのだ、と俺は思った。今からでも通報すべきだろうか?

しかし、引き返すにももう遅い。返品すれば、自分の家に凶器を作るための部品が集まっていたと明らかになってしまう。そして、SendUセンジュのサービス特性上、どうしても俺に対して疑いの目が向けられることだろう。

一方で、このまま事態を放置すれば状況は悪化する一方だ。許可のない銃砲の所持は当然、銃刀法違反に当たり、然るべき処罰の対象となる。

いったい、どうすればいい?

気づけば、俺はスマホを取り出していた。連絡先をスクロールする。もうしばらく見ることもなかったアイコン。ほとんど考える暇もなく、タップする。浮かび上がる受話器のマークを、ふたたびタップ。

今から俺は、悪魔の証明しなければいけない。

そのためには、信頼できる証人が必要だ。

 

「遼くん、久しぶり。こんないいお家に引っ越してたんだね。家賃いくら? けっこうするでしょ?」

 玄関に立つ関万里子は五年前とほとんど変わっていない。

久しぶりに会う元恋人に対して、もう少し感傷的なセリフがあってもいいようなものだが、そこはさすが万里子というべきか。矢継ぎ早に質問を繰り出す様子は、「マシンガン万里子」と呼ばれていた警察学校を思い出させる。

「まあまあかな。さすがに前よりは稼いでるよ」

「コンサルだっけ? 大手でしょ」

「一応な」

じろじろと見つめてくる万里子に、俺は居心地が悪くなる。

在宅勤務中心の働き方になってから、外見にはとんと気を使わなくなってしまった。休日にクローゼットから服を引っ張り出してくる気力も余裕もない。上下だぼだぼのスウェットに、穴の開いた靴下。対する万里子は、制服でこそないもの、ぱりっとしたシャツとスラックスに身を包んでいる。

俺は戸棚からスリッパを出し、さりげなく埃を払って差し出した。同時に自分の分も出して、穴あき靴下を隠すように滑り込ませる。

「まあ、あがって」

「お邪魔します」

警察を辞めて、新しい生活を始めるために越してきた家に、万里子を案内するのは奇妙な感じがした。リビングに入ると、南向きの大きな窓からは、陽光が大胆に切り落とされたバターのように差し込んでいる。万里子の真っ黒なショートヘアがきらきらと輝いた。

「これ、全部SendUセンジュ?」

 部屋中に積み上げられた段ボールの空き箱を示して、万里子が訊ねる。俺はうなずいた。

「そうだよ。一人暮らしだと、自分がなにが必要なのかも忘れるから、だいぶ助かってる」

「あなたに必要なのは、まずは掃除する気持ちだと思うけど。あとは、穴の空いてない靴下」

スリッパの甲斐なく、どうやらばれていたらしい。俺はこっそりとため息を吐いた。万里子は気にせず、テーブルの方へ目を向ける。

「それで、これが例のブツってわけだ」

「ああ、そうだ」

リビングのテーブルの上に、拳銃と銃弾が並べられている。改めて見ると、組み立て式とはいえ、本物にまったく遜色のない見た目をしている。

万里子はビニール手袋を装着すると、慎重に検分を始めた。さきほどまでのおちゃらけるような雰囲気はあっという間に霧散する。

「M360-X SAKURA、最新型……のコピー品。でも、完成度は高い」検分をしながら、万里子はぶつぶつと呟いている。「口径9mm、装弾数5発、有効射程距離100m。日本の警察機構で汎用的に使用されているものと同モデル。さすがというか、本物と遜色ない仕上がりね」

「やめてくれよ……この一週間、細々とパーツが送られてきたんだ。そして今日、仕上げに弾丸が届いた。出品規約をすり抜けるために、すべて偽のラベリングがされている」

「それで、これが送られてきたことについて、心当たりはないわけ?」

向けられた鋭い視線に、俺は思わずたじろいだ。

「万里子が言いたいことはわかるよ。SendUセンジュは、たしかに潜在需要を先取りして商品配送を行う。つまり、将来の俺が拳銃を使いたいと欲する場面がある——そうSendUセンジュのアルゴリズムが判断した、ということもできる。そういうことだろ?」

「そう。そうだね。でも、それだけじゃない」

 万里子はしばらく無言で俺を見ていた。その哀れむような、言うか言うまいか逡巡するような表情が、いっそう俺を不安にした。

「なんだよ?」

「——出品された拳銃は、この一丁だけじゃないの。警察が確認できている範囲で、SendUセンジュには合計、三丁分の拳銃部品が出品されてる。そのうちのひとつは今朝、既に使用された。世田谷区に住む四十代の男が、同居する両親に向かって発砲。ふたりとも死亡した。介護のストレスが動機だったと考えられている。まあ、それがきっかけで出品の実態が明らかになったんだけど」

 俺は口を半開きにしたまま、万里子を見つめた。拳銃がこれだけじゃない? もうすでに、死人が出ている?

「つまり、警察があなたを疑う十分な下地ができてしまってる、ということ。じきに捜査に来るでしょうね」

そのとき、まるでタイミングを計ったかのように、インターホンが鳴った。

 

「コーヒーはブラックが好きだったよね」

「うん。なにそれ、いまさら良い元カレぶらないでよ。私、いま彼氏いるから」

「げ」

万里子と軽口を叩きながら、俺はコーヒーを淹れる。万里子はリビングの椅子に座って、俺はそれを見守るようにL字型のキッチンから顔を出している。こうしていると、まるで付き合っていた頃に戻ったかのようだ。

インターホンを鳴らしたのは、またしてもSendUセンジュの配達員だった。受け取った小包にはコーヒーフィルターが入っていた。今朝フィルターを切らしていたことを、SendUセンジュはきちんと推測していた。

ありがたいのは、SendUセンジュのおかげで「万里子にコーヒーを淹れようと思っていた」ことに気づけたことだ。飲み物を出そうと頭の片隅で思いながらも、忘れていた。

SendUセンジュの詳しいアルゴリズムは公表されていないが、例えば今回であれば、万里子への電話と、前回届いたコーヒーフィルターの数量から割り出されたのであろう。SendUセンジュの配送拠点はいまや全国に6万か所以上存在し、一時間以内で配送が完了する。

「こういうのがあるからやめられないな」

 そうつぶやくと、万里子はダイニングテーブルから鋭い視線を投げてよこした。

SendUセンジュにだいぶ依存してるのね」

「現代人なんて、多かれ少なかれそうだろ」俺は反論する。「自分のことを理解できてるなんていうのは幻想だ。システム側の方がよっぽど俺たちのことを理解してる」

「システム、だって。嫌ねえ」

万里子がわざとらしくため息を吐くが、俺は聞いていない。自ずと視線は再びテーブルの上の拳銃に吸い寄せられる。

コーヒーペーパーから最後の一滴が落ちた。その音がやけに大きく響いた気がして、俺はびくりとした。夢から覚めたように頭を振ると、マグカップを持って万里子の前に置いた。彼女は礼を言ってひとくち飲み、「おいしい」と呟くと、なにかを決意したかのように俺の方に向き直った。

「さっきの話だけど。警察としては、SendUセンジュのアルゴリズムを鑑みて、他の二丁の拳銃が届いた先に、潜在的な殺意を有した者がいると想定せざるをえない」

「俺が潜在的殺人者……ってことか」

当然、予想はしていた。だから警察に通報しなかったのだ。最初にパーツが届き始めた頃。自分は、これが凶器になりうるパーツだとわかっていた。それがSendUセンジュで届くということが、なにを意味するのかも。

例えば、司法で証拠として挙げるには弱すぎるが、警察が予防的措置として捜査をするくらいには、十分根拠足りうるということだ。

「あなたが疑いを晴らす唯一の方法は、後にも先にも殺意がないことを証明すること」

万里子の黒い瞳はまっすぐ俺を見据えていた。いつもこうだった。自信のない俺と、どこまでも意志の強い彼女。まるで敵わない。

彼女は制服のポケットからボイスレコーダーを取り出すと、録音ボタンを押した。

「これから、私は遼くんに質問をする。正直に答えてほしい——少なくとも、私の知ってる遼くんはだれかを殺すような人じゃないから。この五年間であなたになにがあったかはしらないけど、そこは変わらないと思ってる。だから、話してほしい。正直に」

俺はキッチンから自分の分のコーヒーを持ってくると、すこしだけミルクを足して、再びリビングに戻った。万里子の向かい側に座る。俺の席からは、リビングの大きな窓がよく見える。向かい側のマンションでは、男がベランダで優雅にワインを飲んでいた。鮮やかなルージュが午後の陽光を反射する。能天気でいいな、と俺は思う。

再び拳銃に目を落とす——そいつは目配せするように、ぎらりと光る。これさえあれば、マンションの向かい側の住人だって楽々と撃てるだろう。俺の腕があれば、針の穴を通すように正確に。

そんな考えがよぎって、俺は慌てて頭を振った。自分が誰かを撃つ? 馬鹿な。なんでそんなことを考えているんだ。

群雲のように疑念が立ちこめる——本当にこれは間違いなのか? もしかして、万里子は間違っているんじゃないか。俺の中には俺の知らない殺意が巣食っていて、今か今かと飛び出すタイミングを伺っているんじゃないだろうか。

俺は拳銃から無理やり、視線を引き剥がす。

「もちろん、話すよ」万里子の目をまっすぐ見る。「警察を辞めてからのことも、なにもかも、ぜんぶ」

 

リビングに差し込む光は、徐々に角度を水平へと近づけていき、透明度を失っていく。向かいのマンションでは、中年の男が酒を飲みながらなにやら作業を始めていた。死角になっていて見えないが、なにやら道具を扱っていそうなので、プラモデルにでも興じているのかもしれない。

目の前の万里子に視線を戻すと、咎めるような目で彼女は俺を見ている。

「こんな状況でよく、ぼーっと外を眺めていられるね」

「違うよ、考えてたんだ」俺は弁明する。「土日はこうやってリビングに座って、ぼーっとただ外を眺める。なにも考えない。そんな自分が誰かを殺したいなんて思うのだろうか、って」

「他人事みたいに言わないで。よく考えて——遼くんの周りで、最近トラブルになった人とか、もめ事になりそうな人はほんとうにいない?」

これは万里子が到着するまでに、何度も自問してきた質問だった。だが、改めて問われるとため息しか出てこない。

「なあ万里子、俺も考えたんだけど、拳銃で撃ち殺したい人間なんて、生きててそうそう現れないよ」

「そうかな。意外と、ちょっとしたことでそれまで抱えていた憎しみや敵意が膨れ上がって、うっかり殺意が芽吹く、なんてことはあることだと思うけど。大事なのは、それを行動に移すか否かの違いでしょ」

「うーん……俺はいま恋人もいないし、田舎にいる親戚とも一年に一度会う程度だよ。継続的に合ってる友達ってのも、ごく限られている。唯一挙げるとするなら……そうだな、やっぱり仕事先の人間かな」

 万里子の目がきらりと光った。

「と、言うと?」

「さっきも言ったけど、俺は今コンサルで働いてるんだ。うちは特に官公庁向けのプロジェクトが多い会社で、俺自身も警察にいたときの知り合いが紹介してくれて、そのコネで入ったところなんだけど」

「官公庁向けのプロジェクトって、具体的にどういうの?」

「よくあるのが、補助金が出るタイプの事業。企業が申請する際の企画書作りから、申請後のフォローアップまで、まるっと伴走しますよっていうやつ。ほら、警察に導入された、顔識別システムのプログラムあったでしょ? あれとかも、公募したなかからどの企業にお金を出すか、公共事業として委託してやってるんだ」

「なるほどね。それのお手伝いをするってわけだ。やりがいもあって、収入もいいなら、なにが不満なのかわからないけど」

「それが……」

 俺はそこで言い淀んだ。自分の中で、考えを整理する必要があった。他人に向かって考えを言語化するなんて、久々な気がする。

「警察のときは、現場にいたから、基本的には目の前の人を助けるために行動すればよかった。自分の行動と、それに伴う結果が明確だった。それが、このコンサルを始めると、すべてが他人の目的遂行を助けるための仕事になったんだ。しかも、クライアントたちも応援したい人たちってばかりじゃない。社内政治に利用するためだけにコンサルを雇ったり、本当は理念もクソもないのに、ただKPI達成のために公共事業に手を出しました、って人が少なくないんだ」

「ずいぶんナイーヴなことを言うようになったね」

 万里子の声は静かだった。すこし悲しそうにすら聞こえた。

「そんなの、警察にいてもいっしょだよ。組織に所属している以上、だれもが理想や理念で動くわけにはいかない。そういう仕事だって、人を助けてるという意味ではいっしょでしょう」

「人によっては、いっしょかもしれない。でも、俺にとっては違うんだ」

 気持ちを鎮めるために、コーヒーに手を伸ばす。すっかり冷めきっていて、苦みが口の中で尾を引く。

「——とにかく、最近取引しているクライアントはそれが特にひどくて。とある公共事業の応募のために俺が入ってるんだけど、事業内容なんて完全に俺任せ。社内の他部署に主導権を渡したくないから、大手コンサルを引き込めてよかった——なんて、平気で打ち合わせで言ってくる」

「それで、その人を殺したいと思うの?」

 坂道を転げ落ちる車輪の如くまくし立てていた俺は、そこで急ブレーキをかけた。

「……思わない。まったく」

「でしょうね」

「そんなことでクライアントを殺してたら、キリがない」

「ということは、問題はもうすこし根深いところにあるわけだ」

 窓から差し込む太陽の光は、ゆっくりと黄色から橙色に熟していく。マンションの向かい側では変わらず、男がワインを飲んでいる。俺はその様子を恨めしく見つめた。

「じゃあ次に——五年前、警察を辞めたときの話を聞こうか。もしかすると、殺意の対象は元同僚、っていう可能性もあるから」万里子の声は淡々としているが、心なしか緊張を帯びている気もした。「遼君、あなたは優秀な警察官だった。ノンキャリから現場で信頼を勝ち取って、将来を有望視されていた。特に拳銃の扱いに関しては抜きんでていた……」

「なんだか、それもマイナスに働きそうな気がするな」俺はふっと息を吐いた。「でもたしかに、警察官は俺の性に合っていた。小さい頃からの夢だったんだ」

おかげで万里子にも出会えた。彼女は恋人になる前から、頼れる同期であり、なんでも話せる親友のような存在だった。しかし、そこについては本人の前では触れない。

「あなたは無事、昇任試験に合格して出世も順調かに思われた。それなのに……」

そうだ、それなのに。俺自身が何度も思った言葉。

「それなのに、俺は不祥事を起こした」万里子の言葉を継いで、俺は話す。「そう、当時刑事部門に勤めていた俺は、巡回中に……拳銃を紛失した」

机の上の拳銃が、暮れかけた陽の光に揺れている。あの日、紛失に気付いたときに必死に探していた拳銃が、五年の月日を経て悪夢として蘇ったかのように。

「でも、あの拳銃はすぐに見つかった。巡回中に寄った公衆トイレに置き忘れてた」淡々と事実を語るような万里子の口調が俺を救ってくれる。「たしかにあなたの過失だったけど、警察を辞めるほどではなかった」

「おまえたちはそう言ってくれたけど、俺にはあの恥に耐えることができなかった」

俺は、変わらず拳銃をじっと見ている。まるで磁力があるかのように、視線を外すことができない。

「人を助けることが小さい頃からの夢だった。それなのにあの日、俺の不注意によって、だれかを殺してしまう可能性さえあったんだ。警察に武力が与えられているのは、公共の利益に資するためだ。過失でも誰かに危害を加えうる者に、拳銃は握らせちゃいけない」

「それで、あなたは警察を辞めた。で、私にもはっきり別れを告げないまま、フェードアウトしていったってことね」

「仕方なかったんだ」

万里子の指が銃弾に伸びていく。ビニール手袋を着けた指でそれらを摘まみ上げると、滑らかに一発ずつ、拳銃に弾を込めていく。俺はそれを夢を見るようにぼんやりと眺めた。

「どう仕方なかったの?」

ほとんど慈悲深い調子で、万里子が問う。俺はとろとろとした脳みそを必死に回転させる。

「あのときの俺は、どんどん出世していくおまえを見ていられなかった。馬鹿なプライドだってわかってる。でも、俺が成し遂げなかったことを、恋人のお前がやってのけるのを見て、それに嫉妬しているような人間になりたくなかったんだ……」

「私のことが嫉ましかった? 憎かった?」

五発の銃弾がするりするりと装填されていく。万里子は流れるように安全装置を外すと、ゆっくりと拳銃を持ち上げた。俺は相変わらず夢の中にいるように混乱している。全身の筋肉が、金縛りにあったように硬直している。

「嫉ましくない……憎くもなかった……でも微塵でもそう感じてしまう未来があるのが、嫌だったんだ」

「遼くんから電話がかかってきたとき、もしかしたらって思ったんだ。遼くんが潜在的に殺したいのは私なんじゃないか?、って。でも、だとしたら私、ひとつ決めてたことがあるの」

「なに?」

万里子は手に持っていた拳銃をくるりと回すと、俺に差し出した。

「撃ちたいなら撃っていいよ」

半ば夢の中にいるような心持ちで、俺はそれを受け取る。

「撃ってみなよ……ほら」

太陽を雲が隠したのか、部屋がすこし暗くなった。万里子の黒い瞳がらんらんと光っているのが見える。

俺は引き金に指をかけてから、ゆっくりと拳銃を下ろした。

「……少しでも、ありうると思ったのか?」

「さあ。元恋人の考えてることなんて、わかるわけないもん」

雲が通り過ぎて、陽が戻ってきた。部屋は再び午後の陽光で満たされる。しかし、先ほどまでの鮮やかさは失われたように思えた。

「正直、あなたから拳銃の話を聞いたときは、傲慢にも自分が殺意の対象かもって思った。警察を辞めてしばらくして、あなたは無言で離れていったから。もしかしたら、私に恨みを持ち続けていたのかもしれないって、心のどこかでずっと気になってた。それを清算できるならと思って、ここに来た」

俺は自分の失敗に気づく。他人を救いたいとのたまいながら、すぐ近くの大事な他人と向き合うことから逃げてきた自分の失敗に。その清算を、俺は今している。

深呼吸をすると、少しだけ世界に色が戻った気がした。丁俺は寧に言葉を選んできっぱりと話す。

「万里子は俺にとって、頼れる仲間だった。そんなおまえに危害を加えたいと思ったことは一度もないし、今後も絶対ない」

 しばらくの間、俺たちは見つめ合った。ふっ、と万里子が笑って視線を外す。

「まあ、撃つわけないとは思ってたけどね」軽く笑い飛ばすような口調は、いつもの万里子だった。「こういうシーン、ちょっとやってみたかったんだ」

「はた迷惑だな」

笑いながらも、俺は万里子の瞳が潤んでいることに気づき、そっと視線を外す。

代わりにベランダの外に目を向けると、いつの間にか向かいのマンションの男は屋内に消えていた。陽は西の地平線へと接近している。部屋の隅で影が増殖し、版図を広げ、SendUセンジュの空き箱を飲み込んでいく。

じきに、警察が来る。彼らに、今万里子に話して聞かせた内容を繰り返したところで、潜在的な殺意を否定できるだろうか。

自分が何者で、なにを欲しているのか——そんなことがわかっていればSendUセンジュのようなサービスは流行らない。みな、だれかに教えてほしいのだ。だから、個人情報を提供してまでシステムに判断させる。

自分で自分を定義するのは、とても怖いことだから。

部屋の影が伸びていく。万里子の顔がちょっとずつ、見えづらくなっていく。

「もしかしたら」俺はつぶやいてみる。「もしかしたら、俺が殺したいのは自分のことだったのかもしれない。警察も辞めて、なにをやりたいのかもわからず、クライアントの愚痴を頭の中で反芻してばかりで、自分自身は部屋から出ないでぬくぬくと過ごして、だぼだぼのスウェットに穴の空いた靴下でを履きまわしてる。そんな自分が嫌になってた。SendUセンジュのアルゴリズムはそれを見抜いたのかもしれない。潜在的な殺意じゃなくて、潜在的な希死念慮みたいなものを」

「あなたは自殺するような人じゃない」

 万里子の声は静かだが、きっぱりとしていた。

「誰かを救うために自分の命を差し出すことはあっても、意味もなく自分の命を捨てるような人ではない」

「それは、おまえが俺にそうあってほしいだけだろう?」

「人間がどうあるかなんて、だれかの『そうあってほしい』の集合体にすぎないよ。遼くん、大事なのはあなたがどう在りたいかじゃないの?」

 沈黙が引き延ばされる。影はいよいよ濃くなってきていた。

 自分は、自分にどうあってほしいのだろう? それはわかるようで、わからない。万里子にしてもらったように、他者に定義してもらった方がずっと楽だ。

 遠くで町のチャイムが鳴り始める。午後5時になりました。気を付けて、お家に帰りましょう……。何気なく視線を上げると、向かいのマンションのベランダに男が戻ってきていた。なみなみと注がれたワインは、夕陽の中で深紅に揺れていた。男は勢いよくグラスを傾けると、一気に中身を下した。

 ぱりん。

 窓越しでも、グラスが砕け散る音は聞こえた。俺は思わず腰を浮かす。男が手を滑らせたのかと思ったが、違う、今のは確実にグラスを投げ捨てる動きだった。

「遼くん……」

 俺の視線を追って、万里子も体をひねる。

 男はゆらりと立ち上がった。黒いTシャツを着ているせいで、揺らめく影法師のようだった。ワインボトルが置かれた机の上に手を伸ばす。死角になっていて、俺たちからは見えなかったものを手に取る。

 男は拳銃を自らのこめかみに当てた。

「応援、頼む」

 俺は万里子にそう言い残して、ベランダへと飛び出した。いつの間に掴んだのか、右手には拳銃の重みがぶら下がっている。その冷たさが心地よい。ベランダの壁に体重を預け、脇を固定し、銃口を数十メートル先の標的に向ける。

「やめろ!」

振り絞った声は、自分でも驚くほどマンションの壁に反響した。わずかに空気に残っていた、チャイムの残響がまじりあって、茜色の空に溶けていく。

男は驚いた様子でこちらを見た。迷うように、銃口がこめかみを離れ、体から離れていく。

——今だ。

俺は引き金を引いた。忘れていた衝撃が腕を伝い、骨を揺らす。パァン、と乾いた音が、句点を打つように響き渡る。

向かい側で、男の持っていた拳銃が吹き飛ぶのが見えた。男は手を抑え、その場にうずくまる。

「万里子」

部屋の中を振り向かずに俺は言う。背中に、返事が返ってくる。

「わかってる。もう向かってる」

俺は荒く息を吐きながら、その場で立って男を見守った。発砲音を聞いた住人たちが、次々とベランダから顔を出し始めるが、気にしない。

十分後、男は無事、警察に取り押さえられた。それを見届けると、俺はようやく家の中へと戻っていった。

部屋には、万里子以外に十人以上の警察官がいた。俺は黙って拳銃を机の上に置くと、両手を上げて見せた。そのあと自分がどのような目に遭おうが、いっこうに気にならないと思った。

ようやく、自分の中の欲求が見つかった。俺は、人を助けたかったのだ。

これ以上ない晴れやかな気持ちで、俺は玄関を出ていった。

 

一週間後、俺は自宅のリビングでコーヒーを飲んでいた。

 あの後、取り調べを受けたものの、早い段階で俺は釈放された。パーツが届き始めた時点で通報しなかったこと、そして発砲したことについては厳重に注意された。

「元警察官とはいえ、少しでも外していたら、人を殺すことになったんだから」

年上の警察官は俺にそう言った。その言葉が俺の中で、妙に残った。

あのときの俺は誰よりもあの場で発砲することの意味を把握していたつもりだし、その上で引き金を引いた。それが間違っていたとは思わない。

SendUはあの男の自殺願望を正確に読み取って、拳銃のパーツを届けた。とすると、向かい側のマンションに住む俺が、あの時間よくぼーっと窓の外を眺めている俺が、気づいて止めることも予測していたのだろうか。

「まだ腕鈍ってないなら、ウチ戻ってくればいいんじゃない?」

取り調べの最後に、警察官はぽつりと言って、中途採用のチラシを渡してきた。

そのチラシは今、リビングの机の上に置いてある。

俺はスマホを取り出すと、電話をかけた。

「なに?」間髪入れずに、万里子が電話に出る。「これから、買い物行くところなんだけど」

「すまん、時間は取らない」

俺はコーヒーカップを机に置いて、窓の外を見る。今日はだれもベランダにはいない。平和な一日だ。

机の上のチラシに、視線を落とす。

「あれから考えてたんだ。警察に——」

「警察に戻ろうか、って?」

俺は思わずスマホの通話口を確認した。まるで、そこから万里子の鋭い視線が見えるかのようだ。

「どうしてわかったの」

「あのねえ、それくらいはSendUセンジュじゃなくてもわかるよ」

万里子の声は呆れているようで、楽しそうだ。

「まあ、そうね。私からアドバイスするとすれば——答えはもう出てるんじゃない、ってことくらいかな」

「なんだそれ」

ピンポーン、とインターホンが鳴る。

「あ、ごめん、タイミング悪いな」

「ぜんぜーん。じゃ、またね」

「ありがとう、万里子」

電話を切ると、俺はインターホンに向かう。

SendUセンジュでーす。お届け物がありまーす!」

俺はいつものように、上下スウェットのまま小箱を受け取る。その軽さにまずはほっとする。しばらく、重みのある荷物はごめんだ。

玄関には山のようにSendUセンジュの空き箱が積んである。今度のゴミ出しの日に、まとめて捨てる予定だ。

俺はリビングに戻ると、コーヒーを飲み干してから、小箱を開封した。それは自分の知らない殺意か、忘れた過去か、それとも——。

しばし開封した中身を見てから、俺は笑った。

 

中には、新品の靴下が入っていた。

 

 

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