梗 概
Echoes in the Distance
「老師」が死んだらしい。
10年もののVRオンラインゲーム「テイラー&ザ・スパイ」のギルドルームで、誰かがぽつりとそう言った。
剣崎春花はオフィスビルに入った中華料理屋で働く28歳。大した目標のない生活の中で、ゲームの中で知り合った友人とのおしゃべりだけが日々の楽しみだった。春花が所属しているのは、ローンチ当初に結成された古参ギルドだ。
確かにある日ぱったりと「老師」はログインしなくなった。「老師」はギルドの中心的な人物で、メンバーはその噂の真偽を知りたがったが、実際のところ老師がどんな人物だったのかは誰ひとり知らない。そんな折、ゲームの新シーズン開始と同時に、メンバーにあるメッセージが届く。
それは「老師」から送られたもので、自らの死の予告と、遺産の「相続」を求めるものだった。情報をつなぎ合わせると「老師」には結構な資産があり、その所有権を移すためのコードをゲーム内と現実に残しておいたという。誰もがその内容を疑う中、時間が充分にある春花はその話に乗ることにした。
「老師」の提示したヒントを春花は一つずつ追っていく。ヒントはどれも「老師」と一緒にすごした過去の記憶がないと解けないもので、それを追ううちに「老師」がどんな人間だったのかが見えてくる。同時に、春花も「老師」と交わした会話を思い出していく。見知らぬ者同士ではあったが、春花はずっとそれに支えられて生きていたのだとようやく気がつく。できれば一度、「老師」に直接会いたいと願う。
「老師」は春花よりも年上、そして意外にも女性のようだった。離婚歴があり、子どもを亡くしている。辿っていくうちに「老師」の傷跡が見えてくる。ゲーム内のヒントを解ききる頃には現実の「老師」の足跡を追える程度には情報が集まっていた。「老師」は小さな街でソフトウェアエンジニアをしていたようだ。春花は彼女の故郷を旅してかつて家族だった人を訪ね、思い出の風景を見る。「老師」の最期は病死だったことも分かり、看取られた病院を訪ねると1台のPCを譲り渡される。パスワードが必要だったが、今の春花にはすぐに分かった。中には「テイラー&ザ・スパイ」の開発コードの断片と、春花に向けられたであろう「老師」のメッセージが入っていた。
ここまで来てくれたのはあなたに違いない。ずっとあなたに恋をしていた。性別も年齢も関係のない世界で知り合えたからできたことだった。私が残すものを受け取り、あなたも生きて、そしてまた別の誰かに何かを残してほしい。それを想像することで、私の人生に意味があったと思えるから。私を見つけてくれてありがとう。
メッセージの最後に、資産の譲渡キーも記されていた。春花は「テイラー&ザ・スパイ」にログインすると、「老師」宛てに長い長い手紙を書いて送る。読まれることがないと知ってはいても、他に彼女に愛を伝える手段は他に、残されていなかったから。
文字数:1188
内容に関するアピール
「文芸」って何だろう。そんな問いを巡る言説をゼロ年代の初めくらいから特によく目にしてきたような気がします。かつてエンタメと文学の間に身を置いていた(とされる)「文芸」が、今はまさに「何でもあり」で、新しいものを取り込もうとしている気風を感じています。
そんな中で、私が書きたいと思ったのは性別も年齢も容姿も何も二人を分け隔てることがない二者の関係性でした。現実にはまだ難しい二人の関わり方を、ほんの少し未来の社会を舞台にするという形でSFの力を借りて描き出したい。そんな思いで梗概を書きました。
稲松さん、ご査収のほどよろしくお願いいたします。
文字数:270