宇宙の果てからこんにちは

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梗 概

宇宙の果てからこんにちは

ふとした不注意な発言で、マタニティーブルーぎみの妊娠5ヶ月の妻を怒らせてしまった。一言も発しなくなった妻との関係を修復するため、かつて妻が発した「なぜ生命は生まれたのだろう」という言葉を思い出した私は、妻と『宇宙の果て』へ向かうことを決意する。

『宇宙の果て』と言っても470億光年の彼方ではない。それは子供の頃、同級生の『彼』(その頃習い始めたばかりの英語の影響で彼と呼ばれていた)と行った山の中にある巨大な庭園のような場所のことだ。その場所に向かいながら、私は妻に『彼』とその庭のようなものについての想い出を語る。

その巨大な庭のようなものは実業家であった『彼』の祖父が造ったもので、宇宙の中心であると同時に最果ての塵芥である人間に、そのことを意識させるための場所であった。クォーターでいろんな意味で回りと違っていた『彼』はこの場所が好きだった。「これは祖父のマンダラでありゼンであるんだ」と『彼』は語り、遠い目をする。今振り返れば『彼』は自分が何者であるかについて悩んでいたのかもしれない。そんな想い出を語るうちに妻の様子にも何か改善が見られる気がする。私は想い出話しを続ける。

『世界の果て』に夕暮れが訪れ、星々が見え始めると、『彼』はぽつりぽつりと昔の人々が星々の世界をどう考えていたかについて語ってくれた。夏休みになったら、ここでキャンプをし一緒に銀河を眺めよう、と約束してその日は帰路についた。しかしその後間もなく『彼』は両親の都合で海外へ行ってしまい、その後二度と帰らなかった。以上が『彼』と『世界の果て』についての想い出である。妻はじっと聞いていた。

そんな妻の様子を見て調子に乗った私は、途中妻に「帰る」と言われ窮地に陥ったりするが、なんとか『宇宙の果て』に辿り着く。しかしそこは一面の荒れ地であった。妻は呆れ顔、私は絶望に沈む。だかそこへ初老の男が現れる。男は『宇宙の果て』の管理人で、主人公のことを覚えていた。

「ちょうど今いらしています」と男は語り、わずかに整備された場所へ案内してくれる。そこにはインターネット用のカメラとスピーカーが置いてあった。男が英語ではない何か外国語でカメラに話しかけると、スピーカーからたどたどしい、どこか懐かしい言葉が響いた。「ああ、ああ、わかります、わかります、こんにちは、こんにちは!」

こうして私は『宇宙の果て』で『彼』と再会した。妻と和解できたどうかは分からなかったが、良い方へ向かえている気はした。産まれてくるであろう子供と、いつか再び対面するであろうかつての友のことを思う。子供が生まれたら『彼』に手紙を出そう。宇宙の中心であり、最果てである場所で、ともに生きるともがらとして。

文字数:1117

内容に関するアピール

照英社の稲松なる面識のない人物から突然送られてきたメールを流し目で読み終えた私は、ふぅとため息をついた。
その文面からは、送り主の私に対する低い評価が手に取るように分かる。この作家は今までもそしてこれからも未来永劫取るに足らない書き手であり続けると、それが既に定まり終わった当然の事実であるかのようにそのメールは語っていた。枯れ木も山の賑わい、外れクジもクジ、という訳だ。いっそ無視してしまおうか。いや、どんなに細い道でも道は道だ……私は気を取り直し、返事を書き始めた。

 

稲松さま

今回はご依頼下さりまして、大変ありがとうございます。
学生の頃から拝読させていただいていた小説つばる様からこのような申し出をいただき、
たいへん感激いたしました。とても光栄に存じます。

早速ですが梗概の方をお送りさせていただきます。
デビュー作で誤解されがちなのですが、私が書きたいのは笑いあり涙ありの、
どなたにでも分かりやすいハートウォーミングなエンタメ小説であることが、
この梗概で理解していただけるものと思っております。

もし何か問題がありましたら付け足し削除修正等何でもおっしゃってください。
どうか是非何卒ご検討の方よろしくお願い申し上げます。

西岡京拝

文字数:512

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宇宙の果ての物語

かつてアリストレテスは、月を境に世界を上下二つに分けて捉えた。月より下は万物が流転する地上世界であり、月より上は永久不変の法則に従い運動し続ける星々の世界である。それは長い思索と綿密な観察に基づいていたがゆえに強い説得力を持ち、長らくヨーロッパおよびイスラム文化圏において、その基盤となった宇宙観であった。

時代が下りさまざまな発明や発見がなされ、法則の内実や事象の分析は大きく変わった。だが、星々の世界が永久不変であることに変わりはなかった。宇宙はずっと真理とともに永遠にして無限の存在であった。ニュートンはもちろん、アインシュタインですら、宇宙は過去現在未来に亘って不変で定常的であると考えた。

だから宇宙に時間的な始まりがあるという理論が提唱されたとき、それが大きな抵抗にあったのは当然のことだった。有限の過去に、無限に循環を繰り返しているように見える宇宙が誕生した、という話は、理屈で無理矢理ねじ伏せても、感覚的には相反しているようにどうしても感じてしまう。

思うに少なくとも私たちにとって宇宙とは、その二つの組み合わせで出来ているのだろう。有限と無限の、因果と循環の、必然と偶然の、つまりは再現不可能なものと可能なものの。そのようにして、私はある時結婚し、もうなにも教わることはないと考えていた親というものから助言を仰いだり、頭のすみのすみに追いやっていた自分の子供時代の経験をあれこれ引っ張り出したりするようになった。かくして妻が妊娠し、相反する二つのものが組み合わさり、物語が生まれる。

かくして宇宙の果ては無いにもかかわらず有るのである。

 

1.
 ばらばらに散らばったガラスの破片がきらきらと光る。それらが属していた透明の板の、その裂け目の向こう、漆黒の闇から音も無く強い風が吹き付けてくる。真空のような静けさだ。吹いてくる風はさしずめ太陽風といったところか。目を落とし星々のように輝くガラスの破片を見つめながらそんなことを思う。そして、この崩壊の原因である妻に目を戻す。

ことのいきさつはこうだ。妻は妊娠5ヶ月、もともと口数は少ないのだが、マタニティブルーというやつなのか、この一週間というもの全く口をきかなかった。そんなとき沈黙に耐えきれず私が発した、ああおなかが空いたなぁという一言を聞いた妻は、リビングの窓という窓を一枚のこらず破壊し尽くしたのだった。妻には食事を用意しろとかそういうふうに聞こえたのだろう。私は呆然と立ちすくむのみだった。

正直うかつだった。後悔先経たずである。きらめく星々の下、その光を写すかのように動かすたびにちかちかと輝くガラスたちをベランダの端へ端へと追いやりながら、あれこれ頭を回し善後策を練る。マタニティブルーはほうっておけばそのうち治るというネットの解説をなかば真に受けて具体的な対応を怠ったのがまずかった。それを妻に見透かされていたのかもしれない。妻はそういうところは勘がいいのだ。ともかく、これからどうするかである。このまま何事もなかったかのように時の流れに身を任す、という案が頭をかすめる。飛びつきたくなるが、後々のことを考えると明らかに悪手に思える。どうしたものか。天を仰ぎ天文を読む。私が見上げる星々と、遙か昔の占星術師が見た星々は、ほぼ同じだ。

「それはあんたが悪いよ。」

大まかな事情を相談すると、当然の真理を告げるかのごとく母は言った。結婚してからというもの、母の言葉はどんどんその重みを増している。ずっと聞いているとその重力に心が押しつぶされそうになる。長らく忘れていたはるか昔の子供時代を思い出す。あの頃、母は太陽のような存在だった。私が十代の頃は、息子とどう接してよいか分からずぐるぐる回る月のようだったのに。あれはなんだったのだろう。そんなことをぼんやりと頭の片隅で思いながら、私は重力がもたらす遠心力で回転運動をする。今や私のほうが衛星だ。

「まぁあんたも親になるんだし、覚悟を決めるしかないね。」

いろいろとお伺いを立てたが、けんもほろろ、検討の余地のない判決を下すかのごとく母は言った。いやそれは判決そのものだったかもしれない。執行猶予付きではあるが。リビング修繕の手配をしながらあっちへこっちへと頭を悩ます。何をすべきか、何ができるか。過去をどう捉え、いかにして未来へと進むべきか。

いずれにせよ、こうしてこの物語は始まる。それは私が妻と共に遙かなる過去へと遡る道程であり、同時に永く遠い果てへの旅立ちでもあった。私は自分の体温を確かめた。私の熱はまだ熱い。熱がある限り、物質は動き続ける。

 

宇宙の始まりの前は考えることができない。なぜなら、それを考えた瞬間、それも時間の一部、
つまり宇宙の一部になってしまうからだ。我々は宇宙の始まりを対数的に捉えることしか出来ない。
すなわち限りなく0に近いところに遡ること。その限界は10の-44乗秒である。
その時、最初の相転移が起こり、重力が生まれた。その時の宇宙の温度は10の32乗度だった。

 

 

2.
 オレンジ色につつまれた光のチューブの中を加速してゆく。もしチューブの中で重なり合って反響する音がなければ加速装置の中で増速してゆく宇宙船のように感じるかもしれない。なぜなら今私は妻とともに『宇宙の果て』へ向かっているからだ。内燃機関で進む4つのタイヤがついた宇宙船の隣には妻が座っている。私はその様子をときおり横目でちらちら見ながら、光速の10の-44乗秒分の増速を終えた。

崩壊の日の翌日、私は妻を連れ出した。まずはイタリアンのランチ。郊外の雰囲気のよい店で値段もそこそこ。味は☆4.2。申し分なし。ご機嫌取りやゴマすりも多少は必要。そして謝る。丁寧に。粘り強く。心を込めて。悪かった。何も他意はなかったんだ。許して欲しい。ぐるぐるぐるぐるあれこれ表情を変えながら衛星は回る。主星は表情を変えない。衛星は回り続ける。潮汐力の影響を期待して。そういえば地球はもう太陽の周りを45億周もしてるんだなぁ。月となるとその12倍以上だ。そんなことを思う。まだまだ先は長い。

食事を済ませ、また内燃機関を起動して4つのタイヤを回し、走り出す。やがてまたコンクリートで造られたオレンジのチューブに吸い込まれてゆく。ごうごうと音が反響する。本命は次だ。すうと息を吸い、私は言った。

「これから宇宙の果てへ行くんだ。」

妻は黙っていた。前方から次々と通過していくオレンジの光の塊を浴びながら、私は『宇宙の果て』と『彼』について話し始めた。

『彼』は中学一年のときの同級生で、なんというか、どこか変わっていた。父親がハーフのいわゆるクォーターでやや中性的に見え、そのせいというのもあったのだろうが、あえて言うなら異質な何かをどうしようもなく伴っていた。多感な年頃の同級生たちはそれに敏感に反応した。いじめというほどのものがあったわけではなかったが、やがて習い始めたばかりの英語の影響もあって『彼』と呼ばれるようになった。『彼』はそれを嫌がらなかった。自らの存在がそのように受け止められたことを、自分なりに肯定的に捉えようとしていたのだろうと思う。

そんな『彼』と私は結構仲が良かった。なぜそうなったのかは今から考えてもよく分からない。ただ初対面のとき、お互いになんとなく好感をもったように思ったことは覚えている。案外それだけなのかもしれない。ともかく、私と『彼』は微妙に人目を避けつつ、ときどき話すようになった。

私たちはすぐにある共通点に気づいた。お互い星々の世界、宇宙に強く惹かれていたのだ。我々はよくその話をするようになった。そしてまた違いにもやがて気づいた。私は『今』の話しか知らなかったが、『彼』は遠い過去から現代に至るまでの人々が、星々の世界をどう捉え考えていたか、つまりは歴史の話もよく知っていたのだ。

そのことが判明してから、時折歴史の講義が行われるようになった。まずは惑星と恒星の名の由来から。惑星はあちこち動き回っているように見えるから惑う星、恒星は季節と季節によって来る位置が決まっているように見えるから恒久なる星なんだ、といった風に。私はそれを聞くのが楽しみだった。私にそれを語るときは、いつもは何か超然とした感のある『彼』が、年相応に嬉しそうにはしゃいだり、得意満面な表情をしたりするのを見るのが好きだった。どこか嬉しかった。

こうして私は熱心な生徒になった。古代ギリシャの哲学者たちが宇宙をどう捉えたか、それがその完成度の高さゆえに長らく世界を支配していたこと、望遠鏡の発明がどれほど重要で決定的だったか、ニュートンはもちろんアインシュタインですら偏見にとらわれていた事実、繰り返されてきた長く熱い論争の数々、みな『彼』がはじめて教えてくれたことだった。そのときの私にはまだ難しくて理解できなかった宇宙の始まりと終わり、つまりは果ての話も。

そしてあるとき私は不思議な申し出を受けたのだった。

「一緒に宇宙の果てへ行かないか?」

そのとき『彼』はそう言ったんだ。

 

宇宙の果てを考えることはできるだろうか。宇宙の始まりの前と同じく、
それは考えられた瞬間、我々の宇宙の一部、時間の一部となってしまう。
高次元を認識できるようにならない限り、それを問うことに意味はない。
だが、宇宙の始まりは確かにあったし、宇宙の果て、つまり終わりもいつかは来るのだ。
おそらくそれも対数的であろう。限りなく無限に近い伸びの先に、それは訪れる。

 

 

3.
 「宇宙の果てといっても138億光年の彼方じゃないんだ。」

時が縮まり合い、重なり合う。

「それは山の中にある巨大な庭のような場所で、」

私も彼も、

「その真ん中には人類にとって最も古い天文器具であるグノーモンが立っている。」

そのように話した。

「グノーモンは影の長さを測るための装置で、日時計の針にあたる部分なのだけど、」

そのように聞いた。

「それは時間を計る仕掛けというよりは、もともと農業のためのもので、季節、特に夏至と冬至を知るためのものなんだ。」

それは再現であり、遡及であった。

「それを中心に、そこには世界中のさまざまな植物が図形的に植えられているんだ。」

限りなくそこに近づくための。

 

『宇宙の果て』は『彼』の父方の祖父にあたる人物が造ったものだった。大きさは1キロ四方程度。ほぼ草地で、敷地を横断するように円盤状の池があり、ところどころに変わった植物がまとめて植えてあった。外国のものらしく、土が合わなかったのかいくつかは既に枯れていた。真ん中に5メートルほどの尖塔型の石柱が建っていて、その基部には影で季節と大まかな時間を知ることのできる図形が描かれていた。全体として、一つの恒星系にも銀河にも宇宙にも見えるように工夫されていることはなんとはなしに理解できた。

それを見たときの率直な感想は、実のところ、すごいとかおどろいたとか美しいとか壮大とかではなく、何かヘンだね、とかそういう感じだった。中学生の目から見ても、お世辞にも完成度が高いとは言えず、なにかちぐはぐだった。そしてこんなところにこんなものがあるということが、いかにも場違いで奇妙なことのように思えた。そんなわけで、感想を求められたとき、私はどう答えていいものか分からずとても困った。少し考えてから、とても変わったところだね、というと、『彼』は嬉しそうに笑った。私はなんだか恥ずかしかった。

一通り見終わると、私たちは植物の塊やグノーモンから離れた草地に移動してそこに寝転んだ。初夏の日はもう傾きかけていたが、地面はまだ暖かかく。草を揺らす風が心地よかった。草の向こうにグノーモンが見える。今何時だろうと思った。日時計はその根元に行かないと時間が分からないまったく不便なものだ。一分一秒を正確に刻む電子時計が溢れる世界ではただのオブジェに過ぎない。オベリスクがそうであるように。

「祖父がこれを造ったのは最晩年で、ここに来た回数もそう多くないらしいんだ。」

草の向こうで『彼』が言った。

「それじゃあ、これはまだ未完成なのかな?」

それなら合点がいく。

「いや、完成はしているらしい。」

それから暫く沈黙が訪れた。空がだんだんと暗くなってゆき、西の空が茜色に染まる。私は彼が何を言おうとしたのだろうとぼんやり思った。わかるはずもないのだけれど。

 

少し肌寒くなってきたころ、『彼』は上半身を起き上がらせた。彼の暗い影が、見え始めた明るい星々を覆った。

「コペルニクスが地動説を発表したのは」

黒い影が言った。

「死の間際だったんだ。」

その向こうに見える星はなんだったろう。

「最初それを知ったとき、コペルニクスはきっと後悔したと思ったんだ。もっと早く発表すべきだったと考えたに違いないってね。自分のためらいや臆病を恥じて悔やんだだろうって。」

惑星だったか。恒星だったか。いずれにせよ、

「でもここにきて考えが変わったんだ。」

そのとき『彼』も見え始めた星空の一部であるかのように私には感じられたのだった。

「コペルニクスはきっと最後に自分が内に秘めていたことを形にできて満足したんじゃないかって。そして自分の人生がついに完成したと思ったに違いないって。」

 

 おそらく時間というのはそもそも対数的なのだ。『今』にいるとそれが見えないだけで。
過去は遠くなればなるほど縮まり、未来は伸びてゆく。宇宙にとっても、私たちにとっても。
そして果てに近づいたとき、それはついに認識される。

 

 

0.
 「惑星はずっと長い間、何千年も土星までだった。」

それを聞いたのはいつだったろう。どこだったろう。

「18世紀末にその向こうの天王星を発見したのが、ウィリアム・ハーシェル。赤外線を発見したのもハーシェルだ。天の川銀河の構造を最初に図解しようともした。」

学校だったか。図書館だったか。どこかの公園だったか。

「でもそんなハーシェルは、太陽の表面は熱くても内部は涼しくて住人がいるはずだと考えたんだ。」

それとも『宇宙の果て』だったか。

「太陽の表面は熱くてもその下は冷えていて、そこに生物と文明が存在すると考えたんだ。」

私は、隣にいる人は、なんだ。

「別にハーシェルは頭が悪かったわけじゃない。むしろ私なんかよりずっと賢かったはずだ。ただ彼は太陽について決定的な、核融合というものを知らなかっただけなんだ。」

私は、私たちは、常に決定的な何かを知らない。アリストテレスも、コペルニクスも、ハーシェルも、ニュートンも、アインシュタインも、みな決定的な何かを知らなかった。だから間違える。それは仕方のないことだ。どうしようもないことだ。ただ私は、おぉーい、おぉーいと声を掛けたい。アリストテレスに、コペルニクスに、ハーシェルに、ニュートンに、アインシュタインに、そして、あのころの私と、『彼』に。私は、私たちは、ここまできましたよぉーと。

おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!

 おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!

  ここまできましたよぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

そして、ブラックホールや、宇宙背景放射や、素粒子や、ヒッグス粒子について、宇宙の始まりと終わりについて語るのだ。

 

 

 生命がなぜ、どのように生じたのかは分かっていない。
正確には、それを必然的な事象として論理的に記述することができない。
それは決定的な何かをまだ知らないだけかもしれない。ある科学者たちは、その素は宇宙からきたと考える。
しかしおそらく、それは対数的に無限小のある瞬間に、なんの必然もなく生じたのだ。宇宙がそうであるように。

 

 

4.
 「私にとって、自分に始まりと終わりがあると知ったのと、宇宙に始まりと終わりがあると知ったのは、ほぼ同じだったんだ。」

青白く光っていた西側の山の稜線がいつの間にか暗闇に包まれ、遠く暗い星々、そして天の川が見え始める頃、『彼』はそんなことを言った。

「それを知るまでは、自分も宇宙も無限だった。」

私は黙って聞いていた。

「別に死が怖いとかそういう話じゃなくて、そのことをどう考えていいのか分からないんだ。」

私は何かを言わないといけないと思った。何かを。でも何を?何を言うことができる?

「でも、季節は毎年巡っているし、生き物は子供を産むじゃないか。」

口に出してすぐ恥ずかしくなった。何も言わなければよかったと思った。地動説が当たり前の世界で、でも太陽は地球の周りを回っているように見えるし、地面も平らっぽいじゃないですか、と言ったようなものだ。でも『彼』は私のほうへ顔を向け、じっと見つめてきた。ここまであからさまに彼に見られていると感じたことはなかった。

「すごいことを言うね。」

そ、そうかな。何か誤解しているんじゃないかな。私はそう思った。

「私は根っこの部分が」

「すごくずれてるというか、歪んでいるのだと思う。」

「最初はずっと、出自が特殊だからそうなんだと思っていた。」

「でも違った。それは一部に過ぎなくて、たぶん私はもとからそういう存在なんだ。」

「それが分かったとき、とても悔しかった。」

「悔しくて、悔しくて、涙が出たんだ。」

そう言って、『彼』は満天の星空を見上げた。私もそうした。人類誕生のときからそれはほぼ同じ姿のままのはずだ。

「地球には一系統の生命しかいないんだ。」

しばらくしてから、『彼』はまた話し出した。

「動物も植物も微生物もみな同じ仕組みの遺伝コードを持ち、無数にあるアミノ酸のうちからたった20種類の同じアミノ酸を使って細胞を作っている。」

そのとき私たちは同じものを見ていたのだろうか。

「だから人類は一系統の生命しか知らない。もし一つでも他の系統の生命を知ることができれば、いろんなことが分かるだろうし、想像できるようになるだろう。」

この言葉が、『彼』なりの告白に近しいことにそのときは気が付かなかった。後になってからそのことを理解したとき、私のそばに『彼』はもう居なかった。

 

 宇宙ができてから10の0乗秒後、宇宙の温度は10の10乗度にまで下がり、もはや粒子も反粒子も生み出せなくなる。
そのとき、対称性の破れによって、10億分の1の確立で残った粒子が結びつき、物質となった。

 

 

5.

 でもみな本当は本当のことを分かっていると思うんだ。たとえ決定的な何かを知らなくても。
だって私の存在も、『彼』との出会いも、『宇宙の果て』に行ったことにも、なんの必然もないのだから。
そしてみな、形は違えど、伸びの果てへと辿り着くのだから。

私たちは今、『宇宙の果て』にいる。十数年ぶりに。そこはすっかり荒れ果てていて、背丈の高い草やありふれた広葉樹に覆われている。あの奇妙な植物も、私たちが寝転んだ草地も、もう跡形もない。池は埋まってしまっている。ただグノーモンだけがその上半分を草むらの中から覗かせていた。でもその影が足下の目盛に差すことはもうないだろう。

ここを所有していた一族は、私が思っていたほど裕福ではなかったらしく、私が訪れてから幾分もしないうちに、その維持を放棄したのだった。もう長い間、ここを訪れるものは誰もいなかった。私たちもそれを頭のすみのすみに追いやっていた。妻がどう思っていたかは分からないが、私は、妻が昔のようになるのをどこかで恐れていたのだと思う。

あの時、告白を理解したとき、新任の英語教師が間違って彼と呼んだことで、彼と呼ばれるようになってしまったある一人のクォーターは、私の中で別の存在へと転移したのだった。私たちはいくぶん周りの目を気にして、中学の間は友人として付き合ったが、高校へ進学すると、やがて異性として接するようになった。素晴らしい時間を過ごした。このようなことが自分たちに起こるなんて信じられないというような再現性のない輝かしい時を。私たちはもう星々の話をしなくなり、やがて『宇宙の果て』のことも忘れてしまった。

大学を出ると、私たちは結婚した。友人たちは私たちの長い関係と、早い決断に驚きつつも、それを当然視した。まぁお前たちならそうだよね、という風に。だが私たちは、どこかで再現性のない時間が終わりつつあるのを感じていたのかもしれない。それに恐怖しつつも、それを考えないようにしていた。だから私たちはもう一度ここに来なければならなかったのだ。

二人であのときのように、天の川を、いくつもの星々を仰ぎ見た。それは人類誕生のときからほぼ同じ姿をしている。私たちは同じものを見た。

ここは宇宙の果てにして始まりの地。二人はついにそこに辿り着いた。新しい物語を始めるために。私は妻の手を握り、もう片方をそっと彼女のおなかに当てた。

 

 

 宇宙ができてから10の13乗秒後、10の3乗度のとき、陽子は電子に捉えられ、宇宙が晴れ上がる。
10の16乗秒後、最初の星が産まれる。そして10の17乗秒後が我々の宇宙である。
それはどこまでもどこまでも伸びてゆく。そして果てしない伸びの向こうに、果てはくる。
その時何が起きるのだろう。宇宙は循環するのだろうか。拡散するのだろうか。閉じるのだろうか。
別の宇宙と繋がるのだろうか。あるいは新しい宇宙が産まれ出る素となるのだろうか。

文字数:8647

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