友よ、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。

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梗 概

友よ、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。

計算が終わった。準備が整った。

これで、会いにに行ける。はるか数万年前、僕たちを捨てた友人に。

 

僕たち種族には「種族的記憶」がある。それぞれの文化グループごと、詳細は異なれど共通の神話があるのだ。はるか昔、僕たち先祖を置いて「友人」(主人と言い表す文化もある)が空へ旅立ったという内容だ。その神話はさまざまに解釈されてきたが、宇宙の謎、太陽系の謎、地球の過去の歴史が紐解かれるにつれ、だんだん真実がわかってきた。どうやら数万年前、僕たちとは別の種族がこの星で栄えていたが、地球に謎の地殻変動が起こった時に地球外へ移住したらしいのだ。僕たち種族を置いて。

数万年の時が流れてここ数十年、天文台は宇宙からある電波を受信するようになった。それはとぎれとぎれで暗号のようだったが、どうやら何かの座標を指示しているらしい。きっと、「友人」だ。地球に残した僕たちへ贈るメッセージだ。

 

西暦二千二十年の今、ついに計算が終わり正確な星を目指して旅立つ用意ができた。僕は若干二歳ながらその宇宙旅行のメンバーに指名された。

宇宙船のクルーはやはり年配者が多かったが、同じ二歳の考古学者の「彼女」もいた。彼女は、はるか昔の遺跡を調査するなかで「友人」に会ってみたくなったらしい。

宇宙船が目的の座標に近づくにつれ、僕は夢を見るようになった。

自分が四足歩行になって、野原を駆けている。何か平らなものをキャッチして、走って戻ると、何かに褒められて撫でられる。僕は感情のままに笑い続ける。他の夢では、泳いで何かを助ける。何かと走って競争することもある。

すべての夢で、はっきりとは見えないものの、奇妙なシルエットの細長い生き物が出てくる。僕はそれが大好きで愛着を覚えていることがはっきりとわかる。

それと同時に、彼女と何度も話すようになり、親しみを覚えるようになった。

彼女は発掘したいろいろな遺跡の話をしてくれる。僕たちと友人との関係を示す痕跡が世界各地に残っていることを教えてくれる。会話を重ねるうち、狭い宇宙船の中で彼女は少しずつ不安定になっていく。

ワープを繰り返しついに座標の星に近づいたとき、彼女が宇宙船をハイジャックする。

彼女と親しかったため交渉役についた僕は彼女から恐ろしい遺跡の話を聞かされる。

友人は僕たちと親しくしている一面もあったが、我々の体を使って実験したり、すし詰めに押し込めて虐待したりした証拠も残っていたのだ。彼女は友人とは会わないほうがよいと警告する。

しかし僕は、友人と会いたいという欲望に打ち勝つことができなかった。僕の脳に刻み込まれた種族的記憶が僕の体を動かし、彼女を撃ち抜かせる。

彼女は死に、宇宙船は友人の星へと舳先を向ける。僕は、僕たちを置いていった友人の星を見つめながら、どうかいじめないでほしい、と祈る。

文字数:1150

内容に関するアピール

実家でセキセイインコを飼っているのですがペットが死ぬ話はどうしても泣いてしまいます。自分で勝手にペットが死ぬ話を妄想して泣いてしまうほどです。犬や鳥などのペットは人間を恋人や友人だと思うくらい懐いてくれ、最後まで人との関係性をとても大事にしてくれます。

また、以前あるSF作品を読んだとき、「人には種族的記憶として悪魔の恐ろしさが染みついている」みたいな記述に引っ掛かりました。私は悪魔より山のお化けが怖いです。私には悪魔の恐怖という種族的記憶は染みついていません。

すばるを読んで、人間関係が心を打つドラマの話が多いと思いました。また、SF作家特集ということで、きっと読者はSFだと思って読み始めるでしょうから、いわゆるSFぽいキーワードを入れたいと思いました。というわけで、犬が進化して愛する人間を追いかけてくる話にしました。犬のかわいいところ、犬の特徴をとらえて知性のある犬をリアルに書きたいと思います。

文字数:403

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友よ、どうか忘れないでください。私があなたを愛していることを。

友よ。
はるか昔、僕たちを捨て、空の向こうに飛び去った友よ。
まだ僕たちのことを覚えていますか。
僕たちは、あなたのことを覚えています。
僕たちは、小さいころから何度も何度も、同じおとぎ話を聞かされてきました。
僕たちのご先祖様は、あなたたちと一緒に暮らしていました。請われてあなたたちの家を守ったり、病や傷を癒したり、共に戦争したりしましたね。僕たちは、うまくいっていたのではないのですか。
それがある日、あなたたちは集まって、空の向こうに飛び去っていったのです。
ロケットを作り、この穴ぼこだらけの『白い星』から、旅立っていったのです。
僕たちの種族を、この星に置き去りにして。

そして今、僕たちはあなたに会いにいきます。友よ。
うーん、正確にいえば、「あなたと思われるものがいる星」に行きます。
もしかしたら全くの見当はずれかもしれない。でも、よいのです。時間はたくさんあるのです。僕たちの長い歴史のなかで、ちょっとくらい無駄な時間があってもよいではありませんか。僕だけの命にかぎっていえばそんなに長くもないけれど、でも僕の時間もまだまだたくさんあるのです。なにしろ僕はまだ二歳。おとなになったばっかりで、まだまだとっても若いのですから。

僕が二歳であることは、恒星間を飛行する宇宙船の乗組員としてはかなり異例なことだと思う。ただ、今回のフライトでは僕と同い年の子がいると、上官に聞かされた。
「今回は純粋に才能と将来性でメンバーを選んだ。前歴や経験は考慮していない。なにしろ、まったく未知のものと出会う旅になるだろうから」
と、今回の僕の上官であるウラウ博士は言った。彼はベテランの宇宙船乗務員で、短い調査飛行も含めればもう二十回は宇宙船に搭乗している。僕は彼の優しそうなにおいと、口元からのぞく小ぶりな牙が気に入っている。彼は僕たちの種族の中でも小柄なほうで、僕の半分くらいしか身長がなく、あごも短い。全身をびっしりと覆う毛は焦げ茶色。左目は白みがかって、濁っている。高齢者にはありがちな特徴だ。
ウラウ博士は目を細め、
「君たちに期待しているよ。きっとすばらしい働きを見せてくれるだろう。なにしろ君たちがいなかったら、今回の宇宙旅行はそもそも計画されなかったかもしれないのだから」
と言った。
でも、それは本当だろうか? というのも、僕と彼女があの暗号を解くことができたのは全く偶然なのだ。

僕が所属する研究室に奇妙な数字の羅列が持ち込まれたのはつい半年前のことだ。それは天文台の電波受信器が遠い宇宙の向こうから受け取ったものだ。宇宙のある方角から受け取る微弱な電波に奇妙な法則性があることに、天文台の研究員の誰かがある日気づいた。天文台は、その電波が自然に発したものかどうかを調べるのと同時に、遠い宇宙の知的生命体が発したメッセージであることを考慮して、数学の研究室に持ち込んだ。
それを受け取ったのは僕だった。僕はちょうど教育プログラムを終え、数学を将来の仕事とするため、研究室に配属されたばかりだった。その最初の仕事が暗号の解読だった。
とりあえず僕は、指導教官からもらった電波の法則性のデータを端末に入力し、電子音声が数字を読み上げるのを聞きながら、それが何の意味をあらわすのか考えていた。端末の真っ黒い画面は、0と1という緑色の文字で埋め尽くされた。
もし何かのメッセージだとしたら。この数字の羅列は何かの言葉に置換できるのか、もしくはそれそのもので何かを示しているのかもしれないが、いったい何を伝えようとしているのか。1、0、1、1……。もしかしたら、何かのリズムか? 遠い宇宙の向こうの知的生命体は僕たちに理想の音楽を伝えようとしてきたのかも。
と思って、また音声の読み上げを聞こうと入力の指示を送ったとき、研究室に一人の女性が入ってきた。
彼女、エイタの優美な足音を聞くと、僕はいつも心そのものを優しく撫でさすられたような、奇妙な気持ちになる。僕と同期で考古学の研究室に配属されたエイタは、全体的に細長くて優雅な体の持ち主だ。彼女の頭の先から長い尾まで、全身を覆う長くて黒い毛すらも一本一本がつややかで美しい。僕は彼女が漂わせている植物的な香ばしい香りが好きだ。
彼女は僕の肩越しに端末の画面を覗き込んだ。彼女の冷たい手が僕の肩に軽く乗せられる。
「レンったら、また新しい数学をやっているのね」
と彼女は言った。
「数学というよりは、パズルみたいなものかも。解けるか試してみる? 遠い宇宙の知的生命体からの暗号かもしれないんだ」
エイタは椅子に座った。それは彼女の三分の一くらいしか背丈がない、僕の先生のための椅子だったのに、彼女は見事に器用に足を折りたたんで座り、すらっと長いあごにくっつけた。
黒々とした目をそっと細めて彼女は、
「今のところ、どこまでわかってるの?」
と聞いた。
「なんにも。ここからいろいろ試してみるところだから。今のところ確実なのは……ただ、0と1が並んでるってことだけ」
「0と1?」
「そう。ほら、こんな感じで……」
と僕は、エイタに数字の羅列を聞かせるため端末の画面を操作した。しかし彼女は耳を動かして聞き入ろうとはせず、
「待って。これ、どういうふうに届いたの?」
とたずねた。
「どういうふうって?」
「つまり、暗号はまったくこれと同じ画面で届いたの? この緑色の文字で?」
「まさか。ただ、0と1の羅列が送られてきただけだよ」
「そうなの。じゃあ、偶然かもしれないけれど。そこの端末を借りていい?」
と彼女は、先生の端末を勝手に操作しはじめる。「検索」と、宇宙から届いたみたいな暗号で指令を出して、すばやく検索する。そうしてまもなく出てきた画面を彼女は僕に見せようとするから、
「何が出てきたの? 音で聞かせてよ……」
「音じゃだめなの」
エイタはぼうっと緑色に光る端末を示した。そこには石でできた遺構の画像が映し出されている。彼女の専門分野だ。
「これと」
彼女はその石に刻まれた筋を黒く尖った爪でゆっくりとなぞった。
「このラインは」
そして彼女は、僕の端末に表示されている緑色の「1」だけを、同様にゆっくりとなぞる。
「似ている」

それは、「友」がはるか昔にこの星に遺していった、膨大な量の遺構のひとつだった。
彼女がなぞったラインは、「友」が自らの横顔に似せて、石に彫り付けたものだった。
友は、何万年もの時間を経て、同じラインを僕たちに送ってきたのだった。

その電波の発信地に『友』がいるかもしれない。
そのニュースに世界中が沸き立ち、『友』の星への恒星間飛行がすぐに決定された。
そして、僕たちは宇宙船に乗ることになった。

深い闇を、星が流れていく。
星ともいえない、隕石といったほうがよいかもしれない。
白じろと光る岩の屑が、僕たちの宇宙船のすぐそばを飛んでいく。そのたび、僕はひとつひとつの小さなかけらを、目で追ってしまう。真空なので空気すら間に入らないためか、岩の小さなへこみすら、克明に際立ってみえる。
遠い昔、広い大地で『友』とともに狩りをしていた時の野生の名残なのかもしれない。僕たち種族は動いているものを見るのが好きだ。僕も例外なく、何かが飛んでいるのを眺めるということには妙な魅力を感じる。
そしてその隕石と隕石の間に、僕たちの母星が浮かんでいる。
いわゆる『白い星』とも呼ばれる僕らの母星は、常に霞のような雲に取り巻かれており、白く煙って見える。雲に隠れて見えないが、大地は多数の隕石に傷つけられ、穴ぼこだらけになっている。僕たちの白い星。捨てられた星。
僕は艦橋の自分の椅子に座って、頭上を眺めていた。乗組員の気が滅入らないようにか、この船の艦橋は、頭上がすべて透明になっているため、星空がよく見える。果てがない宇宙空間と、直接相対しているような気分になれる。
いや、しかし、こんなことをしている時間は僕にはないのだった。
僕は、船を探検するために立ち上がった。
恒星間飛行はとにかく時間がかかる。もちろん超光速航法を使用するにしても、例の電波が発信されたと思われる星までは、六年五か月が必要だ。そのため、僕たちは何度かコールドスリープに入る計画だった。具体的に言うと数年単位の小規模なコールドスリープを三回経験し、覚醒している時期に母星とのやり取りや宇宙船の操縦などを行う。もちろん宇宙船は母星から遠隔操作されているから、複雑な操縦は必要ない。数日程度そうして過ごしたら、またコールドスリープだ。六年五か月の間宇宙船に乗っているはずなのに、僕たちが『乗っている』とはっきり自覚できるのは、合計するとたったの十五日程度に過ぎないのだ。
だからこそ、最初に宇宙船をしっかり楽しんでおく時間が必要だった! 僕は、無意識にはしゃいでいたのかもしれない。仕事で乗っているのだ、僕たち種族の悲願であった「友」との邂逅を果たすのだ……と自分に言い聞かせてはみても、宇宙船とか、精鋭が集められた搭乗メンバーとか、どうしてもワクワクして、興奮してしまう。
それは乗組員の皆にも伝わっていたのかも。
「レン君、興奮してるね」
と、打ち上げ直後にウラウ博士にも言われてしまった。
「例の知的生命体に会うというのは、我々種族の悲願だからな。歴史にも残る」
僕は舌を出してあいまいに笑い、ごまかす。
本当のところ、歴史に名を残したいわけでも、「友」に特に興味があるわけでもなかった。
僕はエイタとは違う。彼女は考古学研究室に所属して、「友」の残した遺跡を掘り返すのをライフワークにしているくらいだから。
それに比べて僕は……確かに、小さいころに母からおとぎ話を聞かされた覚えはある。でも、「昔、昔、私たちのそばにはたくさんの友達がいっしょに住んでいました」そんなおとぎ話を聞いただけで、友情を感じられるか? そんなことを考えているよりも、数学のパズルを解いたり、走ったり、良いにおいをかいだりすることのほうが僕には重要だった。
確かに、「友」の横顔が画面に浮かび上がったときは興奮したさ。それがきっかけで僕が暗号解読チームのリーダーに就任し、「友」の住む星の座標を解き明かした時も、これまでに味わったことのないワクワク感を感じることができた。でも、それと「友」に猛烈に会いたいということとは違う。僕はどちらかというと、違う星に行く、宇宙船に乗る、ということそのものに興味があった。
とにかく、宇宙船は最高に興奮する場所だった。
学者とエンジニアで構成された七人のメンバーを運ぶ船は、非常に長い恒星間飛行の間でも乗員が圧迫感を感じないように設計されている。
頭上がすべて透明になっており、星空を眺められる艦橋。乗組員全員に個室が割り当てられているのでコールドスリープしていないときはそこで過ごせるし、なまった体を動かすためのプレイルームもある。
もちろん宇宙船なのだから、運航にかかわる精密機器や観測機器が格納されている部屋もある。到着した先で万が一非友好的な生き物に出会ったときのために、武器も各種そろえてあるそうだ。(ただし、恒星間飛行はすでに三十四回ほど実施されているものの、記録上異星で生命体に出会ったことはいまだかつてないはずだ)そういった部屋は、誤って入らないように厳重に立ち入り禁止の臭いがつけてあった。臭いで立ち入り禁止を知らせるのは古くからのやり方だが、これが一番わかりやすいのだ。
僕はさっそく走ろうと、プレイルームに向かうことにした。艦橋からプレイルームに向かうため、アーチを抜けて通路を曲がると、プレイルームの手前に彼女がいた。
斜めになった天井の下、狭い空間に小さな作業用のデスクのようなものがあって、彼女はやはり体を小さく折りたたんでそこに座っていた。熱心に何かを聞いている。
彼女は僕の足音に気づいたようで、端末に指示して音声を止めた。
「エイタ、何をやっているの?」
「『友』についてね、今わかっていることをもう一度整理しているの。彼らに会う前に、心の準備をしておきたいじゃない」
彼女は機嫌よく言った。
「君は考古学者で、『友』の残した遺跡が専門だろ。ここにいる誰よりも詳しいはずじゃないか」
というと、「まあね」と少し誇らしげになる。
「どうなの? 何か新しくわかったことある?」
とたずねると彼女は、
「そうね……あなたは、『友』についてどこまで知ってる?」
「いや、なんにも。おとぎ話を聞いたことがあるくらい」
「たいていがそうよね。『友』はみんなの興味をひく話題だけど、具体的に知ってる内容はほとんどない。教育プログラムでもやらないしね」
僕は貧弱な教育プログラムを思い出して苦笑いする。たったの一年で若者に最新の知識を詰め込むべく、専攻を決めたらすごい勢いで速習させる。そのくせ他の分野の知識については何も教えてもらえないので、隣の研究室で何をやっているかすら全くわからないのだ。僕は特に歴史や言語についての知識が薄かった。
そんな薄い知識の中をひっかきまわし、知っていることを挙げようとする。
「知ってることね……そうだ、世界中の各地に遺跡がたくさんある。君が調査してる」
「それは、私があなたに話したものね」
彼女が楽しそうに笑うその息からは、化粧品の香ばしい香りの奥にほんの少し、彼女自身の体臭が感じられる気がする。生臭い、生き物の匂いだ。そんな時僕はいつも、彼女の低い唸り声や汗を想像する。黒くて長い毛の塊みたいな彼女が、地面にはしたなく身を投げ出し、ぞっとするくらい赤い舌を口からのぞかせているところを。
「『友』は世界中にその痕跡を残している」
と彼女は僕が何を考えているか知らずにいう。
「『友』は、音声で情報を伝えるだけではなく、石や洞窟の壁なんかに傷をつけたり汚したりして遊ぶのが好きだったらしいわ。そうしたものは後世に残るから、私たちの研究の対象になる。あなたにも見せたわよね。彼らは自分の姿を石に刻み付けているの。そうした……作品って呼べばいいのか、そういったものがたくさん見つかっている」
「それらが残っていたから、僕たちは暗号を解くことができたわけだ」
「まさしくそうよ。だいぶ隕石にやられて破壊されてしまったけれど、『友』は本当にいろいろな痕跡を残しているわ。彼らが住んでいた場所の遺跡なんていうものもある」
「『友』は、なんで星を捨ててしまったの?」
僕がたずねると、エイタは優雅に首を振る。
「それはわからないわ。彼らの文字はある程度解読されているけれど、その部分についてはあまり残されていない。でも、もしかしたら隕石にうんざりしてしまったのかも、という説はある。ちょうど、彼らが旅立ったと思われる時期に、隕石の量がかなり多かったという調査結果があるのよ」
「今だってうんざりしてるのに」
と僕は言った。僕らの白い星は、隕石に愛されている。月に一回は小ぶりな隕石がどこかに落ちる。最近は予測精度もかなり上がっていて、事前に避難警報が出るようになっているが、それだってかなりうんざりする出来事であることには変わりなかった。
「ほんとよね。私たちも、彼らと一緒にあの星を出られていたら」
「そうしたら、『友』と仲良くできたと思う?」
彼女は自分の尾をとかすように撫でて、考え込んだ。
「彼ら、どんな姿をしていたか知ってる? 身長はたぶんあなたと同じくらい。毛は長い部分もあるが、極端に短い部分もある。ほとんどない部分が大半なのよ。顔は平で凹凸がほとんどなく、目は小さい。見方によっては醜いわ」
「外見は関係ないんじゃない。慣れればさ」
と僕が言うと、彼女はミステリアスに笑った。

僕は想像する。
平たくて、凹凸のないのっぺりした生き物。
いったいどんなふうに暮らしていたのだろうか。
食べ物はどうやって食べる? どんな音楽が好き? どんな匂いがして、どんな性格だったのか? どんな声をしていたのか?
もしその辺に一匹いたら、僕と仲良くできただろうか?

冷たい液体が、静かに僕の体に浸透していく。僕の丸い指が、僕の金色の毛が、濡れて、感覚を失っていく。
頭がぼうっとして、精神が捻り上げられるように僕の体を離れていく。

僕の精神は遠い星に飛んでゆく。
平たい顔をした生き物がたくさんいる星に。
ゆらゆらとクラゲみたいに歩く、たよりない生き物が何千、何万と歩いているその真ん中に僕は降り立つ。着地に失敗して、僕は両手を地面についてうずくまる。
まわりの生き物は僕に気づかないようで、不思議な声でさざめいている。何を言っているのか? 奇妙に高い音、奇妙に低い音が入り交じる、聞き覚えのない音。生き物が口を開くたびに不愉快な音が立てられ、時折地面が轟音を立てて揺れる。
僕はパニックになり走りだそうとするが、手が地面を離れない。僕は四つ足のまま、がむしゃらに走る。
そのとき、
「……!」
と、何かが僕に向かって呼びかけられた。
その音声の意味がわかったわけではなかった。ただ僕はわかった。それが、僕を呼んだのだということを。
その瞬間僕の全身を、温かい喜びと安心感が満たす。僕は振り向いて、その声の主のほうに走りだそうとした。

甲高い警告音が、耳を刺す。僕は目を開く。
目に入ってきたのは、ぼんやりと曇ったガラスの小窓。自分の息の音がうるさい。身じろぎすると腕が壁に当たる。
そうだ、僕はコールドスリープしてたんだった、とようやく記憶が戻ってくる。
心臓がようやく目覚めたのか、激しく打ち出す。大きく深呼吸しながら僕は、手元を探って目覚めたことを示すボタンを押す。小窓がするすると移動して、カプセルが開いた。
部屋には、僕のもの以外にも六つ、コールドスリープ用のカプセルが並んでいる。そのうち三つは開いていて、三つはまだ閉まっていた。そう思っているうちに一つが開き始める。
室内には何人かすでに目覚めた乗組員がいて、固まった体をほぐそうと伸びをしたり、毛をとかしたりしている。皆目覚めたばかりで動きがのろいが、予定通りの行動だ。
僕はカプセルから足を踏みだした。目覚める時間を知らせてくれる音の合間に、今の時間を読み上げてくれるアナウンスが入る。僕たちがコールドスリープに入ってからきっかり一年経過したようだ。予定通り。
自室に戻って顔を洗い、艦橋に出ると、僕が一番最後だった。僕は慌てて自席に滑り込む。僕にだって宇宙船での仕事がある。現在航行している座標を母星から送られてくるデータをもとに計算し、予定と外れていないかを確かめるのが僕の任務だった。でも、コンソールがしゃべる数値はすべて予定通り。大丈夫。すべて順調。
皆短い仕事を終えると、久々の再会でおしゃべりがはずむ。体感ではほんの少し眠っただけなのに、現実的には一年ぶりの再会となるのだから、不思議だ。皆興奮してコールドスリープ中の体験を話しているようだった。
「不思議な夢を見たよ」
と、物理学者の男性が隣の女性に話しかけていた。
「おそらく、寝る前に『友』のことを考えたためだと思うがな。私は『友』のうちの一体と並んで歩いていた。『友』が何かを一生懸命話しかけてくるのだが私にはわからないんだ」
それを聞いて僕も、『友』の夢を見たのだということを思い出した。あれが、本当に『友』なのだとしたらだが。僕の夢に出てきたのは一体どころではなかったな。
「私も『友』の夢を見ました」
と、向いのエンジニアの男性が口をはさんだ。
「まあ、意識下にあるんでしょうな。こんな旅をしているのですから。夢の中で私は、『友』と一緒に横たわっていました。とても満たされた気分でしたよ」
「君も、夢見た?」
と僕は、隣に座っているエイタに話しかけた。彼女はぼーっとして、自分のコンソールを手の平でこすって遊んでいるようだった。僕に話しかけられて驚いたように身を震わせ、軽く飛び上がる。
「え、ええ」
と彼女は言った。
「どんな夢? 君が『友』の夢を見てても驚かないな」
「そ、そうね。確かに、『友』の夢を見たわ」
「そうなんだね。実は僕もなんだ」
「あら」
と彼女はかわいいピンクの舌を大きく出して笑った。僕はたずねる。
「どんな夢?」
「はっきりとは覚えてないの。でも、歩いていたら友がやってきて……」
「やってきて?」
「笑わないでよ。私の腰をえいやっと捕まえて、持ちあげたの」
僕は彼女の姿を見た。
彼女は、種族の中でも少し大柄な僕より頭ひとつぶん身長が高い。細長いものの、体重もかなりあるだろう。
彼女は恥ずかしそうにうつむいた。
「コンプレックスがでちゃったのかな」
と彼女は言った。
彼女が自分の大きな体にコンプレックスを持っているとは、初めて知った。

僕は冷たい水の中に沈んでゆく。
その感覚に身をまかせ、僕は想像する。
瞼を開ければ、本当はカプセルの中の様々な計器と、ぼやけたプラスチック窓が見えるはずだ。しかし、耳をそばだて、わずかに揺れる水の音を聞いていると、深い川の底に沈んでいるような気がしてくる。
想像するのだ。緑色の水面がはるか遠くに見える。陽光が水に合わせて揺れるのを、小さな魚の影が遮る。僕は息を吐く。空気の小さな泡が水面に向かってのぼってゆく。
と、穏やかな水に、激しい流れが巻き起こる。大きな泡が僕の視界いっぱいに広がる。真っ黒い大きな何かが、水に落ちたのだ。
それとともに、長く鋭い叫び声が聞こえる。声の主が、僕に助けを求めているのだ。
僕は身をひねり、水面に向かって泳ぐ。
黒い影がもがいている。大量の泡を吐き出しながら、水を激しく叩いて苦しんでいる。生き物だ。僕と同じくらいか、それよりも少し小さいくらいのサイズの。
僕はその体を支えようとするが、腕が震えてしまってつかめない。仕方なく僕は強いあごの力で、相手のだぶついた皮膚をしっかりと固定する。
足で水をかいて、水面から顔を出す。新鮮な空気が僕の肺を満たす! 僕はそこで、僕自身も空気を欲していたことに気づくが、口は大きく開けない。まだ溺れているものの体を支えているからだ。
さっきの叫び声とは違う声がする。声のもつ意味はわからない。仲間に危機を知らせているのか、それともただ単に取り乱して、意味のない声を出しているのか。僕はその声のする方に泳いでゆく。
僕はどうにか硬い岩にたどりついて、小さな体をその上に引き上げる。バタバタと足音がして、その体がぶじに陸の上、仲間たちに助け上げられたことがなんとなくわかった。安心して自分も岩の上に身を任せていると、体に何かが触れた。
舐められているのか、と思ったが、違っていた。魚のヒレのような何か温かいものが、僕の全身を優しく這いまわっている。それとともに、歌うような低い声で、何かが僕に語り掛ける。
目を開けると、何かの目と目が合った。
それは奇妙な目だった。横幅がかなり広い。そのぶん白目の部分がかなり大きく、黒目は全体の三分の一くらいしかない。そんな奇妙な形の目が、僕をじっと見つめていた。
ふしぎと、不快感はなかった。それどころか、僕はじっとその目から目が離せなくなった。僕たちはお互い瞬きもせずに、じっと見つめあった。
その目と見つめあっているうちに僕は、ずっと前にもその目を見たことがあるような、むしろ昔からずっとその目を見続けていたような、奇妙な気持ちになってくるのだった。
不快感はなかった。ただその代わり、水に濡れて冷たいはずの僕の体が、温かい力で満たされてくるような、そんな気がしてくるのだった。

そうして僕は目が覚めた。

また、僕が最後だった。僕が艦橋に入ると皆自分の席につき、仕事を始めている。
また、僕が最後だった。僕が艦橋に入ると皆自分の席につき、仕事を始めている。
僕は慌てて席にすべりこみ、コンソールを叩いた。
コンソールが読み上げる数値は、もちろんぶれはあったが想定内だ。僕はほっとして、母星から届くメッセージを片耳で聞き流しながら、僕はもう片耳を上げて、艦橋の皆のおしゃべりを聞いた。
前回より皆、目覚めに慣れたのかもしれない。すでに雰囲気はなごやかで、軽口をたたきあっている。僕たちの向かいでは、物理学者氏と言語学者の女性が穏やかに
「また『友』の夢を見たよ」
「あら……実は、私もなんですよ」
とやっている。そのまま二人は夢の話で盛り上がっているようだった。
「エイタ、君は? 夢を見た?」
それを聞いて僕は、コンソールから目を離さないまま、隣に座るエイタに尋ねた。
「あら。そんなことをいうレン君の方はどうなの?」
「僕? 僕はね、夢を見たよ」
「あら、よかった。前回は私が夢の話をしたのだから、次はあなたが話す番よ。どんな夢?」
「そうだなあ……」
と僕は考える。
夢の記憶というのはとりとめもないもので、あいまいな経験を明確な言葉に変えようとするのにかなりの労力が要るし、苦労して変えたはずの言葉も口に出してみると全く違って思えてくるものだ。そのくせ、言葉にしてしまうと夢の記憶の方が薄れていって、言葉に出したものの方が本物らしく感じられてしまう。
「たぶん、コールドスリープの温度のせいで見たんだと思うけど……。僕は水に沈んでる。そこに何かが落ちてくる。あれはたぶん『友』の、子供だ」
透明な水に大量の泡を吐き出し、溺れているあの子どもの姿を懸命に思い出して、僕は付け加える。
「たぶんあの子は、僕が水の中にいるのを見て、一緒に遊ぼうと思って飛び込んできたんだ。僕とすごく仲が良い子どもだった。でも、泳げなかった。溺れてしまって、悲鳴をあげて激しくもがいた。だから僕は助けにむかって、どうにかして陸に押し上げたんだ。そうしたら、たぶんあれは、大人の『友』だと思うけれど、体を撫でられて、すごく感謝された」
「あなたは『友』のために働いたのね」
「働いた、っていうのとはまた違うよ」
と僕は振り向いて、ぎょっとした。
彼女はやせていた。ただでさえ細身の女性だったが、頬がさらに細く長くなっていて、目がぎらぎらと光って見えた。
もしかしたら、顔の毛がぺったりと寝ているせいでそう見えたのかもしれないが。コールドスリープの『羊水』が悪さをしたのか、彼女の黒くてつややかな毛は、顔だけでなく肩や腹も、ところどころべたついて、もつれあっている。
「そ、その……働いた、というのじゃない。あの子は助けを求めていたんだから……」
「でもあなたは、わざわざ泳いで行って、『友』の子を助けてあげたのね。『友』のために」
「そりゃあ、そうだけど、僕が強調したいのはそこじゃないんだ。僕はね……僕は、あの子を助けたかったんだよ。あの子に溺れてほしくなかったのは、僕だったんだ」
口に出してみてはじめて僕はそのことに気づいた。
「なぜ?」
と彼女は無表情で問いかけてくる。
僕はあの黒い塊を思い浮かべる。水をかくあの頼りない腕、乱れた黒い毛、丸っこい体を。
「あの子が死んでしまったら……僕の胸が潰れてしまうから。あの子に生きていてほしいから」
「それはなぜ?」
「それは……もうやめようよ。これは夢の話なんだ。僕の頭が見せた幻だよ。なぜかなんて、どんなに深く考えていったって、答えはない。君のほうはどうなんだ? 君の夢はどうだったんだ?」
エイタは納得していないようだった。不満げに
「あなたの頭が見せる幻覚なんだったら、なぜかと問うていけば答えは出ると思うわ」
と言った。
「そうなのかな? でも、僕のことはもういいんだ。君の夢は? どうだったの?」
エイタはコンソールに向き合い、
「大したことないわ。本当に。面白くない。大したことがなさすぎて」
という。
「夢なんてそんなもんじゃない。聞かせてよ」
彼女はちらりと周りを見てから、小声で言った。
「あのね。……たくさんの『友』が出てきたわ」
「『友』が夢に出てくる人、多いんだね」
「そうね」
「それで? それで、どうだったの? 『友』は」
「そうね……私と『友』たちは、とっても仲が良かったの」
「おとぎ話どおりじゃないか」
「そう。私たち、とても良い関係を築いていた。私が部屋に入っていくとね……本当に、夢の中で『友』たちは、私たちが母星で働いていたような研究室にたくさんいて……それで、私に優しくしてくれるの。私はその人たちが大好きだった」
「いい夢じゃない」
「それでね……私は、最後、カプセルに入るの」
彼女は乾いた目を潤すように目を閉じ、また開いた。
「カプセルに? カプセルって、コールドスリープ用の?」
「そうね。もしかしたら、現実で見たカプセルが夢に出てきたのかも。とにかく、小さなカプセルに入るの。『友』のひとりが、私をカプセルに入れてくれるの。足を折り曲げて、横たわった姿勢になって、身を縮めて……」
そして彼女は言葉を止めた。僕は待った。十四、十五、まで数字を数えても彼女はなにも言わなかったので、僕は、
「それから?」
と尋ねた。
「それからって? それで終わりよ。私は目覚めたの。それで、今。私はとてもいい気分よ。それだけ」
「『友』が、何光年もの距離を超えて、超自然的なメッセージを送ってきたのかもしれませんよ」
と、部屋の向こうで言語学者の女性が大きな声で言った。エイタと僕は思わずそちらを見た。
「『友』には夢を左右する力がある、というのですか?」
と生物学者が応じている。
いつのまにか、部屋じゅうが皆その会話を聞いていたらしい。
「私は、どちらかというと『友』のほうではなく私たちのほうに原因を見ますな」
とウラウ博士が重々しく会話に入ってきた。博士はその小さな体に似合わず、朗々と話す。
「と、いうのは?」
「私たちは……私たちのご先祖は、『友』と暮らしていた期間が非常に長かった。どのくらいだったかね、エイタ」
博士はいきなり話をエイタに振った。
エイタは首を振って顔にかかった毛を払い、冷静な声で答えた。
「はっきりはわかってないんです。3、40万年という説もありますわ。でも少なくとも、数千年ではあったでしょう」
「数千年。それは、世代にすると数百世代だ。つまり、私たちの先祖はそれだけの長い間、『友』と暮らしてきたんだ。その間、『友』と暮らしやすい方向に進化した部分もあったろう。そうじゃないか? エイタ」
「え、ええ」
と答える彼女は少し気分が悪そうだった。
「かなり……かなり、私たちの先祖は、『友』といる間に姿を変えたと考えられています。骨格の化石から、証明されているのです。私たちの種族に、これだけ外見にレパートリーがあるのも、『友』と暮らしている間、その風土や『友』の暮らし方に合わせて、それぞれ進化したからだという説があります」
「そうだろう。つまり私たちの遺伝子には多かれ少なかれ、『友』と暮らした期間の記憶が刻み込まれているともいえる」
僕は博士の話よりも彼女の様子が気になった。エイタは目を半分閉じ、首をがっくりと傾けている。彼女はどうしたのだろう。体調が悪い?
「遺伝子は私たちの体のすべてを構成するものだよ。私たちの78の遺伝子は、先祖から多くの情報を受け継いでいる。多くはもちろん、骨や筋肉、皮膚といった形質にかかわるものだが、どうだね、脳の構造は遺伝子に絶対刻み込まれていない、とはいえんのじゃないかね。クロン君」
生物学者のクロン氏は自信なさそうに、
「そんな話は聞いたことないですがねえ」
という。
「これだけ多くのメンバーが『友』の夢を見ているんだ。しかも何回も、繰り返し。少しずつ鮮明になっている。私はね、『友』の住む場所に近づくにつれ、私たちの先祖から伝わってきた遺伝子が、再度『友』と暮らすための準備を整えさせるために、夢を見せて心の準備を促しているのだと、そう思うよ。少なくとも、私たちは準備をしておくべきだ。再度『友』と親しく暮らすために」
彼女はついに耐えきれなくて立ち上がる。椅子が倒れ、大きな音を立てる。皆耳を立てて彼女に視線を投げた。
「あ、私……」
彼女の舌からよだれがしたたるのが、隣の僕には見えた。
彼女の生臭い体臭が僕のもとまで伝わってくる。それは、どことなく毒々しい、苦みのある臭いを帯びている。
「体調が悪いので、一度部屋に戻ります」
彼女は言って、コンソールを押すように立ち上がり、足早に部屋を出て行った。

宇宙船の旅は長いが短い。次が最後のコールドスリープだ。
次のコールドスリープに入るまでの数日間、僕たちは断続的に仕事をしながら、好きに過ごすことができる。
僕は体調が悪いと言うエイタが心配だった。コールドスリープが何か悪い影響を及ぼしたのかもしれない。夢の話をしているエイタもどこか変だった……。
エイタの部屋に向かおうとする途中で、プレイルームの前を通りかかった。すると、彼女がいた。あの斜めになった天井の下の作業用のデスクに、折りたたまれるようにして座っている。ぐったりと壁に頭をよりかからせ、やはりコンピュータで何かを聞いている。
「エイタ!」
と呼ぶと、彼女はぞっとしたような顔でこちらを振り向いた。
「ああ、レン君……」
「大丈夫? さっきは体調が悪いと言っていたけど……」
「大丈夫よ。もう平気なの」
と彼女は音声の再生を止めた。デスクの上に散らばっていた資料をかき集め、立ち上がる。
「ああ、そう? それならお茶でも」
「あー……遠慮しておくわ。私、さっき仕事をすっぽかしちゃったから。メッセージを確認してくる。まあ、一瞬を争うようなメッセージでもないはずだけれど……」
「エイタ!」
と僕は、歩いて行こうとする彼女を引きとめる。
「君、何を聞いていたの?」
「なんでもないわ。仕事の音声よ」
と彼女は言って、振り向かずに立ち去った。
彼女の匂いは全く回復してはいなかった。毒々しい苦みのある臭いは、彼女が多大なストレスのもとに置かれていたことを表している。
でも、彼女に聞くこともできない。
僕は手持ちぶさたになって、彼女が座っていた椅子に座った。とても華奢な椅子で、僕より上背がある彼女がここに座るにはかなり身を縮ませなければならないだろう。
僕は何の気なしに目の前のコンピュータを触る。すると、彼女が直前まで聞いていた音声ファイルが開きっぱなしになっているのが見えた。
僕は少し迷って、そのファイルの再生ボタンを押した。
『……彫像のデータは56-9-671番です。同様のことは何回か繰り返されたかと考えられていますが、定かではありません……』
僕は音声を少し前に戻す。
『……当初その遺跡は、「友」たちが我々を置いて宇宙に飛び立った証拠だと考えられました。結論を言うと、それは早計でした。「友」たちはそこから飛び立ったのではなかったのです。最新の年代測定法によると、「友」たちが飛び立ったのだと思われる時期よりも、数百年程度古いものだということがわかりました』
『友』が飛び立っていったのとは、別のロケットだって?と僕は考えこむ。
これはきっと考古学の資料の一部だろう。母星で発掘された遺跡についての文章に違いない。『友』たち以外にも、僕たちの母星にはロケットを作る生き物がいたということなのだろうか。それは『友』と一緒に逃げ出してしまったのだろうか。
そこからしばらく退屈な、考古学の解析方法についての論述が続き、僕は音声を早送りする。
『……だとすれば、私たちの種族が多大な貢献をしたといえるでしょう。彼女は、私たちの星から宇宙に出た最初の生き物だったのです。確かに犠牲はありました。しかし、彼女は何度も記念され、たくさんの絵や彫像になりました。彫像のデータは56-9-671番です……』
僕は音声を止めた。
彼女が苦しそうにしていた理由は、わからなかった。

眠ったら、また夢を見るのだろうか。
濁ったプラスチックの窓を見ながら、僕は考える。
催眠剤の効き目なのだろうか。少しずつ意識の精度が落ちてくるのを感じる。
だんだん僕の思考は解きほぐされていき、単調で、シンプルなものになってゆく。
これまでの二回のコールドスリープで見た二つの夢には、どちらも『友』が出てきた。
ウラウ博士が言うように、僕の遺伝子が見せている夢なのだろうか?
どちらでもよいと僕は思う。
僕は……
僕は、ただ、また夢を見たい。

でも僕は、眠れなかった。
だって僕は、走っていたからだ。
ハア、ハア、ハア、という激しい声が聞こえる。僕の声だ。
僕は走っていた。両手と両足で、思いっきり地面を蹴る。あたりは草が短く刈り込まれた緑色の地面で、なだらかな丘状になっている。
後ろから、声がする。僕を呼ぶ声だ!
僕が一声返事をすると、頭上を何かが飛んでいった。
鳥が地面の低いところを飛ぶように、僕は跳んだ。
口でキャッチする。それはプラスチックのような噛みごこちの、平べったい物体だった。僕はそれを口でしっかりとくわえたままターンし、走って戻っていく。
何かが僕を呼ぶ声がする。
細長い奇妙なシルエットが、ゆらゆらとゆらめいている。走って近づいていくと、うすぼんやりした影が、だんだんはっきりしてくる。
ぼんやりした影が折りたたまれる。しゃがみこんだのだ。僕はしっぽを振りながら、くわえているものをその影に押しつける。
あのヒレのような奇妙なものが、僕の頭をはい回る。
ぞわぞわするが、なぜだかとても心地よくて……僕は、「ワン!」と叫んだ。

僕は目覚めた。
耳の近くで、警告音が鳴り響いている。慌てて起き上がったら、頭をカプセルの天井にぶつけてしまった。
耳を刺すような音の中にいるのに耐えられなくて、僕はボタンを連打し、窓を開けた。どうにか身をよじって外に出る。
ずっと止められていた心臓が急に動き出したせいか、くらくらする。僕はカプセルの上に座り込み、息を整える。
僕の周囲のカプセルは六つ、すべて開いている。中にはもう誰もいない。
今の時間を読み上げてくれるアナウンスを聞くと……起床予定時間の一時間後だ。
ああ、僕は艦橋に行くのが遅れただけでなく、目覚めるのも遅れてしまったのか。誰も起こしてくれなかった!
僕はあたふたと立ち上がる。宇宙船の航行予定では、確か明日中にも目的の星の軌道上に入るはずなのだ。ゆっくりしている時間は全くない。
とにかく一度自分の部屋に戻ろうと、コールドスリープ室を出る。
自動ドアが開くと、『立ち入り禁止の臭い』が鼻をついた。おかしい。
僕は廊下を見回す。すると、スリープ室の入口の柱のところに、液体がこぼれているのが見えた。臭いはそこからする。
尿だ。
立ち入り禁止の臭いは、古くは尿でつけられたものだったらしい。そのほかにも、土地の境界を示す臭いなど、我々の先祖は尿でいろいろなメッセージを伝えることができたらしいが、現代にまで残っているのは「立ち入り禁止の臭い」くらいだ。
どうして、立ち入り禁止の臭いの尿がここに? この臭いはおそらく、ウラウ博士のものだ。
何が起こったのだろうか? 僕が寝坊している間に、何かあった?
僕は慌てて走りだす。艦橋なら誰かがいるだろうか。
廊下を曲がると、さらに『立ち入り禁止の臭い』が強くなる。僕は艦橋に飛び込もうとしたが、その自動ドアの前にだれかが倒れているのを見つけた。
「博士!」
と僕は彼のそばにひざまずく。博士の小柄な体が、力なく床に横たわっていた。
「レン君か」
僕はその体を手で支えようとしたが、ねばっとした液体に触れた。それは、とげとげしい『立ち入り禁止の臭い』と奇妙に調和する臭いがする。博士の血液だった。
「博士、けがを?」
「ああ」
と博士が言う口元からも血があふれ、口元の毛に染みこんでゆく。
「い、今救護セットを」
と立ち上がろうとする僕に博士は、
「いや、いい。それよりも、頼みがある」
「なんでしょうか」
「エイタだ」
「エイタ?」
「中にいる。これで」
と博士は僕に、小さな何か硬いものを手渡してくる。手のひらを開いてみると、それは小さな銃だった。僕はこの船に、異星で敵対する生命体に出会ったときの備えもしてあることを思い出した。
「博士、これでどうしろというのです?」
「拘束しろ」
博士はうわごとのように言う。
「拘束ですって?」
「エイタはこの船を…ハイジャックして、行先を変えようとしている。…気をつけろ。彼女は銃を持っていないが、大柄だ。噛みつかれると…」
博士の声はどんどん小さく薄れていき、とても聞き取りにくい。
「博士、それはいったいどういうことですか? 僕が眠っている間に何が? 他の人たちは?」
「……危険をしらせる臭いを……まいたんだがな。我々は本能が弱っているな。何も考えずにエイタに近づいて、二人は……撃たれた。あとはどこかに隠れているだろう……」
僕は自分が深い穴の底にどんどん落ちていっている途中のような気がしていた。落ち続ける内臓を感じながら僕は、
「本当に、いったいどうしてそんなことに?」
と言った。
「お願いだ。君にしかできない……君はあの子と親しかったから……」
博士の手が僕の腕に触れた。血がべったりついたその手は、もう冷たかった。僕はその手を握って、胸の前で組んでやった。そして、博士の体を床に横たえ、丸まらせてやった。僕たちのしきたりでは、四つ足で歩いていたときの先祖のような姿にして葬る。
僕は銃を手にとって、使い方を確認した。いたって簡単。安全装置を外して、ボタンを押すだけ。
僕は彼女と親しかった? 本当にそうだろうか。彼女が何を考えていたのか、まったく知らない。
僕は自動ドアの前に立ち、艦橋に入った。
艦橋は天井が高い、開放的な空間だ。広い空間の真ん中に七つ、立方体のコンソールと、それに向かう座り心地の良い椅子が置かれている。進行方向に大きく開いた窓の向こうには、真っ青な星がぽっかりと浮かんでいた。
『友』の星だ!
そして、その『友』の星のほうを向き、こちらを背にして立っている女性がいた。
垂れた耳をぴくりと動かして、エイタがこちらを見た。
ここからでもわかる。彼女は吐き気のするくらい苦い臭いをたっぷりとまとわせていた。彼女の黒い毛はもつれあい、バサバサになっていて、毛の上からでもあばら骨の形が見えるくらいに瘦せている。こちらに向けた目は、深い闇のように真っ黒だったが、わずかに見える白目の部分は黄色くにごっていた。
「エイタ、おはよう」
と僕はできるだけ優しく言った。
「おはよう、レン君」
と彼女は答えてくれた。
「夢は見た?」
と僕は、できるだけ彼女を刺激しないように、円形に並べられたコンソールの周りに沿って、大きく円を描きながら歩き始めた。どうか彼女が、僕はただ今起きただけののんきな男だと思ってくれますように。
「ええ。見たわよ。レン君も見たんでしょう」
と彼女は手元のコンソールをなぞった。それは、上官、ウラウ博士の扱うコンソールだ。リーダーだから一番たくさん情報が入っているはずの。
「エイタ、それはどんな夢だったの?」
彼女を刺激しないよう、できるだけ優しい声で僕は言った。
「……レン君。そこで止まって」
彼女はコンソールに両手をついて、まるで古来の僕たちのご先祖様みたいに、僕にむかって歯をむき出して唸った。僕は立ち止まった。
「それ以上近づかないで」
「わかった、わかった。エイタ、他のみんなは?」
「わかんないの? この状況を見て。どれだけお気楽でいられるのよ、あなたは。あなただけじゃないけれど!」
彼女は吠えた。
「皆、どうして正気でいられるのよ! あの星にどんどん近づいているのに!」
「『友』に会いたかったのは君だって同じだろう?」
僕はできるだけ彼女に見られないように、後ろ手で銃をしっかり握った。
「私は……私は違う」
「どうして? 『友』にいちばん詳しかったのは君だろう。考古学者じゃないか」
「あいつらについて知れば知るほど、会いたくなくなるのよ!」
彼女は目を剥いた。
「乗組員に選抜されたときだって、私は行きたくないって言った。でも、まさかそんな、あのころとは違う私たちにまでそんなことするはずないって……私も思ってた。でも目覚めるたびに不安になるの……」
「そんなこと? そんなことって、どんなことなのさ。僕たちと彼らは、友達じゃなかったの?」
「友達なんかじゃない! 友達だと思っていたのは、私たちだけなのよ!」
彼女はその黄色い歯を剝き出しにした。その間から、透明な白いよだれがツーッと垂れた。
「いくつもの発掘現場で、私たちが虐待された証拠が発見されてる。何百もの私たちの先祖が、小さな檻の中にすし詰めにされて死んだ、その遺跡を見たことがない? おそらく繁殖するためだけに、私たちの先祖の女性たちが何百も集められているのよ。自分の体よりほんの少しだけ広い金属の檻の中に閉じ込められて、何十回も子供を産まされて、そのまま誰も来なくなって飢えて死んだ」
僕は、「そんなの、遠い昔のことだろ?」としか言えなかった。
「私たちは科学実験にも使われたことがわかってる。いろいろな薬剤を投与され、苦しんでもがいた私たちの祖先の骨がいくつも見つかっている。私たちの祖先は皆、道具として扱われ、軽視され、虐待された。まだ未熟なロケットで初めて宇宙に行った生物も私たちの先祖だった……」
彼女は潤んだ声で、
「私は見たのよ」
と言った。
「何を見たの?」
「最初に宇宙へ行った私たちの先祖が、どれだけ苦しんだかをよ」
「それは、遺跡で? 骨が残っていた?」
「いいえ。夢でよ」
と彼女は言った。
「私はたくさんの機器をつけられて、狭い、小さなカプセルに入れられた」
僕は想像する。
彼女は小さなカプセルに入れられる。長くてすらりとした足を折り曲げて、ふせの姿勢になる。
それはとても不自然な姿勢で、肩の骨がきしむ。筋肉がおしつぶされ、切り離されそうに感じる。
一瞬だったら我慢できる。「友」が彼女の顔を撫でてくれる。彼女はその「友」を愛している。「友」が穏やかに笑いかける。(僕たちとは全く違う顔の形なのに、僕たちには「友」が笑っているのかどうかわかる。)
「友」が笑うなら、きっと大丈夫だ。すぐに助けてくれる。
しかし、「友」は、最後に何かひとこと彼女の耳元でささやいたあと、カプセルの扉を閉めてしまう。彼女は不安になる。いや、まさか。大丈夫だ。しかし彼女は不安に突き動かされ、声をあげようとする。
「どこからか、轟音がする……」
しかし彼女のうめき声は、何かに覆い隠される。轟音だ。すべてをかき消してしまうような轟音だ。彼女は悲鳴をあげるが、もう誰にも何も聞こえない。
彼女の全身は激しく揺さぶられ、振り回され、押しつぶされる。彼女は全身を使って叫ぶが、彼女自身にも何も聞こえない。彼女の鼓膜は破られている。彼女は叫び続ける。
彼女のまぶたの裏には、「友」の優しいほほえみだけが残っている。
「どんどん熱くなってくるの」
熱い。彼女の全身が焼け付くように熱くなってくる。彼女は激しく揺さぶられ、たくさんの器具が震動とともにずれて、尖り、彼女の皮膚を割く。彼女は舌を出して息をするが、熱い空気が彼女の肺を焼く。しかし彼女は床に転がってもだえることもできない。そんなスペースはない。
「震動が来て」
彼女の体を震わせる震動とともに、目の前の何かが外れる。
「外が見える」
彼女は最後に見る。永遠に続く、深く、底のない闇を。針の先で突いたような小さな光が彼女の視界に一瞬走り、そして青い大きな球体が大写しになって、
「そして、死ぬ」
死ぬ。彼女は最後に地球を見たかもしれない。しかし彼女にはそれは理解できないのだ。
地球など見たくなかった。
彼女が欲しいのはただ、愛する友が温かく彼女を受け入れてくれることだけだ。
彼女はぎらついた目で僕を見る。
「私はもう、そんな目にはあいたくないのよ」
僕は何も言えなかった。宇宙にひとり放り出されることはいったいどんな気分だろうか。もう友に会えないことがわかったとき、いったい彼女はどんな気分だっただろうか。いや、わかっただろうか。死んだ瞬間も彼女は、自分がいったいどこにいるか、どんな状態に置かれているのか、わかっていなかっただろうなあ。
「あわないさ」
と僕はかすれた声で言った。
「どうしてそんなこと言えるの?」
「だって彼らは……僕だって、夢を見たんだ。僕が見た夢で、彼らは……僕らを愛してた」
「そんなの、一面に過ぎない! 彼らは、私たちを同等の生き物だと思ったことなんてないわ!」
「いい? 僕の夢ではね……」
と僕は自分の夢を話そうとしたが、やはり夢を言葉にするのはとても難しい。
でも僕は、できるだけ慎重に、自分の体験を言葉にしたかった。
「僕の夢には、何か物語なんてないんだ。でも、僕は感じた……僕はだれかひとり、僕の先祖の体験を追体験したわけじゃないんだ、きっと。いくつもの、何千年もの歴史の、僕の種族の先祖たちの記憶が、僕に被さってきたんだ」
「そんな、その中にひとりだって、『友』に虐待された夢はあったの? そうでなきゃ、公平でない」
「公平じゃなかったかもしれない。でも、僕たちは……僕たちは全員、友を愛してたよ。友に役立ち、認められ、一緒に時間を過ごせるのがうれしかった。友に受け入れてもらいたかったんだ」
「その結果、殺されるものもいたのよ。無邪気に信じて、近づいて、ひどく裏切られたのよ」
彼女は身を低くして飛び掛かる体勢を取る。彼女の口は僕より大きく、歯は鋭い。僕はおじけづく。
「でも、僕は……僕は、彼らに会いたい」
「冷静になって! 彼らは私たちを置いていったのよ!」
「仕方なかったんだ。彼らだって生きなければいけなかった」
「彼らは、私を宇宙に放り出すだけ放り出して、自分は安全な方法で、星を逃げ出していった!」
「それでも僕は、たぶん彼らに会うために生まれてきたんだと思う。きっとそうだよ」
彼女が飛び立った。大きく開けられた口の中には、黄色く鋭い牙がびっしりと生えている。長くねばついたよだれが飛び出し、その喉の奥に、血の色をした生々しい内臓が見えた。僕はそれを狙って、銃を撃った。
ガラスが割れるような高い音がして、銃弾が放たれた。彼女の血が飛び散り、毛が波打った。
彼女は横倒れに地面に落ちた。
黒くて長くてもつれあった毛の塊みたいな彼女が、地面にはしたなく身を投げ出す。その口からは、ぞっとするくらい赤い舌がだらりとのぞいている。
「エイタ?」
と僕はこわごわと呼んだが、返事はなかった。
ストレスを示す苦い臭いと、彼女の血の臭いが溶け合って、立ち上っていた。

僕はコンソールに寄りかかって、青い星を見た。それは僕たちの母星と、あまり似ていなかった。大半を覆う青い海、青を取り巻く白い雲、雲の間から時折覗く大地。もしかしたら、過去の僕たちの星とは似ていたのかもしれないが……。
きっとあの下に、たくさん暮らしているのですね。毛が生えていないみすぼらしい皮膚、白目の部分が大きい奇妙な目をしている僕たちの友だちが。つまり、あなたたちが。
僕は多くを望まない。ただ僕は僕のわがままで、あなたたちに会いたかっただけなんだ。もうすぐ望みはかないます、友よ。
でもどうか、お願いだから、いじめないでください。優しく受け入れてください。
友よ、忘れないでいてください。僕たちはあなたを愛していることを。

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