こちら元住吉エイリアン商店街

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梗 概

こちら元住吉エイリアン商店街

西暦2100年。人類は、エイリアン「ディゴーレ」との接触を12年前に経験していた。
危惧されたディゴーレとの戦争は勃発しなかったが、地球よりも荒廃した惑星で暮らすディゴーレたちの中には、地球への移住を希望する者が少なくなかった。

地球に存在しない貴重な鉱物資源と引き換えに、地球の各国は移民の受け入れを始める。各国は、ディゴーレの正式移住前に、地球での暮らしに溶け込めるかをテストする場所を設けた。そこで一年間トラブルを起こさず人間と共存できれば、移住が許可される。

日本のテストの場は「元住吉(もとすみよし)隔離エリア」と呼ばれる場所だ。
80年前、神奈川県川崎市全域と横浜市の半分近くのエリアで、地下から染み出した有害物質により大規模な土壌汚染が発生し、人間が居住できなくなった。
長らく立ち入り禁止エリアだったが、7年前、有害物質を除去する技術が確立して人間が住めるレベルに戻った。
日本政府は、元住吉駅の跡地を中心とする半径1.5キロメートルをテスト場所にするため、土壌汚染前の街並みを再建した。

政府の異星省の職員である移民審査官・早瀬真希菜は、ディゴーレの審査職務のため、上司の佐伯大輔と元住吉隔離エリアで暮らしている。移民審査官は秘密裏に審査をするため、表向きはパン屋を営む父子の二人暮らしを装っていた。

隔離エリアには真希菜たちの他にも複数の人間が居住しており、政府から給与が支給され、ディゴーレの共存相手のテスト役を担っている。隔離エリアでは、かつての商店街も再建された。ディゴーレたちは商店を営業し、人間と共存できるかを審査される。

ある日、新住民であるディゴーレの青年・ザナンジェが、から揚げ屋をオープンして大繁盛する。
そんな時、ディゴーレの住民が続々と失踪し始めた。
失踪するのは、生活態度が良く、移住の許可が目前に迫った住民ばかり。指名手配をされてまで隔離エリアから失踪する理由は見当たらない。そして不穏な噂が立ち始める。「から揚げ屋の肉は、ディゴーレの肉を使っているらしい」と。
ディゴーレには同族食いの文化がある。移住にあたり、地球人が生理的に受け付けない要因となるので、同族食いの欲求を抑える薬を服用するのが必須とされていることもあり、疑惑が膨れ上がっていく。

誠実なザナンジェが犯人とは思えず、真希菜は調査を始める。
ザナンジェの協力を得ながら、調査の果てに、犯人は上司の佐伯であることが判明する。

佐伯は昔、幼い娘の命をディゴーレが関与する事件で失い、ディゴーレに憎悪を抱くようになった。
佐伯は、移住が許可されそうなディゴーレを殺して隔離エリアの地下に隠し、新参者であるザナンジェが疑われる噂を流していたのだ。

真希菜は佐伯の歪んだ思想を否定し、戦いの末に警察へ引き渡す。

改めて、人間とディゴーレの共存の難しさを感じる真希菜であったが、これからも自分の職務を遂行することを決意する。

文字数:1194

内容に関するアピール

小説つばるの読者は、SFを読み慣れていない人も多いと思ったので、物語の舞台を実在する街に設定すれば、読むきっかけにしてもらえるのではと考えました。

エイリアンを題材にしたのは、SFとしては定番の題材ながら、現実の移民問題を絡めて書くことで、変化がつけられると思ったからです。
地球内での移民問題すら解決の糸口が見えていませんが、もしエイリアンが移民としてやって来た場合、価値観などの相違で、人間同士とは次元の違うトラブルが起きると思います。そこを考察しながら書いていきます。

物語の主軸は、地球人の女性とエイリアンの青年のバディものです。

文字数:266

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こちら元住吉エイリアン商店街

西暦2100年。人類は、エイリアン「ディゴーレ」との接触を12年前に経験していた。
 危惧されたディゴーレとの戦争は勃発しなかったが、地球よりも荒廃した惑星で暮らすディゴーレたちの中には、地球への移住を希望する者が少なくなかった。
 地球に存在しない貴重な鉱物資源と引き換えに、地球の各国は移民の受け入れを始める。各国は、ディゴーレの正式移住前に、地球での暮らしに溶け込めるかをテストする場所を設けた。
 そこで一年間トラブルを起こさず人間と共存できれば、移住が許可される。

80年前、神奈川県川崎市全域と横浜市の半分近くのエリアで、地下から染み出した有害物質により大規模な土壌汚染が発生し、人間が居住できなくなった。
 長らく立ち入り禁止エリアだったが、7年前に有害物質を除去する技術が確立して人間が住めるレベルに戻ると、日本政府は、元住吉駅の跡地を中心とする半径1.5キロメートルをディゴーレのテスト場所にするため、土壌汚染前の街並みを再建したのだった。
 その街は、元住吉もとすみよし隔離エリアと呼ばれた。

早瀬はやせ真希菜まきなは、早朝の気配が残る商店街を軽快な足取りで歩いて行く。 
 クリーニング屋の前にさしかかると、開きっぱなしの自動ドアの向こうから、威勢の良い声が響いた。
「真希菜ちゃん! 火曜日はドライクリーニングのセール日だよ! 洗いたいものがあったら持ってきなよ!」
「ありがとう、ボツゼンさん。後で持って来るね」
 真希菜は、クリーニング屋の店主であるボツゼンに愛想笑いを返しながら、手を軽く振る。
 ボツゼンは、薄い青色の肌に緑色の瞳という、ディゴーレとして典型的な容姿をしている。
 ディゴーレは、手足を持った二足歩行の種族であり、人類とある程度共通した体のつくりをしている。
 頭髪はなく、つるりとした頭もディゴーレの特徴だ。
 ディゴーレの寿命は人間の半分ほどで、ボツゼンは人間で言えば50代前半といった年齢になる。
(一度お願いしたら、店の前を通るたびに声をかけられるようになっちゃった。ディゴーレって、意外と商売熱心なのね)
 真希菜は異星省の職員で、移民審査官だ。
 3ヶ月前から元住吉隔離エリアに住み始めて、ディゴーレの生活態度をチェックしている。
 移民審査官は、極秘裏に職務を遂行することが定められているため、真希菜は身分を偽り、パン屋の一人娘だということにしている。
 このエリアには、真希菜たちの他にも複数の人間が居住していて、政府から給与が支給され、ディゴーレの共存相手のテスト役を担っている。
 元住吉隔離エリアは、人間とディゴーレの共存を模索する場であると同時に、両者の未来を担う場所でもある。
 ディゴーレは、人類との接触から三ヶ月ほどで、人類の言語とディゴーレの言語の翻訳機を完成させた。
 翻訳機は完璧な翻訳精度を誇り、ディゴーレのテクノロジーレベルの高さを人類に突きつけたのだ。

クリーニング屋を通り過ぎた真希菜は、肉屋の前で立ち止まる。
「いらっしゃい。ちょうどメンチカツが揚げたてだよ」
 ショーケースの向こう側に立つ、30代後半ほどの女性が真希菜に声をかけた。
 肉屋の店主の篠原つかさだ。
 ショーケースの中には、トンカツやコロッケなどが、所狭しと並んでいる。
「おはようございます、篠原さん。それじゃあ、メンチカツを2つください」
「毎度あり!」
 篠原は手際よくメンチカツを包装紙に挟んでから、ビニールに入れて真希菜に渡す。
 真希菜は、財布から取り出した硬貨をコイントレイの上に置いてから、ビニールを受け取った。
 硬貨は、この隔離エリア内の専用通貨だ。
「そう言えば、から揚げはこれから作るんですか?」
「実はね、とんだライバルが出現しちゃってねぇ。うちのから揚げがさっぱり売れなくなったから、作るのをやめたのよ」
「ライバルですか?」
「ほら、うちの斜め向かいにあったタコ焼き屋が無くなってさ、代わりにから揚げ屋が入ったんだよ」
 真希菜は後ろを振り向き、通りを挟んで反対側にある、から揚げ屋を見た。
 まだ開店前の準備中のようで、ディゴーレの青年が、テキパキとした動きで衣をつけた肉を油に落としていく。
「わたし、このお店のから揚げ好きだったのに……」
「ごめんなさいね。メンチカツも自信があるから、許してね」 
 苦笑しながらそう言った篠原の視線が、真希菜から横に不意にそれる。
 次の瞬間、篠原は手元にあった金属製の串を掴むと、ショーケースの下部へ向けて投げつけた。
「どっ、どうしたんですか?」
 驚いた真希菜が身を乗り出して様子を見ると、一匹のゴキブリが、串に体の中心を貫かれてピクピクと痙攣していた。
「やれやれ、油断も隙もあったもんじゃない。いくら店内を清潔にしていても、外から入ってこようとするんだから、始末が悪いよ」
「すごいですね……見事に刺さってます」
「昔、ダーツが趣味で、熱心にやってた時期があってね。今はもう、こんなことにしか役に立たないよ」
 篠原のおどけた様子に、真希菜もつられて笑った。

真希菜は、商店街通りの端にあるパン屋に入る。
 パン屋の中では、白いコックコート姿の40代後半ほどの男が、トングでクロワッサンをトレイに並べていた。
「おはようございます、佐伯課長」
「おはよう、早瀬。商店街の様子はどうだった?」
「から揚げ屋がオープンして、評判になっているそうです」
「ほう、から揚げ屋か。高校生のころは、部活帰りによく買い食いしたもんだ。今度行ってみるかな」
 佐伯はクロワッサンを並べ終わると、今度はカレーパンの陳列を始めながら開口する。
「今朝、異星省から通達があった。このエリアの壁の警備を強化するそうだ」
「ただでさえ厳重なのに、さらに強化されるんですか?」
「あぁ。最近、ディゴーレの失踪者が相次いでいるからな。直近だと、タコ焼き屋の店主も姿を消してしまった」
「どうせ、移住の許可が出るまで待ちきれないから脱走したに違いないですよ。指名手配された状態で日本で暮らしていこうなんて、考えが短絡的です。向こうから地球に住みたいって言い出したのに、馴染む気がないとしか思えません」
「――早瀬、まだここの暮らしには慣れないか? お前が外務省からの出向を不本意に思っていることはわかる。だが、ここでの経験が生かせる日がいつか必ず来ると思うぞ。ディゴーレを含めた広い視野で移民問題を捉える視点があれば、地球内の移民問題も、既存とは違う観点から解決策を見出せるんじゃないか?」
「それは……そうなのかもしれませんが……」

真希菜は、ディゴーレの審査職務のため、上司の佐伯大輔とこの元住吉隔離エリアで暮らしている。
 移民審査官は秘密裏に審査をする規定のため、表向きはパン屋を営む父子の二人暮らしを装っていた。
(課長の言いたいこともわかるけど、外務省に入ってから、たった半年で異星省に出向だもんなぁ。わたしは、地球内の移民問題を解決する仕事がしたいから外務省に入ったのに……まさか、ディゴーレと関わることになるなんて)
 隔離エリアに来る前の真希菜にとって、ディゴーレは地球へトラブルを持ち込む存在だとしか思えなかった。
 隔離エリアでディゴーレと触れ合う中で、ディゴーレも、人間と同じくさまざまなタイプがいることを実感し始めてはいるが、やはり苦手意識は拭えない。
 そして、真希菜がディゴーレを理解できない一番の理由は、ディゴーレに「同族食い」の文化があるせいだ。
 昔、ディゴーレの社会には、絶対的な階級制度が存在していた。
 飢饉になると、上層階級は下層階級のディゴーレを食料とすることが認められていたのだ。
 今は階級制度もなくなったことに加えて、ディゴーレの食糧事情もテクノロジーの進歩によって改善し、飢饉になることはない。
 同族食いの文化は廃れたはずであったが、それは表向きだ。
 ディゴーレの本能には、同族食いの衝動が今も残っている。
 ディゴーレ社会では、この同族食いの衝動が暴走したことによる事件が、時折発生する。
 ディゴーレはその解決策として、同族食いの衝動を抑える薬を開発した。この薬を服用している限り、同族食いの発生を防止できる。
 もちろん地球へ移住する際にも、その薬の服用が義務づけられている。
「早瀬、そろそろレジを頼む」
「は、はいっ!」
 真希菜は雑念を振り払うと、パン屋の制服に着替えて、レジに立った。

昼過ぎになると、パン屋の客足は落ち着きを見せ始めた。
「休憩に入っていいぞ、早瀬」
 佐伯から休憩を促された真希菜は、気分転換に商店街の様子を見に行くことにした。
(ボツゼンさんに服を預けてから、篠原さんから聞いたから揚げ屋をちょっと見てみるか)
「今日はクリーニング屋に行くのか?」
「はい、そうですね。今日はドライクリーニングが安い日なので」
「ボツゼンによろしく伝えてくれ。また飲みに行こうとな」
 佐伯とボツゼンは商店街の組合で面識があり、たまに飲みに行く仲だった。

真希菜は、ボツゼンにクリーニングを頼んでから、から揚げ屋に足を運んだ。
 店の前には、十人ほどの行列ができていた。
(ふうん……確かに繁盛してるみたいね)
 真希菜も行列に並び、自分の番になるのを待つ。
「こんにちは! いらっしゃいませ」
 店主であるディゴーレの青年が、真希菜に愛想良く声をかける。
 住民リストで、ザナンジェという名前だったなと、真希菜は思い出す。
(愛想良くしたってムダよ。味が肝心なんだから)
 渋い顔をした真希菜は、一番人気だと書かれた「秘伝タレのから揚げ」を買い、店の脇の小さなベンチに腰を下ろす。
 付属の爪楊枝をから揚げに刺し、一気に半分ほどかじる。
(むっ? これはなかなか……)
 絶妙な衣のサクサク具合に、熱々でプリプリの鶏肉。そして醤油ベースで深みのある味が、絶妙なハーモニーを紡いでいる。
 真希菜はから揚げが大好物なので、味にはうるさい。
 学生時代は、から揚げの食べ歩きを趣味にしていたほどで、好きが高じて、家でもあれこれ研究しながら自作のから揚げを作ることもあった。
 その真希菜の肥えた舌が、ザナンジェの腕前を認めざるを得ないことを実感していた。
 あっという間に食べ終えた真希菜の中で、自分でも理不尽に思える感情が湧き上がる。
(ディゴーレなのに、こんなに美味しく作れるなんて、なんだか生意気)
 新住民とコミュニケーションをとってみるかと、真希菜はザナンジェに話しかけた。
「美味しかったわ。このタレって、どうやって作ったの?」
「ありがとうございます! そのタレは、福岡から取り寄せた醤油に、高知産の生姜をたっぷりとすり下ろしてます。隠し味にパイナップルも少し入れるのがポイントでして――」
 ザナンジェは惜しげもなくレシピを明かし、いかに試行錯誤を繰り返しながら作り上げたかを熱っぽく語る。
 その様子からは、ザナンジェが、から揚げ作りに真剣に取り組んでいることが感じられた。
 真希菜は、ディゴーレのくせに生意気だと思った自分が、恥ずかしくなった。
「参考になったわ。また買いに来るから」
「ありがとうございました! またお越しください!」
 ザナンジェは大きく一礼し、真希菜を見送った。

1週間後の夕方、真希菜はシャッターの下りたクリーニング屋の前で小首をかしげていた。
(クリーニング屋さん、今日も閉まってるなぁ。どうしたんだろ?)
 預けた服を引き取りに来たのだが、これで3日連続で営業していない。定休日は水曜日だけのはずなので、妙だと真希菜は感じた。
 真希菜が困惑していると、肉屋の篠原が通りかかる。
「真希菜ちゃん、こんにちは」
「あっ、篠原さん。あの、クリーニング屋さん、最近どうしちゃったんですかね?」
「ここ数日、ずっとシャッターが閉まったままなのよねぇ。体調でも崩したのかしら。ディゴーレも、人間にとっての風邪みたいな病気にかかるっていうし」
「そうでしたか。また今度、様子を見に来ます」
 真希菜は篠原に挨拶をしてから、その場を後にしようとした。
「ちょっと待って、真希菜ちゃん。突然だけど、これをプレゼントするわ」
「え? これって……」
 篠原から渡された紙袋の中をのぞき込んだ真希菜は、驚きで体が硬直した。
「最近、失踪するディゴーレも多くて何やら物騒だしさ。女の子は用心しといた方がいいよ」
「あはは……うまく使えるかな……わたし」
「使い方を書いた紙を入れておいたから、後で読んでみて」
 真希菜は、ぎこちなく笑うしかなかった。

真希菜はパン屋に帰宅すると、佐伯にボツゼンが店をずっと閉めていることを報告した。
「実はな……ボツゼンのGPS反応が消失したとの連絡が、異星省から昨日あったんだ。早瀬が心配すると思って、言い出せなくてな」
「えっ? それって、この隔離エリアから外に逃げたってことですか?」
「そういうことになるな。GPS装置は、容易には外せないようになっているが、何らかの方法で外してから逃走したんだろう。隔離エリアを囲む壁は30メートル近くの高さがあるし、壁の表面に流れる電流で昇れない仕組みになっているからな。門の詰め所にいる警備員を買収して脱走した線で、調査が始まっている」
「ボツゼンさん……あと一ヶ月で正式な移住許可が出るのに、どうして脱走なんか……」
「まったく、バカなことをしたもんだ。この国で、ディゴーレが逃走しながら生きていけるはずもないのにな。何か悩みを抱えていたのなら、俺に話してくれれば助けてやれたかもしれん」
 真希菜は、愛想のいいボツゼンの顔を思い出し、暗い気持ちが胸に渦巻いていくのを感じた。

2日後の昼過ぎ、真希菜がいつものように商店街を歩いていると、気になる光景に気付いた。
 あんなに繁盛していたから揚げ屋だったのに、今日は行列がない。
 店に立つザナンジェの顔も、見るからに元気をなくしている。
 ザナンジェは真希菜の姿に気付くと、か細い声を発した。
「真希菜さん……すっかりお客さんが来なくなってしまいました……」
「いったい、どうしたっていうのよ? こんなに急に閑古鳥が鳴くなんて」
 口の重いザナンジェから辛抱強く聞き出したところによると、から揚げ屋に関して、不穏な噂が街に流れているらしい。
「はぁっ? から揚げの肉に、ディゴーレの肉を使っているらしいですって?」
「常連さんが急に来なくなったので、スーパーで偶然会ったときに、頼み込んで理由を教えてもらったんです。そういう噂をよく聞くようになったから、どうにも気味が悪いって……」
「バカバカしい! どこからどう見たって鶏肉じゃない! どうやったらそんなアホな噂を信じる人が出てくるのよ!」
「うちの店へのやっかみかもしれないです……新参者が儲けてるって……」
 真希菜は、苛立つ気持ちが爆発しそうになっていた。
 この店のから揚げは、確かな努力で作られたものなのに、そんなくだらない噂で台無しになろうとしているのが、どうしても納得できない。
「昨日の夜、異星省と保健所の調査員が来ましたよ。冷蔵庫にある肉を確かめていきました。もちろん、鶏肉であることをわかってもらえましたが、一度噂が流れてしまうと、もうみんな来なくなってしまうんですね」
 ザナンジェはそう言ってから、力なくうなだれた。
「ねぇ、そんなふざけた噂を流す奴をとっちめてやろうよ!」
「と、とっちめる……ですか?」
「わたしはね、から揚げにはうるさいの。このお店のから揚げは、わたしが認める味なんだから、簡単に閉店してもらっちゃ困るのよ」
 呆気ににとられた様子のザナンジェを尻目に、真希菜は噂の出所を調査することにした。

翌日の夕方。真希菜はザナンジェと、元住吉駅の跡地に立つ時計台の前で待ち合わせをした。
 昔は東急東横線が街を横切るように走っていたが、今は朽ちたレールの残骸が点在するのみだ。
 ザナンジェは、まだ何を始めるのかを理解できていない様子だ。
「調査って言いますけど、どうやってやるつもりなんですか?」
「まずは、商店街での聞き込みがセオリーでしょ。噂ってのはね、必ず出所があるもんなのよ。伝言ゲームで話に尾ひれがついて、最初の噂とは全く違う話になってるなんて、よくあることなんだから」
 調査を始めた真希菜とザナンジェは、手始めに商店街の店主たちへの聞き込みから始めた。
 最初は、肉屋の篠原に話を聞いた。
「噂ねぇ……そりゃあ知ってるけど、最初は誰から聞いたんだったか……いつの間にか、商店街で話題になっててねぇ」
 篠原は、あれこれ考えるそぶりを見せたが、出所について確かなことは知らないようだった。
 真希菜とザナンジェは、花屋、八百屋、美容室などをまわり、噂についての聞き込みを続けたが、めぼしい情報はなかった。
「仕方ないわね……今日は解散しましょう」
「付き合わせてしまってすいません、真希菜さん……」
 力のない様子でうなだれるザナンジェの背中を、真希菜は手のひらでバンっと叩く。
 驚いて目を白黒させるザナンジェに、真希菜は屹然とした態度で宣言する。
「わたしは、まだ諦めてないからね」

 真希菜には、苦い記憶がある。
 小学生のとき、当時親しかった友達が、同級生の文房具を盗んだと疑われた際、潔白を信じ切ることができなかった。
 なくなったのは、小学生に人気のキャラクターがプリントされた消しゴムで、そのキャラクターを大好きな友人なら、盗むかもしれないと思ってしまったのだ。
 友達は真希菜に、自分は盗んでいないと必死に訴えたが、真希菜は疑う気持ちを払拭できず、友達への態度にも出てしまった。
 結果的に消しゴムを盗んだのは、別の同級生だった。
 友達は「気にしてないから」と言っていたが、それをきっかけに疎遠になってしまった。
 大人になった今でも、当時の自分を悔やむ思いが消えていない。
 そんな真希菜にとって、ザナンジェの疑いを晴らすための行動は、あの友達への罪滅ぼしなのかもしれなかった。

「そもそもさ、なんでから揚げ屋を始めようと思ったの?」
「ディゴーレにも、地球人の料理という言葉に該当する行為はありますが、地球人の料理とは、比べものにならないくらい簡素なものです。調理方法にしても、焼く、煮るくらいのものしかありません」
「へぇ、そんなに違うんだ」
「僕は移住前の研修で、地球人の料理人が作ったさまざまな料理を食べて、そのおいしさに感動したんです。特に好きになったのが、日本人の料理人の手による、鶏肉のから揚げでした。その経験が、僕の夢にも繋がりました。日本で正式な移民として暮らし、から揚げ屋を繁盛させて、家族を日本に呼び寄せるという夢ができたんです」
「家族を呼び寄せることまで考えてるんだ。そりゃあ、がんばらないとね」
「真希菜さんは、ディゴーレの同族食いについて、どう思いますか?」
 ザナンジェの唐突な問いに、真希菜は意表を突かれた。
「地球人にとって、受け入れられない文化なのはわかります。ディゴーレの中でも、若い年代では嫌悪を抱く者も多いです。でも、同族食いが、ディゴーレの本能に今でも刻み込まれているのは、否定できないんです。だからこそ、同族食いの衝動を抑える薬の服用が欠かせません」
「ザナンジェ……」
「僕の作るから揚げに、ディゴーレの肉が使われてるって噂を聞いたときは、やっぱり地球人からはそう見られているのかと、ある意味腑に落ちたんです。その偏見を払拭していくことも、僕の夢のひとつなんです」
「――叶うといいわね、その夢」 
 真希菜はザナンジェの真摯な思いに触れ、噂の出所の調査を続行することを決意した。

真希菜がパン屋に戻ると、佐伯が店内の清掃作業をしていた。
「お疲れさまです、課長」
 2階にある自室に戻ろうとする真希菜に、清掃の手を止めた佐伯が声をかける。
「早瀬、から揚げ屋の噂を調査しているようだな。俺たちは、公平な目でディゴーレの生活態度を審査する必要がある。特定のディゴーレに肩入れすることが不適切なのは、お前もよくわかっているはずだ」
「……すいません」
 真希菜はそれだけ返し、後ろめたい気持ちを抱えながら、2階の自室へ繋がる階段を上っていった。

翌朝、真希菜はパン屋の仕事をいつも通りに手伝うと、午後からはザナンジェと再び聞き込みに出かけた。
 だが、昨日と同じく有望な情報は入手できず、徒労感を土産にパン屋に戻るしかなかった。
 パン屋の前で、ザナンジェは真希菜に深々と頭を下げた。
「今日も付き合わせてしまって、すいませんでした。本当にありがとうございます」
「やめてよ、そんなに頭下げるの。頭の下げ方にしても、日本の文化をけっこう知ってるのね」
「はい。毎日仕事が終わってから、この国の文化を勉強しています。料理以外にも、知りたいことがたくさんあるんです。自分が住める国になるかもしれないので」
 真希菜は、自分の中にザナンジェを尊敬する気持ちが芽生え始めていることに気付いた。
 もし自分が、地球とは全く別の惑星に移住したとして、ここまでその星の文化を勉強する気になれるだろうかという疑問には、自信を持って肯定できない。
「明日も夕方から調査開始よ! 遅刻しないでね!」
 ザナンジェが、再び頭を下げて立ち去る姿を見てから、真希菜はパン屋に入った。
 閉店後の店内では、佐伯が店の売上をパソコンで分析していた。
「課長、異星省からは、売上は気にしないでいいって言われてましたよね? あくまでも一般市民を装うための偽装なんですから」
「まぁ、確かにそうなんだがなぁ。でも、どうせやるなら本当のパン屋のように、自分の腕前と努力で黒字にできたら、達成感を得られると思ってな。偽装のためだからと、採算を気にせずに漫然とパン屋ごっこをするだけでは、いまいち張り合いがない」
「ふふっ、課長らしいですね。何事にも真剣なのが」
「そう言えばさっき、ボツゼンの娘が、早瀬の服を持ってきてくれたぞ。この前、早瀬がボツゼンの失踪直前に頼んだと言ってたクリーニングだ。そこに置いてある」
「あ、そうでした。ボツゼンさんがいなくなったことで頭がいっぱいで、自分の服のことを忘れちゃってました」
「ボツゼンのクリーニングの腕も大したものだった。もう少しで、正式な移住許可が下りたのに、どうして失踪したんだか。特に、彼のウェットクリーニングには、丁寧な仕事をするもんだと感心させられたよ。早瀬のその服も、ウェットクリーニングだろ。あいつのここでの最後の仕事かもしれんな」
「……課長。どうしてわたしが、ボツゼンさんにウェットクリーニングをお願いしたことを知ってるんですか?」
「そりゃあ、早瀬が自分で言っていたじゃないか」
「違いますよ、課長。わたしは、ドライクリーニングで頼むって言ったんです。セールだったので最初は全部ドライクリーニングでお願いしたんですが、型崩れしやすい服も一緒にお願いしたことを帰ってから思い出して、電話で全てウェットクリーニングに変更してもらったんです」
 真希菜は、佐伯の目をじっと見つめる。
「課長は誰から、わたしがクリーニングの方法を変えたことを聞いたんですか?」
「あぁ、どうたったかな。ボツゼンの娘から聞いたのかもしれん」
「ボツゼンさんの娘さんは、クリーニング屋の仕事は手伝わず、花屋で働いています。だから、クリーニングの種類に関する詳しいことなんて知るはずもないんです」
「課長は、ボツゼンさん本人から聞いたんじゃないですか? 失踪直前のボツゼンさんと会ったときに」
 佐伯の表情が硬くなる。
「――どうして、嘘をつくんですか?」
 真希菜は、鋭い風切り音とともに、自分の首に何かが巻き付くのを感じた。
 巻き付いたものに首を絞められ、両手で掴んで外そうとするが、緩む気配が全くない。
 佐伯の手から伸びたワイヤー線のようなものが、真希菜の首を締め上げているのだ。
「か、課長……いったい何をっ!?……」
「お前に気付かれるとはな。甘く見ていたよ。お前の言う通り、ボツゼンと最後に会っていたのは俺だ」
 バランスを崩した真希菜が什器に突っ込み、トングやトレイが床にばらまかれる。
「ボツゼンは殺したよ。そして、失踪した他のディゴーレも俺が殺した。なぜだと思う、早瀬?」
真希菜は言葉を発しようとしたが、呼吸すら満足にできない。
「ディゴーレと人間は、出会ってはいけなかったんだ。お前も知っているだろう? ライダモを」
 地球の各国政府がディゴーレの移住を引き受けることにした最大の理由が、地球には存在しない鉱物資源であるライダモの存在だ。
 ライダモは地球のテクノロジーを、大きく進化させる性質を持つ鉱物である。ライダモにより、人々の暮らしはより一層便利になるというのが、各国政府の統一見解だった。
「これは、オメガ・カーボンナノチューブと呼ばれる物質で作られたワイヤーだ。既存のカーボンナノチューブにライダモを混ぜることにより生まれた物質で、強度が十倍以上に跳ね上がる。俺がこのワイヤーを使うのは、ディゴーレのもたらしたライダモの産物で、奴らの命を奪うという皮肉を演出するためだ」 
 真希菜の目に、修羅に支配された佐伯の顔が映る。
「早瀬――お前には悪いが、もう生かしてはおけない」
 真希菜の首を、ワイヤーがさらに締め上げる。
「真希菜さん!」
 店の裏口から、ザナンジェが飛び込んできた。
 床に倒れて苦しむ真希菜に近寄り、必死に真希菜の首のワイヤーを外そうとするが、ワイヤーは微動だにしない。
「……ザナンジェ……どうして……」
「真希菜さんと別れてから、言い忘れたことを思い出したんです」
「言い忘れ……? ぐぅっ!」
 真希菜の顔が苦悶に歪んだその瞬間、突如飛来したナイフが、佐伯の右手に突き刺さる。
「――なんだと?」
 佐伯から苦悶の声が上がり、ワイヤーを締め上げていた力が緩んだ隙に、真希菜は必死に首からワイヤーを外した。
「動くな、佐伯大輔」
 姿を現したのは、肉屋の篠原だった。
 拳銃を油断なく構えて、照準を佐伯に合わせている。
 右膝を床についた佐伯が、篠原を睨みつける。
「お前は……肉屋の……」
 篠原は、真希菜と雑談していたときとはまるで違う、張り詰めた空気を身に纏っていた。
「篠原さん……どうしてここに……」
 いつもにこやかな肉屋の店主が、なぜか拳銃を構えてここにいることに、真希菜は混乱していた。
 佐伯は、血が流れる右手を左手で庇いつつ、開口する。
「公安がこの街に入り込んでいるとは思っていたが、お前だったか」
「佐伯大輔。あなたの過去を調べさせてもらったわよ。あなたは、幼い娘を7年前に亡くしているわね」
「……それがどうした」
「ライダモを密輸しようとした地球人の犯罪組織同士の抗争で、住宅街で銃撃戦が起こった。銃撃戦の影響で、たまたま付近を走行中だった車が誤って起こした交通事故で、小学校から家への帰宅途中だった娘は重傷を負い、2ヶ月後に死亡したのよね」
 篠原は、佐伯から視線を動かさず言葉を続ける。
「ディゴーレがライダモを地球へ持ち込まなければ、娘は死なずにすんだ。そう考えたあなたは、ディゴーレの復讐を誓ったということかしら?」
「――無論、その思いはある。だが、俺が何よりも許せないのは、地球人の愚かさだ」
 佐伯は、篠原のナイフで傷ついた右手を固く握り締め、真希菜の方へ顔を向ける。
「知っているか、早瀬? それまでは5分だった軍事用の電子迷彩服の稼働時間が、バッテリーにライダモを使うことによって、一時間以上にも伸びた。それだけで、どれほどの数の人間の暗殺が実行されたと思う? 人々の暮らしがより豊かになるなんてのは、ディゴーレを庶民に受け入れさせるためのまやかしだ。結局のところ、国の運営サイドの人間は、軍事兵器を進化させることにしか興味がない。庶民は、『宇宙の友人たちを暖かに支えよう』というプロパガンダに踊らされているに過ぎないわけだ。地球だけのテクノロジーで生み出された核兵器ですらコントロールし切れていないのに、互いの喉元に突きつけ合う刃の数を際限なく増やす愚行を、今この瞬間も積み重ねている!」
 真希菜は、佐伯の鬼気迫る形相に気圧された。
 半年間、生活を共にしていた上司の全く知らなかった一面が、強烈な勢いで真希菜の感情をかき乱している。
「この先ライダモの研究がさらに進めば、軍事兵器がどんな領域にたどり着いてしまうのか、見当もつかない。ライダモは、人間には過ぎた代物だ。これ以上、ディゴーレどもに地球を荒らされるわけにはいかない。だから俺は、移住間近のディゴーレを殺しているというわけさ」
「言い分は後でたっぷり聞こう。両手を上げた状態で、ゆっくりと立て」
 篠原は、照準を佐伯に固定したまま、佐伯に近づいていく。
 佐伯は両手を上げてから、静かに立ち上がる。
 佐伯の腰の後ろから、何かが床に転がり落ちた。
 落ちたのは、手のひらに収まるほどのサイズの、六角形のナットのようなものが上下に取り付けられた、無骨な外観の筒だった。
「――目をつぶって伏せろっ!」
 篠原が叫ぶと同時に、激烈な閃光と爆発音が同時に巻き起こる。
 佐伯が、隠し持っていたスタングレネードを起爆させたのだ。
 真希菜はすんでの所で目をつぶるのが間に合ったが、鼓膜が破裂したかと思うような爆発音で、脳が揺さぶられるような衝撃を受けて身動きできなかった。
 あたりには、煙も立ちこめている。
 篠原も爆発音で平衡感覚を狂わされ、床に片膝をついていた。
 篠原の目に、煙の奥で佐伯が店の裏口へ走っていく姿が映る。
「止まれっ! 佐伯!」
 篠原が発砲するが、佐伯には当たらない。元住吉の街の暗闇に、佐伯の姿は溶け込むように消えていく。
「――本部、応援を頼む」
 通信端末で応援を呼んだ篠原は、忌々しそうに佐伯が消えた方角を睨みつけていた。

 

真希菜、ザナンジェ、篠原の三人は、佐伯の追跡のため、隔離エリアの北端まで来ている。
 監視ドローンにより、佐伯が隔離エリア北端にある建物に入っていく姿が捉えられていたのだ。
「真希菜ちゃん、ムリしてついて来なくてもいいんだよ」
「篠原さん……わたし、どうしても課長を止めたいんです」
 真希菜たちの前には、金網に囲まれたコンクリート造りの小さな建物があった。建物の鉄扉は、半開きになっている。
 この鉄扉の奥には、隔離エリアの地下空間へ繋がる階段があった。
「ねぇ、真希菜ちゃん。あたしは資料でしか見たことないんだけど、この先は地下放水路なんだよね?」
「はい……。わたしも、赴任前に見た資料程度の知識しかないんですが、地下放水路になっているそうです」
 川崎市と横浜市における土壌汚染の発生から五十年後。多摩川の堤防が老朽化し、元住吉近辺は、大雨の際に浸水の被害が出るようになった。
 その対策として、元住吉隔離エリアの地下に、大規模な地下放水路が建造されたのだ。
 佐伯が逃げ込んだのは、この地下放水路の中だった。
 真希菜たちは、篠原を先頭にして長い階段を下っていく。
 下り終えた先には、広大な空間が広がっていた。
 空間を支えるための円柱が無数に屹立し、真希菜には、まるで地下神殿のように見えた。
「なんて広さなの……」
 真希菜の驚く言葉に、ザナンジェもうなずく。
 真希菜は、円柱にもたれかかるように立つ、佐伯の姿に気付く。
 篠原のナイフで負傷した右手には白い布が巻かれ、血でまだらに染まっていた。
「課長っ!」
「早瀬――なぜ追ってきた? わざわざ公安に付き合うこともあるまいに。残念だよ、これでお前まで殺さないといけなくなったじゃないか」
「真希菜ちゃん、下がっていて」
 篠原が、真希菜を自分の後ろにかばうようにして佐伯と対峙する。
「公安が、こんな地の底までご苦労なことだ」
「応援もすぐに来る。諦めて投降しなさい」
 拳銃を構えた篠原に、佐伯は腰を沈めるような仕草を見せた。
 スタングレネードを警戒して身を固くした篠原をあざ笑うかのように、佐伯は巨大な円柱の影へ逃げ込んで行く。
 慌てて追いかけた篠原の目に飛び込んできたのは、鋼鉄のフレームに身を包んだ佐伯の姿だった。
 耳障りな稼働音を轟かせながら篠原たちへにじり寄ってくるそれは、前橋重工製の土木用ロボットスーツだ。
 もともとは、人間が重量物を持ち上げる際の補助機械として開発されたロボットスーツは、あらゆる産業用途に発展していき、土木工事の作業員が装着するタイプのスーツは、特に頑強な造りになっている。
 篠原は一瞥すると、瞬時に危険を悟った。
 本来は土木工事用の機体を、対人殺傷用に違法改造を施した痕跡がうかがえたからだ。
 佐伯の体は分厚い装甲に覆われていて、唯一生身が見えているのは、透明の強化パネルが取り付けられた両目の部分だけだ。
 まるで、重厚な甲冑のような威圧感を放っている。
 機体の右腕先端部に取り付けられたガトリングガンが鈍く光り、その存在を静かに誇示する。左腕の先端部にも、必要以上に無骨な拳が鈍く光る。
 篠原たちは佐伯を追いつめたつもりが、逆に切り札の隠し場所に誘い込まれていたのだ。
 ロボットスーツの右腕が持ち上がる。
 ガトリングガンが轟々と咆吼をあげて、篠原の近くのコンクリートの床に無数の穴を穿つ。
 篠原は、放置されている廃材によって作られた小さな山に身を隠し、銃弾の雨を回避する。
 拳銃とガトリングガンでは、火力の差は圧倒的だ。
 正面からやり合ったのでは、勝ち目はない
 篠原は頭を低くしたまま、廃材の山から抜け出す。
 篠原へ向けられたガトリングガンが、再び唸りをあげる。
 篠原は、スーツの内ポケットから取り出したナイフを瞬時に投擲。
 ナイフは、ガトリングガンとロボットスーツを繋ぐケーブルを切断した。
 ロボットスーツからの制御信号が途絶え、ガトリングガンは沈黙する。
 対人用の改造が急ごしらえだったのだろう。ケーブルが剥き出しで露出していたのは、大きな弱点だった。
 ――バシュウッッ!――
 用済みになったガトリングガンがパージされ、けたたましい金属音とともに床に落下する。
 佐伯は、左腕先端の対人用ショックナックルを起動させ、紫電を纏わせた機械の拳を振り上げる。
 拳が振り下ろされる直前、篠原は佐伯の左肩を狙って発砲。
 ショックナックルを制御するケーブルが、左肩の装甲の隙間に少しだけ露出しているのを狙ったのだ。
 銃弾は装甲をかすめただけで、ケーブルには当たらない。 
 機械の拳を打ち下ろされた篠原は、バックステップでかわす。
 だが、拳はコンクリートの床を破砕し、その衝撃で吹き飛んだ破片がバックステップ中の篠原の全身を打ち据えた
「――ぐぅっ!」
 負傷した篠原が床に倒れ込み、落とした拳銃が床を滑っていく。
「篠原さんっ!」
 真希菜の絶叫に、篠原は反応しない。
 次の獲物を探す佐伯のロボットスーツが、真希菜の方を向いた。
 真希菜は、自分の近くの床に篠原の拳銃が落ちているのに気付く。とっさに拳銃を拾い上げ、佐伯に向ける。
「拳銃なんて使えないだろう? 早瀬」
 佐伯のあざ笑う声が、ロボットスーツのスピーカーから響く。
 真希菜は、握り締めた拳銃のトリガーに指をかけるが、粘り着くような重さと恐怖を感じ、トリガーを引き絞れない。
「真希菜さん――10秒、僕に時間をください!」
 ザナンジェが真希菜に叫ぶ。
「何をする気なの?」
「今から、あの機械の弱点を探します」
「探すって……どうやって?」
 ザナンジェは答えず、両目を大きく見開く。
「時間をくれっていったって……あぁ、ほんとにもう!」
 やぶれかぶれになった真希菜は、思い切ってトリガーを引き絞る。
 ――ガァンッッ!――
 運良くロボットスーツの左足に命中したが、弾丸は装甲にわずかな凹みをつけただけだ。
「早瀬。こいつはその豆鉄砲で壊せるような機械じゃないぞ」
 佐伯の勝ち誇った声に、真希菜は唇を噛み締める。
「真希菜さん! そいつの腰の後ろを狙ってください!」
「腰の後ろ? 無茶ぶりしてくれるじゃないっ!」
 真希菜は佐伯の真横に回り込むと、腰を狙って再び発砲。
 だが、佐伯は機体の向きを瞬時に変えて、腰を死角にする。
 外れた銃弾が、背後の円柱に当たった。
「覚悟しろ、早瀬。このショックナックルの高圧電流なら、一瞬であの世へ行ける。痛みを感じる暇もないだろう」
 真希菜へにじり寄る佐伯。
 真希菜は拳銃を発砲。今度は右胸の装甲に着弾したが、またわずかに凹みをつけるだけだ。
「うわぁぁっ!」
 真希菜は無我夢中で叫びながら、発砲、発砲、発砲。だが、どれも佐伯の動きを止められない。
 そして、マガジンが空になる。
「終わりにしよう、早瀬」
 ショックナックルが唸りをあげて紫電を纏う。
 振りかぶったショックナックルを目掛けて、真希菜は拳銃を投げつけた。
 佐伯は冷笑を浮かべながら、ハエを払うかのように、ショックナックルで飛んできた拳銃を跳ね飛ばす。
 その瞬間、真希菜が佐伯に向かって、正面から疾走を開始する。 疾走後にスライディング体勢になった真希菜は、ロボットスーツの股の下を滑り抜けて、機体の背後を取る。
 真希菜はズボンの尻ポケットから、篠原にもらったスタンガンを取り出すと、機体の腰の出っ張りに最大出力で突きつける。
 白い閃光が一瞬だけ生じ、ロボットスーツは盛大に白煙を吹き出しながら崩れ落ちた。
 稼働停止したロボットスーツから、火傷をした佐伯が這い出してくる。
 立ち上がろうとした佐伯を、眼前に立ちはだかった篠原が蹴り飛ばし、床に這わす。
 篠原は即座に佐伯を床に押さえつけて、両手首を結束バンドで締め上げる。まだ暴れる佐伯に肘鉄を食らわせてから、両足首も結束バンドで固定する。
 ようやく観念したのか、佐伯は動かなくなった。
「篠原さん! 大丈夫ですか?」
「真希菜ちゃん、お手柄だよ。あたしがあげたものを、しっかりと活用してくれたじゃないか」
 篠原が、傷ついた顔に笑みを浮かべる。
 遠くから、4人の男たちが走り寄って来た。
「遅いよ、あんたたち」
 篠原が呆れたような声を発すると、男たちは申し訳なさそうに身を縮こめる。
 篠原が呼んだ応援が、ようやく到着したのだ。
 ザナンジェも、篠原と真希菜の所へ歩み寄ってきた。
「真希菜さん、お見事でした」
「やるじゃないザナンジェ! って、どうしたのそれっ!?」
 ザナンジェの両目の端から出た血が、まるで涙のように頬を流れている。
「――力を使った代償です」
「……力? なんなのそれ?」
「ディゴーレには、地球人にはない能力があります。それぞれのディゴーレで全く異なる能力なのですが、私の場合は、エネルギーの流れを漠然と認識できる能力です」
「エネルギーの流れ……それを使って、ロボットスーツの弱点が分かったってこと?」
「そうです。ロボットスーツの腰から、エネルギーが機体の全体に循環していくのが感じられました。なので、そこに動力源があると推測したんです」
「そうだったの……それで、その血はいったい?」
「力を使った代償です。数秒だったので、この程度で済みましたがね。もし連続で一分も使えば、代償は僕の命になるでしょう」
「そんな危険な能力なんて……」
 絶句する真希菜に、ザナンジェは微笑を浮かべる。
「僕は、真希菜さんを助けられて、良かったですよ」
 篠原は、なにやら見つめ合う真希菜とザナンジェを尻目に、服についた埃を手で払う。
「やれやれ、さすがに徹夜で疲れたわ。後始末もあるから、あたしはお先に失礼させてもらうわね。気が向いたら、またメンチカツでも買いに来てちょうだい」
「篠原さん。助けてくれて、ありがとうございました」
 篠原は、気にするなとでも言うように、真希菜へ手をひらひらと軽く振る。 
 部下たちに目配せしてから、篠原はその場を去って行く。
 篠原の部下たちが、床に押さえ込んでいた佐伯を引き上げるように立たせる。
 佐伯は真希菜を見つめてから、開口する。
「……早瀬。この先、ディゴーレの移民が増えていけば、いつか必ず、自分のした仕事を後悔する日が来るぞ」
 佐伯は出口へ歩くよう促され、真希菜のそばを通り過ぎる。
「――移民審査官は、移住を希望するディゴーレを、誠実な目で審査することが職務です。わたしはその職務を、これからも責任を持って遂行します」
 真希菜のその言葉に、佐伯は無言だった、
 佐伯は真希菜を横目で凝視してから、出口に繋がる階段へ消えていく。
 近くにいるザナンジェが、真希菜へ言いにくそうに話しかける。
「真希菜さん……なんて言っていいか……」
「わたし、この隔離エリアで暮らし始めたとき、嫌で嫌で仕方がなかったの。どうして異星省なんかに出向になったんだろうって、毎日落ち込んでばかり。地球内の移民問題を解決する仕事がしたかったのに、希望とは全然違うディゴーレの移民問題に関わる仕事を言い渡されるなんて、自分の全てを否定されたような気持ちだったの」
 真希菜は、ザナンジェの顔を静かに見据える。
「でもね。最近、この仕事のやりがいが少しわかってきた気がするの。未来へ夢を抱くディゴーレもいて、それは人間と同じなんだなって感じたのもあるし」
「……真希菜さん」
「あっ、だからって、あなたの審査を緩くする気は一切ないんだからね! まだ、移住の許可が下りるまで半年以上あるんだから、気を抜かずに品行方正に生活すること! そして、よりいっそう美味しいから揚げ作りに励むべし!」
 ザナンジェは、苦笑いをしながら頷く。
「そう言えば、別れ際に言い忘れてたことって、何だったの?」
「えっ? それはあの……忘れちゃいました」
 赤面するザナンジェと、訳がわからないという顔の真希菜。
  
 真希菜とザナンジェが長い階段を上がって地上に出ると、朝日が昇り始めていた。
 元住吉隔離エリアで、新たな一日が始まる。
 人間とディゴーレの共存の行く先は、まだ誰にもわからない。

 

(了)

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