梗 概
完全なる眼差しの持ち主
ぼくらの一番古い記憶は、ぐずぐずするところから始まる。
初めに、つがいがいた。ぼくらだ。
まだ、宇宙がずっとずっと若かった頃だ。ぼくらが住む星も小さかった。二歩あるけば、相手にぶつかった。ぼくらは、つかず離れず、ぐずぐずしていたが、互いに観察を始めた。
これが楽しい。
ある日、ぼくらはまぐわった。
子が生まれた。
ぼくらは子をよく観察した。子にいろんな芸を仕込んだ。子は賢かった。お手を覚えた。エサの時は、伏せも出来た。少しだけ前向きな気持ちも与えた。
そのうち、他の星が近くを通りかかった。軌道が近づくにつれ、興奮は高まった。ぼくらは二人で子を抱き上げると、その星に向かって、子を投げ飛ばした。子はうまく星につかまった。
ぼくらは、少しだけ寂しかった。軌道が離れていく子を観察し続けた。観察する楽しみからは逃れられないのだった。
ぼくらは、子がいる星を「ZOO」と呼んだ。
遠くから眺め、目を細めていた。ZOOに軌道が近づいた時など、ミカンをひょいひょいっと投げ込んだりした。子は喜んで、それを食べた。
子はZOO内で、全く新しい相手を見つけて、つがいになった。子が生まれると、えさを与え、芸を仕込んだ。この子が成長すると、つがいはまた、近づいてきた星に向かって、子をぶん投げた。星は去っていったが、ZOOは広がった。ZOOの子はまた子を生んで、ぶん投げた。こうしてZOOはどんどん広がっていった。ぼくらは、ZOOをずっと見て楽しんだ。時折、ミカンをひょいひょいひょいっと投げ入れ、時にはポテチもまたバラバラバラっと投げ入れた。
そうして、2百億年が経った。
ZOOじゅうの星は群れを成し、星雲となっていた。子と子、星と星、星雲と星雲がぶつかり合ったり、ZOOに穴が空いたりもした。ZOOには、今やミカンやポテチの代わりに、未知の化学物質や星の音楽やイカヅチの柱や忘れ物の傘や人工のタピオカ芋が投げ込まれた。
広大なZOOの端のほうにある大きな星雲の中に、嘘みたいに青い星が一つあった。
ここには少なく見積もっても数十億匹の子が住んでいた。みな、ここがZOOであることも、ぼくらが観察していることも忘れていた。
ここに、あるつがいがいた。
つがいの子はずんずん成長して、ある日他の星へ放り投げられた。
しかし、子はうまく星につかまれず、ZOOのもくずとなった。
つがいは長い時間、自分自身を責めたが、次の長い時間、互いを責めた。各々相手を、他の星へぶん投げようかとも考えた。結局、各々、小さな体の自分の内部に閉じこもるしかなかった。
ある日、自分たちの姿に似せた木像を彫った。
一つずつ持ち寄ると、それらを並べた。手を合わせ目を閉じ、頭を垂れた。
ぼくらは天の果てから、自分たちに似た木像を観ていた。こんなに楽しいことはなかった。楽しさは、初めの頃の比ではなかったのである。彼らのために、「言葉」をこしらえてやった。ぼくらは、観られ始めた。
文字数:1200
内容に関するアピール
「もし宇宙全体が誰かが楽しむための動物園だったら?」
との、ごく個人的な宗教的宇宙観に基づき、
宇宙=ZOO創生から、信仰の萌芽、神話の誕生までを描いた、神視点ナンセンス風SF。
神は、なんでも楽しむ。眺めて楽しんで暮らしている。悲しいとか苦しいとか可哀想とか、ひっくるめて楽しんでいる。
ビッグバン宇宙論の容赦ない感じと、いろんな宗教の創世神話のもつウェットな感じとのずれに、十代の頃から違和感をおぼえていたのです。
SFって自由。
そう感じてもらいたいのが主眼です。
【課題について】
①「エンタメ誌」
さらっと読める寓話調で、非SF読者を引っ張り込む
さらっと楽しく読めて、へんてこで、つかめそうでつかめない何かを感じてもらう
②「なんかスゴイ!」
なんかスゴイ! という読後感を与える
③「新人SF作家」
読者は、新人作家に未知のものを期待する
④「小説つばる」「稲松」
パロディとして、「真面目ふざけた」お題を、一緒に遊ぶ
文字数:400