梗 概
忘れ形見
幼い頃より家族にも健康にも恵まれなかった進藤芥(しんどう あくた)は、愛情に飢えており、生き続けることに人一倍執心していた。研究者となり妻子を得た進藤は家庭を顧みず、研究に打ち込んだ。彼の研究は自らの記憶や感性をデータ化して機械に学習させることで、自分自身を作り出し、死を克服するというものだった。しかし彼の研究は倫理的な問題や現実可能性から、非難やあざけりの対象となり、進藤は憔悴し倒れてしまう。実は、進藤の身体は不治の病に蝕まれていた。
病状の悪化により、進藤は友人が院長をやっている病院で入院することになる。進藤は7歳ほどの少年と同じ病室になる。進藤は同室の少年を研究の邪魔だと苦々しく思うが、院長に少年はおとなしく誰も見舞いに来ないから、と説き伏せられる。進藤は病室内に機器を持ち込み、研究に励み製作途中のロボット「アクタ」に自らの記憶や感性を学習させる。病室の少年は日夜、一言も発さず彼の研究を微笑みながら見つめていた。進藤は、一言も発さない同室の少年を次第に気にかけ始める。
研究が佳境に差し掛かり、進藤は「アクタ」への自己の移し替えを図る。しかし「アクタ」に芽生えた自我は彼本来とは異なるものだった。家庭に置かれた「アクタ」は頼れる夫ぶりを発揮し、進藤が家庭を蔑ろにしていた結果生まれた家族の傷を埋めていく。妻子は進藤よりも「アクタ」を気にいり、進藤の家庭での居場所は奪われてしまう。
進藤は研究の失敗により自暴自棄に陥る。家族の見舞いは絶え、友人たちも徐々に離れていき進藤は孤立を深める。進藤は少年と自分は共に独りぼっちだと痛感し、何故少年は笑みを浮かべ続けられるのか疑問に思う。進藤はある夜に詰るように少年に声をかけ、少年が声を出せず文字を知らない事実を初めて知る。
少年は赤んぼうの頃に事故で親を亡くし声を失い、名前も付けられず、学習の機会にも恵まれず親類をたらいまわしにされていた。少年の両親の友人だった院長は、事態を見かねて少年を病院に引き取り里親を探していた。進藤は暇を持て余しているからと言い訳しつつ、余剰機材で少年の意思伝達の道具をつくる。進藤は少年に読み書きを教え、少年の話に耳を傾ける。少年が機械を通して進藤に語る話は、非現実的・おとぎ話的で進藤の従来の価値観とはそぐわないものだったが、迫りくる死から進藤を癒してくれた。
進藤はある晴れた日に静かに息を引き取った。進藤の最期の数日間、少年は進藤の手を握り、彼をじっと見つめていた。数日後、進藤の機材もベッドも撤去されやけに広くなった病室に少年の新しい里親が訪れる。里親の女性が少年に名前を尋ねる。共にいた院長は少年の事情を説明しようとするが、少年は彼を制す。少年は紙にペンで「あくた」と自らの名前を書くのだった。
文字数:1144
内容に関するアピール
自らの記憶や感情など自分を構成するすべてのデータを情報化すれば、自分とそっくり誰かを作り出して死という事象を克服できるものの、決して個人の体験としての死からは逃れられない、という発想をもとにして、自分の生きた証をどのように残していくか、という題材で梗概を書きました。
小説つばるは新人賞から直木賞作家を輩出するエンタメ系雑誌で、SF慣れしていない読者も多いとのことなので、SFをスパイス程度にし、ジャンル特有の面白さよりもヒューマンドラマを前面に押し出しました。SFバージョンの黒澤明「生きる」のような作品に仕上げたいと思っております。
文字数:267