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詩集音

まずはゆっくりと、次の一文を無言で読み上げて欲しい。
「音」という文字を無言で読み上げれば、「オト」という無音が内耳で鳴る。

速読は多くの情報を零す、
ひとつの詩を噛み締めるように読み上げるならば
その目は豊かな海を飲むだろう。
文字は視神経を通り、鼓膜と内耳の間において、音なき無数の音を鳴らす。
言葉(エクリチュール)は音とリズムと色から成り、
多彩で複雑な海をつくる。

思考は唯一の無音の音響。
詩とは内耳で再現される
研ぎ澄まされた「無音の音楽」、色鮮やかな幻想だ。

祈りにも似た黙読は、有声であり無声の反復。

音楽は鳴る、詩は黙する。
オーケストラは音を奏で、鑑賞者は目を閉じる。
詩の読み手は目を開き、読み手自身が詩句を歌う。

どちらもリズムの運動だ、音楽は複合的に進行する。
音の海、色彩の洪水は、認識界のすべてを飲む。
我々の世界は「内耳」にある。

海、幻想、風景、音。

内耳と外界はヘッドフォンによって断絶される。
詩や音楽の海に浸るとき、
その外側ではあらゆる音が鳴っている。

都市に反響し折り上がるノイズ、
町や鳥が奏でる静かなノイズ、
聞き流した音たちは「外耳」によって聞こえている。

海に鳴るさざ波の反響音は思い出の遠くを叫び寄せる。
それは内耳によって聴こえている。

何の反復も、何の想像的な修飾もなく音楽を聞くならば、
それはただ外耳に聞こえてくる画一的な波(パターン)に過ぎない。
内耳において反復されない音はすなわちノイズである。

波の音は思い出に寄り添い、リズムのゆらめきは反復する。
すべては音の聴き方の問題だ。
多くの詩や音楽を飲むよりも、一つの観念に複数の色合いを見出すこと。
諸々の矛盾する解釈は真に多義的な輪郭をつくる。
我々が心を開くなら、音は内耳で反復されることで多色に染まり、ノイズも淡い液となって耳へ流れる。
反復とは差異の生成である。

詩には詩の、音楽には音楽の、
それぞれの感触がありそれぞれの輪郭が伸びていく。
それらの観念は重なることで、より淡く鮮やかな立体(ミュージック)を形成するだろう。
音楽は詩のために、詩は音楽のためにある。
音楽とはひとつの詩であり、詩もまたひとつの音楽なのだ。
二つの聴き方が統合され、「複合イメージ」が発色する。
有声と無声、音響と無音、
重なる二つのゆらめきの反復。

内耳で音を「反復」させること。
音を文字のように目で「読む」こと。

詩を読むときに無音の音楽が聴こえ、
音楽を聴くときに無形の詩/文字が視える。

音楽はもはや内耳において無音で反復される抽象と化し、
詩はもはや演奏を伴う音楽の物象として内耳で鳴る。

音楽は詩に、詩は音楽の様相へと変容し、
二つは記憶(イメージ)となって一つの複合物へと融立する。
その新しい聴き方はあらゆる感覚をうつくしく彩りながら媒介し、
すべては内耳でゆらめきながら反復され、複数の色や輪郭が立ち上がっていく。

涙が滲めば世界は液に閉じ込められる。
内耳で揺らめく音の海は、風景を多色に染め上げる。
眼球の裏側に、現実の視界に、そして内耳に、想像の空間を立ち上げる。

いま、想起するすべての観念が形を成し、色を有し、
すべてが淡く鮮やかな輪郭の根となって伸びていき、
無形や不在の錯綜する空間に、
遠沖の海の音が聞こえてくる。

あらゆる多色、液状の鉄、拡散する根、淡く鮮やかな緑色、意味のエメラルド、少女の不在、反動と忘我、瞬間と呼吸、褪せた黄の硝子片、記憶喪失、異空間を成す劣色、憂鬱の視界(スクリーン)、複雑な輪郭、断続的な映像が、ゆらゆらと溶けあっていく。生も砂も一瞬も、写真に変わり続けることで私に溶ける。
詩と共に、音と共に、あらゆる色や諸芸術と共に、
それらを束ね、拡げ、立ち上げるとき、無限にゆらめく「海」が視える/鳴る。

 

 

 

『地獄の格言』 著:ウィリアム・ブレイク 訳:松島正一

種蒔く時に学び、収穫の時に教え、冬に楽しめ。
死者の骨の上に汝の荷車を駆り、汝の鋤をとおせ。
過剰の道が知恵の宮殿に通ずる。
慎重とは無能に求愛された富める醜い老女である。

欲望を抱いても実行しない者は疫病を生む。
切られた虫は鋤を許す。
水を愛する者は川に浸せ。
愚者は賢者の見る同じ木を見ない。
光を放たない顔をしている者は決して星になることはない。

永遠は時間の産物を恋している。
忙しい蜜蜂は悲しみにふける時間がない。
愚鈍の時間は時計で計れるが、知恵の時間はどんな時計でも計れない。
健全な食べ物はすべて網や罠なしで得られる。
飢餓の年に数と量と尺を持ち出せ。

自分の翼で舞い上がる鳥は高く舞い上がりすぎることはない。

死体は虐待に復讐しない。
最も崇高な行為は他人を先に立てることである。
愚者もその愚に徹すれば賢くなるだろう。

愚鈍は不埒な行為を包む外套である。
羞恥は高慢の外套である。
監獄は法律の石で造られ、売春宿は宗教の煉瓦で建てられている。
孔雀の高慢は神の栄光である。
山羊の情欲は神の贈り物である。
獅子の怒りは神の知恵である。
女性の裸体は神の作品である。
悲しみの過剰は笑う。喜びの過剰は泣く。
獅子の唸り声、狼の吼え声、荒れ狂う海の怒号、殺人の剣は、人間の眼には偉大すぎる永遠の部分である。

狐は罠をとがめても自分はとがめない。
喜びは孕む。悲しみは産む。
男には獅子の毛皮を、女には羊の毛衣を着せよ。

鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情を。
利己的で微笑をたたえた愚者と不機嫌でしかめ面の愚者とは、鞭の道具とされるために両方とも賢者と思われている。

今証明されていることもかつては想像されただけであった。
鼠、鼠、狐、兎は、根を見張るが、獅子、虎、馬、象は、果実を見張る。

水槽は蓄える。泉は溢れる。
一念は無限を満たす。
常に心に思うことを進んで語れば、卑しい人はあなたを避けるだろう。
信じることのできるものはすべて真理の像(イメージ)である。

鷲は鴉から学ぼうと身を屈した時ほど、多くの時間を失ったことはない。
狐は自分のために備えるが、神は獅子のために備える。

朝には考えよ。昼には行なえ。夕べには食べよ。夜には眠れ。

相手が自分につけ込むのを許した人は、相手をよく知っている。
鋤が言葉に従うように、神は祈りに報いる。
怒れる虎は教育された馬より賢い。

溜まり水は毒だと思え。
十分以上を知らなければ、十分を知ったことにならない。

愚者の非難を聞け! それは堂々たるお題目だ!
火の眼、風の鼻腔、水の口、地の髭。

勇気の弱い者は狡智に強い。
りんごの木は橅に生長の仕方を尋ねないし、獅子も馬に獲物のとり方を尋ねない。

感謝して受ける者は豊かな収穫を得る。
他の人が愚かでないなら、われわれが愚かなのであろう。
すてきな歓びの心は決して汚されない。
汝が鷲を見る時、汝は天才の天才の一部を見ている。汝の頭を上げよ!
青虫が卵を産むために一番美しい葉を選ぶように、僧侶はその呪いを一番美しい喜びにかける。

小さな花を創ることも幾年にもわたる仕事である。
呪われると引き締まる。祝福されると弛む。
最高のワインは最も古く、最高の水は最も新しい。

祈りは耕さず! 賛美は刈らず!
喜びは笑わず! 悲しみは泣かず!
頭は崇高、心臓は熱情、性器は美、手足は均斉。

空が鳥の、海が魚のものであるように、軽蔑されるべき者には軽蔑を。
鴉はすべてのものが黒ければよいと、梟はすべてのものが白ければよいと思った。
過剰は美である。
獅子が狐の忠告を聞けば、彼は狡猾になるだろう。

改善はまっすぐな道をつくるが、改善されない曲がった道が天才の道である。
実行しない欲望を胸に抱いているくらいなら、揺籃のなかの幼児を殺せ。
人間のいない所、自然は不毛である。
理解されるように語られても信じられない真理というものはありえない。
十分に! または十分以上に。

文字数:3119

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