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何が「音響小説」と呼ばれるか

 いうまでもなく、小説とは音響の芸術である。たとえば「まぁ、なんと素敵ですこと!」という一文を読むとき、読者は必ずこの一文に付与されたアクセント――純粋な喜びからくる浮かれた調子か、侮蔑にまみれた皮肉っぽい調子か――を頭の中で再生する。無論、小説が書かれたものである限り原理的には「まぁ、なんと素敵ですこと!」という言葉のアクセントを一つに定めることはできない。しかし、多くの読者は文脈をもとに多々あるアクセントの可能性から一つのアクセントを決定し、そうでない読者は多様にありうるアクセントの混在とさまざまな読みの可能性を楽しむだろう。
 このような小説と音(アクセント)の問題を発展させ「音響」を小説における批評的な視座にまで高めたのは、周知のとおりミハイル・バフチン(1895~1975)である。「ポリフォニー」という概念に代表される彼の「小説の哲学」においては、登場人物の独白から語り手による描写・状況説明に至るまで、すべての言葉がアクセントをもった「声」として捉えられる。バフチンの分析の焦点は、まさに小説の中に響く種々雑多な声(語り手の声、登場人物の声、モデルである過去の小説の声…)同士の絡み合いに定められており、そのような絡み合いの理想形として挙げられていたのが「ポリフォニー」である。このように「音響」(声の響きあい)という視座は二十世紀の前半においてすでに確立されていたのだが、にもかかわらず現代においてその発展形を見ることは難しい。
 それどころかバフチンの理論の発展形としてあげられるのは、「間テクスト性」という所謂ポスト構造主義者たちの理論や「中心/周縁」理論という文化人類学者たちの理論が主である。かろうじて「間テクスト性」は小説とかかわる事項ではあるが、「作者が十全な声をもって能動的に登場人物たちと対話する」というバフチンの小説論と、多くのポスト構造主義者たちの小説論の間には埋めがたい溝があるだろう。このようにバフチンの定位した「音響」という視座は、彼が後世に与えた影響の大きさにもかかわらず、忘れられてしまっている。
 しかし、「音響」という視座が常に先鋭的な問題であり続けたジャンルが日本にはあった。それが、島崎藤村の『破戒』(1906)をメルクマールとして成立した「差別」を扱う文学群である。本稿においては「差別」を扱う文学群を便宜的に「被差別文学」と呼称するが、ここで問題とすべきなのは「被差別文学」がほとんどの場合差別される側に対して同情的な目線を向けているにもかかわらず、しばしば被差別者を無自覚のうちに差別してしまっているという事実である。小説が被差別者を描くことそれ自体がしばしば差別的になってしまうことについて、例えば渡部直己は「対象の個別的な多様性具体性を捨象して、それを限定されたイメージのうちに還元し封印すること。(中略)固定した『イメージ』のうちに対象を表象することは、取りもなおさず、その対象を観念的に支配することにほかならない」(注1)と語る。このような被差別者について語る小説家の言葉が、しばしば差別者が用いる紋切り型に侵され、その結果小説に描かれた被差別者が差別者から見た被差別者にすぎなくなってしまうという事態は、実は「声」の問題であり、バフチンの用語に翻訳すれば「モノフォニー」にあたる。つまり被差別文学の問題とは、被差別者が「作者の言葉(紋切型)の客体」でしかなく、それゆえに「自立しており融合していない声や意識、すなわち十全な価値をもった声」(注2)として自己主張していないという状態にあり、言い換えるならば被差別者の声が作者の声(紋切り型)によってかき消されてしまうという「モノフォニー」的な状況にこそある。

 無論、ほんのわずかではあるが「モノフォニー」的な状況に抗することに成功した「被差別文学」もある。本稿はここで、そのような作品たちを「音響小説」と呼ぼう。では、何が「音響小説」と呼ばれるか。

 先に引用した『日本近代文学と〈差別〉』において渡部直己は、中上健次に「紋切り型」への抵抗の可能性を認めている。「中上の文学風土には如上まず、敵の紋切型の大胆な剥奪があり、剥奪を介した〈賤と選〉の壮大な逆転が描かれ、さらには、まさにそれらの基底をも揺るがす不均衡を身をもって生きる人物がある」と語る渡部は、近代文学がその起源から「常ならぬものにたちこめる劇的な落差」を求めつづけてきたという事実や、紋切り型の「共有可能性の高さ」によって「物語の根は絶えず〈差別〉を求める」という事実を暴き出し、それゆえに起こる「代表=代行」、つまり被差別者の「抽象化や均質化」に対して「生々しい差異の突出」をもって抵抗する中上を高く評価した。しかし『地の果て 至上の時』(1983)に代表される中上の「差異の突出」が、実は「声」の問題であり続けていたことを渡部は見逃している。

声を掛けたくないし、声を掛けてはならない、いや、止めさせなくてはならない、自分がいるここに引きとどめなければならない、と錯綜し、自分は一体、その影の何なのか、その影は自分の何なのか?と思った。一瞬、声が出た。秋幸は叫んだ。その声が出たのと、影がのびあがり宙に浮いたように激しく揺れ、椅子が音を立てて倒れたのが同時だった。「違う」秋幸は一つの言葉しか知らないように叫んだ。(『地の果て 至上の時』)

このシーンは前作『枯木灘』における「父殺し」の物語を再演しようとする秋幸の前で、「影」と呼称される父・浜村龍造が突然自死してしまうという、『地の果て 至上の時』のクライマックスである。渡部は「影」を「被差別(「路地」内の差別をも含む)の殺伐とした現実を露呈しながら卑小化し、その殺伐さに還元されて死んでゆこうとする」存在ととらえ、一方の秋幸を「いかなる同一性にも還元されぬ」「徹底した可変性」を持った存在であり、かつ紋切型を押し付けられる存在でもあるという「非対称」な人物としてとらえた(注3)。ここで渡部が見逃しているのは、「紋切型」によって死ぬ父と「紋切型」に抵抗しうる「可変性」(=「差異の突出」)を持った秋幸との差異が、「多声性」(バフチン)という観点をもって真に理解されるということである。

秋幸が浜村龍造と行ったのは山だと、秋幸の手下になった若い衆は言ったが、モンは違うと首を振った。モンは浜村龍造が秋幸をつれて浜そばの寺に入り、昔、浜村孫一が落ちてきたときに連れて来た手勢を先祖とする住職や町会議員に引き合わせたと思った。浜村龍造の事だから浜村の傍系の者や手勢の血筋の者にひそかに招集をかけ、喫茶店か料亭にさりげなく待たせているのかもしれなかった(『地の果て 至上の時』)

秋幸と龍造についてのこの入り組んだ語りが、「秋幸はモンに、料亭にも喫茶店に行かなかった、浜村龍造と別れ、ただ有馬のジジの小屋に泊まったと言った。」という一文によって閉じられていることを忘れてはならない。一つの出来事が、三つの異なった視線――若い衆、モン、秋幸――から語られるという事態はもう既に多声的であるのだが、ここで問題とすべきなのは、秋幸の「声」が秋幸(と龍造)について語る他者(モンと若い衆)からの「声」に抗する、異議申し立てとなっている点である。つまり、外部から秋幸を規定しようとする声、しかも父―子という血筋に基づいた紋切型な理解でもって規定しようとしたモンの声に対して、「ただ有馬のジジの小屋にとまった」と言う秋幸の「声」は、それだけで既に紋切型への抵抗として理解しうる。このように紋切型に対する「差異の突出」という中上の闘争は、「声」の次元においても語られる必要があるのだ。
 すると「紋切型」に還元され死んでしまう「父」に対して「秋幸」が「違う」としか声を掛けられなかったというラストシーンには、「音響小説」としての限界が表現されているといえるだろう。秋幸は自らを紋切型から差異化する「声」を持っている。しかし、他者を紋切型から差異化するための言葉を持っていないからこそ、ただ「違う」と叫ぶことしかできない。『地の果て 至上の時』においては、被差別の当事者による闘いは行われるが、被差別者のための闘い、つまり他者を差異化するための闘いはその不可能性が語られているのみなのである。

 被差別者である他者のための闘いという、中上ですら放棄した闘争を行い「音響小説」の域に達した作品こそ、李良枝『由熙』(1989)である。登場人物である李由熙が在日韓国人であり、韓国と日本のどちらをも「祖国(우리나라) 」と認識できず、また韓国における反日感情と日本における反韓感情の間で引き裂かれ続けているという設定が、作者である李良枝の境遇と重なり、ややもすれば「私小説」ともとらえられかねない『由煕』であるが、この作品の卓越している点は李由煕が視点人物におかれず、それどころか心内描写すら一度も行われないまま、徹頭徹尾語り手にとっての他者として描かれている点である。
 心内描写が行われないために自己規定を行えない由煕を、何らかの紋切型によって規定しようとする「声」は、作品の中に複数存在する。その中でも顕著なのが由煕の行動を描写しその行動に意味を付与する語り手の「声」と、「在日韓国人」というレッテルのもとに由煕への質問を繰り返したかつての下宿先の人々の「声」、そして当初は偏見にまみれていたものの、徐々に由煕と紋切型の違いを理解していく叔母の「声」である。一つ目と三つめの「声」について見てみよう。語り手は当初、由煕の引っ込み思案な性格を見て「親近感」を感じ、その後も由煕の行動に対し逐一「自分にも心当たりがあった」などと語る。語り手の「声」とは由煕と自分とを同一化させようとする声であり、それゆえ由煕の未知の部分――とりわけ日本語――を過剰なまでに忌み嫌う。それに対して叔母の声は、当初は「在日韓国人」という言葉から想起されるイメージをもって由煕を規定しようとする「声」であったが、徐々に偏見を払しょくしていき、最終的には「日本も韓国も変わりない。人がどう生きていて、自分がどう生きていくかを見つめるのが大切」という結論を下す。つまり叔母は、由煕それ自身を見つめ、紋切型ではない規定をしようとする「声」である。もっとも、「日本人」や「韓国人」に対するステレオタイプ的な認識は、最後まで払しょくしきれないのだが。
 このように叔母と語り手が語る=規定する「由煕」には、幾分かずれがある。ここで問題とすべきなのは、そのずれのあり方である。語り手と叔母が由煕について語り合う三つの場面を比較しよう

確かに違っていた。
叔母が知らない由煕を私は見、叔母が想像すらできない由煕の言葉を聞き、それらを由煕につきつけられてきたと思っていた。

初めて聞く話だった。驚き、絶句しながら、由煕はどうして私にはその話をしてくれなかったのだろう、と叔母に対するかすかなやきもちを覚えもした。自分も叔母も、互いが知らない由煕の像を目にし、聞いていたのだと改めて思い直した。
りんごの皮を無理に厚く、切れ目の線も無理やり乱れさせながら、五センチほど切った皮を叔母の前に掲げた。叔母は笑った。今度は明るい表情で、互いがある日の同じ由煕を思い浮かべながら笑っていた。

一つ目の場面(物語冒頭)において語り手は叔母との認識のずれを、自分のほうが由煕についてよく知っているからだと認識していた。二つ目の場面(物語終盤)において初めて叔母の認識と自らの認識を対等なものと認め、三つめの場面において二つの由煕像は一致する。「由煕」には、紋切型を克服しようとする叔母の意志と、自己=由煕という認識から、多様な由煕像を認めるまでの語り手の物語がある。「由煕」が「音響小説」たるゆえんは被差別者である対象の像の多様なあり方を肯定し、その多様でありつつ「同じ由煕」であるという事実を対象を規定する存在に認めさせたという点にこそ認められるだろう。

(注1)渡部直己『日本近代文学と〈差別〉』(1994年、太田出版)
(注2)ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』1929年(桑野隆訳、平凡社、2013年)
(注3)注1に同じ

文字数:4988

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