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沈黙と不可視

ジョン・ケージは「実験音楽」(『サイレンス』所収)で、彼の「沈黙」について次のように述べている。

音には、記譜された音とされない音とがある。記譜されない音は、記譜された音楽のなかでは沈黙となって現れるが、外界にたまたま生ずる音にたいして、門戸を開いている。この開放性は、現代の彫刻や建築の領域にも見られる。ミース・ファン・デル・ローエのガラスの家はそのまわりの環境を反射し、状況にしたがって雲や樹木、あるいは草を人の目に映し出す。また彫刻家リチャード・リッポルトの針がねの構成物を見るときには、針がねの網目を通してその他の物もかならず見えるし、たまたまそこに人がいるなら、人間も見える。空っぽの空間や空っぽの時間などというものはない。見るべき何ものか、聴くべき何ものかがいつもある。実際、沈黙をつくろうとしても、つくることなどできないのだ。ある工学的な目的のためには、できるだけ静かな状況が必要とされる。こうした部屋は無響室と呼ばれており、六つの壁面が特別の素材でできた、反響のない部屋である。私は数年前、ハーヴァード大学の無響室に入って、一つは高く、もう一つは低い、二つの音を聴いた。そのことを担当のエンジニアに言うと、高い方は私の神経系統が働いている音で、低い方は血液が循環している音だ、と教えてくれた。

ケージは沈黙の不可能性を開放性へと読み替えた。ケージは沈黙を求めていた。無響室は外部からの騒音を排除するはずだから、そこには完全な沈黙があるはずである。実際にそれは部分的には正しかった。問題だったのは彼自身の身体が発するノイズであり、無響室の沈黙がそれを露わにするという予想外の結果がもたらされた。しかしここで彼は沈黙の不可能性ではなく、その開放性と出会う。そして彼は完全な沈黙を追い求めるをやめ、透明な開放性としての沈黙に注目する。この経験をもとに彼は『4’33″』という演奏が全くない曲を1952年に作曲する。
ケージの沈黙は音だけに留まるものではない。彼はガラスの家や、針金による彫刻についても同様な沈黙を見出している。透明な素材や空っぽの空間は、完全な無ではなくまわりの環境を映し出すものとして存在する。
ケージの発見とその表現は芸術にひとつの転回をもたらした。しかし、沈黙にはケージの「沈黙」しかありえないだろうか。

アートキュレーターであり、現代美術批評家・美術史家でもあるマーク・オリヴィエ・ウォラーは、2008年に開催され、彼が審査員をつとめたGEISAI#11に出展された三輪彩子の作品≪1800,1200,2400≫1について次のように述べている2

パラドックスオブジェと言える作品です。なぜなら、それは不可視で人目を忍ぶようなものであり、それに気づかず通り過ぎてしまうようなものだから。しかし、ひとたびそれに気づき、作品が実際に何を意味するのかがわかると、それは目を見張るようなものになるのです。したがってそれは逆説的な方法ですが、しかし私の考えでは、よい芸術作品とはそういうものです。

GEISAIは現代美術作家の村上隆が主催する参加型アートフェアである。無審査で出展することができ、ひとつのブースのサイズは幅1,800mm 奥行き1,200mm 高さ2,400mmである。三輪の≪1800,1200,2400≫はこのサイズからタイトルがとられている。作品はこのサイズと同じ大きさをもつ木材で出来た枠と、板で構成されている。一見して何も特別なものはない。使われている素材は透明ではないし、空間はあるけれども、針金の隙間ような繊細なものではない。これが不可視で人目を忍ぶとはどういうことだろうか。ウォラーはこの作品について語るとき、「気づく」という言葉を用いている。つまりこの作品の「沈黙」は透明であることではない。沈黙は作品の側にはなく、人間の認識、気づくか気づかないか、にあるのだ。確かにこの作品は、もしアートフェアに置かれていたとしたら、隣り合うブースの裏にあるような光景をもたらしている。木材や板は、絵画を支える裏側においてよく見られるものである。従ってこの作品が視界に入っても、そこに注意を向けることは難しい。この作品は通り過ぎる人々の何気ない視線を表側、隣り合うブースの作品へと誘導してしまうからだ。そのことによってこの作品は不可視性を獲得している。逆説的であるのは、この作品が枠のかたちをしていることだ。作品における枠はケージの『4’33″』においては、それが作品であることの唯一の根拠であり、沈黙の作品へ注意を向けさせるための唯一の手段であった。しかし≪1800,1200,2400≫においては、作品が目一杯の枠を主張しているにもかかわらず、それは不可視である。
ケージの『4’33″』の起源には沈黙の不可能性があった。この不可能性をケージは開放性へと読み替えることで解決した。三輪の≪1800,1200,2400≫からはこの残されていた問題についての別解、別のかたちでの沈黙を私たちは聴取することが出来ただろう。もちろんそれはケージの『4’33″』についての気づきと同様に、一回限りの不可逆な経験ではあるけれども。

1 http://cashi.jp/press/press_miyatamiwa_regularexpression_jp.pdf

2  https://www.youtube.com/watch?v=TS3OpFXnqSY

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