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響きの中にあるメロディ

響きの中にあるメロディを自由にするには、どうすればよいのか。いや、それはすでに自由にあるのだが、人間にも充分にみえるようにするにはどうすればよいのか。音を連ねてメロディ/旋律にしてしまうと、響きの中にあるメロディの色は薄くなってみえてしまう。響きだけを単体で置くのでは、響きのメロディの中にある連なりが薄くなってみえてしまう。

どうすればよいのか。響きを連ねて響きの中にあるメロディでメロディをつくればよいのである。

響きだけでつくるメロディ。それは可能なのか?

『out of noise』(坂本龍一/2009年)、1曲目、「hibari」。ピアノ、残響が強調されている、二本の腕で弾かれているような、主題となる旋律。しばらくするとさらに腕が加わって、同じ旋律が鳴らされる。それらの波の形はおなじだが、同時にではなく、少しずれたタイミングでそれぞれの山の頂上がおとずれるように置かれている。何度も繰り返される。ずれの間隔は、等しくない。ぐらぐらと頭のなかで旋律たちの残響が、ぶつかって揺れる。その揺れは響きではないが、響きが巻き起こしたそれによってなにかがめくりあげられ、響きの中に隠れていたメロディが奥から奥から押し出されて盛り上がり、ぼこりぼこりとこぼれ落ちてくることで、さらに揺れる。

2曲目、「hwit」。弦の音。笙のような音が加わる。ねばりのある残響。「hibari」と同様に、しっかりと旋律がある。響きのねばりと、絡まり合うような旋律が、響きの中のメロディを引っ張って、ずるずると、ずるずると、引き摺りだす。いくら引っ張っても、伸びきることなく、千切れることがない。響きの中にある、メロディを、いくらでも取り出してこれるよ、とばかりに。無限に引き出される万国旗のように。種も仕掛けもない魔法か。

3曲目、「still life」。始まりは旋律をはっきりかんじるのに、次第に、押し寄せる響きに、旋律のかたちが、駆逐されていく。耳は、旋律を追うことから曲をきくことをはじめたが、いつのまにか、耳は、響きのメロディに心を奪われている。体が、ゆらゆらと浮き上がってゆくような感覚をおぼえる。体から、重さがなくなってゆく。響きと一緒に響くからである。

4曲目、「in the red」。曲のはじまりから、旋律に動きはあまりなく、響きだけでできているようにきこえる。硬度の異なる響きが、長短・強弱を違えつつ、姿を現す。それでもばらばらにならないのは、主題となる旋律の代わりに、主題となる低く太い響きが、曲のはじまりからおわりまでを貫いているからである。旋律による色付けがほとんどなく、もはやモノクロームに近い音世界である。ときどき、コラージュされた人の声がさしはさまれると、そこだけ、あたたかく、色が付いているようにかんじられる。人の耳の、人の声の響きのメロディへの反応を、はっきりかんじとることができる。

5曲目、「tama」。小さなガラス玉がシャリシャリと互いにあたって弾けとぶような音と、風の音のような笙の音。白と黒でさえなく、透明に近い世界である。そこにたたずむ響きのメロディの本質は、通常の、旋律というメロディとは異なるものであることが分かる。

6曲目、「nostalgia」。ピアノが旋律を奏でる。弦のような音が背後で鳴っている。色のない世界から、淡くではあるが、色のついた世界、馴染みのある世界へ戻ってきた心地がする。

7曲目、「firewater」。安堵も束の間に、地鳴りのような、沸騰している水の中にいるような、激しい感情の中にいるような、何の音でできているのかよくわからない響きの中に放り込まれる。響きのうしろで旋律が鳴っているようだが、それは、沸騰してばらばらにはじけ飛んでいきそうな響きにたがをはめようとしてぎりぎりのところで押さえこめているような、押さえこもうとするはしから、響きに溶かされていっているような、緊張と拮抗の状態にある。

8曲目、「disko」。ぶうううううん、という低く硬い響きが、耳を押してくる。と同時に、弦をはじくような音の残響の甘みを、いや増しにする。熱帯雨林の動物の声にも似た音がパターンにはめられて繰り返し再生されることで、その響きの中のメロディを機械的に増幅させてゆき、低く硬い響きを密林の葉を打つ雨の音に、弦をはじくような音をしたたる緑の色に、変えてゆく。

9曲目、「ice」。地面を打つ、雨滴のような音。ノイズがそれの横で鳴ることで、雨滴の響きの中のメロディが色づいてみえてくる。冷たい色を浴びて、火照りが落ち着いてゆく。

10曲目、「glacier」。流れる水の音。りーんと鳴る鈴の音。あとは、ばらばらに音は鳴らされているにもかかわらず、ききとれなくなってゆく。判別する、という意識の動きを生じさせることが、むずかしくなってゆく。いくつもの響きが、静かに、しかし事故のように突然現れ、連なってゆく。旋律の輪郭はないのに、とてもメロディアスだ。響きの中のメロディが、連なって、響き合って、つながってゆく。

11曲目、「to stanford」。ピアノが、非常にメロディアスな旋律を奏でている。旋律によるメロディアスさは、響きのメロディがつくる無色透明のそれとは異なり、センチメンタルさをまというることがわかる。

12曲目、「composition 0919」。こちらも、ピアノのみである。1曲目の「hibari」のように、二本の腕で交互に同じメロディを弾くかたちで、曲が展開される。大きく異なるのは、響きが抑制されていることだ。たたきつけるような、硬い音にもきこえる。音と空気の最初の接触面とそこからの幾分かの幅のみを残すことで、音を音として認識されるようにし、響きについては、それをとりのぞき、音が重なるということ、音同士の接点に生まれるものを、響き(のようなもの)として認識させようとしている。曲の終盤では、重なる速度が加速度的に速まってゆき、響きのようなものが次々に頭の中でつくられる、と、突然止む。残響が頭の中でのみ響く。それは、正確には響きではないわけだが。つまり、響きの中にあるメロディでメロディをつくることが追究されたこのアルバムにおいては、響きを抑えることによる響きの発生の表現が、最終曲として提示されたのだ。

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