批評再生塾第六回の課題は「音響」ということですが、たとえば「映画」に対して「映像」が並置(あるいは対置)されるような関係で言えば、この講義でもそのようになっているように、「音楽」と「音響」という関係があるかと思います。musicとsoundでもいいのかもしれません。その意味では、ここでいう「音響」とは、「音響」という現象的な側面、「音響」そのものとしての表現、あるいは「音楽」が持つ「音響」的要素、ということになります。それは、音楽を包含する大きな領域でもあり得るし、音楽に内包されるひとつの要素でもあり得るでしょう。

音楽において「音響」を表現の、あるいは価値判断の中心に位置付ける聴き方が、1990年前後、「昭和」から「平成」への転換期に顕在化しました。もちろん、それ以前にもそうした聴き方は存在しましたが(ノイズ・ミュージックなど)、ひとつの時代的傾向と認識されたのが、この時期にあたります。
この「音響」へ偏重した聴取のあり方は、80年代中頃から、ノイズ、ジャンク、ローファイ、テクノなど、それに先立ついくつかの音楽動向から派生してきたものであると言えます。もちろん、さらに参照されるべき時代を遡行、領域を拡張することは可能であり、実際そのパースペクティヴは広範囲に設定可能です。それによって、たとえば、50年代からの電子音楽、サウンド・アートといった領域が逆照射されることにもなったと言えるでしょう。
それが、90年代の「音響派」や、その後のフリークエンシー・ミュージックなどの嚆矢ともなった池田亮司らによるミニマリズム、00年代の「ラップトップ・ミュージック」の隆盛など、ある種のスクールのようなものを生み出しながら、さまざまに展開し、現在までにいたるある潮流を形成している。またそれらは、エレクトロニカなどの、ある種のスタイルに収斂していきながら、その「音響」という言葉が喚起、提起したインパクトを減じつつ、別な形に展開しているとも言えます。

そして、この20年ほどのこうした動向は、音楽における聴取態度を更新しただけではなく、やがては音楽についてだけではない、ある指向性を示唆するようになったと考えてもよいと思います。それは「音響」という視座が持っていた批評的可能性の顕現なのではないかと考えます。

そこで、今回の課題は、

「音楽、美術、文学、映画、演劇、舞踊、などの諸芸術ジャンルから、ひとつ以上の作品をとりあげ、「音響」という視座から対象となる作品、もしくは傾向を読み解く。それによって、これまでにない読み解き方が提示されるような、新しい視点や解釈を与えること。」

としたいと思います。ジャンルは問いませんので、できれば論じる対象についての最低限の情報は記述されていると助かります。

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