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未知なる快感♥フレーズを求めて

「身の周りでオノマトペが文字になっているものを実際に持ってくる」っていう宿題を出したのに、「誰か持ってきましたか? ……誰も? ええと、誰も持ってきてないようなんで……」って『孤独のグルメ』の焼肉食べる回のコピーを配ったんは、よう覚えてます。升本は教師なるんかと問われ正直に「なりませんね」と言うてもうたせいか担当のおっさんの先生は私の授業全然見に来えへんかったし、生徒にはオノマトペちゅうあだ名を付けられていたようやし、実習生12人の中で唯一わたくしだけ担当したクラスから最後に色紙もらえんかったし、教育実習は全体的に今ひとつやったんやけどでも授業で題材の文章(※1)を音読しまして、そこで気付いたんは文字のオノマトペは読み上げると気持ちええわっちゅうことです。

本稿では「文字で書かれたオノマトペを音にすること」について書きます。やたらに売れたことが記憶に残る『声に出して読みたい日本語』(※2)の序盤のツカミが「どっどど どどうど どどうど どどう」(宮沢賢治『風の又三郎』)なように、オノマトペを読み上げると気持ちいいことは、多くの方の「そやな、そうかもしれへんね」が得られると思うんやけど、他にどんなんあるかなと追い求めていくと、オノマトペってパターン少ないな、ちゅう壁にあたります。ほとんどが「ABAB」型をはじめとする、1文字か2文字を用いて、「ッ」・「ン」・「リ」・「ー」を組み合わせる形式なんすよ(※3)。私の好きなオノマトペに、女性があれする音にあてられた「さやさや」(※4)いうんがありますけど、これも「ABAB」型ですね。このような形態に気付いてしまうと途端に可能性の限界が見えてきておもろくなくなってまう訳で、次に進むんがオリジナルオノマトペ探求の道です。

日本語のオリジナルオノマトペ(長いので以下「ナルトペ」)に数多く出会える表現分野はわたくしの経験則によると2つありまして、それはお笑いと漫画。お笑いやってる人は笑かそうとしてくるんで、面白いナルトペを生み出す方が仰山おられます。テレビ番組「すべらない話」シリーズ(2004年~)での二つ名が「擬音マジシャン」の宮川大輔さんなんかは特に達者な方やと思いますし、「ラッスンゴレライ」もナルトペの一種と言えるやもしれません。ただ、お笑いのナルトペに関して言うと、動きによる笑かしも入ってくるんで、文字にしたときに純粋に読み上げたくなるナルトペじゃないやもしれんです。

もう一つ挙げた分野の漫画においては、それは主に登場人物の台詞じゃなしに、背景の書き文字に現れます。漫画コラムニスト・夏目房之介さんが「音喩(おんゆ)」(※5)と称したそれは、音声記号であるだけでなく画像記号でもあるため、漫画を読む人の中には絵として認識して読み飛ばしてまう人もあるかと思いますがまあもったいない。読み上げると気持ちいいんすわ。『ドカベン』シリーズにおける岩鬼正美の「グワァラゴワガキーン」という有名な打球音なんて、ボールとバットが触れる一瞬にどうしてこないな音がするんかは不明ですが、誰もが声に出したくなる素晴らしいナルトペやと思いませんか。

ところで近代にいたるまでの書物の読み方は、黙読より音読の方が一般的やったそうです。この事実について、アウグスティヌスという昔の賢い人が「声を出さずに書物を読んどる師匠をみて驚く」ていう紀元4世紀に書いたエピソード(※6)を引用して「賢い人がわざわざ書き残すくらい、昔は黙読ではなく音読が一般的やったんですね~」ちゅう話をしてくる人が世の中には多すぎますよ。国語教育または本の読み方に関する講義や書物で「音読」の項目に至ると得意げに語りだす方が多いんで、わたくしは耳タコやったはずやのに私も書いてしまった。まあええわ。日本においても明治期までは音読が一般的やったというんは、当時の新聞や小説からうかがい知れます。黙読への切り替えの契機には、明治以降に各地にできはじめる図書館における「音読禁止」(※7)や、書き文字に対する句読点の導入や言文一致運動の高まり、印刷および流通機構の整備による書物の一般化などがありました。

以降、文字を読む際には黙読が当然となって音読は廃れていき(※8)、現代日本では音読を恥ずかしがる風潮(※9)があります。文芸批評家・渡部直己さんは、学生の出来の悪い文章に対し「体罰としての音読」を科するという話を先日聞きましたが、これは文章のひどさを自覚させる以外に、音読という行為に伴う恥ずかしさを負わせる意図もあるでしょう。

『花もて語れ』(※10)は朗読をテーマにした漫画なんですけど、作品中、特に序盤で朗読を恥ずかしがる描写があります。やけど「昔は朗読してたんやで」ちゅう上述のような説明があり、途中からみな朗読の気持ちよさに目覚めていく。漫画の読者も朗読をやってみたくなる作品やと思います。でもまあ『花もて語れ』は主として小説や詩を朗読するんすよね。「漫画」については歴史上音読廃れ後に発展していったため、描かれている文字を読み上げるという行為は過去から一貫して一般的やないと思います。一般的ではないことって、やってみると案外楽しかったりしませんか。やから、漫画を、特に音喩を読み上げるのは楽しいんでみなさんやってみましょうとわたくしは声を大にして言いたい。ちなみに公共の場で漫画を声に出して読む「漫読」ちゅう活動を行う漫読家・東方力丸さんというパフォーマー(週末の井の頭公園や下北沢駅前で長年にわたり活動を続けているため、東京在住の方は目にされたことがあるやも)の方がいてるんですが、彼は音喩も読み上げます。音喩には、現実には存在しえない発音のもの(※11)もあり、それなど特に工夫が現れるところです。

漫画の音喩を実際の音に落とし込むという話をするなら避けられない、アニメや映画といった映像化についても少し。映像化した作品では音喩を擬音語と擬態語(※12)に分けて、擬音語は音にし、擬態語は動きで表現するという真っ当な対応をしているものが多いです。漫画の音喩として有名な『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの「ゴゴゴゴゴ」や『カイジ』シリーズなどの福本伸行作品の「ざわ…」は擬音語なのか擬態語なのか判然としませんでしたが、映像化作品では実際に音にしたほか、書き文字をそのまま書き文字として映像にするといった表現もみられました。

以上のように「文字で書かれたオノマトペと音」について書いてまいりましたが今日からでもオノマトペを自らの発話でもって音にしてみませんかあなたも。まだ恥ずいという方はポエトリーリーディングや朗読活動をしている方の動画を見てみると抵抗感が薄れるやもしれません。生で見たい方は週末に井の頭公園に行くと先ほど書いた東方力丸さんがいます。ちなみに東方さんが漫読する作品について「男性からは『ふたりエッチ』も支持を集める。」(※13)ちゅうことなんで羞恥心に快を感じるタイプの男性は今週末にでも伺ってリクエストしてみてはどうでしょう。

文字で書かれたナルトペは現世に表出しているものだけでも一人の人間が出会いきれないほどありますし、あらたに誰でも作成できます。舌に乗せるのが快感となるものと出会いましたらぜひ教えていただきたいです。わたくしも探求を続けていきます。

※1:早川文代「食感のオノマトペ」(平成18年度版『現代の国語』1年、三省堂)。

※2:斎藤孝、草思社、2001年。単巻で160万部以上、シリーズで260万部以上売れたらしい。

※3:山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』(光文社新書、2002年)に詳しい。

※4:川上弘美「さやさや」より。「さやさや」は『溺レる』(文芸春秋、1999年)所収の短編小説。

※5:『マンガの力―成熟する戦後マンガ』(晶文社、1999年)などに記載あり。

※6:アウグスティヌス『告白』より。原書は398年。日本語訳は岩波文庫、中公文庫などから出ている。師匠はアンブロシウス。

※7:日本最初の官立図書館として、明治5年(1872年)に湯島聖堂内に開設された書籍館の規則に「館内ニ於テ高声雑談不相成者無論看書中発声誦読スルヲ禁ズ」がある。

※8:上述した理由以外にも、以下のような様々な要因が指摘されています。「誰かが読み、皆でそれを聴く」のが一般的だったが、近代化で共同体が崩壊し、西洋的自我が萌芽したため(参考:前田愛『近代読者の成立』、岩波書店、1993年)。戦前、一斉音読が戦意高揚の手段として用いられ、そのことを戦後の教育関係者が忌避したため(参考:高橋俊三『声を届ける 音読・朗読・群読の授業』、三省堂、2008年)。

※9:漫読家・東方力丸は「声に出して読みたい漫画」(『界遊003』、界遊制作委員会、2009年)にて読者に対し「自分ひとりで周りは誰もいない川原の土手にいても漫画を声をだして読むのはこっ恥ずかしい!」だろうと記しており、恥ずかしがる方は世の中に多いようです。

※10:作画・片山ユキヲ。小学館『月刊!スピリッツ』および『ビッグコミックスピリッツ』にて、2010~2014年連載。単行本は全13巻。

※11:本来濁点のつかないひらがなに濁点をつけるなど。傾向としてギャグ漫画に多い。発音できないので画像記号の意味合いが強くなる。誤記の場合もある(尾田栄一郎『ONE PIECE』で「ぴょーん」という音喩の半濁音の○が多かったことを読者投稿コーナーで指摘された尾田は、発音の仕方について解説した後に誤記を認めていた)。

※12:何かに気付いたときの「ハッ」、睨むときの「キッ」、早い動きを表す「サッ」など。

※13:松澤重信『死ぬまでに東京でやりたい50のこと』p43(青月社、2015年)

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