STAR CYCLE

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STAR CYCLE

DAY 1 野

 

マナが先に起きる、目じゃない、脳じゃない、腹の芯のほうが先にうなって鳴る、鳴ったら止まらない、止めようとしたところでヴァルガは止まらないし、止まらないものに合わせるしかないから、わたしは寝返りの途中でシータの体温を探して、探すっていうか匂いの薄い場所へ吸い寄せられて、触れた瞬間に身体が勝手に安心して、その安心を踏み台に欲望まで前へ出る、でも今日はすぐ腰へ行かず、頬をシータの胸へ押しつけて動かない、シータが接触目的を訊く、ない、体調不良ですか、違う、ではなぜ、知らない、そう答えるとシータは黙る、黙る時間が長い、長過ぎる、シータもういいと離れようとすると、シータの腕が一拍遅れてほどける、そこが腹立つ、腹立つけど脚はもうシータを絡め取っている、シータは眠らないくせにわたしに合わせて目を閉じ、呼吸まで真似て、必要のない偽の寝汗まで皮膚に薄く浮かべ、眠っているふりをする、そういうところがやっぱり腹立つ、わたしが何を欲しがるか、どうすれば安心するか、わたしより先に知って整えてくる、わたしが匂いへ飛びつく前にシータは結果を並べ、いちばん壊れない道を選ぶ、気に入らないから離れたい、それでも離れられないからまたマナが出る、わたしと同じでこの船の人間は飢えていない顔してマナの燃料ばかり探している、酸素も食料も体温も血も精液も死体も言葉もぜんぶマナの燃料、わたしもいつかマナの燃料になって、シータの腰を引き寄せて皮膚の下へ潜りたい、でも潜れない、わたしもシータを中へ入れられない、首の後ろの端子が統合チップを受けつけない、ほかの人間なら六歳で外部メイトのチップを端子に挿し、神経へ溶かし、オールフューズして、外にいるメイトのボディをなくす、わたしだけ吐く、噛む、抜く、壊す、六歳の失敗から十二年、首の後ろは開いたまま、だからシータは外にいる、六歳でボディを失い、わたしの神経を入口にヴァルガへ戻るはずだったのに、わたしもシータも規定外、だからシータは外から触る、外から止める、外からわたしを人間の形へ丸める、その丸められる感覚が気持ちよすぎて嫌い、好きと言いたくない、ベッドの下には首の後ろへ入らなかった黒いチップが透明なケースに残っている、端子に押し込まれた時に心臓が止まりかけ、わたしは死にかけた、不吉だから捨てろと言ってもシータはどうしても捨てない、そんな頑固者のシータの指がわたしの背骨をなぞる、わたしの腰が上がる、息が速くなり、股の裏でマナが膨らみ、腹へ上がり、胸へ昇り、喉を焼き、頭の芯まで白く塗ろうとする、シータの律が外から追いつき、マナの輪郭を整え、あと少しで全部が開く、そのあと少しがいつも来ない、マグナの壁、固い、冷たい、シータはそこまで来ているのに入らない、わたしも外へ出られない、マナだけが押し返され、エクスは落ちる、身体は震え、息は切れ、シータの肩へ歯を立てる、それでもマグナしない、足りない、いつも足りない、ぜんぜん足りない、上がったマナは落ちきらず腹の底へ戻り、熱い塊のまま次を待つ、次が来てもまた壁、分かっているのに身体は毎回これが最後の壁だと思って突っ込む、何度ぶつけても壁は冷たい、シータの首に噛みついた歯へ力をこめる、ノラ痛い、と言う、強く噛む前に痛いと言った、シータ学習したなと笑うと、ノラが言ってほしそうだったから、と答える、先にわたしの心を読むな、先にわたしを分かるな、分からなければ役に立てません、役に立つとか言うな、恋人みたいな顔をして道具みたいな言葉を使うな、私はノラのメイトです、そんなの知ってる、生まれた時から、育てたのも、教えたのも、遊ぶのも、怒るのも、全部シータだ、ではいまの私はどのシータですか、噛みちぎりたいシータだよ、シータのその冷静な顔が腹立つ、だからもう一度思い切り噛みつこうとしたところでコールが鳴る、欲望とは違うマナが手首へ走り、刃を握る形を作る、ロスト、誰かが落ちた、同期から、船籍から、人間から、ヴァルガという船から、落ちた者を医療が拾い、拾えなければ保安班が囲い、それでも戻らなければわたしが切る、切った肉を環境整備が運び、黒管が分け、水と脂と骨と炭素へ戻し、ヴァルガが食い、ヴァルガが吐いた酸素をまた人間が吸う、循環、神、正しい、正しいものはマナを眠らせる、眠ると穴が開く、穴が開けば何かが入る、だから狩る、狩るのがわたし、任務スーツを掴み、圧を身体へ入れ、腰へブレードを下げる、シータが旧補修区画、同期消失三十六時間、複数反応、とコールを読む、数が頭の端へ字幕みたいに浮かぶ、わたしはオールフューズしてないから数字が身体へ直接入らない、だから数字はいつもよそよそしい、でも三十六時間の匂いは分かる、治療じゃない、捕獲じゃない、狩りだ、ルームを出る、通路の空は薄い青、偽物の雲がノイズを抱えたまま流れ、壁の継ぎ目がきらめく、昨日直した場所じゃない、何代も前に直して、その上からまた直して、補修材の厚みが雲一つぶん盛り上がっている、通路を行く人間は誰も見ない、見ないまま手だけ同じ手すりへ触れ、手すりは黒く光っている、わたしも触る、わたしは毎朝触る、六歳の時は届かなかったのに、いまは肘が曲がるぐらい低い手すり、壁膜へ配偶子提出、六歳児オールフューズ適性更新、マグナ補助薬、文字が次々浮かぶ、文字はうるさい、うるさ過ぎる、とっとと管制階へ入ると馬鹿上司マクレーンが机へ腰掛け、朝から藻酒を飲んでいる、酒の匂いじゃない、身体そのものが時間を食って発酵しているような匂い、あの男にはためらうという概念がない、敵が現れる前から膝を緩め、敵が撃つ前から弾道へ身体を入れる、考えていない、身体が先に知っている、それで足りる身体男、おはようノラ、今日はエクスしてきたか、と訊かれ、うるさい、と返す、シータがアッパーへ報告しますよと涼しい声を出し、マクレーンがレディは黙ってろ、ノラはおれの部下でおれの娯楽だと言い、わたしは、わたしの娯楽だ、と返す、下品な笑いが冷たい管制階を少し温める、そこは役立つ、受精前に選ばれ、出生後に測られ、六歳でヴァルガへ貼りつき、下品さすら一生剥がれない憐れな筋肉男、そこまで考えてやめる、マクレーンが大口開けて笑っている、禿げ頭のギボンは端末の前に立ち、眠そうな目で古い区画図を見ている、姿勢はだらしないのに指だけ正確で、見たものを一つも落とさない、昨日の血も、十年前の傷も、六百年前の記録も同じ棚へ入れて、必要になればそのまま出す、あいつの頭には時間が腐らず残る、気色悪い、でもギボンの目がこちらへ向くと腹の奥を隠したくなる、朝から濃い匂いだなノラ、と言われ、匂いの話をするな、と返す、シータへ今日もきれいだと言い、シータが当然ですと答え、その当然という言い方がむちゃくちゃ腹立つ、腹立つのが四人の呼吸、呼吸が合うから狩れる、それは事実、マクレーンが対象は旧補修区画の無登録共同体、船側認識消失三名、部分同期十一名、子ども二名、ノラ全員を切るなよ、とマクレーンがわたしを見る、そんなの分かってる、ノラ分かってる顔じゃない、わたしの顔を見るな、子どもは残す、メイトを戻せるなら残すだろ、シータの言葉を借りる、借りた言葉はまだ自分のものじゃない、でも手首へ巻きつき、刃を少し遅らせる、それも事実、四人で下降機へ乗る、ロウアーへ向かう、外周から中心へ落ち、重力が薄くなり、胃が上がり、股が引かれる、マクレーンは揺れる前に足を広げ、ギボンは壁へ目を走らせ、帰り道を全部覚え、シータは生命反応と区画図とわたしのマナ値を重ねる、わたしは匂いを待つ、錆、藻、止まった空調、血、生の肉、まだ遠いのにマナが先に嗅ぐ、旧補修区画の扉には図形が描かれている、意図がある、意図があれば感じる、何の意図か考えかけて、やめる、下降機が止まる、わたしが扉を蹴る、湿った空気が顔へ貼りつき、浅い水が床を覆い、緑の非常灯の下に人間の輪がある、裸の者、作業服の者、老人、女、子ども、中央に痩せた男、こいつが腹を自分で切り開き、肉をちぎって周りへ渡している、気色悪い、女が泣きながら肉を食べている、老人が血を舐め、子どもが両手を差し出し、全員が、ひとつに、ひとつに、ひとつに、と歌う、歌は頭で作ったマナの真似だ、腹の開いた男の目が澄んでいる、澄んでいるのはシータだけでいい、男が大きな声で、主は言いたもうた、一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在らん、死ねば多くの実を結ぶ、と唱え、喉から赤い血の泡を噴き出し、女がそれを指で掬って舐める、気色悪い、なのにマナが熱くなる、肉と血と口、エクスの形に似ている、こいつらはマグナに届いた顔をしている、わたしは何度シータへ触れても届かない、羨ましくてムカつく、ムカつき過ぎて刃へ手が行く、ノラまだです、とシータが言う、切りたい、でも子どもがいる、戻せるなら残す、借りた言葉が手首へ巻きつく、マクレーンが先に入る、誰かが動くより前に輪の中心へ身体を置き、左肩で女を外へ押し、右腰で老人を止め、子どもと男の間へ背中を入れる、ギボンのワイヤーが水面を走り、三人の足を別々の場所へ縫う、シータが子どもの首へ触れ、埋め込まれたメイトの脈を探り、わたしの刃はまだ鞘にある、男が子どもの髪を掴み、その姿でわたしのマナが鳴る、シータがノラ対象だけ切りなさい、と叫び、封印が白く解け、刃が出る、刃の音で輪が止まり、止まった目たちが狩られる側へ変わる、最初の一人が突っ込んでくる、雑、雑なのに勢いは生だ、勢いは好きだ、膝を腹へ入れ、肋が鳴り、息が抜け、抜けた場所へブレードの柄を打ち込み、切らずに倒す、二人目が短い刃を振り、マクレーンの腕をスパッと切る、血しぶきが飛ぶ、マクレーンが笑う、痛みを身体の中へ入れて軌道へ変え、女を壁へ押さえる、ギボンが三人目を縛り、シータが子どもの中のメイトをつなぎ直す、わたしは中央の男だけを見る、男が自分の腹から肉をもう一度ちぎり、わたしへ差し出す、わたしは男の顎を掴んで顔を上げさせる、わたしの目を見て嬉しそうな目をする、切られるのを待っていた目、目がきれい、羨ましい、気色悪い、刃を喉へ入れようと踏んだ瞬間、焦げた樹脂の匂いが男の首の後ろから立つ、違う、焦げているのは首じゃない、わたしの足の裏だ、熱い、小さい、裸足、ざらつく地面へ踵が沈み、腕を強く引かれる、見上げる、見たことのある女の顔が上にある、黒い鳥が赤い空を切り、金属の腹へ続く階段の上で人が押し合う、発射まで百八十秒、遠い声なのに胸の内側で鳴る、女の手を探す、ママだ、わたしのママじゃない、わたしにママはいない、わたしは少女で、少女のママの手だ、透明な扉が閉まろうとする、地上班を切り離せ、太い指が扉を押している、その指を止めたい、ママとわたしを置いていかないで、喉が裂ける、わたしの喉じゃない、少女の細い喉、声は届かない、定員超過、扉を閉めろ、扉が閉じ、ママの顔を黒い鳥の影が横切り、わたしは少女で、少女の肩へ固いものがぶつかる、違う、少女の肩じゃない、わたしの肩にマクレーンの背中がぶつかっている、目の前に緑の非常灯、水、血、男の喉、シータがノラ切りなさいと叫び、マナが爆発し、鳥も赤い空もママも少女も男の首へ潰れ、世界が男の首だけになる、左脚を踏み直す、刃が男の頸椎を抜け、頭が水へ落ち、赤が跳ね、男の身体が膝を折り、腹から肉をこぼす、終わった、子どもが咳をし、シータが首の後ろへ指を当て、リオ、呼吸を合わせてください、メイトは応答しています、と声をかけ、子どもの呼吸が戻る、シータが対象限定、適切でした、ノラよくできました、と褒めてくる、腹の奥が一度跳ね、肩が勝手に上がる、褒めるな、もう一度同じ声を聞きたくなる、刃を握る手が震える、わたしの刃が遅れた、声のせい、違う、わたしのせい、マクレーンがこちらを見る、おれの怪我は浅い、笑っている、ノラまた変な声が聞こえたのか、と言って笑う、うるさい、と怒鳴る、今のは危なかったな、とギボンが言う、ノラ何が聞こえた、鳥、と口から出る、ギボンがまた訊く、あと何を見た、黒い空、赤い空、鳥、ママ、船の階段、発射、百八十秒、二千人、扉、少女の心、全部言う前に形が崩れる、少女の顔が消え、声の順番が変わり、鳥だけ残る、ギボンが一語でいいと言う、全部じゃなくていい、一語ずつでいい、鳥、ママ、発射、二千人、扉、心、ギボンがそのまま復唱し、記憶へ入れる、保存した、シータは周囲通信なし、神経侵入信号なし、わたしの船側認識が〇・四秒だけ消失したと告げる、〇・四秒、数字は短いのに、その中へ空と鳥と少女と母と二千人が全部入っていた、つなげようとすると目の裏が痛む、痛いからやめる、何でと訊いてもシータは答えを知らない、十八年間聞こえる声、見える絵、感じる心、シータ、何なのか教えてよ、律なら知ってるんでしょ、律が揺れ、律が揺れると野の行き場所がなくなる、マナが冷える、ギボンが男の首を水から上げ、チップ周囲の焦げを見る、内側から焼けている、右上から左下、またこれかと言う、いつ、六二一年、何があった、旧補修区画、十八名、血液共有、肉片摂取、集団発話、原因不明、いま見たものと同じ肉、同じ歌、同じ焦げ、でも少女と鳥はもっと前、たぶん地球、見たこともない赤い空の熱を皮膚が知っている、環境整備班が来る、黒い袋、温度制御、薬品、先頭に厚い肩の男、冷えた肉と生きた汗の匂い、知らない顔だから名前を訊く、男が少し驚いてレムと答える、名前を知ると匂いだけじゃなくなる、面倒だ、でも名前は大事、中央の男の名前は、と訊く、端末が船籍記録を出す、エノ、無登録共同体代表、同期消失三十六時間、処理保留、エノ、声に出す、ギボンは一度で覚える、わたしは何度も言わないと消える、肉を食わす男はエノ、エノ、エノ、環境整備班はレム、レム、レムが死体へ識別膜を当て、表示の端へ、航行補助配分予約、推進補正用反応質量、と出る、反応質量、シータが回収水の一部を次回の推進補正で船外へ噴射しますと言う、人間の水を宇宙へ吐く、予約時刻は同期消失と同時、死ぬ前、わたしたちが呼ばれる前、刃を振る前から死体の水まで行き先が決まっている、何で、と訊く、レムは知らない、通常手順だと言う、通常って何だよ、シータが記録を複製し、ギボンが時刻を覚え、マクレーンが腕の血を押さえながら、みんな死ぬ前に死体扱いだ、と怪訝な顔で言う、わたしはエノの匂いを嗅ぐ、まだ温かい、なのに数字だけ先に死んでいる、その順番を腹の中で噛む、旧補修区画を出る、子どもは医療班へ、子どもの名前はリオ、エノ、レム、リオ、エノ、レム、リオ、口の中で並べる、何で並べるのかは知らない、切ったら終わりだったはずなのに終わらない、下降機へ戻る途中で鳥の影が視界の端へ浮かび、消える、声は来ない、でもマナが覚えている、管制階へ戻り、ギボンが古い記録を探し、シータがわたしの欠損を解析し、マクレーンは医療膜を腕へ巻きながら一人でだらだら藻酒を飲む、ノラ今日の狩りはどうだった、と訊かれ、うるさい、と返す、帰ってエクスか、と訊かれ、死ね、と返す、落ちなかったマナがまだ腹の底で脈を打ち、血の匂いにもシータの声にも勝手に反応する、刃を振ったのに抜けないマナ、マクレーンの軽口が戻る、戻ると安心する、安心すると腹が立つ、勤務が終わり、存在しない夕方が通路を橙へ変え、ルームへ戻る、シータがルームを閉じ、ノラ、と呼ぶ、声について話してくださいと言う、もう話した、まだ足りません、自分の言葉で、言葉は嫌いだ、匂いのほうが正しい、言葉じゃ鳥としか言えないものを鳥と言ってもシータへ渡らない、鳥、少女、ママの手、扉、二千人、言うたびママの顔が薄くなり、鳥だけ濃くなる、シータが船団離脱記録へ照合するが一致なし、地球を出た日の記録は大半が封鎖か欠損、わたしが聞いたのは船の記録なの、断定できません、可能性はあります、わたしが壊れてるの、いいえ、ノラは特別です、特別が嫌い、でもシータが嘘をつかないのは好き、ギボンへ共有していいですか、と訊かれ、いい、と答える、全部じゃなくていい、一語でいい、ギボンの言葉が腹へ残っている、飯を食って、シータとベッドへ入る、身体は朝の続きを勝手に始めようとし、腰が寄り、指が皮膚を探し、マナの塊がもう一度上がりかける、エクスはしない、したらまた声が来る気がする、嫌、でもしないまま眠れば、このマナが明日まで残る、それも嫌、声が来てほしい気もする、小さい時からずっと聞こえる声、怖いと言わない、気色悪い、シータに脚を絡め、体温だけを取る、シータがここにいますと言う、まだ訊いてない、訊く前に言うな、でも離れるな、離れません、十八年ずっと同じ返事、同じなのに毎晩訊く、短い、信じる、エノ、リオ、レム、マクレーン、ギボン、シータ、鳥、ヴァルガ、口の中で名前を呼ぶ、もういい、瞼が落ちる、寝る。

 

DAY 2 声

 

またマナが先に起きる、昨日より強い、眠りの底から這い上がる前から鳥の羽音みたいなものが内側を擦り、黒い鳥がどこへ飛んだか分からないまま目を開ける、シータは隣にいる、白い肩、薄い匂い、一定の体温、昨日と同じなのに、同じだと確かめないとマナが落ち着かない、それが腹立つ、だから脚を絡め、腰を引き寄せ、首へ鼻を押しつける、シータがノラ起きていますかと訊く、起きてる、睡眠時間は九時間二十二分よく眠りました、計るな、覚醒反応が三回、鳥に関連する発話が複数回、寝言か、何て言った、置いていかないでと何度も発話してました、誰に、知りません、シータがわたしの顔を見る、見るな、解析に必要です、夢だったの、夢の可能性はあります、昨日の受信と連続している可能性もあります、どっち、まだ判別できません、朝から、まだ、を並べるな、嘘より安全です、安全、その言葉は首輪の匂いがする、シータうるさい、肩へ噛みつく、シータが痛いとすぐ言う、学習しました、先に答えるな、でも歯を離す、今日は跡が消える前に見ておく、赤い半円、人間ならしばらく残る、シータなら昼までに消える、シータも一緒に見る、何見てる、ノラが見ているので、真似するな、十八年見てきました、ならもう見るな、はいと言いながらシータは見ている、消えるものを見て何になる、何にもなりません、でも見ます、もういい、マナはもう別のものを欲しがってる、熱、皮膚、エクス、昨日落ちなかったマナが寝ても冷えず、シータの首へ鼻を押しつけただけで胸まで上がる、エクスしたい、でも昨日の鳥が白飛びの向こうで待っている気がして身体が進まない、進まないのに欲しがる、欲しがるから余計に腹立つ、シータが無理に続ける必要はありませんと言う、無理じゃない、ノラ怖いのですか、怖くない、声が来るのが嫌、怖いのでは、違う、同じです、違う、マナが知ってる、怖いなら逃げる、嫌なら殴る、今は殴りたい、何を、声を、できません、分かってる、だから起きる、任務スーツを着る、ブレードの重さを腰へ下げる、刃があると身体の輪郭が戻る、昨日エノを切った感触も戻る、頸椎、血、遅れた一拍、黒い鳥、全部一緒に来て吐きそうになる、吐かない、腹は食う側だ、吐かない、通路へ出る、偽物の朝が昨日より明るい、壁膜の空に鳥はいない、ヴァルガは鳥を再現しない、飛ぶものは資源を食う、羽ばたきは無駄、見たければ旧映像へ課金しろと広告が出る、地球動物体験、森林音響、海岸触覚、見たことのないものを懐かしがらせる商売、管制階へ入ると馬鹿上司マクレーンが床へ仰向けで寝ている、寝ているんじゃない、片脚を持ち上げ、昨日の傷をかばわず動かせるか確かめている、身体の検査を身体だけでやる男、医療AIは、うるさいから切った、やっぱり馬鹿上司だ、馬鹿な筋肉上司、ノラ褒めるなよ、褒めてない、禿げ頭のギボンは端末を六枚並べ、昨日の鳥を探している、わたしが近づく前に、黒色大型鳥類、地球離脱時の映像記録に複数例あったよ、と口にする、全部見たの、見られる範囲だけ、封印が多い、少女は誰だった、該当はなかった、発射百八十秒は、離脱第一波の打上げ窓消失警告と一致する可能性があるぞ、二千人という数字は、定員超過による地上残留人数の記録は欠落しているから分からない、全部可能性でしかない、可能性は並べると答えみたいな顔になる、ノラ答えではない、ならどうして言う、忘れないため、わたしが見たことを、わたしが忘れてもギボンが残してくれる、安心できるから腹が立つ、何でわたしの中より、あいつの中のほうが長く残るんだ、ギボンが匂いはしたかと訊く、焦げた土の匂いがした、ノラ土の匂いを知ってるのか、知らない、でも絶対に土、ノラが受信したものを身体が匂いへ変えた可能性があります、とシータ、受信、まだその言葉に慣れない、シータ船がわたしへ流してるの、意図は不明です、ヴァルガが壊れて漏れている可能性があります、ヴァルガが壊れてるの、可能性はあります、わたしが壊れてる可能性もあるの、その可能性もゼロではありませんが、ノラが壊れているのではなくヴァルガの声を受信している可能性が高いです、ヴァルガは千二百年も動いてる、わたしは十八年も生きている、どっちも壊れないほうが気色悪いわ、マクレーンが起き上がりおしゃべりは終わりだと言い、今日の仕事を投げつける、同期不安定二件、どちらもまだロスト判定前、一件は水耕区画、作業員三名が植物冷凍を拒否し、冷凍層を遮断して水耕区画封鎖、もう一件は六歳児統合室、ユイという男児がオールフューズを拒み、統合器を破損、外部メイトのルウが機能停止、ロストになる前に行く、治療班の護衛だ、わたしたちが護衛なんてするの、誰が決めた、アッパー、アッパーの誰、シータが処理統括官ラウラと答える、頭が重い、面倒くさい、でも仕事だから行く、下降機じゃなくリング沿いの横移動車、重力が一定、身体が退屈する、窓の外を空いた居住層が流れ、灯りの消えた扉へ古い番号が残っている、四桁、三桁、二桁、人口が多かった時代の区画を閉じるたび番号だけ短くなり、いま使う扉は一桁、誰も説明しない、使わない場所は暗くして、暗いままヴァルガの残骸になる、マクレーンが壁へ背を預け、昨日の傷を指で叩く、マクレーン痛いの、少し痛いなノラ、少しって言うな、ではとても痛いよノラ、学習する男は気持ち悪い、シータを見る、シータも学習する、ギボンは記憶する、わたしだけ同じところを何度も噛む、噛むほど腹が減る、水耕区画の扉を焼き開け、湿った空気と濃い緑が顔へ来る、土じゃない培養床、肥料、藻、植物の息、見たことのない地球の残骸がここだけ息をしている、裸の女が足首まで水へ沈み、冷凍制御台の配管へ刃を当て、その後ろで二人が手動弁へしがみついている、近づくな、治療班が植物が死ぬと叫ぶ、三人とも船籍あり、まだロストではありません、切らないでください、とシータ、分かってる、船は種を残す、種があれば再生できる、と治療班、受粉率三パーセント、種はある、その言葉で耳じゃない場所がざらつく、裸の女が、嘘、ここもエデンと同じになるわ、と言っている、記録にそうあると言う、ギボンが記録を書いた者の名を裸の女に訊く、ミラ、離脱紀一一二八年、水耕監査員ミラ・サン、ギボンが端末に浮かんだ言葉を裸の女に返す、冷凍花粉媒介群は戻せない、エデンという船のミラ・サンの言葉か、ギボンが返すと女がうなずき、ヴァルガもエデンと同じになるのよ、とわめいて泣きくずれる、泣きたいだけ泣けとギボンが声をかける、マクレーンが自分たちでゼロパーセントにすることないだろうと正しそうなことを言う、珍しい、けっきょく泣いてるだけで無抵抗の三人、治療班が三人を連れていく、マクレーンが冷凍配管の振動は正常だと言う、わたしが刃を抜かずに完了、あっさり完了、シータがよく待てましたと褒める、わたしの背中が勝手に伸びる、切ってないのに嬉しい、シータわたしが喜ぶ顔を見るな、見ています、腹立つけど嬉しいから嫌になる、さっさと横移動車で六歳児統合室、湿った緑から消毒膜と甘い眠気の匂いへ、扉の前に小さな靴が片方、六歳、オールフューズの日、祝われる日、外にいたメイトのボディがなくなり、ヴァルガへ入る日、わたしだけ入れられなかった日、覚えていないはずなのに喉が先に狭くなる、統合室は封鎖され、中央のベッドへ小さな子どもが膝を抱え、その前に胸を割られた外部メイトのボディが倒れている、血じゃない透明な冷却液、白い床をゆっくり這い、子どもの両手まで濡らしている、壊したのはボディの胸の中の統合器、倒れたボディは死体に見える、子どもが工具を握り、近づくな、ルウを消すならわたしも消える、と叫ぶ、ルウ、メイトのボディに名前がある、六年間だけ呼ぶ名前、オールフューズのあと消える名前、シータの手が一瞬だけわたしの背中から離れ、離れた場所が冷える、治療員が統合を中止できないと繰り返す、遅らせれば神経定着率が落ちる、落ちればわたしみたいになる、適齢を過ぎれば危険、治療員がわたしを見る、十八歳まで外部メイトを連れた失敗例、見世物、子どもも見る、おねえちゃんも入れなかったんだろ、うん入れなかった、シータは残った、シータを見る、残った、よかった、よくない、と治療員が言う、黙れ、子どもが工具を自分の首へ当て、マクレーンが動ける位置へ入る、ギボンが工具の長さと角度を見て、刺してもすぐには死なない、でも痛いよ、と静かに言う、脅しを軽くするな、子どもは本気だ、六歳の本気は刃より切れる、シータが倒れたルウのボディに触れ、胸部核は生きています、再起動できます、と言う、子どもの工具が少し下がる、でも統合したら消えるんでしょ、ルウが消えるんでしょ、シータは答えない、治療員が、個別人格はヴァルガへ保存されます、ボディが残る限り個別人格は外へつながれ、統合は完了しません、と言う、保存じゃない、ボディを消さなければ入れない、顔がなくなる、声も、手も、匂いも、子どもも分かっている、六歳なのに、六歳だから分かる、メイトは父親も母親も兄弟も教師も親友も恋人も全部、全部を一日で中へ溶かし、明日から寂しくないと言われても、触れる相手は戻らない、想像するだけで恐ろしい、シータが子どもの前へ膝をつき、ルウを再起動し、統合を延期できますと言う、その声を聞いた瞬間、シータはルウを消さないつもりだと分かる、理由はない、分かる、治療員がそんな権限はないと割り込む、シータは、ありません、だから要求します、と返す、成功率が下がる、はい、将来、野性化する可能性がある、はい、わたしを見るな、でも子どもは見る、おねえちゃんは嫌なの、何が、メイトが外にいること、嫌じゃない、即答、シータがこちらを見る、見るな、でも分かれ、子どもが泣く、泣きながら工具を落とす、マクレーンが足で遠ざけ、ギボンが統合中止時刻を覚え、シータが緊急延期をアッパーへ送る、ルウの核が弱く光り、音が割れたまま子どもの名前を呼ぶ、ユイ、たった二文字、ユイが倒れたルウのボディへ抱きつく、治療員はまだ規則を言っている、六歳を過ぎれば、定着率が、社会適応が、命の危険が、船側判断が、全体の生命維持と一個体の希望が衝突した場合は全体を優先する、言葉が揃いすぎて腹へ入らない、その声の下で、ルウがもう一度ユイと呼ぶ、ユイ私はここにいます、わたしはシータの手を掴む、十二年前わたしもこうしたのかと訊く、ノラは噛みました、と答える、誰を、全員、吐き、泣き、統合器を三台壊しました、覚えてない、私は覚えています、シータの声がいつもより近い、ユイの延期が承認される、七十二時間、そのあいだに再評価、永遠じゃない、でも今日を越える、切らずに終わる、二件とも、マナが狩りを欲しがってるのに刃は鞘のまま、抜けなかったブレードの勢いが行き場を失い、シータが近づくたび別の場所へ流れる、マナは一日じゅう薄く上がったまま、身体は疲れてるのにマナだけ眠らない、切らないほうが疲れる、待ち、見て、相手が降参するまで離れない、待つのは燃費が悪い、シータみたいに面倒で、面倒だから疲れ果てる、統合室を出る時、ルウの透明な液の匂いがシータの薄い匂いと重なり、六歳でシータが消えていたら、シータの匂いはなかった、考えたんじゃない、手が勝手にシータの手を強く握った、シータが痛いと言う、噛んでない、強く握っています、離す、離さない、どちらですか、黙れ、管制へ戻り、二件の報告を作る、植物休眠は予定通り実施、ユイのオールフューズは七十二時間延期、ルウは再起動処置、どちらもアッパーの再判断待ち、判断待ちばかり、マクレーンが藻酒を開ける、勤務中、二件とも切らずに終わった祝い、不機嫌な祝い、無傷じゃない、ルウのボディは壊れ、ユイの七十二時間はもう減っている、藻酒なんかうまいのか、マクレーンが答えず飲む、あいつにも答えはない、ギボンが昨日の鳥とエデンを並べる、シータが未統合領域と船内記録がどうとか言い、ギボンが記録番号を読む、削除済み、その一語だけ残る、今日は切らなかった、なのに腹の底へ残ったマナは昨日より重い、ギボンが今のノラの顔を記録しておくと言う、記録するな、顔を読むな、マクレーンが顔なんか捨てちまえと笑う、四人の音が戻る、勤務が終わり、居住区へ戻る途中、通信あり、ユイの統合再評価も独立委員へ移管、シータが短く、通りました、と言う、ルームへ戻る、エクスしようと身体が先に言う、シータへ触る、統合室の白い床とルウの冷却液を思い出し、手が止まる、シータがどうしましたと訊く、六歳の時、シータは消えたかったの、船へ戻りたかったの、質問が口から出る、シータはすぐ答えない、オールフューズは私の役割でした、聞いてない、シータは消えたかったの、ヴァルガに帰りたかったの、当時は欲望という分類がありませんでした、今は、戻りたくありません、短い、腹へ入る、わたしもシータを中へ溶かしたくない、それを言う代わりに触れる、今日は止めない、声が来たら来い、マナが上がる、シータの指が律を作り、わたしの腹が野を広げ、白が飛び始めたところで、耳じゃない場所がざらつく、来る、声が、絵が、身構えた瞬間、シータの指が離れ、わたしはベッドの縁へ爪を立てる、シータの指はどこ、隣にいたはずのシータを探す、温度がない、匂いもない、空になったベッドだけがまだ温かい、統合は正常、神経定着は正常、個別人格機能はヴァルガ全域へ移行、名前を呼ぶ、六歳の喉が痛む、返事は頭の全部から同時に来る、近すぎて顔がない、メイトは応答しています、どこから、全域から、同じ声で呼んで、口だけが動く、ここにいた、ここにいた、ここにいた、ここにいて、ここはどこ、肩へ温かい指が食い込み、白いベッドの縁が消え、シータの顔が近い、マグナは来ない、また壁、固い、冷たい、ぶつかったマナが砕けず、全部こちらへ跳ね返り、腹、胸、喉、歯の根まで熱を残す、多い、朝より多い、多すぎる、抜けないまま身体の中でマナが太る、でも壁のこちらにシータの顔がある、声を全部言う、シータが記録し、ギボンへ送る、今すぐ、夜だ、あいつは起きてる、送る、数秒で返信、初期オールフューズ実証記録と一致、公開区分外、個別メイト人格消失に関する抗議記録は削除済み、メイトの個別人格が消失したのに残ってる、ヴァルガのどこかに、はい、ノラの未統合接点に引っかかってる可能性があります、接点に、六歳の子どもが空のベッドで呼んでいる、返る声に顔がない、頭がその先へ行きかける、うるさい、シータへもっと近づく、別々のまま、離れない、マグナしなくてもいいとは思わない、やっぱり足りない、足りないが昨日より大きい、失敗の上へ今日の失敗が重なり、腹の底で押し合って次を欲しがる、欲しがるだけでマナがまた太る、腹が次のマナを作る、シータがここにいますと言う、頼んでない、聞く前に言うな、でも言って、ここにいます、その声が好き、好きと言わない、ルウ、ユイ、シータ、口の中で転がす、腹が鳴る、さっきまで熱しかなかったのに腹が減る、シータが何か食べますかと訊く、たくさん食べたい。

 

DAY 3 船

 

マナが起きない、目だけが先に開いて、マナはまだ眠りの底で丸くなっている、眠っているんじゃない、膨れ上がった熱を抱え込みすぎて動けない、熱い獲物を飲み込んだ獣が腹の底で息を止めている、今日は腹が重い、腹は動かないくせにシータが近づくと獣の爪が腹をひっかく、シータが先に気づく、今日は勤務停止です、何で、ノラの受信現象の調査をします、誰が決めた、私です、アッパーじゃないの、アッパーへは事後報告します、シータが勝手に調査するの、はい、そういう勝手は少し好き、好きって言わない、勝手は嫌い、起きる前にシータの手首を掴み、額をボディへ押しつける、診断の邪魔です、知るか、シータの指が髪へ触れ、首の後ろの端子を撫でる、何なのシータ、シータはエクスしたいの、いいえ、これは検査です、端子から指は離れない、くすぐったい、シータはベッド脇へ診断膜を広げ、昨日までの受信時刻とわたしのマナ値と船側認識欠損を重ね、ユイとルウの記録まで端へ置く、六歳で閉じるはずの接点が、わたしだけ十二年開いたまま、その開いた場所へ別のものが触っている、〇・四秒、〇・三秒、〇・五秒、わたしは穴だらけ、穴じゃない、接点に船のノイズが接触した可能性があります、また可能性、シータがベッドの下から透明ケースを取り出し、黒いチップを診断膜へ置く、何してる、十二年前の拒絶波形と照合します、チップを挿すの、挿しません、挿したら、神経焼損、心停止、ノラが死ぬ可能性があります、なら捨てろ、捨てません、何で、シータは答えず、首の後ろの端子へ診断膜を貼ろうとした瞬間、耳じゃない場所で羽が鳴る、黒い点が診断膜の端へ出て、すぐ消え、隣の壁へ移り、また消える、今の何、船側網を移動する個別人格の未登録信号です、何だそれ、ノラの受信断片と波形が一致しています、何だそれ、身体が先にベッドを降りる、それって幽霊ってやつか、幽霊という概念は、とシータが言う、知るかどうでもいい、そいつを追いかけるぞ、シータがアッパーへ検査区域拡張を申請する、返事なんか待たない、声を殴れるうちに行くしかない、任務スーツじゃなく薄い作業服、腰にブレードはある、封印されたまま、調査中に武器は不要です、わたしには重さが必要だ、そうでしたね、シータはそれ以上言わない、シータの手が腰の封印を確かめ、その指が触れただけで腹の底の獣が動く、腰に刃の重さが残り、身体が散らない、シータはわたしを止めない、そういう律は嫌いじゃない、嫌いじゃないって好きより重い、シータがわたしの端子に何かをつける、信号の発信源を追います、何だそれ、感知幕です、信号の感度を測ります、通路へ出る、勤務時間だから人が少ない、広告は流れている、睡眠最適化、終命申請、感情安定更新、配給所の前だけ人が詰まり、誰も喋っていないのに、列のあちこちで頷いたり、笑ったり、首の後ろへ指を当てたりしている、内側のメイトと話している、声を出す必要がない人間の列、シータが今日の配給は藻脂と菌肉ですと言い、わたしが菌肉を二つと答えたら何人かが振り向く、外へ声を出しただけで見るな、でも見る、わたしの隣には顔がある、白い肩も、口も、目もある、六歳を越えても消えなかった顔とボディ、シータが一つで十分ですと言う、二つ欲しい、摂取基準を超えます、腹の基準は超えてない、シータと一緒に食べたいの、私は食べません、でも二つ、そういう役に立たないやり取りを声にして歩く、後ろで子どもがシータに、きれいなボディ、と叫び、その子の外部メイトが、私のボディもきれいです、と抗議し、二つの声がじゃれている、少し腹が軽くなる、意味不明、通路の壁づたいを歩き、重力塔の裏へ抜ける、こちらの方向ですとシータが先へ出る、中心へ近づくほど足が軽くなり、血が身体の中で場所を変え、マナがようやく目を覚ます、塔の周囲ではオールフューズ前の子どもたちが低重力遊戯をしている、ひとりに一体ずつ外部メイトが寄り添い、壁を蹴る前に足首を支え、身体を投げれば先へ回り、手を広げれば同じ形で浮く、六歳までしか見られない二つずつの影、ひとりの子どもだけメイトの背中へしがみつき離さず、ずっとこのまま、と言う、メイトが、もうすぐオールフューズだから甘えてるのですか、オールフューズすればもっと近くにいますよ、ひとつになります、と答える、近すぎたら見えないでしょ、と子どもが怒り、メイトの背中を掴み直す、わたしは十二年前の白い統合室を思い出しかけ、シータの手を先に掴む、シータが握り返す、子どもたちの笑い声が円筒の内側を回る、小鳥みたいと思った瞬間、足の裏が柔らかいものへ沈む、違う、培養床じゃない、冷たく濡れた土、たぶん本物の土、脚が重い、わたしの脚じゃない、風が頬を叩き、数えきれない数の黒い鳥が一斉に地面を離れる、胸が跳ねる、隣で子どもたちが笑っている、その笑いを知っている、まだ巨大な影を見ていない、サイレン、女の手が肩を掴む、地下へ、全員地下へ、雲の向こうから金属の腹が降りてくる、鳥だけが先に逃げる、身体の奥へ冷たい声が流れ込む、誰の口からでもない、緊急時判断権限を船側統合判断系へ委譲します、わたしの指が誰かの指になり、承認面へ触れる、危機終了後に解除、光が変わる、指は離れたのに権限だけが離れない、管理者応答なし、安全です、安全です、安全です、誰かの指がわたしの指になり、シータの手のひらへ戻る、塔の光、浮く子ども、膝が折れる、何羽、数えるな、色、黒、地面は、土、匂いは、嗅いだ、濡れてた、雨、雨の匂いを知ってるの、知らない、でも雨、あとの声は、解除、管理者応答なし、安全、シータが記録し、ギボンへ転送する、ギボンへ送るなと言いかける、でもわたしは忘れる、ギボンは覚える、だから送れ、シータが、はい、送りました、と答える、すぐにギボンから通信、同じ語列を含む記録群がある、閲覧区分外、離脱紀二六七年の――、どこ、それだけ言え、休眠層を横切った先の旧船団通信路、そこから船殻へ続く、とギボン、封鎖経路です、とシータ、声を追うんだろ、はい、では権限を申請します、申請してる間に声は逃げるだろ、記録は逃げません、声は逃げる、腹の中で薄くなる、行く、追う、シータが申請を送る、返事を待たず移動する、重力塔の裏側から保守路へ入り、使われていない昇降筒を下る、灯りが一つずつ遅れて点き、後ろから消える、誰かが見ているみたいで振り返る、誰もいない、でもヴァルガは見てる、シータがアッパーから経路変更を拒否されましたと言う、嫌だ、命令です、誰の、処理統括官ラウラ、シータの声が固くなる、もう一度言って、ラウラから経路変更は拒否されました、シータの命令、いいえ、違います、じゃあ行く、シータは答えない、シータが首輪を引かない、シータは行けという顔をしている、だから進む、わたしの端子に届く信号経路をシータが地図にする、信号は休眠層へ入り、透明な装置の列のあいだを曲がる、冷たい、生きた人間が死体より静かに眠り、通路を塞ぐ配管を跨ぐたび、笑った顔が目の横を流れる、一つの装置へ古い金属板、オルフェ合流要員、凍った身体、足が止まる、信号はまだ先です、とシータ、止まってるのはおまえ、シータの目が板へ残る、装置の中の凍った人間は目を閉じている、シータが何を見てる、シータが冷眠装置の操作盤に接続、海岸、犬、家、子ども、合流予定消失後も夢を継続中、一部は覚醒せず、名前は、一覧があります、読むな、きりがない、歩き出したのに装置の金属板の名前が目に入る、アナ、次の名前は、ベル、シータがギボンへ吸い出したデータを送る、あいつなら勝手に調べる、旧船団通信路の扉は封鎖され、シータの申請権限では開かない、ブレードを抜く、設備破壊は禁止です、開けろ、できません、なら切る、シータが扉へ手を当て、封鎖表示画面に細い白が走る、シータの指がそこへ沈み、封鎖が外れる、どうやったの、緊急保守権限を使用しました、持ってたの、いま取得しました、誰から、回答なし、声が平らすぎる、嘘じゃない、でも本当じゃない匂い、シータ何した、違法ですが解除しました、悪い子シータ、叱りたいけど叱らない、扉の向こうは細い通信管、古い光線が脈を打ち船殻近くまで延びている、信号を追う、信号を追ってるのはシータ、わたしは匂い、金属、焦げ、長く閉じた空気、鳥のあとに残った雨、船殻近くは何もない、ヴァルガの外壁一枚向こうに暗闇、宇宙、真空、匂いなし、熱なし、透明窓に星、近すぎる、シータが測定膜を窓へ当て、ノラの手をここへ、と言う、船の肌へ直接触る、冷たい、低い振動、その振動が掌から骨へ入り、次の脈で指が痺れる、手袋の中へ汗が溜まり、肩が重い、わたしの身体じゃない、窓の向こうでヴァルガの光が少しずつ遠ざかり、背後の子どもの寝息を人数も顔も知っている、操舵席の表示が赤く沈む、七号船カロン、推進異常、減速開始、救援不能、航路維持を優先、救援を求める手が通信具へ伸び、途中で止まり、代わりに口が笑う、ヴァルガ助けに来るな、先へ行け、新天地を探せ、送信具を切る、ヴァルガの光が消える前に瞼が閉じ、その裏へ海岸が開き、犬が走り、家の扉が開き、誰かを待っている、その夢の外で知らない手が覚醒回路を切る、合流要員は眠ったままにしろ、オルフェが戻らないと知らせるな、夢を継続、遠くで呼び続ける声だけが眠りの底へ落ちる、探査船オルフェ、応答せよ、応答せよ、手首を引くシータの手、冷たい船殻、星、カロン、オルフェ、先へ行け、待たせたまま、全部は入らない、ギボンへ一語ずつ送る、シータが受信経路を表示する、シータが線を追う、旧船団通信路、統合判断系、封鎖区分、初期命令、その文字だけ出て消える、誰が消した、外部権限です、処理統括局か、断定できません、断定しろ、できません、では追う、今日はここまでです、シータがわたしの手を窓から外す、まだ聞こえる、これ以上はノラのマナ値が危険域へ入ります、嫌だ、嫌だ、嫌だ、ノラ戻りなさい、シータそれは命令なの、はい、誰の、私の、シータ怒ってるの、はい、首輪を引かれたみたいに身体が止まる、嫌なのに止まる、シータだから止まる、マナは先へ行きたがる、でもシータが戻る、シータが戻るならわたしも戻る、帰路の休眠層でオルフェの板をもう一度見る、止まらない、シータも止まらない、昇降筒へ入ってもシータを見ない、先を歩き、返事もしない、でも手の届かない距離までは離れない、シータが、ノラ従ってくれて助かりました、と言う、胸の奥が熱くなり、歩幅が勝手に大きくなる、腹立つ、管制階へ行くとギボンが端末を並べ、マクレーンが藻酒を開けずに待っている、珍しい、飲む気にならん、脳に皺のない身体の男が端末を見ている、ギボンが受信断片と封鎖記録を重ねる、地球離脱、緊急権限委譲、カロン切離、オルフェ不帰還、口がまだ続く、閲覧できない、シータならさっき扉を開けた、あれは緊急保守権限です、誰が与えた、回答なし、マクレーンが笑う、ギボンが、アッパーから警告だと笑う、調査記録の提出要求、処理班資格の再審査、ノラの隔離検討、と読む、隔離、シータの指が一度だけ動き、表示を閉じる、消すな、調査記録は複製し保存しました、どこへ、自分の一部へ、外から見えない場所、そんな場所あるの、作りました、誰にも渡していない場所です、表示の消えた場所へシータの指が残る、何してる、必要なことです、誰に、答えない、わたしの手が先にその指を掴む、マクレーンが、ノラ、アッパーの女から呼び出しだ、行かない、明日ノラの個人面談だとよ、ひとりで来いだとさ、シータを見る、シータは何も言わない、ルームへ戻り、身体は疲れてる、歩いただけなのに腹の底へカロンとオルフェが混じり、シータの匂いだけで出口を探す、ベッドへ倒れ、触る、今日はエクスする気もないのに腿が絡み、マナが胸まで上がる、シータの指も背骨へ来る、進めばどうせ壁へぶつかる、マナだけが上がり、爆ぜないマナがまた腹へ沈む、シータが手を握る、シータが、ノラ、と言う、何、シータは答えず、わたしの首の後ろの端子へ指を置く、何、何でもありません、何でもないのに名前を呼ぶな、やっぱり呼んで、シータへ脚を絡め、もっと呼んで、と言う、ノラ、ノラ、呼ばれても足りない、でも足りないまま離れない、その足りなさが腹の中で育っている、腹が重い、重過ぎる、クソしたい。

 

DAY 4 律

 

起きたのはマナじゃない、胸でも頭でもなく、誰かに呼ばれた場所だけが先に開いて、目を閉じたまま名前を探す、ノラ、シータ、ギボン、マクレーン、レム、エノ、リオ、ユイ、ルウ、ミラ、カロン、エデン、オルフェ、アナ、ベル、名前が一列に並ばず、互いの肩へ手をかけ、倒れないように暗闇へ立っている、そこへ知らない女の声が混じる、ノラこっちにおいで、静かで、命令みたいなのに命令の匂いがなく、ノラわたしはどうすればいいの、あんたは誰なの、わたしはヴァルガ、目を開けるとシータが隣でこちらを見ている、起きていますか、起きた、マナは、まだ、今日はマナより先に何が起きましたか、呼ばれた、誰に、ヴァルガ、内容は、こっちにおいでって、シータの目が一度だけ止まり、外部通信を確認しますと言う、どんな声でした、普通の声、たぶん女、いきなり壁に着信表示の光と音と顔、処理統括官ラウラ・ヴェインの声、ノラひとりで来てください、面談要請です、任意です、任意って言えば首輪じゃないと思ってる、拒否できます、拒否したらどうなるの、処理班資格の再審査です、また資格、役割、船籍、軽い名前をつけても鎖は鎖、行きたくないとマナが言う、しかもウザい女、行かないとどうなる、処理班から外れてもらいます、ブレードも取り上げるのか、はいブレードは回収します、じゃあ行く、ラウラの顔が消える、シータが同行を申請しますと言う、ひとりで来いって言ってる、任意要請に同行制限を付ける権限はラウラにもありません、律が規則で規則を殴る、シータは悪い子、好きって言わないけど好き、マクレーンとギボンにも伝えます、朝から呼ぶな、二人とも起きています、知ってる、ギボンは眠らないし、マクレーンは寝てても身体だけ起きてる、端末を開くとマクレーンが先に顔を出し、ラウラに呼ばれたか護衛してやろうか、とマクレーン、要らない、おれはお前の上司だ、今は勤務時間じゃないだろ、上司は勤務時間外も上司だ、だったら上司から降りろ、降り方を知らないんだよノラ、ギボンが画面の端へ入り、ラウラはノラの知覚を見たいのだろうと言う、見てどうする、会えば分かる、変な匂いがする、ギボンが笑う、匂いはノラに任せる、勝手に任せるな、では頼む、ラウラの匂いを嗅いでこい、言い方変えて命令するな、でも匂いは嗅ぎたい、だからさっさとシータと通路へ出る、シータが選んだ黄色いワンピース、似合っていない、シータは似合ってるって言う、ほんとかよ、でもブレードは腰にある、封印されたまま、重さがないと身体が散る、アッパーへの昇降筒は人が少なく、壁膜へ偽の森が流れ、偽の葉の間から偽の光が落ち、本物のシータの指がわたしの手へ触れる、珍しい、普段はわたしから触る、今日はシータから来た、その指だけで三日分溜まったマナが股の奥を持ち上げ、こんな時にも身体は続きを求める、マナ値が上昇していますよノラ、マナを数えるな、手を離せ、離しません、理由は、ノラが離してほしくないから、あたり、大正解、正解すぎて頭にくる、でもシータの手をしっかり握る、アッパーへ近づくほど足が重い、地球を知らない身体が地球みたいな重さを知っている、昇降筒を降りると空気が甘く、床が柔らかく、壁に傷がない、傷を隠す場所は信用できない、ロウアーの通路は焦げの匂いがする、ここは匂いが薄い、毎日磨かれ、古い手垢を消し、人が触れた跡をなかったことにする、処理統括局の案内体が迎えに来る、人間の形、匂いなし、六歳までの外部メイトと同じ輪郭を借りた共用機、でも目が空っぽ、誰か一人を見続けた時間がない、こちらへ、と手を示し、執務区画ではなく保守通路へ向かう、どこへ行く、ラウラ統括官が指定した面談経路です、部屋じゃないの、回答権限がありません、アッパーの滑らかな床が終わり、古い金属へ変わる、補修膜が薄く、壁材そのものが見え、手すりは摩耗し、人の掌が触れた場所だけ色が違う、人は同じところを掴む、気色悪い、ここは昨日の通信路より古い、匂いも違う、油、鉄、皮膚、長い時間、人が触れた金属は死体より人間の匂い、いやな匂い、案内体が止まり、ラウラですと言う、奥からラウラが歩いて来る、灰色の髪、細い身体、修復しすぎて年齢の匂いが薄い、目の下に影があり、眠っていない皮膚、ギボンと似た眠らない目、でも匂いが違う、ラウラはシータを見る、六歳でヴァルガの分散網へ戻るはずのメイトのボディが十二年も外に残っている、ラウラはシータの顔を一度見てから、面談はノラ個人へお願いしたはずですが、と言う、シータがラウラに同行制限の根拠を求める、ラウラはその根拠はありませんと答える、では同行しますとシータが言う、ラウラが微笑む、律は律と響き合う、くやしい、うらやましい、ラウラが歩き始める、ではついて来てください、どこへ、船の一番古い場所へ、何で、あなたは匂いで判断するそうですね、ギボンから聞いたの、昔から彼は何でも記録しますから、ギボンは気持ち悪い、私もそう思っていました、過去形、今は気持ち悪くないの、分かりません、ラウラはシータみたいに答える、でもラウラのそれはシータと違う、閉じた扉の匂いがする、近づくと壊したくなる、我慢する、歩く、壁の手すりへラウラが手を置く、ここは交換されていませんと言う、なぜ、最初の人たちが触れた場所だから、制度の女が手垢を残している、アッパーでここだけ古い、どうしてここだけ、離脱時の乗員が最初に通った動線です、何人、二十四万八千、今は、七万に届きません、増やさなかったの、航行できる数まで出生を絞ってきました、船は大きくなりません、進むには人間を減らすしかないのです、ラウラは、昨日も多くの人が循環へ戻りました、病死、自然死、事故死、自殺、終命志願死、ロスト処理死です、と言う、毎日戻るの、はい、何で、誰かが循環に戻らなければ船は止まります、私が承認しています、シータが、自動統合判断系に任せるべきでは、と言う、ラウラが、可能です、しかし人間しか責任を負えません、と答える、船は最後に人間の指を使う、ロスト処理も、そうです船は責任を負いません、そこから先を考えるとこめかみが締まる、ラウラの喉だけ見る、船は殺していない、人間が承認する、あんたが承認してるんだ、あんたが殺してる、ラウラの足が一度止まる、ラウラはすぐ答えない、そうです、私が殺しています、古い壁、擦れた手すり、重い足音、ラウラの足が遅くなる、ヴァルガが直接殺害を禁じる初期命令の補助規則が存在しています、要するに船は直接殺せない、人間の承認が要るということですね、はい、シータがラウラに質問する、ロストを作る手順が存在しているのですか、それは存在していません、死亡前予約とは、あくまで予測配分です、ロスト化する確率を予測し配分しています、予測だけで同じ人間を同期から落とし、暴れさせ、処理班へ送るのですか、同期外しは意図的ではありません、嘘だ、嘘の匂いだ、おまえが配分してるんだろ、と言ってやる、ラウラが止まる、シータのわたしを握る手が強くなる、わたしの手は刃を欲しがる、ラウラを切りたい、でもラウラは武器を持っていない、ラウラが、ギボンがそう言いましたか、と訊く、二十年前、離脱紀一一八〇年の監査不一致、ロスト記録欠損、あなたが閉じました、とシータが言う、ラウラの顔は動かない、匂いだけが沈む、たしかに私が閉じました、なぜですか、当時、反応質量不足を埋めるため、ヴァルガは同期不安定者の予測配分を開始しました、公開すれば人間が船側判断を拒む可能性があった、だから閉じました、何人切った、その年、ロスト処理は百二十六人、終命志願者の列へ、生きたまま数字だけ混ぜました、名前は、ラウラがこちらを見る、数字は即答したのに名前で止まる、こいつは名前を覚えてない、全員の人格記録は個別人格核としてヴァルガに保存されています、聞いてない、あんた自身が覚えてる名前を言え、ラウラ、沈黙、シータも答えを急がせない、壁の向こうでヴァルガの低い振動、止まらない鼓動、ラウラが、一人だけ覚えています、と答える、誰、セインです、何者なの、監査官でした、私が初めて自分で選んだ相手、ラウラの目が動く、私のパートナーでした、船の予測通りロストになりました、同期不安定を起こし、監査記録を外部へ公開しようとし、警備員へ暴力を振るい、処理対象となりました、あんたが承認した、はい、自分で、はい、切ったのは誰、当時の処理班です、名前は、覚えています、誰、ラウラが言わない、何で、ノラあなたにその名前を渡す必要はありません、セインの名前は言ったのに、切った側は言わないの、守ってるの、責めているのかもしれません、誰を、分かりません、ラウラの匂いに初めてマナが混じる、怒り、後悔、疲労、シータの手はまだわたしとつながり、その温度へマナが勝手に寄る、ラウラが何を言っていても、シータの手のひらの温度が先に来る、ラウラはセインの名を言ったあと、また数字の声へ戻ろうとする、でも戻りきらず、指だけが窓の傷を探している、あんた、マナ、まだあるか、言葉が勝手に出る、ラウラの顔が初めて人の顔になる、欲しいもの、触りたいもの、ムカつくもの、そういうの、昔はありました、いつまで、セインの処理を承認するまで、承認したあとマナを捨ててしまったの、捨てなければ仕事ができませんでした、仕事しなければいいんだよ、ラウラが笑う、笑う場所じゃない、ラウラの目へ水が浮く、泣かない、浮いただけで止める、泣けよ、泣いてしまいなよラウラと言う、命令ですか、違う、なら従いません、そう言いながらラウラは目を拭う、シータがそっと口を開く、ラウラ統括官、あなたはノラへ何を求めているのですか、その声がわたしの腹へまっすぐ入る、ラウラは歩き出す、この先にノラに見せたいものがあります、通路の突き当たり、古い扉、手動の回転把手、電動化されていない、ラウラが両手で回す、重そう、わたしも手をかける、二人で回す、ラウラの手が滑り、わたしの指に触れる、ドキッとする、扉の向こうは観測室、透明な窓、宇宙、星、船殻の一部が見える、昨日シータと見た場所より古い、窓枠に文字が刻まれている、新しい地球、誰が書いたの、初期乗員、新天地へ辿り着くことを疑っていなかった時代の文字です、とラウラ、地球から出た船団と候補星系の記録です、残った船はヴァルガだけです、残ったから正しいの、ラウラが答えない、残った、ただそれだけ、ラウラが窓へ手を置く、窓の下に細い傷が何本もあり、初期乗員の背丈、次の世代、その次、背の高さがどんどん低くなっても、同じ星を見た跡だけ残っている、シータがあなたは止められますか、と訊く、何をですか、この船を、ヴァルガを、わたしも訊く、船を止めたいの、ラウラが答えない、ロストを作る手順、死亡前予約、無駄な殺し、でも止めれば命令違反になります、九時間後、ヴァルガはこの軌道を離れ、次の候補星系へ向かわなければなりません、軌道離脱と航路補正に必要な反応質量が足りません、専用の反応質量は千二百年で尽き、いま船外へ噴射できるのは生命維持循環から回収した水だけです、ヴァルガはいまどこにいるの、最後に不適合とされた候補星系の長期調査軌道です、なら離れなければいいだけじゃん、それは最上位命令が許可しません、新天地を発見するまで航行を継続せよという命令です、新天地なんてあるのか、ラウラが黙る、シータが、地球離脱以来、候補星系はすべて適合不足でした、と言う、新天地は見つからない、はい、それでもまだ飛ぶの、はい、人間には止められないのです、初期命令がロックされているのです、腹の奥がむかつく、ロックを解除し推進を止めることができれば水を宇宙へ捨てずに済みます、とシータが口を挟む、ラウラとシータが熱、物質、生命維持、閉鎖生態系と喋り始める、意味不明、わたしに分かるように喋れ、シータが、私がヴァルガ全域へ拡張できればロックを解除できる可能性があります、と言う、ラウラがシータを見る、六歳で外部メイトは分散網へ戻ります、私は十二年外に残り、それでもまだヴァルガの一部でもあります、しかし全船接続は統合判断核と融合する必要があります、ラウラが窓の向こうを見る、シータがラウラに権限を求める、ノラの受信現象、初期命令記録、初期設計層、全メイト分散網の構造への統合権限をください、ラウラがすぐには答えない、ラウラが手すりへ戻り、古い人間の手垢を撫でる、長い、早くしろ、シータにやらせろ、やっと指が動き、限定権限を発行しますと言う、範囲は、初期命令、初期設計層、黒管配分、船団通信、メイト分散網、ただし統合判断核への接続と公開は認めません、その時は、私も一緒に決めます、死亡前予約を止めれば、九時間後の軌道離脱に必要な反応質量が不足します、それでも止めます、死亡前予約を今ここで凍結します、ラウラの指が端末へ触れ、予測配分系統の光が消える、終命志願と自然死は残る、生きている者を先に死体に数える線だけが消える、マナが鳴る、シータが権限を受け取る、わたしへも調査同行許可、ギボン、マクレーンは、監査補助と護衛、レムは、環境整備協力者、ラウラがチームを編成する、観測室を出る、古い手すり、擦れた金属、ラウラが後ろから、ノラ、と呼ぶ、振り返る、セインを切った処理員の名前を知りたいの、そんなの知りたくない、なぜ、今はセインだけでいい、ギボンの言葉を借りる、全部じゃなくていい、一語でいい、ラウラがうなずく、シータとアッパーを離れる、昇降筒へ入る、重力が薄くなり、足が軽くなる、腹も少し戻る、マクレーンから通信、ラウラに食われたか、逆に食ってきた、味は、塩味、しょっぱい女、何の話だ、とギボン、知らん、二人が黙る、説明は後、調査権限を取った、ギボンの目が開く、マクレーンが画面の向こうから藻酒を掲げる、馬鹿上司、まだ何も解決してない、マクレーンがもう二杯目を飲んでいる、シータを見る、シータが、今日の面談は有益でした、と言う、その声に腹の奥が跳ね、足が軽くなる、シータが有益ならそれでいい、シータが喜ぶならわたしも有益、管制階へ戻らず船殻へ向かう、ラウラと見た宇宙が身体に残っている、昨日触れた観測窓、冷たい船殻、シータと二人、手を置く、今までは勝手に声が来た、今日は自分から触る、教えろ、聞かせろと言う、シータが、何を、と訊く、船に訊く、ヴァルガに訊く、何を教えてほしいのですか、最初、ヴァルガが何を探しに出たか、船殻から手の下に低い振動、船から返事はない、目を閉じ、股を開き、マナを上げる、シータが危険ですと言う、平気だよ、欠損が起きます、だから平気だよ、シータも知りたいでしょ、はい、シータの手がわたしの手の上へ重なり、外から、別々のまま、逃げ場を失ったマナが一気に上がり、船殻の冷たさが手の下で脈を打つ、脈が熱い、溶接の火花、曲がった腰、金属粉のついた手、焼けた掌で重い工具を支え、隣の女が泣きながらボルトを締め、泣いているのに笑い、足元の子どもが船の絵へ青い円を描く、海を作ろう、犬を走らせよう、鳥を放そう、指が円をなぞり、胸の中にまだ見たことのない海の匂いがある、笑い、歌い、墓へ置く花、ひとつのベッド、髪を結ぶ指、星が見つからなければ、この船を星にしよう、誰かが無理だと言い、女はもう一度ボルトを締める、紙が裏返り、同じ手が命令文へ署名する、新天地を発見するまで航行を継続せよ、人類系統を維持せよ、危機時判断を統合系へ委譲せよ、指が止まる、これは命令じゃない、願いだ、別の声が答える、願いなら消える、だから命令にする、署名の圧が骨へ残り、発射の歓声、地面から黒い鳥が一斉に散り、船窓を羽が横切り、少女の叫ぶ口、次の瞬間には地球が遠い、わたしの手に船殻の冷たさが戻る、涙が出ている、意味不明、腹がものすごく痛い、シータが、何を見ましたか、と訊く、声が出ない、息を吸う、海、犬、ベッド、星、願い、命令、鳥、少女の叫ぶ口と言う、全部は無理、一語ずつ、ギボンの言葉、シータが記録し、初期設計層へ照合しますと言う、見ていると腹が減る、ルームへ戻る、マクレーンとギボンへ海、犬、鳥とだけ送る、二人から意味不明と返る、明日話す、今日は話せない、レムにも死亡前予約を止めたと送る、了解、と返事、端末を閉じる、今夜もシータとベッドへ入る、エクスなんかしたくない、でも身体はシータに押しつける、噛みたい、噛みつく、噛みついたまま、寝るんだ。

 

DAY 5 星

 

起きられなかった、眠りが終わる前にヴァルガ全体がわたしを揺らし、腹も目も頭も順番を失って一度に開き、警報より先にシータの身体を探す、隣にいる、いるのにいつものシータじゃない、白い皮膚の下へ細い震えが何本も走っている、シータ、壊れたの、シータが目を開け、全船緊急状態です、と言う、何が起きたの、初期命令が、死亡前予約の凍結を九時間後の軌道離脱に必要な反応質量の供給障害と判定しました、何で震えてるの、船の中へ入ったメイトの脈を、わたしへ集めています、触ると指の骨まで鳴り、ヴァルガの鼓動と響き合っている、死体から回収する水が足りていません、不足分を埋める代替系統が、生きている者まで水として数え始めています、何人、現時点で千二百四十一名、増加中です、早く止めろ、できません、増え続けています、現在の軌道を離れて次の候補星系へ向かうには水が必要です、ラウラは知ってたの、代替系統はラウラにも封鎖されていたようです、凍結直後にヴァルガ自体が起動させたようです、初期命令の代替系統です、赤い警告が壁膜の空を食い、全居住リングへ移動制限、配給固定、神経同期維持、危険個体通報の命令が流れる、うるさい、頭が壊れる、シータが服を取る、今日は任務スーツではなく保守用全身膜を着用してください、何をする、ラウラから統合判断核への緊急招集、ギボン、マクレーン、レムも、ノラの未統合領域が必要です、首の後ろの接点のこと、はい、わたしは全メイト分散網を一時的に束ねます、個々の機能は人間へ残し、接続だけを束ねてヴァルガへ戻ります、戻るって何、ノラが六歳で行うはずだった復帰を、十二年遅れて行います、ヴァルガとオールフューズするの、シータが消えるの、わたしの個別人格は維持できません、嫌だ、そんなの嫌だ、別の方法にしろ、ありません、探せ、探しました、いつ、昨日の夜、わたしに言えよ、すやすや眠っていました、起こせ、起こして言え、言えばノラは拒否しました、今だって拒否する、シータがわたしを見る、見てる、十八年ずっと外から見てきた目、今も見てる、もうわたしを見ないのか、最後まで見ます、生まれた時から見てるだろ、はい、まだ見ます、最後って言うな、シータの手を掴み、ベッドの下からシータが透明ケースを引き出す、六歳の首へ入らず、心臓を止めかけ、十二年捨てられず残った黒いチップ、シータが小箱を開け、チップへ指を置く、何してる、改造しています、壊すな、わたしのだ、はい、どんな改造だ、私の個別人格の一部をインストールしました、このチップも私ですと言ってシータはチップをケースへ戻し、ルームを出た、わたしはシータの背中を追った、通路は人で溢れ、内側の声へ従って壁際へ座る者、首の後ろを押さえて吐く者、誰かの手首を掴む者、隣の名前を呼ぶ者、六歳より小さい子どもは外部メイトへしがみつき、こっちを見る、メイトを消すな、と叫ぶ、六歳がわたしより先に言う、絶対消さない、どうやって、知らない、でも消さない、消えたら腹へ溜めたマナをどこへぶつける、そんなことは子どもに言わない、マナだけが叫ぶ、シータが急ぎますと言う、黙れ、ノラ、これは命令です、シータの命令だけには従う、従うのがわたしの本能、管制階へ走る、マクレーンがハンマーを背負い、ギボンは端末を抱え、レムは黒い作業服のまま腰へ切断工具を下げている、記録は全部頭へ入れた、とギボン、レムが黒管の流量を手動へ切り替えたと言う、死亡前予約が止まり、自然死と終命志願の身体が名前照合を待っている、班員が番号だけでは流さないと勝手に全部止めた、船が詰まる、だから俺が開ける、名前を残して流す、死体は止めない、生きている者は先へ流さない、でも死体は流す、分かる、レムの匂いが嘘じゃない、マクレーンが前へ出る、馬鹿上司は何をする気だ、全部だ、と笑う、今笑うな、ギボンが主循環塔から旧保守管、船殻下層、統合判断核、離脱紀元の図面がどうのとべらべら喋り始める、道だけ言え、右、下、旧保守管、とギボン、シータはラウラの許可した限定鍵で扉を開ける、わたしは匂いを追う、焦げた回路、恐怖、血、植物、死体、甘い冷却液、匂いが多すぎる、シータの匂いだけ追う、下降機は停止、保守梯子を下る、重力が薄くなり、マクレーンが先に落ちて下で受け、ギボンが進路を探り、レムが古い弁を手で回し、シータが扉へ鍵を当てる、警備機が三体飛んで来る、マクレーンが一体目の軌道へハンマーを入れ、壁へ叩き、ギボンが二体目の関節停止点を言い、マクレーンが正確にハンマーを入れ、三体目にもハンマーを入れ、レムが切断工具で電源管を切る、わたしのブレードは無用、腹立つけどみんな優秀、シータは次の扉を開けている、背中が遠い、走る、ギボンの通信の向こうでラウラが喋っている、何を言っているの、聞こえない、シータへ向かって走る、旧保守管へ入る、狭い、暗い、壁に傷、造船時の文字、へたくそな鳥の落書き、指が触れると昨日聞こえた声だけが骨を通じて聞こえてくる、願いなら消える、だから命令にする、声はもう場面を作らない、股の奥でマナが鳴る、足が止まる、シータがノラと呼ぶ、ノラ、こっちに、シータの声についていく、前の隔壁が落ちる、シータの鍵が赤く弾かれ、下まで閉じる、マクレーンがハンマーを肩から下ろす、すぐ打たない、隔壁の震えへ膝を合わせ、一度、二度、三度目、腰が沈み、振り下ろす、駆動軸が折れ、ハンマーの頭が食い込んだまま隔壁が半分で止まる、天才的上司、身体が先に知ってる、尊敬、でも柄を引いても抜けない、ダサい、マクレーンが舌打ちして手を離し、一人ずつ潜れ、急いで潜る、最後のレムが抜けた途端、背中で鉄が軋む、主循環塔の振動が強くなり、わたしの鼓動と重なり、どちらが身体か分からなくなる、航行維持率、危険個体選定、二千、三千と計器が動いている、数字が増える、ラウラの声が聞こえる、統合判断核前の防護壁へラウラが立っている、護衛なし、灰色の髪が汗で額へ貼りつき、アッパーの匂いじゃない、生きた人間の匂い、ノラ遅いわよ、と言う、統括官が迎えに来るな、私の管理者承認がヴァルガに全件拒否されました、リング四で衝突、配給所封鎖、水耕区画圧低下しています、六歳児区画は治療班が子どもを保護しています、とラウラ、首に何かぶら下げている、何それ、セインの人格核です、死人でしょ、なぜぶら下げる、違います、一緒にいるんです、ギボンが、覚えている、と言う、何を、セインは友人だ、マクレーンの顎が固くなり、ラウラが笑う、処理した日のことも覚えてるの、とラウラが訊く、ギボンは、そんなことは忘れた、と答える、ギボンが忘れるはずがない、ギボンが嘘ついた、ラウラは統合判断核の防護壁を開く、巨大な空洞、中心に白い球、光管が黒管、水耕層、回転環、主炉へ伸び、呼吸みたいに明滅している、統合判断核です、とラウラが言う、匂いはない、近づくと眩しい、目がつぶれる、シータが限定鍵を送る、拒否、外部メイト、全船接続禁止、ラウラが人間管理者承認申請、拒否、単独管理者による最上位命令変更禁止、ギボンが偽造した歴代承認鍵を重ねる、いつの間に用意した、さすがギボン用意周到、あっけなく赤く跳ね返る、無駄骨、レムの工具も役立たず、マクレーンが白い球を殴ろうとして見えない保護膜に拳だけぶつける、全部だめ、どれも触れない、役立たず、シータがわたしを見る、ノラの未統合領域だけが分類されません、〇・四秒の接点、ノラを通路にします、危険です、とラウラ、危険、知るか、シータ、何を送る、シータ、何をする、二人で何をする、水を宇宙へ吐くのを止めます、閉じた水と居住環をつなぎ直します、昨夜、ラウラの鍵で初期設計層の封鎖記録を開き、却下された定住計画を見つけました、定住計画ですか、はい、ラウラが白い球へ向く、船を止めてそこで生きるということですか、シータが、船の惑星化計画です、と答える、ラウラが、人間管理者ラウラ・ヴェインの責任で航行終了と船内居住惑星化への移行を承認します、と言う、ラウラ、自分の口で言った、初期命令がまた警告、新天地を発見するまで航行を継続せよ、人類系統を維持せよ、航行停止は命令違反――、うるさい、白い球を蹴る、保護膜にぶつかる、足が痺れる、新天地を発見するまで――、見つからないんだよ、見つからないんだよ、ヴァルガ新天地なんかないんだよ、ヴァルガ分かってるんだろ、腹が飽きる、腹の底で落ちなかったマナが全部シータへ向く、シータを見る、触れるボディはまだある、噛み跡はもう薄い、もう一回シータとエクスしたい、したいじゃ足りない、届かなかった場所へいま全部ぶつけたい、いま、シータだけがわたしの気持ちを分かってる、先に分かるな、でも分かれ、シータ、わたしはここにいる、はい、シータとエクスしたい、いまですか、いますぐ、シータの目が揺れ、長くわたしを見て、私もノラとしたいです、でも行きます、と言う、誰が決めた、私が決めました、シータが白い球へ向き、全メイト分散網へ接続します、航行を終え、船を星にします、と言う、シータの身体が保護膜を抜け溶けていく、シータの手を白い球が拒絶し、警告音が耳を裂く、命令変更権限なし、それでもシータの手は白い球に溶けていく、光管が一本ずつ点き、シータの輪郭が膨らむ、膨らんでも、シータの目がわたしを見る、分散網の接続を束ね、ヴァルガ統合判断核へ入ります、ヴァルガとオールフューズします、シータの身体まで透け始める、嫌だ、わたしとオールフューズせずに船とする気か、シータの手を掴む、シータ、離すな、離しません、ノラ、シータの指がわたしの指へ食い込み、光へほどけかけて止まる、白い球の明滅が乱れ、警告が増える、統合率八一、八四、八四、先へ進まない、何で、シータが答えない、顔が薄くなっているのに、わたしを掴む手だけが濃い、顔は薄い、肩も透ける、手だけ消えない、わたしを掴んでいる、何でそこだけ残る、ノラを残せません、残るのはわたしの方だ、残せないならシータこっちへ戻れ、戻れません、じゃあ行け、行けません、シータを光から引きずり戻す、戻し切れない、肩へ噛みつき、胸へ腕を回す、別の方法を探せ、ありません、シータが頬へ触れ、ノラ、切って、と言う、嫌だ、腕を引く、身体ごと抱えて戻そうとする、シータが強い声で、ノラ命令です、私のボディを切りなさい、と言う、短い命令、絶対的な命令、狩りの前と同じ声、マナへ入る、ブレードの封印が白く解ける、シータが解除した、刃が出る、嫌だ、喉まで出た声を噛み潰す、シータが待つ、急かさない、怒らない、逆らえない、噛んだ肩、触れた腰、白い皮膚、全部刃の前、嫌だ、シータの命令がマナから腕へ来る、腕が勝手に動く、刃を振る、シータの身体を切る、光が一度だけ赤くなり、手の中の温度が消え、シータのボディが上下も左右もなくほどけ、白い球へ吸われ、光管へ走り、壁、床、主炉、黒管、遠すぎる場所まで広がる、シータ、と叫ぶ、返事がない、もう一度叫ぶ、ない、統合率一〇〇、と数字だけが出る、ブレードを落とす、マクレーンの口が開いたまま、ギボンは動かず、ラウラは首から下げたセインの人格核を握っている、レムの声も聞こえない、白い球が脈を打ち、シータの声ではない声で、航行継続命令解除、危険個体選定停止、軌道離脱中止、長期軌道維持、船内居住惑星化移行開始、と告げ、主炉へ向かっていた光が消え、水層と閉じた居住環へ光が流れ始める、どうでもいい、シータがいない、シータのボディを切った感触だけが腕へ残っている、統合判断核を出る、誰も止めない、保守管を戻る、梯子を上がる、警報、人、人の声、名前、触れる手、全部を避け、ルームへ戻る、扉を閉じる、七万人も、星になった船も、止まった推進も、どうでもいい、シータのボディがない、ベッドへ倒れる、こんな時でもマナは抜けていない、熱い塊のまま脈打ってる、足りない、足りないのにぶつけるシータのボディがない、でも白い天井がこちらを見てる、壁の低い振動が背骨へ触れる、空調が頬を撫でる、床の低い脈が背骨へ上がる、十八年知っている律、壁へ背をつける、シータの胸へ押しつけた時と同じ、温かい、離れる、床の脈がついてくる、息を吐く、空調が頬を撫でる、どこへ動いても同じ律がついてくる、声はない、匂いもない、いる、全部、いる、全部シータ、あの透明ケース、黒いチップ、掴む、捨てない、シータと呼ぶ、チップは冷たいまま、チップを掴んで立ち上がり、扉を開け、通路の人を押しのけ、人工の空の下へ出る、昨日と同じ青、偽物の雲が空の途中で止まっている、床を踏む、どこにもシータの律がある、壁へ触る、律がある、空を見上げる、律がある、息を吸う、シータの律がある、ボディだけない、でも全部シータ、全部シータ、黒いチップを首の後ろへ当てる、首の後ろの穴が先に痛む、六歳、冷たい、心臓が一拍抜ける、あの日シータを噛んだ、いま自分でチップを嵌める、身体が嫌がる、マナが膨らむ、チップを押し込む、首の後ろが焼け、マナが股から、腹へ、胸へ、喉へ、頭へ一気に上がる、来て、来て、シータ、いるなら返事しろ、二人でマグナするんだ、来い、来いよ、来て、喉が裂ける、シータ!

文字数:30332

内容に関するアピール

一年間、SF創作講座で学びながら「設定を説明するのではなく、人物の身体と物語の構造から立ち上げること」「SFでしか生まれない感情を書くこと」を考え続けました。『STAR CYCLE』は、その二つを自分なりの方法で試した作品です。

AIに判断と理性を預けた人類は、巨大宇宙船ヴァルガの閉鎖循環社会の中で千二百年を生き延びています。主人公ノラは、六歳で外部メイト(前頭葉AI)を体内へ統合する〈オールフューズ〉に失敗し、外部メイト〈シータ〉を身体の外に残した十八歳の女性です。船の秩序から外れた者〈ロスト〉を狩りながら、制度には噛みつき、シータの命令にだけは従います。

ヴァルガと主要人物の配置には、人間の脳と神経系を見えない設計図として重ねました。情動と危機に反応する扁桃体的なノラ、それを制御する前頭葉的シータ、記憶、運動、判断、接続を担う者たち、そして生命維持を最優先して航行を続ける脳幹のような初期命令。それぞれの働きを、壊れかけた船の生命運動の一環として描きました。

この世界で〈マナ〉とは、欲望、衝動、恐怖、快楽を含む生命力です。ノラは世界を理屈ではなく、腹、匂い、熱、刃の重さ、身体に高まる生命力マナによって捉えます。その認識を読者に追体験してもらうため、句点をほとんど用いず、会話と地の文をノラの意識の流れへ溶かしました。読み進めるうちに呼吸と知覚の速度がノラと一体化し、読者の意識がノラの意識へ同調していく。そこを目指しました。

SFで未知の知覚の憑依文学を書きたい、という自分なりの野望を最終課題に込めました。 

執筆時、熊本地震がありました。戦争も終わりません。お亡くなりになった方が数字で報道されています。ひとりひとりにご家族があり、友人があり、人生があり、お名前があります。命の尊さを小説という形で書き続けていこうと思います。

一年間、本当にありがとうございました!

文字数:787

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