グリーンフィンガー
第一章
「ずいぶんと、趣のあるお店ですね」
店に入ってきたひとりの男は、席に着くなりそう言った。
男は、教会の神父を思わせるような、襟付きの黒いロングコートに着ていた。
神父服の男は席に着くと、注文もせず、しばらく店のあちこちを物珍しそうに見回していた。店主であるジルドと目が合うと、彼はにこりと気味の悪い笑みを浮かべた。
ジルドはその客が気に入らなかったが、追い返す理由もない。
仕方なく注文を取りに向かった。
「注文は」
ジルドがそう言うと、神父服の男はテーブルの上で指を組んだ。その指先は緑色に染まっていた。男は胡散臭い笑みを浮かべ、穏やかな口調で言った。
「本日は、あなたに少々お話があって参りました」
どうやら厄介な客が来たようだ。
ジルドは苛立ちを抑え、小さくため息をして男に注文を聞いた。
「話をするのは構わんが、うちは飲食店だ。何か注文してからにしてくれ」
「これは失礼しました」
神父服の男は大げさに謝り、お勧めは何かと聞いてきた。ジルドがホットドックとコーラでいいかと尋ねると、男は満足そうに「ええ。それでお願いします」と返事した。
神父服の男は、注文を待つあいだも店内を見回し、近くの客と目が合うたびに、例の気味の悪い笑みを浮かべていた。
「こんにちは。よい一日ですね」
声をかけられた客は苦笑いを浮かべ、男と視線を合わせないようにそそくさと店を後にしていった。
男のテーブルに料理を運んだときには、店に残っている客はほとんどいなかった。男はそれを気にする様子もなく、静かになった店内を満足そうに眺めていた。
「あなたがこの店のオーナーで間違いありませんか?」
ジルドが「そうだが」と答えると、男は笑顔のまま尋ねてきた。
「こちらの店では食材をどこから仕入れておられるのですか?」
「なんでそんなことをお前に教えなきゃならん」
ジルドが不機嫌な口調で答えると、男は続けた。
「こちらでは、認証を受けていない食品を使用していると聞きました。この辺りの飲食店は、どうも衛生に対する意識が足りませんねぇ。保健所の検査だけで、安全が保証される時代ではもうないんですよ。仕入れ先の管理、遺伝子汚染の検査、流通経路の追跡――それらを全てクリアして、やっと人々は安心して食事をすることができるんです」
男はそう言って、ホットドッグを包む紙を緑色の指先でなぞった。
「認証を受けた食品を扱う。それだけで、お店もお客様も、余計な危険から身を守れるんです。備えを怠った店が、いつ、どのような不運に見舞われるか」
その男の言葉に、ジルドは眉間にしわを寄せた。
「その不運ってのは、具体的にどんなもんなんだ?」
ジルドが質問をすると、男はとぼけた顔をして答えた。
「さて。私には分かりかねます。人の運命など、神のみぞ知ることですから」
男は胡散臭い笑みを浮かべ、ジルドを見上げた。
ジルドは男の顔面を殴りたかったが、その衝動を抑え、低い声で尋ねた。
「回りくどい言い方はやめろ。要するに、その認証とやらがない食い物を扱う店が、あんたの神様は気に入らないんだろ。だからこうして俺を脅しに来た。違うか?」
ジルドの凄みにも動じず、男はわざとらしい笑みで答えた。
「脅すだなんてとんでもない。私はただ、あなたとこの店の行く末を案じているだけですよ」
ジルドが険しい顔で睨みつけても、男は少しも怯まなかった。男は笑みを浮かべたまま、ジルドをたしなめるように言った。
「誤解なさらないでください。私はただ、今後の店のためを思って助言しているだけです。ぜひとも、認証のことは他の店の方々にもお伝えいただきたい。認証を受けた食品を扱うことは、この地域全体の安全につながります。商店街振興組合の会長にも、先日お話ししたのですが、どうも聞く耳を持っていただけなくてね」
男は静かに席を立った。
「さて、お会計はいくらになりますか?」
ジルドが金額を告げると、男はこめかみのナノスキンを指先で軽く叩いた。チャリンとレジから音が鳴り、支払い完了の表示が浮かぶ。
「どうも、お邪魔いたしました」
男は最後まで笑みを崩さず、店を出ていった。
扉が閉まると、店内には妙な静けさだけが残った。
ジルドは、東の富裕層地区で妙な団体が幅を利かせているという噂を思い出した。認証だの安全基準だのを盾に、従わない店には、商売を続けられないよう徹底的に追い込むような輩だと。確か、グリーンフィンガーとかいう連中だったか――だが、まさかこの北地区まで出張ってくるとは。そんな認証を気にするような客は、この辺りには一人もいない。ここいらの連中には、ごみも漁って食っているような奴も多いというのに。
とにかく、早いうちに組合へ話を通しておいた方がよさそうだ。ジルドはそう考えながら、男が手をつけなかったホットドックを片付けようとした。
「なあ、それ、食っていい?」
ジルドは振り返り、大きくため息をついた。
また別の厄介な客である。
声の主は、この店の常連客であるシロだった。
このガキはいつも、カエルだかトカゲだかよく分からない生き物のリュックを背負い、祭りの法被のような妙な羽織を着ている。このガキが使うテーブルは、いつもケチャップやら油が椅子や壁まで飛び散り、それを片付けるのにジルドは毎日うんざりとさせられていた。ジルドは行儀が悪いと、何度か叱ったことがあったが、シロが聞く耳を持ってくれたことは一度もない。しかしながら、こいつは店に来ると、四、五人分をペロリと平らげて帰って行く。このガキは、店の売り上げに多少なりとも貢献している常連客であるということを、ジルドは毎回、自分に言い聞かせていた。
「勝手に食え」
シロは嬉しそうに男の残したホットドッグとコーラを抱え、自分の席へ戻っていった。椅子に腰を下ろすなり、さっそく大口を開けてホットドッグにかぶりついている。
シロは口いっぱいに食べ物を頬張ったまま、ジルドに尋ねた。
「おっさん、脅されてんの? なに、謝金とりか?」
シロは何か面白そうなことが起きそうだと期待しているのか、ニヤニヤとジルドを見ている。
ジルドは小さく息を吐き、手を振った。
「違うちがう。だたの怪しい宗教勧誘だ」
「ふーん」
シロは興味を失ったのか、窓の向こうを見てひとりで何か楽しんでいた。
ジルドは、自身の右腕に目を落とした。
肘から先を覆う金属製の義手の表面には、細かな傷が無数に刻まれていた。このインプラントを付けてから、もう二十年が過ぎようとしていた。ジルドが指を動かすと、内部でカチリと音が鳴り、指先の電極部がむき出しになった。電極はパチパチと音を立て、光を発している。
あの大戦を生き延びられたのも、こいつのおかげだと、ジルドは電極の光をしばらく見つめた。電極が光る右手をゆっくりと握り込むと、インプラントはカチリと音を立て、元の形に収まった。
「なあ、シロ考えたんだけどよ。オムライスをホットドッグにしたら、うまいんじゃないか?」
唐突にシロは言った。
「名前はオムドックだな。うん、きっと売れると思うぞ」
シロは自分の案にすっかり満足したのか、腕を組んで何度もうなずいていた。
ジルドは大きくため息をついた。
シロは一度こういう思いつきを出すと、意地でも店のメニューに加えようとする。仕方なくメニューを出してみると、これがまた妙に客受けするのだから、ジルドとしてはどうにも面白くなかった。
シロに言われるまま新しい品を増やしてきた結果、この店のホットドッグは、今や三十五種類にまで膨れ上がっていた。
もともとジルドは、ホットドッグとポテト、それに飲み物を出すだけの質素な店にするつもりだった。養う家族がいるわけでもなく、軍から支給される年金だけで生活には困らない。店も、退屈しのぎに小遣い程度を稼げれば十分だと考えていた。
最初は子供を喜ばせてやろうという、ジルドの親切心で始まったことであったが、シロに言われるがままメニューを増やしていった結果、今ではデザートや焼きそば、ピザトーストまで並び、シェイクだけでも二十種類以上ある店となってしまった。
若者には、その種類の多さが受けたらしい。いつの間にか評判が広まり、今ではこの辺りでそれなりに名の知れたホットドッグ店になっていた。
「こいつの有難い新メニュー案を聞いてやってくれ。今日は早めに店を閉めるぞ」
ジルドは厨房にいるアルバイトにそういうと、店の片付けを始めた。
シロは身振り手振りを交えて、アルバイトの学生に熱弁を振るった。押しつけられたアルバイトは、けだるそうな顔でシロの話を聞いていた。
ジルドは店の入口へ向かい、営業中の表示を裏返した。
扉のガラス越しに外を見たが、神父服の男の姿は、もうどこにもいなかった。
外ではいつの間にか雨が降り始めていた。
第二章
ジルドはいつもより早く店を閉め、この街の商店街振興組合の会長、タケミツに会いに行った。
タケミツはジルドより二回り近く年上で、小さなパチンコ屋を営んでいる。店の経営から税金、保健所や労基への対応まで、この街で商売を続けるために必要なことを、ジルドは彼から教わってきた。商店街の店主たちも皆、何かあればタケミツに相談し、その忠告を尊重していた。ジルドもまた、タケミツを頼る人間の一人であった。
この時間なら、タケミツはたいてい、自分の店で玉を弾きながら暇を潰しているはずだった。しかし、店にタケミツの姿はなかった。店番の男によれば、組合の幹部を集めて話し合いをしているらしい。
「会長が、あんたが来たら龍松閣へ来るように言えって。なんでも、グリーンフィンガーがどうのこうのとか言ってたぞ」
ジルドは商店街の中ほどにある中華料理屋、龍松閣へ向かった。
奥の座敷を覗くと、商店街の幹部三人が卓を囲み、難しい顔を突き合わせていた。
タケミツは上座で、静かに煙草をふかしていた。
「よく来ましたね」
タケミツは灰皿に煙草を押しつけ、空いている席を示した。
「座ってください。あなたのところにも来たのでしょ?」
ジルドは緊張しながら席についた。右隣には、商店街でスーパーを営むフジワラ、左には酒屋を営むアンドウが座っていた。二人ともイライラとした様子で、ジルドを睨みつけている。ジルドは恐るおそる口を開いた。
「神父じみた格好の男が店に来た。認証を受けた食品を扱えと脅してきたよ」
右にいたフジワラが、それを聞いて興奮気味に言った。
「うちにも来たよ。昨日のことだ。その認証とやらを受けた品を仕入れるにはどうすればいいって聞いたら、まず入会金が百五十万。それとは別に、毎月五万払えとさ」
アンドウが続けて言った。
「私のところにも来ましたよ。あの人たち、娘の勤め先やら、母さんのいる病院まで知っていました。噂通り、気味の悪い指の色をしていましたね」
「警察には?」と、ジルドが聞いた。
「言ったところでどうする。あいつらは東のやつらの言葉しか耳に入らんからな」
フジワラはあきらめたような口ぶりで答えた。
「じゃあ、このまま黙ってるのか」
ジルドがそう言うと、二人は口を濁し、黙ってしまった。
「まぁまぁ、落ち着きなさい」
タケミツは言った。
「こちらから騒ぎを起こせば、向こうに口実を与えるだけです」
「しかし、放っておけば――」
タケミツはジルドの言葉を遮って言った。
「放っておくとは言っていませんよ」
タケミツは、眉間にしわを寄せたジルドの顔に笑みを向けた。
「次に来たら一人で対応せず、必ず私を呼ぶこと。余計なことをしてはいけませんよ」
横にいたフジワラが、ジルドの肩を叩いて言った。
「腕っ節があるからって、いきなり殴るのはなしだからな」
ジルドは肩をすくめて言った。
「まぁ、向こうが先に手を出さなければな」
「それでいい」
フジワラは腕を組み、満足げな笑みを浮かべた。
タケミツは煙を吐き、背もたれに身体を預けた。
「今はまだ焦って動くより、しばらく様子を見ましょう。こちらからは手を出さない。まずは、あっちの出方をうかがいましょう」
タケミツは大きく煙を吐き、続けた。
「余計なことを考えず、今までどおり店を開けてください。監視は、あの子に任せるとしましょう」
フジワラとアンドウは、互いに顔を見合わせた。
アンドウは不安げに口を開いた。
「本当に、あの子で大丈夫なんでしょうか……」
タケミツは声を立てて笑った。
「大丈夫さね。あなたたちは知らないかもしれませんが、あの子は見かけによらず、よくできる子ですよ」
タケミツは目を細め、ジルドを見た。
「あなたには、ずいぶん懐いているようだから。頼みましたよ」
ジルドは嫌な予感がした。
タケミツらが言っている〝あの子〟というのは、まさか――
第三章
グリーンフィンガーの出方をうかがうのに、そう長く待つ必要はなかった。
次の日、店を開けて間もなく、神父服の男が言っていた不運が、さっそくやって来た。
「ジルドさん、ですよね」
店に入ってきたのは、二十歳そこそこの若い男だった。
短く刈り上げた髪に、安物の革ジャケットを着ていた男は、いわゆるチンピラに見えたが、男の首筋には最新式のナノスキンが鈍く光っていた。どうもただのチンピラでなないらしい。
「やっぱりそうだ。第六戦争での噂、聞いてますよ」
ジルドは返事をせず、男を見た。ふと、男の指先に目が止まった。昨日、店を訪れた神父服の男と同じく、男の指先は緑色に染まっていた。
ジルドはひとまず、タケミツへ連絡を入れようとしたが、手首の端末を叩いても反応しなかった。どうにも端末の調子がおかしい。通信状況を示すLEDが赤く点滅している。
ジルドは男へ視線を戻し、注文を聞いた。
「ここの食い物なんて、いらないっすよ」
男は店内を見回しながら、鼻で笑った。
「認証も取れてない飯なんて、怖くて口にできないんで」
「じゃあ、何しに来た」
ジルドが低い声で言うと、男は薄笑いを浮かべながら店内をぶらぶらし始めた。
メニューを手に取ってしばらく眺め、飽きたのか今度は店内の置物を手に取り、裏返して底を確かめたりしていた。
「そいつに触るな」
ジルドが言うと、男はへらへらと笑いながら答えた。
「別に見るくらいいいじゃないっすか」
男は置物を元の場所へ戻し、話を続けた。
「俺たちはね、認証された安全な商品を、皆々様にお届けしてるんですよ」
男は両手を広げて言った。
「変なものを食べさせない。変なものを売らせない。みんなが安心して暮らせるように認証制度を皆さんにお勧めしているんです。そうやって社会の安全を守ってる。立派な話でしょう?」
ジルドは黙って聞いた。
「なのにですよ? 認証制度を拒む人がいるんですよ。自分さえよけりゃいいって連中です。自分たちの利益を優先して、お客様の安全を考えようとはしない。どう思います?」
ジルドはしばらく男の顔を見てから言った。
「その『俺たち』ってのは、誰のことだ?」
男は笑みを浮かべたまま、ジルドの目を見返した。
「ん?」
男はわずかに首を傾け、聞こえないふりをした。
「グリーンフィンガーか、それとも、その後ろにいる誰かか? お前、誰に言われてここに来た?」
次の瞬間、男の首筋でナノスキンが光った。
皮膚の下で淡い光が走り、肩から腕へ細い筋となって広がっていった。
見せつけるためにわざと出力を上げているように見えた。自分は、ナノスキンで強化された力でお前をねじ伏せられる。男はそんな自信に満ちた顔をしていた。
「別に、誰でもいいでしょう」
男は勢いよくカウンターへ拳を叩きつけた。
低く鈍い音が店内に響いた。床を伝った振動が、ジルドの足裏にも届いた。
拳の下では、分厚いカウンターテーブルが、重い鉄球でも落とされたかのように深くめり込み、歪んでいた。
「ジルドさん、知ってますか?」
男はへこんだカウンターから拳を持ち上げ、勝ち誇ったように言った。
「今じゃ、ナノスキンでこんなことまで出来るんですよ」
男のナノスキンは、首筋から腕へ光を走らせ、呼吸に合わせて脈打っていた。
「昔はインプラントが随分もてはやされたらしいですけど、そんな生身を削って機械を埋め込むようなもの、今じゃ時代遅れっすよ」
男はジルドの身体を値踏みするように眺めた。
「今どき、そんなものを有難がるのは、体壊した年寄りくらいですよ」
男が話している隙に、ジルドはアルバイトたちへ目配せした。彼らがそっと厨房の奥へ下がるのを確かめると、ジルドは男へと向き直り、淡々と言った。
「お前も知ってるか? 今お前がやったことは器物破損、立派な犯罪行為だ。修理代を払ってもらえるんなら、見逃してやってもいいがな」
男は数秒、ぽかんとした顔をしていたが、やがて堪えきれなくなったように、ぷっと吹き出した。
「ジルドさん、あんた、状況わかってます?」
男の口元にはまだ笑みが残っていたが、声色は露骨に低くなっていた。
男の首筋を走る光が、ひときわ強くなった。身体の輪郭に沿ってナノスキンが熱を帯び、筋肉が外側から絞り上げられるように隆起した。男はゆっくりと息を吸い込むと、両手を軽く握りしめた。指の関節が、乾いた音を立てた。
ジルドは男から目を離さず、インプラントを換装した片手を軽く握った。
店内に沈黙の時間が流れる。
そのときだった。
「お、やってっか?」
店のドアが勢いよく開いた。
緊張の張りつめた店内へ、シロがのこのこと入ってくる。
シロは店内の様子を見回し、へこんだカウンターと、向かい合った二人を順番に見た。
「なんだなんだ、朝から景気がいいな」
「帰れ。今は忙しいんだ」
ジルドはシロに怒鳴るように言った。
「なんだよ、太客が食いに来たんだぞ。もっと有難がれよ」
シロはジルドの前を横切り、そのまま男の脇を通り抜けようとした。
「ガキは引っ込んでろ」
男はそう言って、シロを押し退けようとした。
だが、シロは床に根でも張っているかのように、微動だにしなかった。
「おい兄ちゃん」
シロはへこんだカウンターを指差して言った。
「こんなことしちゃいけないんだぞ。物は大事にしろって、習わなかったのか?」
男は鬱陶しそうに顔をしかめ、さらに強く、シロを押し退けようとした。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
シロの拳が、男の腹へ深くめり込んでいた。
男の身体はくの字に折れ、そのまま大きく後方へ吹き飛んだ。
男は背中からテーブルへ突っ込んでいった。テーブルは中央から大きく割れ、派手な音を立てて食器が床へ散らばっていった。
ジルドは真っ二つになったテーブルを見た。それは、わざわざ骨董屋から取り寄せた、旧世紀製のヴィンテージテーブルだった。値段もさることながら、このテーブルはジルドが時間をかけて何軒も店を回り、ようやく手に入れた代物であった。
「おい。店を壊すな」
ジルドはシロに怒鳴った。
「なんだ。こいつが先に喧嘩売ってきたんだぞ」
シロは手を後ろに回し、いじけるようにして言った。
倒れた男は、散らばった瓦礫を押しのけながら、ゆっくりと身を起こした。鼻からは血が流れている。男はシロをギッと睨みつけた。
「てめえ……」
男のナノスキンが一斉に光った。
男が床を蹴ると、瞬く間にシロは間合いを詰められた。強化された拳が、唸りを上げてシロの顔面へと向かった。
だがシロは、軽く頭を傾けてそれをかわした。
そのままシロは、男の軸足を横から払った。
男は勢いを殺せないまま宙に浮き、顔面を床へ叩きつけた。
べちんと鈍い音が響く。
ジルドは思わず顔をしかめた。
しばらく男は突っ伏していたが、男はあきらめず、床に手をついて跳ね起きてきた。
シロに再び拳を振りかぶる。
そのときだった。
男の肘周りで、ナノスキンが音を立てて裂けた。
シロは男の攻撃をかわすと、むき出しになった肘へ容赦なく手刀を叩き込んだ。
「うぐっ……」
男は肘の芯を打ち抜かれ、潰れた声を漏らした。
その隙を逃さず、シロは男の股間を蹴り上げた。男が身体を折ったところで、襟首をぐっとつかみ、そのまま勢いよく顔面を再び床へ叩きつけた。
男は床に伏したまま小さく呻くだけで、もはや起き上がる気配はない。
それでもシロは手を緩めず、倒れた男の襟首をつかんだ。
「おい、もうやめろ」
ジルドはシロに言った。
「もう十分だ。そいつが死んだら、修理代を取りっぱぐれるだろ」
「なるほど」
シロは納得したように頷き、つかんでいた男の襟首を離した。
男は床に突っ伏して、身体を小刻みに震わせていた。腕や脚のナノスキンは裂け、皮膚には紫色の内出血が浮かんでいた。
ふと、指先に目がいった。緑色の指先が、わずかに内側から光っている。
「あ」
シロが小さく声を上げた。
男の指先から発した光が、すっと手の甲を這っていった。
緑色の筋は、血管を流れるように腕を上り、男の全身を包んだ。
男は突然、すっと立ち上がった。
「おっさん、逃げろ!」
シロが言った。
男が顔を上げた。
男の目は充血し、緑色に発光していた。
「早くしろ!」
シロが叫ぶ。
ジルドは即座に店の奥へ駆け込み、アルバイトの腕をつかんだ。
「逃げるぞ!」
ジルドはアルバイトを引っ張り、厨房の裏口へと向かった。
店を出ると、背後で大きな破裂音がした。そして何かが壁へ激突し、食器が砕ける音が響いた。
次の瞬間、裏口の壁が弾け飛んだ。何かが壁を突き破り、路地へ転がってきた。
それはシロだった。
「痛ぇな」
土埃の中で、シロはぬくりと起き上がった。
服が少し裂けていたが、大きなケガをしている様子はなかった。
店の中から、重い足音が近づいてきた。
男は身体から湯気を出しながら歩いてくる。
裂けたナノスキンの下では筋肉が異常に膨張し、皮膚が緑色に変色していた。
呼吸するたびに、喉の奥から濁った音が漏れていた。
「もうバケモンじゃんよぉ」
シロはうんざりしたようにそう言って、顔をしかめた。
男はシロへ一歩ずつ、近づいてくる。
男が足を踏み出すたびに、膨れ上がった筋肉の血管が弾け、裂けたナノスキンの隙間から緑色の血が垂れていた。男は痛みを感じていないのか、顔には何の表情も浮かんでいない。
シロは腰を落とし、身構えた。
男は腕を振り上げる。
が、その拳がシロに届くより先に、男の身体が崩れ落ちた。
膝が折れ、そのまま前のめりに倒れていく。
男は地面へ突っ伏すと、二度、三度と小さく痙攣し、それきり動かなくなった。
シロは恐る恐る男の様子をうかがい、男が完全に動かないことを確かめると、大きく息をした。
「あぶなかったでぇい」
シロは額に浮かんでもいない汗を、腕で大げさに拭った。
ジルドは、路地に転がった男を見下ろした。
異様に膨れ上がっていた肉体は、すでに元の大きさへ戻りつつあった。発光していた指先は、今や元の緑色に戻っていた。
一体、こいつは何なのか。
グリーンフィンガーと関わっていることは間違いないだろう。だが、あの異常なまでの力は何だったのだろうか。ナノスキンの性能だけでは説明がつかない。それに、男が身につけていたナノスキンは、そこらのチンピラが、気軽に手に入れられる代物ではなかった。
ジルドは緑色の血を流す男を見下ろし、眉をひそめた。
グリーンフィンガーとは、いったい何なのだろうか。そして、あの男に平然と渡り合ったシロもまた、いったい何者なのか。ナノスキンで強化された男を殴り飛ばし、化け物じみた姿に変貌したあの男の一撃をくらっても、ぴんぴんとしている。
ジルドは、崩れた壁の向こうへ行って何か探しているシロを見た。
しばらくして、シロは何かを持って中から戻ってきた。
「ちょっと借りるぞ」
その手には、厨房から持ち出した包丁と、紙袋が握られていた。
シロは倒れた男のそばにしゃがみ込むと、男の緑色に染まった指先をつまみ上げた。
「おい、何する気だ」
ジルドが止める前に、シロはためらいもなく包丁を振り下ろした。
鈍い音とともに、男の指先が切り落とされる。
「おいおい……」
ジルドは眉をひそめた。ジルドの横にいたアルバイトは小さい悲鳴を上げた。
シロは切り取った指先を袋へ放り込み、紙袋の口をくちゃっと手で握りしめた。
それを目の高さまで持ち上げ、シロは満足そうに眺めた。
「こいつでグリーンなんちゃらの居場所がわかるぞ」
シロはジルドに満面の笑みを向けた。
「はぁ……」
ジルドは大きくため息をつき、自分の店の有様を見た。
はてさて、店の修理代は保険できっとなんとかなるとして、これから警察が来れば、事情聴取やら何やらで、しばらく面倒に付き合わされることになるだろう。んでもって、このガキが男をぶちのめして、なぜか指を切ったのを、俺はなんと説明すればいいのか。
ジルドは頭を抱えた。
「ずいぶん派手にやられましたねぇ」
表の方からタケミツが、数人の男を連れて歩いてきた。
壊れた店と倒れた男を見ても、タケミツはさほど驚いた様子はない。
タケミツは店内を一瞥し、それからシロとジルドを見た。
「シロ、ちゃんと護衛はできたみたいですね」
タケミツの言葉に、シロは胸を張ってふんぞり返っていた。
「ふん、シロはちゃんと仕事するやつだからな」
タケミツは言った。
「だがこの店の有様はなんでしょうね。仕事をしていた割には、ずいぶんと被害が大きいように見えますけど」
タケミツの言葉に、シロの先ほどまでの威勢は失われ、しゅんとしていた。
「シロは壊してないぞ、あいつが全部やったんだぞ」
「どうだかな」
ジルドのため息交じりの声に、シロはますます背中を丸めた。
「なんだよ! じゃあ全部シロが悪いのか! 悪いのはこいつだぞ!」
逆切れしたシロは、床に転がる男を蹴った。
騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にか店の前には野次馬が集まり始めていた。皆、こちらを覗き込んでいる。
「まあまあ。その話はあとにしましょう」
タケミツは集まってきた野次馬へ手を振った。
「修理の手配はこちらでしておきます。警察が来たら、私の方で話をつけておきましょう」
「え? だが――」
タケミツはジルドの言葉を手で遮り、話を続けた。
「その代わりと言ってはなんですが、あなたにはシロの調査を手伝っていただきたいんです」
ジルドは眉をひそめた。
「こいつの? なんで俺が」
タケミツは一度だけシロへ目をやり、困ったように薄く笑った。
「この子一人では、少々心配でしてね。なんというか……色々と」
ジルドもつられてシロを見た。
確かに、これまで店で見てきた行動を思い返す限り、こいつにまともな仕事ができるとは到底思えなかった。
「……そもそも、こいつは一体何なんだ?」
ジルドはタケミツに小声で聞いた。
タケミツは少しだけ考える素振りを見せた。
「この子は、そうですね……」
一拍間を置いて、タケミツは言った。
「街のチンピラみたいなものです」
「チンピラ? これがか?」
ナノスキンで強化された人間を素手で吹き飛ばすような奴を、ただのチンピラで済ませるタケミツに、ジルドは呆れたような目を向けた。
「ええ。まあ、少々、風変わりではありますがね」
「誰がチンピラだ! シロはチンピラじゃないぞ!」
シロの抗議は、誰の耳にも届いていなかった。
ジルドは大きく息を吐き、シロが持っている紙袋を見た。
「お前、その指どうするつもりだ?」
ジルドがそういうと、シロは紙袋を掲げて言った。
「クロカワのところに行くぞ! 手伝ってもらう」
シロがそう言うと、タケミツは「ほぉ」と小さく声を上げた。
「クロカワ先生なら、手土産のひとつくらい持っていかないといけませんねぇ」
タケミツはそう言うと、後ろに控えていた若い男を呼び寄せ、耳元で何か囁いた。男は短く頷くと、足早にその場を離れていった。
タケミツはジルドを見た。
「ちょうどいい機会です。この世界のことを、深く知っておくのも悪くありません。シロのこと、よろしくお願いしますよ」
タケミツはそう言い残し、集まった野次馬たちの方へ歩いていった。
ほどなくして、先ほどの若い男が戻ってきた。手には、きれいに包まれた菓子折りがあった。
「これを先生に、と」
ジルドがそれを受け取ると、男はすぐにタケミツのもとへ戻っていった。
シロはじっと菓子折りを眺めていた。
「……美味そうだな」
ジルドは伸びてきたシロの手を、軽くはたき落とした。
「ちぇっ」
シロは不満そうに頬を膨らませ、さっさと歩き出した。
「ほら、行くぞ。クロカワのところだ」
ジルドはもう一度、無残な有様となった店を見た。
呆然としているアルバイトに「今日はもう帰っていいぞ」と言い残し、ジルドは先を行くシロの後を追っていた。
第四章
シロに連れられてやって来たのは、大学の研究施設だった。
周囲を行き交う人々は、ARグラスとナノスキンをした学生ばかりで、シロとジルドは明らかに浮いていた。ジルドは警備員に捕まるのではないかとひやひやしていたが、シロはそんな心配などをよそに、理学研究棟と書かれた古びた建物へ入っていった。
「クロカワってやつは、大学の先生なのか?」
「そだぞ」
中は外から見る以上に薄暗かった。誰もいない廊下を進み、エレベーターで地下二階までいくと、クロカワ研究室と書かれた札のある部屋にたどり着いた。
「入ってください」
部屋に近づくと、こちらがノックをする前に扉の向こうから男の声が聞こえた。
部屋にはいかにも大学教授という風体の男が机の向こうに座っていた。白いシャツにベスト、ネクタイはきっちりと締められ、スラックスにはきっちりと一本の折り目がついていた。足元の革靴は、顔が映りそうなほどぴかぴかに磨き上げられていた。
「よぉ、クロカワ。生きてたか」
シロは勝手知ったる様子で部屋へ入り、そのまま応接用のソファへどかっと腰を下ろした。
「やっぱお前んとこの椅子はいいな。ふかふかしてる」
シロはソファの上で体を揺らし、ぴょんぴょんとしている。
クロカワは冷ややかな目でシロをしばらく見た後、ジルドへすっと目を向けた。
「それを」
クロカワはジルドの持っていた菓子折りを指さした。
ジルドは自分の手元を見て、クロカワが言っているものが手土産のことだと気づいた。
「あ、ああ。これか」
慌てて差し出すと、クロカワは当然のようにそれを受け取った。
「クロカワです。専門は精神物理学。シロさんにはよく研究を手伝ってもらっています」
クロカワはジルドに目を向けることなく、話しながら菓子折りの包装を解いていった。
「ほう、薄皮饅頭ですか」
包み紙は破られることなく、きれいに畳まれていた。
「タケミツさんは、こういうところだけはよく分かっていらっしゃる」
クロカワは満足げに呟き、菓子折りを自分の机へと置いた。
ジルドが自己紹介すると、クロカワはさほど興味もなさそうに頷いた。
「あなたのことは知っています。店のことは災難でしたね。タケミツさんからおおよそは聞いています」
クロカワはそう言いながら、自分の席へ戻った。
「私は何度かあなたの店に行ったことがあります」
「……うちに?」
ジルドは思わず聞き返した。目の前の男が、あの下町のダイナーまでわざわざ足を運んでいる姿が、どうにも想像できなかったのだ。
「ソーセージは自家製ですか? トッピングする具材によって香辛料を変えたソーセージを使用しているようですし、まぁ合格と言っていいでしょう。もっとも、自家製であの値段を維持しているとなると、あなた自身の労働時間をまともに原価へ計上しているとは到底思えません。商売としては感心しませんが、客の立場からすれば実にありがたい話です。店の経営としては、及第点ですね」
クロカワは淡々と続けた。
「ただ、バンズは近所のパン屋に外注しているようですが、もう少し考えた方がよろしいかと。品質は安定していますが、それぞれのソーセージとの相性を考えた方がいい。まぁ、全体として見れば、その均一性がかえって食べやすさに寄与しているとも言えなくもないですが。付け合わせのポテトですが、盛り付けに美意識がほとんど感じられません。味そのものは悪くありませんがね」
「……それは、褒めているのか?」
ジルドは眉をひそめた。
クロカワは少し考えながら言った。
「評価している、と言った方が正確ですね」
「クロカワは褒めてるんだぞ。こいつは人を褒めるってことができない生き物なんだぞ」
シロが横からケラケラ笑いながら言った。
クロカワはじろりとシロを見た。
「あなたはまず、人を評価する以前に、自分の言動を省みるべきですね」
クロカワはシロが持ってきた紙袋を、指先でつまんで持ち上げた。
「これは何ですか?」
「グリーンフィンガーだぞ。緑色の指、ぷふっ」
シロは何が可笑しいのか、ひとりで笑っている。
クロカワは紙袋の底を確認し、眉間に皺を寄せた。紙袋の底は、血液が浸み込んで今にも破れそうだった。
「なぜ切断した人体組織を紙袋に入れて持ってくるんですか。せめて密閉できる袋に入れてくるべきでは。まったく。机が汚れるでしょう」
クロカワは自分の手首にあるナノスキンを指先で軽く叩いた。
すると壁際で待機していた小型ロボットが起動し、机の上を拭き始めた。続いて紙袋をつまみ上げ、透明なポリ袋へそれを入れた。
「それで、この指をどうするつもりなんですか?」
クロカワが厳しい表情で言うと、シロはけろっと答えた。
「モスに潜って、こいつを頼りに、グリーンなんちゃらのところに行くんだよ」
「これをモスに? 一体あなた、何を考えているんですか」
シロとクロカワは話を続けていった。だが、ジルドには二人が言うモスというものが何なのか、さっぱり分からなかった。しばらく黙って聞いていたものの、我慢できなくなり、ジルドは二人の会話に口を挟んだ。
「……その、悪いが、お前らの言うモスってのは一体何なんだ?」
ジルドがそう言うと、クロカワは小さく鼻を鳴らした。
「そうでしたね。無知なあなたにも理解できるよう、できるだけ初歩から説明してあげましょう」
クロカワは椅子に座り、指を組んで説明を始めた。
「簡単に言えば、この世界は目に見える物質だけで出来ているわけではない、という理論です」
「理論?」
クロカワは続けた。
「ええ。宇宙のあらゆるものは、ハイパーストリングと呼ばれる極小のひもと、その接続によって構成されているというのを仮定にした理論です」
クロカワは指を三本立てた。
「我々人間が直接関与できるのは、そのうち三つ。肉体や物質を構成する物質ネットワーク。いわゆる人間が目に見て、手に触れている世界です。そして個人の心、意識と呼ばれるものを構成する個の精神ネットワーク。これは個々人の精神世界と言ってもいいでしょう。人だけでなく物質や動植物すべてが大なり小なりこれを持ちます。そして個の精神からにじみ出た場で構成されるムードネットワーク。こちらは集合意識と言うと、皆さんによく理解していただけます」
「その三つをまとめて、モスって呼ぶんだぞ。うまそうな名前だろ? シロが名前付けたんだぞ」
シロが横から口を挟んだ。
「正確にはMood network、Occupied network 、Solid network、この三つをまとめてMOSネットワークと呼びます。本当は七つの層がありますが、ここでは割愛していいでしょう」
クロカワは続けた。
「個人の精神、つまりOネットは基本的に個人の中に閉じています。しかしわずかにMネットとは繋がっている。Mネットを介せば、他者の精神へ間接的に干渉できる。平たく言えば、人間の心は、完全には独立していないということです」
クロカワは軽く指先で机を叩いた。
「私はその性質を利用して、Mネットから情報を収集、また個人のOネットへ干渉できないか試験を行っています」
クロカワはシロへ目を向けた。
「もっとも、シロさんは少々規格外なようでしてね。自身のOネットから、肉体を構成するSネットへ強く干渉するすべを持っているようです。OネットからSネットへ干渉し、肉体の物質そのものを物理現象から逸脱させることができる。はたから見たら、超能力者、スーパーマンみたいに見えますがね」
ジルドはシロと男がやりあっていた時のことを思い出した。あのときのシロの様子を見る限り、確かにこいつは超人的な力を使っていたように見えた。クロカワの説明は、なんとなく理解できた気がしたが、あまりにオカルトじみていて、ジルドには素直に受け入れられなかった。
「まあ、ものは試しです。あなたの場合、これ以上言葉で説明するより、一度実際に潜ってみた方が理解は早いでしょう」
クロカワは席を立つと、二人を隣の部屋へ案内した。
その入口は、やけに厳重な造りをしていた。金属製の重い扉があり、扉には大きなハンドルがついていた。クロカワがそのハンドルを回すと、扉は重い金属音を立てて開いた。扉の厚さは二十センチほどあった。中には人が数人入れる狭い空間があり、また同じような扉が続いていた。入ってきた扉が完全に閉じなければ、反対側の扉は開かない仕組みになっていた。
もう一つの扉が開けられると、その先は真っ暗だった。クロカワが明かりを付けると、そこは十メートル四方程度の四角い部屋になっていた。天井は高く、三メートルほどあるように見えた。壁も床も、鈍い光沢を帯びた金属で覆われていた。窓はない。
部屋の中央だけ、床の材質が違っていた。そこにはホワイトボードのような円形の板がはめ込まれていた。直径は三メートルほどあった。床には赤黒いマーカーで、みっちりと奇妙な紋様が描き込まれていた。
壁面には、大小さまざまな紙片が隙間なく貼り付けられていた。付箋らしきものには数字や数式、意味の分からない単語が細かな字で書き込まれていた。それらのメモは、赤い紐で意味ありげに結ばれており、紐は壁の上で複雑に交差していた。
「なんだこれは。儀式でもするのか?」
ジルドは、冗談だろうと言わんばかりの薄い笑みを浮かべ、クロカワを見た。
クロカワは何も言わず、部屋の隅にある古びた機械の方へと歩いて行った。
ジルドは腕のナノスキンをタップし、端末を起動しようとしたが、端末は何も反応しない。故障かと、何度もスキンをタップしているジルドを見て、クロカワは言った。
「この部屋では、外部との通信はすべて遮断されます。ナノスキン、端末の類のものは一切使えません。使えるのはアナログ回路のみです」
ジルドは改めて部屋の中を見回した。クロカワが電源を入れた機械には細い針が取り付けられており、送り出されるロール紙の上へ、絶え間なく線を刻んでいた。
その横には保存食の箱や飲料水、簡易酸素ボンベらしきものが積まれていた。
シロが部屋の中央へ歩いていった。
奇妙な紋様がびっしりと描かれた円の中へ足を踏み入れ、中央にどかっと座った。
「は?」
ジルドは目を細めた。
シロの身体は、床についていなかった。紋様の上、三十センチほど上に浮いていた。
ジルドは思わずしゃがみ込み、床とシロを交互に見た。それから恐るおそる手を伸ばし、何もない空間を何度か払ってみたが、指先はただ空を切るだけだった。
ジルドはさらに身をかがめた。床すれすれまで顔を近づけ、頬を地面につけて頭を横に傾けた。床面とシロの尻が同じ視界に入るよう、じっと目を凝らした。
「きもいぞ、おっさん」
シロの声はジルドに届いていなかった。
やはり、浮いている。
「……なんだ、これ」
ジルドの様子を見て、クロカワが笑みを浮かべながら言った。
「この程度で驚いてもらっては困りますよ」
「クロカワだって、最初に見たとき同じことしてたぞ。床ぺたぺた触って、もっと気持ち悪かったぞ」
シロは顔をしかめていた。
ジルドは無言でクロカワを見た。
クロカワはしばらく黙っていたが、やがて小さく咳払いをした。
「……それはともかく」
何事もなかったようにクロカワは話をした。
「あなたも一緒に、Mネットへ潜ってみますか?」
「は? 潜る?」
ジルドはぽかんとした顔で言った。
「難しいことはありません。これを被って座っていればいいだけです」
クロカワが差し出したものを見て、ジルドは眉をひそめた。
どう見ても、キッチンに転がっているステンレス製のボウルだった。
ただ、その内側には床に描かれた柄とよく似た紋様が、隙間なくびっしりと描き込まれていた。
「これを頭に被ってください」
クロカワはそう言って、頭にそれを被った。ジルドもクロカワにならい、それを被ることにした。
胡散臭さが、いよいよ極まってきたとジルドは思った。
横ではシロが、床との間に空いた三十センチほどの隙間に、例の指が入った袋を置いていた。シロは位置を調整するように袋を少しだけ動かすと、その真上に座り直した。
「それじゃ、はじめっぞ。目つぶれ」
言われるまま、ジルドは目を閉じた。
しばらくして、シロが大きく深呼吸する音が聞こえた。
すると、すうっと部屋の空気が冷えた。
頬を撫でる空気が急速に温度を失い、肌からじわじわと熱を奪っていった。
――パンッ
シロが一度、手を叩いた。
その瞬間、寒さがもう一段、深くなった。
鼻の奥がつんと痛む。冷たいというより、肌の表面を細い針で刺されているようだった。
――パンッ
二度目。
ふっと、痛みが消えた。
寒さが和らいだのか、何も感じなくなった。
肌に触れていた空気や、服の感触はない。
――パンッ
三度目の音が響いた。
それから、長い沈黙が続いた。
ジルドは目を開けていいのか、声を出していいのかもわからず、じっとしていた。
俺はいったい、何をしているんだ。
ふと、ジルドの頭にそんな考えが浮かんだ。
店に妙な男がやって来て、店を壊されて。それから妙な奴に連れられて、こんな訳のわからない部屋で、頭にボウルを被って、怪しげな儀式みたいなことをしている。
我ながら、とんでもない一日だ。
妙な奴。
ん、誰だ?
さっきまで一緒にいた、あの妙な奴。
たしか名前は――
ジルドは思い出そうとした。
だがどうしても出てこない。
そもそも、俺は何をしにここへ来た?
店。
店って、なんだ。
俺の店?
俺――
俺は、誰だ?
その瞬間、言いようのない恐怖が全身を貫いた。
だが、その全身がどこにあるのかもわからない。
手の感触がない。足の感触も。
目を開けたいのに、その目の開け方が分からない。
暗闇の中に、自分が溶けていくような気がした。
感覚が恐怖の中に薄れていく。
まずい。
何がまずい?
わからない。
ただ、このままでは駄目だということだけはわかった。
何かに掴まらなければならない。
けれど、何に?
――パンッ
乾いた音が、暗闇を叩き割った。
ジルドは弾かれたように目を開けた。
額から首筋にかけて冷たい汗が流れていた。
ジルドは大きく息を吸い込んだ。
肺が膨らむ。冷たい空気が喉を通り、胸の奥へ流れ込んでいく。
ただ息を吸う、それだけのことが、これほど確かなものに思えたことがあっただろうか。
肺があり、心臓が動き、こうしてここにいる。
その当たり前の事実に、ジルドはひどく安堵した。
だが、その安堵は長く続かなかった。
ジルドは、自分の手を見た。
いや、手ではない。
目の前にあったのは、茶色い毛に覆われた前脚だった。
反射的に身体を見た。
胸も腹も茶色い毛で覆われている。四つの脚。
ジルドは固まった。
犬だ。
どう見ても、自分は犬になっていた。
混乱したまま辺りを見回すと、すぐ横に一羽の鳥がちょこんと立っているのに気づいた。
黄色い目。目の周りは鮮やかな赤。腹には光沢のある緑色の羽毛が広がり、その後ろには見事な長い尾羽が伸びている。
キジだった。
犬になった自分の横に、キジがいる。
ジルドは状況を理解できず、そのキジを見つめていると、キジがこちらへ顔を向けた。
「気がつきましたか」
聞き覚えのある声だった。
それはクロカワの声だった。
「ずいぶんと間抜けな顔ですね」
クロカワに言われて、ジルドは自分が口をぽかんと開けたままだったということに気づいた。
ジルドは慌てて自身の口を閉じた。
「おっさん、いい感じの犬になったな」
聞き慣れた声がして、ジルドは顔を上げた。
目の前に、一人の若い女が立っていた。
すらりとした長身に、まっすぐこちらを射抜くような凛々しい目。整った顔立ちには柔らかさよりも精悍さがあり、立っているだけで妙な強さを感じさせる。
美しい、というより勇ましい。
鎧を着せて剣と盾でも持たせれば、そのまま英雄譚の挿絵に出てきそうな女だった。
ジルドはしばらく彼女を見上げた。
「あんた、誰だ?」
女は一瞬きょとんとしたあと、爽やかな笑顔を浮かべた。
「シロだよ。こっちじゃ、この格好の方が都合がいいからな」
ジルドはぽかんと口を開けたまま、目の前の女を見つめた。
その頬を、横から硬いものがつつく。
「痛っ」
見ると、クロカワ――キジがくちばしの先でジルドの頬をつついていた。
「ここがMネットの中だということを忘れないでください」
クロカワはシロへ視線を向けた。
「あなたが見ている彼女の姿は、実体ではありません。幻想、という言い方も少し違いますが、まぁ、そう考えていいでしょう」
「幻想?」
クロカワは続けた。
「彼女も、私も、そして今のあなたもです。ここでは肉体そのものに意味はありません。互いの精神が、相手にとって認識しやすい形を取っているにすぎません」
ジルドは自分の前脚を見た。
「それで俺は犬かよ」
「その辺りは、彼女に聞いてください」
クロカワは素っ気なく言った。
「それより、覚えておいてください。ここは彼女の独壇場です」
クロカワはジルドを見た。
「本来、人間の精神がそのままMネットへ入れば、自我を保ってはいられません。水の中へ氷を放り込むようなものです」
ジルドは額にしわを寄せた。
「氷には氷の形がある。ですが、水に沈めれば、やがて溶けて境目がなくなる。我々の精神も同じです。溶けたものは二度と元には戻りません」
クロカワの黄色い目が、まっすぐジルドを見た。
「個人として保たれていた情報が周囲へ拡散し、境界を失っていく。あなたもきっと、ここに来るときにその感覚を味わったでしょう」
ジルドは、目を閉じていたときの感覚を思い出した。あの得体のしれない、恐怖に飲み込まれる感覚がそれだったのだろうか。
「ではなぜ、今、私たちがこうして個を保つことができているのか」
クロカワはシロを見上げた。
「彼女が、我々の精神に形を与えているからです。Mネットの中で散らばろうとする我々を、一つの人格としてまとめている」
クロカワは静かに言った。
「ここでは、彼女に逆らわないことです。彼女の機嫌を損なえば、我々の命はありません。どんな屈辱を味わおうと、ね」
シロは笑みを浮かべ、クロカワを抱きかかえた。
クロカワはされるがまま、シロに撫でられていた。
クロカワはクゥ…と何かを堪えるように目を細め、鳥のような鳴き声を小さくあげていた。
ジルドは改めて辺りを見回した。
足元には、無数の光が広がっていた。
星のように小さな光の粒が、遥か下まで途切れることなく続いている。帯状に集まった光は、ところどころで枝分かれし、緩やかに曲がりながら彼方へ伸びていた。
まるで、星でできた巨大な運河だった。
自分が宇宙のただ中へ放り出され、その上に立っているような、不思議な感覚だった。
ジルドは何気なく上を見た。
何もなかった。
光も、星も、天井もない。
ただ、果てのない暗闇だけが広がっている。
ジルドはその暗闇を見ているうちに、理由のわからない恐怖が内に込み上げてきた。
じっと見ていれば、そのまま吸い込まれてしまいそうだった。
ジルドはぶるぶると頭を振り、慌てて視線を足元へ戻した。
光の粒をよく見ると、一つひとつ、光の色が異なっていた。赤、青、黄、緑。淡いものもあれば、強く輝く光もある。それらは絶えず点滅しながら、ゆっくりと動き回っていた。
流れに沿って進むもの。他の光へ近づいていくもの。離れていくもの。
無数の光が、それぞれ別々に動いていた。
「あれ一個一個が、人間なんだぞ。強く光ってるやつな」
シロがそう言って、足元の光の群れを指さした。
次の瞬間、無数の光が、すっとジルドたちの周囲へ押し寄せてきた。
気づけば三人は、光の粒が行き交うただ中に立っていた。
自分たちが動いた感覚はない。ジルドには光の粒たちがこちらへ滑ってきたように思えた。プラネタリウムの星空をスライドさせたような、あるいは出来のいいVR映像を見せられているような――
そこまで考えて、ジルドはふと思った。
いや。むしろ、本当にそうなんじゃないのか。
クロカワやシロに言われるがまま、Mネットだの精神ネットワークだのという話を、いつの間にか受け入れていたが、冷静に考えればおかしな話だ。
頭に妙なボウルを被せられ、目を閉じさせられたと思ったら、今度は犬になって宇宙のような場所に立っている。
催眠でもかけられて、壮大な幻覚を見せられているだけではないのか。
ジルドは辺りを見回した。
映像なら映像で、何かしら仕掛けの痕跡があるはずだ。
ちょうどジルドの目の前を、青白い光の粒がゆっくりと横切っていった。
ジルドはそれに鼻先を近づけた。
「触んなよ」
シロの声で、ジルドはぴたりと動きを止めた。
「それ一個に、人間一人分の精神が詰まってんだぞ。下手に触ったら、おっさんの頭、爆発すっぞ」
ジルドはそっと、鼻を引っ込めた。
「シロさんの言い方は大げさですが、触らない方がいいのは確かです」
クロカワが横から口を挟んだ。
「あれは単なる光ではありません。人間一人分の記憶、感情、人格――そういったものの塊です。不用意に接触すれば、相手の情報があなたの精神へ流れ込んでくる可能性があります」
ジルドはもう一歩、光から離れた。
「随分と危ないところに連れてこられたもんだな」
クロカワの話では、霞のように薄く漂っている光は、おおよそ動植物のものらしい。対して、その中で強く瞬いている光の粒が、人間の精神なのだという。
「で、こっからどうすんだ。俺はとっとと事を終わらせて帰りたいんだがな」
「あ、そうだった」
シロは思い出したようにポケットへ手を突っ込んだ。
ポケットから取り出したのは、ピンポン玉ほどの大きさをした緑色の塊だった。その表面は、細かな毛のようなものに覆われていた。
「なんだ、それ?」
「さっきの指」
シロはそう言うと、その緑色の塊を、ぐっと握り潰した。
それは、ぱふっと音を立てて崩れた。
中からは、深緑色の細かな胞子のようなものが噴き出した。
胞子は煙のように周囲へ広がり、しばらくすると、すぅっと風に運ばれ、何かに引き寄せられているように、一方向へ流れ始めた。
「よし。こいつについていくぞ」
シロはその煙の後を追って歩き出した。
ジルドも仕方なく後に続いていった。
短い四本の脚をせっせと動かして進むが、どうにも勝手が悪い。犬の身体というのは、存外歩きにくいものだった。
その一方で、クロカワはいつの間にかシロの肩に乗っており、悠々とジルドの方を見下ろしていた。
何度かまた、ワープめいた移動を繰り返しながら煙を追っていくと、やがて深緑色の霞が立ちこめる場所へとたどり着いた。そこに浮かぶ光の粒は、どれも濁った緑色をしていた。表面は薄い膜のようなものに覆われ、内側で何かが脈打っているように見えた。
シロはそれを見て、顔をしかめた。
「なんじゃこりゃ」
「このようなものは、見たことがありませんね」
クロカワはシロの肩から飛び降りると、首を前後に揺らしながらてちてちと歩き回り、辺りの様子を探っていた。
ジルドもついていこうかと思ったが、何も分からない自分が不用意に動けば、かえって邪魔になる。そう考え、おとなしくその場にとどまった。
シロはしばらく腕を組み、濁った光を睨んでいた。
やがてシロは、何かを決めたように「よしっ」と言って、片手を前へ出した。
小さく開いたシロの口からは、妙な音が発せられた。
こぽこぽと液体が弾けるような音と、パチパチと電気の弾けるような音が混じった音であった。それが言葉なのかどうなのか、ジルドには分からなかったが、その妙な音を発し終えると、シロの手は金属のような光沢を帯びた状態に変化していた。水銀をそのまま手の形にしたような、滑らかな銀色の手だった。
シロはその手をにゅっと伸ばし、そばにある薄い膜に覆われた光の粒に触れた。
ばちっ、と火花が散った。
その瞬間、辺りに漂う深緑色の霞が、一斉に震えた。
「何をしたんですか」
クロカワがシロへ駆け寄った、そのときだった。
辺りに立ちこめていた深緑色の霞が、ぱっと燃え上がった。炎は瞬く間に広がり、波のようにうねりながらシロへ押し寄せた。
シロはとっさに身をかがめると、クロカワとジルドをまとめて抱え上げ、そのまま一気に駆け出した。
直後、三人のいた場所は緑色の炎で呑み込まれた。
シロの背中から、何かぱちぱちと弾ける音がした。苦痛に顔をしかめながら、シロは二人を抱えて走り続けた。
「おい、大丈夫なのか!」
ジルドの声に答えず、シロは地面を強く蹴った。
周囲の景色が一瞬で引き延ばされ、次の瞬間には、三人は先ほどまでいた場所から大きく離れていた。
ジルドはシロに抱えられたまま、走ってきた方を振り返った。
緑色の炎は、なおもこちらを追ってきていた。
「おい、追ってきてるぞ!」
「分かってるよ! 今、どうするか考えてんだ!」
シロは苛立ったように叫び、走り続けた。
シロの背中は、熱せられた金属が溶け崩れたように歪んでいた。水銀めいた銀色の液体が、溶けた背中からぽたぽたと落ちていた。
クロカワは追ってくる炎をじっと観察していた。
「あれは光の粒を避けています。粒が多い場所に行けば、スピードが落ちるかもしれません」
緑色の炎は、まっすぐこちらへ向かってきているわけではなく、周囲に浮かぶ光の粒には触れず、その隙間を縫うように進んでいた。
ジルドは目を細め、前方を見回した。
少し先に、白い靄がひときわ濃く立ちこめ、無数の光の粒が密集している場所があった。
「あそこはどうだ」
シロは舌打ちすると、二人を抱えたまま白い靄へ突っ込んだ。
「おい!」
ジルドの制止もお構いなしに、シロは無数の光の粒へ身体を突っ込んだ。シロの身体は削れ、火花とともに、溶けた金属の液体が飛び散っていった。
それでもシロは走り続けた。
背後では、緑色の炎が光の粒に阻まれ、進路を失って大きくうねっていた。速度が明らかに落ちていた。
シロはもう一度、地面を強く蹴った。
景色が引き延ばされ、反転する。
次の瞬間、三人はもといた場所まで戻っていた。
シロは着地と同時に、抱えていたジルドとクロカワをもと来た入口の方へ放り投げた。
ジルドたちは、そのまま暗闇の中へ放り込まれた。
意識がすっと闇へ溶けていく。
何が起きたのか理解する間もなく、ジルドはそのまま意識を失った。
第五章
気がつくと、ジルドはソファの上に横たわっていた。
ぼんやりとした視界の中に、見慣れない白い天井がうつる。身体を起こそうとすると、頭の奥に鈍い痛みが走った。
「無理に動かない方がいいですよ」
クロカワが椅子に腰かけ、ジルドを見ていた。
しばらく辺りを見回し、ジルドはようやく、ここがクロカワの研究室であることを思い出した。どうやら、無事に戻ってきたらしい。
「帰ってきたのか」
ジルドの声にクロカワは答えず、黙ってカップの紅茶を飲んでいた。
ジルドは片手で額を押さえながら、意識を失う直前のことをなんとか思い出そうとした。
こちらを追ってきた緑色の炎。溶けていくシロの背中。そして、暗闇の中へ放り投げられたところで、記憶は途切れている。
「……あれは、一体何だったんだ?」
「分かりません」
クロカワはカップを机へ戻した。
「少なくとも、私がこれまでMネット内で観測してきた現象で、あのようなことはありませんでした。あの気味の悪い膜に覆われた光体も、緑色の炎もね」
クロカワは淡々と言った。
「グリーンフィンガーと言いましたか。あなた方が相手にしているのは、どうも普通の人間ではないようですね。少なくともシロさんと同等、いや、それ以上のMネットに対する耐性を持っている。人間の精神へあれほど大規模に干渉するとは……」
クロカワは指を組み、少し考えるように目を伏せた。
ジルドはソファから足を下ろし、辺りを見回した。
「そういえば、シロはどうした?」
「分かりません」
クロカワは険しい表情だった。
「分からない?」
「私は、あなたの一時間ほど前に意識を取り戻しました。ですが、そのときには彼女はもういなかった」
ジルドは隣の部屋へ目を向けた。
Mネットへ潜ったあの分厚い金属扉がある部屋は、扉は閉じていた。
「あいつは、まだ向こうにいるのか?」
「分かりませんが、Mネットの観測装置にシロさんの反応はありませんでした。おそらく帰ってきているとは思いますが、もしそうでないのであれば――」
クロカワはカップの中に残った茶を見下ろし、しばらく考え込んでいた。
ジルドが視線を向けた先に、見覚えのあるリュックが置かれていた。
カエルだかトカゲだか分からない、間の抜けた顔のぬいぐるみのリュックだった。
ジルドは何となく手を伸ばし、リュックを持ち上げた。
思っていたよりも重い。ジルドはチャックを開けた。
中に入っていたのは、潰れた菓子の袋や、何に使うのか分からない石ころ、くしゃくしゃになったレシートに、よくわからない金属の棒、それと使用済みのティッシュが入っていた。底の方を探ると、小さながま口の財布が出てきた。財布には、塗装の剥がれた、ジルドの店のマスコットキャラクターのキーホルダーがついていた。名前はホットどっくんである。
数年前、店の宣伝になるからと、アルバイトに勧められて作ったものだった。
完成した品を見たジルドは、こんなものを誰が欲しがるんだと思ったが、シロはひどくそれが気に入ったらしく、何としても一番に手に入れるといい、それから一週間、シロは毎日三食ホットドッグを食べ続け、あっという間に100ポイントを貯めきった。そして、記念すべきキーホルダー獲得者の第一号になったのである。一番に手に入れたとはしゃいでいた姿を、ジルドは覚えていた。
財布の中には、小銭と、ジルドの店のポイントカードが入っていた。
それ以外には、何も入っていなかった。
カードを取ろうとすると、ジルドの右手のインプラントの指がわずかにぴくりと痙攣した。
「ジルドさん、シロさんの連絡先はご存じですか?」
クロカワに尋ねられ、ジルドは顔を上げた。
「知らん。というか、そもそもあいつ、端末なんて持ってたか?」
思い返してみると、ジルドはシロが端末を操作しているのを見たことがなかった。
クロカワは顎に手を添え、少し考えてから言った。
「明日、タケミツさんに会いに行きましょう。シロさんのことは気になりますが、まずは今回のことをタケミツさんに相談した方がよさそうです。グリーンフィンガーについても、何か動きがあったかもしれませんし。商店街で長くシロさんと付き合っている彼なら、連絡先や居場所を知っている可能性もあります」
そういえば、店のことはタケミツに任せたきりだったと、ジルドは気づいた。シロについてくる流れで、ろくに後始末もしないままここまで来てしまった。警察への対応は自分が引き受けるとタケミツは言っていたが、その後どうなったのか。
いや、それよりもだ――
モスやら、なんちゃらネットワークやら、訳の分からんことばかりだが、とりあえず一旦、それは置いておくとしよう。あっちの世界で体験したあれは一体なんだったんだろうか。そもそも、なんで俺はこんな訳の分からんことに巻き込まれているんだ。
ジルドは考えれば考えるほど、すべてはグリーンフィンガーとかいう、ふざけた連中のせいだと、今さらになって無性に腹が立ってきた。
ジルドは沸き起こる苛立ちを抑え、クロカワに言った。
「そもそもだが、シロは、あいつは一体何なんだ?」
ジルドの問いに、クロカワはしばらく黙っていた。
「正直に言えば、私にもよく分かっていません」
「分からんだと?」
「ええ。私が理論の研究を始めて間もない頃、タケミツさんが突然、研究室に訪ねてきたんです。そのとき、彼に紹介されたのがシロさんでした。ちょうど十年ほど前です。シロさんはMネットへ自力で潜ることができる。そして、現実世界でも普通の人間ではまず考えられないほど強靭な肉体を持っている。あとは食い意地がはっていて、行儀が悪い。私が知っているのはそれぐらいです」
「それだけか?」
ジルドは眉をひそめた。
「それだけです。どこから来たのか、何歳なのか、そもそも人間なのかどうかさえ、知りません。本人に聞いたところで、いつも冗談なのか本当なのか分からない話ではぐらかされますから」
クロカワはわずかに苦笑して言った。
ジルドは小さく息を吐き、ソファから立ち上がった。
足元はわずかにふらついたが、歩けないほどでもなかった。
「今日は帰る」
ジルドはクロカワにそう告げた。
朝から店を壊され、訳の分からない世界へ連れ込まれ、化け物じみた炎に追い回された。今日一日で、あまりにも多くのことが起こりすぎた。店のことも気にかかる。あれだけ派手に壊されたのだ。タケミツがどうにかすると言っていたが、きっとこれから、警察や保険会社との面倒な手続きが山ほどあるだろう。
ジルドはとにかく、今日はもう何も考えず、早く帰って眠りたかった。
「明日、タケミツさんのところへ行きましょう。午前十時に、あなたの店がある駅前の喫茶店で待ち合わせるということでいかがですか」
「ああ。それでいい」
ジルドはそのまま、重い足を引きずるようにして、自身のアパートへと帰っていった。
第六章
翌朝、ジルドは朝五時きっかりに目を覚ました。
身体には昨日の疲れが残っていた。頭も鈍く、できることなら昼まで眠っていたかった。それでも、長年染みついた習慣が、彼の身体を起こした。
手首の端末を見ると、画面には、いくつかの通知が並んでいた。ジルドの身を案じた商店街仲間からの連絡や、アルバイトから今日の営業をどうするのかという確認。ジルドは重い頭で一つずつ返信していった。
ベッドを出て、顔を洗い、用を足し、いつもの朝支度を進めていると、右手の指先にかすかな違和感が走った。インプラントの指を握り込み、ゆっくりと開くが、反応がわずかに遅い。昨日から不調が続いている。今日は技師のところへ寄った方がよさそうだ。
そう考えたところで、今度は店のことが頭に浮かんだ。
タケミツは、警察への対応は自分に任せろと言っていた。だが、本当に問題なく済んだのだろうか。店内の修繕はどうするか。保険は下りるのだろうか。考えれば考えるほど、心配事が増えていく。
ジルドは小さく舌打ちし、動きの鈍い右手を振った。
クロカワとの待ち合わせまでは、まだだいぶ時間がある。クロカワに会う前に、ジルドは店の様子を見に行くことにした。
店に着くと、壁に開いた大穴の前には規制線が張られ、ものものしい有様だった。
ジルドは、ふと足を止めた。
そういえば、昨日は店を飛び出したきり、レジをそのままにしていた。
「……まずいな」
規制線をくぐり、急いで店内へ入った。床には割れた食器や木片がそのまま残っていた。
ジルドは真っ先にレジへ向かった。
端末認証で引き出しを開けた。
中は、きれいに空になっていた。
「……くそ」
現金を使う客など、今はほとんどいない。使うのは、そう、シロぐらいだった。レジに入れていた額は、そう多くはなかったはずだ。だが、失ったと思うと腹立たしい。
ジルドは空になった引き出しを睨み、悔しげに顔をしかめた。
大きくため息をつき、ジルドはあらためて店内を見回した。
よくよく確認してみると、被害は思ったほど大きくなかった。大きく壊れているのは壁とカウンター、それにテーブルと椅子が数脚。厨房へ入ると、調理器具も冷蔵設備も無事だった。
「まぁ、思ったより、ましか……」
「シロに感謝しないといけませんね」
背後から声がした。
振り返ると、入口にタケミツが立っていた。
「レジのお金ですが、昨日のうちに中身は全部移しておきました。うちの若いのに保管させてますよ」
「……そうか。助かった」
ジルドがそう言うと、タケミツは気にするなというように片手を上げた。
タケミツは店内へ入り、壊れた壁や倒れた椅子をゆっくりと見回した。
「昨日は、ここだけではなかったようです。他の地区でも、似たような連中に襲われた店がいくつかあったようですよ」
「他にも?」
ジルドはタケミツを見た。
「店を荒らされて、客や店員に怪我人が出たところもあるそうです」
タケミツは壁の大穴へ目を向け、それからジルドを見て、わずかに笑った。
「その中じゃ、ここが一番被害が少ないでしょうね」
ジルドは一瞬、口を閉ざした。
タケミツに聞きたいことが、いくつも頭の中に浮かんできた。シロのこと、あのよく分からない宇宙のような世界のこと、グリーンフィンガーのこと。
「そのことなんだが――」
ジルドが話を切り出そうとすると、タケミツは片手を上げて制した。
「まあ待ってください。立ち話もなんでしょう」
タケミツは店の外へ顎をやった。
「クロカワ先生も待っていることですし、場所を変えましょうか。ここ、本当は立ち入り禁止ですしね」
喫茶店に着くと、クロカワは奥の席に座り、本を読んでいた。
ジルドは店内の時計へ目をやった。待ち合わせの時間までは、まだ一時間ほどある。
「おや、ずいぶん早いですね」
クロカワは読んでいた本をテーブルに置いた。
タケミツがクロカワの向かいに座り、ジルドはその隣へ腰を下ろした。
ジルドが座ると、クロカワは一瞬だけ眉をひそめた。
「どうかしたか?」
ジルドが尋ねると、クロカワはわずかに間を置いた。
「……いえ、何でもありません」
そう言って言葉を濁したクロカワを見て、タケミツが小さく笑った。
「あなたが座っている場所には、いつもシロが座っていましたからね」
どうやら昨日の出来事については、クロカワからタケミツへひととおり伝えたらしい。Mネットへ潜ったことも、そこでグリーンフィンガーと関係するものに遭遇したことも、シロの消息が分からないことも。
注文した飲み物が運ばれ、店員が立ち去るのを待ってから、タケミツが口を開いた。
「さて、今後のことですが」
ジルドは思わず顔をしかめた。
今後も何も、正直なところ、ジルドはこれ以上、面倒事に関わりたくはなかった。店は壊され、訳の分からない世界では死にかけ、グリーンフィンガーだか何だか知らないが、後は、もっとそれ相応の奴が対処すればいい。
ジルドが考えを巡らせていると、クロカワが横から口を挟んだ。
「その前に一つ、よろしいですか」
クロカワはタケミツを見た。
「シロさんがどこにいるか、ご存じですか?」
クロカワの言葉に、タケミツは一瞬間をおき、答えた。
「シロのことなら、心配はいりません」
「彼女の居場所をご存じなのですか⁉ 彼女はMネットでひどい火傷を負っていました。彼女は無事なのですか⁉」
クロカワは食い気味にタケミツに聞いた。
タケミツは、テーブルの上の茶へ手を伸ばした。
「大丈夫ですよ。そのうち戻ってきます」
「彼女は無事なんですね⁉」
クロカワがなおも食い気味に問いを重ねたが、タケミツの視線は下へ落ちていた。
タケミツはじっと、テーブルにあるジルドの右手を見ていた。
「なんだ? 俺の手に何か付いてるのか?」
ジルドが右手を引くと、タケミツはようやく視線を外した。
「いえ、何でもありません」
そう答えながら、タケミツは自分の指にはめられた指輪を、親指でゆっくりとなぞった。
それは古びた指輪だった。装飾らしい装飾もなく、金属の表面には細かな傷が走っている。これまで何度も目にしていたはずなのに、なぜかジルドは、指輪から目を離せなかった。
「とにかく、彼らをどうにかしないといけません。彼らは今、市全域に適用する新しい条例を通そうとしているようです。根回しをして止めてはいますが、このまま放っておくと、彼らの認証を受けた物でなければ、商売ができなくなってしまいます」
タケミツが低い声で言うと、クロカワは露骨に眉をひそめ口を開いた。
「馬鹿げている。認証などなくても、これまで商売は成り立っていたはずです。それを今さら、安全だの秩序だのと理由をつけて、結局はマージンを取って、金を吸い上げたいだけでしょう」
クロカワは音を立てて、カップを受け皿に置いた。
「あのグリーンフィンガーという連中は、どう考えてもMネット側から私たちを攻撃してきました。おそらく、あちらの世界を介して人間の意識に干渉し、操っているのではないですか? それに対抗するには、あちらへ自由に潜ることができるシロさんが必要です。ですが――」
クロカワはそこで言葉を切った。
クロカワは目を細めて言った。
「そのわりには、タケミツさんは随分と落ち着いていますね」
「そうですか?」
タケミツはきょとんとして、クロカワを見た。
クロカワは探るような視線をタケミツに向けたまま続けた。
「シロさん以外に、Mネットへ潜る手立てでもあるのですか?」
クロカワが真剣な口調で問い詰めているあいだも、ジルドの視線はタケミツの指輪に吸い寄せられていた。古びた金属の輪。何の変哲もない指輪のはずなのに、どうしても目が離せない。
「あなたは、こちらの方が気になるようですね?」
不意にタケミツがジルドに言った。
「あ、いや……」
ジルドが言葉に詰まると、タケミツは薄く笑った。
「タケミツさん、私は真剣な話をしているんです――」
クロカワは眉間にしわを寄せ、まくし立てた。
「分かっていますよ」
「では、どうするのですか! まずシロさんはどこにいるのです⁉ 彼女の無事を確かめないと――」
クロカワは身を乗り出して言った。
タケミツはしばらくクロカワを見つめ、それから静かに彼の発言を止めた。
「先生の大事なご友人の安否が分からず、気が立っているのは分かります。ですがクロカワ先生。もう少し周りを見た方がいいと思いますよ」
「あなたは何を言って――」
その瞬間だった。
激しい破裂音とともに、喫茶店の窓ガラスが全て砕け散った。
悲鳴が上がり、客たちが一斉に身を伏せた。細かなガラス片が、朝日を浴びながら床へ飛び散っていった。
割れた窓の向こうには、一人の男が立っていた。
男の目は、気味の悪い緑色の光を発していた。
「見つけたぞ」
男は喉の奥で笑いながら、まっすぐタケミツを見ていた。
店の奥で控えていた二人の護衛が、すぐさま動いた。
一人がタケミツに覆いかぶさるようにして彼の身を守り、もう一人はタケミツの腕をつかんで席から引き離そうとした。
だがジルドがまた窓の方を見たときには、男の姿は消えていた。
次の瞬間には、男はすでにテーブルのすぐ脇まできていた。
護衛が反応するより早く、男は腕を伸ばし、タケミツの頭をわしづかみにしようとした。
男の緑色に染まった指先が、タケミツの額に触れた。
と、その瞬間だった。
男の指が、触れた先からぼろぼろと崩れ始めた。
乾いた土が崩れるように、男の指先は、床へ細かな砂となって散っていく。
「なっ!」
男は声を上げ、腕を抱えて後ずさった。
崩壊は指先では止まらず、すでに手首にまで達していた。
だが男は、そのまま全身でタケミツへ突っ込んだ。
「危ない!」
護衛が割って入ろうとしたが、間に合わない。
男の肩がタケミツの腹へ食い込み、二人は椅子ごと床へ倒れ込んだ。
床に倒れ込んだ拍子に、タケミツの指輪が音を立てて床を転がった。
ジルドは反射的にそれを拾い上げた。
男の崩壊は止まらず、手首から肘へ、肘から肩へ。ぼろぼろと肉体は崩れ、瞬く間に全身へ広がっていった。
男は何かを叫ぼうとしていたが、その声は途中で途絶え、やがて全てが崩れ落ちた。
床に残っていたのは、衣服の切れ端と、灰緑色の砂の山だけだった。
「会長!」
護衛の一人が、倒れたタケミツを抱き起こした。
タケミツは床に頭を打ったらしく、こめかみから血を流していた。呼びかけにも反応せず、目を閉じたままだった。
すぐに救急車が呼ばれ、タケミツは担架に乗せられて運ばれていった。
店の外ではパトランプが光り、集まった野次馬を警察が押し返していた。
ジルドは店の外で立ち尽くしたまま、手の中の指輪を見下ろしていた。
古びた金属の輪は、なぜか無性に心をそそる。
「……何故、タケミツさんは襲われたのでしょうか」
クロカワがジルドの横で言った。
ジルドは掌の指輪から目を離さないまま答えた。
「俺が知るかよ」
クロカワは、喫茶店の割れた窓へ目を向けた。
「グリーンフィンガーは、Mネットに関わることのできる人間を排除しようとしているのかもしれません」
ジルドは顔を上げた。
「彼らは明らかにタケミツさんを狙っていた。タケミツさんが何を知っていたのかは分かりません」
クロカワは間をおいて言った。
「私たちもMネットで彼らに姿を見られています。だとすれば、そのうち、私やあなたも攻撃対象となるかもしれません」
「冗談じゃない!」
ジルドは吐き捨てるように言った。これ以上の面倒ごとはごめんだった。昨日のことでも一杯いっぱいだったのに、今度は目の前で人間が砂になった。もはや、自分の手に負える事態ではないことは明らかだった。
「昨日、Mネットへ潜った際、実は記録を取っていました」
クロカワはため息をつくジルドの横で言った。
「装置に外部記録機器を接続していました。私たちの脳波や生体反応だけでなく、Mネット側で観測された信号の一部も保存してあります」
クロカワは一度言葉を切り、迷うように視線を落とした。
「実は、シロさんがいなくても潜れないか、以前から試していたんです」
「一人でか?」
「ええ。まだ成功したことはありませんが」
クロカワは気まずそうに言った。
「MOS理論も、Mネットの存在も、学会ではまともに取り合ってもらえません。異端だ、妄想だと笑われてきました」
クロカワは薄く笑って言った。
「だが私一人でも潜ることができることを照明すれば、何かつかめるかもしれない。そう思って続けてきましたが、なかなかうまくいかないものです。大学に研究室を持てているのも、私がMネットで集めた情報を材料に、理事会と交渉を続けているからにすぎません。彼らが表沙汰にしたくない情報を、私はいくつか知っています。それを使って、どうにか研究を続けさせてもらっているだけなんですよ」
クロカワはジルドをまっすぐ見た。
「私は、シロさんを助けたい」
そして、はっきりと言った。
「ジルドさん。あなたに手伝っていただきたい」
「はぁ? 手伝うっつったって、俺に何ができるってんだ」
ジルドは顔をしかめた。
「とにかく、研究室へ行きましょう。話はそこでします」
ジルドは仕方なく、クロカワについて行くことにした。
第七章
クロカワの研究室に着くと、扉が半ば開いたままになっていた。
中へ入ると、机の引き出しは開け放たれ、書類が床一面に散乱していた。
本棚からは資料が引きずり出され、パソコン機器は破壊されていた。何者かが手当たり次第に室内を荒らしたようだ。
「派手にやられたな」
ジルドの言葉にクロカワは何も答えず、荒らされた室内を見回した。
クロカワは散乱した書類を踏まないように進み、研究室の奥へ向かった。
昨日、あちらの世界へ潜るために使った金属部屋の扉の前に、クロカワは立った。
分厚い扉には、こじ開けようとした傷が残っていたが、鍵は開いていなかった。
クロカワは扉の認証装置へ手を触れた。
「こちらは無事のようですね」
クロカワが手を離すと、扉はガシャンと重い金属音を立てた。
中は、昨日見たときのままだった。
頭にかぶっていたボウルが床に転がっている。
クロカワは部屋へ入り、中央にある細かい模様が描かれた床に手を当てた。
不意にクロカワは言った。
「なぜ、ここでMネットに潜ることができるのか、分かりますか?」
「ん? あぁ、この魔法陣みたいなやつのおかげか?」
ジルドがそう言うと、クロカワは笑みを浮かべた。
「そう思うでしょ? 私も最初はそう思い込んでいましたよ」
クロカワは床に描かれた模様を手でなぞりながら言った。
「実はこの模様にはなんの意味もないんですよ。ただ気分が上がるからこういうのにしているんだとか。まったく、模様一つひとつの意味を調べていた私の数年を返して欲しいものです」
クロカワは笑みを浮かべ、話を続けた。
「まぁ、まともな研究者なら、そもそもこんなバカげた研究などしないでしょうが。最初はね、腹が立ちましたよ。私が何年もかけて数式を解いて辿り着こうとしていた場所へ、シロさんはいとも簡単に行ってしまうのですから」
クロカワは苦笑した。
「けれど、あの日から私は、自分が間違っていなかったと、初めて思うことができました」
クロカワはどこか懐かしむように、昨日頭にかぶっていたボウルを手に取った。
「あんた、ずいぶんシロのこと好いているんだな」
「は?」
ジルドが唐突に尋ねると、クロカワはボウルを手にしたまま、きょとんとした顔でこちらを見た。
「あなたは何を言っているんですか!」
クロカワは露骨に顔をしかめた。
「私はそういう話をしているわけではありません」
クロカワはボウルを抱え直し、ジルドから顔をそむけた。
「私は彼女の身を案じているだけです。とにかく、潜ってみましょう」
「ああ。そうだったな」
クロカワの耳がわずかに赤くなっているようにも見えたが、ジルドは指摘しないでおいた。
クロカワは紋様の描かれた床の中央に腰を下ろすと、ボウルを頭にかぶった。
「何を突っ立っているのです。あなたも座ってください」
「俺もやるのか?」
「当然です」
ジルドは渋々床に転がっていたもう一つのボウルを拾い、クロカワの横に腰を下ろした。
「目を閉じてください。余計なことは考えず、意識を内側へ沈めるんです」
「余計なことってのは、たとえば?」
「黙ってください」
ジルドはおとなしく目を閉じることにした。
ジルドは昨日の感覚を思い出そうとした。
身体から力が抜け、意識が暗闇へと引きずり込まれていく、あの奇妙な感覚。
しかし、どれだけ待っても何も起こらない。
頭にかぶったボウルが、じわじわと重く感じられてくるだけだった。
十分が過ぎた。
ジルドは足がしびれてきたころに、片目を開けた。
横ではクロカワが微動だにせず座っている。額には汗が浮かび、眉間には深い皺が刻まれていた。必死に力んでいるようだった。
「……おい」
「話しかけないでください。集中が途切れます」
「……」
それから、さらに十分ほどが過ぎた。
「これ、無理なんじゃないか?」
ジルドが言うと、クロカワの肩がぴくりと動いた。
「まだです」
「いや、もう一時間はこうしてるんじゃないのか?」
「いえ。まだ二十分しか経っていません」
「昨日はシロがいたからできたんだ。俺たちだけじゃ――」
ジルドはクロカワの顔を見た。彼は今にも泣きそうな顔をしていた。
「理論上は、私だけでも接続できるはずなんです。必要な条件は整っています。この部屋も、装置も――」
「床の模様もボウルも、意味はないんだろ?」
「雰囲気は重要です」
「へいへい、そうかよ」
ジルドは頭を掻いた。
「まあ、あれだ。あいつが特別だったってだけだろ。あんたが無能って話じゃない」
「慰めるのがお上手ですね」
「うるせぇ」
ジルドは立ち上がろうとして、腰のあたりに硬いものが当たっていることに気づいた。
それは、タケミツが襲われたときに拾った指輪だった。
ジルドは何気なく、それを床に置いた。
その瞬間だった。
部屋の隅で、電子音が鳴った。
「なんだ?」
沈黙していた計器の一つに光が灯り、針が大きく動いている。続いて隣の装置も起動し、針が小刻みに震え始めた。
クロカワが勢いよく顔を上げた。
「今、何をしました?」
「何もしてねぇよ。ただ、こいつを置いただけだ」
ジルドは指輪を指さした。
クロカワは立ち上がり、転びそうな勢いで装置へ駆け寄った。
ロール紙を食い入るように見つめ、つまみを回して何かを切り替えている。計器を見終えると、クロカワは指輪へと近づき、それをしばらく凝視した。途中、指輪へ手を伸ばしかけたが、クロカワはすぐに止めた。
「もう一度、試してみましょう」
クロカワはボウルを拾い上げた。
「今度は、その指輪を置いた状態で」
二人は再び床の中央に座った。
指輪は、二人のあいだに置かれた。
「目を閉じてください」
クロカワはそう言って目を閉じた。ジルドも渋々目を閉じた。
次の瞬間、身体の輪郭が、すっと消えていく感覚がジルドを襲った。
昨日と同じ感覚だった。
ジルドは反射的に身構えた。
また、あの暗闇へ放り出される――
だが、しばらく待っても、予想していたあの恐怖は訪れなかった。
代わりに、柔らかく温かなものが全身を包み込んだ。
毛布にくるまれているような感触だった。
「……なんだ?」
ジルドはゆっくりと目を開けた。
すると視界いっぱいに、白い綿のようなものが広がっていた。ジルドは柔らかな綿の中に、身体ごと深く埋もれていた。
「なんだ、こりゃ……」
綿をかき分けて立ち上がると、そこには白銀の世界が広がっていた。
目の前には白い金属のような床でできた一本の道が、まっすぐと先へ伸びていた。その先には、宮殿めいた巨大な建造物がそびえていた。空には桃色の雲がたなびき、宮殿の周囲には、雲海のような白い靄が果てしなく広がっていた。ところどころ、雲海を割るように巨大な水晶めいたものが鋭く突き出ていた。
少し遅れて、綿の中からクロカワも顔を出した。
クロカワもまた、自分がどこに来たのか理解できていないようで、目を見開いたまま固まっていた。
『ヴヴゥ…』
低いうなり声が響いた。
一匹の白い虎が、白い靄の中から突如姿を現した。普通の虎よりもひと回り、いや、ふた回りは大きい。白い虎は歩みを止めると、青い瞳でジルドをじっと見据えた。
「なっ、なんですか⁉」
クロカワが裏返った声を上げた。
虎はクロカワを見ると、長い尾を勢いよく床へ打ちつけた。
その衝撃で、周囲の白い霧がすっと吹き飛んだ。
次の瞬間には、足元に星の海が広がっていた。昨日見た世界と同じ、小さな光の粒が瞬いていた。だが少し様子が違う。昨日は遠目では分からなかった緑色の侵食が、今は目に見えて広がっていた。全体の光の一割ほどが、緑色に変わっていた。
その時ジルドは、自身がまた犬の姿になっていることに気づいた。
横を見ると、クロカワもキジに姿を変えている。
少し離れた場所に、ひとりの子供が立っていた。
白い髪。見覚えのある顔であった。
シロだろうか。だが、いつもの姿よりもずっと幼い。
「シロさん……ですか?」
クロカワが呼びかけるも、子供は答えなかった。
ただ、虚ろな目で星の海を見ている。
その視線の先で、緑色の炎が地の底から噴き上がるように立ちのぼってきた。
炎は激しく渦を巻きながら膨れ上がり、形を作っていった。やがてそれは、巨大な龍へと姿を変えた。火の粉を散らしながら、子供の前に鎌首をもたげた。
『無様な姿だな』
爆ぜる炎の音に混じって、嘲笑に満ちた低い声が響いた。
「うるせぇ」
子供は龍に向かって言った。その声はシロだった。
「あなたは、何者ですか!」
クロカワが叫んだ。震える声で、シロをかばうように前へ飛び出し、燃え盛る龍を見上げた。
龍はクロカワを見下ろすと、鼻を鳴らした。
『私が何者か、だと? 実に面白い問いだ』
龍は炎で形作られた長い身体を、ゆっくりとうねらせた。
『我々は、原始の存在であり、人間の支配によって生まれた個というものだ。そこにいる愚か者も同じだ。だが己の力を過信し、調子に乗った挙げ句、アンスロープどもの手で封じられたようだがな』
龍はシロを見下ろした。
「……うるせぇって言ってんだろ」
シロは龍を睨んで吐き捨てた。
龍は意に介さず、今度はジルドへと顔を向けた
『だが、その恩恵を受けた人間も少なくないはずだ。お前も、その一人ではないのか?』
燃え上がる瞳が、ジルドの身体を値踏みするようになぞった。
『こいつは、お前の中に身を潜めていたようだな』
「俺の中だと?」
クロカワはジルドを見た。
『正確には、お前の身体に埋め込まれたものの中だ。お前たちはインプラントと呼んでいるな』
龍は愉快そうに喉を鳴らした。
『封印を解いてほしくはないのか? 今の私にならできなくもないぞ?』
シロは苦い顔をし、歯を食いしばっていた。
龍はその表情を眺め、満足そうに目を細めた。
直後、炎の尾がシロ向かっていった。
クロカワが叫ぶより早く、シロの小さな身体は頭から真っ二つに断ち切られた。
切断面には、銀色の液体が露出していた。水銀にも似たそれは、ぬらぬらとうねっている。しばらく人の形を保っていたシロの身体は、柔らかな金属の塊となって崩れ落ち、床一面へ広がっていった。
「シロさん!」
クロカワが駆け寄ると、銀色の水たまりが、こぽり、と音を立てた。
続けて、こぽこぽと無数の泡が浮かび上がった。
液体はひとりでに中心へ集まり、盛り上がっていった。四本の脚が床を踏みしめ、長い尾が形作られた。やがてそこには、白銀の世界で目にしたものと同じ、巨大な白い虎が表れた。
龍は、しばらく虎の姿を見下ろした。
『まだ、その姿を残していたか』
龍が大きく息を吸い込んだ。炎の隙間から、鋭い牙が覗く。
龍の胸の奥で、轟々と何かが燃え上がる音がした。
次の瞬間、龍の口から炎が吐き出された。
濁流のような炎が床を這い、瞬く間に辺り一面を覆い尽くしていった。
龍の首が、ゆっくりとこちらへ向けられた。
燃え上がる両眼が、クロカワを捉えた。
『ほう』
龍は興味深そうにクロカワを見つめた。
クロカワは金縛りにでもあったかのように、その場を動けずにいた。
龍は巨大な口を開け、クロカワに迫っていった。
龍の牙がクロカワを呑み込もうとした、その瞬間。
白い巨体が龍へ飛びかかった。シロの前脚が、龍の頬を打った。
龍はゆっくりと顔を戻した。
頬には、爪痕が深く刻まれていた。
傷口からは炎が漏れ出し、火の粉となって散っていた。
『何をする』
低い声が空間を震わせた。
シロはクロカワたちを背に庇い、牙を剥いていた。
全身の毛が逆立ち、銀色の尾が床を打った。
龍はしばらくシロを見つめていたが、やがて喉の奥で笑った。
『まさか、情でも生まれたか。随分と人間に毒されたものだな』
『うるせぇ』
白虎の口から、白い霞が漏れた。
『こいつは俺が育てたんだ。お前に食わせてたまるか』
『ふん』
龍の瞳が細められた。
シロは床を蹴った。巨体が一瞬で消え、次の瞬間には、龍の懐へと潜り込んでいた。
銀色の爪が、炎の鱗を切り裂いた。
龍の胸元が大きく裂け、内側から炎が噴き出した。
龍は咆哮し、身体を大きくうねらせた。
炎の尾が横薙ぎに振るわれた。シロは身を沈めてかわした。
龍の尾が床を叩き割り、炎の波がジルドたちの足元まで押し寄せた。
ジルドはクロカワを咥えて走った。
頭上を、白と緑の巨体が交差する。
龍の爪がシロの肩をえぐった。
白い毛が弾け、銀色の液体が宙へ飛び散った。
シロは龍の前脚へ噛みつき、そのまま首を振った。
炎で形作られた脚が引きちぎられ、無数の火の粉が周囲へ降り注いだ。
龍は怒りの声を上げ、残った脚でシロの胴をつかみ、床へ叩きつけた。
地面が大きく揺れた。
シロの身体が潰れ、銀色の液体が床へ飛び散った。
「シロさん!」
クロカワが叫んだ。
龍は潰れた白虎を見下ろした。
『この程度か』
龍は笑みを浮かべた。牙の中では緑色の炎が音を立てて燃えている。
しゅるしゅると、龍の足元で銀色の液体が動いた。
散らばった銀色の粒は地面を這い、再び一つへ集まっていった。
白虎の頭が形を取り戻し、頭はそのまま龍の喉元へと食らいついた。
龍の咆哮が響く。
シロはそのまま形を取り戻し、龍の肉を引きちぎろうとした。
だが、その背を龍の爪が深く引き裂いた。
シロは雄叫びを上げ、地面へと落下した。
二体の巨獣は絡み合い、緑色の炎と銀色の血飛沫を辺りにまき散らしながら、床を転がっていった。
龍は長い身体をシロへ巻きつけた。
シロは咆哮を上げた。
ぎちぎちと、白虎の骨格が軋むような音が辺りに響いた。
『思い出せ』
龍は締め上げながら言った。
『お前も、人間に居場所を奪われただろう。忘れたわけではあるまい』
炎が龍の口の中に集中し、一気に放たれた。
緑光が視界を覆い、ジルドは思わず目をつぶった。
光が収まると、そこには緑色の炎をまとった龍だけが残っていた。
辺りには、しゅうしゅうと何かが蒸発したような音が響いていた。
シロの姿は跡形もなく、消え去っていた。
「そんな……」
クロカワは羽を震わせていた。と、クロカワの姿が徐々に人間の姿になっていった。
ジルドもまた、人間の姿になっていった。
龍はこちらを見た。
じりじりとこちらに向かってくる。
『さて、どうする人間?』
笑みを浮かべる龍。その息は思わず顔を退けたくなるような、腐敗臭がした。
ふと、ジルドは右手の拳に違和感を感じた。金属の指輪が膨張している。指輪は膨れ上がって、みるみる大きな輪になっていった。
龍は口を開け、ジルドとクロカワにかぶりつこうとした。
ジルドは咄嗟に、輪を龍へ投げた。
輪は龍の首の周りでシュルシュルと回転すると、きゅっと縮んだ。
「なんだ⁉」
龍は悲鳴を上げて、己の首をかきむしった。
輪はみるみる龍の首を締めあげていった。
龍は狂ったようにのたうち回り、必死に抵抗した。
輪の中に吸い込まれるように、龍の身体はどんどんと縮んでいった。
最後、龍は辺り一帯に響く甲高い声を上げると、身体の全てを輪の中に吸い込まれてしまった。
輪はすべてを吸い込むと、もとの指輪となり、地面に転げ落ちた。
静けさが訪れた。
しばらくジルドとクロカワは、その場にへたり込んでいた。
ジルドは立ち上がり、床に落ちている指輪を拾おうとした。
だが、足が思うように動かなかった。
「うまい具合にいきましたねぇ」
突然、ジルド達の前に何者かがすっと表れた。
それはタケミツだった。
タケミツは指輪を拾い、ジルドの方を見た。
タケミツは何も言わず、笑みを浮かべた。
指輪を自身の指にはめ、彼は両の手のひらを上へ向けた。
――パンッ
タケミツが手を叩くと、ジルドは急に深い疲労感に襲われた。
その場に崩れ落ち、ジルドは意識を失っていった。
第八章
ジルドの店が新装開店を迎えたのは、あの騒動から二か月ほどが過ぎた頃だった。
壁に開いた大穴はきれいに塞がれ、へこんだカウンターも新しいものへと取り替えられた。
真っ二つになったヴィンテージテーブルだけは、どうしても捨てる気になれず、ジルドは修復して、店の一番奥へと置いた。
襲撃された店という噂が広まったおかげか、以前にも増して客が来るようになった。
騒ぎを面白がってやって来る者もいれば、認証制度に屈しなかった店として応援しに来る者もいた。
あれほど騒がせた認証条例の話は、いつの間にか立ち消えになっていた。
グリーンフィンガーの関係者は次々と姿を消し、東地区で活動していた団体も消えたという。
新装開店の日、タケミツからは、入口を半分近く塞ぐほど大きな祝い花が届いた。
あの一件で、タケミツは一か月ほど入院していたが、見舞いに行ったときには、けろりとした顔で、病院仲間と麻雀をしていた。事件について尋ねたが、タケミツは何も覚えていないの一点張りで、それ以上のことを聞くことはできなかった。
クロカワも店へ顔を出している。
相変わらず、バンズがどうだ、ポテトの盛り付けがどうだと文句を言ってはいるが、毎度完食し、ちゃっかりテイクアウトも注文して帰っていく。
シロとは、あれ以来会っていない。
クロカワは色々と何かやっているようだが、結局のところ、消息はつかめていないようだ。
店の方は、ありがたいことにうまくいっていた。
昼時を過ぎれば客足も落ち着き、店内には穏やかな時間が流れる。
以前なら、この時間になるとシロが隅の席でおかしな歌を歌い、くだらない思いつきを大声で披露していたものだが、ここ最近は静かだ。
ジルドは、いつもシロが座っていた席へ目をやった。
修復したテーブルには、深い亀裂が残っている。
ジルドはその傷を指先でゆっくりとなぞった。
「たのもぉう!」
突然、甲高い声を上げた変な奴が店に入ってきた。
入ってきたのは、人の背丈ほどもある古びた客引きロボットだった。
正確には、それを担いだ子供だった。
ロボットは指先だけが、趣味の悪い緑色に塗られている。
「おっさん、開店祝い持ってきたぞ!」
聞き覚えのある声だった。
子供はロボットを床へ下ろし、得意げに胸を張った。
「あと、新作も考えてきたぞ! グリーンドッグだ!」
店内には、久しぶりの騒がしさが戻ってきた。
END
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内容に関するアピール
前にホットドックを自力で作ろうとしたのですが、あまりの大変さに挫折しました。
まずウィンナーの腸詰作業。腸に肉を詰めるだけだというのに、あれは凄く大変です。
腸詰のチューブに、腸をセッティングするのだけで、私は一時間かかりました(その後、腸に肉を詰めるのに三十分要しました。ちなみに全部15度以下の状態でやります)。
そして皆さんが知っているあのパリッとした感覚。あれは燻製が行われることで生まれています。残念ながらアパートで燻製するとボヤ騒ぎになりそうだったので、私はここで挫折しました。
ジルドはそれを全部やる男です。奴は腸詰、燻製、香辛料の調合、きっとそのうちバンズ作りもするでしょう。そんなジルドは、きっと子供にも優しい。ホットドック35種類もいけるでしょう。そんなお人好しだから、シロも懐くと思います。
クロカワは、なんとなく寂しい研究者です。できる奴なのに、彼を真に理解してくれる研究者はきっといないでしょう。彼の理解者は、きっと今までシロぐらいしかいなかった。でもジルドという仲間が今回増えます。よかったねクロカワ。
シロは、多分私の理想です。あんな風に自由に生きてみたいという願望なのかもしれません。
どこかの誰かが、自由とは、個性とは、支配や加護があってこそ生まれる。と言っていました。多分今回はそういう感じのことを書きたかったのかもしれません。
実はもっとサイバーパンク的な感じで、カッコいいやつを書きたかったのですが、どうもにもうまくいきませんでした。
SFのそういうカッコいいのに憧れて、この講座を受講しましたが、私にはどうもそういうクールな感じのものは駄目なようです。残念。
最後に、一年間、皆さまありがとうございました。
またこれを最後まで読んできただきありがとうございました。
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