侵略しに来た宇宙人殺人事件
2026年12月初旬。千葉海浜公園には潮の香りと硝煙の匂いが混じり合っている。
緑と紫の曳光が空を灼き、雲の向こうから異形の訪問者が舞い降りてきた。彼らは8本の腕で銃を器用に操り、波紋のようにアスファルトを捲りあげていく。
自衛隊が稼いだわずかな時間で、少しでも市民を逃がす。それが警察にとっての精一杯だった。
この地獄の中に、愛知県警から広域派遣された若き警察官、則本ジュンがいた。警察学校を卒業したての19歳。
則本の目が、ビルの陰に人の姿を捉えた。老人だ。
「逃げ遅れた人がいる」
無線機に叫ぶもノイズばかりで応答はない。則本は義務感から駆け出した。
「おじいさん、大丈夫ですか!」
則本が肩を掴むと、老人は驚いたように顔を上げて叫んだが轟音にかき消された。パニックになった老人は必死の形相で手を振り払おうとする。
「さあ、こちらへ!」
則本は抵抗する老人を傷つけないよう関節を優しく極め、軽々と背負い上げた。そのまま避難所を目指して全力で走る。背中で老人が叫び続けているが、則本の耳には砲撃音しか聞こえなかった。
息も切らさず則本は避難所のテントに走り込んだ。
「保護しました」
直立する則本を見た周囲の警察官は凍りついた。年配の警部が、彼の背の老人を指さす。
「則本、お前何を背負っている?」
「逃げ遅れたおじいさんです」
「それは本部長だ!」
本部長とは、愛知県警1万4千人を束ねる最高指揮官である。則本はその顔を知らなかった。
司令官の失踪により警察は大混乱に陥った。
原因を作った張本人である則本は数日後、静かに島に流された。
それがどれほど影響したのかは分からないが、日本は敗戦した。
『我々はこの国を完全に制圧した』
異星人の声は、渋谷のスクランブル交差点を渡る日本人の心を深く傷つけたことだろう。
◆
則本は空を見上げた。雲の向こうに巨大な銀の輪が浮かび上がっている。静止軌道上の母艦と地球を結ぶ中継基地、オービタルリングだ。
磁石で浮かせた内部が回転して遠心力を生むため、軌道エレベーターより低空に設置できる。
宇宙人はそこから強靭なケーブルを垂らして軍隊を際限なく投下し、地球の主要都市を次々に陥落させた。

宇宙人は地球の大国の首脳以外とは一切対話しないと宣言。かくして指名を受けたアメリカ、日本、中国、ロシア、フランス、イギリス、ドイツ、インドの首脳があのリングを通って母艦へ赴くこととなった。
支配権を失った人類が、それでも生存する権利を守るため、現在もギリギリの交渉を続けている。
則本はガラスの引き戸に手をかけ店内へ滑り込んだ。油の匂いと優しい声が彼を迎える。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「あらジュンさん」
カウンターの向こう側で、店主の星野翠華がふわりと微笑んだ。島民はここを『翠華さんの弁当屋』と呼んでいた。
「チキン南蛮弁当、2つください」
「はあい。今日もお二人分ですか?」
「ええ、俺のと、理不尽で、性格がねじくれてる上司の分です」
「まあ、大変ですねぇ」
星野翠華は嫌な顔もせず、同情するように眉を下げた。それだけで、則本の荒んだ心は満たされる。
「このキャベツ、うちの畑で採ったんですよ」
「本当ですか」
則本は目を輝かせた。
「じゃあ、翠華さんの手作りじゃないですか。あの上司に食べさせるのもったいないなあ」
「そんなことないですよ」
星野はくすくすと笑いながら、温かい弁当をビニール袋に入れて手渡してくれた。
店を出た則本は、まだ頬が緩んでいるのを感じていた。
星野翠華さんは天使だ。あの笑顔を見られるなら、一日三食チキン南蛮でも構わない。
則本は駐在所への道をのんびりと歩いていった。
則本が勤務するのは、愛知県田原市に属する、渥美半島の南に浮かぶ人口200人ほどの小さな島『墨崎島』の駐在所だ。本土との交通手段は、日に5往復の定期船のみ。
ここでの則本の立場はお手伝い係である。教育という名目で地域課のシフトを事実上外され、交番ではなくこの駐在所に通う身になったのである。
駐在所の引き戸を開けると、水城灯里が事務机に足を放り出していた。
「遅い」
だらしなく組まれた脚。そして長い銀髪、紫のネイル、深い藍色のアイシャドー。なぜこの格好が警察で許されているのか、則本には理解できない。
則本は無言で弁当を一つ、十歳くらい年上の上司の前に置いた。
彼女はのそのそと動き出し、パックを開け、チキン南蛮を大きくかじって言った。
「次本土に帰るとき、きなこ買ってきて」
「きなこくらい、島のスーパーにもあるでしょ」
「青きなこは売ってなかった」
水城は駐在なので滅多に島を出ない。一方の則本は、数日おきに本土の田原署に戻る。
「何に使うんすか、そんなもの」
「お雑煮」
お雑煮にきなことは聞いたことのない組み合わせだ。
「灯里さん、どこの出身なんですか」
「たわら」
「『田原』って読むんですよ。もしかして今までずっと知らずに生きてきたんですか」
流石に馬鹿すぎる。
弁当を半分ほど食べ終えた頃、駐在所の引き戸が控えめに叩かれた。
ガラスの向こうにいたのはタコ型の宇宙人4匹。この島で見たのは初めてだった。則本は立ち上がって戸を開けた。4匹とも150cmほどで、近くで見ると頭の形はタコというよりキノコに似ているが、足には吸盤があった。
「あ、あの……」
先頭の1匹が声を絞り出し、全員がぺこりと頭を下げた。
「とても困ったことになったのです」
「迷子?」
「いえ、我々は哨戒中の小隊なのですが、我々の哨戒船の中で、密室殺人が起きました。だから、捜査をしてほしいのです」
「殺宇宙人事件……自分の母艦に言えばいいのでは」
「それが、犯人に通信機器を壊されてしまいまして」
宇宙人がモジモジしていると、水城が「寒いから閉めてよ」と不満そうに言った。則本は後ろ手で引き戸を閉め、改めて4匹の宇宙人と向き直る。
「じゃあ、警察経由で母艦に連絡してみるか」
「難しいと思います。母艦は首脳以外とはコミュニケートしないので。そちらの総理はとてもお忙しいと思うのです」
「それなら、別の小隊と連絡できるか試してみるか」
「各隊は迷彩を施しており、地球人が見つけるのは無理でしょう」
そして4匹の宇宙人たちはそろって空を仰ぎ、「これじゃあ、クローズドサークルだ」とわんわん泣き始めた。
「うるさい!」
水城の怒鳴り声とともに背後で引き戸が乱暴に開かれた。カチリと撃鉄の起こされる乾いた音が響くやいなや、拳銃が先頭の宇宙人の眉間に押し当てられていた。支給品であるはずの回転式拳銃は彼女の趣味により自由にデコられている。グリップはショッキングピンクで、銃身がライムグリーンのラバーで覆われている。そのパワーパフガールズみたいな色合いの拳銃は派手なチェーンで、規則通り彼女のタクティカルベストにきちんと繋がれていた。
「灯里さん」
則本は水城の右手を両手で包み込み、原宿系ピストルを慎重に取り上げた。撃鉄を下ろし、彼女のホルスターに戻す。
「とりあえず、話の続きを聞くから」
則本は宇宙人たちに言った。
「死んだのは誰?」
「キャプテンと、通信兵です」
「凶器は」
「プラズマソードです」
その単語に水城がぴくりと反応した。
「なにそれ?」
興味を示した。面倒になるな。
「超電導磁石の周りにプラズマを纏わせ、光る刃を形成します。叩きつけると、熱で何でも焼き切ります」
「どのくらいの長さ?」
「5.54光ウェーブほどです」
「日本語で喋れや」
宇宙人は体を震わせた。
「120cmくらいです」
水城が腕を組む。
「まず誰が誰だか分からんな。名前を言え」
宇宙人たちが何か発音したが、それは人間の調音点を微妙に外れた音の羅列で、聞き取れたものではなかった。
水城は色付きの油性マジックを取り出した。
「お前、オレンジ色だから『みかん』」
そう言うと、宇宙人の抵抗を無視して、その額にでかでかと『みかん』と書いた。
「お前はオカメ顔だから『ラ・フランス』。こっちは紫だから『グレープ』。で、あんたは顔が渋いから『柿』」
水城は残る3匹の額にも名前を書き付けた。
「通信兵はどんな色だった」
「赤色でした」
「じゃあ『ウメ』で」
「赤いのは、ウメ干しでは」という則本の指摘は無視された。
水城はマジックのキャップを閉めると、則本に顎をしゃくった。
「ジュン君、捜査に行ってあげなよ」
「灯里さんは行かないんですか」
「私はおばちゃんが徘徊してるらしいから保護しに行く」
言うが早いか、水城は宇宙人たちを押しのけて駐在所から出て行った。
去り際に、彼女は一度だけ振り返った。
「ジュン君。飲料水のタンクがどのくらい減ってたかだけ、確認しておいて」
◆
則本は4匹の宇宙人に促されるまま、駐在所正面から海へまっすぐ伸びるコンクリートの突堤に向かった。その先端に、黒くて丸い船が横付けされていた。
「あれが我々の船です」
光を完全に吸収する黒い魚雷型の船。船尾には巨大なスクリュー、天井の垂直翼と胴体の水平翼がシャチを思わせる。
「というか、なんで日本語が喋れるんだ」
歩きながら尋ねると、柿がこちらを向かずに答えた。
「人間の言葉くらい、すぐ覚えられる」

みかんがハッチを開けると、分厚い円形の扉が音もなく外へ開いた。奥にはもう一つ同じ扉がある。二重ハッチ構造のようだ。みかんはそれも開いた。
「どうぞ」
則本は促されて船内へ入った。
そこは操縦室だった。窓はなく壁面すべてがディスプレイで、外の景色を映し出す様子はガシャポンの中に入ったようだ。
中央のダッシュボードからは、クレーンゲームのようなレバーが8本生えている。
「私が操縦兵だ」
額に『グレープ』と書かれた宇宙人が名乗った。
「キャプテンと操縦兵は別物なのか」
「確かに地球人には分かりづらいな。我々の間では別物だ」
グレープはレバーを指した。
「この操縦桿には振動と電気信号の触覚フィードバックがあり、画面を見るより握る方が周囲を正確に把握できる」
「操縦できるのは君だけか」
「いや、みんな多少はできる。自動運転もあるから」とラ・フランス。
「このパイプは?」
「それは飲料水。蛇口はそこ」
みかんが操縦室後方の金属扉を開いた。
「次の部屋に行きますね」
継ぎ目がまったくなく、開くまで扉があることすら分からなかった。その工作精度の高さに則本は驚いた。
扉の向こうは意外に生活感があった。
「ここは居住スペースです」
みかんが言った。両側に二段ベッドが三つ並び、中央の小さな机にはカードが散らばる。普段はリラックスしているらしい。
則本は机の上の筒に目を留めた。手に取ろうとすると磁石の小さな抵抗があった。
振ると液体の揺れる感触。水筒だろうか。
「それはコップです」
「蓋が閉まってるが」
「蓋に小さな穴が無数に開いてて、そこから吸うんです。揺れますから」
「今日は特に揺れた」と柿が渋い顔で言う。
「錐揉み飛行だったぞ」ラ・フランスが同意する。
「海底の地形が複雑だった」グレープがばつ悪そうに付け加えた。
机に戻すと、カチッと再び固定された。
みかんが壁の細長い直方体に触れると、音もなく扉が開いた。個人用ロッカーのようだ。
フックには色付きのゴーグルと麦わら帽子。麦でできているかは不明だが。棚にはルービックキューブ風の立体パズル、そして耳栓。
緊張感のない品々だった。
ユニットバスもあった。金属壁の狭い空間に水回りがまとまっている。
洗面台には様々なボトルが整然と並ぶ。則本が手を伸ばしかけると、みかんが声をかけた。
「ボディーソープです。肌に合わないと思うので、触らないほうがいいですよ」
則本は手を引っ込めた。
他にもタオル、掃除用ブラシ、ヘアゴム、クリームの容器、耳かきなどがあるが、やはり小物類はすべて磁石やホルダーで固定されていた。
みかんが奥の扉を開いた。
中は薄暗く、壁の機器の小さなランプが点滅している。
「ここは調査室です」
則本が足を踏み入れると、ひやりとした空気が肌を撫でた。居住スペースとは対照的な無機質な空間だ。
床の中央は円形に切り抜かれ、透明な素材がはめ込まれていた。
「海底を観測するための窓だよ」ラ・フランスが説明した。
「他の機器も、船外のアームや各種計器を操作するためのものだ。これが我々の本来の仕事だ」
調査室の最も奥に、もう一つ扉があった。
「ここは物置です」
みかんがそう言って、内開きの扉を開けた。
則本ジュンは一人で中へ入る。右手の壁際に、二つの影が寄り添うようにうずくまっていた。
近づくと、それがキャプテンとウメの死体だと分かった。
2匹は壁を背に肩を寄せ合っている。それぞれの眉間から長い棒が突き出ていた。
壁のフックに引っ掛けられているが、位置が低いために体が傾き、8本の足が力なく床を這っている。
「タコさんウインナー」
則本は思わず呟いた。
4匹の宇宙人は怖がって部屋に入ろうとせず、耳をすませば状態で開いたドアの隙間からこちらを覗き込んでいる。
「このフックに刺さって死んだのか?」
「違うと思います。凶器は多分こっちです」
みかんが指差したのは、ドア横にある腰の高さの棚だった。トレーの上に、剣の柄のようなものが8個並んでいる。男子小学生の筆箱のようだ。
そのうち1つを取るとずしりと重かった。自由の女神が掲げてるやつのような形状である。親指の位置にあるボタンを押してみる。
起動音とともに、柄の先端から緑色に光る刀身が勢いよく伸びる。
「危ない」
宇宙人たちの悲鳴が上がった。
則本はもう一度スイッチを押した。光がすっと消えた。
「8個のうちどれが犯行に使われたかわかるか?」
柿が答えた。
「おそらく一番左だ。物置のドアを開けた時『ソードが一個ない』とラ・フランスが叫んだ。見ると確かにトレーの左端が空いていた。そこで全員で探したところなぜか操縦室で発見された。互いをよく監視しながら探したので、後から誰かがこっそり置くのは不可能だ」
武器と死体が離れた場所にあるということは、死体移動系のトリックかもしれない。もう一度死体に近づき、屈み込んで傷口を観察した。焼け焦げている。
「この剣で刺し殺してから、その穴をフックに引っ掛けたということか」
「きっとそうです」
「君たちは、自分たちの死体を見たことがあるか」
「ありません」
「タコ型宇宙人は、ここを剣で刺されたら必ず死ぬのか」
「それは、絶対です」
「刺したときと殺したときが一緒とは限らん。生活反応って知っているか」
「知りません」
「死んだ後の傷と生前の傷では断面が違う。周囲の組織変化とかで判別できるんだ」
則本は考えた。なぜ犯人がわざわざフックに引っ掛けたのかについて検討するには、刺されて死んだのか死後に刺されたのかの判別は重要だ。タコ型宇宙人の生活反応を詳しく調べる必要があった。
2匹の傷口周辺の組織をピンセットとカッターでシュラスコのように切り取り、持っていたハンカチに慎重に包んだ。比較対象として、それぞれの腕の先も少しだけ切り取っておく。
則本は物置の中をもう一度見渡す。ドアから入って左側の壁に、操縦室にあったものと同じハッチが設置されていた。
「こちらも二重ハッチになっているのか」
「はい、なっています」
「船外活動をするのか」
宇宙人が口々に答えた。
「海中ではしない」
「サメに食べられて危ないです」
「そもそも二重ハッチには与圧と減圧の機能がない」
「船のアームを使うので必要がない」
これ以上ここで得られる情報はなさそうだ。則本は殺宇宙人事件のあった物置から出た。
最後に則本は水城の言葉を思い出した。
「飲料水はどのくらい減ってたんだ」
みかんは居住スペースの壁際、タンクのメーターを覗き込み、首を傾げた。
「変だな。ほとんど残ってないや。出発時から1.4㎥ほど減ってます」
則本は操縦室側のハッチから外に出た。ひんやりとした潮風が頬を撫でる。空は茜色に染まり始めていた。駐在所へ向かうコンクリートの突堤を歩きながら、則本は質問を再開した。
「この船に乗っていた宇宙人は、死んだ2匹を入れればこれで全部か」
「絶対にそうです」
みかんが即答した。
「君たちはお互いをどうやって個体識別してるんだ」
「見れば分かる。この距離なら間違えることはない」と柿。
「触ったらもっと詳しく分かったりする?」
「そうだ。人間の感覚で表現するなら『味』、だろうか」
この方向を深掘るのは大変そうなので質問を変えた。
「今日は何かトラブルがあったのか」
その問いにラ・フランスがうんざり気味に口を開いた。
「あったよ。深海調査に行く前、方針を巡ってキャプテンとウメが激しく言い争ったんだ。内容は秘密にさせてくれ。ともかく、キャプテンが激怒して『ウメを縛って物置に放り込んでおけ』と命令したから、自分がウメの体を押さえて、柿がカーボンナノチューブのロープでぐるぐる巻きにした。あれは、脱出しようとすればかなり痛いはずだな。そして、ウメを物置に押し込んで、扉を閉めて一人にした」
「その時はトレーにソードは揃っていたか?」
宇宙人たちは全員頷いた。
「その後はどうした」
まずはグレープが答えた。
「各自、仕事に戻りました。私は操縦室に戻り、船を深海に進めました。今日は水深50mの大陸棚の海底を航行しました」
「グレープが操縦室に入っていくのは見た」と柿が補足する。
「自分は調査室で一人で仕事をした」とラ・フランス。
「僕は居住スペースに戻りました」とみかん。
「自分も居住スペースに戻った」と柿。
則本が頷くと柿が続けた。
「キャプテンとみかんと私の3人が居住スペースにいた。それから2.56テラ水素振動経った頃だ」
「わからん」
「地球の時間で30分くらい。キャプテンが、『ウメと話をしてくる』と言って、物置に入った。そして物置の扉が閉ざされた」
次にみかんが話し始めた。
「僕はキャプテンとウメのことが心配だったので、居住スペースと調査室の間のドアを少しだけ開けて、そこから調査室と物置の間のドアをずっと見つめていました。ラ・フランスが調査室でずっと仕事をしていたのも見ています」
みかんの言い分を柿が肯定した。
「最初は居住スペースで休んでいた。みかんがずっとドアから奥を覗いていたのは確かだ。それから2テラ水素振動ほど経ってから、ラ・フランスと交代で調査室に入って仕事をした。その間、操縦室のドアは一度も開いていない」
「柿が仕事をしていたのは確認しています」みかんが頷いた。
「みかんがずっとドアの前に立っていたのは、自分も見ていた。自分が居住スペースにいた間は一度も操縦室のドアは開いてないよ」とラ・フランス。
「それからしばらく経っても2人が出てこないから、心配になってドアを開けることにしたんです」
みかんの声が少し震えた。
「でも、キャプテンに怒られたら怖いから、みんなで一緒に開けることにしました。操縦室のグレープも呼びました」
「グレープを呼びに行ったのは自分ね」とラ・フランス。
みかんが続けた。
「その間、柿と僕はドアをずっと見つめていました。ほんの数秒のことです。みんなが揃ったところでドアを開けました」
「それで、あの死体を見つけたというわけか」
則本が呟くと、4匹はこくりと頷いた。駐在所の明かりがすぐそこに見えていた。
◆
駐在所の引き戸を開けると、水城灯里は戻っていた。机に足を乗せ、退屈そうに天井を眺めている。
「お疲れ様です。おばちゃん、どうでした?」
「ん」
「というか、誰なんですか、そのおばちゃん」
「私が子供の頃から地元の有名人だったおばちゃん」
水城がつまらなそうに言った。LEDを巻き付けて自転車で走る名物おじさんのようなものか。
「それで、どうしたんですか」
「おしゃべりして帰ってきた」
「あんま変な人と付き合わないでくださいよ」
それには答えず宇宙人を指さして水城が言った。
「ジュン君お茶出してあげて」
則本は給湯室で人数分の熱い緑茶を注ぎ、宇宙人たちに差し出す。彼らはグビグビと一気に飲み干した。
「我々は熱に強いので」
見透かしたように柿が言う。
「美味しい。何という飲み物ですか?」とみかんが尋ね、ラ・フランスに頭を叩かれた。
則本はホワイトボードに見取り図を描き、経緯を説明した。水城は黙って聞いていた。
「これが操縦室、ここが居住スペース。調査室があり、現場はこの物置です」
「その船、外ハッチと内ハッチの間の体積はどのくらい?」
水城が唐突に言った。
「厚さ80cm、直径1.5mほどなので、大体1.4㎥くらいかと」
「ふうん」
説明を続ける。水城が口を挟んだのは、錐揉み飛行のくだりだけだった。
「それ、まず左に90度傾いて、それから180度、もっかい180度回って、最後に右に90度傾いて元に戻ったんじゃない?」
柿が首を傾げ空中を睨んでから、強く頷いた。
「そうだ」
「これが凶器です」
則本は懐からプラズマソードを取り出して水城に手渡した。
「いつの間にくすねてたんですか」
みかんが声を上げる。
水城は柄を眺め、スイッチを押した。緑色の光の刃が伸び、則本はのけぞった。
「このソード、どのくらいのエネルギーが入ってる? 1.6GJくらい?」
「だいたいそんなものだと思います。桁は合ってます」
みかんが驚く。
「こんな小さい体のどこにそんなエネルギーが収まるの」
「地球文明のような化学電池ではなくSMESです」
「へえ」
水城は感心したように頷くとぶんぶん振り回した。駐在所内で全員が悲鳴を上げて逃げ惑う。
そして則本の目の前に刃を突きつけた。
「私がお前の父だ」
「何歳で産んだんですか。話戻しますよ」
則本はホワイトボードを指した。
「俺が思うに、これは宇宙人の個体認識に鍵があります。指紋と同じ方法で『吸盤紋』を採るべきです。あと、生きている宇宙人の腕の先を切って、生活反応の試料を取るべきです」
切り取った組織片の包みを取り出したところで、水城が「もういい」と制した。
水城灯里はプラズマソードの光を消した。
「犯人はグレープ」
彼女はそれを無造作に机の上に放り投げ、こともなげに言った。
駐在所内が困惑に包まれた。みかん、ラ・フランス、柿が、間の抜けた顔で水城とグレープを交互に見た。
グレープは全身8本の腕を振り回して抗議した。
「ふざけるな! 私はずっと操縦室にいたんだぞ! 犯人は調査室にいた誰かだ!」
「ありえない」
水城は全く動じず言い切った。
「調査室と居住スペースの間のドアは、常に見張られていた」
「じゃあ共犯だ! 誰かと誰かが共謀しているんだ!」
「考えればわかる」
水城は机に肘をつき、退屈そうに指を立てた。
「イチ、ソードがトレーに揃っている。ニ、ラ・フランスが調査室にいる。サン、みかんが」
則本は慌ててホワイトボードに水城の言葉を書き留めた。
1. ソードがトレーに揃っている
2. ラ・フランスが調査室にいる
3. みかんがラ・フランスを見ている
4. 柿がみかんを見ている
5. 柿「操縦室のドアは開いていない」
6. ラ・フランスと柿が交代
7. みかんが柿を見ている
8. ラ・フランスがみかんを見ている
9. ラ・フランス「操縦室のドアは開いていない」
10. ソードが操縦室で見つかる
「4匹の中に1匹以上犯人がいる組み合わせは15通り。みかんの単独犯は4と8で除外。ラ・フランスの単独犯は3で、柿の単独犯は7で除外。みかんとラ・フランスの共犯は5で除外。みかんと柿が共犯は9で除外。3匹全員が共犯なら、最初からグレープが物置に行ったって言うはず。グレープと誰かの共犯でもこの結果は変わらない」
水城は結論を告げた。
「よって、グレープの単独犯しかありえない」
「どうやって私が操縦室から物置に入れたって言うんだ!」
◆ 読者への挑戦状
ここに一つの謎が提示された。
水深50mの海底を航行する、閉ざされた哨戒船。
船内で起きた、二つの死。
容疑者は4匹。
うち3匹は、互いに監視し合っていた。
残る1匹、操縦士のグレープは、犯行時刻には現場から隔絶された操縦室にいた。
水城灯里はそのグレープこそ犯人だという。
彼女の主張が正しいなら、グレープは誰にも気づかれず、操縦室から物置へと移動したことになる。
果たして、そんなことが可能だろうか。
いかにしてグレープは監視網をくぐり抜け、密室殺人を完遂したのか。
この謎を解く鍵は、これまでの則本ジュンの捜査の中に、すべて提示されている。
真相は、もうすぐそこだ。
◆
「外を泳いだんでしょ。タコなんだから」
水城灯里は言った。
「ハッチが開くわけない。水深50mは6気圧だぞ!」
グレープが叫ぶ。
「開けられる」
「どうやって!」
「まず、二重ハッチの間に水を張る。自分も中に入る。そして」
「まさか灯里さん、お湯を沸かすとか言うんじゃないでしょうね」
「言うよ。だって熱には強いんでしょ、君たち」
「そんな……」
則本は叫んだ。
「深海茹でダコ!」
柿が腕を組む。
「しかし、どうやって熱する? コンロでも持ち込むのか」
水城は机の上のプラズマソードを指さした。
「そうか、プラズマソードでお湯を沸かしたのか」
柿の顔から渋みが一層増した。
「確かに水を熱して圧力を上げれば外に出られます。でも、外から中に入るには?」
則本が尋ねる。
「それはちょっと工夫が必要。外側のハッチは少しだけ隙間を開けておく。その状態で水を沸騰させると、水が隙間から噴き出す。その瞬間にハッチを閉め、ソードを切る。すると」
「水蒸気が水に戻って、内部の気圧が下がる」
則本が続けた。
「確かにそれで開きますが、中がびしょびしょになるのでは」
ラ・フランスが指摘する。
「だから、船体を90度傾けたんでしょ。フックに掛けたのはその時に転がらないように」
水城の言葉に、そうかと宇宙人たちが声を漏らした。
「だから飲料水の量が問題だったのか」と、則本も納得した。
「いやしかし、それだと外から物置のハッチを開けるために、あらかじめ6気圧の海水を二重ハッチの中に入れておかないといけない」と柿が言った。
「物置の外ハッチは、あらかじめ開けておいたんでしょ」
「そんな危険なことをしたのか!」
ラ・フランスがグレープに詰め寄る。グレープは必死に首を振った。
柿が新たな疑問を口にした。
「いや、じゃあ最初から操縦室側の外ハッチも開けておけばよかったのでは?」
「バカね」
水城は心底呆れた顔をした。
「内ハッチ開けた瞬間水入ってくるでしょ」
「そうか。だから、最初の一回だけはどうしても船内で水を調達しないといけなかったのか」
則本が呟いた。
「お前が犯人だったんだな!」
ラ・フランスと柿が、怒りに体を震わせグレープを睨みつけた。
「私に動機があるというのか」
グレープが矛先を水城に向ける。
「知らないわよ、宇宙人の気持ちなんて」
水城は爪をいじり始めた。
「で、こいつをどうしてほしいの?」
「逮捕してください」
「タコだから手錠は無理ですよ」と則本。
「ジュン君さあ、イノシシ用の檻、持ってきて」
則本は駐在所の裏から大きな檻をガラガラと引きずってきた。
「いやだ! 私はやってない!」
抵抗するグレープを、四人がかりで檻に押し込め、錠をかけた。
「じゃあ、連れて帰って」
水城は鍵をみかんに押し付けた。
「え、留置場じゃないんですか」
みかんは困惑気味だ。
「留置場が宇宙人の相手するわけないでしょ。はい、さっさと帰った帰った」
水城はしっしっと手を振った。
「死体と一緒に寝るなんて……」
涙を溢れさせる宇宙人を見て、水城の表情が消える。そしてカチリと聞き覚えのある音。今度の拳銃のチェーンは則本のベストにつながっていた。
「灯里さん」
則本は彼女の手からそっと拳銃を抜き、撃鉄をおろして自分のホルスターに戻した。これで自分が怒られてはたまらない。
「はあ」
水城は面倒そうにため息をつくと、窓の外を指さした。
「じゃあ、南にあるリゾート島で寝とけば」
300mほど沖合に黒い島の影が横たわっている。
「ナツメグ島ですね」
則本は頷いた。
「今は無人島だけど、宿や農場の跡が残ってるらしいですよ」
「迎えが来るまでそこで暮らしな。あ、幽霊が出るらしいから戸締りちゃんとしてね」
水城が投げやりに言うと、宇宙人たちの顔色がさらに暗くなった。
檻の両脇を掴み、重い足取りで出て行った。その後ろ姿を見て水城が言った。
「公園から連れて帰る両親みたいね」
「どこが」
則本は引き戸を閉めた。
残された紙コップを片付けようと、ゴミ箱へ放り込んだ時。
「それ、袋に入れて。誰が使ったかマジックで書いといて。鑑識に回すから」
「はあ」
則本は言われた通りゴミ箱からコップを取り出して袋に分け、宇宙人の名前を書き込んでいく。記憶力はいい。
「どうするんですか、こんなもの」
水城は天井を見上げたまま言った。
「これまでの調査ではね、あの宇宙人、真社会性生物だとなっててね。なのに集団の生存率を下げる行動を取った個体がいる。これは何か起きてるのかもね」
「シンカイシャ……?」
水城は億劫そうに、短く答えた。
「バケネズミとか」
「だれ?」
◆
水城は足をぶらぶらさせて言った。
「私は昼寝するからジュン君パトロールしてきて」
「はいはい」
則本は駐在所を出た。
冬の日差しがアスファルトに長い影を落としている。
『バケネズミ』なんて聞いたことがない。調べてみるか。
図書館は島の東端にある。東へ歩いていると、古びた木造の店の前に出た。軒先には『紅』とだけ書かれた看板が掲げられている。タバコ屋だ。
灰皿の前で一人の少女が煙を立ち上らせていた。金髪を高い位置でポニーテールに結び、見るからに悪そうな雰囲気を漂わせている。
「君、タバコはダメでしょ。高校生?」
「はあ?」
少女は不快そうに則本を睨みつけた。
「高校生じゃないわよ」
「じゃあ、身分証見せて」
少女は財布からマイナンバーカードを出した。『糸井スズメ 2003年生まれ』。
「あれ。俺より年上だった」
「ふん」
「見た目よりいってるんだな」
「なんですって?」
次の瞬間、則本の目に火花が散った。
則本は頬をおさえ、不確かな足取りで東に逃げた。
やがて道はT字路に突き当たった。直進するか左に折れるか。則本はひとまず直進を選んだ。
曲がりくねった小道を抜けた先は行き止まりだった。眼下に海岸が広がり、ぽつんとベンチが一つあるだけ。外れだ。
T字路まで引き返し、今度は右へ、さっきの向きでは左へ折れた。
緩やかにカーブする道の先に、コンクリート打ちっぱなしの四角い二階建てが見えてきた。
建物のピロティには謎のモニュメントがあり、玄関の右隣には黄色い返却ポストが立っている。
重いガラス戸を押し開けて中に入る。この重さ、子供では開けられないのではないか。
もう一枚の扉を開けるとロビーだった。掃除は行き届いている。通路の壁際では、よくわからない工芸品がガラスケースに収められている。
則本はその奥で角を曲がり、図書室へと足を踏み入れた。
図書室は静まり返り、カウンターには誰もいない。
則本は首を傾げた。何を調べに来たのだったか。シンシャシン……みたいな。ビンタの衝撃で記憶が飛んでいる。
ああ、そうだ。バケネズミだ。
動物図鑑を次々に引き抜いてページをめくるが、いくら探しても見つからない。もう一時間は探しただろうか。
そのうち、本棚の向こうから声が聞こえた。
「暇すぎる」
「暇だねぇ」
「ねえ館長、この図書館潰れるんじゃね」
「公立だで、それはないと思うよ」
呑気だ。ここで則本は、天才的なアイディアを閃いた。そうだ、司書に聞けばいい。博識な司書さんがたちまち解決してくれるに違いない。
則本はずんずんとカウンターへ向かい、そこにいた人物を見て凍りついた。
「あ、あの失礼な警官!」
金色のポニーテールが跳ね上がった。
「君、司書だったのか」
「悪い?」
糸井スズメは鼻を鳴らした。
「ごめん。全然そういうふうには見えなかった」
「失礼ね。税金で暮らしてる分際で、市民にそういう口きいていいわけ?」
「司書も税金では」
則本の素朴な疑問に、糸井は一瞬ぽかんとした。
「司書は……あれよ。危険手当よ」
「はい?」
「ほら、図書館っていつ本好きの強盗が襲ってくるかわからないし、命がけの仕事じゃん? 交番でぬくぬくお弁当食べてるだけの警察とは違うのよ」
「いやそんなわけなくない?」
と、否定しつつ則本は上司の姿を思い浮かべた。半分くらいは当たっているのかもしれない。
「で、何のよう?」
則本は図鑑をカウンターに置いた。
「バケネズミっていう、シーシャ性の生き物を探してるんだ」
「載ってるわけないじゃん。架空の生き物だよ」
糸井は呆れているようだ。
「貴志祐介の『新世界より』に出てくるの。あんたが言いたいのは『真社会性生物』でしょ。ミツバチね」
糸井は図鑑の端をつまむと一瞬で該当ページを開き当てた。
「女王蜂だけが卵を産んで、働き蜂はみんなで自分のじゃない子供を育てるの。それでいいのかって思うけど、遺伝子がほぼ同じだから、本人たちはそれでいいらしい。ちなみにバケネズミのモデルはこっち」
糸井がめくったページには、毛のないシワシワのネズミの写真があった。
「ハダカデバネズミ。変わった特徴を持ってるのよ。ディスパーサーっていう、特殊なオスが突然生まれるの。普段は働かずに食べて太る。砂漠で交尾相手を見つけるのがすっごく難しいから、こういう仕組みが進化したの」
糸井の説明に則本は眠くなる。
「肥え太ったディスパーサーはある日突然巣を飛び出して冒険を始める。だいたいは途中で死ぬけど、稀に別のコロニーにたどり着く。そうやって遺伝子の多様性が確保されるわけ」
「大体わかった」
「よかった」
「君、見かけによらず物知りなんだな」
糸井が怒り出したので、則本は慌てて図書室を飛び出した。
ロビーを歩いていると、正面の重いガラス戸が開いた。入ってきたのはタコ型宇宙人だった。白いバスタオルを目深に被っているので名前が見えず、誰だか分からない。
「あ、ジュン殿」
宇宙人は丁寧に会釈をしてすれ違う。
則本はその奇妙な後ろ姿を見送った。宇宙人が図書室へ入った直後、もちろん、糸井スズメの悲鳴が響き渡った。
則本はそのまま図書館を出た。
T字路まで戻ると、向かいから天使が歩いてくる。
「あ、ジュンさん」
ニット帽を被り、ミトンの手袋をした星野翠華が、胸に『農業の秘密』という本を抱えている。図書館へ返しに行く途中のようだ。
「少し、お話ししませんか」
断る理由などない。二人は海を見渡せるベンチに座った。
二人の間を風が抜けていくのが、なんだか惜しかった。
「宇宙人に侵略されて、この国はどうなるんでしょう。私の子供たちは、ちゃんと生きていけるのかな」
「大丈夫です。市民は俺が守ります」
「まあ、さすが警察官」
星野はぱちぱちと小さく拍手をした。
「ねえ、拳銃見せてよ」
「わわ、それは絶対ダメです。怒られちゃいます」
「じゃあ、手錠見せて」
「手錠なら」
則本が腰から手錠を取り出すと、星野は受け取り、片方を自分の手首にはめた。
「何してるんですか」
星野は答えず、則本の左手を取ってもう片方をその手首にかけた。
「くっついちゃったね」
「いや、何してるんですか本当に」
則本の心臓はかつてない速さで脈打っている。則本はポケットから鍵を取り出した。手錠の鍵は、紛失防止のため警察手帳の紐に付ける。
まず星野の手錠を外そうと、彼女の手を握った。その瞬間、星野がじっと則本の目を見つめてくる。則本の顔にカッと熱が集まった。慌てて顔をそむけ、手元もおぼつかないまま鍵を差し込み、ロックを外した。
「次は私がジュンさんのを外してあげる」
星野は鍵を受け取ると、悪戯っぽく笑った。鍵を差し込むその時。
「あ、私、本を返さないといけないの忘れてた」
星野は突然立ち上がった。
「ここで待っててね」
彼女は素早く手錠の片方をベンチの鉄パイプにかけ、警察手帳の紐から器用にフックを外して鍵を握りしめたまま走り去った。
「ええ、待ってくださいよ!」
叫びは海風にかき消された。
数分後、星野が戻ってきた。手に本はなかった。
彼女は何事もなかったかのように手錠を外し、鍵を返してくれた。
「さあ、戻りましょう」
星野は微笑んだ。
並んで歩く道すがら、星野が手を握り、寄りかかってくる。則本の歩調はぎこちない。
彼女が海の彼方を指さした。
「あれは何かしら」
則本も目を凝らしたが、水面が星に煌めいているだけだ。
「今、なにか見えたわ。宇宙人が攻めてきたんじゃなければいいけど」
「大丈夫ですよ。多分、そんなに悪い奴らじゃないです」
「そうだといいんだけど」
星野は心配そうに呟くと、再び手を強く握った。
やがて二人は『翠華さんの弁当屋』の前に着いた。
星野が手を離す。
「送ってくれてありがとう、ジュンさん」
「いえ、そんな」
「また来てね」
彼女は微笑み、店の中へ消えていった。
則本はしばらく立ち尽くし、喜びで頬を緩めながら、軽やかな足取りで駐在所へ向かった。
駐在所に戻ると電話がけたたましく鳴っていた。水城灯里の姿はない。
受話器を取ると田原署からだった。
「こちら地域課。水城警視と連絡がつかない。そこにいないか」
「出かけているようです」
「至急探してくれ。何かあったのかもしれない」
則本は駐在所を飛び出した。
胸騒ぎがした。まず西へ走り、美容院の引き戸を開けた。
「すみません、銀髪の警官は見ませんでしたか」
「いや、見てないねえ」
則本は礼もそこそこに店を飛び出し、東へ走った。紅タバコ店の店員に尋ねる。
「銀髪の警察官、通りませんでしたか」
「ああ、そっちに行ったよ。急いでるみたいだったよ」
則本はT字路を抜け、海沿いのベンチを確認するが誰もいない。引き返し、図書館へ続く道へ入った。
道の先に人影が倒れていた。則本は駆け寄った。
「灯里さん!」
膝をつくと、彼女の体の中央に深々と大きな円形の穴が開いていた。ベストも制服も体も貫かれ、傷の縁は黒く焦げている。
「灯里さん!」
揺すっても動かない。水城灯里は死んでいた。
警察航空隊のヘリコプターと警備艇が押し寄せ、島は赤色灯に染まった。
◆
則本ジュンは愛知県警本部長の前に立たされていた。
「このバカものが」
判明した事実はこうだ。
図書館から『宇宙人がいるので追い出してほしい』と駐在所に通報があり、出動した水城が道中で殺害された。凶器はプラズマソード。彼女の拳銃が奪われていた。
「水城が殺されたとき、お前は何をしていた」
星野翠華と手を繋いでいた。
「なぜ、最初に宇宙人と接触した時点で本部に報告しなかった」
「それは水城さんがすると」
「言い訳をするな」
机を叩く乾いた音が響く。
「はい」
「クビだよ」
「そんな……」
本部長が深く長い溜息をついた。
「私がクビだ。愛知県警の失態は2度目だからな」
則本は何も言えなかった。
「水城は警察庁で最も優秀だった。どう責任を取る」
「自分に、捜査をさせてください」
「お前のような愚か者に何ができる。つくづく思うよ。図書館からの電話に出たのがお前であってくれたらなと。警官が死ぬのなら、水城ではなくお前であってほしかった」
突然現れた警察手帳が本部長の顔に当たり、机に落ちた。自分が投げつけたのだと、遅れて理解した。
「警察なんか、やめてやる」
「あと1日早く、そう思ってくれていればな」
◆
県警本部を飛び出した則本は、当てもなく街を歩き、スーパーに入った。
やけ酒してやろう。19歳だからコーラのボトルを掴み、カゴに放り込んだ。
いや、外は寒い。コーラを棚に戻すと、HOTコーナーからコーンポタージュの缶を3本カゴに入れた。
レジへ向かう途中、調味料コーナーが目に入った。
きなこにも色々な種類がある。則本の視線が一箇所で止まった。
『青きなこ』。
平たいビニール袋を手に取った。青というより薄緑だ。
途端に視界が滲み、涙が頬を伝う。
「あれ、警察じゃん」
背後から声をかけられた。振り返ると金髪ポニーテールの女が立っていた。
「あんた、奈良出身だったの?」
則本はとっさに手の甲で涙を拭い、顔をそむけた。
「違うけど」
「だってお雑煮に青きなこを使うの、奈良だけでしょ」
「これは、たまたま気になっただけで買うつもりはない」
「ま、お正月のご飯準備しとく計画性ないか」
「うるさいなあ」
「あれ、警察が市民にその態度?」
その言葉が、則本の心の留め金を外した。
「俺はもう。俺はもう、警察じゃない!」
則本は糸井の肩を突き飛ばし、出口に走り出した。
「ちょ、ちょっと!」
自動ドアが開く直前、襟首を強く引かれた。
「何だよ! ほっといてくれよ!」
振り返ると、糸井が目を丸くして、則本の手元を指さしていた。
「万引きで捕まるよ」
◆
一人レジ袋を下げて歩いた。小さな公園の左側のブランコには、くたびれた中年サラリーマンが座り、熱燗のカップを握りしめてうなだれている。則本は右側のブランコに腰を下ろした。金属の冷たさがズボン越しに伝わる。
プルタブを開け、温かいポタージュを一口すする。
「うわあああああん」
則本は子供のように声を上げて泣いた。すると左隣から、しゃがれた声が追随した。
「うわあああああん」
「仕事やめちゃったよおおお」
「クビになっちゃったよおお」
「灯里さあああああん」
「水城おおおおおお???」
「おおおお???」
二人の泣き声がぴたりと止んだ。顔を見合わせる。
「本部長!!!」
「則本!!!」
数秒の静寂の後、二人の声は再び重なった。
「「うわああああああん」」
二人はブランコを中央にぐいと寄せ、お互いの肩をひしと掴んだ。
「違う、私が悪いんだ」
「本部長、ごめんなさい」
「お前のせいじゃない」
「本部長、俺、悔しいです」
「私も悔しい」
「本部長」
「もう本部長じゃない」
「無職」
「桜田」
「桜田さん、俺、灯里さんを殺したやつを捕まえたいです」
桜田はぐしゃぐしゃの顔で力強く頷いた。
「私もだ」
「一緒に捜査しましょう」
「だが、肩書のない私なんて誰も協力はしない」
「いや、何弱気になってんですか。そこは知識と経験で乗り越えましょうよ」
「そうだな。まず聞き込みだ。しかし、もう店は全部閉まっているな」
「確かに……いや、1人まだ話を聞けそうな人がいます」
二人はスーパーに戻った。
出てきた糸井スズメは則本ジュンの顔を見てぎょっとした。
桜田はポケットから警察手帳を取り出した。
「私、愛知県警の桜田と申します。階級は警視監と偉いのですが、署内では無職です」
「は、はぁ」
「そして私が本物の無職の則本です」
「あぁ、そう」
「ということでお嬢さん、いくつか聞きたいことがあるのですが」
桜田は経緯を説明し始めた。
「そうなんだ。本当に警察、辞めちゃったんだ」
糸井は既に事件について知っていた。事情聴取をされていたのだ。
「さっき同じこと話したけど、まあいいわ。今日は朝からずっと図書館にいたの。来館者は2人だけ。あんたと宇宙人。あんたが出てったのと入れ替わりで宇宙人が入ってきたの。もうびっくりしたわよ。何しに来たって聞いたら『調べ物だ』って。しかも何を調べてるのか聞いたら『秘密だ』よ。ふざけてるでしょ。宇宙人に秘密なんてあるかって言ったら『宇宙人にはプライバシーもないのか、図書館の自由に関する宣言はどこへ行った』と屁理屈こね始めて。見かねて館長が駐在さんに電話したんだけど結局来なかったな。で、17時の10分前に閉館の自動アナウンスが流れるんだけど、それを聞いたらあいつ、本を棚に返して出て行った。私は閉館作業をして図書館を出たわ。館長は私より後だった」
「閉館作業というのは?」と桜田。
「色々。あ、でも、普段は17時過ぎてから返却ポスト回収するんだけど、館長が『今日は危ないから早めに帰りん』て言ったから、17時よりちょっと前にポスト開けたわ」
「それ以外の時間は?」と則本。
「普通の図書館業務よ。貸出とか返却とか」
「他には?」
「掃除とか」
「それでピカピカだったのか」
「どういう意味よ」
「それはさておき」
桜田が割って入った。
「返却ポストを回収したとき、道の先に変わった様子は?」
「さあ。道が曲がってて遠くは見えないし。で、帰る途中でパトカーが来て、何だろうって思ってたら、刑事に呼び止められて事情聴取」
彼女の証言は以上だった。
糸井から館長の連絡先を聞き、桜田が電話をかけた。
証言は糸井と同じで、しかも防犯カメラの映像を提出していた。
二人とも、昼にタバコを買いに行った以外は外出していない。

本土の船着き場にはまだ蛍光灯がついていた。最終便は終わっていたが、今日は船会社が特別に夜間も船を動かしてくれている。
二人は墨崎島に渡った。
二人は水城灯里が倒れていた現場へ歩き始めた。
道のすぐ右手はごつごつした岩場の海岸だ。タコ型宇宙人ならどこからでも上陸できる。逆に人間が海から出入りした可能性はない。小舟を着けられそうな場所はなく、12月の海を泳ぐのも無理だ。
引き返して紅タバコ店を訪ねた。
「さっきも同じこと話したんだけどね」
男は面倒そうに言った。
「すみません、部署が違うものでして」
桜田が頭を下げる。
「まず朝に、図書館の館長と、金髪の柄の悪い女の子が通ったわ。この二人は昼頃タバコを買いに来た。15時に若い警察官。あんただら。この後は日が暮れててよく見えんかった。とりあえず女の人」
星野翠華だろう。
「あ、言い忘れたけど、ここまで全員、西から東。次が初めて東から西へ、男と女がべったりくっついて歩いて行ったわ」
気まずい。
「それから銀髪の駐在さんが西から東へ急ぎ足で歩いて行った。そのちょっと後に電話がかかってきたんだよ。スマホじゃなくて家電話の方。それがなんと無言電話で、すぐに切って店番に戻った。多分30秒くらい道から目を離したと思う。その後は何も。しばらくしてパトカーがいっぱい来てうるさかったな」
紅タバコ店を後にし西へ歩く。駐在所手前のT字路を右に曲がると、右手に『印鑑屋 葵』がある。
桜田が戸を開けた。奥で白髪の老人が木片を彫っている。
「ごめんください」
老人はゆっくり顔を上げた。
「今日、ここを通った人を伺いたい」
「よお覚えとらんねえ」
老人は再び手元に視線を落とした。
「他に変わったことは?」
老人はしばらく黙っていたが、やがて彫刻刀を置いた。
「タコなら何度か通った」
「どんなふうに?」
「1匹が南から北へ。すぐに北から南へ戻っていった。少ししてまた1匹が南から北へ。時間が経って、今度は2匹同時に南から北へ。すぐ後、3匹が並んで北から南へ戻っていった」
『翠華さんの弁当屋』の明かりは消えていた。
引き戸を叩いたが返事はない。
「留守のようだな」
「仕方ありません。次に行きましょう」
最後に道の西の端にある、『ストロベリーショート』という髪型が一種類しかなさそうな美容院を訪れた。
しかし、窓から外に向けて様々な髪型のマネキンがずらりと並べられていた。顔マネキンという。
木戸を押すと店内に客はなく、レジの奥で椅子に座った店主が首をこっくりと揺らしていた。
「ごめんください」
桜田が声を張ると、店主はピクリと体を震わせて目を開けた。
「いらっしゃい」
「寝ているところすみません」
「いや寝てない」
「私、こういう者ですが」
桜田はすぐ本題に入った。
「今日、店の前を通った人を覚えている限り教えていただけますか」
「さあねえ」
店主はあくびをしながら答えた。
「いっぱい通ったで、よお覚えとらんわ」
「寝てたんですね」
「寝てはない」
「他に、何か変わったことはありませんでしたか」
すると店主はぽんと手を打った。
「そういえば今朝、幽霊を見たわ」
「幽霊、ですか」
「ええ。海の上を、すーっと歩いとったんだわ」
桜田は黙り込んだ後、静かに言った。
「多分、関係ないだろう」
「お邪魔しました」とドアに手をかけた桜田が、上部を見上げて硬直した。ドアのカランコロンカランが茶色のガムテープで固定されていたのだ。桜田が振り返る。
「これはいつからこうなっている?」
「え? おかしいね。昨日までは鳴っとったのに」
道は美容院のすぐ先で直角に折れている。進めば船着き場だ。
月明かりに照らされた道の脇、鬱蒼とした茂みの奥に丸い影が佇んでいた。
「桜田さん、あれ」
二人は足音を忍ばせて茂みへ入った。そこには錆びたドラム缶があった。物が燃えた匂いが残っている。
覗き込むと、灰が積もっていた。
則本は手頃な枝で灰をかき混ぜた。紺色の布切れが残っていた。
二人は黙って道を戻った。
則本の頭の中で、ばらばらだったものが形を成し始めていた。
まず図書館の2人には、防犯カメラという確実なアリバイがある。
星野翠華は、水城灯里が殺された時刻に自分と一緒にいた。
タバコ店の証言により、店より西側にいた人物には犯行の機会がない。
唯一の可能性はタバコ店員が嘘を言っている場合だ。しかし水城灯里の言う通り、自分の証言で犯人が自分に絞り込まれるような嘘はつかないはずだ。
ならば答えは一つしか導き出せなかった。
水城灯里を殺せる人間は、この島にはいない。
犯人が地球人ではないことは、これで確定した。
「ジュン殿」
背後からの声に、則本と桜田は同時に振り返った。
「みかん!?」
「とても困ったことになったのです。また助けてほしいのです」
みかんは深々と頭を下げた。桜田が一歩前に出て、低い声で言った。
「よくノコノコと現れたな。水城を殺しておいて」
「え?」
みかんは驚いて顔を上げた。
「灯里殿が、亡くなったのですか?」
「とぼける気か」
「全く知りませんでした。それどころか我々にとっても大変困る事態です」
「話はゆっくり聞いてやろう」
「ええ、ぜひ聞いてほしい話があるんです」
茂みが音を立て、無数の影が立ち上がった。二人はあっという間に10匹以上のタコに取り囲まれていた。
則本が叫ぼうとした瞬間、柔らかいもので口を塞がれた。
「お願いです。危害は加えません。おとなしくしてください」
みかんが懇願する。
手足を数本の腕に掴まれ担ぎ上げられ、そのまま運ばれ始めた。しかし大丈夫だ。この方向には駐在所があり、そこには警察が集まっている。気づいてくれるはずだ。
だが、宇宙人は海へ入ってショートカットした。自らの体を水中に沈め、則本と桜田が濡れないように、器用に腕だけを水面から突き出している。
二人は堤防に停泊していた哨戒船に乗せられた。ハッチが閉まると船は静かに沈み始める。
船はしばらく水平に進んだ後、垂直に上昇した。画面の空の色は濃紺へ、そして漆黒へと変わっていく。
「ここは、どこだ」
ようやく口の自由を取り戻した則本が尋ねた。
「宇宙です。我々の法廷に、証人として立ってほしいのです」
「なんで」
「ラ・フランスが、何者かに殺されました。今、柿と僕に容疑がかけられています。このままでは我々は軍法会議で死刑になってしまうのです」
◆
哨戒船の微かな振動が完全に止んだ。ハッチが開き、則本ジュンの目に飛び込んできたのは、途方もなく広大な空間だった。ドーム状の天井からは、光源が見当たらないにもかかわらず、柔らかな光が降り注いでいる。何隻もの黒い船が整然と並び、その間をタコ型宇宙人たちが忙しなく動き回っていた。
船から降りると、すぐに数匹の宇宙人が近づいてきた。彼らは無言で則本と桜田のポケットを調べ、次に服をすべて脱ぐよう身振りで示す。流石に嫌だったが話が進まなそうなので言うとおりにすると、代わりに一枚の白いローブのような布を渡された。袖を通すと、ひんやり滑らかな感触が肌を撫でる。地球のどんな繊維とも違う、かすかに光を帯びた素材だった。
白いローブをまとった二人は、長い廊下を歩かされた。壁も床も天井も、継ぎ目のない乳白色の素材でできており、どこまで歩いても景色が変わらない。やがて巨大な円形の扉の前で立ち止まった。その扉が静かに左右に開く。
そこはさらに巨大な空間だった。中央の演台から放射状に伸びる通路を挟んで、壁際に何層もの窪みのような席が設けられている。正面の一段高い場所には、ひときわ大きく威圧的な椅子が一つだけ鎮座していた。
二人の前にヘッドホンのようなものが差し出され、装着すると、意味不明だったざわめきが日本語として脳内に響いてきた。
『証人入場』
正面の一段高い席に座る宇宙人が、重々しく腕を上げた。
『被告人、前へ』
促され、みかんがとぼとぼと演台に進み出た。
『弁明せよ』
『はい。我々は地球人の中でもとりわけ知能に優れた灯里殿の助けを得て殺人事件を解決し、船に戻りました。残ったメンバーで調査を再開するため、船を一度海底に下げました。その後しばらくして、僕と』
そこでみかんはラ・フランスと柿の本名らしき音を口にしたが、則本には聞き取れなかった。
「すまん」
則本は思わず声を上げた。
「名前が聞き取れない。俺たちがつけた名前で呼んでくれないか」
裁判長が言った。
『許す』
みかんは頷き、証言を再開した。
『僕とラ・フランスと柿で地球人のご飯を食べてみたいと話しました。お弁当屋さんに行くことになりました。地球人の通貨がなかったので、仕事の手伝いと交換で譲ってもらえないかと。くじで一人だけ行くことになり、引き当てたのがラ・フランスです。僕たちは突堤に船をつけ、ラ・フランスがハッチから出たあと、すぐに潜水させました。操縦は柿が行い、僕は調査室にいました。グレープの檻は物置にありました。しかしいつまで経っても戻らないので、僕は操縦室を開け「心配だから見に行かないか」と言いました。柿も了承し、船を水面に戻して前方のハッチから出ました。うろうろと探すうち、弁当屋の北の茂みで変わり果てた彼の姿を見つけたのです。それで2人で彼を哨戒船に運びました』
みかんの証言が終わると、裁判長は柿を向いた。
『柿。訂正はあるか』
『事実と推測を分けて述べるなら、事実としては合っている』
『では、推測を述べよ』
『私はずっと操縦室におり犯行は不可能だ。船体を傾けていないので、前回グレープが使ったとされるトリックも使えない。ならばみかんが鍵を開けたのだ。私がラ・フランスを外に出した際、みかんはすでにグレープを檻から出していた。ラ・フランスが出たタイミングで、みかんはグレープを後ろのハッチから出し、島内で殺させた。そして船を沈めた後、しばらくたってから船を水面に戻すよう唆し、後ろのハッチから招き入れ、再び鍵をかけた。主犯は鍵を持つみかんで、実行犯はグレープだ』
『みかん、反論はあるか』
『そんなことはしていません。むしろ柿は操縦室にいたのですから、僕に気づかれぬよう、こっそりと船を水面に上げ、ハッチから出て行けるのではありませんか』
『なるほど。どちらの言い分もあり得るな。陪審員の意見を聞こう』
裁判長の言葉を合図に、壮絶な言い合いが始まった。
断ち切ったのは柿だった。
『話は単純だ。どちらにも犯行は可能だった。ならば、私とみかん、そして共犯の疑いがあるグレープの3匹を死刑にするのが、この我々にとって最善だ』
むちゃくちゃだ。則本は耳を疑った。
しかし周囲から『異議なし』の声が上がる。
則本は桜田に囁いた。
「これが、真社会性生物の道徳観ですか」
しかし、みかんがすがるような目でこちらを見ていた。多少の個体差はあるようだ。
則本は頭を回転させた。水城灯里なら既に真相を見抜いているはずだ。見落としているピースはどこにある。
そうだ。印鑑屋の話だ。
則本は立ち上がった。
「裁判長、よろしいでしょうか」
法廷の視線が集まる。
「一つ、質問をさせてください」
則本はみかんと柿、そして檻の中のグレープを見た。
「あなた方3人に聞きます。今日、墨崎図書館に行きましたか」
3匹は顔を見合わせてから首を振った。
「なるほど」
則本は深く頷いた。
「これで、真相が分かりました」
『本当か、地球人』
「はい。ただし犯人を特定するには、条件が足りません」
『まず、お前の言う真相を聞こう』
「これは、交換殺人です」
法廷がざわめいた。
「我々は、葵という印鑑屋の店主に話を聞きました。葵さんいわく、最初に宇宙人が一人、南から北へ通った。これはラ・フランスです。そのラ・フランスはすぐに北から南へ戻ってきた。おそらく弁当はもらえなかったのでしょう。その後、一人が南から北へ入っていった。これもラ・フランスで、彼はそこで殺されました。後から来た柿とみかんがラ・フランスに気づき、亡骸を運んだ。そうなると、柿とみかん、どちらも犯人ではありません」
『つまり、地球人が殺したというのか』
「そうです」
『なぜ』
「ティンバーゲンによれば、なぜには4種類あるそうですが、今の質問には2種類の答え方があります。一つは『頼まれたから』です。みかん、柿、グレープの誰かに。もう一つの答え方は、水城灯里を殺してもらうためです。これは地球人には不可能と証明されています。つまり、地球人には不可能な灯里殺害を彼らの誰かが行い、引き換えに地球人の誰かがラ・フランスを殺したのです」
柿が鋭い声で問い質した。
『なぜ、そのような面倒なことをする必要がある』
「普通、交換殺人とは互いを容疑者圏から外すために行われます。しかし今回は目的が違う。『それを裁く法律がないから』です」
『どういうことだ』
「お尋ねします。皆さんのうち誰かが利己的な理由で別の個体を殺した場合、どうなりますか」
『基本は死刑です』と、みかん。
「地球人も同じく重罰です。しかし、宇宙人を殺してはならないという法律はない。逆に、地球人を殺した宇宙人を罰する法律もない。それは、あなた方の世界でも同じではありませんか」
『そうだ』と、裁判長。
「つまり、互いの司法権から互いを外すために、交換殺人を行ったのです。いわば『星人交換殺人』です」
『星人交換殺人!』
裁判長が叫んだ。会場がどよめきに包まれた。
「私に1つの調査をさせてください。この交換殺人を地球人に持ちかけた宇宙人は、一度、何かの理由で墨崎島の図書館に立ち寄っています。私はそれを目撃しました」
『それが誰かは分からなかったのか』
「名前を隠していたので」
『味は?』と、柿。
「触ってないから分からん。いや、触っても分からんけど」
内輪ネタに傍聴席がぽかんとしているので話を戻した。
「その宇宙人はガラス戸に触れました。残された吸盤の痕跡、いわば吸盤紋を採取すれば、柿、みかん、グレープのうち誰が嘘をついているか、はっきりします」
歓声が響き、それはやがて『異議なし』の声に変わっていった。
それは前触れのない事態の急変だった。
轟音と共に巨大な円形の扉が弾け飛び、数十匹のタコが様々な色に光るソードを掲げてなだれ込んできた。赤色の刃が一番近くの宇宙人の胴体を薙いだ。体が二つに裂けた。
傍聴席の宇宙人たちもソードを抜き応戦する。会場は一瞬で混沌に陥った。
『証人を保護しろ!』
裁判長の絶叫が響いた。
法廷警護官的な宇宙人が則本と桜田の腕を掴んだ。
『逃げます! こちらへ!』
「吸盤紋! あの3匹も連れて行かないと!」
則本は叫んだ。
戦場と化した法廷を駆け抜けた。長い廊下を全力で引き返し、黒い哨戒船のハッチへ転がり込んだ。
シートに強く押し付けられる凄まじい加速度。ディスプレイの景色が上方へ飛んでいく。
やがて着水の衝撃が伝わる。船は海底深くを静かに進み、墨崎島の堤防の前で再び浮上した。
ハッチが開くと、みかんが真剣な眼差しで則本を見た。
「必ず、今日の深夜0時にここに戻ってください」
◆
駐在所の周りではまだ無数の赤色灯が明滅し、県警の捜査員が出入りしていた。
「あの人たちに頼みますか。鑑識ならやってくれそう」
しかし桜田は力なく首を振った。
「いや、やめておこう」
その横顔は辛そうに見え、則本はそれ以上何も言えなかった。
朝の6時の定期船を待って本土に渡った。
コンビニで幅広のセロハンテープと小麦粉と耳かきと黒い画用紙を買った。
一旦哨戒船に戻る。
則本はコンビニの袋からテープを取り出し、タコの腕にセロハンテープをぴたりと貼る。
「うぎゃっ」
みかんが悲鳴を上げた。
「ベリッと剥がすつもりじゃないですよね!?」
まあ痛いだろう。脱毛テープのようなものだ。
「我慢してくれ」
則本はテープの上から指でこすり、端をつまみ、一気に剥がした。
「あああああ!」
みかんが情けない声を上げて腕を抱える。粘着面には、くっきりと吸盤の跡が写っていた。
則本はそれを慎重に黒い画用紙に貼り付けた。八本分繰り返す。
「よし。次、柿」
「できれば優しく頼む」
渋い顔になる柿、そして檻の中から恨めしそうに睨むグレープにも同じ手順を繰り返し、3匹の吸盤紋を確保した。これで準備は整った。
次に二人が向かったのは墨崎島図書館だった。レジ袋から道具を取り出す。耳かきの反対側のふわふわで慎重に、小麦粉をふりかけていく。
いくつかの人間の指紋と並んで、くっきりとした円形の斑模様が浮かび上がってきた。間違いない、吸盤紋だ。
もともと掃除は行き届いていたのだろう。それにこの島には子供が少ないので、身長150cmのタコが触れる位置に他の指紋がなかったのだ。
則本は慎重にセロハンテープを切り取ると、吸盤紋の上に貼り付けた。指の腹で丁寧に密着させ、ゆっくりと剥がす。粘着面には、くっきりと紋が写し取られていた。
コンビニで画用紙をスキャンし、則本は桜田を自身のアパートに招き入れた。
Photoshopで線を抜き出し、角度や縮尺を変えて模様が一致する場所を探す。目視と勘だけが頼りの非効率な作業だった。
◆
窓の外は、すでに低い冬の太陽が街を茜色に染め上げていた。
「埒が明きませんね」
則本がぼやくと桜田が重々しく口を開いた。
「専用のソフトウェアなら、照合できそうか」
桜田がスマホを取り出した。
「できるでしょうけど……いいんですか?」
桜田は「いい」と短く答えた。その指先がわずかに震え、額に脂汗が滲んでいる。
「肩書きがなくなって、誰も言うこと聞いてくれなくなってるんじゃないかって、不安で不安で仕方がないんじゃないですか」
「ああ。不安で不安で仕方がない。これで断られたら、私どうしよう」
「でも、電話するんですか」
「水城のためだ」
桜田は覚悟を決めて画面をタップし、スマホを耳に当てた。
「私だ。元本部長の。折り入って一つ頼みがあるんだが。あ、いいの?」
一瞬で通話を切ると、桜田は言った。「OKだった」
二人はアパートを飛び出した。
◆
則本の車で豊橋駅に向かった。桜田はこの距離でもためらいなく二人分の新幹線切符を買った。
車内の桜田は落ち着きなく、指を組んだり解いたりしている。
「そういえば灯里さんって、県警採用じゃないんですか?」
「いや、警察庁だ」
則本ら県警採用とは違い、いずれは霞が関に戻って警察組織を動かす立場ということだ。
「じゃあ、愛知県出身じゃないってことですか」
「確か関西だったと思うが、それより則本、お前の推理には納得できない点がある」
桜田は車窓から則本へ鋭い視線を移した。
「拳銃はどうした?」
「拳銃、ですか」
「奪われた拳銃の行方だ。地球人が宇宙人を殺すなら、接近戦のソードより拳銃で撃ちたくないか?」
「剣の方が扱いやすいと感じる人はいるかも知れません」
「それなら水城から盗む必要がない」
「銃の扱い方が分からなかったとか。撃鉄とか」
「一度銃を持って現場へ行ったが、撃てずにソードを借りに戻ったと? それでは目撃証言と齟齬が出る」
「確かに」
◆
新幹線はすぐに名古屋に着いた。
愛知県警本部に入り、科捜研のドアをノックする。
「本部長、お待ちしていました」
白衣の男が、桜田を見てにこやかに言った。
「頼みがある」
桜田は硬い声で言った。
「いいですよ」
「そこを、なんとか」
「だから、いいですよ」
「この通りだ」
桜田が深々と頭を下げると、研究員はその肩を掴んで引き起こした。
「いいって言ってるじゃないですか。えらくビクビクしてますね、昨日まで自分のお城だったのに」
「いろいろあるんだよ、派閥とかな」
桜田は気まずそうに目をそらした。
「それで、何かあったんですか」
桜田はこれまでの経緯を簡潔に説明した。
「へえ、珍しい経験ですね」
研究員は感心したように頷いた。
「宇宙人を撃退するヒントになるかもしれませんよ」
「そうなんですか?」
「実は、宇宙人がオービタルリングから垂らしているケーブルは、ほとんど見つかっていないんです」
「見つけると、どうなるんです?」
「敵の陣地への隠し扉のようなものです。世界中が血眼で探していますが、細すぎてなかなか見つからない。僕も試料を見たことがありますが、あの細さで長さ100kmの自重を支えるカーボンナノチューブなんて人類には作れません。それで、ご用件は?」
桜田はカバンから黒い画用紙を取り出した。
「これはタコ型宇宙人の吸盤紋。こっちが図書館のガラスから採取した紋だ。容疑者3匹の誰に一致するか調べてほしい」
画用紙を受け取った研究員はすぐに作業に入り、数分後、あっさりと告げた。
「一致は、なさそうですね」
「そうか」
桜田は肩を落とした。
「小麦粉がまずかったか。やはり最初から専門家に頼むべきだった」
「桜田さんが頼めばやってくれたでしょうに」
「そうとも限らん。あっち派だの、こっち派だのがあるんだよ」
二人の雑談を聞き流しながら、則本はディスプレイの吸盤紋を見つめていた。3匹の誰とも一致しない事実が、則本ジュンの中で仮説を形作っていく。
もしかしたら、あれはラ・フランスだったのではないか。誰とも一致しないことこそが正解なのではないか。
「そういえば」
研究員が意外な話を持ち出した。
「真社会性生物にも派閥争いってあるらしいですよ。コロニーに女王が複数いる生き物は当然ですが、一匹しかいない生き物でも運営方針を巡って争うんですって。不思議なのは、個々の個体は自分の生き死にをあんまり気にしてないみたいなんです。種が生き残るための政策をかけて争うんですよ」
その話を聞いた桜田は、地面を見つめたまま長時間硬直した。そして低い声で言った。
「今まで、地球人との戦闘で死亡した宇宙人の遺伝子データはあるか」
「ありますよ。死骸を回収して分析していますから。我々が地球生命の遺伝子と呼んでいるものとは違いますが、相当する物質は特定されています」
「個体同士の近さは分かるか? 兄弟なら近い、従兄弟はちょっと遠いといった」
「遺伝距離ですね。奴らはミツバチに近く、血縁度の期待値は0.75ですが、それはあくまでそこが分布の中央という意味であって、実際の遺伝情報を見ると結構ばらつきがあります」
「それを図示するのは難しいか」
「主成分分析をすれば簡単です。でも以前試しましたが、一様に散らばるだけで特徴は出ませんでした」
「それは、駐在所の紙コップから回収した哨戒隊員のデータは含めてか?」
「いえ、それはまだですね」
「それを取り込んで、もう一度分析してほしい」
研究員がキーボードを叩いた。
「主成分分析を三次元で可視化します」
画面に無数の点が立体プロットされ、ゆっくり回転し始めた。それは中心に穴の空いた、ドーナツ状の奇妙な分布だった。その黒々とした穴のほぼ中央に、重なり合うようにいくつかの点がある。
「なんだこれは」
研究員が声を上げた。
「こんな分布は初めて見ました。あの6匹の遺伝情報を入れたら、これまで見えなかった特徴量が見つかりましたよ」
「要するに」
桜田は画面を睨みつけたまま言った。
「あの6匹は、これまでの個体から遺伝的に遠いということだな。それも、ほぼ等距離に」
「その通りです」
「あの6匹は、珍しいタイプってことですか」
則本が尋ねると、桜田はゆっくり首を横に振った。
「違う。則本、このドーナツは戦死したタコの遺伝情報だ。仮にこの中心を『P』とすると、Pに近い遺伝情報を持つ個体ほど安全な任務を割り当てられ、遠い個体ほど危険な最前線に送られているということだ」
「宇宙人の世界に、そんな遺伝子ガチャみたいなものがあるんですね」
「そして、そんなPたちが、本拠地であるオービタルリング内で仲間に襲われたということは」
「『反P派』が待遇に不満を抱いて、武装蜂起した」
桜田が大きく頷いた。
「じゃあ、Pであるあの6匹が地球に来たのは『左遷されたから』ですかね」
「そうとも言えん」
「どうしてです?」
「そもそも、左遷にも程度がある。見つかれば殺されるレベルから、一応偉い人として扱われているが閑職に追いやられた状態まであるからな」
「さすが左遷の解像度が高いですね」
「リングでの扱いからして、取締役から支店の部長へ降格、くらいだろう。そして多分、彼らは任務中にこっそり地球に降りてきていたんだ。だから通信機器を使いたくなくて、壊されたと嘘をついた。本当に壊れただけだったらケーブルでリングに戻ればいい」
「じゃあ、何しに地球に来たんですか?」
「権力を奪還するための、何か秘密の作戦があったんだろう」
「どんな?」
「ううむ。分からない。だが、使えるカードは限られている。一つは女王の身柄、そしてもう一つは……」
桜田は腕を組んで、うんうんと唸り始めた。
「それに」
則本ジュンは画面を見つめたまま言った。
「その状況で、駐在所に相談に来るのも変だと思いませんか」
「宇宙人が警察に相談する時点で変だが」
「そこを飲み込んでもです。日本の警察に相談すれば、日本政府経由で母艦に居場所が伝わる可能性があったはずです」
桜田は、ハッとしたように則本を見た。その目がかすかに見開かれ、何かが結びついたように唇が動く。
「確かに。そういうことか」
研究員がディスプレイを指さした。
「桜田さん、よく見ると中心は5匹ですね。みかん以外の5匹はPの中心ですが、みかんだけは中庸です」
「どういう意味ですか」
「分かりません」
研究員はあっさりと首を振った。
「まだ考えるべきことは多そうですね」
二人は研究員に頭を下げ、研究室を後にした。
扉が閉まる直前、研究員が言った。
「ぜひ、宇宙人を倒してください」
「倒すには、どうしたらいいんですか」
「そりゃあもう、女王を倒すしかないですよ。真社会性生物ですから」
廊下を歩きながら、則本は立ち止まった。
「桜田さん。調べたいことがあるので、ここからは一人で行動してもいいですか」
実のところ、則本ジュンにはすでに真相の半分が分かりかけていた。
「俺もだ。一人で確かめたいことがある」
桜田はそう言うと、力強く頷いた。
「じゃあな」
二人はそこで別れた。
◆
墨崎島に戻った則本は、迷わず図書館へと向かった。
「すみません」
則本が声をかけると、館長はゆっくり顔を上げた。
「糸井さんはいますか」
すると館長は、当然のようにこう言った。
「ああ、スズメちゃんなら。さっき、警察に連れてかれましたわ」
「なんですと!」
則本ジュンはポケットからスマートフォンを取り出し、震える指で田原警察署の番号をタップした。
『はい、田原署です』
「墨崎駐在の則本です。そちらに、墨崎図書館の司書の方がいますよね」
『司書? いや、いないが』
「いるはずです。金髪の」
『タバコ吸ってた金髪の女子高生なら、補導してます』
「その人が司書です。23歳の。代わってください」
電話口の向こうで何やらゴタゴタやり取りする声が聞こえ、保留音を挟んで受話器の持ち主が変わった。
『ふっざけんじゃないわよ!!』
鼓膜が破れそうな怒鳴り声だった。
「糸井さん、落ち着いて」
『落ち着けるか! どうなってんのよ日本の警察は!』
「それは上に言ってください。一つだけ教えて。昨日の閉館作業で返却ポストを開けたとき、本は入っていましたか」
『はあ? ないわよ。空っぽ!』
「じゃあ、今朝は?」
『見た。一冊だけ入ってた』
「その本、『農業の秘密』?」
『図書館員が言うわけないでしょ。それが何?』
「いや、もういいです」
則本は電話を切った。犯人は分かった。アリバイの検討もついている。
則本は西の端の『ストロベリーショート』へ向かった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、店主が顔を出した。
「今日はどんな髪型にしましょう」
「カットじゃなくて」
則本は店の窓際に並んだマネキンを指さした。
「この顔マネキン、最近、動かしましたか」
「いいや、全然」
店主はきっぱり首を振った。
窓際の棚に近づいた。棚の木板は陽光で色を失っている。
マネキンの一つを持ち上げると、台座のあった場所だけ日焼けせず、元の木の色が円形に残っていた。
しかし16個のうち男女一つずつの計2つだけ、台座の跡がわずかにずれている。
さらにその髪型も他と違い、わずかに乱れていた。
「これ、髪型が崩れていませんか」
「あら、ほんと。何かで押さえつけたような跡ね」
店主が則本の隣に来て、不思議そうに首を傾げた。
「例えば、帽子をかぶせたとか」
「ありそうねえ」
則本は店主に礼を言い外へ出た。これで、全てのピースがはまった。
則本は船着き場へ急ぎ、船主を拝み倒して無人島に渡してもらった。
船が小さな桟橋に着くと、則本は礼を言って飛び降りた。岸辺には、古びたコンクリートのアパートが月明かりの下にその骸を晒している。静かな廃墟だ。
しかし、その傍らには不釣り合いにも、よく手入れされた畑があった。
そして、星野翠華もそこにいた。
星人交換殺人など存在しなかったのだ。事件はもっと単純だった。
「翠華さん。あなたでしたね。ラ・フランスと、灯里さんを殺したのは」
◆ 読者への挑戦状
犯人は星野翠華。だが、水城灯里が殺害されたとされる時間、彼女は則本ジュンと共にいたはずである。
果たして本当にそうだろうか。
星野翠華はいかにして則本の監視下から抜け出し、偽のアリバイを構築したのか。
この謎を、解き明かしてみせよ。
全てのピースは君たちの手にある。
◆
星野翠華は少しも動じなかった。月明かりが彼女の穏やかな横顔を照らしている。
「駐在さんが亡くなったとき、私はあなたと一緒にいたはずよね」
「整理しましょう」
則本は静かに言った。
「我々の想定はこうでした。まず、俺が図書館に行き、戻ったT字路で翠華さんと会ってベンチに座り、俺は手錠で繋がれ、あなたが本を返しに行く。あなたが戻ってきて手錠を外し二人で弁当屋に戻る。その頃に水城さんが図書館へ向かい、途中で殺された。あなたのアリバイは、タバコ屋の『俺とあなたが東から西へ通った後で、水城さんが西から東へ通った』という証言の上に成り立っています。この順番が逆だったら、あなたは灯里さんを殺せる。ここで、返却ポストについて考えます。本来、司書がポストを見るのは17時より後です。なのでそれ単体ではデータにならない。ところが昨日はたまたま館長が駐在に電話をかけた直後に司書がポストを確認した。そこに本は入っていなかった。ということは、水城さんが駐在を出た後まで我々があそこにいたことを示すんです。だから、タバコ屋の前を通ったのは水城さんが先なはずです。そうなるとこの島で、アリバイがないのはあなただけです。俺は思い出そうとしたんです。あなたとタバコ屋の前を通った時、カウンターに店員さんがいたかどうか。記憶力には自信があるのにどうしても思い出せない。当たり前です、見ていなかったんですから。通る直前、あなたは海を指さしたから。俺にカウンターを見せないためですね」
星野翠華は意味がわからないといいたげに首を傾げた。
「もし、タバコ屋さんが嘘をついているのだとしたら。犯人はタバコ屋さんじゃないのかしら」
「嘘ではないです。タバコ屋さんは騙されただけです。あなたとタコに。説明します。まず、あなたはタコに服を着せた。胴体にタコの傘の部分をすっぽり収め、8本の腕をこう使った。1本を襟から出して顔マネキンを掲げる。残り7本のうち、3本をそれぞれ右腕、右脚、左脚の袖から出す。そして残りの4本を左腕の袖から出す。次に女性物のコートを用意し、その4本の腕を右袖に通す。1本を襟から出して顔マネキンを掲げ、残り3本を左腕、左脚、右脚の袖から出す。1匹のタコが2人の人間を演じる、いわば逆二人羽織です」

「逆二人羽織」
星野翠華は、新しい言葉を覚えた子供のように繰り返した。
「手伝わされたラ・フランスは何も知らなかったでしょう。あなたはただ『お弁当代としてバイトをしてほしい』と持ちかけ、一瞬だけプラズマソードを貸してくれ、と。彼は言われるまま逆二人羽織を演じ、用が済んだら口封じに殺された」
星野翠華は小さなため息をついた。
「お認めいただけますか」
「うん」
「残念です。とても」
「動機は、何だと思う?」
「ここに生えてたんですね」
則本は足元の土を掘り特徴的な匂いの根をつまみあげた。そして、耕地の外には穀物用乾燥機、遮光ネット、育苗トレー、落ち葉用背負式ブロワー。
「大麻ですね」
「おいしいお弁当、作りたかったの」
則本はぎょっとした。
「もちろんお弁当には入れてないわ。私はただ、自分が作った野菜で、おいしいお弁当を作りたかっただけ。でもそれには凄くお金がかかるの。お弁当代だけじゃやっていけないから、ちょっと副業をしたの。なのに」
「察知されたから殺したんですか」
「あの人は、聡すぎた。もう少し頭の回らなそうな駐在さんに代わってくれたらって、ずっと思ってた。そこにあなたが来た。私、本当に嬉しかったの。でも、ちょっと遅かったみたいね」
「優秀な警察官がいない島より、いる島のほうが、安全の確率が高まるとは思いませんか」
「島のみんなにとってはね。でも、大麻バレたら私終わりじゃない。私の人生にとっては最善手だったのよ」
彼女はすっと一歩踏み出し、則本との距離を詰めた。そして、その顔をすぐ間近にまで寄せてくる。
「ねえ。これを知ってる人は他に誰もいないわ。どこか遠くに逃げて、二人で暮らさない?」
則本ははっきり答えた。
「断ります」
「そう」
星野翠華は、静かにそう言った。
アルミホイルを一気に握りしめたような音が響き、夜空に十字が掲げられた。星野がプラズマソードで肩口に切りかかり、予期していた則本はそれを緑の光刃で受け止めたのだ。二人の力が頭上で拮抗した。
特大の蜂が耳元を通過するような斬撃音が連続する。赤と緑の光が則本の顔の前で交差した。星野が則本の胸部を蹴る。則本は後方に宙返りして勢いを殺すと、地面に着いた手を軸に体を回し、星野の足元を薙いだ。星野は軽々と飛び越え、一瞬で懐に入り込んでくる。
彼女が手首を返す。のけぞってかわすが、肩の端が音を立てて焼けた。さらに右から、左から、星野の刃が脇腹を狙う。星野の右と左の頬が交互に赤く染まる。後退して避ける。
反転。則本は刃を受け止め、つま先を軸に体を回転させてがら空きの胴を狙うが、星野のガードが早かった。内側にある彼女の刃がそのまま滑るように切り上げられた。とっさに後ろへ跳んだが、前腿を浅く斬られた。
星野はさらに激しく打ち付けてくる。守るだけで精一杯だ。赤や緑にきらめく彼女の瞳には何の表情もなかった。
ついに則本は船着き場の先端に追い詰められた。
状況を打開するため、則本は残る力を全て込めて、上段から力任せに斬り掛かった。
何の感触もなかった。ただ、自分の腕が空を切ったことだけは分かった。
次の瞬間、激痛が両肘から後頭部へと突き抜けた。
言葉にならない叫びを上げ、とっさに自分の腕を見る。ない。焼け焦げた肘の断面があるだけだ。
緑の剣を握った両腕は、夜の海へ落ちて消えた。
則本は膝から崩れ落ちた。
星野翠華が傍らに立った。
「選ばれし者だったのに」
逆の意味で。
「お前を愛していた」
そう言って、星野は則本を12月の海に蹴り落とした。
◆
意識はゆっくりと浮上した。すぐに病院と分かった。
パイプ椅子の桜田がじっと見つめていた。
「目が覚めたか」
「翠華さんは」
「警察が追っている」
「自分は、なぜ運ばれたんですか」
「私もたまたま無人島にいた」
「大麻を探しに?」
「いや、代わりに宇宙人が田原市に来た理由の決定的な証拠を見つけた」
桜田はベッドの脇に立った。
「なんですか、その証拠って」
「まず、オービタルリングにつながるケーブルだ。墨崎島と無人島の中間地点だった」
「なぜ、そんなところに」
「たまたまだろう。逆にたまたまそこだったことが全ての端緒になった。そして、爆薬と血痕」
「だれか爆死したんですか?」
「いや、爆弾が使われた痕跡はない。血痕は飛び散っておらず、手術のようなよく管理された状況での出血だ」
「それで、何が分かるんですか」
「確認しに行く。時間がない。今すぐ哨戒船に向かう。お前も来て欲しい。この後、彼らの間で大規模な抗争が起きるはずだ。そこで隙をついて女王を殺す。そのために、一つ頼みがある。今のお前にしかできないことだ」
◆
0時を過ぎていた。二人を乗せた警察ヘリは、漆黒の海上を飛んだ。
「見えました」
操縦士の声に則本は窓の外を見た。墨崎島とナツメグ島と呼ばれた無人島の中間、その上空に哨戒船の黒い影が浮かんでいる。すでに出発していたのだ。
ヘリが高度を上げ哨戒船を追い越すと、確かに船の真上から一条の細い線が天の果てまで伸びていた。
「ドアを開けるぞ」
桜田が叫び、スライドドアが開く。強風と騒音の中、二人は身を乗り出して眼下のハッチに手を振った。
ハッチが音もなく開き、タコ型宇宙人たちが顔を出して見上げた。
「行きます!」
則本はヘリから身を躍らせた。風が全身を叩き、一瞬、体が浮く。
眼下のハッチから伸びた無数の腕がナウシカのように優しく彼を受け止めた。
「間に合ってよかったです、ジュン殿」
桜田もまた躊躇なく飛び込んできた。
ハッチが閉まる。
短い言葉で再会を喜び合った後、則本が星野の一件を説明した。
宇宙人たちは驚き、悼みつつも、納得するしかないと自分に言い聞かせるような様子だった。
「これからまた裁判に行くのか」
「いや、別の用件が発生したのです」
「別の用件?」
「それについては私から説明しよう」
なぜか桜田が堂々と宣言した。宇宙人たちは驚いていた。
「さて、最後の謎解きだ」
全員で奥の調査室に入る。そこには桜田と則本、みかん、檻のグレープ、柿。それに見知らぬ数匹の宇宙人がいた。
「まず前提だ。警察も把握しているが、今君たちは内部で大規模な抗争を抱えている。旧体制派と革命派とするなら、君たちは旧体制派幹部だ。合っているかな」
柿が腕を組み、渋々答えた。
「まあ、大体そんな感じだ」
「そして、さらにその中でも何かトラブルがあり、旧体制派の中でその原因を巡って争っている」
「何か、とは」
「それはおいおい話す。君たちは実権を奪われ、打開すべく隠れて地球へ来た。通信機の故障は嘘だ。壊れてもケーブルでリングに戻れるのだから。通信機を使えなかったのは母艦に居場所を知られたくなかったから、そうだな」
「まあ、そうだな」
柿は短く答えた。
「しかし、なぜ警察に駆け込んだのか。警察を経由して母艦に知られる可能性があったのに。答えはここにある。ところで、こういう時は関係者全員に集まってもらうのが筋だと思う」
「誰のことだ」
桜田は最も奥、物置への扉を指さした。
「このドアを、開けてもいいか」
「それは、絶対にだめです」
みかんが悲鳴に近い声で叫んだ。
「では、そこにいる人物を当てたら、開けてもいいか?」
宇宙人たちは顔を見合わせ、やがてしぶしぶ頷いた。
桜田は則本にとって最も驚愕すべき人物を挙げた。
◆ 読者への挑戦状
さて、親愛なる読者諸君。これが最後の挑戦状である。
今、物置にいる人物を指摘せよ。
提示されたすべての条件を満たす者は一人しかいない。
そして想像の翼を目一杯に広げ、地球人と宇宙人の間に何があったのか推測してみてほしい。
◆
みかんが、観念したように頷いた。桜田が扉に手をかけると、重い金属の扉が音もなく開く。
「どうぞ、こちらへ来てください」
暗い物置の中から、一人の人影がゆっくりと姿を現した。
則本は水城灯里がその人をなんと呼んだか思い出していた。
「おばちゃん!」
思わずの叫びにおばちゃんよりも桜田が顔をひきつらせた。
「良いのかしら。わたくしみたいなポッと出が黒幕だなんて」
「いいえ。あなたはこの物語に最初から登場していました。ノックスの十戒もばっちりです。そもそも犯人というより、一方的な被害者ですけどね」
「いつ気づきましたか」
みかんが尋ねた。
「最初に則本の報告を聞いたときからおかしいと思っていた」
桜田は静かに言った。
「この船には、絶対に君たちが使わないものが一つ置いてあった」
「何でしょう。ゴーグルだと思っているなら違いますよ。日差しが強いときは僕たちも使いますから」
「確かに君たちの視覚は不思議だが、それじゃない」
「椅子?」と則本。
「タコ型宇宙人に適切な椅子の形状も興味深いが、それじゃない。もっと直接的な、地球人と君たちの差異だ。最初から不思議だった。なぜ、君たちはこんなに地球人に似ているのか」
則本とみかんは思わず互いの顔をまじまじと見つめた。
「だいぶ違うと思いますが」
「ミジンコとクジラの差に比べれば、別々の星で進化してきたのに、最終形態がこれとこれとは奇跡的だ。人間原理も再考を促されている。可視光のスペクトルも聞こえる音域もほぼ同じ。同時的認識様式で喋るわけでもない。作為を疑いたくなるが、一旦受け入れよう。たまたま恒星との距離が等しい2つの星に生まれたから視覚が似て、同じような重力の星だったから大気密度も同じくらいで、だから地球人と同じような聴覚と呼吸器を持っていたとしよう。それでもなお君たちには我々と決定的に違う、絶対に交わらない境界がある。それはつまり」
桜田はすっと腕を上げ、みかんの頭を指さした。
「君たちには髪の毛がない。だからヘアゴムを使わない。よってこの船には人間が乗っていた」
「なるほど」
と柿がつぶやく。
「しかし、なぜこの人だと分かったのか」
「実権を奪われた君たちが盤面をひっくり返すために使えるカードは二枚。一枚は、女王の身柄。しかし、女王に何かあれば君たちの遺伝子も絶えるためカードとしては使い勝手が悪い。そして、もう一枚のカード」
そうだ、水城灯里はこの人を『地元の有名なおばちゃん』と呼んだ。則本はそれを名物おじさんの類だと思ったが、二十代の彼女にとって子供の頃から地元の有力者だった人という意味だったのだ。
「君たちが使える、革命派に対する最大のカードは何か。そして、母艦に居場所を知られることを恐れた君たちが、なぜ日本の警察には駆け込めたのか。この連立方程式の解はただ一つ」
桜田は彼女に向き直った。
「ですね、総理」
これにはノックスもニッコリだ。
総理は静かに言った。
「そうであるのかもしれません」
「おそらく、地球の8人の首脳は、それぞれ旧体制派によって地球に連れ去られている。目的は? 殺すと脅しても革命派には効かない。一人が死んでも新たな個体が選ばれるだけだ。しかし逆に言えば、殺さない限り革命派は彼らと交渉せざるを得ない。君たちは今、革命派から首脳の身柄を要求されているはずだ。そして、今君たちは革命派の幹部に直接会うことはできない立場ではないか。そのことが、8人の首脳というカードの最も有効な使い道を示唆している」
桜田は一度言葉を切ると、総理に視線を移した。
「ところで総理、これまでにも母艦で交渉の席に着いたはずです。どんな場所でしたか?」
「どんな場所と言われましても」
総理は落ち着いた声で答えた。
「長い机がございまして、こちら側に8人、あちら側に8人が向かい合っておりました」
「その場に、女王はおりましたか?」
「はい、机からは、結構な距離がございました」
「どのくらいです」
「遠近感が分かりづらい建物でしたが、国会で言えば衆議院本会議場の壁から壁までくらいでしょうか」
「20m程度、ですね」
総理は頷いた。
「玉座の前に演台がございまして、それを挟んで縦向きに長机が置いてありました。16人の代表者の横顔が玉座から見える向きです。そして、長机を取り囲む2階席のような場所に、もっとたくさんの宇宙人がおりました」
「なるほど」
桜田は頷いた。
「これで、はっきりしました。この作戦を使っても、女王に怪我をさせることはなさそうです」
「一体、何をしたっていうんですか」
「君たちは地球の首脳8人の体内に爆弾を仕掛けた。革命派幹部が交渉の席に着いた瞬間、首脳の体を爆発させ、向かいの8人を殺す。いわば大統領爆弾だ」
「大統領爆弾!?」
則本は絶句した。
「それ、総理も死ぬんじゃないですか」
則本の素朴な疑問に、宇宙人たちは黙り込んだ。
「その是非はさておき、話を続ける。この哨戒船での事件のきっかけは何か」
真社会性生物である宇宙人は地球人と殺人に至る動機の構造がまるで異なるだろう。
「おそらく、無人島で総理の手術をする前か後に、総理が一瞬姿を消した。そうだな」
宇宙人たちが顔を伏せた。
「必死に探しても見当たらない。そのうち、こういう考えが浮かんでくる。『この中に裏切り者がいるのでは』。すると裏切り者を抹殺するため全員が死ぬべきだと主張する者と、原因を究明しないと他の旧体制派に危険が及ぶと考える者が対立し、トラブルになった。違うだろうか」
「おっしゃる通りです」
「私はその間、総理がどこにいたのかおそらく分かります。墨崎島でしょう」
「いや、それはありえないです」
則本ジュンは思わず声を上げていた。
「なぜ」
「だって、人間は船着き場以外から島に入れません。船を使ったなら、島民の誰かが見ているはずです。証言との整合性が取れなくなります」
「船はあり得ません」
みかんが則本の言葉を継いだ。
「逃走に使えるようなものは、あらかじめ全て排除してありました。筏を作って逃げた可能性も考え、木の切り株まで調べました。その可能性はありません」
「じゃあどうやって墨崎島に行ったというんだ。まさか、泳いだとは言うまいな」と、柿が言った。
「さすがに12月の海は無理でしょう」
「クレーンは」
と、みかんが言い出した。
「そんな長いクレーンはない」
「人間大砲は」
「着地で死ぬでしょ。タコじゃないんだから」
「忍者の水蜘蛛とか」
話がどんどん非現実的な方向へ流れていく。
「そうではない」
桜田の声が、迷走しかけた議論を断ち切った。
「総理は、気づいたんですよ。オービタルリングから垂らしたケーブルが、本当にたまたま無人島と墨崎島の中間地点に降りていたことに。ちなみに、船が着水した時、ケーブルは船体から外すか?」
「外します。他が使うので」と、みかん。
「その時に総理がおっしゃったんです。『ちょっとだけ、海を見せてほしい』と。理由を尋ねたら、『ただ見たいだけ。地球人は定期的に海を見ないと死んでしまう』と」
奈良なのに?
「それで、『ちょっとだけですよ』と言って、物置のハッチから外に出したんです。彼女は数秒で船内に戻ってきました」
「そうでしょう。ですがその時、総理は細いケーブルの先端を掴み、ハッチに挟むなりして無人島まで持ってきていた。そして無人島で君たち全員が目を離した隙に、そのケーブルを掴み」
「掴み?」
みかんが息を呑んだ。
「軽くジャンプをした。すると、0.09度の振り子は最大時速5.3km、5分17秒かけて300m先の墨崎島に到達する。これはまさに、オービタル空中ブランコ」
「オービタル空中ブランコ!? ……行けるんですか」
「行ったんでしょう」
「いやいや、高度が下がって、足が濡れるのでは」
「いい発想だ。だが計算してみよう。ピタゴラスの定理に斜辺100km、底辺150mを代入すると、下がる高度はたったの11cmだ。無人島の船着き場と墨崎島の堤防の高さで、充分行ける」
「握力が大変じゃないですか?」
「大丈夫。ギリ行ける」
「ちょうど真ん中だとコリオリ力でズレないか」
「なんとかしたんでしょう」
「空気抵抗で止まりそう」
「勢いつければなんかいい感じになると思う」
「ちょっと無理に思います」
みかんに言い切られ、桜田は露骨にしょんぼりした。だが則本にはわかる気がした。
「背負式ブロワーじゃないですか?」
則本は落ち葉掃除のジェスチャを示した。動力の大半は振り子だが、空気抵抗で減衰した分はブロワーの排気で推進力を補ったのだ。ケーブルもそちらに結んだのだろう。
「そう、それ!」
桜田は則本のアイディアを指さした。機嫌は直ぐに回復したようだ。
「まあ行けたとしまして、オービタル空中ブランコで総理は何をしに墨崎島へ?」
みかんが尋ねる。
「さあ」
桜田は余裕綽々で肩をすくめた。
「人生の最後にタバコを吸ったか、星野のチキン南蛮を食べたか。そして、すぐに戻った。君たちが深海でずっと彼女を探しているとも知らずに。しょぼくれて無人島に戻った君たちはびっくりしただろう。総理が立ってたんだから」
宇宙人と則本の視線が、一人の人物に注がれた。
総理は、ただ薄っすらと笑みを浮かべていた。
◆
哨戒船の上昇は終わり、ディスプレイに映る景色は水平方向へ流れ始めた。空気のない上空100kmで船は、人間の体が耐えうる限りの加速度で、赤道直上に浮かぶ母艦へと進んでいた。
則本ジュンの体は、シートに深く沈み込んでいる。
「君たちはこれから、総理を新体制派のところへ連れて行くんだな」
沈黙を破ったのは桜田だった。
「そうだ」
柿が、ディスプレイに映る漆黒の宇宙を見つめたまま答えた。
「今から、地球人と最後の交渉が始まる」
「あれ、じゃあ俺達はどうなるんですか」
則本が尋ねると、隣にいたみかんが申し訳なさそうに言った。
「多分、大丈夫だと思います。多分」
「君たちは、どうなるのか」
桜田は、今度はみかんと柿に問いかけた。
「おそらく、総理を誘拐したかどで死刑でしょう」
「いいのか」
「群れ全体の生存が最優先だ」
柿が前を向いたまま言い切った。
◆
「みかんと話をさせてほしい。できれば、二人きりで」
そう言って則本はみかんを物置に連れ出した。
「君はどうするつもりだ」
みかんは黙りこくっている。
「どうやら君だけは、最初からこの旧体制派と革命派の戦いに、あまり関心がないように見えた。むしろ、何が起こっているのか知りたい、その気持ちだけで動いてるように感じる」
みかんの肩が、かすかに震えた。やがて、絞り出すような声が床に落ちる。
「僕は……自分でもよく分からないんです。だけど、なんだかむずむずするんです。もっと広い世界を見てみたいなって」
「きっと君は、ディスパーサーなんだ。そしてある日突然、たった一人で巣を飛び出して、新しい世界を探す旅に出る」
則本はみかんの目をまっすぐに見つめた。
「君はここで死ぬより、宇宙の果てに飛び立つ方がずっといいと思う」
◆
シートに沈み込む感覚が消え、則本は船が母艦に到着したことを悟った。
ハッチが開くと、無数の宇宙人の憎悪が肌に伝わる。
出迎えた集団は、みかんたちと少し見た目が違って見えた。
みかんたち旧体制派の個体は全体的に明度が低く彩度が高い。それに対して、今目の前にいる革命派は白っぽい。
千葉の地獄で戦った相手はこっちだ、と則本は思った。
総理は革命派に丁重に、だが有無を言わさず降ろされた。
旧体制派と革命派の間は既にもみ合いになっている。
革命派の一匹が則本を指さして甲高く怒鳴った。
柿が割って入り、何かを言い返す。
柿は則本を振り返った。
「あなた方は恩人だから丁重に扱えと伝えた。最後まで世話できず申し訳ないが、彼らについていってほしい。無事に返されると思う」
則本と桜田は革命派に囲まれ、服を脱ぐよう求められた。白いポンチョに着替えると、手錠をかけられた。
「この先は私も分からん。柔軟に頼む」
◆
二人は白いポンチョのまま、長い廊下を引きずられて歩いた。扉が開いた。
一歩先は果てのない奈落だった。その先、穴の中央のさらに上部に平らな円がぽつりと浮かんでいる。二人を連れてきた宇宙人が、そこへ向けて足を踏み出す。落ちると思った瞬間、足の下に光が生まれ、離すと消えた。見え隠れする床は一歩ずつ高さが上がっている。則本も真似てそっとその階段を登った。カツン、と軽い音が返った。一歩ごとに光の床が生まれては消えた。そうして二人は、闇に浮かぶステージへ渡った。
左側には見知った地球の代表者と8匹がいた。右側ではひときわ大きな個体が、幾筋もの腕をゆったりと漂わせ、淡く脈打っていた。あれが女王なのだろう。二人はそれに正対した。見られていると肌が知った。
近づいた天井の左右には無数の宇宙人が、岩場に貼りつく貝のように折り重なって蠢いていた。
周囲の宇宙人たちが口々に叫ぶ。非難されているのか歓迎されているのか分からない。
そんなことよりも、則本の頭を占めるのは別の疑問だ。
総理は一体何をしに墨崎島へ渡ったのか。
桜田は明らかに総理と水城灯里の接触を伏せていた。なぜだ。
警察経由で、外部に何かを伝えてほしかったのか。
まさか、この瞬間に特殊部隊が突入してくる手はずなのか。
隣の桜田が肩越しに後ろを振り返った。
則本も演台の後方、長机が並ぶ代表者席に目を向ける。
総理が立ちあがった。
女王が長い腕を伸ばして総理を指さす。新体制派の幹部8匹が、彼女を座らせようと一斉に身を乗り出した。
腕が総理の肩にかかる直前、総理は何かをこちらへ投げた。
ショッキングピンクとライムグリーンが回転しながら飛んでくる。
手錠をかけられたままの桜田が、それを後ろ手で見事に受け止めた。原宿系ピストル。
その瞬間、8人の首脳が爆発した。
衝撃波が二人を吹き飛ばした。轟音と閃光に五感が麻痺する。
床に叩きつけられた則本は、咳き込みながら顔を上げた。飛ばされた場所はちょうど女王の前だった。
首脳や幹部たちの体は原形を留めていない。壁に張り付いていた宇宙人は我先に逃げ出そうとパニックに陥っていた。
今、完全に自由だ。
そうか、今か。
則本は背中に回された両腕を、外側へ開く方向に思い切り力を込めた。
金属の手錠に引っかかっていた右腕の義手が、肘のソケットから抜けた。
切断面には自由の女神の取っ手。プラズマソードを埋め込んでいたのだ。
歯でスイッチを入れると、肘から先が緑色に輝いた。その刃で桜田の手錠を焼き切る。
解放された桜田は、受け取った拳銃を両手で構え、立て膝で女王に照準を合わせた。
そういうことか。
水城灯里から銃を奪ったのは星野翠華ではない。総理が墨崎島へ渡ったのは、水城灯里から拳銃を借りるためだった。警察官が拳銃を貸すなど言語道断だが、あの灯里のことだ。貸したのだろう。
乾いた発砲音が爆発の残響を切り裂いた。
女王の体が大きくのけぞり、その一部が霧のように弾け飛んだ。
護衛たちが桜田へ殺到する。則本は床を蹴った。護衛の注意が引きつけられた一瞬の隙。リボルバーから4つの銃声が響く。
則本は玉座まで駆け抜ける。
女王はまだ生きていた。震える腕を伸ばし、その目は則本を確かに捉えている。
躊躇わず緑色に光る右腕を振りかぶる。女王の腕を弾き飛ばし、その眉間に光の剣を突き刺した。
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内容に関するアピール
種と個体というテーマを描ききるには写実的リアリズムが必要だと考え、『プライベート・ライアン』のような小説を目指しました。
参考にした『烏賊川市シリーズ』に影響を受けすぎてしまったことは否めません。
工夫した点は、船、島、地球と徐々にスケールが大きくなるように事件を並べたことです。
最初の事件は『長い墜落』のアレンジになっています。
本当はナツメグ島でもう一件事件を起こし、総理と大麻へ自然に到達できるようにしたかったのですが、文字数が足りませんでした。用意していたのは、ミステリーでよくある『犯人ではない人が、自分こそ犯人だと思い込んで余計なことをしたせいで不可能犯罪になってしまう』パターンの事件です。ここでもっと、みかんのディスパーサーぶりを描きたかったところです。
また、字数の都合で本来の自分らしい文体を諦め、短い文にせざるを得なかったことも心残りです。短縮のため少し気品のない表記をしたところもあります。
ミステリーとしての手当てが部分的に不足しているところも把握しております。例えば、
水城さんが駐在を出た後まで我々があそこにいたことを示すんです
これは厳密ではありません。ただ、大勢に影響はないと判断して省略しました。
SFとして読まれた場合、宇宙人が真社会性生物であるという設定は『エンダーのゲーム』などに前例がありますが、P値と遺伝ガチャのくだりは新しいアイディアではないかと思います。宇宙人の限界設定の開示は、冗長にならないようギリギリまで省略しました。説明が足りていなかったら申し訳ありません。そして、この世界で今日本はどうなっているんだと考えなくていいよう、のどかな島を舞台にしました。
何より、キャラクター小説として、楽しい小説として読んでもらいたい作品です。
文字数:734




