人の皮を被る我ら

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人の皮を被る我ら

イ・ハウン氏(19歳)の場合

 子供の頃、スマホばかりをみている私を心配してくれた両親はある日、子犬を買って帰った。「ペットの動画ばっかり観て楽しいの?本物のほうが楽しいと思うよ。ほら、明日からソンジェと一緒にこの子の面倒を見てやれ」と真面目なお父さんがいかにも正論らしいことを言う。

 でも幼いわたしにはわかる。教育熱心の両親も、あなたの子供をスマホから遠ざける○個の方法みたいな子育て系動画のアドバイスを鵜呑みにしただけだった。わたしと兄は厳しく叱られることはなかったものの、これを飲んだら成長するわよ、あの選手みたいに毎日縄跳びしたら身長伸びるぞといった根拠不明の教育方法の実験台にされるのは初めてではなかった。その代わりに人の親ならうるさく言う勉強とか進路とかについては放任主義だった。そこは助かった。

 そもそも自分の未来について真剣に考えても、みんなと同じような生き方になるのが目に見えている。ワイシャツとジンズを着て学校の先生になってわたしみたいな元気のない子を相手に授業をする。それはわたしが想像するみたいの自分。

 わたしと違って、このオスのレトリバーは元気にあふれている。舌を出しながら我が家の隅々を見ていて、初対面の兄を見た瞬間彼の膝に飛びついて、短い前足でパタパタ兄の足を叩き始めた。

「お前、俺と握手したい、のかな?」と言って右手を伸ばしたその瞬間、レトリバーの二つの前足に握られた。アーモンドの形の瞳はしっかりと兄と目が合わせている。

「俺、こいつを気に入ったぜ!お前、今日からルミと呼んでもいい?」

こうして、ルミは我が家の一員となった。

 週末になると、兄と一緒に釜山市民公園でルミを散歩させた。そこで分かったのは、犬の元気の度合いは人間が全く敵わないのだ。巨大な公園の芝地を隅から隅まで走るわ、ほかの家族が投げたフライングディスクを追いかけるわ、終いには人工滝に一気に突っ込んだ。ぷかぷか泳いでるルミを見て、とっくにリードを手放した兄はあちゃーという顔をして、俺はもう疲れたからお前があいつを洗い場に連れてけと言われたので、わたしはそのまま従った。

 洗われるとき、まるで別犬に変わったように大人しくされるがままのルミ。なんでこの子の面倒を見ているのだろう?別にルミはわたしがつけた名前じゃない。そう思うと嫌な気持ちが押し寄せて、目から涙の粒が落ちていった。ルミはわたしの気持ちを察したのか、舌出してわたしの瞼を舐めてくれた。わたしは声を出して泣き始めた。

 家に帰って、もうスマホをいじる時間もなく早めに寝ておいた。夜中になって、隣に何がもぞもぞしている。目を開けたら、金色の綺麗な体が床に横たわっている。明かりをつけたら、私が寝る前にドアあたりで蹴散らかしたスリッパが綺麗に前向きに揃っていて、その隣にルミが寝ている。

 歳月が経ち、ルミは大きくなった。飛び付かなくても、わたしの膝、兄の膝下に頭がくっ付いてくる。その前から大学に受かって外で一人暮らしをする兄とはあまり会わなくなったので、ルミはわたしと一緒にいる時間が長かった。兄が実家に帰ったときもわたしよりルミと絡みたかったようだ。ただ、たまに受験勉強で疲れてソファで寝転がるわたしをみて、モンスタエナジーを飲めもう一科目頑張ろうぜと冗談めかして言ってくる。その度にソンジェ兄は12歳の時ままで、男の子だったなと心の中で毒を吐く。

 その後、わたしも大学に受かって、高校の友達と一緒にソウル旅行をして家に帰ったら、全身の毛が乱れて床にへばり付いているルミと、顔がいつもより蒼白な気がする兄がいた。

 「どうしたの?どこ行ってたの?」

 「隕石を探しに行ったぜ」と悪ガキのような笑顔な兄。

 十年前、ちょうどルミを我が家に迎え入れた時に釜山郊外に隕石が落ちたニュースがあった。

サイズが小さく、そこらへんの石との区別がつかなかったのでいまだにこれと言ったものが見つかっていない。しかし地元民、とくにわたしから見れば暇人のおじさんたちにとって、隕石探しは秋の一大行事だった。登山装備一式を背負って、金属探査機に地図、山からそれらしい黒い石を何袋か集めて専門家に見せて、今回も隕石ありませんでしたとの結論にもはや動じない心構えで翌年もまた山に行く。

 兄は机の上を指さして、そこには一個の石があって、半分灰色で残り半分は焦げた鍋底のような真っ黒の色だった。

 「これ家に帰る途中で拾った。見た目は隕石っぽいけど、市民公園で拾ったので多分違う」

 「何をしに行ったの」自分でもわかる、冷めている声。

 「運試しさ」兄は急にわたしの耳に口を近づけた。

 「この前手術で腎臓を移植したんだ、父さんと母さんに言うなよ」

 わたしはもう付き合ってられないと感じて、息を吐いた、

 「とにかーく、わたし寝るから。あと、ルミはもう11歳なの。もう危ない所に行かせないで」

 「おい、冷たくないか。労いの言葉は?」兄のぼやきを背にわたしは部屋に戻っていた。

 いつもなら、夜はルミと一緒に寝るはずだった。十年近く飼っていると、ルミの素性も行動もだいぶ分かるようになった。人間でいうと、ルミは空気を読める大人しい子だった。だから元気なガキであった、あるいは今でもそうである兄と遊ぶ時は元気いっぱいに飛んで回って、もっとやるぞと兄の気持ちに合わせている。逆にわたしと一緒にいるときは、驚くほど落ち着いていて、行けと言われたらさっさと走り出すし、食えと言ったら残さず餌を食べる。トイレも最初から指定された家の中の指定されるトレーでするし、散歩中で排泄物を拾ったことが一度もなかった。飼い主に逆らわない、性格がいいルミ。だからわたしは今日、兄の馬鹿げた隕石探しにルミが付き合わされるのが嫌だった。

 気分が落ち着かないので、スマホで「移植 臓器」と検索したら、今年の年初に生命倫理法なる法律が改定されて、ブタの臓器を量産して人間の患者に提供するとネットニュースに書いてある。一瞬ソンジェ兄を疑って申し訳ない気分だったが、やはり半信半疑だったので明日聞くことにした。

 体の半分に何か乗っかっている。蒸し暑くてもぞもぞしている。ほっぺがベタベタと感じた。目を半開きして、兄の顔が視野を締めている。ルミだと思って布団から出そうとした左手はそのまま固まった。今度、兄はわたしの唇を舐め始めた。言葉、というより声を発することもできなかった。兄は酒を飲んでいるのかと思ったが、アルコールの匂いはしなかった。気持ちが悪かった。もうこいつは一緒に血を分け合う家族ではない。コイツと暮らしたこれまでの記憶を削除してしまいたい。そんな思いが頭で一杯になった。

 やっとわたしの体から離れた兄だったヤツが離れていった。しかも忍び足とかではなく、四つん這いで部屋から出ていったのを横目で見た。

 朝、ソファで寝ているヤツの所に一直線で向かった。怒りの言葉、責める言葉が胸に溜まっていたが、ヤツの顔を見た瞬間すべて消え失せて、おはようと挨拶の言葉になった。ヤツのアホづらに耐えられなかった。

 ルミを連れて朝の散歩。心あらずがバレたのか、ルミはいつもより速度を落としている。街並みを全く見ずに、ずっとヤツに対する仕返しする方法が頭をよぎった。両親の前で告発するか通報するか、なんならヤツを殺すか…

 気付いたら田浦あたりに来ていた。家からずいぶん離れている、おしゃれなカフェと外国人観光客が行き交う街。ペットを連れ込める一休みできる場所を探してみたが、どの店も人いっぱいだったので、街角の小さな教会に入った。

 「ご相談でしょうか?」

 耳以下の髪が真っ白になっている牧師さんが出てきた。穏やかな表情で、素朴な黒ガウンを羽織っている、父と同じぐらいの男の人だった。両手には傷跡があった。

 「はい、実は…」

 「どうぞ、中へ」と牧師が告解室へと手招いた。

 初対面なのに昨日から溜まった胸の内を洗いざらいに吐き出した。牧師は頷いてる時が多かった。一時間ぐらい喋ったら、体中から疲れが一気に湧いてきて、教会を離れた。

 明日は大学の入学日。ヤツも一人暮らしの所に戻るために荷物をまとめている。もうヤツとは二度と合わないことを心に決めたので、わたしに何かを喋りかけてくるヤツの言葉に対して適当に相槌を打った。そうしたらやっと奴が家から出ていった。

 ルミはわたしの気持ちを分かっていたのか、後ろ足で立ち上がって、まるで人間のように歩き出した。

 「人間っぽいね、えらいね」と無理矢理笑顔を作ってルミの頭をなでなでしたら、ルミが右足を出して、わたしのほっぺをつねった。

 ヤツが兄だった時に、よくわたしの顔をつねったりして、可愛がっていた。が、今のわたしにとってこれ以上気持ち悪ことはなかった。

 ルミの足を手で避けて、わたしは家から出た。秋の夜の釜山の寒さがしんみりとしてきた。

 坂を降りて、コンビニに立ち寄ろうとしたときに、ふらついている人影が現れた。

 昼間初めて会った牧師だった。まるで猫か犬のように頭を垂らしてお尻を上げて、坂の下をじっと見つめている。この奇怪な動きをする牧師の視線に沿って、坂の下を見ると。

 リュックを背負うヤツ頭から血が出て横たわっている。そばにはルミとは違う、黒のレトリバーが立っている。二本の後ろ足で体を支えて、ヤツをじっと見つめている。

 わたしがいるのに気付いて、黒いレトリバーがよろよろと坂を上り始める。

パク・ヨハネ(57歳)の場合

 私は、若い頃から声が小さいとよく言われた。洗礼の時も、一度目の告白は声が牧師に聞こえなかったのででもう一回やり直してやっとキリスト教徒となったぐらいだった。そんな私も、コツコツと信徒生活を送ってうちに、結婚して子供に恵まれ、そして牧師となった。
 声を大きく張れない弱点はずっと直らなかった。信者さんの前で魅力的な説教をするために必要なのは、ブレない美声と演劇のような手振りだと先輩の牧師に教わった。それができないやつは神への信仰心が足りないとさえ言われている。やはり神職もひとつ大人の世界と悟った。神学校を終え、何年か副牧師として働いたあと、私は釜山の外れにある小さな教会を任された。駅から歩いて十五分。古い商店街の裏、薬局と精肉店の間の細い道を入ったところにある、二階建ての教会だった。一階は食堂兼集会室、二階が礼拝堂。日曜礼拝に来るのは、多くて十人。平日の早天祈祷には、五人来れば多い方だった。

 朝五時前に教会を開ける。冬は鍵穴が冷えて、指先が痛む。中に入ると、古い長椅子の木の匂い、匂いが残っている。電気をつけ、ストーブを入れ、祈祷室の座布団を整える。誰かが来る前に、私は必ず会堂の中央通路をゆっくり歩いた。妻のウンジは、私よりも教会を支えていた。会計、食事、病人への手紙、書類の整理。彼女は声を荒げない人だったが、私よりもよほど強かった。信徒の誰かが「牧師先生は本当に優しいですね」と言うたび、私は少し恥ずかしくなった。
 娘のソヨンは、我々夫婦が神から授かった贈り物だった。

 幼い頃からよく笑う子だった。人見知りはしない。礼拝後、年配の信徒たちに囲まれても平気で紙コップを配って談笑をしていた。中学生になる頃には、教会の裏に来る野良犬に水をやるようになった。黒い毛に灰色が混じったレトリバーで耳の片方が少し折れていた。ソヨンはその犬をビョルと呼んだ。星という意味だった。ソヨンはビョルのことを本当に好きで、ドッグフォードさえ平気で口をするのを何回も見た。辞めなさいという私に、これは博愛だよとお茶目に答えてくれた。
 中学校に上がったとたん、ソヨンは将来は検察官になると言った。私は笑って「倍率は高いぞ」と言ったら、娘は真剣な顔で「だっておかしいもん、この事件」と決まってスマホで何らかのニュース見せて答える。10代の彼女から見れば、この社会はおかしいことに溢れているみたいだった。大人の世界だから不公平があっても仕方ないと諦めているわたしよりも、ソヨンのほうはよほど立派だった。
 ソヨンがソウル大学校に合格したとき、我々夫婦は一生行かないような高級フレンチレストランでソヨンをご馳走した。これを食べたら並の賄賂はお前の心を動かせないだろうと冗談を溢したが、もうソヨンのためにやれることはこれしかないと何処かで寂しさを感じた。
 その後、娘は法曹課程に合格し、念願の検察官となった。一般的に言われているように、ありえないぐらいの残業で家に帰る時間がほとんどなかった。娘が中学のときに拾ったビョルも子犬を一匹作って、犬の天國へと帰っていた。生まれた子犬も私はビョルと名付けて、娘の家に送っていた。
 ある時、電話の中で娘の声はこもるようになった。もちろん担当している事件のことについて詳しく言えないのはわかるが、日々教会で信者と一対一喋っている私には、悩みを抱えている人の喋り方だとすぐわかる。何回も聞いているうちに話が見えてきた。起訴率を上げろという上司の圧力に対してソヨンは屈せずに一つ一つの事件に向き合っているため、相当あたりを食らった。労働環境が改善されている現代でも、検察の世界は大人の世界だった。しばらくして、私は肝不全だと診断された。手術をすれば確実に助かるが、臓器移植の待機リストは長い。間もなく大量生産できる豚の臓器を提供されるとニュースで見たが、いつ実現するかはわからない。私は自分の運命を受け入れようとしたとき、病院から提供できる腎臓はありましたとの連絡が入った。手術後、ソヨンから一本の電話が入った。その腎臓はソヨンのものだった。親族原則によって優先的に私に提供されたのである。さすがに身勝手すぎた判断に私はキレて、医者の判断を無視してソヨンの家へ行った。
 ソヨンの顔は白かった。安眠剤だった。

 娘の遺品を段ボールに詰めて、私は色々と考えた。自殺は神のお教えに反する、恨みもそうである。神様、なんてこんな理不尽な世界を作ってしまったのか。何日間、教会の裏側でビョルの子犬、今や娘が残した形見と何日も見つめ合っていた。
 私はその子の中に入っていた。最初は四つん這いしていることに驚いて、次は手、今は足を動かそうとしたら転がって、そのうち疲れて意識を失った。起きたら、また自分の身体に戻っていた。
 これはソヨンのかけた魔法に違いない。そう思って、暇があると人目に隠れてビョルの子と意識交換をしていた。少しでもソヨンのことを感じたかった。犬の身体のなかにいるとき、周りの匂いはキツく感じた。だからソヨンの遺品が置いてある小さな部屋にこもって、彼女のものをずっと嗅いでいる。犬の身体はいくつかの部品、たとえばソヨンの靴下とマフラーに反応していた。そこにはきっと何らかの思い出はあったのだろうけど、私はそれを知るよしはなかった。

 ウンジも亡くなっていた。彼女が生きている時にビョルの子の秘密については沈黙を守り続けた。もう彼女は十分悲しんでいたので、私はこれ以上刺激したくはなかった。

 大人の世界に馴染みなかったが、長年のつとめのおかげで教会からの任命があった。田浦にある小さな礼拝堂だった。観光地なので信者はほぼいなくて、写真撮影に映えるためのセットのような所だった。それでも私は朝五時に入り口を開けて、いつでも信者が相談できるように用意していた。三年が経っても、観光客しか入ってこなかった。

 ある日、イ・ハウンさんがきた。夜中、お兄さんに口では言えないような暴行をされたことを相談してくれた。大学に入った頃の娘とそんなに歳の変わらない女の子の話を聞いて、最初私は怒りを覚えた。しかしその兄が床で四つん這いしていることがどうしても気にかかった。多分ほんとうに悲しい気持ちだったので、イさんは家庭の住所もつい口にしてしまった。そしてイさんの兄が今夜釜山を立つことも。

 夜、私は教会を下ろして、ビュルの子犬を連れて彼女の家庭のある坂まで登ったら、一人若い男の人が向こうから歩いてきた。私はすぐこれはその兄だと分かった。彼を止めて「最近、犬の中に入ったことはありませんか」と聞いたら、彼は何かを言い当てられた様子で逃げ出した。足の遅い老齢の私には到底追いつけなかった。そこで魔を刺したようにビョルの子犬と目を合わせて、中に入った。それを目にした男性は、足元を滑って坂を転がり落ちていた。

 私のせいで、また一人の若者が命を落としてしまった。

 イ・ハウンさんが坂の上にいる。私はよろよろと歩き出した。
  償う時が来た。生きるべきものを死なせてしまった罪を。

 

 

 キム・ドユン氏(17歳)の場合

 この世の中では数えきれぬ愚行がある。ゲームに課金しすぎて廃人になったり、出来心で怪しい粉を吸ったり、ましてや怒りに任せて人を殴ったりすることは物心を付いてから一度もなかった。普通の家庭のひとり息子として生まれて学校行って、そこそこ勉強も頑張ったが親のメンツを立てられるほどの優等生ではなかった。中学校に上がった間もない頃、体育の先生に陸上部に入ってみないかと勧められ、物は試しと走ってみたらそのまま背番号付きのユニフォームシャツを着るようになった。足は速いと言われても半信半疑だったのが、全国中学陸上大会の新記録を破ったときに確信となった。五輪選手一次選抜の結果を知らせるメールが来たとき、これは僕にとって最高の17歳誕生日プレゼントであるのに違いない、と思った。

 『件名:生徒の健康状態および学校生活上の安全管理に関する保護者面談のお願い

  宛先:キム・ドユン生徒および保護者様

  差出人:ソウル体育高等学校/大韓陸上連盟 競技力向上委員会

 

 ソウル体育高等学校および大韓陸上連盟競技力向上委員会は、キム・ドユン選手の今後の選手活動について、関係医療機関の所見および動物臓器移植者安全管理指針を踏まえ、協議を行いました。

 その結果、同選手の動物臓器移植歴に起因する動物化反応のリスクは、短期間で解消されるものではなく、継続的な観察と制限が必要であるとの判断に至りました。

 これに伴い、本校の体育専門課程および大韓陸上連盟の強化選手育成体系において、従来と同様の訓練、合宿、大会参加、代表候補選考を継続することは困難であると考えられます。

 つきましては、保護者様には、下記事項について学校および連盟担当者との面談に応じていただきたく存じます。

1、本校においての在籍継続のご意思……』 

 隣で泣き崩れた母さんの姿をみて、彼女のお陰でこれまでの人生が順調に進んでいるに見えるにすぎないことをいまさら感じた。どうやら幼き頃の僕は心臓が悪かったらしい。移植成功率は高いが待機者も多いヒトの心臓を待つか、成功率が低いけどその分料金も低くすぐ始められるブタの心臓移植手術をするかの二択を迫られたひとり親の母さんはどれを選んだかはいうまでもない。

 けっきょく、僕はすくすくと元気に育った。ブタさんから頂いた心臓は身体と相性がよくそのまま僕の一部となった。もちろん母さんが丹念に作った白身魚とにんじんたっぷりのサンパプも功を奏した。唐揚げ屋の店主なのに一番得意な料理は白菜の葉っぱで包むご飯というギャップについては養われる身としてはツッコミを控えるしかない。中学陸上部の入部テストに合格した夜、特大サンパプを頬張りながら母さんに走った時の感想を聞かれた。ママ友にも自慢できる息子のネタを集めるというよりも、本当に僕の身体の心配をしているのだと思う。母さんの心配は余計なことだと証明してあげたくて、陸上部に入ってから懸命に練習した。中学卒業を控えた頃、オリンピック選手が輩出するソウル体育高校からの入学通知書が届いた。

 その頃に町中で四足歩行で走り出す変人、夜になって部屋の中で吠え声をあげるご近所トラブルメイカー、会社の敷地内で鼻で穴を掘るような仕草をするサラリマンーといった、まるで犬のような動きをする原因不明の症状を発症する噂がネットニュースで報じられ、やがてこの奇人たちは皆僕と同じく動物からの臓器を移植されていたことが確認され、彼らの奇行は「動物化症候群」と名付けられるようになった。ただ、陸上の試合で毎回のように良いスコアを出し続けた僕は体育高校に提出した入学書類に自分は動物臓器のレシピエントだったことを何とも思わずに申告して、じっさい高校一年目は練習三昧の日々を送っていて、特に動物化症候群と思われた行動が一回もなかった。一週間前、あの事故が起きるまでは、人生の唯一の悩みは、すなわちオリンピック選手になるかどうかだけだと思っていた。

 

《昨日午後、京畿道内の北漢山国立公園で、体育高校に通う男子生徒が山中の岩場から転落し、死亡しました。

死亡した生徒は、過去にブタ由来の肺移植を受けた異種臓器移植者で、警察と保健当局は、事故直前に原因不明の神経・行動異常、いわゆる「動物化」が発生した可能性を含め、詳しい経緯を調べています

学校側コメント:

「本校生徒の突然の死亡に深い哀悼の意を表します。故人は誠実に訓練に取り組んできた生徒でした。現在、警察および関係機関の調査に協力しており、在校生の心理的安定と安全管理に万全を期します。」

 ペ・ジュンソ。練習試合で一回見かけたことがあった。印象では接地するときの姿勢がうまくて、笑顔が人懐っこい僕より一個上の別の体育高校の選手だった。このままオリンピックに出てもおかしくない逸材だと先輩から聞いてた。翌日、僕はコーチに呼び出されて、まるで子供を落ち着かせるような低いトーンの声で、最近練習によく頑張ったね、一週間ぐらい家で休んだらどうだと言われたのでその通りにした。

 すでに何が来るかに薄々気付いたけど、メールでも電話でもなく、厚手の封筒に入っている上質な黄色の紙に書かれた退学の二文字を自分の目で見たとき、頭の中が真っ白になって、母さんの泣き声でやっと意識が戻って、彼女の背中を一晩あやしそのまま寝てしまった。

 正直にいうと、僕は走ることを心から好きかというそうでもない。これまでの人生は言われた通りの選択を考えもせずに従ったら陸上部に居続けるができただけで、お前はいつか人間をやめるか分からないから陸上部にはお前の居場所がもうないと詰められたらとくに反論したいと思わない。むしろ今まで屋上とかで急に動物化して飛び降りてないことにホッとしたまである。

 朝になって、トイレ行こうとしたら母がいた。みたことのないフォーマルな紺色のスーツを着て、唇になんらかのクリームに塗り、鏡をみたまま僕に喋りかけた。

 「ドユン、一緒に面談行こう。もうこんなの理不尽よ。あんたのどこを見て「畜生化」というんだ?ありえないわ。さっさと制服を着なさい、朝ごはんは……」

 どこからか唐揚げの匂いがしてきた。油臭くて、嗅いだだけで気分が暗くなる。

 「母さんがうるさく言うから僕は陸上部に入った。ぜーんぜん好きじゃないよ。これで辞めれたらいいじゃない!母さんも休んで自分の好きなことをやればいいのさ─」

 ビンタされた。しばらくして右手で自分の左ほっぺに触れた。ヒリヒリしている。

 自分の部屋に入って、リュックと財布を持って、携帯は入っているかどうかを確認する余裕もないくすぐ家から出た。

 もしかしたらこれで全て終わるかもしれない。もう走ることもない、もう母さんと喋ることもない。いつまでに人間でいられることもわからない。

 

 正午の日差しに照らされた部屋をもう一回見回って、さすがに寝るふりをするのもつまらなく感じたので起き上がることにした。ゴミ収集袋を手に取って床に転がっているいくつかのバナナミルクのペットポトルを中に投げ込んで、塵取りで掃除らしい動きを始めた。敷布団を畳んだら四平米もない狭い部屋、いわゆるチョッパンチョンなのでゴミは一目瞭然、掃除も一分で終わる。身分証明書が不要なので未成年の僕でも簡単に一部屋を借りられた。陸上部一本道で貯まりっぱなしの小遣いで一ヶ月の家賃を結んだ。二日目に家から充電器を持ってきてないことに気づき、大家さんに聞いた街角の店で格安のやつを買って、それからほぼ部屋の中で引きこもった。

 明け方、長年鍛えた身体は僕の意思とはなんの関係もなく朝六時にピッタリと目を覚ませろと言ってくる。仕方なく起き上がってスマホを弄ったら数時間が溶けて、正午近くなったらまた昼寝をして、夜になって大家さんがドアの外に置いた味のしない定食をむさぼって、そんな日々の繰り返しだった。

 特にやりたいこともないので、気付いたら格安のスマホで動物臓器、移植、動物化あるいは似たような検索ワードで情報取集ばかりしていた。目下いちばんホットな話題なので、掲示板とYoutubeで毎日毎秒のように情報が飛び交っていた。明かな煽り動画とくだらないスレを除いて、僕の頭に引っ掛かったものをメモに書いてみた。

 

 ・現在、一般的に普及している臓器移植を許可された動物はほとんどブタなのになぜ動物化症候群は犬のような人ばっかり?つながりがわからない

 ・犬は理由もなく高いところから飛び出したりしない。ペジュンソ君に一体なにが?

 ・異種臓器移植者の人数、確認されにくい、韓国は海外で移植を受けた人の情報つかめない

 ・これまで確認された「動物化」事例250件ぐらい。発症して死亡に至るは4人

:1大学研究棟非常段階転落死 2実業家、路上で車両とぶつかる 3ホテルの屋上から転落死

4体育高校生徒、岩場から転落死

 

 頭のなかがこんがりがるのを感じた。情報収集しようとしたら逆に疑問点が増えて全く整理できてない。そもそも動物化とはいったい何を指しているのか、真相がわかったところで僕の人生はもうよくならないし、母さんと仲直りもできない。もしかすると次の瞬間、犬や豚のように暴れ出して、獣の姿で精神病院とかで保護されてそのまま人生が終わる。

 スマホから提示音が鳴った。

 「キム・ドユンさん、18歳の誕生日お目でどうございます!」

 スクーリンいっぱいの風船と吹き上がる花火が表示されている。ラインを開いたら何通かの誕生日を祝うメッセージが数時間前に届いている。だいたい仲の良い学校の友達と陸上仲間から来たもので、祝いメッセージの後に、いまどこに居る?お前の母ちゃんは探しているぞと揃っている。これでますます返信をしづらなくなった。

 「すいません──」と男の声がドアを叩く音と同時に伝わってきた。隣のおっちゃんかと思って扉を開いた。

 「どうもー、あ、キムさんですよね」目の前に灰色のジャンバーを着た頭もじゃもじゃの男が立っていて、ご丁寧に名刺を渡してくるが、昼間なのにサングラスを掛けていることのせいで怪しさが増す一方だった。男の後ろにもうひとり相撲選手ぐらい合体の良い警官が腕を組んで僕の顔をじろじろ見ている。

 「あなた、ずいぶん真面目なお方です」と男は言葉を続けた。「SIMカードも変えてないし、チョッパンチョンに実名と本当の年齢を書いたなんて。実に探しやすかった、らしいです」

 後ろの相撲選手のような男性警官は頷いた。

 「ソウル特別市警視庁」と書かれている名刺を見たまま、僕は口を開いた。

 「僕はまだ家に戻りたくないです。」

 「それでいいのです。私たちはあなたを家に連れ戻すために来たわけではありません」男はサングラスを少し下げて、僕の目をじっと見てから言葉を続けた。

 「ここ最近、ずっと自分は「動物化」しないかなと思い悩んでますよね、キムさん。だったら一回やってみませんか?」

 隣の警官は大きく欠伸をして、どうぞと大通りへと片手を差し出した。

 

 「謎解きの時間ですよ─みんなさん!」

 サングラス男はこの灰色の床と無機質な壁で構成されている空間の中でもサングラスを取るつもりはない。両手をいっぱいに広げて、まるで今でも大演説を始めようと言わんばかりのポーズでこの部屋唯一の観客──つまり僕に向かって喋っているように見える。が、実験台で全身拘束されている身からして何と返答すればいいのか迷う。

 「さっさと真相を見せてくださいよ。ソン警監」どこかのマイクの声が壁越しで伝わってきた。

 「やりますとも」もじゃもじゃ頭の男は右手を胸に添えて、天井にある監視カメラにひとつお辞儀をしてから話を続けた。

 「とはいえ、キムさんは別に容疑者でも犯人でもないですからね─、拘束する必要はないんじゃないですか?」

 「ダメです。モルモットが暴れ出したら、責任とれません」とマイクの声。

 遂にモルモット呼び。すでにもう人生はどうなってもいいやの僕も、この単語を聞いて心臓がピクッと動いた。

 「それでは」マイクの声を無視して、ソンは演説を再開した。

 「十年前、生命倫理基準法が改訂されまして、ブタによる臓器移植手術が一気に増えて、それからいわゆる動物化現象が起こりましたね。」ソン博士は拘束されている僕の前にパソコンのスクーリンを置いた。「臓器移植されたレシピエントたちは、急に言葉を喋れなくなり、吠えたり、家族に体を擦るつけるなどの、ワンちゃんのような動きをしますね。逆に言うと、空を飛ぼうとしたり、蟹みたいに横歩きをしたりをする事例はここ十年間一度もなかった、ということです。さらに私にはず───と引っかかったことがありまして」

 警監はリモコンを押して、目の前のスクーリンには何十もの小さな画面が同時に並べられ、以前ネットで見た動物化した人たちの奇行映像が映されいる。だいたい縦長のスマホ映像だった。画面が揺れ揺れなのに相まって、いっぺん多く見せられては目を逸らすしかない。

 「精神科医とか、みなさんのような医療に詳しいの話によれば、これは動物の臓器を移植されたことによって、ホルモンのバランスが崩れたて、精神錯乱をおこされた人間の脳が機能退化したって説明になってますよねー」

 「それは我々の解釈を簡略しすぎたきらいがあって、正確に言うと─」

 「人間はここまで犬の行動を真似できますかね」もはや壁の向こうの人たちの存在はどうでもよく、警官は画面を切り替えながら暴風の如く演説を続けた。

 「このソウルの方、晩ご飯を食べたあとにいきなり四足走行しましたよね。よく見てください、丸を描くような歩き方、普通できますかね─あるいは、この大邱のアイドルさん、練習室の床の匂いをいちいち嗅いでますよねーこれ、日頃から犬の様子を真似してないとできないと思いますがね」

「何が言いたいんです?患者は犬にとり憑かれているとでも?」マイクから複数クスクスと笑う声。

「発想を変えてみました」

 ソンの声が一段と落ち着いて、目線もきちんとマイクへ向けた。

「と、言いますと?」

「時間順で見れば、初期動物化の事例は南部、特に釜山あたりで集中しています。だから私と部下はそこに行って現地調査をしてきました。まぁ、付き合わせた、というほうが自然か」

 スクーリン上に昨夜ソンと一緒に僕のところに来ていたデカブツ刑事さんの姿が映っていた。

「我々は動物化という言葉にとらわれすぎました、みなさん。犬のような動きをする人がいるなら、人のような動きをするワンちゃんもいておかしくないのでは?」

 映像は次から次へと変わっていたが、内容は同じく、仁王立ちしているデカブツ刑事さんが目線を下にいろんな犬と睨みっこしているものである。

「人間に、まったく動じてませんね」マイクから柔らかい男性の声がした。

「そうなんです─やあ、聞き込みする甲斐がありましたね」とソン警監は表情を和らげた「犬は自分より格上の生き物に目線を合わせることは基本ないです。まして睨みっこするなんてあり得ません。何か異変が起こりました」

「これだけでは何の証拠にもなれませんわ」と今度は女性の穏やかな声。

「これでどうでしょうか。皆さんが大好きな、科学的エビデンスをご覧ください」

 

 画面の中で一匹のレトリバーがいる。茶色の毛に丸っこい両目がパタパタしていて、公園の砂場の中で大人しく居座っている。よく晴れた日である。撮影者が落ち着かなくて、構図は横にズレてて、眩しい朝日の日差しが画面を斜め切るように貫いている。

 現在時刻七時十二分。本当にオシッコを撮るんですか?とデカブツ刑事らしい声。

 そうですよ、もう見ててください。敬語のわりに情緒不安定な警監。

 やがてレトリバーは尿を漏らした。お尻を太陽のほうに向け、右足を上げて、黄色液体を出し続けた。

 「お分かりいだだけましたか?」ソン警監はの顔に何ともいえない表情になっている。「こういうレトリバーが、私が見つけたものだけで二五匹もいます。調べましたが、飼い主はみんな移植歴がありません。ただし、釜山市ほとんどのレトリバーは普通です。この二十五匹の親を探せば何かが出るはずです」

 マイクの声が一気にざわ付いた。それからだんだん沈黙になった。

 「あの」僕はやっと口を開くタイミングを見つけた。

 「どういうことでしょうか?これ、僕と関係のある話ですか?」

 「大いに関係があるとも。その前に君に伝えたいことがある:君のお母様はすでに求人届けを出した。そして君は私が南大門近くで精神不安定の君を見つけて保護した。これから君の精神状態を確認するために実験を行う」

 ソン警監は手を叩いたら、扉から台車が入ってきて、アルミ色のケージの中に二匹の警察と書かれているセーターを着ている珍島犬がお座りしている。二人の白衣を着ている人たちが一匹ずつ持って僕のほうに向かってきた。

 「一つ面白い豆知識をお教えしましょう」敬語が戻ったソン警監がまた例の芝居かがった口調でいう。

 「犬は日中以外の時間帯でおしっこする時、決まって地球の磁気と同じ方向に沿っている、つまり南か北かですよ。これは犬にとって世界のことわりみたいなものです。しかしあなたもみましたね。世界のことわりを守らない犬が現れたのです─この二匹も含めて」

 警察犬に至近距離で睨まれて、ソン警監の話が全く耳に入っていなかった。頭が固まっている。何かに吸い込まれている。突然犬の顔がとてもなく大きなものに見えた。

 次の瞬間、僕は自分を顔を睨んでいる。

 

 それからの一週間、僕はずっと「精神治療」を受けていた。

 犬の身体は本当に不便で、曲がろうとしたら曲がれないし、周りの匂いに反応して足元が狂う。しかもいつも白衣の人に見られて、何か記録を取られる。

 ソン警監が見舞いに来た。

 「どうですか?我々の犬になった気分は?」

 「よくありません。家に帰りたいです。ペ・ジュンソくんは…」

 「真相はまだわかりません」とキッパリ答えたソン警監。

 「私は、人間と犬の意識交換という秘密に気付いただけで、全ての真相が分かったわけではありません。話は変わりますが、君はここを出たらどうします?もう学校もやめましたよね」

 「わかりません」と俯いた。

 「ならば兵役か、就職ですかね。キムくん、もし興味があればいつでも歓迎しますよ」と一枚の紙を渡してきた。

 大韓民国 ソウル特別市警視庁 協力捜査員 応募中

文字数:14229

内容に関するアピール

我々は人間を辞められたらいいのに、と人生に数回は考えるはず。もし、人間をやめるきっかけはこの世界に本当にあるのならば、人はなぜそれを選び、何をしたいのか。そう思って最終実作を書きました。いろんなジャンルの小説の中で、SFはほぼ唯一、人間の外から人間について考えるのに向いているものだと思います。今後は小説ではなく別の方向性で創作しますが、この講座で学んだものを大事にしていきたい所存です。

文字数:194

課題提出者一覧