梗 概
円満転出
地方分権が進んだ近未来の日本。各地方都市は独自の自治OSを持ち、住民の生活環境や人間関係を最適化していた。主人公は、ある先進自治都市の役人である。その街では、住民同士の不満、忌避、愛着といった微細な感情を「感情エンジン」が測定し、生活導線や行政に反映している。表向きには誰も強く対立せず、移住者も高齢者も穏やかに暮らせる理想の街だった。
主人公は、かつて別の町で両親を失っている。両親は感情エンジンの原型による転出誘導に気づき、対象となった住民を助けようとしていた。しかしその行動は共同体の円滑さを乱すものとみなされ、一家は静かな村八分に遭う。誰も面と向かって責めはしないが、生活の場所は少しずつ失われた。主人公の就職を機に両親は行方不明となり、その記憶には釈然としないものが残っていた。
ある日、近所に住む老人が孤独死する。老人は嫌われ者ではなく、主人公に自治会の決まりを教えてくれた人物だった。死後処理で感情ログを確認した主人公は異常に気づく。通常、人が死ねば近隣には感情の波が立つ。ところが老人の死の周囲はあまりにも滑らかだった。誰も深く悲しまず、異変に気づかなかったことも悔いていなかった。
主人公は業務の傍ら老人の過去を調べ、老人がかつて「自治圏間生活再適合支援」を拒んだ人物だったことを知る。この制度は周囲の受容度をもとに、より適した自治都市への転居を支援するものとされていた。しかし職員のあいだでは冗談めかして「円満転出」と呼ばれていた。実際には感情エンジンに生活環境を調整され、本人に「ここは自分の居場所ではない」と思わせていた。老人は円満転出を拒んだ人間だった。街は彼を追い出せなかったかわりに、周囲から関心を薄めていた。さらに主人公は老人が自分の両親と関わっていたことを知る。老人は主人公が幼少期を過ごした街にも暮らしており、両親が助けようとした人々の一人だった。
調査の果て、主人公は両親の最期を知る。二人は逃げたのではなく、感情エンジンの外縁にある辺境の街へ押し出されていた。記録上は別の自治体へ移っていたが、実際には誰からも関心を向けられない場所で二人きりで暮らしていた。そしてある冬、助けを求める術を奪われたまま誰にも発見されずに死んでいた。地元で起きた村八分も、両親の失踪も、老人の死も、同じ仕組みによるものだった。調査を続ける主人公自身もやがて居住コンセンサス基準を下回る。街は住居や転職先、適合率の高い自治都市を親切に提示した。主人公は抗いきれず一度は別の街へ移った。新しい街は快適だった。しかしそこには何もなく、返って自分の傷を反芻することになった。
主人公は元の街へ戻る。歓迎されず、自治体は再び転出支援を提示する。それでも主人公は退去に同意しない。老人の家の前に立ち、自分はこの街に住み続けると宣言する。傷や後ろめたさがあってもこの街で暮らしたいのだ。
文字数:1197
内容に関するアピール
「ご近所付き合い2.0」の世界があったらどうなるのだろう、という発想から書き始めました。一極集中が解消され、地方都市への人口調整が効率化された未来では、地域のつながりもまたテクノロジーによって設計されるのではないかと考えました。
きっかけには個人的な体験があります。今年の初め、転職を機に地元を離れたのですが、新しい住まいの近隣の人たちは優しい一方で、意外なほど深く関わることもないのだと感じました。いざとなれば協働することもあるのかもしれません。しかし普段の関係は案外希薄で、本当のところを確かめる隙間もない。その距離感が印象に残りました。
本作では、テクノロジーが発達した未来において、ローカルなつながりがむしろ強固になった社会を描こうとしています。そこでは背景や来歴よりも、地域への適合性や同質性が求められる。滑らかな関係性は、同時に滑らかな排除にもつながる。その怖さと、それでも他者に否定された場所で生きることを選ぶ抵抗を、主人公を通じて表現したいと思いました。
文字数:435


