梗 概
Nine Lives
わたしの家にはずうっと、猫がいる。まあ、いろんなところから出入りしている猫が多いから、名前のある猫もない猫も……正確には何匹だったか……すべて庭のイチジクの木の下に眠っている。はずである。
ひぃばばちゃんの代から順に話をしよう。
まず白猫、黒猫、茶トラ。これはひぃばばちゃんがちょうどばぁばを生んだ頃にいた猫たちらしい。名前はそれぞれ、シロ、クロ、トラ。昔らしい、いい加減な名付けであるうえに、オスかメスかなんて誰も気にしていなかった。ただ、この中にメスがいたことは確かで、家の炬燵の中で子どもを産み、どんどん増えたという。そしてここから不可思議なところで、生まれた仔猫を次々と川に流してしまったひぃじじちゃんを恨んだこの猫たちは、ある晩、ひぃじじちゃんを喰い殺した。ひぃばばちゃんの談によれば「じいさんはねずみ年だったからね。仕方なかった」
ほとんどが死んでしまったという先の仔猫たちだけれど、いつのまにか出戻ってきていたのが、キジトラ、サバトラ、三毛。ばぁばの記憶にある猫たちはここからだ。キジ、サバ、ミケ子たちは先代とは違って長生きしたけれど、ひぃじじちゃんのことがあったせいか仔猫を生むことがなかった。ミケ子はなかでも特に賢く、言葉の遅かった幼い頃のばぁばに付き合っておしゃべりをしてくれたらしい。つられてキジとサバもたまに口を利いたという。この三匹は尾が二又で、夜な夜な手拭いをかぶって踊ったとも聞いた。そして晩年に近所のイケ猫とお見合いをしたミケ子は、外で仔猫を産んで死んだ。生き残った仔猫はたった一匹。それが白地に黒のブチ。この子は非常に運動神経がよく、空を飛んだという。「でも決まって夜しか飛ばないから、誰も見てなくてね。嘘つき呼ばわりされたものよ」とおかあさん。「他には変なところはなかったわよ。台所に入ってあぶらを舐めるくらいで」
そしてわたしよりも長生きでわたしと多くの時間を過ごしてくれたのが、ハチワレ、サビ。それぞれ名をチヨミとモサ子という。御年三十三歳。ふたりとも女子。飛んでいった先で交通事故で亡くなったブチと入れ替わりのように現れた。というわけで、いま、この家には猫を含め、女しかいない。わたしは気付いてしまった。この家の女たちは、ここにいる限り子どもを生むことはない……ばぁばもおかあさんも、家を離れて子を生み、そして子を連れてまた戻ったのだから。そう、つまり、猫からの呪いはウィルスのように伝染する。或いは遺伝と言ってもいい。
その夜、チヨミとモサ子は変化した。Nine Lives. Well, well, well. 鼻に一匹、左右のマズルで二匹、両の眉に二匹、左右のこめかみに一匹ずつ、おでこに二匹……集って大きなひとつの〈猫の怪〉と化した九匹の歴代の猫たちは、久しぶりにうちを訪ねてきたわたしのおとうさんを食べてしまった。そういえばおとうさんもねずみ年の生まれだった。わたしは猫たちを弔い、いま、この家を出る。
文字数:1227
内容に関するアピール
夏なので、ちょっと怖い話を書いてみたくなりました。猫が好きです。そして短めでパツっと終わる怖い話が好きです。梗概中にはでてきませんが、ばぁばの配偶者であるところのじぃじは、作中男性陣で唯一ねずみ年生まれではないために存命しています。
SF……呪いはウイルス…というあたりがかろうじてSFといえばSFかもしれません。
〈猫の怪〉の原型は歌川芳藤の浮世絵「五拾三次之内 猫之怪」(1847年)から着想を得ています。
最後におとうさんが〈猫の怪〉に齧られているところは、Aerosmithの「Nine Lives」を脳内再生していただければ完璧です。
文字数:268
Nine Lives
猫がいて猫がいて猫がいる。
猫たちは集い、大きな猫の頭部を創り出す。
鼻にクロ、その両脇に金の猫鈴を目玉として従え、左右のマズルにシロとトラ。猫鈴に乗っかるようにチヨミとモサ子の全身が眉根から耳を顕す。チヨミはブチを、モサ子がミケ子をそれぞれ抱え、頭頂部には右にサバと左にキジ。
これがうちの歴代の猫たちが創り出した〈猫の怪〉の姿だった。
***
ひぃばばちゃんの代から順に話をしよう。
まず白猫、黒猫、茶トラ。これはひぃばばちゃんがちょうどばぁばを生んだ頃にいた猫たち。名前はそれぞれ、シロ、クロ、トラ。昔らしい、いい加減な名付けであるうえに、オスかメスかなんて誰も気にしていなかった。ただ、この中にメスがいたことは確かで、家の炬燵の中で仔を産み、どんどん増えた。困ったひぃじじちゃんは、生まれた仔猫たちを次々と近所の川に流してしまったという。ひぃじじちゃんを恨んだこの猫たちは、ある晩、ひぃじじちゃんを喰い殺した。ひぃばばちゃんの談によれば「じいさんはねずみ年だったからね。仕方なかった」
里帰りして出産したひぃばばちゃんが、赤ん坊のばぁばを連れ帰ると、ひぃじじちゃんは猫に喰われたあとだった。シロ、クロ、トラがぐるりと円を描いて歩く血塗れの畑に立ち尽くしたひぃばばちゃんは、猫に似た赤ん坊の泣き声で我に返り、畑のはずれに勝手に生えていた無花果の木の下を掘ってひぃじじちゃんの破片を埋めた。ひぃじじちゃんは行方知れずとされた。嫁が里帰りのさなか、どこかへふらりと消えてしまう夫は珍しくもない。周りは誰も、ひぃばばちゃんの与太話など信じなかったけれど、ひぃばばちゃんにはわかった。土にまみれたわずかの肉と骨が、夫のものであったと。
それから、シロ、クロ、トラも、ふつと姿を消した。
*
ひぃじじちゃんの所業により、ほとんどが死んでしまった先の仔猫たちだけれど、いつのまにか出戻ってきていたのが、キジトラ、サバトラ、三毛。
ばぁばの記憶にある猫たちはここからだ。キジ、サバ、ミケ子たちは長生きしたけれど、ひぃじじちゃんのことがあったせいか、仔猫を生むことが久しくなかった。この猫たちは本当に賢かった、とばぁばが言う。なかでもミケ子は、言葉の遅かった幼い頃のばぁばに付き合っておしゃべりをしてくれたらしい。ミケ子が口をひらけば、幼いばぁばが続く。
「にゃーか」
「かーか」
「にゃんま」
「まんま」
はじめはそんな他愛のないやり取りをしていた。それでもばぁばが三つになった頃だったとか、土間に薪を並べ、いたずらに火をつけようとしていたところ、ミケ子はばぁばの手を横からぴしりと叩いて目をすがめ、「やめなさい」と言った。キジとサバもそれに同意を示したため、ばぁばは火をつけるのをあきらめた。その後、火遊び未遂の現場をひぃばばちゃんに見つかり、ばぁばはしこたま叱られた。怒り心頭のひぃばばちゃんの後ろでひやかしのように、キジとサバは頭に手ぬぐいをのせて踊ったという。そのときの手ぬぐいの鎌輪ぬ柄がいまも目に浮かぶとばぁばは言う。
そして曰く「そんなときでもミケ子はこっちをバカにしたりしなかったもんだ」
それどころか、晩年にミケ子が近所のイケ猫と見合いをしたのは、ばぁばのためだった。兄弟姉妹のないばぁばを憐れんで、また、自分たち猫がいなくなったあとを考えての選択だった。ミケ子はこの家の敷地の外で仔猫を産んで死んだ。折悪しく雨にさらされ、暖が取れず、仔猫たちは不運にも次々死んだ。生き残ったのはたった一匹。それが白地に黒のブチ。オスだった。わたしのおかあさんの代まで生きた。住み込みの働き先からまだ赤ん坊だったおかあさんを連れてひとり戻ったばぁばを優しく迎えてくれたらしい。
ブチは非常に運動神経がよく、家の屋根から助走をつけ、ふぐりをそよがせ、月のない空を飛んだという。「でも決まって夜しか飛ばないから、誰も見てなくてね。友だちには嘘つき呼ばわりされたっけ」とおかあさん。そもそも体の弱かったおかあさんは伏せっていることが多く、眠れない夜がたくさんあった。「他には変なところはなかったわよ。台所に入ってあぶらを舐めるくらいで」
*
そしてわたしよりも長生きでわたしと多くの時間を過ごしてくれたのが、ハチワレ、サビ。それぞれ名をチヨミとモサ子という。御年三十。ふたりともメス。飛んでいった先で車に轢かれて亡くなったブチと入れ替わりのように現れた。というわけで、いま、この家には猫を含め、女しかいない。
わたしは気付いてしまった。この家の女たちは、ここにいる限り子どもを生むことはない……ひぃばばちゃんもばぁばもおかあさんも、家を離れて子を生み、そして子を連れてまた戻ったのだから。
おかあさんはわたしを学生時代に生んだ。だから学生街からこの家に舞い戻った。戻らないほうがよかったのに。おとうさんといればよかったのに。じぃじもおとうさんも、この家を気味悪がって、というより、猫たちに恐れをなして、一緒には暮らさない。
なのに今晩、おとうさんはこの家に来る。病みついたおかあさんを訪ねて。ひぃばばちゃんとばぁばの眠ってるすきに。
わたしは足元にすり寄ってきたチヨミを撫でた。黒いカギシッポが短いなりにぴんと立ち上がって愛らしい。モサ子はクールだから体を寄せてきたりはしないけど、やはり縁側をうろうろしてわたしを視界の隅においている。試験管ブラシのようなモサシッポが揺れていた。
かつて畑だった土地はいまは大きな庭となり、その端に無花果の古い木は生えている。秋の虫の鳴き出した庭を、わたしはサンダルで歩く。芝生はサクサクと音を立てる。日がな一日焚いている蚊取り線香のにおい。わたしは無花果にたどり着く。うちわにでもなりそうな立派な葉を茂らせているのをかきわけ、濃い紫に熟れた実(正確には花らしい)をもいだ。手に取ると産毛があたる。茎から白い汁が垂れ、手を汚す。赤く割れた尻からひと息に実を裂く。何度見ても、血の通った肉のような果実の赤さに惚れ惚れする。この家の無花果は、周りの家のそれとは違い、鳥に啄まれることがない。毎年、家の女たちが飽くほど食べられる。
わたしが果肉で口の周りを汚している間、チヨミとモサ子は左右に立って見張りのように辺りに視線を巡らせていた。無防備なわたしに守護を与えている。こちらをまだほんの子どもだと思っているのだ。この二匹に比べれば、確かにそうだ。わたしはこの晩夏、十八になるところ。猫の年齢でいえば、まだ一歳とか。
二匹がわたしの素足をザリリとした舌で舐める。
「なんだ、おまえ、居たのか」
背後におとうさんの声がする。そちらこそ、いつのまにこの家の門をくぐってきたのか。おとうさんはわたしを素通りして家に入ろうとする。おかあさんの寝室へ向かうつもりなのだ。
「マーオゥ」
チヨミが鳴いた。
「アーオゥ」
モサ子が鳴いた。
「Nnnnnnyyyy…hhhhhhhaaaaash……」
続いて幾つもの声が重なる。この世のものとも思えない獣の声になる。
「なんだ、」
おとうさんが振り返る。そういえばおとうさんもねずみ年の生まれだった。
Nine Lives. Well, well, well.
猫がいて猫がいて猫がいて猫がいて猫がいて猫がいて猫がいて猫がいて猫がいる。
巨大な猫の頭を顕す。これが〈猫の怪〉。
「チヨミ、モサ子……」
わたしが吐息を漏らすと、大きな猫鈴の目玉に乗った二匹はしきりに舌舐めずりをして応えた。
***
そうして間もなくおとうさんは、わたしの食べた無花果の実のようになった。
わたしはひぃばばちゃんがそうしたように、破片になったおとうさんを無花果の木の下にさっさと埋めた。猫たちは〈猫の怪〉の姿のまま、それぞれに毛繕いを丁寧に済ませると、「マーーーーーーーーーォゥ」と長くひと声鳴いて、かき消えた。
わたしはいま、夜明けと共にこの家を出る。一階の部屋の窓から庭へ投げ出しておいたボストンバッグひとつを持って。もう戻らない。
【了】
文字数:3290