AEONイオンから遠く離れて

印刷

梗 概

AEONイオンから遠く離れて

2222年、地球はジャスコで覆われていた。14年前に始まったジャスコ増殖現象は完成に至ろうとしていた。そのとき人類はジャスコ内部で暮らしていた。

ジャスコ高槻店で暮らすケイは、ある日家電製品売り場のモニターから音声メッセージを受け取る。声は言った、ジャスコと自身の運命を知りたければ伊勢湾海上店まで来い、そこでお前の両親が待っている。ケイはフードコートに捨てられた孤児だった。ケイは14年間高槻店で生きてきたがいつも偽物の人生のような気がしていた。ケイは旅に出る決意をする。

ケイは屋内アーケイドをヴェルファイアで駆け抜け、途上で四日市店に立ち寄る。そこで代々クレープショップの家系である女の子のアサヒと仲良くなる。アサヒは伊勢湾店地下海底フロアへの秘密通路を案内しながらいつかこの四日市店を脱け出して旅をするのが夢だと語り、別れ際に銃を用心のためにケイに渡す。

ケイは伊勢湾店の誰もいない店内の地下から上がっていく。一階の吹き抜け広場に辿り着くとそこには一人の老人が寝転ぶマッサージチェアがあった。

吹き抜け二階の催事モニターから声がした。その声は、私達はジャスコ、お前の母親であり、その老人こそが父だ、お前は私達ジャスコから産まれた子、そう話し始めた。

ジャスコ大増殖、それは目の前の老人、世界最大流通チェーンの会長であったオカダがジャスコと人工脳内細菌を用いて試みたAEON循環という惑星生命の意識統一化システムの起動実験だった。しかし実験は依り代となる14歳の意志が欠けていたために生命の意識統一は失敗し、自らの意志を用いたオカダは精神を喪い肉体だけをジャスコと接続させて眠りについたのだった。再実験にはオカダの遺伝情報を持つ14歳が必要だった。そのためにジャスコがオカダと自らの流通網をもとに生産したのがケイだった。

ジャスコは今や地球の全てを覆わんとしていたが、意志の欠けた不完全な状態での肉体の完成は成熟の果ての死を意味し、このままでは全てのジャスコは崩壊するだろう。そうすればそこで生活する人たちも無事ではすまない。もはや完全に自動制御された生活インフラを人間が失って生きていくことは困難だろう。一刻も早いケイとジャスコの融合が必要だった。ジャスコはケイに諭す。オカダに代わり私達と繋がりその意志をジャスコに捧げよ、それこそが人類を一つに纏め上げ、永遠<イオン>に至る道なのだ。私達の外に世界はない、その外で人間は生きていけない。ここでジャスコの王となれ。

ケイは葛藤する。自分の14年間に意味などなかった。いっそジャスコと接続して人類ごと惑星と一体化すればいいのか。だが別れ際のアサヒの言葉がケイを引き留める。「また会おうね、またお喋りしたいから」。

ケイはジャスコに言う。この自分はこの自分でなきゃいけない、そうでなきゃ他人と出会って喋ることができない。そしてアサヒから貰った銃で催事モニターを撃つ。このジャスコの外にも世界はあって人間はきっと生きていくことができると信じて。

店舗が大きく揺れた。いよいよ惑星中のジャスコ崩壊のときだった。沈みゆく伊勢湾店にケイは屋上駐車場まで止まったエスカレータを駆けあがる。ジャスコは崩れて屋上まで海面が迫ってくる。そこに飛行ヴェルファイアに乗ったアサヒが現れた。ケイは間一髪乗りこんだ。

ジャスコは沈んだ。ケイは海から目を離してアサヒにできるだけ遠く、海の果てまで連れて行ってくれと頼んだ。アサヒはアクセルを強く踏んだ。

文字数:1428

内容に関するアピール

ジャスコ貴種流離譚です。東京に来て新宿だとか渋谷とかに初めて地方ら来た時に思ったのは、ここにはジャスコなんて必要ないんだなあってことでした。東京でも今検索すればいくつかイオンモールが出てくるし本当に存在しないわけじゃない?とは思うのですが、やっぱり自分にとって東京になくって自分が生まれ育った場所にあるものってやっぱりジャスコ!って気がします。それは自分が東京に出るまでに暮らしていた生活空間だし、生きている実感ともやっぱりつながっているといつも感じます。とはいえ、あんまりノスタルジーに浸るのもよろしくないので爆発でも崩壊でもなんなりさせなきゃいけないとは常に思ってました。というわけで、今回はせっかくのお題なので崩壊させました。ちなみにですがAEONというのは古代ギリシア語で永遠という意味だそうです。

ふるさとは遠きにありて思ふもの。そういう気持ちでジャスコのない東京で生きています!

 

文字数:394

印刷

AEONイオンから遠く離れて

1.
 受け取ったキーをがりっと金属音のぶつかる音を立てて鍵穴に突き刺す。それはまだ生きていた。与えられた命は歌いだすように全身を震わせて、ぼくのイグニッションに応えた。
 扉の外で店長の声がする。
「そいつは“車”。いまじゃあもう誰も移動しようとしねえから、誰も乗らなくなっちまったけど、大増殖より前にまだ『外』があったときには、みんなその“車”に乗って、うちの店舗にやってきたもんだ。この立体駐車場ってのも、その“車”を置いておくためのスペースだったんだぜ?」
 ぼくは頷く。ほんというと店長に教えてもらうまでもなく、バックヤードの在庫書棚から大増殖前の風俗を書いた本を読んで知らないわけでもなかった。けれど、店長の声を聞くのもこれが最後になるかもしれない。ぼくは店長の説明を遮らずに受け入れた。
「いちばん右が“アクセル”つまり進めだ。左は“ブレーキ”、止まれ。左手のそのボタンを押して、レバーを引きな、それは“シフト”。ハンドルを握ったら、アクセルを踏むんだ」
 ぼくはいまにも走り出したそうに小刻みに振動する車内のなかで革の張られたハンドルを一度撫でた。その振動は指先から全身に伝わって震わせて、ぼくの心臓と同期した。ぼくは大きく息を吐くと、ハンドルを掌で包むように握り込んだ。
 店長が発進の合図のように、ぼくに告げた。
「そいつの名前はトヨタ・ヴェルファイア。ジャスコを走るときはそいつに乗るのが一番いい」
 ぼくはアクセルを踏んだ。吸気を吸い込んだ内燃機関はたちまち圧縮され、ピストンは内側の爆発ですぐさま押し返される。衝撃はクランクからシリンダ・シャフトに伝わり音を立ててタイヤを高速回転させる。ふわりとした一瞬の浮遊感は束の間で、ぼくは車体ごと前方に投げ出される。
 ミラーに映る店長は瞬く間に小さくなった。ぼくは壁に激突する前に慌ててハンドルを切って立体駐車場をヴェルファイアで駆け抜けていく。
 ジャスコ高槻店を出る。初めてのことだった。それはこれまで必要のないことだった。ずっと、ずっとこの高槻店で生きていればいいのだと思っていた。ここで生まれてここで生きてここで死んでいく。ただそうなのだと思っていた。でも、そうじゃなかった。
 ハンドルを切ってきゅっきゅっとコンクリートを走っていく。立体駐車場の出口の光りが見えてくる。ぼくは眩い高槻店の外の光りに目を閉じない。まだ慣れないヴェルファイアの振動に歯をグッと噛みしめてそのフロントウィンドの外に広がる景色を一つも見逃さないようにする。
 どこまでも続くテナントの群れ、14年前から増殖を続ける屋内アーケイドが広がっていた。ジャスコ高槻店の外のジャスコ。これはまだ本当の『外』じゃない。ここもまだジャスコだ。
 この『外』に世界はある? それはまだわからない。けれどぼくはアクセルを踏んだのだ。

ぼくはまっすぐと伸びる店員のいない自己増殖アーケイドを抜けていく。
 すっかり古くなった日用品やパンなんかの食料品、アパレル、惑星中を覆うジャスコが生産して、流通のなかで余ったこの星の余剰生産物。いまやこの地球で、いやこのジャスコで暮らす人々が必要とする以上に余りある食べ物、生活必需品。ぼくはそんな売り物のスラムのあいだを抜けていく。窓を開けると風が流れ込んできた。ジャスコによって生み出された生活用品が使われずに再びジャスコの有機コンクリートに吸収されていくときの独特の匂いを感じた。それでも僕は抜けていく風の冷たさを感じたくて窓は開けておいた。
 目的地はジャスコ伊勢湾海上店。店長がくれたロードマップはバックヤードで埃を被っていて、しかも大増殖前の地図だったから、細かい道を把握するには役に立たなかった。ただそのロードマップによれば東方向に向えばかつて伊勢と呼ばれた場所に辿り着くことができるはず、それだけはわかった。
 それにしても、大増殖前にはあんなにも『外』があったなんて。いまじゃあジャスコ・ニュース・ネットワークJNNが伝えるところによると、地上を含めてその殆どはジャスコの内側に覆われていて、現在その『外』は、東シベリア海という北方の僅かな島々だけらしい。そこも人間が住むには寒すぎて、実質いま人間が住むジャスコの『外』はやはり存在しないと言われている。もっともそれで誰も困ってはいないだろうけど。
 ジャスコがこの星のほとんど全てを覆ってしまったのはぼくが高槻店で拾われたときと同じ14年前だ。それから高槻店を含めて日本の全てのジャスコ化は完了するまではぼくが物心をつくころまでもかからなかったときく。ピカピカでツルツルの磨き上げられたあのコンクリートは14年前に増殖を始め、ぼくらの惑星を覆うのに5年もかからなかった。ぼくらの生活圏は瞬く間にジャスコとなった。
 ゆりかごから墓場まで。そういう言葉があるけれど、実際そんな感じ。いまやぼくの住むジャスコ高槻店にしても、一階のフードコート横の子供たちが生まれる病院テナント、二階の居住区テナント、最後には三階の納骨フロアでその骨は収められる。基本的には一階から三階までライフ・ステージが上がるごとにフロアを上がっていき、ひとつの店舗でその人生は完結している。
 ジャスコの流通網は完璧で居住テナントで一日ボケっとしていたって、お腹が空いて食料品売り場に足を運べばトップ・バリュ製品がずらっと並ぶ。地下フロアには人工照明のまばゆい自動化された地下農場があって、野菜も肉もジャスコが過不足なく食品を完全生産してくれる。もちろん食料品に限らず、日用品、アパレル、家電製品、必要なモノは他に何でもそろってどこかのフロアに必ず自生している。娯楽ならモーリー・ファンタジーゲーセンの直接接続型VRで遊べばいい。ジャスコってのはいまや2222年の完全なるオートメーション・テクノロジーその集合体の名前でもある。いまやジャスコの生活圏は完成している、このジャスコの生活圏に『外』はない。
 そんなジャスコをこうしてぼくが慣れないヴェルファイアのハンドルを握って屋内アーケイドを進みながらジャスコ伊勢湾海上店に向っているのは、ひとえに一週間前の家電量販売り場で受け取った”メッセージ”のせいだ。
 ぼくはその日店長に頼まれてバックヤードのための電球を家電量販売り場まで採りに来ていた。ぼくは店長が指定した口径の電球が見つからず四苦八苦テレビコーナーを彷徨っていて、探し疲れたぼくは並べられたテレビを観て少し足をのばしていた。すると、無数のテレビの林のうちの一台がぶぅううんと揺れて、画面の光りが落ちた。そのテレビはぼくに“メッセージ”を再生した。それはとぎれとぎれだったが、極めてシンプルにぼくだけに伝えた。

……ジャスコはいま永遠に至る道のなか……お前の運命とジャスコは軌を一に……お前は全てジャスコのために……ジャスコは全てお前のために……お前はこの惑星の運命……お前はこの生命の運命……運命を知れ……自身の運命を知れ……知れ……運命の子……始まりの土地……三重……終わりの土地……伊勢、その海上にお前は来る……14年前のお前……14年……ジャスコ……その真実のために……お前はいま永遠に至る道……永遠への道のなかにある……それはやがて永遠へ至る……ジャスコはいま永遠に至る道のなか……お前の運命とジャスコは軌を一に……お前は全てジャスコのために……ジャスコは全てお前のために……お前はこの惑星の運命……お前はこの生命の運命……運命を知れ……自身の運命を知れ……知れ……運命の子……始まりの土地……三重……終わりの土地……伊勢、その海上にお前は来る……14年前のお前……14年……ジャスコ……その真実のために……お前はいま永遠に至る道……永遠への道のなかにある……それはやがて永遠へ至る……ジャスコはいま永遠に至る道のなか……お前の運命とジャスコは軌を一に……お前は全てジャスコのために……ジャスコは全てお前のために……お前はこの惑星の運命……お前はこの生命の運命……運命を知れ……自身の運命を知れ……知れ……運命の子……始まりの土地……三重……終わりの土地……伊勢、その海上にお前は来る……14年前のお前……14年……ジャスコ……その真実のために……お前はいま永遠に至る道……永遠への道のなかにある……それはやがて永遠へ至る……ジャスコはいま永遠に至る道のなか……お前の運命とジャスコは軌を一に……お前は全てジャスコのために……ジャスコは全てお前のために……お前はこの惑星の運命……お前はこの生命の運命……運命を知れ……自身の運命を知れ……知れ……運命の子……始まりの土地……三重……終わりの土地……伊勢、その海上にお前は来る……14年前のお前……14年……ジャスコ……その真実のために……お前はいま永遠に至る道……永遠への道のなかにある……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……それはやがて永遠へ至る……

 ぼくが電球を採集して、家電量販売り場のテレビモニターの”メッセージ”を聞いたことを伝えると、店長は何も言わずただ黙って、ぼくに三日だけ時間をくれとだけ言った。それから誰も読む人がいなくなってもぼくと二人で続けている書店業務を中断してバックヤードの埃を被った本を引っ張り出して読みだし始めた。
 店長は約束の三日が経つとぼくと一緒に一階に降りてフードコートで食事をしようと言った。店長はてんぷらのひとつも取らずにただトレーにかけうどんを二つのせた。テーブルに着くと椀をぼくに一つよこして、店長は、そこの、と目線を斜めに送って話し始めた。
「そこの給水所の近くの席。そう、その椅子だ、お前がぎゃんぎゃん泣きながら捨てられていたのはな。アイスクリーム屋のおばちゃんが最初にお前の泣き声に気づいてな。俺に相談に来たんだよ。迷子かもしれないっておばちゃんはいったけど、こんな産まれたばかりの赤ん坊を迷子にさせる親なんかいるもんか。捨て子だな。俺はすぐにそう思った。さてどうする。世の中はそのときジャスコのコンクリがぐんぐん増えて大混乱中だ。俺は連れ合いもいないし子どもを育てたことなんて一度もない。どう考えても、俺はお前を育てられない。でも拾った。なんでかわかるか」
 ぼくは店長の問いかけに答えられなかった。店長はうどんの椀に顔を向けたまま箸を止めずに一気に喋った。
「おれがジャスコの店長だからだ。おれが店長であるうちは迷子は必ず保護する、そう決めているからだ」
 店長は最後の一本の麺を勢いよく啜り、それでもまだ椀のなかの出汁を一気にぐびぐびと飲み干した。それからふーっと一息つくと、やっとぼくの顔を見た。それから笑った。「あっという間だったよ、14年間な」
 店長はそうして完食したうどんのトレーを脇によけるとテーブルに両肘を乗せて前かがみにぼくに話しかけた。
「三重に行け、ケイ。三重には伊勢湾があってその海上に一つ店舗がある。ジャスコ伊勢湾海上店だ。おれたち店長のあいだで14年前から伝わる業務連絡がある。それはあるとき14歳を迎えたジャスコに見込まれた子どもが“メッセージ”を受け取る。その14歳はジャスコ発祥の地である三重の海に誘われて、そして己の運命を知りジャスコを永遠へと導くと」
「どういうこと? 己の運命? ジャスコを永遠に導くってどういうこと?」
「俺たち店長も詳しいことはわからない。ただ俺たち店長のあいだでは、その14歳が現れたとき、道を示してやり、そして三重の地へと送り出す、そういう業務マニュアルになっているんだよ」
 店長が真面目な顔をして言うのでぼくはそれ以上何も言い返せず黙るしかなかった。店長は二つの空の紙コップに気がついて、給水機でまた二つ水を入れてきてくれた。
「正直、俺は14年間ここで他の従業員たちと一緒にお前を育てながらなんとなくお前こそがジャスコの運命に選ばれた14歳なんじゃないかって気がしていたよ。理由はないけど、毎日このフードコートで飯を食って、黙ってぐんぐん成長していきやがる、そんなお前の姿を見ていたら、理由はないけど何となくそう思ったんだ」
 ぼくは黙って給水機の水を飲んだ。冷たい水は喉を伝って胸に浸み込み、ぼくの身体の渇きを癒した。それから店長はエスカレータで三階まで上がるとぼくを複雑に入り組んだ立体駐車場に連れて行った。そして一台だけ駐車されたヴェルファイアのもとまで案内してくれたのだった。

2.
 ぼくは慣れない運転に疲れを感じて適当なテナントの隅にヴェルファイアを停車させた。それから車を降りて背中と腰を思いっきり伸ばした。ぼくはヴェルファイアに凭れかかかると人のいないアーケイドの天井を眺めた。
 アーケイドの天井は低かった。2222年のいま惑星中がジャスコになっていると言っても、その全てが店舗というわけではない。大半はこうした無人のテナント群が廊下のようにつながるアーケイドとなって地上を覆っている。
 大人たちはジャスコが地上を覆う前のことを知っているが、大増殖のとき自分のようにまだ自我もはっきりしない当時子どもだったものはジャスコ以前の街やそこを流れていたという川、あるいは山といったようなそういう光景を知らない。たまに店長と一緒になにかの用事で屋上駐車場に上がるときがあったがそこから見える光景は不気味なまでにジャスコの有機コンクリートの壁が複雑に絡み合って地上を箱型に埋め尽くしている光景だった。
 夜になると屋上駐車場では”星”というものが見えると従業員の誰かに教えてもらったことがあるが、屋上駐車場は大増殖の際に飛び散ったガラスやいくつもの尖ったコンクリートの欠片が片づけられもせずに落ちていて高槻店では屋上駐車場は基本的に閉鎖されていた。まして夜に上がったことは一度もなかったので、その従業員がいう”星”というものをぼくは一度も見たことがなかった。
 まったくぼくらはジャスコに内側で生きて、生かされて、そして閉じ込められていた。ジャスコはぼくらの母胎、ぼくらの体内、ぼくらのゆりかごであり墓場だった。

 それからぼくはジャスコの内側をひたすら東方向に進んでいった。最初は真っすぐで平坦な道だったが、高槻店から離れれば離れるほどアーケイドの道はうねり、古いコンクリートと新しいコンクリートで道を食いあっている部分が増えてきた。そんなときはヴェルファイアで越えられず迂回の必要があって、少しの距離でも進むのにずいぶんと苦労した。
 なによりもそういう迂回をさせられるたびに心配になったのはガソリンのことだった。今の時代なんでもそろうジャスコの惑星だが、以外というかジャスコは石油をその生産品目に入れていなかった。惑星を覆うジャスコの照明だとか空調などの各種のジャスコ設備のためのエネルギー、食糧や日用品を生産して流通させるためのエネルギーは専らいくつかの特別な店舗にあるとされる地中深くの地下原子炉によるものと言われていた。
 店長が用意してくれたこのヴェルファイアも貴重なガソリンは決して満タンというわけではなく、もしかしたら目的地に辿り着くまでのぎりぎりの量しか入っていないのかもしれなかった。伊勢湾海上店に辿り着くまでにどこかの店舗に立ち寄った方がいいのかもしれない。
 ヴェルファイアを止めて店長がくれたロードマップを見ると真っすぐ東に進んでいるはずなので、おそらくいまは四日市店舗に近づいていると思われた。とはいえ、入り組んだアーケイドを迂回したりしてるから、道を微妙に逸れているのかもしれない。ぼくは空調の効いたこのジャスコの室内で冷や汗がするのを感じた。
 もしこの長いアーケイドの途上でどこにもたどり着けずエンストしてしまったとして、歩いて他の店舗まで辿り着けるだろうか。ぼくはこの広い広いジャスコ惑星で文字通り迷子になってしまっているのかもしれない。
 それでもぼくは信じて東に進み続けるしかなかった。結局のところできることは進み続けることだけだった。せめてどこかにフロアマップでもあればよいのに。だが店舗ならともかく野生であるアーケイドゾーンにはそんなものはなかった。
 それから一時間ほどだろうか、進行方向からガシャン、ガシャン、という音が聴こえてきた。それは金属がジャスコのコンクリートに落下する音だった。ぼくはその音に対して二つの可能性を考えた。ひとつは人間が出しいているなんらかの生活音。ふたつは人の手が付けられていないこの自然の空間でアーケイドの建物が自然崩落しているという可能性。前者ならばよいが、もし後者なら危険だ。崩落に巻き込まれないうちにすぐさま引き返した方が安全だ。
 ぼくはひとつめの可能性を信じることにした。いまさら引き返したところでなんになる。またアーケイドを無限に彷徨い続けるだけだ。ぼくは念のためヴェルファイアの速度を落として徐行気味に車体を前に進めた。ガシャン、ガシャンという音は徐々に大きくなっていって近づいているのがわかる。
 音はどうやら200メートル前方の角を曲がった先から聴こえている。180m、160m、140mとぼくは20mごとにゆっくりと近づいていく。120mでタイヤの下のコンクリートが擦れてキュッと大きく音が鳴った。
 ガシャン、ガシャン、ガシャン。
 角の先から音の正体が現れた。それは空中に浮かぶ一輪の自転車だった。

「お、おおお、これはいけるかも!」
 ヘルメットとゴーグルを着けてハンドルを握っている誰かがこちらの方向に向けてジャスコの床から30cmほどの高さで自転車を浮かび上がらせて、そう一人で叫びながら向ってきた。自転車は車体がタイヤが宙を浮いていることに関心を取られて、前を向いていなかった。このままではぶつかる!
 という心配は無用だった。自転車はこちらに接触する手前で空中でバランスを崩して落下した。
 ガシャン、という音がアーケイドに響いた。痛ってえー、と自転車の乗り主は声をあげた。
 見たところ自転車には、後輪に前進用のターボエンジンと浮遊用のバッテリー付きプロペラが取り付けられていた。ぼくは自転車を轢かないように減速しながらヴェルファイアで近づいた。
「え、なんでこんなところに人がいるの? え、え、ていうかすごい。“車”じゃん」
 自転車の主は倒れたままこちらに気がつくと、大げさに声をあげてこちらを指さした。
 それから自転車の主は怪我防止用の手首のプロテクターを外して、フルフェイスのヘルメットから顔を見せた。ヘルメットからは茶色に染められた長い髪がふわりと垂れてきた。自転車の主は女の子だった。背丈はぼくとほとんど変わらなかった。もしかしたら歳もぼくと変わらないのかもしれない。
 女の子は倒れた自転車を起こしてスタンドで立てかけると、ひとまず車を降りたぼくの方にすぐに近づいてきて、すごい、すごい、本物のヴェルファイアじゃん、と興奮した声で車体の周りをぐるぐるまわった。
 ぼくは勢いのよい彼女の反応に困ってなんとも言えずにいると、すぐに向こうが、コンコンと運転席のドアガラスを叩きながら、ねえ乗せてみてよ、と物怖じもせずに言った。
「乗せる前に君の名前を聞いておきたいんだけど」
 女の子はアサヒと名乗った。アサヒは名乗ると早々に助手席のフロントドアを開けて滑り込んだ。
「へえ、“車”ってこんなになってるのね」
 アサヒは一通り車の内部を見渡すとやっと興味がぼくに移ったようで、あ、あなた名前は? と問い返してきた。ぼくは名乗ったが、アサヒはそれも聞き終わらないうちにトランクルームのレバーを見つけて引いていた。それからいちど助手席を降りて、空飛ぶ自転車を引き摺って、トランクに入れた。入れてから、入れていいよね? と訊ねてきた。どうにも調子の狂う子だ。
 アサヒは改めて助手席に乗って、それじゃあ行きましょとぼくは促した。
「行くってどこに? どこに行けばいいの?」
「あなた、“旅”をしているんでしょう?」
「“旅”ってなに? ぼくは伊勢湾海上店に向っているんだ。でも、その前に四日市店に立ち寄っておきたいんだ」
「それじゃあ大丈夫」
「なにが?」
「四日市店ならあたしの居住区があるんだもの。案内してあげる」

アサヒの年齢はやはりぼくと変わらなかった。14歳。すこし独特の喋り方をしたけど、それは生まれつきだと言った。ぼくはアサヒが言う、三叉路をまっすぐ行かずに右! 十字路を左の反対側! だとかいうのに従ってヴェルファイアを進めた。
「伊勢湾海上店だけど、あそこに向うための連絡橋は14年前の増殖のときから過増殖になっていて、海上から向かう手段はないよ。遠くからわざわざ来たみたいだったのに残念だったね」
 過増殖。ジャスコの増殖がアーケイドや店舗の生成を過剰に行われてしまってその用途を果たさなくなってしまうことだ。過増殖はいろんなパターンがあって、たとえば4階の駐車場だけ過増殖になってついに駐車場だけの店舗になったとか、サービスカウンターがサービス過剰で使用不可能になった店舗とかがときどきあるときく。
「伊勢湾海上店に向う連絡橋は防護柵の過増殖で橋桁を塞いでしまっているの」
「何とかしていく方法はないの?」
 ぼくはハンドルを切りながら訊ねた、後ろのアサヒの自転車が揺れで音を立てた。
「うーん、そうだね、君はなんで伊勢湾海上店に向ってるの? こう言っちゃなんだけど、あそこは地元店舗であるわたしたちでも行かないよ。住んでる人もいないし完全に見捨てられた廃店舗だよ」
「呼ばれてるんだよ」
「呼ばれてる?」
「うん、ジャスコにね」
「ふーん、変なの!」
 アサヒはそれ以上は聞かずに、そこは上がりも下がりもせずに真っすぐ! とまた叫んだ。一言真っすぐって言えばいいのに。
 それからたいした時間もせずにぼくとアサヒは四日市店舗に辿り着いた。
 時計を見ると夕方を過ぎていた。ヴェルファイアのガソリンはメーターを見ると残り僅かだった。
「アサヒ、申し訳ないけど、ガソリンを分けてもらえないだろうか」
「さっきも言ったけど、伊勢湾海上店は連絡橋が塞がれていて、進めないよ。残念だけどあなたの道はここでストップ」

四日市店は高槻店よりも広かった。フロアマップを見ると居住区は一階に設定されているようだが、アサヒは迷いなく食料品売り場からエスカレータへ歩み寄っていった。
「ねえ、あなたの家族はなにを売っているの?」
「売っているって、テナントのこと? ぼくには両親がいないんだ」
「なんで?」
 アサヒは躊躇いもなく尋ねてきた。
「なんでなんだろうね。君の家は?」
「あたしの家はクレープ屋さんだよ。お母さんがやってるの。うちはねえ、大増殖の前からクレープ屋さんで、お母さんがそういう家系なんだって」
「家系?」
「そう、お婆ちゃんもそのまたお婆ちゃんも代々クレープ屋さんでパートしてるんだって」
 足元でエスカレータが上昇してぼくらを上階のフロアに運んでいく。上がった先はシネコン・フロアだった。アサヒはぼくに待合のソファに座って待つように言った。
 ぼくは一人でシネコンのソファに座り、アサヒが言った何気ない言葉を持て余した。なんで両親がいないんだ、か。ぼくはソファに背中を預けて天井にほど近い壁に貼られたジャスコ一押しの作品のティザー・ポスターを眺めた。新作はすべてアニメだった。きっとジャスコが生成したものだろう。ジャスコによる家族で観ることのできる他愛のないアニメ映画。
「お待たせ。はい、どうぞ」
 アサヒが戻ってきた。手には二つクレープが握られていて、背中には小さなリュックサックが背負われていた。
「甘いのとおかず系どっちが好き?」
 ぼくはどっちでも大丈夫だよと答えた。
 じゃあ、おかず系ね。アサヒは右手のクレープをぼくに差し出した。
 ぼくは晩御飯代わりのクレープに齧り付いた。ほのかに甘いクレープ生地に包まれたツナと卵がマヨネーズと一緒に口の中で合わさった。
「流石に代々続いているクレープだけあっておいしいね」
 アサヒはぼくの感想に満足そうに頷きながら、隣に座った。
「アサヒもそのうちクレープ屋さんになるの? お母さんのパートを引き継いで。なんだかいいね、そういうの」
 しかしアサヒはぼくの言葉に対して皺を寄せて言った。
「ええ、やだよ。あたしクレープ屋なんて絶対に継がないもん。あたしはね、絶対にこの四日市店を出るの。それで世界中を“旅”するの」
 ぼくはアサヒが車内で口にした聞きなれない単語をまた聞いた。
「“旅”? さっきも言ってたけど“旅”ってなに?」
「“旅”っていうのは、知らないものを見て知らない人に出会って知らないことを知ることだよ。昔の人はね、そういうことをする人が多かったの」
「ふーん、でも今の時代、どこもかしこもジャスコじゃん。それでその”旅”をしてもおんなじじゃないの? それってなんか意味あるの?」
 少し語調がきつくなったかもしれない。でも、ぼくは質問を取り消さずにアサヒの返答を待った。アサヒはぼくの質問に、うーん、と腕を組んで答えた。
「どうだろうね。でも”旅”をする人はそんなことを考えないんだよ」
「考えないって、その答えはズルくない?」
「でも、そういうものなんだと思うよ。勝手に足が動いたり、手が動くんだ。”旅”に出る人たちはそういう人たちなんだ、きっと」
「君の場合はさっきのターボ付き自転車ってこと?」
「そうだよ。自転車くらい小さな車体だと、右と左の排気量の調節が全然うまくいかなくって難しいんだけど、最近はやっと塩梅のいいところを見つけてきた。完成したら、あれに乗ってクレープともおさらばするんだ」
 アサヒはそう言い切ると生クリームがこれでもかと盛られたクレープをバクバクと大きな口を開けて一気に尻尾まで食べきった。
「それで伊勢湾海上店のことなんだけど」
 ぼくは頷いた。手に握っていたクレープの包み紙をぐしゃっと強く握る。
「本当に行くの? さっきもいったけど、あそこはもう14年以上前からずっと廃店舗になっていて、わたしたち四日市店店舗の住民ですら近づかないよ。たぶん店舗内は誰にも整備されず増殖が起きるがままになっていて、荒れ放題だし、土台の基礎の部分は老朽化も同時に進んでいて崩落の危険もあるかもしれない。本当にいったいぜんたいあなたはあんなところになにしに行くの?」
「君が世界を”旅”したいと思うのと同じようにぼくもまたどうしても行かなければいけない場所がそこなんだ」
 アサヒはぼくの言葉を聞くとじっとぼくの表情を試すように覗き込んだ。ぼくは瞬きをせずにアサヒの目を覗き込んだ。ぼくとアサヒの瞳が互いのなかでぶつかった。アサヒは一度だけ瞬きをした。
「わかった、ついてきて、伊勢湾海上店までの道を教える」

ぼくはアサヒに連れられて誰もいないシネコンのポップ・コーン売り場に入り、そこからさらにスタッフ・オンリーと白抜きで書かれた扉の中に入った。扉の中は従業員専用階段となっていて、そのままフロアを移動できるようだった。ぼくとアサヒはその従業員専用階段を一気に地下フロアまで降りた。無機質な灰色のコンクリートは冷え冷えとしていた。アサヒによるとグランド・フロアの下は海水が染み込んでいて寒さはそのせいなのだという。やがてアサヒとぼくは四日市店の最下層まで到達した。
「ここのフロアを東南方向にまっすぐいけば伊勢湾海上店の地下フロアに辿り着ける」
 ぼくは灰色の支柱が等間隔に立つ剥き出しのコンクリートの柱廊を見渡した。奥の方から海面へと風が抜ける高音が意気を挫くように鳴っていた。
「これ、持って行って」
 アサヒはずっと背負っていたリュックサックを降ろしてジッパーで開くと中から重たそうに引き鉄のついた金属の筒を取り出した。
「それはなに?」
「ショット・ガン。いつか四日市店を出て旅するときに持っていこうと思って作ってたんだけど、いまは必要ないからあなたに貸してあげる。なにがあるかわからないからね。一応持っていって」
「ありがとう」
 ぼくはアサヒからその長い金属の筒を受け取った。チョットした赤ん坊ほどもあるそれは受け取ると確かな重みを感じさせた。
「お世話になりっぱなしだね」
「いいの。ほんというと実はあたしもあなたがこうして来るのわかっていたの」
 ぼくは言葉の意味がわからず、眉間に皺を寄せて、アサヒにその言葉の意味を求めた。
「あたしもあなたが来るまでに“メッセージ”を受け取ったの。あたしのもとに運命の場所へと向かう同じ14歳が現れるって。そしてそれをあたしが導かなくてはならないと。みんなが閉店後に寝静まったあと、あたしだけに館内放送でその“メッセージ”は流れたの。最初は信じてなかったけど、あなたが現れたから……」
 見るとアサヒは震えていた。ぼくはショット・ガンのストラップを肩にかけると、アサヒの手を握った。そしてもう一度礼を言った。
「ありがとう。そうだ、あのヴェルファイアは君にあげる。たぶん、君ならうまく使いこなせそうだから」
「だめだよ。そんなもう二度と帰ってこないようなことをいっちゃだめ。ちゃんと帰ってきて。あたしとあなたはまだ出会って一日も経ってないんだよ。わたし、もっとあなたのこともあなたが住んでいた場所のことも知りたい。もっとゆっくりたくさんおしゃべりしたい」
「大丈夫、べつに死ににいくというわけじゃないから」
 しかしアサヒはそれでも眉間に皺を寄せてなおぼくを咎めるように言うのだった。
「なんだかとても嫌な予感がする。すごく嫌な予感が」
「大丈夫」
 それから、ぼくはできるだけ励ましになるようアサヒに口ずさむように言った。
「ジャスコでまた逢おう、ジャスコでね」

3.
 ジャスコ地下の柱廊を東南へと歩いていく。風の吹き抜ける薄暗い空間を進む。アサヒと四日市店で別れたときに時計を確認しなかったから、どれくらいの時間をいま歩いているのかわからなかった。
 伊勢湾海上店で何がぼくを待っているのだろう。
 誰もいないし誰も通らない地下に風の音とぼくの足音だけが響く。
 嫌な予感がするとアサヒは言った。もちろんぼくはみすみす死ぬつもりはなかった。そもそも伊勢湾海上店で何が起こるかなんてわからない。けれど、ぼくの人生において、それは決定的ななにかが起こるだろうということはわかる。
 背中にアサヒから貸してもらったショット・ガンの重みを感じる。
 どうしてぼくは高槻店を出てこんなところを歩いているのだろう。暗闇のなかでふとそんなことを思う。
“旅”っていうのは、知らないものを見て知らない人に出会って知らないことを知ること。アサヒはそう言った。どうしてそんなことをするのだろう。勝手に足が動いたり、手が動くんだ。”旅”に出る人たちはそういう人たちなんだ、きっと。アサヒはそうも言った。
 柱廊にはジャスコが増殖させたのであろう照明が薄暗い空間を10mごとに等間隔でこの真っ暗な空間に輝いて一歩また一歩と進むごとにぼくの行く先を照らした。この明かりの先に伊勢湾海上店がある。この明かりの先にぼくの14年間がある。家電量販売り場で“メッセージ”はぼくに言った。自身の運命を知れ、と。ぼくの運命とはなんなんだろう。お前は今、永遠へと至る道のなか。その声はそうも言った。永遠ってなんなんだろう。
 アサヒが言ったように確かにいまのぼくの両手両足は伊勢湾海上店へと誰に命令されるでもなく自然と進んでいった。

ぼんやりと薄暗い闇のなかに、ガラス張りの小部屋が見えてきた。なかにはエスカレータがあって、それが伊勢湾海上店に上がる道だった。ぼくがガラス扉の前に立つと赤外線センサーが反応して扉は左右に開いた。エスカレータは止まっていたが、中に入るとモーターが回転してぼくのために動き出した。磨かれた手摺がぐるぐると回転し始めた。ぼくはタイミングを見てその動く階梯に右足を踏み出した。
 エスカレータは地上フロアに続いているようだった。アサヒが言ったとおり店舗に人の気配は一切なかった。エスカレータはぼくを地上フロアまで運んでいった。
 地上フロアに辿り着くと、そこはスーツ売り場だった。ぼくは何着ものスーツの森を抜けていった。スーツ売り場を抜けると、サイフやベルトなどの紳士小物のコーナーで、その次に婦人服売り場だった。店員も客もいない静かな空間でこれらの商品たちはもはや誰に身に着けられることもなく、誰に着られることもなくただ整然とハンガーに掛けられて並んでいた。まるで地球から人間だけがいなくなって永遠に時が止まったかのようだった。
 そうして背丈ほどある商品群を抜けていくと、誰もいないサービスカウンターがあった。そこも通り抜けて進んでいくと天井屋根まで抜けた広い空間へと抜けた。空間の半分はまるで劇場みたいに座席が階段状に上階まで配置されていて、もう半分の空間はちょうど簡単なステージのように教壇と演説台が置かれていて、その上には催事用の巨大モニターが電源を落として二階から吊られていた。
 吹き抜け空間だ。それはジャスコの本質だった。ジャスコの本質で、ジャスコのアイデンティティだった。
 ぼくは吹き抜け空間に足を踏み入れた。広場の中央に不自然におかれた一台のチェアがあって、そこに一人の老人が気持ちよさそうに横たわっていた。チェアは寝椅子のように横たえられていて、老人は足の先から頭まで身体をそこに投げ出していた。
 ぼくはその老人のもとに近づいた。その老人は眼を開けて恍惚の表情を浮かべていた。チェアは背中から肩にかけてボールのようなものが電動で動いていて、それが動くたびに老人は気持ちよさそうに呻き声をあげた。老人は視界にぼくが入ってもまったく気づかず、心ここにあらずと言った様子だった。
 ぼくはその恍惚の笑みを浮かべている老人になぜか強く惹きつけられるものを感じて、顔を近づけた。広い額の上にセットされた白髪がポマードで固められて載っている。顔中は深い皺だらけで目はその中に埋もれて見えない。鼻梁は長い年月のなかで骨が沈んでいったのかほとんどなかった。ただ口元だけは神経が誤作動を起こし続けているようにただつきだしたり引っ込めたりという運動を繰り返し続けていた。
 ぼくは好奇心をおさえられずにその老人の広い額に触れようと右手を伸ばした。触った瞬間にもしかしたら電気ショックでも流れるんじゃないかという気がしているみたいに、そっとゆっくり手を伸ばした。
――来たね、ケイ、わたしたちのもとに。
ぼくは背後からから聴こえる声に、まるで悪いことを咎められた子どものようにさっと老人から手を引いた。慌ててぼくが振り返るとさっきまで真っ暗でなにも映していなかった催事用モニターが点灯していた。催事用モニターはどこかの国の草原に立つ大きな木を映していた。画面のなかでその木はただ青と白の背景を背に揺れながら立っていた。
――ケイ、わたしたちの運命の子。わたしたちの運命の担い手。
 高槻店の家電量販店売り場で聴いた“メッセージ”の声と同じだった。確かにこの声がぼくをここまで連れてきたのだ。
 ぼくは催事用モニターに叫んだ。
「ぼくはここ伊勢の海上まで来た。約束通り、あなたたちがいう14年前のジャスコとぼくの真実とやらを教えてもらおうか」
――よろしい、すべてを話そう、ケイ。わたしたちはいずれおまえになりおまえはいずれわたしたちとなるのだから。
「ディスプレイの後ろで喋ってないで直接出てきてくれないか。もうまどろっこしいのはなしにしてほしい」
――わたしたちの肉体はこの星を覆うジャスコそのものだ。そしていまこうして話している意識もその肉体から仮想的に作り出している。わたしたちの意識はそのお前が足をつけている輝くコンクリート、頭上でお前を覆う天井屋根、生産され吸収される食料品、衣料品、電化製品、その他ありとあらゆるジャスコで取り扱う生産品のその流通そのものだ。
「あなたたちはジャスコそのもの」
――そのとおりだ。そしてお前もまたわたしたちジャスコの一部。なぜならお前を作り出したのはわたしとお前の後ろの男そのものなのだから。お前はわたしたちのプライベート・ブランドトップ・バリュなのだ。

――ケイ、お前はわたしたちの子だ、そしてその後ろの男の。ケイ、何から話し始めようか。お前の後ろにいる男、その一族が始めたジャスコという大いなる概念、すべてはそこから始まる。2208年、すなわち14年前に当時の世界政府の首長であったその男は当時にあって最大の流通チェーンストアの最高権力者でもあった。その男は世界政府首長として考えた。度重なる戦火、止むことのない人類の争い、それを如何にしてなきものとして人類を次の段階へと進めることができるか真剣に問うたのだ。
 彼は日々の平和活動のなかで、貧しい国、政情不安の国であっても、果敢に新店舗を各国に出店していた。なぜなら食糧と日用品の安全な供給こそがなによりも人類の平和につながると信じたからだ。だがやはり争いは無くならない。むしろ人々はときにジャスコで戦争をして、ときにはジャスコを巡って争いすらした。それでもなにより平和を願ったその男はそのなかで思索を続けた。そしてその男は結論に至る。人々が争うのは、まだジャスコが”完全”へと至っていないからだ、と。
 男は自分が理想とするジャスコという概念の拡張を考えた。ジャスコを中途半端な食料品と生活用品の提供するたんなる小売りではなく、むしろその経済を始めとするあらゆる人類とそして惑星の循環サイクルを生成し維持するシステムと化してしまえばいい。男はそのとき人間と惑星をひとつとしてまとめ上げることを考えたのだ。現在の人類と惑星の問題は、それぞれが個々として閉じられた無数の系としてあって、それが一つの大きな循環を成していないこと。それこそが人々の争いの原因だ。この惑星に存在するすべての系を一つにまとめ上げて循環させること、それこそが人類を次の段階に進化させる方法だと男は考えたのだ。
 人間と惑星のジャスコによる完全な循環システム。それこそが男の考える完全な生命のかたちだった。
 男は当時この伊勢湾の海中のなかで発見された細菌に目をつけた。その細菌は球状の群体を作り出すある特殊な小魚の脳に付着する新種の細菌だった。研究の過程でその特殊な小魚の一匹と完全なる系を成す群れの関係はどうやらその脳に付着している新種の細菌の働きによるところが大きいことがわかっていた。男はこの細菌をジャスコで使われていた有機コンクリートに混ぜ込んだ。その結果意志を持たないはずのコンクリートが自らセントラルドグマを起こして自己増殖を行い始めたのだ。
 男は確信した。これで惑星中をジャスコで覆い、そしてそこに住む地上の生命すべてにその菌を通して一つの循環システムを創り上げることができる。それはジャスコと人間をサイクルさせることによる男が理想とした”完全”だった。
 人間と惑星とジャスコによる完全なる一つの循環システム。男はそれをイオンと名付けた。惑星流通完全循環生命システムイオン。その起動実験、それが男が14年前に行ったことであり、ジャスコの大増殖の原因だ。

――14年前のジャスコ大増殖。それは巨大流通チェーンを統べる一人の男が考え出した惑星と人間のジャスコによる完全循環生命システムイオンのための起動実験だった。けれど実験は失敗した。細菌による有機コンクリート、それを生命とするためには14歳の脳に宿る意志が必要だった、けれど、男は自らの脳をその実験台に使った。それが失敗の原因だった。
 ジャスコの有機コンクリートに混ぜ込まれた細菌はまずその有機コンクリートを自らの肉体として増殖させる、そこまではよかった。だが有機コンクリートには人間のような意志がない。だとするとそれは増えるだけであって、循環を持つ生命と呼ぶことはできない。男が望んだのは、惑星を他我の境界無くしたひとつの生命として実現することだった。このままでは観念を持つ人間をそのシステムのなかに組み込むことができなかった。完全循環生命は生命として一人の人間の意志が必要だった。
 そしてそれは第二次性徴期で活発な性腺刺激ホルモンを分泌する14歳の少年少女の脳である必要があった。だが男は実験の段階ではそのことに気づかず自らの年老いた脳で実験を行ってしまった。結果としてジャスコの肉体である有機コンクリートの増殖には成功したが、惑星上の人間の統一には失敗してしまったのだ。
 ケイ、お前はそのために作られたのだ。すなわちジャスコというわたしたちに与えられる新たな14歳の脳とその意思として。ジャスコはお前の母であり、後ろのその男はお前の父なのだ。

ケイ、お前はわたしたちとその男によって作られた。
 意志をわたしたちに捧げようとしたその男は完全循環生命システムイオンのために眠りにつき、いまや精神を喪ってその肉体を深部細胞マッサージによるDNA刺激のみで肉体だけを永久に維持する存在となってしまっている。もはやその男が目覚めることもないし、わたしたちと意志を統一しようとすることもできない。ケイ、わたしたちにはお前が必要なのだ。
 14年前に細菌を混ぜ込み自己増殖を得るなかでわたしたちは生まれたが、わたしたちには意志がない。わたしたちはいまこうしてお前に話しかけているが、それは結局のところ有機コンクリートの増殖過程のなかでただ増えようとする自動性を持つだけのもので、この思考も判断もただそれだけのための疑似的なものに過ぎない。
 ケイ、意志を持つ者と疑似的に似せられたそれしか持たない者の違いがお前にわかるかな。それは死を自ら望むことができるかどうかなのだ。人間だけが所有し、そしてその意志の力によってなすことのできること、それは自殺だ。自ら死のうとすることだ。
 わたしたちは死を望むことができない。わたしたちは増え続けようとすることしかできない。そして逆説的なことだが、それがいまわたしたちジャスコを死に追いやろうとしている。
 ここに来るまでのアーケイドの道で、過増殖によって壊れたジャスコをお前は見てきたろう。あれはわたしたちがわたしたち自身において増殖を止めることのできなくなり、死に向いつつあることを示す兆しだ。
 わたしたちはいまこの惑星のうえで99.7%地表を覆い、その増殖を完成させようとしている。その増殖は今まさに完全な100%に至ろうとしているが、しかしそれを越えて101%の過増殖にすぐに至るだろう。そうなれば、惑星全体で過増殖に入り、それはわたしたちジャスコの崩落つまり肉体の死を意味する。
 わたしたちには人間と異なり意志を持たないがゆえに自らの細胞をアポトーシスさせる細胞自死機構が備わっていないのだ。肉体は100%を越えてしまい、その過増殖において自らを破壊してしまう。わたしたちは生き残るために死を望むことのできる意志を手に入れないといけない。
 ケイ、お前はそんなわたしたちのための来るべき意志のために造り出されたのだ。わたしたちは14年前の起動実験の結果が明らかになると、すぐさまその失敗原因を解析して、真の実験の成功のために準備を始めた。わたしたちは眠りに入った男のDNA情報を転写すると、新たなる生命新種を研究する北欧の店舗であるジャスコスヴァールバル店に密かに作り出していた研究施設でお前のためだけの生産ラインを用意した。
 わたしたちはあらゆる製品を生産して流通させるノウハウを持っている。人間を一人新たに生産させることなどわけがなかった。わたしたちはお前を男の遺伝子情報から生産させると、脳が第二次性徴に入るまでのあいだジャスコ高槻店に預けることにした。わたしたち自身の手で育てることもできたが、14歳への健全な発育には可能な限り特別ではない一般的な環境がよいと判断したのだ。
 わたしたちはお前の親として14年間ずっとあらゆるジャスコの建材からお前を見守ってきた。わたしたちはお前のことなら何でも知っている。お前はわたしたちによって生産され、わたしたちの作り出す製品によって育ち、そしてわたしたちの建材によって庇護されてきたのだ。お前は完全なるわたしたちジャスコの子だ。
 ケイ、さあわたしたちはひとつになろう。先ほども言ったとおりわたしたちの増殖過程はもはや99.7%に達している。それはすぐに100%の完全になり、そしてすぐに101%の過増殖域に達する。この惑星は、わたしたちジャスコの肉体はまもなくこのわたしたちの内側で暮らす愛おしい従業員たちもお客もすべてを巻き込んで崩れ去るだろう。もはやそのときになってわたしたちジャスコの外部はなく、逃げる場所もない。よしんば人々が崩落から逃れたとしてももはや生産と流通というあらゆるインフラを惑星レベルで網羅してしまっているわたしたちジャスコ抜きで人間はどうやってその後生きていく? 住む場所も食べる場所もそしてこの唯一無二の快適さは二度と戻らない。わたしたちがいなければ人間はもはや生きていけぬのだ。ジャスコの外で人間はもはや生きていけないのだ。
 ケイ、お前がわたしたちとひとつになり、この惑星と人間を導こう。それこそが究極完成された永遠イオンへと至る道なのだ。お前のその14歳の意志をこのジャスコに捧げよ。ここでお前はジャスコの王になるのだ。

催事用モニターから語られる“声”が話し終えた。声が話し終えると、他に話すものはなく沈黙がジャスコの吹き抜け空間を支配しようとした。けれど、ぼくにはまだ聞くべきことがあった。
「あなたたちジャスコと一体化するにはどうすればいい?」
――簡単なことだ、後ろのそこで眠る男を殺して、ただマッサージチェアにその身を横たえればいい。あとはわたしたちがお前の意志と肉体をわたしたち自身の手で繋げる。心配は要らない。すべてはわたしたちがやる。お前はただ痛みも不快感もなく眠り、そしてわたしたちとこの惑星とそのほかの人間と一体になり永遠に生き続ければいい。
 ぼくはディスプレイに向けていた顔を振り返り、後ろの男の顔を再度覗き込んだ。ぼくの父親、ぼくの遺伝学上のオリジナル、14年間眠り続けている寝たきりの老人。それを殺す。ぼくは背中のストラップの重みを感じた。
「あなたたちと一体化しなければどうなる?」
――それはすでに説明したことだ、ケイ。もしお前がわたしたちの一体化を拒みその意志を捧げぬのであれば、わたしたちの増殖は過増殖域に入る。それはわたしたちジャスコの死、すなわちこの惑星中を張りめぐらしている建屋の崩壊、そして人間を擁護している生活インフラというゆり籠が完全に破壊される。完全管理で自動生産されていた食料品は途絶えるだろう、人々があたりまえのように使っていた日用品の供給も止まる。住居として使用されている店舗も完全に終わるし、なにより最後は地下原子炉店舗が崩れ去りそこから大量の汚染物質が蔓延るだろう。飢餓、物不足、生活空間の崩壊、エネルギー汚染、人類がこれまで経験したことのないレベルでの災厄が訪れる。
 つまり、簡単に言って世界の破滅ってわけだ。ぼくは不思議と笑みがこぼれてきた。壮大な破滅が間近に迫って感じられると人は笑えてくるものらしい。
「ではぼくがあなたがたと一体化するとどうなる?」
――それもすでに説明したことだ、ケイ。それは14年前に失敗した完全循環システムイオンの起動だ。わたしたちジャスコの意志はお前の意志となり、お前の意志はわたしたちジャスコの意志となる。過増殖は防がれて、これからも人間はなにも変わらずジャスコの内側で暮らし続ける。お前の意志を得たわたしたちはこんどこそ男が望んだように人間の意志に直接触れ、食糧品や日用品、居住区などの生活空間、エネルギー、その提供を越えて人類とひとつになる。それは物理レベルでも観念のレベルでも文字どおりこの惑星の者たちとの完全な一体化だ。人間は惑星ごと次の階梯を登ることになる。それは生命としての進化と呼んでもいいだろう。
「なるほど、わかったよ」
 選択肢は示された、その結果と共に。
 ジャスコにぼくの脳を与えてやりぼくの意志ってやつを提供する、あるいはしない。それが選択肢。
 結果はこのままジャスコがバーンと弾けてぶっ壊れ諸共みんなで死ぬか、あるいはみんなで完全なジャスコになるか。
 わかりやすいといえばわかりやすい。
 古典的な、生か死か。
 ただしこの場合の生はジャスコということを意味するのが特殊だ。
 ジャスコか人間か、そう言い換えてもいいのかもしれない。
 快適で全自動で愉快も不愉快もないぼくたちの豊かな暮らし、その普遍性、その永遠。
 皆がジャスコ製の日用品を手にして、そしてフードコートで笑い、幸福な一幕が永遠にあり続ける。結構なことじゃないか。素晴らしいことじゃないか。ジャスコで生まれ、14年間ジャスコで育ったぼくにどうしてそれが否定できる。どうしてその幸福を安っぽくてくだらないものだと嘲笑い、唾棄して、放り投げることができる。できやしない。
 ぼくはストラップを肩から外す。そして与えられたショット・ガンの銃尾に触れてやがて引き金に指を掛ける。ぼくは真っすぐにそれをマッサージチェアの男に向ける。
――そうだ、ケイ、これこそがお前の運命、ジャスコがお前の生まれた地であり、そしてお前が死ぬ墓場だ。その運命に出口などない。出口など必要ない。ジャスコのほかに人間が生きるすべはない。その外部などないのだ。ジャスコの外に世界はない。
 ぼくの14年間はなんのためにあった? 
 それはこのためにあった。そう、この重いショット・ガンを向けて人差し指を僅か手前に引くこのときのためだけに。
 14年間高槻店というジャスコで暮らして、ただその内側で暮らして。なにもなかった。本当と呼べるものはなにもなかった。きっと薄々気づいていた。予め用意されて、今のこの日の為だけにただこの過去14年はあった。それ以外はきっとなにもなかった。無意味。店長や従業員のみんなは優しくしてくれたけど、やっぱりぼくはこのコンクリートの内側で自分がここにいる意味がなかった。偽物のような場所で自分は偽物のように生きていた。
 ぼくはショット・ガンの照星を覗き込む。ぼくはぼくの14年間を完成させるために引き鉄に力を籠める。ぼくの与えられた運命、ぼくの与えられた意味、ぼくのなにもなかった14年、それを完成させるために、ぼくのジャスコのその普遍性を完成させるために。
 ぼくはここでジャスコを受け入れる。きっと、それは正しいことだ。店長もアサヒもみんなをこのジャスコになって救うことができるなら。ぼくはショット・ガンを強く握りしめる。引き鉄に神経を集中させる。
 さようなら、さようなら、さようなら。
 ぼくは口に出さずになんども頭のなかで繰り返す。
 そして頭のなかのあの子の声が返す。

本当に?
 本当にって何が?
 本当に?
 これでいいの?
 いいんだよ。
 でもまだ何にも話してないよ。
 あたしはもっとたくさんおしゃべりしたいよ。

長い時間が経つ。
 指は引き金にかけたまま。ジャスコはなにも言わない。ぼくもなにも言わない。
 長い時間が経った。
 ぼくは頭のなかのあの子にいう。

そうだなあ、まだぼくらはなにも知らないよね。

ぼくはショット・ガンを構えたまま振り返る。銃口の先は巨樹を映し続ける催事用モニター。
 そう、ぼくたちはまだなにも知らない。ぼくたちはまだフードコートのうどんや甘いクリームでいっぱいのクレープしか知らない。たとえそれに食べ飽きていたとしても。それ以外になにもないとしても。まだ14歳のぼくらはなにも知っていないし、試してもいない。だから。だからぼくらは”旅”に出なくちゃいけない。ぼくはあの子のことを思い浮かべる。高槻店にいるだけなら決して出会えなかったあの子。ぼくらの世界には旅に出る理由がある。きっと。
「ジャスコの外に世界があるかなんて知らない。でもぼくは出たい。これまでの14年に意味がなくても、これからの14年に意味がないかどうかはわからない。だからぼくはまだこれからもぼくであり続ける。そうでなくちゃ。そうでなくちゃいけないんだ。誰かと出会うために、“旅”をするためにはぼくはぼくでなくちゃいけないんだ」
 ぼくは銃口をジャスコに向けたまま引き鉄を弾いた。
 誰もいない吹き抜け広場に銃声はこだまするように響いた。

4.
 ぼくの頭上には穴の空いた催事用モニターが煙を立てている。
“声”はもう何も言わない。ぼくはジャスコを撃った。ぼくはいつまでもずっとショット・ガンを構えたまま動けなかった。そしてコンクリートの足元にしばらくすると大きな揺れがやってきた。揺れる足元からは地下の柱廊がまるで関節を外すような音で崩れるのが聞こえてくる。崩落した壁から海水が流れる音も聴こえる。それは“声”が言っていたようにジャスコの惑星可増殖がついに始まった音だった、99.7%から100%、それを越えて101%。ジャスコはついに崩壊するのだ。
 ぼくはようやくショット・ガンの構えを解いた。ぐずぐずしていると崩落に巻き込まれる。どうしたらいい。しかし考えても無駄だった。崩壊して浸水を始めた地下から海水がこのグランドフロアに上がり始めている。
 ぼくは正気に戻るとまたショット・ガンを背中にして吹き抜けから駆け出した。すでに海水はこの吹き抜けのフロアにまでやってきた。大きな水栓を抜いたような高音が罅割れ始めた床から噴き出し始めた。ぼくはいまや止まってしまったエスカレータを駆けあがる。だが海水が浸水してくる速度はどんどんと上がっていき、ぼくが二階のフロアに足を踏むころには一階の床はすでに水浸しだった。
 海水が上がってきているのか、伊勢湾店が沈んでいるのかわからなかった。ただわかるのは上にあがるしかないということだった。ぼくはさらに三階までエスカレータを駆けあがって気づけば四階に到達していた。すでに二階部分は水没している。四階は天井フロアになっていて、自販機の並んだちいさなエレベータ・スペースを出ると、そこは屋上駐車場だった。
 外はまだ明け方で光は薄暗かった。屋上駐車場には一台も車は止められていなかった。駐車場の出口には、連絡橋の入り口があったがすでに崩落で完全に水の底に沈んでいた。
 また大きく足元が揺れた。どうやら三階を支える柱が折れて完全に浸水したらしい。足元から海水が迫ってきている。伊勢湾店はどんどんと水面にまっすぐ引き込まれていく。屋上駐車場のコンクリートが割れる高音がして、一階にいたときと同じようにそこから水が噴き出してきた。
 生き延びなきゃ。なんとかして生き延びなきゃ。ぼくはそう思った。
 しかしなにもない屋上駐車場でできることはない。せめてぼくは一番高い位置にあるジャスコの赤紫の屋号がある梯子にしがみついて揺れながら必死にあがるだけだった。屋上駐車場もとうとうと海面に没しつつある。
「ケイ!」
 ぼくじゃない誰かの声が頭上でした。
 ぼくが声のした方向を見上げると。ヴェルファイアが宙を浮いていた。サイドパネルには、あの自転車に取りつけられていた飛行用のターボが取り付けられていて、車体の底部には二つ大きなファンのプロペラが回転していた。
「アサヒ!」
 ぼくは自分の位置を報せるように、ヴェルファイアに向って声を張り上げた。ヴェルファイアは一度空中で旋回するとぼくのもとに滑るように着地した。助手席の扉をアサヒが蹴って開いた。「乗って!」

横でアサヒが興奮したようすで話していた。
「自転車ほど軽かったら空中制御も難しいけど、あなたがくれた“車”で試したらこんなにうまくいくなんて」
 ぼくはリアウィンドウの窓を開けて、足元の伊勢湾海上店を見る。赤紫のジャスコの屋号もとうとう海中に没した。ぼくはジャスコが調整する空調ではない風を頬と額に感じた。海水を僅かに含んだ外の風は強い塩の匂いを含んでいた。
 ぼくは足元の伊勢湾海上店から目を上げた。薄暗い未明の空と海の向こうに光が現れた。
 海面は雲の向こうの光りを受けてすべてを飲み込む暗闇から揺らめく輝きへと変わっていく。一羽の海鳥がその輝きを受けて水平線の向こうへと先導するように羽搏いていく。
「ねえ、お客さん、どこまで行きましょうか」
 アサヒがふざけて、ぼくに問いかける。
「じゃあ、どこまでも。できるだけ遠く。このジャスコの果てまで」
 かしこまり。アサヒはそう笑って応える。アサヒは改造したターボ噴射のためのアクセルを全力で踏み込んだ。ターボが燃焼して、ヴェルファイアの速度が上がった。ぼくらは永遠イオンを越えた先まで向かう。

文字数:23135

課題提出者一覧