アンタレスの歌声

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梗 概

アンタレスの歌声

かつて、電気信号を脳へ送信することで感覚を追体験する装置の研究が行われていた。追体験の素となる実体験の記録には、感覚過敏症の少年少女が用いられた。少女は、植物の根が発する電気信号を脳へ流してくれと頼む。植物の感覚を追体験し、大好きなヒナゲシの花を口に含むことで、意思が遺伝子を選びなおし、少女はヒナゲシへと“転生”した。もう一人の少年は、自分の憧れである銀河鉄道には遺伝子がないため転生できないと絶望する。

それから十年後、感覚の電気信号を記録した DNA を飴状に固めた“想憶(そうおく)の飴”を口中で舐め、舌に取り付けた装置、“舐読(しどく)”を介して様々な感覚を追体験する娯楽が流行する。女子高生の甘凪(あまなぎ)も、音楽や海外旅行などを記録した想憶の飴を楽しんでいた。
甘凪の高校では、二つの噂があった。一つは、「あなたは何に生まれ変わりたいですか?」とだけ記載され、あとは記入欄しかない旧式のウェブサイトだ。記入しても大半は何も起きないが、時折、書き込んだ学生が行方不明になったという。もう一つの噂は、全くの無口な琴木(ことぎ)先輩だ。
ある日、甘凪は誰も残っていない学内で、空き教室から流星のように美しい歌声を聞く。声の主は噂の琴木先輩だった。
琴木先輩は、自宅で飼っているカナリアの歌声に敵わないことを憂いて人前で声を出したくなかったと教えてくれる。カナリアには、星の瞬くように歌いたいという自身の願いを込めて“アンタレス”と名前を付けていた。
「星震(せいしん)学では、星の瞬きを音楽に変換できるんだ。僕も、星のように歌いたい。うちのカナリア、アンタレスみたいに」
甘凪は冗談として、噂のウェブサイトを琴木先輩に教える。その場で先輩が夢を記入すると、「行かなきゃ」と言い残し、琴木先輩は行方不明となる。
行方不明となった先輩を探すため、甘凪はウェブサイトに「琴木先輩の歌」と記入する。すると、「あなたの夢は選ばれました」と表示され、住所の案内が届く。
住所へ出向くと、外見はペットショップであった。店主に案内された店内の奥には、見たこともない異形の生物や、赤いカナリアがいた。最奥には人の姿をした植物が根を這わせており、その隣に座るよう促される。
「君の望む歌を電気信号に変換し、DNA に記録した。たとえ生物でなくとも、電気信号に変換できるあらゆる転生が叶うのかに興味がある」と話す店主に、想憶の飴を手渡される。琴木先輩の美しい歌声を思い、強く祈りながら甘凪は想憶の飴を舐めた。すると、全身が弾け、音楽を奏で始める。「本物の星みたいに、歌えてる」と言い残し、甘凪の身体は音楽となって消えた。

星も歌うことを知った店主は、懐かしい小説に出てくる蠍座の赤い星、アンタレスの歌を電気信号として記録する。完成した想憶の飴を舐めながら、その星の姿へと向かっていく今、この瞬間こそ、銀河鉄道になれたのだと喜ぶ。

文字数:1195

内容に関するアピール

意思が遺伝子を選びなおすことをテーマに、生まれ育った身体という場所から、蠍座のアンタレスへ向けて旅立つあらすじにしました。
もし選べるなら、わたしはベニクラゲに転生したいです。彼らは老いるとポリプと呼ばれる幼体に戻るという若返りを行うので、不老不死であると考えられています。問題は、水中だと本にアニメにニチアサ、ポケモンを楽しめないことでしょうか。
冒頭は昔書いたショートから持ってきています。当時は少年の夢を叶えられず絶望しましたが、「シリウスの心臓」という楽曲と出会い、彼の夢を叶える方法、星震学に思い至りました。
さて、星の瞬きには原因が二種類あります。一つは地球の大気による光の屈折。もう一つは、星そのものの表面が振動しているもの。では、作中の彼が測定した星の瞬きは、どちらが原因だったでしょうか? 彼はきちんと、憧れの銀河鉄道よろしく蠍座のアンタレスへと旅立つことができたのでしょうか?

文字数:395

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アンタレスの歌声

 利己的な遺伝子。僕たちは遺伝子に縛られて生まれてきた。逃げ出すことはできず、僕たちはただただ、遺伝子の乗り物として生きるしかない。僕たちは遺伝子のために産まれ、生きている。僕と同じだったはずの彼女が“転生”するまでは。自らの意志で、遺伝子を選びなおすまでは。
 あらゆる感覚は電気信号に変換されて、単調な情報として脳に伝えられる。音楽にバイオリンは必要ない。バイオリンを再現できる電気信号があればいい。テレビが三色の点で世界を描くことと同じだ。味だって、香りも触覚だって、電気信号に過ぎない。電気信号さえあれば、何だってできる。どこへだって行けて、あらゆる体験が可能となる。
 僕たちは、あらゆる体験のもととなる電気信号を記録するために選ばれた遺伝子だ。
 より鮮やかな、鋭利な感覚を持つように遺伝子を選ばれて産まれてきた。吠えない犬、アルビノの蛇と同じ。捨てられた灰色の子供たちはたくさんいる。そんな中で、僕と彼女は白銀の最高傑作だ。あらゆる経験を知覚して、あらゆる経験を記録された。空の青さも知らないこの研究は、いずれ世界をひっくり返す。僕たちの先生はいつもそう言って、目を輝かせていた。
 最高傑作の僕たちには何でも与えられた。遺伝子に選ばれなかった灰色の奴らとは違う。知識が感覚を研ぎ澄ますからと、様々な学問に、芸術に触れた。僕のお気に入りは銀河鉄道の夜だ。あらゆる体験の末に、まだ触れたことのない宇宙への旅に憧れた。僕は銀河鉄道になりたかった。
 この憧れすら、遺伝子の選択だとは思わない。僕という意志が選び取ったものだ。
 僕と同じ遺伝子に縛られた彼女もまた、彼女だけの憧れを抱いていた。
「植物だけが、わたしのために笑ってくれる」
 彼女はいつもヒナゲシの鉢植えを抱きかかえていた。
 ある日、先生がこんな提案をしたんだ。
「君たちは本当に素晴らしい感覚の持ち主だ。その素晴らしい遺伝子への敬意として、何でも一つ、願いを叶えてあげよう」
 その日はミュージックホールの肌感覚を記録した日で、手のひらがまだぴりぴりとピアノの旋律に震えていた。帰りの汽車で僕は銀河鉄道の夜を読み返していたし、彼女はヒナゲシの花を愛おしそうに撫でていた。
 願いだなんて、今、こうして銀河鉄道に酔えていれば何も思いつかなかった。いいや、銀河鉄道の感覚なんて記録できないのだから、こうして夢想するしかないことを僕は知っていた。このちっぽけな身体に、貧相な遺伝子に縛られていては、僕の憧れはしょせん、憧れでしかないのだ。煌めく星をどれだけ視覚に送り込もうと、それは目をつむってみる夢と同じ。銀河鉄道になることは叶わない。
 だから、僕は首を横に振った。
 同時に、彼女はこう願ったんだ。
「植物の根は、脳のようだと聞きます。根の電気信号をわたしの頭に流してください」
 そう言って、鉢植えをカツンと放り出す。割れたレンガの中から、目一杯に絡まった根がまるで脳のようなその姿を露わにした。
「わたしは、植物の感覚を体験したい」
 この時すでに、彼女の意志にははただの体験に留まらない計画があったんだ。
 研究所に戻ってすぐ、彼女の願いは準備された。普段は僕たちが身に着ける記録装置が張り巡らされたヒナゲシの根はとても不格好だったし、同時に不気味だった。彼女は目を輝かせながら記録の追体験装置へ体を預けた。
「このことは、秘密ね」
 そう話す彼女は、口中に含んだ大好きなヒナゲシの花弁を見せてくれた。別れの言葉みたいだった。
 先生がスイッチを押す。無理につなぎ合わせたコンピュータが、溢れ出さんばかりの植物という感覚に悲鳴を上げる。僕たち人間も、植物も、同じだけの情報量を持って世界を感じているんだ。そこに、遺伝子の差はないんだ。
 差はないのに、僕はこの身体という遺伝子から逃げ出せないんだ。
 そう思った刹那、彼女が彼女だったものに変化した。いや、彼女という遺伝子が捨てられた。彼女という意志が、新たな遺伝子を選び取ったからだ。
 彼女は植物に“転生”した。人間としての遺伝子に面影はなく、彼女という意志は巨大なヒナゲシの蔦に姿を変えていた。”ほんとうのさいわい”だ。
 この日を機に、空を知らないこの研究は土に埋められることとなった。
 僕は、僕の意志は、どうすれば銀河鉄道という憧れを叶えられるか、そればかりを問うて十年が過ぎた。別の遺伝子を選び取った彼女のように。僕は僕という遺伝子を捨て去れるほどの、別の遺伝子と出会いたかった。あれこそが”ほんとうのさいわい”なのだから。
 銀河鉄道に、遺伝子なんて存在しないのに。

 星の歌声、天使の喉を持って僕は産まれてきた。音を紡げば夢の淵、言葉を編めば満天の空。僕の歌声は、僕の遺伝子が勝ち取った宝石だった。星も歌うというけれど、僕の声には敵わない。そう信じ切れるほどに、僕は僕自身の歌声に酔いしれていた。
 あのカナリアに出会うまでは。
 鮮やかな、燃えるような赤い羽根のカナリアだった。何よりも、その歌声だ。夜空の全てが降り注ぐ、星のように美しい声。音の一粒、一粒がルビーのように輝いて見えた。夏に輝く蠍座の一等星、アンタレスだ。
 きいんと、たった一声歌っただけなのに。
 僕はその場で泣き崩れていた。
 連れ帰ったカナリアに、その日から僕は歌を奪われてしまった。
 アンタレスの歌こそが、本物の星の歌だ。人間の僕では、この喉では、決して敵うことのない彼方に輝く一等星の歌声。人間は、どう足搔いたってこのカナリアより美しく歌うことはできない。僕の遺伝子ではこの歌声に届かない。
 星の瞬きには二種類ある。星そのものが振動して歌っているものと、地球の大気によって瞬いているように見えるまやかしと。僕の歌声はまやかしの方だった。
 涙の底に赤く灯る、星の歌。アンタレスの歌声こそが、”ほんとうのさいわい”なんだ。

 遺伝子がただの記録媒体として扱われるようになったのは、僕にとって少しだけ幸福だった。遺伝子なんて所詮,磁気ディスクや半導体と同じ、便利な道具に過ぎない。生き物ではないんだ。そこに意志なんて存在しない。そう思うと、勝ち誇ったような清々しさがあった。
 彼女の“転生”から十年、土の底で細々と研究は続けられていた。時間を追うごとに遺伝子が人間に従えられていくようで、僕は快く研究に協力した。
 そうして完成したのが、“想憶(そうおく)の飴”だ。あらゆる感覚を電気信号に変換し、遺伝子という記録媒体に保存する。この、道具としての遺伝子を練り固め、口中で舐めることで舌に装着した“舐読(しどく)”を通じて感覚の追体験が行える。遺伝子に選ばれた僕たちが、ただの娯楽として遺伝子を消費する。追体験そのものより、この優越感こそが最高の娯楽だった。
 “想憶の飴”は瞬く間に流行した。飴玉一つでどんな料理も、音楽も味わい放題だ。目を閉じれば肌まで震える映画を鑑賞でき、空飛ぶ夢も海底の安らぎも思いのまま手に入る。誰もが当たり前に“舐読”を装着し、“想憶の飴”を、遺伝子を消費する。僕たちは、遺伝子を便利に利用する側へと昇りつめた。遺伝子に囚われる惨めさから解放されたのだ。
 それなのに、僕は未だ、遺伝子を選び取った彼女から離れられないでいる。土中の研究室に閉じこもった僕の意志が、遺伝子を選びなおしたいと叫んでいる。銀河鉄道は遥か彼方、僕の夢は夜の向こうを走ったまま。
 夢の叶え方を見つけるため、僕は沢山の意志で実験することにした。

 

 巷で噂の旧式サイトは、今日も話題に事欠かない。わたしのクラスにも一昨日から欠席が続いている生徒がいる。きっとあのサイトだ。誰も彼もが小声で、ひそひそと囁きあう。
 どんな願いを書いたんだろうね? って。
「甘凪もなんか書いてみなよ」
「いやだよ、怖いもん」
「『あなたは何に生まれ変わりたいですか?』か。なんか思い浮かぶ?」
「美少女とか?」
 サイトはとても簡単な作りで、三十年は前の世代ですら手抜きと言われそうなほど質素なものだ。背景は黒一色、嗅覚拡張どころか、音も鳴らない。画面にはただ一文、ピンクとも紫ともつかない生々しい色で『あなたは何に生まれ変わりたいですか?』とだけ。あとは記入欄が一つ。都市伝説にしてはあまりに知られすぎていて、ちっとも怖くなんてない。実際に入力したという友達も、『あなたの夢は選ばれませんでした』と表示されたスマホを見て笑っていた。でも、わたしのクラスだけで既に二人、行方不明になっている。彼らが何を願ったのかは誰も知らない。
「そういえばさ、今日も琴木先輩、ひとっ言も喋らなかったんだって」
「入学してからずっとでしょ? もうじき五百日達成だっけ?」
 噂話の絶えない高校生活において、あの簡素なサイトも数ある話のタネの一つに過ぎなかった。娯楽なんて、溢れているくらいでちょうどいい。スマホは持ちっぱなし、“舐読”はつけっぱなしなのと同じだ。噂は両手いっぱいに。“想憶の飴”は口いっぱいに。新作の飴が出るとかで、友達は部活をサボり帰ってしまった。
 夏の夕暮れが色濃い。雲が身を燃やすように鮮やかな紅色だ。噂話もほどほどに、同好会だから練習もほどほどに、放課後の終わりが赤々と沈んでいく。手狭な軽音楽部の部室といえど、一人で掃除するのは一苦労だった。もう、ほとんど誰も学校にいないだろう。
 目を凝らせば、窓の向こうには薄っすらと星が散りばめられている。
 そうして耳を凝らせば、薄っすらと音が、瞬いて聞こえた。
 向こうの空き教室だ。一人、唱えるように歌っている。こんな時間に、誰だろうか。歌声が消えてしまう前にと、箒を放りわたしは急いで空き教室へと向かった。
 星灯りみたいに、澄んだ声。琴木先輩だ。
「先輩の声、きれい」
 扉を開けるなり、言葉が口をついて出た。一方の先輩は驚いた様子で固まっている。誰もいないと思ったのに。そう、顔に書いてあった。
「す、すみません。急に入って」
「え、あ、ううん」
 それきり、先輩はうつむいてしまう。揺すられた線香花火のように、先輩の歌は消えてしまった。
「すごくきれいな歌だったので、つい」
「きれ、い? 僕の歌が?」
「きらきらしてて」
「そ、そうかな」
 琴木先輩は途切れ途切れに言葉を返してくれた。言葉というか、意味を持った宝石の粒を渡された気分だ。無口だという噂が嘘みたいに、きれいな声。
「ぼ、僕ね、この声が嫌いなんだ。全然きれいじゃなくて」
「星空にできるくらい、きれいでしたよ」
 星。その言葉に反応して、琴木先輩はピクリと眉根を釣り上げた。
「それは、君が星の歌を知らないからだよ」
 琴木先輩は夜の薄墨が広がる窓を指さした。わずかな星明り、南の彼方には蠍座が控えている。それから何度も、何度も先輩は喉を震わせた。甲高い、瞬くような声。宝石のように輝きが降り注ぐ、きれいな声。たった一音を長く奏でれば、編まれた天の川のよう。
 それなのに、琴木先輩は苦しそうに空の向こうを指さす。
「アンタレスには、敵わない」
 自らの歌を嚙み千切るような先輩の嘆きを、わたしは聞いていることしかできなかった。震える指先をぎゅうと閉じ込めて、先輩はもう一言だけ、すまないと声を紡ぐ。それすら六等星を散らしたようで。
「うちに飼っているカナリアがいてね、大層きれいに歌うんだ。それこそ、星のように」
「先輩は、そのカナリアみたいに歌いたいんですか?」
 わたしはつい、巷で噂のあのサイトを教えた。サイトへ記入するなり、琴木先輩は何かに憑りつかれたような形相で教室を出て行ってしまった。
 だって君は、泣かなかったじゃないか。
 別れ際にそう呟いた先輩の声が、朧火のように胸の奥で揺れる。

 

 『あなたの夢は選ばれました』。僕の端末にはそう表示された。続けて、地図の案内。町はずれにあるペットショップだ。星灯りには目もくれず、僕はその場所へ向かった。
 もう夜遅いだろうに、ぽつんと佇むペットショップの看板は煌々と焚かれている。人気はなく、入り口からは中も見えない。恐る恐るドアを開けば、特有の動物臭が鼻を突く。
 ペットショップというには、奇妙な取り合わせの生き物が並んでいる。真っ白なワニに、小型のこれは、ライオンだろうか。黒い鬣を枕に眠っている。水槽には目に毒々しい鱗が光り、よく見ればそれらは皆、金魚らしき姿だった。隅のケージでは、大小さまざまなモルモットが三毛の身体を寄せ合っている。
「いらっしゃい」
 店主らしき青年は、僕を見るなり天井を指さした。赤いカナリア、僕のアンタレスだ。店主が鳥かごを降ろすと星の声できいんと鳴いた。
「君の夢は、この鳥だろう?」
 無機質な声、無感動な瞳に、僕はこくりと頷く。
 手招きされるがまま、僕は店の奥へと案内された。よく見れば店主は両手を薄い手袋で覆っている。耳には補聴器らしき機械、眼鏡かと思ったそれは遮光のサングラスだ。様々な動物を横目に、僕たちは階段を降った。進めば進むほど、生物の異常さに拍車がかかっていく。真っ青な猫に、ムカデ足の蜥蜴。夢破れた残骸のように、色鮮やかな遺伝子が散らばっていた。
 そうして最奥には、人の姿をした植物。
 ヒナゲシの少女が、”ほんとうのさいわい”とばかりに微笑んでいた。
「カナリアの様に歌いたい。それならカナリアの遺伝子を選び取ればいい」
 赤い羽根が一枚差し出される。
「“想憶の飴”と同じ原理で、今から君の脳にそのカナリアの感覚を電気信号として流し込む。感覚に補助されて、強い意志は自分の遺伝子を選びなおすことができる」
 差し出された赤い羽根は、アンタレスの遺伝子だ。美しく歌うことのできる遺伝子。僕のなりたい姿。僕が羽根を口に含むと、舌に装着している“舐読”がきいんと、身震いした。店主は慣れた手つきで僕の頭にヘルメット型の装置を取り付ける。無数のコード越しに、アンタレスと僕が繋がれた。
 星の様に歌いたい。
 あの日涙した、星の歌声に。
 けれども、カナリアの感覚から目覚めた僕は僕のままだった。口中から、涎でぐちゃついた羽根を取り出す。無機質だった店主の目は一層冷たく、諦めたように首を振った。
「僕は、カナリアになりたいんじゃない。あの歌声になりたいんだ」
 僕の夢が捨てられぬよう、僕は必死に叫んでいた。

 

 琴木先輩を追いかけて、辿り着いたのは不気味なペットショップだった。そうっと店内へ入れば、異形の動物たちに出迎えられる。店の奥から先輩の燃え盛るような叫び声が聞こえた。探れば、地下へ続く階段。言い表せない気味の悪さに足元を震わせながら、わたしは夜の底へと降った。
 歌声が聞こえた。
 星の歌だ。
 目には追いきれないほどの瞬きは、耳では拾いきれないばかりの煌めきは、満天の星空そのものだった。どんな宝石よりも美しく、どんな花より儚い音の一粒、一粒が輝いていた。心の底から、ただ、美しいとだけ絞り出すことが精いっぱいなほどの、圧巻の歌声。
 わたしはその場で泣き崩れてしまった。
 涙を拭うと、歌に生まれ変わりゆく琴木先輩の姿があった。先輩は”ほんとうのさいわい”だとばかりに晴れやかな微笑みを浮かべて、指も、足も胴体も、少しずつ星の歌声へと転じていく。
「これが本物の、星の歌だ」
 その言葉を最後に、琴木先輩は体中の全てを、歌声に変えてしまった。

 

 歌声になりたい。そう叫んだ少年の言葉に、ふと思いついてしまった。感覚だって、遺伝子に変換できるではないか、と。 “想憶の飴”だ。感覚そのものである遺伝子を作成して、意志に選ばせればいい。
 少年の意志は見事、歌声という感覚へと“転生”した。
 何より、彼は興味深い助言をもたらしてくれた。星の歌、だ。星震学(せいしんがく)という天文学の分野がある。星の振動を観測することで、遠い恒星の性質を調査する学問だ。その一環として、星の振動を音に変換するというパフォーマンスが行われている。
 遥か遠い星でさえも、音という電気信号に変換することができる。そうして電気信号に変換してしまえば、遺伝子として選びとることができる。
 僕は早速、銀河鉄道の辿った星々の振動を電気信号に変換した。天の川に、白鳥座のアルビレオ、南天の彼方に見えるサウザンクロス。そしてあの少年が愛した、蠍座のアンタレス。目くるめく銀河の冒険記を、余さず遺伝子に記録する。
 完成した“想憶の飴”を手に、僕は少女だった植物へ別れを告げた。
 僕もようやく、”ほんとうのさいわい”を手に入れたのだ、と。
 飴を舐め始めれば、瞬く間に僕という意志は銀河鉄道の旅を、遺伝子を選び取った。意志が、生まれ持った遺伝子の檻から解き放たれていく。満天の夜空へ向けて、高く高く汽笛を上げて。

文字数:6766

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