月は褪せることなく

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梗 概

月は褪せることなく

局長に呼び出された皐月は、一枚の写真に目を向ける。白銀の長髪が印象的な少女だ。
次の護衛対象と伝えられた彼女の情報は、すべてが極秘事項と伝えられ、彼女がこの国に滞在する間は何不自由なく暮らせるよう手配するようにとのことだった。
その容貌と唯一伝えられた名前から、大方のところ皐月には想定がついた。彼女の名はイレーナ、大国に脅かされた亡国の姫君だ。
 
「あなたがこの国のエージェント?」
そうです。とそっけなく答えると、少女は子供のように興味津々と聞いてくる。
「あなたのようなエージェントはみんな、クローニング技術によって作らていると聞いているけど、本当なの?」
そうです。とこれについてもうなずく。
皐月をはじめ、この国の出生者の半数以上はクローニング技術によって生まれている。
移民を受け入れず、人口減少に歯止めが利かなくなった国で、最後にすがったのが自国民の再生産技術だった。
時の首相の発言、「移民に税金を注ぐか、わが国民の魂に注ぐか今こそ決断の時だ」とした解散総選挙で、見事に与党は圧勝した。
西欧の宗教組織をはじめ、世界の半分は否定的であったが、中国をはじめとしたアジア諸国はむしろ歓迎的であった。
かくして、この国は21世紀前半に陥った人口減少という病を抜け出し、新たなる復興を遂げようとしている。
適した人間を生み出すための遺伝子データバンクを利用し、そのうえで国家運営の教育機関で育成されている。
皐月は、要人警護などの特殊作戦を遂行するためにデザインされた人間だった。
 
「私が亡命先にこの国を選んだ理由はまさしく皐月に会うためなの」
彼女は大国の暗殺者にも追われながらこの国に来た理由を語る。
「いずれ、私は祖国に帰るの。きっと遠くない未来、私にはそれが拒めない」
だから、そんなに長くは迷惑をかけないつもりだから。なるべく優しくして頂戴といった。
「妙なことをいうやつだな、きみは」
これは仕事で、何一つ迷惑なんてない。遊園地の列に並びながら、奇妙な掛け合いをしているものだと、皐月はあきれている。
イレーナはインターネットを通じて国際社会に助けを求めることもしなければ、この国の政府に何ら要求を求めるわけでもなかった。
 
数か月が過ぎたころ、戦火は未だ衰えず、しかし日に日に報道は少なくなっていった。
そんなある日、イレーナは最後のお願いと皐月にいう。
「後見人になってほしいの」
イレーナは自らのクローンを作成するための手続きを行っていた。
「仕事なんでしょ。私の言うことを何でも聞いてくれるって。だから、これが最後のお願い」
 
十五年の月日が過ぎて、皐月は、恵令奈とともに暮らしていた。娘は、ようやくあの時の彼女と同じ年齢を迎えた。
この日、皐月はすべてを話した。それがイレーナとの約束だった。
皐月の手には旅券がある。小国への旅券だ。今なお、燻り続けている異国への。
恵令奈はそれを手に取って、皐月に言う。
「会いに行ってくるといいよ。私は大丈夫だから」

文字数:1213

内容に関するアピール

生まれた場所を必然として離れなければならない人がいます。
また、生まれた場所に必要とされ、そこに暮らす人もいます。
僕は比較的、後者の立場で、呑気に生きていますが、世の中はどうにもそうばかりではないです。
システムとして生きている身のもとに、
宿命を負った人物が会いに来た時、やはり惹かれるのでしょうか。
あるいはそれは苦しいものでしょうか。理解できないものでしょうか。

ぼかしてはいるつもりですが、一応近未来の日本のような国家をイメージしています。
クローン技術がそんなすんなり受け入れられるかいな。という話もありますが、日本なら選択肢としてありそうだなという気はしています。
首相の発言だけでは説得力は薄いですが、単一民族国家としての可能性と、近年の排他的な右傾化の流れの辿るルートの一つとしてあり得るのではないでしょうか。
その点は、実作を書くにあたって、詰めておきたいともいます。

文字数:385

課題提出者一覧