梗 概
ビコーズ・ママ・ラヴズ・ミー
エムカとナジムとコチョウは「おかあさん」のなかで生まれ、育った。
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「おかあさん」はマッコウクジラで人間ではない。「おかあさん」は私たちを愛している。エムカを愛すれば「それ」がやってきて、ナジムかコチョウは父になれる。「それ」を大切にしなさい。
死んだヤヨイから三人が教わったことは、あとは、愛するときの龍涎香の使い方と、「おかあさん」の頭から蝋を採取する方法ぐらいだった。蝋が少なくなった理由や、外のことはヤヨイも何も知らなかった。
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私たちはヤヨイを食わないことにした。ナジムは食いたがったけれど、私とコチョウが反対した。私たちはいつもそうやって決めた。二人が私を愛したければ、私も従った。
私たちは息苦しくなると「おかあさん」の血を遠慮なく飲んだ。けれど、最近は血が黒く不味くなった。蝋に火をつけ、龍涎香を焚くと、苦しみは少し紛れた。
だんだんと「おかあさん」の匂いが、ヤヨイの死体や食べられなくなった魚と似てきた。「おかあさん」もいつか死ぬのだと、私たちは怒る。そんなことは誰も教えてくれなかった。
私たちはいつもみたいに決めようとした。ナジムとコチョウは「おかあさん」と一緒に死ぬことに賛成し、私は反対した。私は初めて従わず、二人に告げた。
私のなかに「それ」がやってきたの。
ナジムとコチョウは、お互いが父だと主張した。私にはどちらでもよかった。諍いはナジムがコチョウを殺すことで終わった。
二人になったから、いつもの決め方が出来なくなった。ナジムは父になっても「おかあさん」のなかで死ぬつもりだった。
私のなかの「それ」は、人間。だから、私たちは反対する。
ナジムはそれに従った。
私はどんどん衰弱した。「それ」が私を食い尽くそうとしていた。
私たちは賛成する。
そうして私はナジムを殺し、食った。
「それ」が私のお腹を強く蹴った。
外へ出る方法がやっと分かった気がした。「おかあさん」のお腹を破ればいい。
やりたい放題、色々と試した。
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随分と昔から「おかあさん」は群れからはぐれていた。
鯨蠟が枯渇しメロン体が萎縮したせいで、反響定位がもはや不可能になっていたからだ。
「おかあさん」はオスだった。深く潜水し、仲間や交尾相手を探しても一頭も見つからなかった。
衰弱した「おかあさん」は潜水病になった。浮上しながら死んで、砂浜に座礁した。
内部でメタンガスが蓄積し、「おかあさん」のお腹は膨れ、エムカが龍涎香に火をつけると裂けるように爆発した。
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お腹から外に出ると、魚の匂いがした。
お腹を空かした私の目の前で、「おかあさん」がその身を差し出していた。
私は、私たちは、「おかあさん」を食い尽くした。
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私のお腹が刃物で裂かれて、「それ」は取り出された。
「おめでとうございます」と人間に声をかけられ、私はひどく驚いた。
ここでは、私が、おかあさんと呼ばれていたから。
文字数:1200
内容に関するアピール
鯨のお腹のなか。”安全な場所”の象徴としての鯨の体内を胎内へと接続しました。『ピノキオ』は勿論ながら、レディオヘッド「Lift」が最大のモチーフです。登場人物がドラッグとセックスに耽溺するのは手癖でもあり、やっぱり私はそういうのを見るのも聞くのも読むのも書くのも好きなんだと思います。
タイトルは悩みました。女性に母性が宿るなんてオカルトですが、子は「母親」に否応がなしに愛情を幻視してしまうのではないでしょうか。「母親」の愛情を伴わない行動に対しても、生殺与奪の権を握られた子供は愛情(私は「母親」に欲望されている)というロジックを捏造する。「母親」は必ずしも子を愛さないけれど、子は”ママは私を愛している”としか論理的に考えようがない。その悲喜劇的な非対称性と、その論理に導かれ、子が親を食い尽くす様子──ウイルスや寄生虫が宿主を殺すように、人類が自然を破壊するように──も同時に書きます。
文字数:400