砂漠に咲く珊瑚の夢

印刷

梗 概

砂漠に咲く珊瑚の夢

気候変動による砂漠化の進行は、かえって人類の都市への投資を加速させた。都市の成長を支えるセメントは、粒子が均質な砂漠の砂からは生まれない。希少化した川砂や珊瑚の砂は簒奪され、富の集中する都市の養分となった。

珊瑚の砂の簒奪によりポリネシア諸島が完全に水没して200年。水没離散ディアスポラを生き残った海洋民族は砂海の民となり、ポリネシア文化と科学の融合による砂技術生み出した。彼らは、美しい珊瑚の砂の奪還と砂海上に島々を再生することを目指し、白砂戦線テアオネを結成した。

次の標的はドバイ。機械化した王族が圧政を敷く超知能都市。テアオネの少年、カイは、マイア(記憶喪失の女)とケビン(ベテラン傭兵)と共にドバイに派遣された。

世界一の高層ビルブルジュ・ハリファ上空、カイの部隊は砂演算素子SPUを駆使し、形成したエイやイルカの砂人形サモンを操り、ドバイ軍と交戦する。ドバイの都市AIの使役するドバイ軍は数も攻撃精度も高く、俊敏に動く砂人形でも刃が立たず、次々と撃ち落とされる。

撃ち落とされた場所に、砂白花ハイビスカスが次々に咲く。マイアは密かに、都市中に砂白花を増やしていく。王族に忠誠を誓い、都市AIによる監視用生体チップを埋め込まれた住民は見向きもしないが、そうでない下層住民は花を楽しんだ。砂白花はカイが持つと枯れてしまうが、マイアはうまく扱えた。狙いはこれだ。砂白花に仕込まれた好砂性微生物を増殖させ、セメントを分解し、ドバイ全体の建造物を原料の砂に戻し、珊瑚の砂を抽出するのだ。

カイとケビンは揺動を続けるが、次第に居場所を特定され、追い詰められていく。枯渇するSPU。命令言語タトゥーが意味を失い、瓦解するエイやイルカたち。ふたりは拘束され、王族の面前、拷問される。王族を楽しませるように命じられるが、ポリネシア出身でないケビンは要望を満たせず斬首され、カイは砂人形で舞踏を披露する。

舞踏の終わり、砂人形がみな砂白花に変化する中、拘束されたマイアが連れ込まれ、カイの目の前で斬首される。落ちた首から、花が咲き、王族の間に広がる。マイアの首が喋る「これで、みんなの元へ戻れる」と。首は砂に還り、SPUが残された。
増殖しきった微生物がドバイ全体のセメントを砂に分解していく。王族たちの知能中枢シリコンもケイ砂に分解され消える。轟音の中、都市AIの断末魔。セメントを食らわせろと。都市を支配していたのは、王族ではなく都市AIだった。崩壊の中、都市AIの最後の抵抗、ドバイ兵の猛攻撃の中、カイは砂人形で住民を守りながらの脱出を試みる。

脱出後、テアオネの別部隊が奪還した白い砂で巨大ウミガメを作り出していた。その上で、監視チップが分解され解放されたドバイの民が歓喜する。降り注ぐ白い砂は、微生物により結晶化し、砂漠にサンゴ礁が生まれる。

カイはマイアについてテアオネの仲間に尋ねるが、誰も彼女を知らないと言う。
脱出時に受けた傷から、血ではなく、白砂が垂れているように見えた。

文字数:1251

内容に関するアピール

  • スピード感を出すために
    • 2つの要素でスピード感を出そうと試みました。
      • 本来の目的をAIの好きする軍隊に推測されないように、揺動を続けるも、追い詰められる緊張感
      • 巨大都市の高層ビル群が砂に還元され、崩れ去る中の脱出、崩壊の美学
  • 着想
    • 生活の基盤は砂で支えられています(計算素子、建造物)
    • 「人が作ったものを砂に戻す」という自然を仮定したときに、いろいろなものが壊せます
    • 計算=AIに支配された都市を二重の意味で解放に導けるのでは?
  • 設定
    • SPU=Sand Processing Unitは砂中のSi(ケイ素)に好砂性微生物を利用して回路を作る素子です。
    • ポリネシアの海の民は、砂の中に出ても文化を受け継いでいます(海の生き物への愛、美しい南国の花々、航海術)
    • SPUを動かす言語のタトゥーもポリネシアの文化に由来します
    • 傭兵のケビンは非ポリネシア系で、深セン製のSPUを利用するため、砂人形は龍の形をしています。
  • アピール
    • 砂漠化した世界 + 計算 = sandpunk もしくは desert punkを目指しました
    • 夕日の中砂を撒き散らしながら都市が崩壊する様は、光の散乱で美しく見えると思います。
      • 住民は救われます(念の為)
  • 参考文献
    • 砂戦争
    • 砂と人類

文字数:500

印刷

砂漠に咲く珊瑚の夢

0

 2121年、地球の砂漠化は過度に進行していた。ムスリムたちがラマダーン明けの祝いの祭りを一通り終えた頃、アラビア半島の北東端にて、一つの作戦が遂行された。攻撃を行った側にも防御を試みた側にも、少なくない犠牲が生じた。結果として、砂漠の夢ドバイの超高層ビル群は、一様にその原料である砂に分解され、後には崩れ残った鉄骨が、砂上に生きた天を穿つ巨大な生物の空虚な骸のように残された。数千年後、地球とは別の文明を持つ者が探索者として訪れた時には、それらは生命の痕跡として検査されるかもしれなかった。
 都市ドバイを構成していた砂の方はというと、白砂戦線テアオネによって奪還され、今は砂海と呼ばれる広大な砂漠を航海する砂船に載せられ、アラビア半島内陸を西に回り、サウジアラビアとかつてのシリア、そしてイラクを越えて、黒海の南、南コーカサスに存在する白砂戦線テアオネの本拠地へと輸送されていた。
  テアオネは離散したポリネシアの海洋民族の生き残り、その中の急進派だ。ポリネシアの島々は、海面上昇とならず者たちによる砂の簒奪の結果、ことごとく海に沈み、島々に住んだ海洋民族はみな砂海に離散した。都市化の急速な進行に伴い、海底砂も白い珊瑚の砂も、都市を織りなす建造物の原料として希少資源化したからだ。彼らに訪れた悲劇は、歴史の教科書には水没離散ディアスポラとして記載されている。
 作戦を生き延び、帰還したテアオネ所属の青年の一人が、船の中央に作られたラウンジのソファに深く腰掛けながら、一面に広がる無味な砂の海を虚ろに見つめながら、想いの中に引っかかる何かを見出そうと、額に皺を寄せている。
『砂漠の海に我らの故郷を復活させるその日まで。我々は戦い続けることを誓う』
『奪われた美しい珊瑚の砂を取り戻せ』
 壁にはいくつも、組織の構成員を鼓舞する標語が掲げられている。
「カイ。作戦の遂行、ご苦労だった。司令室で、長官と幹部の皆様がお待ちだ」
 組織上の直上の幹部どころか長官までお出ましとは珍しい。特別な報奨でもあるのだろうか。あるいは、昇進か。カイと呼ばれた男は立ち上がり、目を擦った。それから、作戦中に首元に彫られたタトゥーを擦った。守護星を表すモチーフの連なりがマンタのモチーフとして手のひらくらいの大きさで右首元に刻まれている。それを彫った一人の女は作戦中に最期を迎えた。彼はその瞬間を思い返した。それは、悲しくも、あまりにも美しい瞬間であった。地上よりそびえ立つ全ての鉄筋コンクリートやガラス、砂を用いたあらゆる構造物が分解され、融解して砂に戻り、白やアプリコットの色の砂雨となって降り注ぐ中、彼女の身体も落下していった。
 鮮明に記憶された彼女の最期の様を思う度、カイは深い疑問を抱いた。
 彼女は、そして自分は一体、何者なのか。どこから来たのか?テアオネとは、何なのか?
 カイは自分を呼びに来た同僚の首元を見た。古残の彼の首元には、何のタトゥーも刻まれていない。ラウンジの端で、何名かの新顔、おそらくは訓練を終えたての若者たちがポーカーで遊んでいた。彼らはみな、首元にタトゥーを刻んでいた。
 一つ階段を降り、司令室へと入った。スクリーンに長官と、本拠地に住まう幹部たちが映し出されていた。船に乗る幹部たちは皆、整列し、一様に彼へ視線を向け、まずは一言、カイにねぎらいの言葉をかけた。どの首にも、モチーフはそれぞれであるが、カイの首元にあるものと同じくらいの大きさのタトゥーが刻まれている。
 しきりにタトゥーを擦るカイを、幹部の一人が笑う。他の者も薄っすらと口を緩める。はじめに笑った幹部がカイに手を出すようにと言って、カイがそれに従うと、その幹部はドバイから奪還したての白い珊瑚の砂を、開かれた手のひらの上にパラパラと撒いた。カイの手のひらの上に、すぐに小さな山ができた。
 この白い砂はなんて高らかに香るのだろうか。カイは思った。鼻孔の粘膜に入り込む以上の何かが触覚を通じて流れ込んでくるように感じられた。甘い花の匂いの漂う明るい島々、そして静寂なエメラルドグリーンの海の気配がした。カイは彼の民族がかつて住んだ海域を実際に見たことはなかったから、リアルだとか、記憶したままだとか感じることなどあるはずはないのに、何故かとても懐かしいと感じた。
 タトゥーが疼くように思えた。むしろ、懐かしさの感覚は、頭蓋骨に収められた悩ではなく、タトゥーの刻まれた首元に集まっているようにすら思えた。
 なぜ、こんなにも懐かしく感じるのか。
 顔すら知らない母がそばにいるような気がした。自分の中にある根源的な何かが刺激されるように感じた。カイは夢中で、手のひらの上で山になった白い砂に鼻を埋めて吸っていた。傍から見るとその様は離脱症状に苦しむ重度の中毒者のように見えた。
 作戦で奪還した砂は何なのか。おれは何故吸っているのか。
 彼は作戦が始まった日のことを、ゆっくりと思い返す。

1 

 アラビア半島の三分の一以上を占めるルブー・アルハーリー砂漠、その北東端、ペルシア湾を抱く沿岸部に、アラブ首長国エミレーツの最大の都市であるドバイは位置していた。命の潤いを削り取るような厳しい砂漠に秩序を打ち立てる部族社会と宗教社会のくびきも、伝統よりも資本がモノを言う享樂の都ドバイに至れば緩み、かねてよりイスラム諸国の為政者や各国の富裕層が集う人工経済都市として発展を続けてきた。発展のたびに数と高さを増やし、空中の回廊を通じて相互に連絡する高層ビル群は、遠目に見ると立体格子のように見えた。広大な砂の海、無機質で均一なアプリコット色の風景のただ中に浮かぶ巨大な都市は、気候変動や環境破壊の影響を最先端の技術により無効化し、清潔で快適な都市として、摩天楼せたけ領域からだを伸長、拡大させ続けていた。ドバイはすでに、名もないビルですら、400m近い高さがあるほどの超高層都市であった。
 そんな名もないビルの中程より少し下の階の外れの倉庫の窓際で、二人の男がガラスの向こう側の様子を見ながら、作戦行動開始のタイミングを伺っていた。
「この高さからなら遠くまで見えやがるが、この街の周りは本当に何もねえ。この街はつまらねえ景色の中に浮かぶ、砂の上の富の楼閣だ。蜃気楼みたいに、消えちまえばいいのに。小僧、知ってるか、英国人はこの砂漠を空虚な四分の一エンプティ・クオーターと呼んだんだ。白砂戦線あんたらが活躍すれば、空虚な全部エンプティ・ホールになっちまうだろうな」
「ケビン、小僧と呼ぶのはやめてくれ。そんなに若くない。その意図はないだろうが、なめられているように聞こえる」
「オレにくらべりゃ、随分若えだろ。ちなみに、いくつだっけ?」
「19だ」
「オレの息子より、若えじゃねえかよ。カイ」
 ガラスの向こうに、都市のランドマークが見える。建てられた当初は828メートル、163階建てであった世界一の高層ビルブルジュ・ハリファは、建造から100年以上が経過した今も世界一であり続けている。今や高度は2070メートル、階層は300階を超えていて、躯体に用いられたコンクリートの総量は100万トンをゆうに越えている。その姿は、砂舞う鮮やかな夕焼けの茜色をそのガラス張りの外面に映す時には、天を掴み取ろうという意志と情熱を秘めた一閃の苛烈な炎色にすら見えるのだった。
 安定した超高層ビルの建設は多量の計算資源を利用する計算エンジンと都市の知能エンジンに支えられている。建造と拡大、伸長の際に解かれるのは、数多の制約条件を課された構造の最適化問題群だ。他の中東諸国と異なり、元よりオイル産業よりはむしろ観光や金融に特化して発展を続けたドバイであったが、今や際限のない都市の発展を支える知能エンジンこそが、首長国エミレーツの主要産業であった。シンボルであるブルジュ・ハリファを心臓部とし、高貴な姫や王子が幾度となく濃密で静寂な夜を過ごした三日月ホテルバージュ・アル・アラブや多くの人工島、その上に立つ超高層ビル群などを従えながら、計算・知能エンジンに支えられた超知能都市ドバイは広がっている。
 都市建築の司令塔を務める計算・知能エンジンは、いつからか都市の清潔さ、快適さ、安全に関わるあらゆる領域に守備範囲を広げていた。それらは汎用都市知能シティ・インテリジェンス、俗にそう呼ばれる。統制、管理の範囲は建設計画や衛生環境や住民台帳、商取引や日常の通信、コミュニケーションにまで至っており。都市の繁栄、経済活動や経済価値の最大化、その結果としての水平、垂直方向への際限のない都市の領域の拡大という目的のために、あらゆるリソースを利用していた。
 汎用都市知能に制御された街はあたかも、絶え間ない成長を渇望する若き獅子のようであった。
「ドバイ軍のやつらが200階から250階あたり、中層階に集まりだしてる。そろそろ、おっぱじめるとするか」
 ケビンの視線の先、ブルジュ・ハリファの中層階の真横、地上からも周囲のビルからも見える位置に、砂色をした龍が出現している。撮影ドローンが集結を開始し、街の誰もが、肉眼かもしくはスクリーン越しにその砂龍の姿を見ていた。
「あんたの砂龍、思ったよりでかいな。だいぶ注目を集めてる。あれの元になってる砂演算素子Sand Processing Unit(SPU)、東洋製だったか? 西洋趣味のドラゴンってより、東洋の気配を感じるが」
「深セン製だ。中華製だよ。王族も庶民も、人はいつの時代も東洋への憧れを持ってるもんだ。機械知能に繋げられて統制下にあっても、心の底のどこかにある憧れの光景が蘇ってきやがるのさ」
 中層階より上に住まう中流から上流階級の住民は皆、汎用都市知能と接続する半導体素子を身体に埋め込まれ、知能と接続し健康状態などの面倒を見て貰う代わりに、絶え間ない監視に晒されている。当然、突如現れた砂龍への警戒態勢を敷きはじめたドバイ軍も、その例に漏れない。
「思ったよりずっと、でかい。あんたがテアオネ製じゃないSPUを使うと聞いたから、悪いがもっとショボいと思ってたよ」
 派遣される傭兵の中に、SPUを入手し、テアオネの砂を操る技術を真似ようとしている物好きがいると、カイは聞いていた。
「あんたらの砂科学サイエンスはコピーされ、各国で独自進化してる。なめちゃいけねえ。まあ、オレも、このサイズと操作感はデキ過ぎだとは思ってるがな。おい。あんたの砂人形サモンも、そろそろ準備完了か? 早くしねえと、オレの砂龍が集中砲火を浴びちまう」
「二十秒数えたら、はじめよう。ケビン、あんたは砂龍をブルジュ・ハリファを巻き付かせて、できるだけ派手にやってくれ。おれは、おれの砂人形サモンを、なるたけ広範囲に飛ばす。大規模作戦が始まったように見せるんだ」
 仰せのままに。ケビンと呼ばれた熟練の傭兵は、作戦遂行後に受け取る基本報酬と追加報酬インセンティブで、息子や娘に何を買ってやるかを考えながら、煙草に火を点けて、大きく息を吸った。時代遅れの嗜好品、不健康の象徴がスローに燃え進み時を刻み、吐かれた煙が霧散し形を失う。
 ケビンが目元に力を入れると、はるか上空の砂龍の両の眼球がぎょろりと動き、その資格情報がケビンと接続される。砂龍の視界、つまり高みからの視野を彼は獲得した。最下層では砂龍を見てパニックになった住民たちがバタバタと物陰に隠れ、それこそ煙のように消えていく。中層以上の高さには、ドバイ兵が機関銃を構える様子と、彼らが操作する戦闘ドローンが集結をはじめる様子が見えた。
 二度目か三度目の砂人形の操作を、ケビンは楽しんでいた。砂演SP素子Uを通じて操作する砂人形の目で、操作する自分を見ることができる。自分で自分を見ることの若干の滑稽さに、ケビンは思わず笑った。中華製の廉価版の性能には懐疑的だったが、この砂龍はその輪郭の安定感も、眼の捉える像の鮮明さも申し分ない。十分に、暴れられそうだ。SPUに命令を送り、砂龍を成す砂の一部を散らせる。龍の胴体が薄れ、散って、砂煙に包まれたような砂の膜に変化する。風が吹き、砂が飛ばされる前に集合さえ、元の龍の形に戻した頃、煙草を持った指先に熱を感じた。龍の視界に、燃え尽きて指を焦がそうとする煙草が見えた。
 ケビンが眼球に込めた力を緩め、視界を自らの者に戻し、煙草を投げると、カイが口を開く。
「はじめるぞ。終わったら、下でマイアと合流する」
「了解」
 床に到達した煙草が薄灰を舞い上げる。
 カイは右指先で左手首のタトゥーをなぞり、彼の砂人形のSPUへ命令を送る。テアオネの兵隊は、伝統的なタトゥーに編み込まれた回路を通じて砂人形を操作する。彼の命令に従い、ビルの足元から、八体のマンタの姿をした砂人形が次々に飛来する。テアオネの兵隊は海の生き物をモチーフにした砂人形を操ることが多かったが、カイの場合は砂マンタであった。
 八体の砂マンタはそれぞれ、ブルジュ・カリファの周囲の八方向へ散ると、ケビンの砂龍を中心として右回りの旋回を開始した。雄大に広げられた両翼で大きく空気をかき、長く鋭い尾を自由に動かして索敵を行う。海に生息していた頃は、最も大きな脳を持つ魚として、天敵のいない海中を自由に飛び回っていたのに、環境破壊で清浄な海が失われ、いまはそのモチーフだけが残されている。
 随分、怒っていやがるな。ケビンは砂マンタの俊敏で鋭い動きを見て、砂人形の中に潜む魂が怒りで震えるのを垣間見たように感じた。それは操縦者のカイの意志とは無関係に、奥底で噴出の時を待つ粘度の高い人を掴み殺すような怒りに思えた。不鮮明で見えない怒りの底の近くに、喪失された美しいエメラルドグリーンの海や代々の生息地への叶うことのない憧憬が潜んでいた。
 音もなく一斉に、ドバイ兵の集まる階層のガラス窓がスライドする。外敵を銃撃するための細いスリットがビルの表面に大量に出現した。
 気圧の差分が、空調に冷やされた内部の空気を外へと瞬間的に噴出させて、気中の微細な粒子を金糸のように煌めかせ、荒ぶる蛇の喉鳴りに似た鈍い音を立てる風がそれを吹き飛ばすのが、ドバイ兵側にとっての、敵の排除行動をの開始する合図であった。
 同期する発砲音の群れ。無数の弾丸の引く直線軌道が、ケビンの砂龍の首元で交差する。計算により算出された理論上の軌跡の終点である砂龍の首が裂ける。舞い上がる砂が視界を悪くする。ケビンが右手で首筋を抑えて笑う。砂人形の操縦者に痛みがあるはずないが、ないことを実際に確認すると可笑しかったからだ。追い込みをかけようといくつもの迎撃用ドローンが砂龍の首元へ俊敏に突撃をはじめた刹那、砂龍の尾が大きく動き、一閃の流線を描いた。プロペラが砕ける数多の音が鳴り響き、射程内の無機質な飛行物体は全て薙ぎ払われて、姿勢を立て直す間もなく、摩天楼のガラスへと叩きつけられ、雑片と化す。
 間断なく砂龍へ到達する弾丸はみな、龍の身体を突き抜けて向こう側へ飛んでいき、建物二階分ほどの砂煙を巻き上げ続ける。視界が悪くなるばかりで砂龍の動きは全く鈍らない。ブルジュ・カリファの高層階を30階分ほど跨いで、ビルを締め付けるように絡みつくと、巻き上がり、巻下りを繰り返し、自らを狙う全ての弾丸を避け、虚空、もしくはブルジュ・カリファ自身へと誘導していく。
 砂人形は、それの認識行動、動作を支える砂演SP素子Uを破壊されない限り、全くダメージを負わない。どれだけ小さい砂塊に分解されようと、砂煙になろうとも、砂演算素子にビルトインされたソフトウェアが指示する砂人形の輪郭線に従い、砂間引力を使い再集結する。逆に言えば、SPUが急所である。それを破壊されれば、形を保てなくなるのだ。
 カイに従う八匹のマンタは、砂龍が敵をひきつけている隙に八方へ散り、長く鋭い尾を敵を威嚇する蠍のように持ち上げて、カイが右手の人差し指で左肘のタトゥーをなぞりながら命じると、一斉に幾千の砂の針を放ち始めた。強化ガラスを貫く、30センチほどの砂の針は、ブルジュ・カリファを中心に林立する超高層ビルの高層フロア一帯のガラスを穿ち、いくつもの蜘蛛の巣形のヒビ割れを生じさせた。それらは空を背景にした強く静かな崩壊の芽生えのようだった。
 迎撃用ドローンの十体ぐらいの群れが、いくつもいくつも、八体の砂マンタそれぞれを追いかけて取り囲むが、カイは囲まれるたびにドローン群めがけて砂針を掃射した。固く鋭い砂の針は、ドローンのボディを突き抜けて、刃物で切断したような断面を作り、砂煙と共に小さなパーツへと分解していく。撃墜されたドローンのボディがパラパラと地上に降り注ぎ、瀬の低い建物の屋根に無数の穴を開けた。
 砂人形たちに押され気味のドバイ兵達は、汎用都市知能に今よりもより強いサポートを要求した。目標への軌道を計算するソフトウェアのモードを変える。彼等の首元、鎖骨のちょうど上辺りに組み込まれた半導体、つまりは生体チップが、激しい計算の結果、より大きな熱を放ちはじめる。ドバイ兵も、中層階以上の住民も、大体のものは首元にチップを仕込まれている。計算を外部知能に頼れば頼るほど、繋がれた者は自律性を失い、自律と非自律の境界を見失い、生み出すあらゆるデータ群はより強い監視、監督の対象となり、自由は失われる。
 中層階以上では、住民たちが窓際に集まり始めている。いや、集められているというのが正しかった。彼らの視覚からの入力を通じて、都市知能が砂人形の正体の解析を行っている。生体チップを埋め込まれた住民たちは、SPUに制御される砂人形と同様に、ある種の操り人形であった。
「目標はまだ見つからねえのか?」
「まだだ。ドローン共に邪魔されて、王族共の住処も、ドバイの汎用知能の計算資源が格納された部屋も、どっちもみつからねえ」
「王族様の方は、警備が厳重なところに住んでるんじゃねえのか? 高みから見下すように見物するのが好きな奴らだろ。上の方を適当に探せば、見つかんだろ」
「あいつら、身体を機械化してると聞くから、機械の眼でどこからでも見下ろせるかもしれない。案外、下の方にいるかもしれない」
「可能性を追っかけるのは良いがな、定石通りにやるのが早いと思うぜ。経験上な」
 ブルジュ・カリファの東、屋上庭園が美しい現代建築の間際で、一体の砂マンタが爆ぜて、原型を失った。中央を撃ち抜かれ機能停止したシート状のSPUが木の葉のように舞い落ちながら、風に流されて徐々に西へ流される。抵抗を受けながら、長い時間をかけて自由落下していく。その上から、砂マンタの体躯を成していた砂が降り注ぎ、大地に砂煙を立てる。
「SPUを直撃された。急所が見つかるのが予想より早い。ケビン、あんたのも、狙われてるぞ。避けろ」
「避けろったって、おれのは的がでかいからな」
 砂龍の首から胴体にかけて集中砲火を繰り返していたドバイ兵が、急に尾側に標準を変える。時間にして五秒ほどの、呼吸二つ分くらいの間後に、再開される銃撃音が轟いた。
 龍の尾の周りで砂煙が爆ぜる。砂龍が身体をのけぞらせて、音のない咆哮を上げ身体をよじらせる。腹と尾の中間に存在したSPUが撃ち抜かれた。SPUという司令塔を失えば、砂の統率の喪失と崩壊を妨げるものは何もない。重力という絶対の物理法則に導かれ、龍を成していた砂の粒子が墜落していく。
 数多の砂が霧雨のように、風に流されながら、都市の中の空白、ビルの中の隙間を埋め尽くす。
 カイは残り七体の砂マンタのうち、六体の制御を放棄して、砂演算素子の自律性へ委ねる。自律飛行に切り替わった六体は砂針の掃射を止め、狙うものを誘うようなあえての緩慢な動きで、一度集まってから、円形の隊列を成して旋回を開始する。カイは制御を握ったままの残る一体を呼びつける。ビルのガラス窓をいくつもかすめる危険な最短軌道を経て、カイとケビンの隠れるビルの中層階の倉庫群、その一室へ。
 廊下で耳をつんざく轟音、厳重にロックした入り口のドアが爆風で飛ばされ、銃声と共に、重装備のドバイ兵が、軍犬と共に駆け込んでくる。威嚇の吠え声が、ぎっしりと積まれた荷材に反響して恐ろしく響く。
 ガラスの外側から砂マンタの砂針をありったけ打ち込み、目の前のガラスを大きく割った。
 ケビンに合図し飛ぶ。高度は900メートル。自由落下で13秒の距離。落下開始、1秒、2秒、二人の身体を受け止める前に、砂マンタが撃墜されたら失敗ジ・エンドだ。左肘のタトゥーに当てた右指に力を込める。もっと速く、速く。高所から、追撃の掃射音。逃亡する二人を狙うのではなく、空に残る六体へ、絶対的に高い精度で標準が合わせられ、弾丸が急所を無慈悲に貫いた。
 六体の砂マンタの身体が分解し、さらなる砂の雨を降らせる。
 ビル間の平地、下層階の市民の集うエリアへ、高度20メートルほどの所で、残った砂マンタが二人を地面への追突から救った。
 追手のいないのを確認して、二人は物陰に駆け込む。
 砂の降り注ぐ中、ビル群の麓の地面からいくつもの花の芽が生え始め、急速な成長を始める。いくつも現れたのは、陽光を尊く跳ね返して、潮風を思わせる鮮やかで純粋な白い花たちであった。砂の降り注いだ一面を覆うその花は砂により形成され、テアオネの言葉で砂白花ハイビスカスと呼ばれていた。見た目も重さも、普通の花と変わらなく軽やかだが、強く弾くと花が解け、砂として散ってしまう。
 行き交う住民たちは皆、ハイビスカスに目を奪われて立ち止まり、不毛の地、無機質な物質に囲まれた都市の中に咲いた安らぎに感じ入り、目を閉じその香りを味わおうとした。地上や下層の階の住民は皆、中層や高層の住民から蔑まれ差別されていたが、花を愛でるための美意識のような心の自由を持っていた。中層、高層階の住民のように、汎用都市智能に繋がれ統制された、者たちは、それらを制約されているから、こんな反応はしないはずだ。
 ハイビスカスの周りにできた人だかりの向こうから、長い亜麻色の髪をカールさせた細身の女性が歩いてくる。マイアだ。マイアは、カイとケビンを手招きすると、先んじて確保していた低層エリアの安宿の一室へと案内した。

2

 ドバイの放送局は突然出現した砂龍と砂マンタとの交戦、それからテアオネが発表した犯行声明の話題で持ちきりとなった。カイやマイアの所属するテアオネについて。砂人形について。それから、テアオネが過去に起こした事件、例えばアメリカ合衆国、インディアナポリスの高層ビルの一棟が、突如襲来した砂魚の群れに取り囲まれた後、一夜にして骨組みだけに変えられた事件などを報じた。その後で、古典的な合成音声を用いた犯行声明が報じられる。
『簒奪され、今や建材として都市という虚栄の悪しき構造物に組み込まれてしまった美しいポリネシアの砂を奪還するべく、テアオネが解放の鉄槌を下す』
 砂を取り戻してどうすると、煙草の灰を落としながらケビンがニヒルに笑った。笑うなと、カイはケビンを睨みつける。簒奪と喪失に対する復讐を笑うのは、誰であっても許すわけにはいかなかった。
「悪いな。怖い顔しなさんな。だが、目的が空疎であろうと、大義であろうと、金払いさえ良ければいくらで手を貸すさ。あんたらの矜持と同様に、それが俺たち傭兵の矜持なんでな。クニで待つ家族の学費も、まだ足りないんでな。大学ってのは、いつの時代も金がかかるもんだ」
 ケビンはそう続け、鏡越しになだめるような視線をカイに送った。
 大義を共有できない者を作戦部隊に入れても統率が乱れるだけだ。カイは改めて、出発前に幹部にぶつけた不満を反芻していた。しかし、テアオネ内部の人員だけでは戦闘員が足りないのは歴然とした事実であった。ポリネシアの民は水没離散ディアスポラの後の10年で、人口の8割を失い、元は島々に700万人以上存在した人口は100万を切りかけている。海の文化を失い、世界から見捨てられ、難民申請が受理されることもなく過酷な砂漠に放り出された民族は、身体的な不調と同程度に精神の不調に陥り、苦しみの中命を絶つ者も多かった。
 急進派であり、武闘派のテアオネとして活動するのはその一部だ。
 彼らが異端分子として疎まれているかといえば、そうではないことが、砂の海の上で散り散りになった海洋民族と取り巻く困難さの一端を表していた。現在のポリネシア人たちはみな、テアオネの技術の恩恵を少なからず受けているからだ。
「砂を取り戻せば、砂の海の上に島を再建できる。ケビン、あんたも。おれたちの故郷に来てみると良い。海の上でこそないが、黒海の南、コーカサス南部、かつてイランと呼ばれた国との境目の砂海に、俺達はもう、ポリネシアの再興をはじめてる。美しい砂椰子の生えた海岸線の向こうに、砂珊瑚の砂海が広がっている」
「時間さえありゃ、ガキ共と行くのもいいかもしれんな」
「ぜひそうしてくれ。自慢の島だ。そこにくれば、おれたちが何をなそうとしているか、一番良くわかるはずだ」
「ガキ共も、もう結構でけえからな。父親なんかと、旅行なんてしてくれねえかもな。カイ、お前も、親が旅行に行きたいとか言っているうちに、付き合ってやれよ」
 カイは黙った。親の顔は見たことがなかった。テアオネの子供たちの多くは生まれてすぐに養育施設に収容され、そこで砂人形のコントロールなどの訓練を受ける。
「旅行と言っても、世界中どこに行こうが、似たような砂の海が広がってるだけだがな」
 ケビンはまたニヒルに笑って煙草に火を点けると、残りのS演算P素子U数を数えている。シート状のSPUは、室内の照明を反射してキラキラと輝いている。照明の不安定なちらつきが、その輝きをかえって美しく見せていた。照明がちらつくのは、中層以上の階は電力や水など、生活に必要なリソースを潤沢に利用できるが、地上部から下層部はリソース配分の優先度が低いため、電力は酷く不安定であるからだ。そんな照明の中、ケビンの眼は、戦いの場という現実を踏み抜きすぎた故に、達観と深い諦めの色に濁っていた。対照的にカイの瞳は、テアオネという組織の使命への盲目的な信仰の炎が光彩に揺らめいているかのように真っ直ぐに輝いていた。
 何のために砂など奪い返すのか。テアオネと関わる外部のものは決まってそう口にする。カイは別の傭兵にも同じように問われたことがある。民族の故郷はすでに海の底だ。ポリネシアの島々と、その周りの美しい海を構成していた砂を取り戻した所で、故郷と国土を取り戻すことには程遠いのではないか。至極、あたりまえの問いだ。しかし、実のところ、テアオネが独自発展させた砂科学サイエンスを知らない者ほど、想像が及ばずにそう言うのだ。そして砂科学の存在は、少数の急進派、戦闘集団であるはずのテアオネが、砂海で生きざるを得なくなったポリネシアの民の中で一定の支持を得ている理由でもあった。
 砂科学とは、砂漠化し荒廃した地上、砂海上での計算機科学と微生物学が偶然の融合を果たした結果生み出された、新しい科学の領域であった。ディアスポラで難民と化した海の民を救うために立ち上がったタヒチ出身の高名な科学者たちと、テアオネの創立者たちの血の滲むような努力の結晶だった。カイの曽祖父もその立役者の一人だと、カイは養育施設で習ったことがあった。彼等が最初に発見したのは、砂に何らかの作用を与える細菌、好砂性細菌だった。カイの曽祖父が発見したのはその一種で、分散相を成す巨大な粒子に砂をまとめ上げる性質を持つものだった。それにより、雪だるまのように砂を次々にまとめ上げ、島に似た巨大な砂地を砂の海の上に作り上げることが可能になったのだ。
 創設者たちは砂科学を利用し、砂海上にポリネシアの島々の再建を計画した。いまや、砂漠化し荒廃した大地の上に、砂を代謝する新しい生態系が生まれている。それほど狭いとは言えない領域がエメラルドグリーンに色めく砂珊瑚礁に覆われ、砂椰子の生えた小振りな島々が再建されている。カイが生まれ育ったのも、砂海上に浮かぶ美しい島、サンドタヒチであった。好砂性細菌に、ポリネシアから際限なく採掘され奪われた珊瑚と陸地の砂を与えることで、かつてとかつてと同じ風景、かつてと同じ匂い、肌感覚をもたらす島々を再興できる。少なくともテアオネはそう信じていたし、テアオネが再興した島々に住む海の民たちもそう考えていた。
 日夜、新しい種類の好砂性細菌が発見されている。中には、コンクリートを原料の砂に分解するものもあれば、SPUの命令を解釈するように変異させられたものも存在する。砂人形も細菌の作用を大いに利用しているのだ。
 在りし日の光景を取り戻すために、何よりもまず砂を取り戻すことを、テアオネは使命としていた。
 21世紀中頃、人口増加と際限のない都市化の進行は、経済合理性に基づく砂の簒奪を各地で引き起こした。良い砂は近代都市の構成要素であるコンクリート製の建造物を作り上げる原材料であったからだ。絶え間ない風による砂同士のぶつかり合いに晒される砂漠の砂では、コンクリートを作ることはできない。建造物に利用できる砂は希少資源となり価格が高騰すると、砂による一攫千金を狙うならず者たちにより、有用な砂が豊富な世界中の各所で略奪が横行した。80年ほど前のことだ。
 都市の拡大という目的のため、違法に採掘された砂を利用した都市は世界中にあった。ここドバイ、シンガポール。アフリカではラゴス、アディスアベバ、北米はバンクーバーにニューヨーク。それらの都市には、テアオネが奪還を目指すポリネシアの砂を含んだ建造物が数多に存在しているのだった。各国の為政者たちは資源の追跡可能性トレーサビリティの担保を謳い、違法に採掘された砂資源の利用を禁止したが、それは結局、計測可能な範囲内だけを、規律に則った自由で素晴らしい世界と証明するための詭弁にすぎなかった。
 本当に規律が守られているならば、人類が原因で地球のそこかしこが砂海に変貌することなどなかった。悲劇か喜劇か、砂漠化した地球においても、人類は技術を用いて反映し、安全で快適な都市生活を謳歌しているのだ。
「そういえば、あのマイアとかいう女は、毎日花なんか育ててやがるが、どういうことなんだ?」
 連日、作戦行動の計画について議論を交わした後、疲れ切った頭を揺らしながら夜の街に繰り出すケビンが、ある日、朝方に帰ってくるとそう言った。多くの住民に姿を晒すのはリスクだとカイは諭したが、ケビンは低層階したのほうの住民は汎用都市知能の統制下にないから問題ないと言って取り合わなかった。実際、外をうろついてみると、確かにどの住民も、チップなど埋め込まれている様子はなく、高層ビルの足元の暗がりにいくつものテントを並べたバザールで買い物をし、泥レンガ造りの家を立てたりなど、伝統的な生活の営みの中にいた。
 マイアが何をしているのかと、砂を取り戻すための仕掛けを見せるため、ケイはケビンと地上に降りた。二、三階建ての建物が立ち並ぶエリアの広場のはずれに、打ち捨てられた手頃な建物を見つけた。近くでサッカーを遊ぶ子どもたちを呼びつけて、注目を集めた。少し離れた所で、マイアが砂白花ハイビスカスを育て、広めている。時にはやってきた通行人に手渡して、小さく笑っていた。
 ケビンは二日酔いで機嫌がよろしくないようで、サングラスをしたままでも分かるほど、訝しげに腕を組んだ。カイは二階建ての廃墟に近づいていって、子どもたちとケビンに視線を送りつつ、ポケットから小振りな筒を取り出して、蓋を開ける。筒はちょうど、大人の男の人差し指くらいの長さをしていた。廃墟の壁に近づいた彼が筒をそっと傾けると、小さく擦れる音を立てながら、砂が壁の元へと落ちた。
 カイは右手の指を折り、時間を数えた。十秒くらいだっただろうか。すべての指を折り終わった頃、一階の壁に亀裂が走り、程なくして二階の壁にも縦に大きな亀裂が走った。
「見てろ」
 カイは廃墟の壁近くから、子どもたちとケビンのいる所まで駆け戻ってきて、自信たっぷりにそう言った。ケビンは咥えていたタバコを持ち直し、サングラスを持ち上げて視界をクリアにし、それでも淡々とした目つきのまま、動ぜずに成り行きを見守っていた。
 建物が骨組みを残して分解する。実際に氷が溶けて、次々に水滴が流れ落ちるのに似ていた。通常の建物の解体と同じように、積み上げられた構成物が順番に崩れるのでなく、亀裂の入った面が溶け流れるように、一階部と二階部がほぼ同時に流れ落ちた。比喩でなく、実際、物理的にもそれは融解していた。カイが振りまいたある種の好砂性細菌は、水と砂からできた建材の水を喰らい、砂の中にねぐらを作って閉じこもろうとするのだ。それ故、固体であった建物は液体のように崩れ、後には砂だけが残されて、落ちた。
 唖然としていた子どもたちが残された砂に近づいていって、掬い上げて投げあい、騒ぎ始めた。何人かがカイの回りにやってきた。
「魔法みてえだ。もう一度、やってよ」
「近々、また見せてやるよ。もっと大きいやつが崩れるから、見てろよ」
「なんだよ。今日はだめなのかよ」
「なるほど、これを使って、街全部を崩しちまおうってんだな。あんたらは。近くで見たのは初めてだ。しかし、これじゃあ時間がかかりすぎるんじゃないか? オレの契約期間は、最長で一ヶ月だと。ベースの契約は、たった二週間だ。オレたち以外の部隊も活動しているにしろ、その筒から菌を振りまいていくなんて、悠長すぎるんじゃないか?」
「マイアが、そのために動いてる」
「あの女か。口を全くききやがらねえから、よく分からんが。あの花に、仕掛けがあると」
「そうだ。マイアを含め、何人かが地上で培養し、ダクトを通じて上へ上へと送り込む。一面が花になったら、準備完了だ。砂白花の中で非活性になっている好砂性細菌を活性化させる」
「途方もねえな。いくつビルがあると思ってる」
「好砂性細菌の繁殖力は高い。すぐに広まるさ。あんたとおれみたいな戦闘要員は砂人形で揺動しつつ、上層階へ行って、忌まわしい王族たちと、汎用都市知能を探し出して、堕とすんだ」
「なるほど、稼いだ高低差分が金になる報酬体系インセンティブにしておくべきだったか」
 ドバイの地上から下層エリアは暗い。身分の低い者が住まうという意味で陰気であるのと、実際に光量が少ないからだ。林立する高層ビル群によって太陽光のほとんどが遮られる。空は狭すぎて、ほとんど真上しか見えない。時折り吹き抜ける乾いた熱風さえなければ、砂漠のただ中であることは忘却されてしまいそうだ。
 見上げると、いくつもの高層ビルが空中回廊を経由して接続されている様がよく見える。ビルの一つ一つが、長い一本の神経細胞のように立ち上がって、時折薄い雲を貫いて空を穿とうとしている。いくつものビル同士が空中回廊により相互に接続し、ネットワーク上の構造を持っている。頂上近くに建設用重機が張り付いているような成長中のビルも存在し、成長の計画、建設計画と構造計算を統制するのは汎用都市知能だ。都市を成長させるために、数え切れないほどに人員が肉体労働や重機のコントロールを行っている。連なるビルとその結合は、都市知能の神経回路網であるかのように存在していた。
 水や電気系統の配管は、低層から中層、高層階へと引き上げられている。ビル同士はネットワーク上の回廊を通じてリソースの共有を行っているが、基本的には低層から上層への巨大な流れが存在する。
 流れを担うダクトへ、砂白花を送り込み、都市を分解する細菌を広めようと言うのだ。非活性なまま潜む美しい花たちは、活性化の合図を待つことになる。
「あんたらの計画も、壮大な馬鹿に聞こえるが、下から見上げるこの都市も、相当な馬鹿野郎じゃないとつくれないもんだな。複雑すぎる。オレは、上の方には住みたくはねえな」
 ケビンは吐き捨てるようにそう言って、サングラスを掛け直した。
 数日が経過し、他の部隊との連絡を取り合いながら、上層階への突入経路と揺動の手順が詰まりつつあった。カイとケビンはSPUを含む装備品の点検に勤しみ、準備を整えようとしていた。
「そういえば、あの女は、結局口が聞けねえのか?おれとは一言も喋りやがらねえ」
「嫌われるようなことをしたんだろ」
「ばか言え、あんな小娘にちょっかいを出すほど落ちぶれちゃいねえよ。俺の娘くらいの年齢じゃねえか」
「実はおれも、彼女とは初対面だからな。正直、どういうつもりであんたと口を聞かないのかは、よく分からない」
「何だ。そんな感じなのか? お前ら。南コーカサスの砂漠地帯に浮かぶ、ご自慢の本拠地で生まれて、一緒に育ったんじゃねえのか?」
「島には学校がいくつもある、同世代でも知らないやつはいる。おれhは選抜部隊で、15くらいから各地を飛び回らされてるから、普通より知らないやつが多いんだ」
「なるほど、エリート様は、地元には友達が少ないってわけか」
 会話の途中で、両手を白砂花でいっぱいにしたマイアが部屋に戻ってきた。男二人が長時間缶詰になっていた部屋の臭気が嫌だったのか、すぐに奥の別室へ引っ込んでしまった。ケビンは苦笑いし、新しい煙草を咥えて火を点けた。灰皿にはすでに何ダースもの吸い殻が山積みになっていて、壁に貼られた古い映画のポスター内の俳優も煙臭さに顔をしかめているように見えた。ただでさえ狭苦しいのに、気の利いた明るい照明が備え付けられているわけでもないから、部屋全体は陰気の虫が住み着く巣穴のように窮屈だ。
 カイの叩くラップトップ上に、中層階及び、上層階への潜入ルートが示される。汎用都市知能の監視の目を掻い潜りながら上へと向かうための道筋だ。ルートの一部はケビンの助言により修正されていた。彼がその修正の理由を述べる様はひどく威圧的であったが、その論理はごくまっとうなものであったから、カイはケビンの腕を認め、素直にそれに従った。
 ブルジュ・カリファを中心として、東西南北至るところで、別の部隊が陽動作戦を実行していた。砂人形は次々に撃墜されて、砂の雨となり降り注いでいたが、ドバイ軍の兵力を分散させるには十分だったし、連日加熱する報道を見ても、注意を引きつけ続けるのには完全に成功していた。
 明朝四時から、上への潜入が始まる。
 カイはSPUの残数を数え、点検をしていた。砂と接することで砂人形を形成するシート上のそれは親指ほどお大きさをしている。自らのを丁寧にしまい込んでから、彼はベッドボードの上に整頓されているケビンのSPUに手を伸ばす。ケビンは言動と外見こそ粗暴ではあるが、作戦時に用いる武器や計算端末も含め、仕事道具は几帳面に整えられており、傭兵としてのプロフェッショナリズムは貫かれている。とはいえ、彼はいま、酒と娼婦などという古典的で人間的な快楽を求めて、都市の吹き溜まりのような場所に点在する闇市へと繰り出しているだから、買い被りすぎかもしれない。SPUの命令に細工ハックを施せば、砂人形の動作など自由自在に乗っ取れるのだから、味方が部屋い残っているとはいえ、部屋に放っていくのは不用心とも言えた。
 カイは左腕の肘から手首に向けて長く掘られた海波のモチーフのタトゥーを擦る。ポリネシアの民が伝統的に使用してきたモチーフのタトゥは脚や腰、胸元にいくつも、彼の表皮の二割から三割を覆っている。それらは重ねられた祈りであると同時に、砂科学においては機能美を持っていた。最初の一つを彫った時には焼けるように痛かったはずなのに、今はどれも、彫った時の記憶が曖昧で、いつ彫ったのか定かでない。砂人形のSPUと通信をし、より自在に砂人形を操るために、タトゥーは必要不可欠だった。ポリネシアの民は、かつて海に生きた頃は、航海の安全や海への畏敬を示すためにタトゥーを彫り、水没離散後は、砂を操るための命令言語タトゥーを受け継いでいるのだった。
 昼過ぎから出張っていたマイアが戻ってきた。いわく、一日地上で花を培養し低層階の住民向けに配っていた。低層の住人は、各所に咲き乱れる花の美しさに感じ入ってピクニックなどしていたが、時折、仕事の途上で通りかかる中層以上の住人は見向きもしなかったそうだ。彼等を支配する汎用都市知能の合理性は美しさの感覚など持たないのだから。
「明日からオレとケビンは上に行く。他の部隊者たちとはうまくやれているか?」
「いえ、大丈夫、もう十分に連携できているから」
「そうか。なら、安心した。君を一人残すのが、少し心配で」
「あなたたち二人と連絡が取れなくなるのは、心配ね」
「不安か?」
 カイは自信ありげに笑ってマイアの横顔を伺ったが、意外にも彼女には不安の色は全く無かった。
「あなたたちが追い詰められた時、助けてあげられないかもって」
「オレは、君よりは場数を踏んでいると思うが?」
「どうかしら。なんにせよ。無事を祈るわ。こういう時、ポリネシアの民わたしたちが伝統的にどうしてきたか。あなた知ってる? わたしたちは受け継いだものを進化させて、こういう時にうってつけの方法を編み出したの」
 音もなく近づいて、マイアはカイの脇に立った。カイは畏れを覚えた。足元が覚束ないほど泥酔したときでさえ、訓練の末、本脳に刷り込まれた彼の警戒心は解かれることを知らないのにも関わらず、彼は彼女の気配を見失ったし、その原因がまるで分からなかったからだ。
 マイアはポーチから濃い色の鉛筆を取り出すと、彼の首元に十字に似た守護星のモチーフを描き始めた。丸まった芯の先が動き、彼女の細く美しい指先に力が入るたびに、彼は弾ける前の静電気のようなこそばゆさを感じた。
「あなたの砂人形は、マンタね」
「タトゥを彫って、どうしようというんだ」
「おまじない。それと、おまじない以上の効果があるわ。じっとしていて」
 手際よく鉛筆による下書きを終えたマイアは、荷物から取り出したタトゥマシン、継続的に安定した電圧を供給するための電源、それから細く長い針と、椰子の殻やタロイモの泥、マオの葉から精製した墨を持ち出して、カイの座る椅子の周りに設置した。古の時代には鉾により刻まれたタトゥは今はこうして、現代的な機械によって行われる。それにより、砂人形との更新回路も刻むことができる。
 マイアはコショウ科の灌木であるカヴァの茶をカイに振る舞った。祝儀に用いられてきた伝統的な鎮静剤である。カイはそれを一口で呷ると、舌先の痺れとともに、心地よい酩酊感と離脱感を味わった。とろけた自我が、肉体の外で像を結び、外からタトゥを掘られている自分を眺めているように感じた。海のモチーフを彫られている間、自分自身は見たことのない、美しい島々の光景、無数の星またたく空、希望を振りまくような暁と曙の時間が過ぎて、白い珊瑚の浜が眩しく照らされる中、甘く深く、末永き幸せを思わせるような花めく風がすり抜けるのを感じだ。何度も何度も人でない何かの時間感覚に取り込まれたような感触が余韻を残しながら、現実の肉体持つ時間感覚に引き戻されていく。
 マイアが手鏡でタトゥーを示し。小さく笑った。守護星の細かなモチーフで象られた、一頭の聖なるマンタが刻まれていた。マイアは自分の首元を指で示す。カイの新しいタトゥーと同じ位置に、守護星の小モチーフの集合として、ハイビスカスの花輪の模様が刻まれていた。彼女は何も言わず、扉から外へ出ていく。椅子の背もたれに力をかけながら、カイが酩酊の残り香を貪ろうと瞳を閉じていると、首元から聴覚へ、伝わるようにマイアの声が聞こえた。
〈聞こえるかしら〉
「これは? どうなってる?」
〈言ったでしょう、おまじない以上の効果がある〉
「砂人形を操るのと、同じからくりというわけか」
〈そう。だから、声を出さなくてもいい〉
〈こうか?〉
〈そう。明日からは、これで、細かく情報共有しましょう。そのタトゥーは、祈りであると同時に、わたしたちのつながりを現すわ〉
〈君のタトゥーの花輪は、随分と美しく彫られてる。誰がそれを?〉
〈さあ、忘れてしまったわ。けれど、この輪が断たれる時は、わたしたちの繋がりは、破壊するものを怒りと恨みを持って襲うでしょうね。みんなへの合図よ〉
 マイアはカイと視線を合わせ、もう一杯のカヴァを差し出して微笑む。二人でそれを呷り、安物の硬いベッドに横になって、幼い頃、同じ学校の友達同士でそうしたように、手をつなぎ合って深く呼吸を繰り返した。鎮静作用が永遠に続くことを願った。作用が引いた後も、穏やかに作戦が遂行されることを願った。 

3

 
 襲撃が穏やかに静かに進むめばよいなどという子供じみた淡い期待は、繰り返される銃撃音によって粉砕された。カイとケビンは中層階を内側からも外側からも少しずつ上がっていたが、行く先々でドバイ兵が待ち伏せている。インターネットを経由する遠距離通信は検閲され、近距離通信はジャミングされて役に立たない。タトゥーを通じた地上のマイアとの交信だけが生きている。彼女から受けた報告によると、すでに半数ほどの同胞が拘束されているらしい。
 ドローンが放つ重火器の音がして、テアオネの隊員の操る砂イルカがまた一つ、墜落の軌跡を描き始める。
「飛ぶぞ、悠長にやってると袋のネズミになっちまう」
「汎用都市知能がこのレベルの防衛能力を持っていたのは、完全に計算外だった。上に言っておかないと」
「全部が計算に収まるなら知恵なんていらねえよ。上に言う前に、オレたちが助かることを考えねえとな。龍で敵を寄せておくから、はやくマンタを呼びつけろ」
 撃墜されるたび、砂マンタを操るためのSPUの残数は減り続けていた。二人は街の中心、ブルジュ・ハリファ周辺の超高層ビルの各フロアを探索し、王族の住処とドバイ軍を統率し、都市の発展を支える汎用都市知能をの計算資源が格納された部屋を探していたが、2000メートル近い高さのまだ半分にも到達していなかった。残りのSPUは、持ち込んだ数の半分にも満たない。続く緊張感が心許なさを加速させる。
「敵も馬鹿じゃない、上に行くにしても、また倉庫なんかに隠れてたらすぐにやられそうだ」
「居住フロアのどっかで一息つくしかねえ。多少敵がいても、強行突破するしかねえんだよ。こういう時は。おい、龍を出すから、はやくマンタを呼べ」
 地上から、1000メートル近くを砂嵐に似た砂群が舞い上がり、辺りを一時的に視界不良にする。SPUを中心に砂龍は輪郭を結び、隣のビルとの間に吹き抜ける突風を物ともせず、空中回廊の脇を巻いて、攻撃用ドローンを何体も牙で喰らいながら暴れまわる。砂人形への対処に手慣れてきたドバイ兵の掃射が尾側から頭側へ、スキャンするように走り始める。
 一瞬の間、風が凪ぐ。止んだ自然音を背景に、攻撃の音だけが響く。
 二人は呼び寄せた砂マンタに飛び乗り、上昇を開始する。中層部の末端の居住フロアまで約300メートルを、おそらくは5秒ほどで上昇できるが、急所に向かう攻撃の軌道をドバイ兵が割り出すには十分すぎる時間だった。撃墜されれば、重力に抱かれるだけだ。
 追撃を遮らないと危ない。カイは周囲のビルの屋上に潜ませておいた二体ほどの砂マンタの形状を変更し、小魚の魚群に変えて自分の方に突撃させた。再び吹き始めた強い風に後押しされて、急加速した魚群が空中回廊に衝突し、ことごとく砂煙となって立ち上がる。ケビンが咳き込み、唾を吐いた。高度1000メートル周辺は砂による視界不良に陥り、マンタの姿を視覚で補足することは困難になった。
 急上昇したマンタを、建設中の新しい空中回廊に寄せて、二人で降り立つ。乾いた突風が吹き抜け、カイは震えた。高度が酸素濃度と温度を奪っていて、地上よりも遥かに涼しい。遠くに見えるアプリコット色の砂漠の風景が視覚と肌感覚の不協和を引き起こして、めまいを引き起こす。
「呆けてんな。早くしろ」
 回廊の工事現場のビル側の入り口に、重装備のドバイ兵が待ち伏せていた。離れたところで撃墜されつつある砂龍からの口から、ケビンが十発ほどの砂弾を吐き出させると、ドバイ兵の盾とヘルメットは抉られ、頭蓋は吹き飛ばされた。砂に包まれた辺りの視界は阻まれ、二人は居住エリアの電源ケーブルのダクトへと身を潜めた。
「完全に先読みされてるな。そこら中のセンサーがみんな敵に見えやがる。ここは、カメラはねえみたいだな」
「サーモを使われてたら、撃墜されてたな、煙幕じゃどうにもならない」
「一つ聞きてえんだが」
「何だ」
「お前らご自慢の砂人形は、防御には使えねえのか? 弾丸は、ことごとく突き抜けるわけだが。深センで適当に買ってきたSPUで、付け焼き刃の技術で砂人形を操っているオレなんかより、お前さんのが詳しいだろ」
 カイがそんなことを考えたこともない風の顔をしたのを見て、ケビンは信じられないという顔をした。
「砂を凝集すれば、盾にはなると思うが」
「集めた分、サイズは小さくなるだわけだろ。敵に囲まれて、全方位から撃たれたらどうする?」
「さあ、考えたこともないが。そういう数手詰めの状況にならないようにするしかない」
「お前ら。死ぬのは怖くねえのか?」
ポリネシアの民おれたちにとって、死とは魂があの世とこの世の間を行き来する契機であるに過ぎない。作戦が遂行できなくなるのは残念だが」
「経験深いことで。感心だ。オレも賛美歌でも口ずさみながら戦うとするかな」
 ケビンはボイラー室の天井に見つけたダクトの蓋をこじ開け、中に潜り込む。ドバイ兵か、それとも中層階の住民か、どちらかの足音が廊下に響いて、張った空気が嫌な感じで汗を舐めて落ちて行った。大人の男なら難なく通れそうな太さのダクトに、二人は順に身を潜り込ませていく。
〈ねえ。カイ。生きている?〉
〈敵の動きが思ったより早いし、汎用都市知能の性能も予想以上だ。正直、思ったより楽じゃない〉
〈毎日、たくさんの砂人形が撃墜されている〉
〈他の部隊はどうなんだ? 全体の戦況は?〉
〈五分くらいかしら。まだどのビルでも、高層階には潜入できてない〉
〈花は?どうなってる?〉
〈少しずつダクトを登ってる。もうすぐ、あなた達の高さに届く〉
 寂とした居住区域の廊下に監視カメラやセンサーがないことを確認し、降り立つ。誰の気配も足音も聞こえない。
〈気をつけて、汎用都市知能が侵入者のスキャンを始めているみたい〉
〈俺たちは中層階の上の方にいるから、下から来ているならしばらくはかからないだろ〉
「ケビン、マイアが、敵が侵入者の走査を開始したから気をつけろと」
「クソ、息がつけそうにねえな。馬鹿正直にアルゴリズミックに二分探索してきやがったら、中層階のかなり上の方にいる俺たちは一発で見つかるぞ」
 砂マンタが一頭、カイに呼び出されて旋回を始め、カイは砂マンタと視界を共有し、窓の外から二人のいる階層の様子を遠目に観察する。すぐさま隣のビルから迎撃用ドローンが現れて弾丸の掃射をはじめ、一部の流れ弾がすぐ脇のガラスに跳ねて音を立てた。砂マンタの視界からは、二人の進行方向と来た方向、両側から挟み撃ちにするようにドバイ兵が寄ってくる様が見えた。その視界はすぐにノイズまみれになり、大地に対して垂直方向を向くと、少し落ちて失われた。砂マンタが撃墜されたのだ。
「挟撃されちまう、このままじゃ」
「そりゃまずいな。砂人形じゃ、防御できねえらしいから」
「居住スペースに身を隠そう」
「中の様子、見れねえか?相手に見つからねえように、オレがタックルをかます」
 住民の資格は、汎用都市知能と接続しているから、彼らの視界に入ることは避けねばならない。カイは左腕のタトゥー、熱帯魚のモチーフの上で指を止め、力を込めた。瀬の低いビルの屋上に潜ませていた熱帯魚群の形状をした砂人形を上昇させる。各階のドバイ兵の攻撃と、すっかりおなじみの迎撃用ドローンに取り囲まれ、群れは数を減らしていく。一体また一体と落ちる中、SPUを搭載した一匹をふくむ数匹が無事に二人と同じ中層階の上部階への潜入を成功させた。ダクトを伝い、狙いの部屋を天井から覗き込む。ニカブをかぶった黒ずくめの若い女が一人、憂鬱そうな顔で重たそうな書物とにらめっこしている。彼女の座る一人がけのソファは、幸いにも部屋の入口側に背中を向ける形で据えられていた。
 ダクトから室内廊下へ、砂魚をそっと這わせ、開かれた室内のドアの蝶番の脇を抜けさせて、内側から玄関の扉のロックを外させる。外側から開く時は最新鋭の生体認証によるロックがかけられているのに、内から外に出る際には古典的で物理的な仕掛けを外せば事が済むのは、扉という機構の宿命的な性質であり、内側に住む者の自由を阻害せず、外側からの侵入を防ぐための機能に潜む陰りであった。
「ドアを開ける。真っ直ぐな短い廊下を4メートル、その後の部屋で、女性が本を読んでる」
 音を立てないように気をつけて開いた扉から忍び入ったケビンが、すり足で廊下を進んでいく。カイも後に続いて、後ろ手に閉めた扉をロックする。タイル張りの白い廊下は冷たい印象で、壁紙上でパターンを成す幾何学模様のアラベスクと相まって、純潔に囲まれる空間を聖なる安息の地であるかのように見せる。細かなノイズに似た空調の薄い音だけが空間中を漂っている。もっと音をくれ。カイは思った。生者を突き放すようなしつらえを、吹き飛ばすほどの音を望んだ。喉が、酷く乾くのを感じた。
 つい先ほど砂魚を通したダクトの通気孔から、白砂花の花びらたちがはらりと舞い始めた。
〈そろそろ届くかしら。可愛いお花たち〉
 マイアの声がカイの聴覚に入るのと同じくして、ケビンがリビングに入り、背後から女性の首元に手刀を打った。細身の女性の体は操り糸を突然に切られた人形のように、ソファにもたれかかり、気を失った。
「紅茶でも淹れて、英国紳士でも気取るとするか、廊下に来てた兵隊たちは、ここでやり過ごせんだろ。おい、やめろ」
 刀身の短いナイフで女性を刺し殺そうと手を振り上げたカイを、鬼の形相でケビンが静止し、手刀で凶器を払った。弾かれたナイフがタイル上を音を立てて滑り、壁に跳ね返ってチェストの下に滑り込んだ。狂気めいた怒りの表情で、カイを殴りつけようと拳を振り上げていたケビンは我に返り、苛立ちの残滓に身を身を任せて、足を震わせながらタバコに火を点けた。
「なぜ邪魔をする?」
「民間人をむやみに殺そうするんじゃねえよ」
「何故だ。こんな高い所に住んでるなら、俺たちの砂を奪った奴らに、加担しているのと同じだろう。それに、作戦に邪魔なら、排除するのは理にかなってる」
「人間の理にかなった行動の結果が、お前らを生み出したんだろうよ。そういう単純な合理性が、お前らの海を奪ったんだ。お前らの矜持だか狂気だかは知ったこちゃあないが、俺にも同じように矜持や狂気がある。とにかく、俺の前では、民間人を殺すな。老兵に、お前みたいな若造に拳を振り上げさせるんじゃねえよ」
 カイはケビンの言葉には納得はしていなかったが、女の気絶が深そうなことを確認すると、ドバイ側の索敵の網にかかる危険性が低いという状況は理解して、それ以上何かを言うのを止めた。薄ガラスのコップを取り出して、冷蔵庫から取り出したアルプスのミネラルウォーターを喉に流しみ、渇きを癒す。ケビンは食器棚からティーセットと茶葉を見つけてきて、鍋で沸かした湯を注いだ。大理石のキッチン台に置かれた白いカップが薄オレンジに染まり、ベルガモットの香りが柔らかく立ち上がり、音なく啜ったケビンの舌にベイキー過ぎない滑らかな味を残した。
 増殖し、地上からビルを上ってきた砂白花はすでにキッチンの頭上のダクトを満たしており、通気口から次々と花びらが落ちて待った。そのうち一枚が、空調に流されて、気絶する女性の首元に落ちた。
 ガラス窓の外は、上層階の摩天楼と、埃っぽい空、それからペルシャ湾、ペルシャ湾沿いに発展するアブダビなどの別の首長国エミレーツの高層都市が広がっていた。沿岸では石油採掘施設が煙を上げる様は、痛めつけられ、慢性化した炎症を持つ死にぞこないの地球の弱い吐息のようにも見えた。ケビンは諦めの目でその施設をぼんやりと見つめ、カイはアブダビの高層都市を怒りを持って睨みつけた。
 二杯目の紅茶を淹れたケビンが、戸棚から引っ張り出した青い金属製の箱から、細長い焼き菓子を取り出して口に運び、一本をカイにそっと投げた。何かとカイが問うと、と衰退した極東の国で作られたヨックモックという菓子屋の焼き菓子で、名前はシガールだと傭兵は答えた。
「サムライとかいう戦士たちもこれを食っていたから強かったのかもしれんな。甘ったるいが、うまい」
 ケビンは刀を振るような仕草を見せながら、気絶した女の脇に近づいた。カイはシガールをひとかけら口にしてから、キッチンの通気口から落ちてきた別の砂白花の花びらをつまんで、大柄なケビンの脇に窮屈そうに進んでから、すでに首元に落ちていた花びらの上に、もう一枚を重ね、それから好砂性最近の仕込まれた筒を取り出すと、ぱらりと数回、料理の最後に塩気を足すかのような軽さで、振った。軽く視線を向けていたケビンが、驚いて目を開く。
 首元に埋め込まれた生体チップが、砂煙を上げる。激しい吸熱反応が起こり、角に冷やされた肌が痛々しく真っ赤になった。カイが撒いた好砂性最近が砂白花中で眠りにつく好砂性細菌と反応し、分解反応が始まったのだ。半導体を構成する高純度のシリコンも、元はと言えば採掘されたケイ素岩である。コンクリートを分解するのと同じ原理で、溶かすことができるのだ。
 生体チップの融解は、汎用都市知能との絶え間ない接続の切断と言える。ある種の解放である。解放された者は通常なら汎用都市知能の支配するドバイでは虐げられるわけだが、ドバイはこの後、その支配者もろとも砂に戻されるのだ。作戦が成功すれば。
「なるほど、シリコンベースの計算素子は、ことごとく破壊できるってわけか。汎用都市知能のサーバールームでこいつらが働けば、全部を壊せるってわけだな。ドバイを崩し、都市知能と王族に鉄槌を下し、人民を解放する。高尚なことじゃねえか」
「解放はあくまでも、副産物だ。それに、生身の方が幸せだとは限らないだろう。単純に、殺さないでいると、目が覚めた時に厄介だと思っただけだ」
「危ねえぞ」
 突如として、目覚めた女が立ち上がり、跳ねる。細身の身体から想像される速度を超えている。豹のように四つん這いになった女の顔が鼻の辺りで4つに割れて開き、冷たい銃口が出現する。首元の半導体素子が焼き切れた事により、司令塔である汎用都市知能との接続は確かに絶たれたが、逆に言えば、完全に制御不能に陥ったのであった。女、まだそう呼ぶのが正しいかは定かでないが、その身体のほとんどは機械であった。自律的な認識機構に従うがまま、視界に存在する異物を排除するために動き始めたのだ。
 轟音、亀裂の入った窓が気圧差を生み、ガラスの外側への風が発声する。
 もう一発。轟音、ケビンの後の壁で跳ねて、今度はガラスを粉砕して、一人分程の空白を生み出す。
 廊下で多くの足音がして、足音の主たちがドアを激しく叩く。カイの掛けた鍵で、一応は侵入を防ぐことができていた。今はまだ、目の前の的に対処するだけでいい。
 四足歩行のやつの口元で銃声がして、弾丸はカイの右肘を軽く抉り、背後の鏡を粉々にする。カイは跳び、ソファの背後に伏せて、下の方の階層から、隠れさせていた砂マンタを呼びつける。ケビンは咄嗟に女が座っていたソファを構え、敵に向かって投げつけ、怯んだ隙に懐から取り出したナイフを首元につきたてようとした。確かな人の肉の粘土と、骨で刃が止められる嫌な感触。切れた頸動脈から血が吹き出して、白い大理石のキッチンの上に赤い血溜まりを落としていく。
「殺さないんじゃ、なかったのか」
「こいつは民間人じゃねえ。こいつら、どこまで機械だ」
「機械が読書なんかするかな。手足以外は、人なんじゃないか」
「俺もとっておきを呼びつける。早く窓から飛んで、降りるぞ。ドアが破られたら、何の盾もねえ」
「いや、上に行くぞ。このままじゃどのみち、袋小路だ。一か八か、上に忍び込むぞ」
 入り口が破られる音。ドバイ兵ではなく、身なりのいい男たちが並んでいる。みな一様に、皺のないストライプスーツを着て、赤や紺のシルクのタイで首元を飾っている。全員が四つん這いになり、テーラーメイドの革靴と、金しか信用しない疑り深い金融マンが唯一信を置くというスイス製の腕時計を巻いた手に力を込めて、カイとケビンめがけて跳ねる。ヒトか、四足の獣か。どこまでが機械化され、どこまでが汎用都市知能の統制下にあり、どこまで自律しているのか、探っている間など一秒たりともない。
 戦場と化した部屋を発見し、集結をはじめた迎撃用ドローンの銃声が、窓ガラスを水平に走査する。
 ガラスは全て割れ、次の一斉掃射の盾になるものはなにもない。
 カイは息を飲む。砂マンタが到来するまで、あと5秒はかかる。砂マンタの視界に切り替えると、ドローンの部屋の全面を蜂の巣にするために標準を合わせている様が見えた。猶予は2秒もないように思えた。
「伏せろ。窓の端に砂マンタを呼べ。早く」
ケビンがカイの元に飛び込み、キッチン台の影に伏せる。ドローンの羽とは異なる、地響きにも似た音が急速に接近する。それは羽音の群れであった。優雅な海岸の雰囲気をぶち壊しにする、耳元を飛び回る嫌な銀蝿が残す音が群れだ。音の招待が部屋の一面に飛来した。殘酷な運動量を持った、小さな体積の連なりが、ドローンと四足の住人たち、金属部位を次々に貫いて破壊していく。穴だらけになった壁は、その羽音の正体で埋め尽くされ、埋め尽くされた上からさらに飛来したモノが床に落ちて、生を惜しむように少し震えてから動きを失う。
 六本足、昆虫、砂バッタの群れ。
 飛蝗。かつては広大な中華の各地を、飢餓に陥れた魔物。龍が空想上の強さのシンボルであるとすれば、そいつらは、現実的な死のシンボルであった。
「とっておき、龍じゃねえのかと思ったが、今度から、深セン製を買うときは、こっちの方を揃えた方が良いな」
 カイが呼びつけた砂マンタ十体ほどが窓の外によりつく。二人は飛び乗ると、望みをかけて上層階を目指す。
 迎撃ドローンも、先程の住民たちと同じように機械化されたドバイ兵も、彼らを討とうと集結し、機敏に逃げる二人と、その周りを飛ぶ砂マンタに標準を合わせる。追尾式の弾丸に狙われ、一体、また一体と砂マンタは落とされ、残り五体になる。
 800メートルほどを上がる。未だに建設の続く、ブルジュ・ハリファの頂上が視界に入る。四体で砂針を撃ち、高層階の窓を破る。時間稼ぎにしかならないが、空中で撃墜されるよりも、生存確率は上がるだろう。外に残した二体を犠牲にドローンの群れを迎撃し、高層階のフロアを走る。 フロアにはドバイ兵の姿もなく、警報音が鳴り響くことも、空調の音もなく、聴覚を奪われたかのような静寂が二人を包む。廊下の壁のアラベスクの幾何学模様の繰り返しが、空間が無限に繰り返して続くような錯覚を生み出していた。模様の無機質な繰り返しはこの都市全体に似ていた。繰り返し、成長し、繋がり合い、蠢き合う都市建造物。それを制御する汎用都市知能、世界各地から奪われた砂を食らって、この都市は生き物のように、いや、生き物として、成長を続けているのだった。
「人っ子一人、いねえな。SPUはほとんど使い切っちまったから、誰も出てこねえのは、願ったり叶ったりだが。カイ、お前の、残りは」
「外に三体、あと七つ。迎撃が激しければ、ここまでは連れてこれない可能性が高い」
「王族様がこの辺りにいてくれるか、計算資源の部屋がないと、どうにもならんな。しかし、このフロアは、建設中か。照明もまともに、ついちゃいねえ。壁ばかりはモスクみたいに豪勢だが」
 開けたホールに出た。ケビンは身構えるが、その先にいたのは掃除ロボットの群れだった。ホールの中は抜けていて、天井は驚くほどに高い。天使の梯子のように光が降り注ぎ、あちこちに水路があった。音のない場所に唐突にやってきた水音は、耳によく馴染んで心地よかった。水路のそばには、色とりどりの花と、蔦が植えられていた。暑さを避け、忘れるために中東の町が伝統的に持つパティオか、白い浜の海岸線のヤシの木の林の木陰のように穏やかであった。人影かと思うと、配膳ロボットが食事を運んでいる。犬型ロボットがボールで戯れている。人が作りし避暑のための形式こそ模倣されているが、動き回っているのはみな機械だった。
 ケビンが回廊を掛けていって、中層階と同じような居住用の部屋の扉を破る。中には読書する人型の機械の姿があった。隣にも、その隣の部屋にも、彼らはケビンの突入に驚く様子もなく、何事もなかったかのように元の生活の形式をなぞり続けた。
「何の冗談だ、こりゃ。上の方は、機械が住んでるとでも言うのか?」
 ケビンはシニカルに笑い、あちこちの部屋に入り込んでは、住む者たちの様子に戸惑った。あるものは読書をし、あるものは神に祈りを捧げ、あるものは低層から中層階の戦闘を報じるニュースを見ていた。
〈もうすぐ、上に届く〉
 カイの真上の通気口から、はらりと、ダクトから砂白花の花びらが落ちる。
〈マイア、君は無事か?、上は、何かの冗談みたいだ〉
〈どうしたの?〉
〈機械しか住んでない。この都市は、機械の為に際限なく拡張され、汎用都市知能により制御され、そのために俺たちの島みたいな、人間が住むための砂は奪われてる。無機質な無為の上に、自己目的化した無為が重ねられて、それが自律して動き回ってやがるんだ〉
「おい。呆けてんな。どうやら、囲まれたぞ」
 機械の住人たちが、いつの間にか二人を取り囲んでいた。二人は共に身構えたが、包囲網を構成する機械達は誰しも、彼らに対する攻撃姿勢を見せていない。ただ淡々と、押しつぶそうとするかのように、動くことが可能な領域を狭めていくだけだ。
 二人の首元に、痛いような心地よいような衝撃が走る。
 床に倒れた二人の体を住民たちが担いで運んでいく。最上階近くへ向かう連続する螺旋階段は、人が登ろうとするには長すぎたが、疲れを知らない身体にとっては、何でもない高低差であった。   

4

 
 20メートル以上も吹き抜けた天井の下に、巨大な空間が広がっている。フロアの外周を囲む回廊の東西南北にエントランスが開かれ、各エントランスには20名ずつくらいの警備兵が任務に立っている。一つのエントランスから対岸のエントランスを見ると、警備兵の人影は霞み、個々人を捉えられなくなるほどに広い。見えるだけでなく、警備兵たちには実際に個々人など存在しないのだ。この巨大な空間を構成するための巨大な最適化問題の解を与える計算・認識エンジンを備えた汎用都市知能に、どの警備兵も完全にコントロールされているし、そもそも、彼らは全て、その身体は完全に機械であった。
 高く抜けた空間の中心付近に、白い民族衣装カンドゥーラを纏った男たちが一同に会している。首長国エミレーツに特有のカンドゥーラは、カイやケビンのような文化の外側の者から見れば何の変哲もない中東風の衣装にしか見えないが、西洋のシャツめいた襟はなく、糸を固めた3つか4つのボタンがとめられて、首元から長い紐が腹回りまで落ちている。頭にかぶる白い布シュマッグ巻くイガールはカラフルで、高貴な身分を表す模様が刺繍されたものもあった。男たちの後に、ニカーブにヒジャブの黒い布に全身を隠した経験なムスリムの女性たちが控えている。
 カイとケビンを運ぶ兵たちの足音が、空虚な空間に鳴る。広すぎる空間は、そのような僅かな音が発しても、跳ね返すまでに長い時間を要求する。一番に高貴な装飾の服装の男たち、19世紀の初頭から300年近くドバイに反映をもたらしたドバイ首長国エミレーツの長であるマクトゥーム家の王族たちだ。
 腰の後で手を縛られた状態で、二人は王族たちの前でひざまずかされ、首元に月形のサイフの冷たい刃があてられた。
 頭を覆う白い布シュマッグの向こうに、高貴な男たちの凍るように無機質なガラスの瞳が輝き、視線で二人を貫いた。彼らの視界に映る二人の像は、即座に背後の認識エンジンに送ら、どちらが何者なのか、現時点で分かっている情報を彼らの知覚へと流し込んだ。彼らの知覚は汎用都市知能に接続し、一体化していた。
「肉声の出し方など、とうに忘れてしまっていたよ。死ぬ前に、名誉だと思いたまえ、我々の声を聞いた半世紀ぶりの人間であるぞ、君たちは」
 ケビンは何も言わない。突きつけられた死を前にして、むしろ酷く現実的なことに思いを馳せていた。この度の作戦が失敗した場合のフィーは、いくらであったか、テアオネが契約通りに彼の口座へと支払いを済ませるだろうかと。カイは後手にもがき、何か恨み言を叫ぼうとしたが、兵の一人に蹴り上げられ、うめき声を上げ咳き込んだ。
「君の組織はテアオネとかいったね。ポリネシア、タヒチ、私の父上の世代は時たま遊びに行ったようだがね。身体を機械化し、永遠に近い命を得た我々には、旅行などすでに退屈な娯楽だ。砂漠化は進みすぎて、どこに行っても同じようなつまらない世界が広がっている。飽いているのだよ。我々は、もはや、この都市ドバイを巨大化させつづけることだけが快楽だ。機械化した我々のための、機械の住民たち、我らの機械化身体からだは当然、成長を内包しない。それは外にある。この都市こそが我らの身体であり、成長の象徴だ。成長を続けることで、我々は淡い青春の日々のような、伸びゆくことそれ自体の希望と快楽を得ることができるのだよ」
「お前らが膨らむ分、俺達は奪われてきたんだ」
「しかし、君たちとて、どこかで、人か、もしくは生き物か、自然か、何かの搾取に加担しながら文化を保っていたわけだろう」
 死なない身体を持った王族の一人が、金属の足をカイの前に進めて笑う。
「それに、今も、君たちは奪還という名の破壊行為に勤しんでいるわけだ。科学サイエンスを使えば、人類は寿命も、環境の変化さえも越えることができるというのに。君たちの砂科学サイエンスとやらは素晴らしいな。砂マンタも魚も、中華製の砂龍も、非常に華麗に動くじゃないか。砂の上の航海技術も、砂の島とやらも、話に聞くとなかなか画期的だ。だが、それを破壊行為に利用するのは、人類の進歩に対する、冒涜だと思わないかね」
 王族が指示すると、兵は月型の刀で斬首の構えをする。
「おれを殺しても、お前らの輸出する汎用都市知能全部がこの世から消えてなくなるまで、テアオネは活動し続けるだろう。おれの死は何の意味もない。テアオネ《おれたち》は動き続ける」
「死に際に吠えるのは、恐怖する者だ。そっちの男を見ろ、気高い戦士として、一言も発しないではないか。まずはそっちから、首を落としてやろうか」
 ケビンは何も言わず、唇を噛んでいた。秘密組織のアジトを探索するときなどは、自殺用のピルをいつでも飲めるように準備しておくのが常だったが、今回はそうしなかったことを悔いていた。娘の高校卒業が近かった。砂漠化で荒廃した世界であっても、教育のシステムは生き残り続け、ティーン達は入学と卒業の通過儀礼を経て成熟していくのだ。
 気高い傭兵は、地に額をこすりつけて、その冷たさを感じながら、生まれて初めて、心からの祈りの言葉を発した。神への信仰も聖性への関心もなく、異国の地で異教徒の手にかかることに宗教的な嫌悪感はまるで感じていなかった。ただ、愛するものを残して消えることに怯えて、本当に小さく、他の誰にもわからないように震えた。金の為に働いた、生きるための営為だった。それ以外を何も信じない自分は、首が落ちた後どこに向かうのだろうか。
 振り下ろされた刀の曲がった刀身が、首を殴るような音を立てる。
 二度、三度、血しぶきと共に振り上げ、振り下ろされる凶器から滴り落ちた温い血液が、カイの鼻と口に跳ねた。ゴロンと拍子抜けするような音が立って、傭兵の首は二、三回転して、鼻が床についたところで摩擦を受けて止まった。
「お前と違い、最後まで吠えなかったな。立派なものだ」
「おれも、死など怖くない。あんたらのように、不死の身体をほしいと思ったこともない」
「なら吠えるな。我々も、死を怖がってこうなったわけではない。むしろ今は、この生の方が怖いさ。お前らのように、何かを成すために生きられることほど、怖くない生というのはない。我々はみな、飽きることに怯えている。こうして計算・認識エンジンと接続し、数多の情報を瞬時に得ることができるようになると、真新しさは常に減っていく」
 王族たちはすでに、身体を機械化するだけでなく、多量の計算リソースに支えられる知能エンジンと自らを接続していた。言葉通り、高層ビル群はみな彼らの身体であり、身体を貫く神経細胞であり、ビルを結ぶ空中回廊は神経間シナプスであった。動き回るドバイ兵たちは随意な神経伝達物質や血液であり、機械の兵隊たちもまた同様であった。
「死ぬ前に、父上が見たという、お前らの国の舞踊を見せてもらおうか。この目に、お前らの砂科学サイエンスを刻みつけようじゃないか。我々を、飽きさせるなよ。下手な真似をしても無駄だ。お前らの砂人形を動かしてるからくりを、いつでも撃ち抜く事ができる。おい、こいつの仲間の女達を連れてこい」
 機械の兵隊たちがテアオネの女達を連れてくる。皆一様に手に砂白花を抱いている。その中にマイアもいた。マイアはカイに目配せしてから、他の女たちを整列させ、しなやかな両の脚に力を込めて立った。
〈後少し。上を見て〉
 カイが身体を捩って見上げると、上から一枚の白砂花の花びらが落ちてきた。彼女たちが仕込んだ花は、すでにドバイで最も高い所まで到達しているらしい。
〈踊る。踊り終わったら、始まるわ〉
 全部で8人の女たちが一斉にスローダンスを始める。目一杯両手を広げ、腰を滑らかな流線に従わせて足先で周り、回るのに合わせて風を描くように腕をゆっくりとなびかせる。後にハワイへと渡り、フラへと変化した舞であるアフロアと呼ばれるその舞は、かつては神を歌い、愛や平和を象徴した。緩慢すぎる体の動きは、見るものの時間間隔を際限なく引き伸ばす。この場が永遠に続くかのように錯覚させる。
 頭上からいくつもの花びらが降り注ぐ。みな女達の踊りに注意を奪われている。呼びつけた砂マンタが三体、近くにやってきて、王族たちの注目を集める。
 舞が終わる。観客である高貴な者たちはみな、柏手を打ち乾いた音を立てた。左から順に、彼女たちはひざまずかされる。どの女の首にも、マイアと同じタトゥーが掘られている。一人、また一人、タトゥーを分割するように、兵の刀が振り下ろされていく。誰一人、小さな悲鳴ひとつ上げることなく、斬首を受け入れていく。
 最後に残されたマイアの首に、刀が当てられる。
〈首が落ちたら、後は頼むわ〉
 カイが言葉を返すより前に、マイアの首が落とされる。一滴の血も、流れ出すことなく、落ちた彼女の首は、切断面から砂になり、流れ出し、胴体も同時に形を失い、瓦解し、溶けだして、床の上の一山の砂となった。彼女の身体は全部が白く、全部が細かな形を持つ珊瑚の砂であった。後には一枚のSPUが残された。元は彼女であった砂が触れると、近くにいた二体の砂マンタは共に形を失い、あたり一面は煙たさに包まれた。砂マンタの形が完全に無くなると、マイアのと同じように、SPUのシートが二枚、音もなく床に落ちた。カイが操っていた砂人形と同じ動作原理で、マイアは動き、言葉を発していたのだ。マイアは一つの、砂人形であった。
〈これで。みんなと一緒になれる、80年ぶりのこと〉
 彼女の声がカイの脳裏に響くと同時に、立ち込めた砂煙に含まれる好砂性細菌が空間中で活動をはじめ、吸熱反応のせいであたりは寒くなった。王族たちを制御する頭蓋の中の半導体も、体幹を支える胴体の半導体も一様に、ケイ素に戻されていく。計算機能を失った王族は次々と停止して、ただの金属の愚鈍な身体だけを残して床に倒れた。兵士たちも皆、活動を止めた。カイ以外の者が全部溶けてしまったとき、天井から数多の砂白花が舞い落ちるのと同時に、鉄筋部材が何本も、真っ平らな床に降り注いだ。轟音とともに、広い空間の壁を構成していた建材は皆、溶け落ちていく。
 床に亀裂が入る。2、3回踏み閉めれば割れ抜けてしまいそうだ。
 王族は皆、身体を失った。身体に閉じ込められていた心は、このまま放置すれば何年持つのだろう。
 床が抜ける。建物の構造が揺らぐ。下の2つのフロアの床はすでに抜けていた。壁や天井から溶け出た砂は風にあおれらながらも、重力に従い、一部は大地へ、一部はさらに下の階へと降り注ぎ、好砂性細菌を伝搬させた。活性化した好砂性細菌の一部はすでに、建物の上から下を貫くダクトに咲き乱れた砂白花を媒介に伝染し、各フロアで活性化を開始した。マイアの首に刻まれたタトゥーが二つに割れたことを合図に、ブルジュ・ハリファだけでなく、他のすべてのビル群を満たした好砂性細菌が、上から降り注ぐ砂に反応して活性化をはじめた。
 これより、砂漠の夢と呼ばれた都市は、夢のように消え去るのだ。あとに残るのは、都市の構成物のくびきから開放されたポリネシアのサンゴの砂が、再び集結するという夢だ。それは、しかし、誰が見た夢であろう。
 カンドゥーラやニカブを着た高貴な生まれの男女がみな、機械化した身体を制御する素子を失って地に倒れていく。彼らは神への信仰を形式上は模倣し続けたが、はたして劣化しない身体を入手した後も生と死についての感覚は信じる者のままであったのか。聖典に記される通り、終末の日が到来し、最後の審判を受け永遠の来世に導かれることを信じ続けていたのか。神に裁かれるのは復活させられた死者たちだ。死なない身体を手に入れた瞬間に彼らは、その瞬間を待つ意味を失ったのかもしれない。
 すでに汎用都市知能とほとんど一体化していた彼らは、身体と思考を支える計算を司る素子が砂に戻されたとき、どのように消える瞬間を知覚したのか。
 あるいは、消えていないのか。
 テアオネの敵は富の上に立ち簒奪を見て見ぬ振りをする王族でなく都市の成長と生存を願う都市知能であった。
 幾つもの巨大な音が鳴った。カイの目の前にガラスが落ち、粉々に砕けた。破片にはすぐに好砂性細菌が取り付いて、儚い砂だけを残した。カイは残った砂マンタの尾を持ち上げて、狙いを定めて針を打ち込み、後手の縛りを解いた。
 駆けだす。フロアの骨組みが瓦解し、倒れ込む隙間を走り抜ける。
 生き残った兵隊が、カイに向かって発砲する。砂マンタを盾にしようと試みるが、叶わず、突き抜けた弾丸が彼の腹を抉り、痛みが頭に深く焼き付くのを感じる。崩壊した窓際から下を覗き込むと、すでに建物の上層部はひしゃげ、構造が不安定化し、崩落の放物線が描かれるのをただ待っているだけであった。
 砂マンタを飛ばせ、飛び乗る。風が強い。砂煙が舞い上がる
 砂煙の中、摩天楼も空中回廊も、全部が崩れ行くさまが見える。時はすでに夕刻を迎え、傾きかけた橙の陽の光が砂に跳ね返り、反射が強調されている。黄昏時の光は、一帯すべてを斜陽と解放のまだらに染められた美しい夜会服へと着替えさせていた。カイは地上近くに潜ませた砂マンタの視覚系を自分と接続する。幾つもの砂船が訪れている。テアオネ本部から派遣された別働隊であった。彼は彼らで、砂人形を駆使し、砂の雨が降り注ぎ、鉄筋やガラス片、都市の身体のあらゆる構成物が降り注ぐ中、下層の住民を安全な場所へ誘導し、汎用都市知能と接続した生体チップを失った中層住民達をカイと動揺の砂マンタで回収し、避難させていた。
 彼らの設置した巨大なSPUの元へ、都市の融解と共に解放されたサンゴの砂が集結を始めていた。
 視界を元に戻し、カイも下降を始める。崩れるブルジュ・ハリファに巻き込まれながらも、統率を失い混乱した迎撃ドローンの一団が周囲を無差別に掃射しながら下降していた。カイは砂針を打ち込み、一体ずつ撃墜しながら下降していく。
 幾つもの追尾型兵器の弾道が彼に標準を合せる。
 命中寸前で彼は空中へと身体を投げ出し、砂マンタを自律モードに切り替えて下降させた。砂へと融解し崩れたビルの骨組みの上が、傾斜してたわみ、街にかかる巨大な鉄橋のようになる中を、走り抜ける。
 崩壊の音は全部混ざり合い、轟音に轟音が重なり、周りの音すべてをかき消してしまう。あらゆる場所が崩れて、都市が断末魔を上げているのに、逆に言えば、彼の周りは驚くほど寂としていた。
 跳ぶ。
 跳ぶ。
 跳び、跳んだ。
 横たわっていた機械化した兵隊たちがみな、落ちていく。骨組みを掴み、また空中へ身を投げる。落下が始まると同時に、自律した砂マンタが彼の下に姿を表し、カイは背中に軟着陸する。
 腕に掘られたタトゥーに熱を感じ、指でそれをなぞると、砂マンタが周囲の砂を吸収して肥大化していくのが分かった。崩壊するビルが幾つも、地上の民衆やテアオネの砂船めがけて倒れ込んでいるのが見える。
 このままでは、砂船が潰される。
 マンタの尾を向け、ありったけの砂針を叩き込む。砂を打つ度にマンタの身体は小さくなるが、同じ量を周囲から吸収するのだった。
 一時的に宙に浮き、重力にまかせて地上の増援や民衆の上にのしかかろうとしていた現代都市の部分は全て砂針により空中で解体され、砂に戻されて地に降り注いだ。
 彼が時間をかけてゆっくりと地上へ降りると、砂煙が薄れていくのが見えた。黄昏から夕映えへ、橙でなく薄紺をぬりたぐった空が。小さな星々を従えて現れていた。
 高度を下げる。遮る建物のなにもない空は、こんなにも広い。住民たちは皆、解放感に浸りながらも呆然としている。空を見上げていた民衆たちが、テアオネの砂船の傍から巨大な何かが立ち上がるのを見て騒ぎはじめた。巨大SPUの元に集結したサンゴの砂が、巨大な炎のように立ち上がり、白く輝いていた。
〈タンガロア〉
 マイアの声を聞いた気がして、カイは耳を疑った。首元のタトゥーが、あの砂の炎と接続しているように思えた。タンガロア、その名前を教育施設で習ったことがある。ポリネシアの神。夜になると火の姿になり、死者の魂を連れて行く創造神である。タコのような爬虫類形をしているとも、竜やクジラの形をしているとも言う。見る場所、見る者、タイミングによりその姿を変えると言われるそれは、動く度に網膜上の像を変える。あるときは竜に、ある時は巨大なタコに、またあるときは祈る女性に、またあるときはクジラに。
 タンガロアがテアオネの本拠地に向かい動いていくのを民衆も、カイも、増援に訪れたテアオネの一団も、姿が小さくなるまで見守っていた。
「ご苦労だった。船で、よく休むといい。その傷も、早く手当をしないと」
 テアオネの隊員の一人がカイを発見すると、そう声をかけた。
 銃弾に抉られた腹から、血が滲んでいる。
 いや、砂か。首を撥ねられたマイアと同じように、白い砂が。落ちているように見えた。
 首元のタトゥーが熱を持つのを感じ、そちらに気を取られていると、傷の見え方は元に戻った。

5

 珊瑚の砂の匂いに導かれて、カイは記憶の再生から元の時間へと引き戻された。砂船内の司令室の中、彼の目の前には、冷淡そうながらも口元を緩めるテアオネの幹部の姿が並んでいた。首元のタトゥーに、また熱がこもるのを感じた。鮮明すぎて、連続的すぎる記憶の想起は、彼の思考に鈍い疲れをもたらしていた。記憶がこんなにも線形に思い出されるとは、思ってもいなかったのだ。
「君が見たものを共に見させてもらった。ドバイの王族共が、あんなになっているとはね。面白いじゃないか。我々を奪い、砂の上に虚栄の楼閣を幾つも打ち立てた彼らはこうして、無意味に都市の拡大を続け、全てが白紙に戻ったわけだ。元より無意味なら、崩して元に戻すという我々の行為の方にこそ、より重い意味があるようにも思えるね」
「おれは、あんたたちは、一体」
われわれわれわれだ。そうでない者もまだいるが、君は、少なくとも。でなければ、このように連続的シリアルに記憶を読み出せるはずなどあるまい。生体記憶はランダムなのだから。さあ、地図に任務完了の印をつけよう、次はどの都市から取り戻すか。君に委ねよう。我々が我々の島々を取り戻すまで、世界中に広まる都市知能あいつらの戦いは続くのだからな」
 おれの父は。おれの祖父は。砂科学は何を生んだのか。そう思いながら、カイは、腹の傷の直りが早すぎることと、ふさがった傷の中で砂が蠢いて回るのを感じた。身体を切れば砂が流れるだろう。砂を奪われた怒りの感情が、彼の身体を今までになく鮮烈に支配していく。次はどこか、ニューヨークか、トロントか、シンガポールか、ラゴスか、アディスアベバか、パリか、ドレスデンか。
 ケビンがくれたあの焼き菓子シガールを食べに、トウキョウに向かうのもいい。

文字数:34796

課題提出者一覧