Just Universe Started COmma few seconds before

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梗 概

Just Universe Started COmma few seconds before

中学生の姉妹はジャスコの吹き抜け広場で、これから始める殺し合いについて話し始めた。

二人は今日学校帰り「天啓」を受けた。曰く、宇宙138億年は全て虚偽で、全ては天啓の5秒前に今あるように偽の記憶と共に誕生したもので、姉妹たちの生きた記憶も全て存在しなかった偽りだ、そしてその宇宙を作ったのは姉妹たち自身だ、と。

妹は語る。私達を作った父と母は、私達に全てを生み出す創造力とそれを消す力を与えた。でも創造主は2人も要らない。2人作ったのは、それは父と母の暇潰しに私達を殺し合わせるためだ。
 父と母は私に「悲観」を与えた。今わたしはこう考えている。全ての記憶が偽りで私たちの意図でしか宇宙が続かないなら、この宇宙に意味はない。今すぐに終わらせたほうがいい。

そう言うと、妹は手を振って宇宙を消そうとした。姉は反射的にそれに対抗する。
 ジャスコから人が消えた。
 宇宙を消す力とそれに抵抗する力の衝突の結果、空間だけが残り命が消えた。

妹は翼を生やすと浮かび上がり、眷属として12体の人間を創造し、マシンガンを創って姉に向けた。お姉ちゃんはこの宇宙で「悲観」ではなく何を与えられたの?

私はそれでも、この宇宙を続けたい。

姉はそう静かに言うとベンチから立ち上がって、吹き抜けに浮かぶ翼の生えた妹をじっと見上げた。
今日産まれた宇宙を賭けた戦いが始まった。

戦いは妹が有利に進んだ。創造主は命を産みも消しもできるが殺してしまえば二度と復活させることはできない。姉は人間を殺せない。姉はフードコートのテーブルに身を潜め銃で牽制し、紳士服売り場のマネキンで攪乱はできても防戦一方だった。フロアを駆け巡りながら、姉は幼い頃から妹と過ごしたジャスコでの出来事を思い出していく。そして姉は一つの作戦を思いつく。

一方の妹も翼を使いフロアを滑空しながら、どうしても二人で遊んだ記憶が頭をよぎる。妹は振り捨てるように呟く、全ては偽りの記憶なんだ、と。妹はフロアから姉の姿が消えたことに気がつく。お姉ちゃん、どこ? 妹は迷子の子供のように姉を探す。

やがて戦いに決着がつく。立体駐車場に姉を探しに来た妹の背後を姉がとった。職員用出入り口の秘密通路。記憶のなかで初めて二人だけでジャスコに遊びに来た時に見つけた秘密の場所だ。姉はそこに潜み機会を伺っていたのだ。妹にも同じ偽の記憶はあったはずだが、それは偽だからと思い至るまで思い出そうとしなかった。

姉は銃を突きつけた背中に思い出を語る。そして最後に、偽りでもあんたは妹だ、妹は殺せないよ、そう言って自分を撃つ。妹の後ろで姉は頽れる。姉は最後の力を使って、妹が消した宇宙の命を再生する。ジャスコに人が戻ってくる。妹はもうその命を消そうとしない。妹は泣きながら姉に最後に訊く。お父さんとお母さんに、お姉ちゃんは悲観ではなく何を授かったの? 
 姉はふふっと笑った。
 可愛い妹だよ。
 そして姉は目を閉じた。

文字数:1200

内容に関するアピール

中学生の姉妹が学校帰りに宇宙を作ったのは自分たちだと唐突に気づいて寄り道したジャスコで天使になって銃撃アクションで戦うという話です。

ジャスコには幼いときから車で両親に連れられて、姉弟で喧嘩したり、わがままをいって置いていかれたり、中学生になる頃には自転車で行くようになって、テスト前にはよく一人で勉強していました、デートで女の子を連れた級友を目撃したり、進路で悩む友人の話を閉店時間まで延々と聞いたり、いまでもフードコートで拉麺を啜りながら隣のテーブルの家族連れとか中高生をみるとそういうことを思い出します。思春期の頃の破裂しそうな頭で吹き抜け広場の階段に座って、もしこの場所に特殊部隊が攻め込んだりテロが起きたりしたらとか、もしこの世界が5秒前にできているのだとしたらとかいろいろな妄想をよくしました。そして、そういう時間を過ごした人というのは絶対に自分以外にもいるのだと信じてます。

文字数:393

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Just Universe Started COmma few seconds

――世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。

バートランド・ラッセル

 ――あんた、それ、ここで悩むようなこと?

中学生だった自分に姉がジャスコで言ったこと

「お姉ちゃん、帰ろう」
 いつもの放課後、いつもの帰り道、お母さんとお父さんはいつも夜勤で遅いから、いつもどおり晩御飯を買って、それから少しフードコートで勉強をして、それから太る、太るって笑いながら、食べるしょっぱい拉麺、長崎ちゃんぽん、はなまるうどん、ロッテリアの醤油バターシーズニングのふるふるポテトに、それでも二個も三個も食べるミスタードーナツ、結局どれが一番太るんだろうねって言って、どれも太るでしょ、ってお姉ちゃんが突っ込む紙コップの冷水器、それらとは違ういつもの”帰ろう”。
 まんまるの太陽がわたしの瞳の円と重なって宇宙の闇に沈む。
 いま、目の前で全てをつつみこんで、年上ヅラしてるあの太陽は、これから顔を見せる月は、わたしたちより年下。太陽と月は私たちの子ども。まだ産まれたばかりの5秒前の赤ちゃん。
 あの高架線の向こうの雲から、この稲穂を黄金に染めて、自転車で農道にこうして立つわたしたちの瞳に届く夕焼けの光は、遠くで響く列車がレールに軋んで風を揺らしながら、わたしの耳から内側に侵入してくるその音は。
「リオ」
 隣のお姉ちゃんがわたしを呼んで、スカートまで真っすぐ力なく降ろしていた指先でこの手に触れてくる。わたしがそれを受け入れて五本の指は絡み合って一つになる。夕焼けに暖められたお姉ちゃんの手は温かい。山風にさらされたわたしの手はきっと冷たい。わたしはお姉ちゃんのほうを向いて残った手で瞳から零れる星を拭ってあげる。お姉ちゃんの涙は暖かい。わたしの涙は冷たい。
 わたしにお日様のような顔向けると、鼻を啜ったお姉ちゃんはわたしたちの後ろで大きく影になって聳え立っているその建物にわたしを誘い込む。
「少し話そう」
 この宇宙の本当の出来事を伝えてきたその夕焼けに立ち尽くしたわたしたちは自転車のペダルを踏みこんでタイヤを回転させる。いつもの通学路に使っている171号線道路裏の農道から舗装された緑道に入って灰色の駐車場からその敷地内に入った。買い物客の自動車の列が黄色い自動バーゲートの前で数台列を作っている。その脇を通って駐車場から自転車置き場に抜けるとき、小さな姉妹が白い乗用車から降りるのをわたしは見た。駐輪場に自転車を停めるとスライド機構を回転させて鍵を引き抜く。自動扉が左右に開いてわたしたちは眩しい店内に入った。
 店内にはおなじみの音楽が流れている。そんな気分じゃないだろうに、お姉ちゃんはいつもの習慣で合わせるようにそのスピーカーからの音に小さく歌って応じる。
 大阪府高槻市荻野庄。ジャスコ高槻店。
 今日、わたしとお姉ちゃんはここで宇宙を賭けて戦う。
 わたしは宇宙を消すつもりだ。宇宙を消すには、きっとお姉ちゃんを殺さなければならないだろう。

「宇宙138億歳、太陽46億歳、それから地球と月は45億歳、学校でセンセーがそう言っていたけど、嘘。お姉ちゃん15歳、わたし14歳、嘘。この宇宙にあるもの、金星も木星も火星も水星もどせいさんだって。この地球にあるものだって、アメリカも韓国も中国もフランスもアフリカもロシアもブラジルも。この街だって、学校も、放課後も、サッカー部もバスケ部も野球部も、わたしたち帰宅部も。嘘」
 妹はそういって、自分が宇宙の中心、と両手を広げてあたしの前で天球義を回すようにこの吹き抜け広場でくるくる回転する。深緑の制服の裾がバレエスカートのように遠心力でわずかに持ち上がる。
 まあ、宇宙を造ったのはこの目の前の生意気なバレリーナ気取りの妹なので、彼女が宇宙の中心といってもあながち的外れではないのかもしれない。そこまで思ってあたしは溜息を吐いた。
 くるくるくるくる。
「あの、昇ってまた降りてずっーとぐるぐる機械のなかで回り続けるエスカレータの階段も嘘。そこでアクアクララを一生懸命売っている営業のお兄さんも嘘。パートのおばちゃんが大理石みたいにツルツルに磨き上げてるこのスニーカーの下のジャスコの床も嘘。そこの買い物袋も、そのなかのイオンブランドの牛乳パックもお豆腐も、今日のお鍋の長ネギも、買い物かごのなかのおもちゃもお菓子もぜんぶ、嘘。嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、噓、噓、噓。ピッて音がして値段が表示されるレジもバーコードもバーコードスキャナーも嘘。ぜーんぶ、わたしとお姉ちゃんが5秒で造った嘘」
「あんたねえ、嘘、嘘ってそういうけど、造ったのはあんたなんだから責任ってもんがあるでしょうが。それをやっぱり終わらすなんてちょっと勝手なんじゃないですかね」
 妹ばかりしゃべらせるのも難な気がしたのであたしは反論を試みた。
「造ったのは、“わたし”じゃなくて、“わたしたち”、でしょ。お姉ちゃんも他人事じゃないよ。同罪」
 あたしはもう一度溜息を吐いた。
 宇宙はあたしたちが造った。それもさっきの帰り道に。夕方にちょうどそこで売ってるレインボーハットのシングルコーンを買い食いするみたいに。気軽に、ぽーんと、なにげなく。造るつもりがなくたって造った。宇宙を。この言い方は少しややこしい。
「実際問題、あたしたちはどうしてさっき宇宙を造ったんだろうね?」
 あたしは妹に尋ねてみる。
 「それはナンセンスな問いかけだよ、お姉ちゃん。そもそも“造った”という言い方がすでに怪しい。たしかにわたしもお姉ちゃんも、いまこうしてこのジャスコの吹き抜け広場に座っているという認識を得ているけど、この認識、つまりいま二人の14歳と15歳の少女が14年前と15年前に二人の人間という存在から出産を経て成長してこうしてこの場に座っているという状況自体すら作り出されたものだから」
 難しい話は嫌いだ。あたしは妹から日頃戴いているバカ姉の名に値するようにもう少しシンプルに考えたい。
「造り出されたって、造ったのはあたしたちでしょ?」
「そうだね。この宇宙も、そしてこの宇宙が138億年こうあってきたということも、人々の認識も記憶もわたしたちが造った。昔――といっても、これもわたしとお姉ちゃんの創作ということになるけど――あるえらーい哲学者が宇宙は5分前に造られて、わたしたちが偽の記憶を持たされているという仮定をしても、それを否定することはできないといったけど、これはそういう問題だね」
 なんだが性格の悪そうな哲学者だ。そんな考えてもどうしようもないことをなぜ考えた。
「まあでも、やっぱりその人の考えは間違い。宇宙を作るのには5分もかからないし、その必要もない。5秒で充分だった。宇宙を造るのとカップ麺を作るのだと、カップ麺を作るほうが時間がかかるんだね」
 わたしはきつねのどん兵衛が好きーと、妹は聞いてもいないことをへらっと笑って付け足した。
「“このいま”“この場”の“ここ”にいる、鈴木リオってあんたと鈴木リョウコというあたしって認識が、あたしたちという存在に付与されていること自体が、後付けだから、宇宙をあんたとあたしが造ったという言い方も正確じゃないのか」
「ふっふーん、そのとおり。お姉ちゃんにしては難しいことを言ったね」
 馬鹿にされた。わたしは妹の頭をパコリと叩く。妹はうげっと涙目を見せる。まったく成長期に入ってから生意気指数が高くなりすぎだぞ、この妹は。脳みそばっかりでかくなりおってからに。背はちんまいままでなかなか大きくならんくせに。
 そういえばこの中二の小娘は府下でも有数の進学校に入学早々中間試験で全教科満点を取って学年一位を勝ち取り、先生が試しに三年向けの高校進学模試を受けさせたら全国一位だったっけ。あたしの妹のくせになんかおっかしーなと思ってたら、宇宙を造るときにズルしやがったな、こんにゃーろめ。
 あたしが妹の軽口をお望み通り返そうとすると妹はまじめな表情でそれを止めた。
「そもそもわたしたちというアイデンティティとそれを形成されるに至ったこれまでの生育過程、社会状況、それを作り出す文化や生活世界の歴史過程、宇宙の成り立ち、つまりそれらひっくるめたこの世界がこうである“出来事というもの”それ自体が虚構であり、わたしたちが人間という形態を持って思考し、宇宙を認識していることそのものが造り出された嘘といえる。わたしたちが“造った”とはいうけど、その瞬間はわたしたちはもう人間ですらなくて、あらゆる概念すら超えた存在ともいえたのだから、それは“造った”という言葉で表現できる行為だったのか確かにお姉ちゃんの言う通り怪しいね」
 難しく言ってるけど、ようはさっきの帰り道であたしたちは宇宙そのものと妹の14年とあたしの15年分の自己認識自体を5秒で造った。造ったけど、その5秒前に何を考えていたかは、“いまのあたしたち“にはほとんどわからんということだ。わからんというか、それをうまく表す言葉がほとんどないというか。
 妹は言う。
「まあ、実態としては“わたしたちが造った“というよりわたしたちがキーになったというか”トリガー“になったというか、そういう感じの言い方かな」
「キーでもトリガーでも何でもいいけど、それじゃあ、あたしたちはなにもないところから発生したの? “宇宙を5秒で造ったあたしたちを創った”のはなに?」
「それはお姉ちゃんもわかってるでしょ? わたしたちの本当の父と母。おとーさんとおかーさん」
 吹き抜け広場には天井から催事のための巨大モニターが吊り下げられている。その真下を妹は綱渡りのように小刻みな歩幅で戯れ歩いた。妹は見えない綱を渡りきると広間の吹き抜け階段に座るわたしの方を振り返った。
「”父”と”母”ねえ」
 階段の隅では、塾前の小学生たちがゲームボーイアドバンスに黙々と夢中になっている。どうやら劇場公開されてるアニメ映画のゲームキャラクターが三階のゲーム売り場で配布されているらしい。ゲームボーアドバンスを持ち込むと映画に出てくる特別なキャラクターのデータが貰えるということらしい。中学にあがってやらなくなったけど、妹とよく通信交換したあのゲームカセットはいまどこにしまってあるだろう。ちなみに妹はコロコロコミックの通販を通じて青版をゲットしていた。あたしは赤版だった。
 あたしは小学生から目を離して妹の真上の巨大モニターを見上げた。
「あんなのが本当にあたしたちのお父さんとお母さんだったの?」
「そうだよ。宇宙はさっきの帰り道の5秒でわたしとお姉ちゃんで作って、そして宇宙の出来事がすべて嘘なんだから、わたしたちがいま十年以上わたしたちのお父さんとお母さんとして”設定”してしているお父さんとお母さんもまた虚構でしかないよね」
 赤も青も、緑も黄色も、嘘、か。
「実際のところはあんなのがわたしたちの本当の父と母だよ」
 妹はあたしの頭のなかの呟きを否定するように言った。
 あたしと妹はさっきここに来るまでに啓示を受けた。啓示はあたしたちに伝えた。宇宙は5秒前に造られて、そしてそれを造ったのはあたしたちだって。なにそれバカみたい。
 でもあたしは目を閉じても瞼の裏に焼き付いて離れないさっきみたその“光景”を思い浮かべる。
 夕焼けの太陽のなかに一つの宇宙の出来事が気づけばそこにあってその出来事に偽りのインフレーション爆発が生命の粒子足りうる七色の元素のガス雲がそしてこの地球の歴史がまるでブックカバーでも簡単に取り付けるように巻き付けられている。そのブックカバーを取り外して存在というものの本質を直視してみればその剝き出しの宇宙という書物の表紙には二人の胎児のような双子が臍をつなげてこちらに微笑んでいる。
 このふざけた双子の兄妹が宇宙の創造主たるわたしたちの本当の父と母だ。
 存在と認識という宇宙を造ったあたしたちを更に作り出した兄と妹。あたしたちに偽りの宇宙を造り出すためのすべてを授けたメタユニバースとしての父と母。
「いくら否定してもダメだよ、お姉ちゃん。あの双子がわたしたちの本当の父と母っていうのは、この宇宙物語の定義みたいなもんだから」
 嘘、嘘、嘘。
 すべてが偽りとわかったこのジャスコの宇宙で反転して唯一本当になった残念なる真実。
 神さま。
 それがあたしたちとあたしたちのお父さんとお母さん。
 宇宙創成の四人家族。
 ギャグかよ。
「それじゃあどうして父と母は、あたしたちを創ったのさ?」
 彼女は広げていた両腕を雨を享けるように伸ばす。空中で掴めないものを掴むために敬虔な信徒は両手を開いた。末っ子はあたしの質問に嗤った。
「その答えは暇つぶしだね。神の戯れってやつ」
 あたしは天井の巨大モニターを睨みつけた。最悪の理由だ。
「父と母はただ戯れに宇宙を創る私たちを造った。なんの理由もないただの退屈しのぎ。自分の分身のようなもの二つにさらに何かを造らせたらどうなるだろう? 何が起こるだろう? そうやってテレビでも観るみたいにいまでもきっとどこかでわたしたちを視てるよ」
 さてここで新しい問題です。
 神に宇宙を造らせられた一人の少女は人差し指をぴっと立ててあたしに言う。
「さてお姉ちゃん、あなたはそんな宇宙に存在している意味があると思いますか?」
 レジ袋に晩御飯の材料を買い終えたおばあちゃんがあたしたちの間を横切り腰掛ける。買い物帰りの休憩なのか、すぐそこで買った銀だこをパックから取り出して楽しそうにつまみ始めた。きっとお爺さんには内緒のおやつだ。
 暇つぶしで創られた二人の娘がさらに造り出した理由なき宇宙。
 あたしはなんとなく隣のタコ焼きを頬張るおばあちゃんを眺めた。
 理由なき宇宙には、すべての理由も意味も価値もない。あなたが笑うことも、あなたが怒ることも、あなたが泣くことも。生鮮食品コーナーで玉ねぎを買うことも、豚バラ200グラムを買うことも、晩御飯をカレーにするか肉じゃがにするか躊躇うことも。吹き抜け広場で座ってたこ焼きを頬ばることも。そこにはなんの理由も意味も価値もない。
 それゆえに。
 宇宙を5秒で造った片割れの少女はそこから結論を引き出す。
 はい、タイムアップ。妹がシンキングタイムの終わりを宣言する。
「正解はなんにもなし。宇宙にはこれ以上存在している理由も意味も価値も、まあないよね」
 妹はそう言うと、近寄る羽虫を払うように手を振った。
 そしてジャスコから音が消えた。ゲームボーイアドバンスを黙々と遊ぶ塾前の小学生たちも、銀だこを嬉しそうに口に運んでいたおばあちゃんも、フードコートで恋バナをする女子高生も、レジ打ちパートのおばちゃんも、クレープ屋で退屈そうにクレープを作るバイトの大学生も、すべて消えた。
「残念でした、お姉ちゃん」
 妹の声だけがジャスコに残った。

ジャスコから生きて音を出す生命存在が消えた。正確にいえば宇宙すべてから。
 オールトの雲の遥か向こうの銀河系外惑星のその先の宇宙の果てまで。すべての生命存在が消えた。もはや宇宙のどこにも紳士服売り場のおばちゃんはいない。
 消したのはこの妹。
 右に手を払えば宇宙を造り出し、左に手を払えばその宇宙をキャンセルしてしまうあたしの妹。おいおいいくら何でもやりすぎだよ。「さすが、お姉ちゃん、だね。生命存在だけじゃなくてあらゆる存在物そのものをキャンセルするように設定したのに」
 二人の宇宙を作り出すほどの力がたったいまぶつかった。
 妹はすべてが消えるように、姉はそうならないように。
 宇宙全てを消す意思とそれに対抗する同量の宇宙の意思が、すべてを決定する二つの運命そのものがぶつかった。すべて消えろとすべて維持せよがぶつかった結果、困った宇宙の計算機はとりあえず宇宙の生命存在だけを半分消すというなんとも腰砕けな結果を弾きだした。「ふざけてないで元に戻すよ」
 あたしはもう一度手を振って、宇宙に再び銀だこの大好きなおばあちゃんとロッテリアのシェイクを飲みながら何永遠にフードコートの椅子に座り続ける女子高生を造ろうとした。
「ダメ。やめて。お姉ちゃんにはもう生命は造り出させない」
 わがままなるかわいい妹のかわいいわがまま。
「お姉ちゃん、宇宙には意味がないんだよ、ここには価値も理由もない。単純な話だよ。最初に無くって、これまでも無くって、いまも無くって、だからこれからも無くって最後まで無い。わかるでしょ?」
「価値がなくても意味がなくても存在したってべつに良いでしょ」
 妹は駄々っ子のようにあたしに言い返す。いや、駄々っ子はこの場合あたしなのか。
「価値がなくて意味もないなら存在しなくたってべつに良いでしょ」
「あんたが存在しなくてよくっても、隣のおばあちゃんはそうじゃないかもしれないでしょ。おばあちゃんだっておばあちゃんの人生があるんだからさ」
「お姉ちゃんもその言葉が詭弁だってわかってるでしょ? ねえお姉ちゃん、この宇宙の存在はわたしたちが造ったんだよ。わたしたちはラプラスの悪魔だよ。アンドロメダのブラックホールからここに落ちてる塵一つまで、すべてはわたしたちが仕掛けたおもちゃでその振舞いすべては終わりまで決まっている。すべて最初に設定して、そして宇宙はそのあとそのわたしたちの設定どおりに動いて、そして終わる。宇宙でこれからどんなことが起こるか、生命がなにをするかはもうわたしたちが決めちゃってる。そこに生命存在の意思はないよ。わたしたちがあらかじめ作っておいたセリフと振る舞いしかない」
「だから消すの? 宇宙を? せっかく、今日の帰り道に二人で造ったのに?」
「それがお父さんとお母さんがわたしに与えた“悲観”だから」
 あたしたちの本当の父と母。あの不気味な双子の赤ん坊。暇つぶしにあたしたちに宇宙を造らせた子供たち。でも、二人が観たかったのは街づくりシミュレーションシムシティなんかじゃない。
 二人が暇つぶしで観たかったのは対戦ゲームスマブラ
「この宇宙はね、ぜんぶ偽り。いまここでジャスコにいるわたしたちも、ここに立つまでに生きてきたわたしの14年とお姉ちゃんの15年もそれも嘘、意味のないわたしたちの自作自演。人間が今日まで生きてきた嬉しいことも悲しいことも全部嘘なんだよ、そしてこれからも」      
 あたしは溜息を吐いた。この妹はいつも肝心なところでまじめすぎる、もうすこし頭がからっぽなバカ姉の呑気さを見習ってほしい。
「それがあんたのお父さんとお母さんから与えられた“悲観”なのね」
「そう。偽物は嫌いだよ」
 宇宙には理由がない。意味がない。価値がない。だから無くした方がいい。
 宇宙には理由がない。意味がない。価値がない。だから在ってもいい。
 おなじ“だから”で正反対の結論を導き出すことができる。その結論どちらをその人が抱くかは、まさしく神のみぞ知り、与えられた“観念”というわけだ。そしてこの妹は前者を両親から与えられた。姉がそうではないほうをすでに与えられていたから。あたしたちが同じそれらを与えられることは決してなかった。二人の双子の神はそんなふうにして暇つぶしに自分たちのコピーを戦わせようとした。まるで幼児が二つのおもちゃを右手と左手でぶつけてどちらが壊れるのか戯れに試すみたいに。
 人のいないジャスコの吹き抜け広場で妹は浮き上がった。そして、天井の巨大モニターほどまで浮かび上がると小さな背中から白い翼が生えた。妹の足元にはいつのまにか“人間”が現れている。
 フードコートの女子高生。レジ打ちパートのおばちゃん。クレープ屋の退屈バイト学生。ゲーム少年たちに、銀だこ大好きおばあちゃん。まだいる。
 紳士服売り場のおばちゃん。1000円カットQBハウスのおじさんと100円ショップキャンドゥの店長。「とりあえず、これくらいでいいか」
 妹は意思のない“人間”を空っぽの宇宙から再生させると、嬉しそうに笑った。
「さあ、お姉ちゃんはどうするのかな?」
 なにがラプラスの悪魔だ。まったく人目が無くなった途端これみよがしに“創造”するんだから。妹の手には素粒子の光が集まって、やがてみるみるうちに物体を形成していく。それから女子中学生にはちょっとありえないサブマシンガンが二挺造られていく。宇宙を消す前に最初に消されるのは、お姉ちゃんか。まったく義理も人情もないね。
 高いところに立つ悲観的なサブマシンガンの天使は哀れな人間に問うように訊ねる。
「こんなデタラメでしかなかった偽りの場所で、あなたはそれでも宇宙を続けたいの?」
 あたしは天使を見つめる、天使は妹の顔をしている。悲観の天使の言うことは何も間違っていないと思った。妹の言う通り、残念ながらあたしたちはこの宇宙とあらゆるものを造ったけど、唯一そこに存在する意味を作り出すことはできなかった。
 造ったあたしたちが言ってるんだから、きっと本当に無いのだろう。この宇宙には、このジャスコには、存在する理由はどこにもない。
 でも、たとえそうだとしても。
 あたしは階段から立ち上がった。あたしは天使の瞳を仰ぎ見る。
「あたしはこの宇宙を続けたい」
 そう、わかった。天使はついに感情を見せずに言った。
 正円の大きな瞳があたしを見つめ返す。十年以上見慣れたと思いこんでいた瞳は澄んでいた。純粋で透き通って、そこにはもうなにも含まれていなかった。
「ねえ、お姉ちゃんはお父さんとお母さんに悲観ではなく何を与えられたの?」
 天井の照明の光が羽根のように降りてあたしの頬を撫でた。
 あたしはその問いに答えようとしたが、彼女はあたしにサブマシンガンの銃口を向けた。答えを聞くつもりはないようだった。それからこのジャスコ高槻店吹き抜け広場でサブマシンガンの炸裂音が宇宙の虚空に響いた。引鉄を弾いたのはあたしの妹だ
 あたしと妹は宇宙をたった5秒で作らされた。
 一方は造った宇宙にはなんの意味も価値もないと感じるように“悲観”を宿命づけられて。一度造った宇宙を終わらせようと。
 もう一方はそれでも続けるように。
 こうしてあたしたちは宇宙を賭けてこのジャスコ高槻店で戦うことになった。

ほんとうに馬鹿なお姉ちゃん。いつも先生やお父さんとお母さんのまえでは――この言い片は微妙だ。だってあの人たちは偽物だったんだから――聞き分けがいいくせに肝心なところでまじめすぎる。石頭。たとえ虚無な宇宙を一度作っちゃったからって頑固に続けるなんて。すこしは柔軟に考えてほしい。
 わたしは女子中学生にはちょっとへびぃなサブマシンガンを腰だめで構えた。そしてフルメタルの雨を二階下着売り場のお姉ちゃんに”人間”たちと一緒に浴びせる。銃弾はついこないだ二人で来て手を取ったことになってる、、、、、、、下着を吹き飛ばしていく。そういえばあのバカ姉は、またカップのサイズが合わなくなったとかぬかしやがったな。わたしは若干の冷静さを捨てて連射していく。なにがあんたはサイズが変わんなくていいねだ、ばかもん。
 100円ショップの店長と恋バナ女子高生がワコールやらウィングの棚をフルオートで吹き飛ばしていく。白やらピンクやらジャスミンやらのレースのブラジャーとショーツが宙を舞って花みたいに二階フロアを彩った。お姉ちゃんはその下着の花道を柱から柱へと身を隠しながら軽快に駆け抜けていく。さっすが。全国区の陸上部から三顧の礼を受けていただけのことはある。
 わたしが呑気に感心しているとまた柱の陰から合成皮革の財布が並ぶ棚へと飛び出したお姉ちゃんが生成したマシンガンをこちらに向ける。おっと、危ない。わたしが銃口から逸らすように身体をかたむけると、マズルフラッシュとともに狙い澄ましたトリガーが弾かれる。わたしの目の前の空気を裂いて背後の天井の壁に弾丸がめり込む。わたしは翼をちょうど月面宙返りの要領でフロアの床に向けると逆さまの格好で再度マシンガンを構えてお返しの三点バースト。それを躱したお姉ちゃんの両手には、胸が弾けんばかりのスタングレネード。
 ジャスコではおよそ味わうことのない閃光と音響が炸裂する。数秒後に視界が戻るとアパレルのマネキンたちがうようよとまるでパントマイムの動きで駆け寄ってくる。わたしは再生した人間たちを差し向けてそれに対応する。
 マネキンたちはなかなか俊敏な動きで蒲団売り場の羽毛枕を投げつけてくるが、日夜スマブラで鍛えられた小学生たちや年末の果てしなく長い列を捌くパートのレジ打ちおばちゃんたちの戦闘力を侮ってはいけない。わたしは人間たちに火炎手榴弾を持たせると羽毛枕に器用に当てさせていく。マネキンたちが投げつけた火炎手榴弾は空中でぶつかり弾けた羽毛枕の羽根が燃え上がりフロアの空間に灰となって舞い散る。
 お姉ちゃんはマネキンで陽動させているあいだに円形の吹き抜けを回ってちょうど反対側の未来屋書店に辿りついていた。お姉ちゃんはそのままマシンガンは使わず参考書の棚を総動員して赤本と英文法の参考書、それに数学ドリルと日本史B用語集を浮き上がらせて一斉にわたしと人間めがけて鳥の群れのように特攻させてくる。わたしは連立方程式やら立体の体積の求め方、能動態と受動態に完了形、それから「1192作ろう鎌倉幕府」なんかに視界が覆われる。参考書たちはパタパタ啄むみたいにわたしの腕に齧りついた。
 わたしがなんとか本の鳥を対応して視界を取り戻すとお姉ちゃんはそのまま吹き抜け側のエスカレータを駆け上がって三階のフロアを目指している。わたしはすぐに行かせまいとQBハウスの散髪屋とクレープ屋のバイト学生を走らせて追跡させる。三階には背の高いハンガーラックの並ぶ紳士服売り場の迷路がある。あそこで追いかけっこをするのは面倒だ。
 お姉ちゃんはエスカレータを登りきると昇り降りを手を振って逆回転させた。上昇するエスカレータの動きが突如変わり、足を絡めたQBハウスとクレープ屋のバイト学生は階下に転がり落ちる。わたしは二人がエスカレータで時間を稼いでいる間に吹き抜け広場の空中に飛び出して、三階のフロアに到達したお姉ちゃんに威嚇射撃。
 のつもりだったが、エスカレータを昇りきっていなかったお姉ちゃんの制服から伸びる右足を弾丸が掠った。お姉ちゃんの顔が痛みで歪む。お姉ちゃんは苦し紛れにこちらにサブマシンガンを向ける。威嚇のつもりが段取りを間違えて計算が狂ったわたしは一瞬遅れたタイミングでお姉ちゃんを狙う。二つのサブマシンガンの射線が重なるが、お姉ちゃんのほうが一瞬だけ速かった。
 しかし、サブマシンガンのトリガーは弾かれなかった。
 お姉ちゃんの躊躇うような目がコンマ数秒だけこちらを見ている。
 わたしは追撃の弾幕を……、撃とうとしたが、お姉ちゃんはすぐさま二階フロアの奥のユニクロとライトオンからまた操ってマネキン軍団を召喚した。マネキン軍団は宙に浮いてまるでスーパーマンみたいにわたしのほうに飛んでくる。わたしがマネキンに気を取られていると、お姉ちゃんはそのまま三階フロアの奥に逃げ込んでいった。仕方がない、お姉ちゃんへの追撃はとりあえず諦めよう。
 わたしは両手のサブマシンガンを捨てると、ガトリングを造って、吹き抜けを空中360度で囲うマネキンを薙ぎ払った。マネキンの木の顔が銃弾でみるみるへしゃげていった。
 わたしは三階のフロアに逃げ込んだお姉ちゃんを追う前に作戦を考えることにした。わたしはマネキンのシューティングゲームを終えると火炎を吐いたばかりのガトリングを放り投げた。ガトリングは一階広場の床に落下して龍が首をもたげるように派手な音をたてて壊れた。
 吹き抜けからひとまず二階フロアに戻り、スポーツ用品店のゴルフバッグのうえで浮き上がりながら口元に手を当てながら、うーむ、とわたしは呻いた。
 さーて、どうしよっかな。
 考えていると、視界の端にタコ焼き大好きのおばあちゃんが目に入ったので、手を振り宇宙を書き換えて消した。せっかく造り出したがさすがに足腰のキてるおばあちゃんにマシンガンを持たせたり、手榴弾を投げさせたりするのはやはり気がひけた。
 お姉ちゃんもマネキンとかを使わずに人間を作ればいいのに。
 でも、わたしはお姉ちゃんがそれをできないのを知っている。ううん、できないんじゃなくてやらないんだ。
 わたしとお姉ちゃんはなんだって造り出すことができるし、思いのままだ、なんたって宇宙を造った姉妹だからね。マネキンを動かすのも参考書を鳥みたいに羽ばたかせるのもお茶の子さいさいってわけだ。
 もちろんマシンガンだってガトリングだって殺人兵器だっていくらでも作れちゃう。ただ、大事なのは“力”そのものを使って“存在を消す”こともできるけど、相手の“力”が干渉しているものはダメということだ。 “力”が拮抗しちゃうからね。相手の“力”が干渉しているものを使用不能にするためには、わたしとお姉ちゃんが“力”で“存在を消す”んじゃなくて一度どちらかの手によって“壊す”しかない。“消す”んじゃなくて、“壊して”しまえばもうどちらも造り出すことはできない。これがこの殺し合いの肝になるルールだ。
 消したり造ったりするのはそもそも宇宙の情報を書き換えることだからいくらでも弄れるし、消したことそれ自体を取り消したりできるんだけど、情報を書き換えることより上位の審級としてある存在を直接壊しちゃったら、その時点でわたしとお姉ちゃんが強い意志を持って宇宙のなかで“殺した”という意志表示になる。いちおう宇宙の神的なわたしたちが意志を持って“殺し”てしまえば、それは確定情報となり不可逆的に再び元に戻すことはできないというわけだ。造った宇宙はいくらでも消すことができるけど、壊した宇宙は元に戻せずすべてをオールリセットしない限り、存在が確定してしまう。どこか皮肉な感じのある“力”だ、まったく。
 そしてお姉ちゃんが人間を使役できないしまともに攻撃できないのもこれが理由だ。
 この戦いのなかで”人間”を殺しちゃったら、その存在は宇宙的にもう二度と造り出すことはできない。つまり本当の本当に文字通り殺しちゃうわけだ。お姉ちゃんはそれが嫌で”人間”をこの戦いに出せないし、わたしが造った”人間”も殺せない。
 スタングレネードとか羽毛枕とか本とか殺傷能力のないものばかり投げてくるのもそうだし、マシンガンを向けるときも腹立たしいことにわたしがきっちりと躱すタイミングを確認してから撃ってきてる。さっきのエスカレータだって、致命傷にはならずともわたしに深手を負わせる絶好の機会だったのに撃たなかった。
 でも、お姉ちゃんが本当にこの意味のない宇宙を続けたいと思うんなら、本気で人を殺す覚悟を持たなきゃいけない。半端な覚悟で意味のない宇宙を続けることはできない。たとえわたしが使役している”人間”たちを殺すことになっても。ましてや妹であるわたしを殺すことになっても、だ。
 さて、あの腰抜けお人好しお姉ちゃんにその覚悟が持てるだろうか。
 なんせ小学校時代に理科の先生が解剖用に飼育していたフナの運命を哀れんで、休みに学校に忍びこみ全匹誘拐した前科の持ち主だ。盗むのはいいけど、なんでわたしまで近くの川に放流するのを手伝わされなきゃならんかったのか。いまでも謎だ。
 おっと、いらんことを思い出してしまった。所詮、偽の記憶だ。とにかくお姉ちゃんはそれくらい虫も殺せないほどお人好しだ。
 それじゃあ宇宙を続けたいというお姉ちゃんの希望は叶えられない。
 わたしはもう一度サブマシンガンを掌で造って握り籠める。
 わたしはさっきのエスカレータを上がったところで、わたしを撃つのを躊躇ったお姉ちゃんの表情を思い出す。でもあの瞬間で躊躇ったのはわたしも同じだ。それではダメだ、お姉ちゃんを倒せない。わたしは首を振る。わたしはお姉ちゃんと違う。例え躊躇ったのだとしても、それはさっきの一回で終わりだ。今度はお姉ちゃんを撃つ。
 わたしはお姉ちゃんを倒す。お姉ちゃんを倒してこの意味のない宇宙を終わらせる。全部が偽りで嘘の記憶なんてうんざり。

ひとまず三階フロアに上がって吹き抜けから離れて、会計売り場に駆け込んだ。レジ台で四角く囲われた会計売り場の中から頭だけ出して、身を隠しながら中腰で周囲を窺う。前方には生活家電コーナーで電化製品と並列してゲームソフトが並んでいて、後方は紳士服売り場のスーツとスラックスがずらりとハンガーラックに吊られている。ここはうちの中学の制服も取り扱っていて入学前に母に連れてこられたっけ。そんなことを思考の合間に挟み込みながら周囲を警戒する。試着室があったので中で隠れたいところだったが、見つかれば逃げ場もないので一瞬でアウトだろうと我慢した。
 妹はひとまずまだ姿を見せない。あたしは息をついてフロアの床に腰を下ろした。妹は戦いを止めたわけではないはずだ。いまは下で作戦を練っているのだろう。この休息も束の間だ。策を考えることに飽きれば、妹は造り出した人間とともにすぐにでもここに上がってくるだろう。そうなればまたさっきみたいにマシンガンの撃ちあいだ。
 苛立ちが右足の傷から染み出す血となって湧いた。なにが殺し合いだ。なにが5秒前の宇宙だ。なにが偽りだ。偽りだろうがなんだろうがあたしは妹を殺したくなんかないぞ。あたりまえじゃないか。妹は? 妹は本当にわたしを殺したがっている? わたしの頭のなかに妹の背に生えた人ならざる羽根の姿がよぎった。
 妹は本気だ。それは本気で姉を殺しに来ている、ということではなく、、、、、、、、、、。宇宙の意味の無さを“悲観”として本気で感じているということだ。奇妙なことに、あたしは妹のように“悲観”こそ感じられないが、妹が理解しているように宇宙に意味がないという感じだけは全く同じに感じていることが理解できた。そしてそうして感じている分、妹が感じている宇宙に意味がないという出来事に対する虚無感が自分に無いということだけがはっきりと感じられた。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、まどろっこしい言い方だが、それが偽らざる感覚だった。
 自分に在るものは妹が持っている自分に無いものだった。そして妹に無いものは自分にしか持っていないものだった。自分たちはそういうふうに創られている。その感覚はジャスコに入る前に与えられ、いまも時間が経つごとに内側で強く響き続けている。風邪でもひいたみたいに頭と下腹部に埋め込まれて、鼓動にあわせて全身に拡がるようにその感覚は強くなっていく。
 宇宙がさっきの帰り道の5秒でできて、すべての記憶は偽りだった。馬鹿げている。馬鹿げているが、その馬鹿さ加減はたしかに宇宙そのものだ。あたしは溜息を吐いて頭を振った。なんだ“宇宙そのもの”って。そんな言葉はあたしのこれまでの思考回路になかったぞ。やっぱりさっきの沈む太陽を見てからまともじゃない。
 考えないように考えれば考えてしまい、“観念”は離れず苛立ちに代わっていく。そして昨日までの現実は虚構として遠ざかっていき、手に握っているマシンガンのこの重さが現実に取って代わっていく。これは夢で現実のあたしはこんなものを持っているわけがないと否定しても、あたしはさっきのとっさに柱の陰でマシンガンを造り出してしまったし、気がつけば自分がマシンガンをいまもこの一瞬で造り出せることを微塵も疑っていなかった。
 掌のなかの鉄の感触はもっと嫌な連想をわたしにさせる。さっきこのフロアに逃げ込む一瞬でこの銃口と射線で妹を本気で撃ちぬこうとした感覚、そのときのトリガーの指触り。思い出すだけで毛穴から汗が噴き出た。あたしは妹をあのとき本当に殺していたかもしれない。あの一瞬に感じたあたしがあたしでない本当のあたしみたいな感覚。最悪なことにそれは決して内側から巣くって離れないあの宇宙の直観と完全に同質で結びついていた。
 本当に妹を殺すしかないのかもしれない。それは理屈ではなく、そういうものだとして。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 だめだ、妹を殺すなんて。そんなことを考えるだけで、もう自分が自分じゃない。
――ねえ、お姉ちゃんはお父さんとお母さんに”悲観”ではなくなにを与えられたの?
 戦いの前に“悲観”を与えられた妹はそう私に訊いた。あたしはその答えを知っている。右足から血は止まらずに流れ続けていた。虚ろに眺めていると残っている自分が流れ出して、その感覚に染まりきれそうだった。妹は神なる父と母に“悲観”を与えられた。あたしに与えられたものはそれと対なすもので相容れないものだった。それは“楽観”などではなかった。
 あたしに与えられたものは……、
 あたしはその“観念”に名前を与えようとした。
 いや、やっぱりだめだ、あたしはそれを拒否した。
 時間は迫っている。真面目な妹は最初からその“観念”を受け入れてしまっている。妹はもう間もなくフロアを上がってあたしを殺しに来るだろう。あたしはそれをできるだけ実現しないように、注意深く先伸ばそうとしなくてはいけない。でも、決着がつかない限りこの殺し合いに終わりはない。やがてわたしに与えられた”観念”はわたしを染め上げる。そうしてこのジャスコの戦いは父と母が、あの無邪気な双子の赤ん坊が、観たかった“観念の殺し合い”は完成するだろう。迫っている時間は妹があたしを殺しに来る時間だけじゃない。あたしが妹を殺そうと本気で思い始める時間でもあった。
 どうすればいい?
 存在しなかった出来事。偽りの記憶。嘘。あたしたちが造った自作自演の14年と15年と138億年。それから本当の5秒間。
 妹の言葉が蘇る。あたしはもう一度会計売り場から顔を出して、なにかに縋るようにこのジャスコのフロアを見渡した。そこにはただ本当に“いつも”の光景が広がるだけだった。状況を打開するものはないか。視線は藁にでもすがるようになにかを探すが、目につくものが発想させるのは、偽の宇宙のハリボテとして無理やり詰め込めこめられた記憶だけだった。
 たとえば吹き抜けの向こうに見えるゲームセンター。あそこでは母が冬のセールのワゴンを徹底的な集中力で吟味検討するために、買い物についてきた娘たちをいい子に待たせておこうとあたしと妹に15枚のメダルを渡したものだった。母はあたしと妹に、自分がワゴンで戦っているあいだに変な大人から声かけられても絶対についていっちゃだめだと言いつけたが、最初の頃はすぐに使い切ってしまったが、あたしと妹は15枚のコインを複利でなんとか増やそうと辿り着いたコイン落としに異常なまでに熱中したのでその心配は無用だった。やがてあたしたちはすぐにコツを覚えてモーリーファンタジーのコイン落とし荒らしとしてメダルをチャリンチャリン落としまくった。一年かけてジャックポッドをあてたときは落ちるコインの前で妹と狂喜乱舞したものだ。
 そういえば、あそこの家具コーナーでは小学校に上がるときに父に勉強机を買ってもらったが、まだ幼稚園だった妹が自分も欲しいとごねて大変だった。お父さんが来年小学校に入るんだから、そのときに買ってやると言ってもすごい声で泣き叫んだ。結局、妹は彼女に甘い父にどうせ来年買うんだしと買わせることに成功した。だがその翌年の入学式の前になるとどうも新しく出た机のモデルのほうが気に入ったらしく、やっぱり一年待てばよかったとむむっと顔をしかめたのだった。
 ゲーム売り場の隣にあるおもちゃコーナーで陳列して売ってる縄跳びは見ると思わず笑ってしまう。幼稚園の夏休みの課題で「なわとび10回とべるようになろう」というのがあったのだが、妹はなぜかその10回が跳べず課題を放置していた。しかし夏休みの最終日に課題をこなしていないということが母にバレて、妹はもちろんなぜかわたしまで後部座席に放り込まれてこのジャスコに連れてこられた。母はおもちゃコーナーにいる店員に「一番最新の縄跳びはどれですか!」とすごい剣幕で聞き、明らかに困惑した店員が答えた陳列してる縄跳びのなかで100円だけ高いちょっとスタイリッシュなものを二つ買い、わたしたちに渡した。
 そして母はなぜかそのまま立体駐車場に戻るとその場でわたしたちに縄跳びを跳ばせた。あたしはすでに「できたらもっとちょうせんしてみよう」の30回どころか50回でも跳べたので、ほとんど横で見ているだけだったが、妹は10回跳ぶまで帰れんぞと脅され、行き交う買い物客の衆目のなか閉店時間ぎりぎりまで母にぴょんぴょん苦手な縄跳びを練習させられた。あの母の縄跳び対する異常な剣幕は本当になんだったんだろう。これに関しては今日まで妹と尽きぬ議論が行われているが、妹としては母は娘たちが重力に負けるのが耐えがたかったのではないか、というなんだかよくわからない結論で降りかかった不条理を結論づけていた。
 偽りの宇宙のために用意された存在しない出来事の記憶だったとしても、わたしはこの場所のなかで“思い出す”ことを止めることができなかった。
 そうそう、立体駐車場といえば……、そこであたしはひとつのアイデアを思いついた。そうだ、アレを使えば……。

目を瞑むって、わたしは何度も右に手を払っていく。手を振り続けて一個小隊ほどの人間を造っていく。ややこしいことを考えるのはやめた。お姉ちゃんは人間を造らずに一人で戦うと決めている。だったら、わたしは惜しげもなく人間を使って多数でお姉ちゃんを追い詰める。それが一番だ。
 わたしは小隊をさらに二つの階段と二つのエスカレータから三階フロアに侵攻する四分隊に分けて、タイミングを合わせて一斉に突撃することにした。フロアに上がったら徐々に包囲網を縮めながらの挟撃を行う。これでお姉ちゃんに背後を取られたりフロアから逃がすこともない。
 わたしは指を鳴らして鬱陶しくて止めていた店内BGMを再び流した。それが分隊たちの突撃の合図だった。分隊たちが一斉に冬のバーゲンセールでも始まったかのように駆け足でフロアを上がる。分隊たちはわたしが持たせた銃火器を向けながら三階フロアの売り場コーナーに潜むお姉ちゃんを探した。
 しかし、お姉ちゃんは見つからなかった。
 いない。どうして? わたしは作戦を考えているあいだもお姉ちゃんを三階から逃がさないために、階段やエスカレータ、立体駐車場に続く店舗入り口などの要所要所に歩哨を立たせていた。だから、わたしに気づかれずにフロアを移動することもまして店内の外に出ることも不可能なはずだった。もちろんエレベータ前にも立たせるのを忘れなかった。なぜだ?
 わたしと人間たちは三階フロアを執拗に探索した。カーテン売り場のカーテンを一枚ずつ捲り、女子トイレも男子トイレも、生活家電コーナーの最新のドラム式洗濯機の中も、紳士服売り場の試着室もひとつずつ確かめた。しかし、お姉ちゃんの姿はなかった。
 探し始めて一時間は経ったろうか。わたしは苛立ってマシンガンで紳士服売り場のスーツを薙ぎ払った。わたしの癇癪の犠牲になったハンガーラックが音をたてて倒れた。どうしていないのお姉ちゃん!
 フロアの床に蛇がのたくったみたいにネクタイが散らばった。わたしはその蛇になんとなく嫌なものを感じて目を背けるように顔を上げた。
 そういえばお母さんの誕生日がそろそろだから、お姉ちゃんとネクタイをプレゼントしようって昨日まで話していたっけ。ネクタイを提案したのはお姉ちゃんだ。ふつうネクタイはお父さんでは? とわたしが言うと、だからいいのだ、とお姉ちゃんは反論した。お姉ちゃんはときどきそういう不思議なことをいう。でも、わたしも悪いアイデアでもないような気がしてそれ以上は何も言っていなかった。そんなふうに紳士服売り場の光景は気がつけばわたしの手を引くように“思い出”へと誘い出していた。
 ハンガーラックの紺のスーツの一群の背後にはジャケットをはためかせて腕を振るモデルがわたしに白い歯をみせて笑っている。その下に色褪せて白っぽくなった惹句がレタリングされたポスターが貼ってあった。これが平成のニューダンディスタイル! そう書かれていた。このポスターにはなぜか見覚えがあった。このポスターはずいぶん前から貼られているはずだけど、最初に見たのはいつだったかな。 
 そうそう、あれはたしかわたしが小学校の二年でお姉ちゃんが三年になった授業参観の帰りにお父さんとお母さんに連れてこられて……。
 いや、
 そんなものは。
 わたしはマシンガンの銃口を下げたままトリガーを弾いてフロアに一発放った。磨き上げられた床で弾丸の金が潰れて、コインが一枚落ちたような高音がジャスコに鳴った。
 お母さんの誕生日。ネクタイ。昔の思い出。お姉ちゃん。
 すべては存在しなかった。それらはみな偽りで記憶の欺瞞だ。それもわたし自身が造ったただのつじつま合わせ。
 わたしが良く知っているあのお母さんはお母さんじゃないし、あのお父さんはお父さんじゃない。わたしたちがお母さんの誕生日にネクタイをプレゼントしようと考えた偽の記憶はあっても、出来事はない。ないんだ。わたしたちが何度もこのジャスコに来た出来事もなくて、本当は今日初めて来たんだ。いまわたしが立っているこのフロアも、目につく売り場も全部、嘘だ。
 わたしは頭を押さえる。日が沈むのを見てから頭が痛かった。痛みは眼の奥の中心から頭皮のすぐ下まで痛みとともにもうずいぶんと広がっていた。わたしは侵食する“観念”を払い落とすように首を振って、フロアの捜索を再開した。
 結局、お姉ちゃんは三階フロアで見つからなかった。わたしはお姉ちゃんが歩哨の眼を盗んで他のフロアに移動した可能性を考えて、探索範囲を各フロアに広げた。
 本当にお姉ちゃんどこ? もしかしたらお姉ちゃんは戦いを放棄して店内を抜け出したのだろうか。もしそうならお姉ちゃんは無限の宇宙の中でわたしから永遠に逃げて隠れ続けるつもりだろうか。わたしはいま広大なこの意味もなく生命存在の消えた宇宙のなかでひとりぼっちになっていることに気がつく。唐突に孤独の寒気がしてどこか泣きたいような気がしてきた。
 わたしはお姉ちゃんを捜し歩く速度をあげる。
 ううん、お姉ちゃんは絶対にわたしを一人にしない。お姉ちゃんは必ずこのジャスコのどこかにいるはずだ。わたしは店内を彷徨い続ける。
 フロアを降りて一階を探してもそれでもお姉ちゃんは見つからなかった。お姉ちゃんの大好きなミスタードーナツの中にも、いつもきつねのどん兵衛を買い物かごに入れたあと、それ以外にどれを常備食として買うべきか悩んでいるカップ麺の棚にもお姉ちゃんの姿はなかった。
 ねえ、お姉ちゃんどこ? どこ?
――リオ、はぐれたらね、とりあえず車停めたところで待ってな、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも買い物が終わったら絶対車に乗って帰るんだから、そこで待ってれば論理的に言って絶対にまた会える。
 小さいとき迷子になったわたしをようやく見つけたお姉ちゃんがアドバイスとして言ったことをわたしは思い出した。焦り始めていたわたしはいつかお姉ちゃんがそう言ったという出来事がこの宇宙に存在しなかったと確認する余裕を失っていた。

結局、店内でお姉ちゃんを見つけることはできなかった。仕方がないので、捜索範囲を売り場の外にまで広げてわたしはいま三階の立体駐車場までやってきた。この剥き出しの建材のなかで停められている乗用車のどれかにお姉ちゃんは隠れているのだろうか。わたしは自動扉を抜けて、薄暗い場所に足を踏み入れた。
「お姉ちゃん、わたしを置いて先に帰っちゃったかな」
 わたしはどこか投げやりに呟いた。
 ローファーがコンクリートに触れてきゅっと音を立てた。
「あたしがあんたを置いて帰るわけないでしょ」
 背中からお姉ちゃんの声がした。
「動かないで。それからあんたが連れ回している”人間”も呼ばないでね」
 お姉ちゃんは新しく造った自動拳銃をわたしの制服のうえからコツンと当てながらそう言った。
 まさかこんなにあっさり背後を取られるとは。探索中も死角からの奇襲には充分に警戒していたのに。
 勝負はわたしの負け。
 ゼロ距離で背後に拳銃を突きつけられたんじゃ少しでも抵抗しようとした瞬間に銃弾を撃ち込まれるだろう。
 それでもわたしはお姉ちゃんが近くにいる安堵感で口元が緩んだ。
「お姉ちゃん、どこに隠れてたの?」
 お姉ちゃんが答える。お姉ちゃんの馬鹿正直で、融通の利かない、頑固で、少し自信のない、思春期の女の子にしては低めのソプラノとアルトならアルトのお姉ちゃんの声。
「そこだよ、三階の店内入り口からトイレ側方向の店舗と立体駐車場を繋ぐスタッフのための廊下」
 わたしは首だけ後ろに回して、目の端でお姉ちゃんが示した場所を見た。確かに普段は鍵も掛けられて色も壁と同化して目立たないようになっているが、お姉ちゃんがそこから出てきた形跡で扉がすこしだけ開いているのが分かった。
「在庫倉庫? でも、バックヤードも全フロア一通り探したんだけどな」
 企みが成功したお姉ちゃんは嬉しそうに息を漏らして笑った。
「あそこは在庫を置いておくためのバックヤードじゃないよ。商品の搬入口でもなくて、地震とか火事が起きたときのための本当に短い空中廊下があるだけのスペース。紳士服売り場の奥から入れて、ここまで繋がってるんだ」
 そっか。
 お姉ちゃんが嬉しそうに説明する声に、わたしはそれ以上なにも言えなかった。
「覚えてない? わたしが小学校の三年であんたが二年の授業参観の帰りにお父さんとお母さんでここにご飯食べに来たじゃない? そのとき帰りにみんなで紳士服売り場に寄ったの覚えてない?」
 覚えている。二年と三年で参観日が重なって、お父さんとお母さん二人ともリオのほうにいってズルいってお姉ちゃんが怒ってた。でも終わったあとに、わたしが発表のときに前に出て写真撮ろうとしたお父さんのパンツが破けてすごい恥ずかしかったって、フードコートで拉麺を食べるお姉ちゃんに報告するとお姉ちゃんはお腹が捩れるくらい笑った。それから、お尻に穴が開いたままのお父さんがもう少しダイエットするからってお母さんにぺこぺこして、紳士服売り場で新しいスーツを買ってもらうことになったのだ。
「お父さんがサイズ測ってもらってるあいだにあたしとあんたでたまたま開いてた防災用廊下のなかに入ってさ、そしたら扉を閉められちゃって扉の前にダンボールか何かの荷物置かれて、出るに出られなくちゃったんだよね」
 そう、でもべつにわたしたちは防災用廊下に閉じ込められたからといって泣いていたわけじゃない。むしろいつものジャスコにこんな秘密の場所があることを見つけて大喜びして隠れていたのだ。
「それでスーツを買い終わったお父さんとお母さんがわたしたちがいないことに気がついてえんえんと探し回って」
 なにしろ店員たちですらほとんど使わない場所なのでなかなか見つからなかった。挙句には誘拐かもしれないって売り場のおばちゃんが警察に電話するほどの騒ぎになったんだっけ。最終的には店長が防災用廊下のことを思い出してやっと見つかり、それはもう大人たちから烈火のごとく叱られたのだ。
「そっか。お姉ちゃんはそこでずっと隠れてたんだね」
 お姉ちゃんは頷いた。店内から姿を消せばわたしは必ずお姉ちゃんを探す。店内で見つからないとなれば、やがてこうして立体駐車場まで探しに出るだろう。そうしてお姉ちゃんはずっと廊下に潜んでわたしの背後を取れる機会を狙っていたのだろう。
「あんた紳士服売り場の防災用廊下のこと本当に覚えてなかったの?」
「忘れてたよ」
 わたしは悔しさを気取られないように出来るだけなんてことないように言った。
 もちろん、忘れてるわけなんてなかった。怒られちゃったけど、お姉ちゃんと秘密の場所を見つけたときのワクワクした気持ちはいまでも思い出せる。忘れてるわけじゃないけど、ただ思い出そうとしなかった、それだけだ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 わたしはお姉ちゃんを探しているときに見つけた紳士服売り場の色褪せたポスターを思い起こす。そうだ、あのポスターをみたとき気づくこともできた。お父さんの試着を待ってるあいだ、暇つぶしにポスターを眺めていたらお姉ちゃんが開いている扉を見つけて一人で入ってみるのはバツが悪かったのか、わたしを共犯に呼びに来たのだ。
 そんなこともすべて覚えている。だけど、それは実際に起きた出来事じゃない。それもまた宇宙を造るときにでっちあげた実際には起きていない存在しない思い出。だから、覚えているけど思い出そうとしなかったんだ。
「お姉ちゃんの勝ちだね」
 わたしは“思い出話”を切り上げるように言った。
 わたしは一歩も動かずに立っているのに疲れて、背中のお姉ちゃんのほうに傾いて態勢をずらした。そうするとまた背中に拳銃の固い先が当たった。お姉ちゃんはわたしを本当に撃つだろうか。わたしは考えた。
「あんた、ほんとに背はでっかくならないね。あんなに牛乳が好きなのに不思議だね」
「ちょっと、最後にいらないこと言わないでよ」
 お姉ちゃんは自分で始めた軽口を返されてもそれ以上言い返さなかった。代わりにお姉ちゃんはそっとわたしに宣言するように言った。
「最後、そうだね」
 あれほど躊躇っていたお姉ちゃんもいまとなってはわたしを撃つだろう、なぜかわたしはいまそんな気がした。
 そうして、宇宙を造った余分な姉妹は一人だけになり、価値のない宇宙の理由のない継続が意味なく決定される。
 塾前のゲームボーイアドバンスの少年たちも、銀だこの好きなおばあちゃんも、フードコートで恋を語らう女子高生も、パートのおばちゃんも、100円ショップの店長も、退屈そうなクレープ屋のバイト学生も、千円カットのおじさんも、すべてが意味なく理由もなく宇宙として続いていく。このジャスコという普遍性のなかで。そのダラダラとした日常のなかで。その永遠のなかで。意味も理由も価値もなく。
 お姉ちゃんは言う。
「ねえ、たしかに宇宙は今日の夕方に5秒ぽっちで作られたらしいね。宇宙のすべては嘘で、わたしたちの15年と14年過ごしたすべての時間もでっち上げの偽物で、その記憶は出来事として存在しないみたいだね」
 でも。と、お姉ちゃんは続ける。
 「でも、本当に意味も理由も価値もないのかな。わたしはこのジャスコで造った偽りの出来事と記憶は、偽りだったとしてもそうはいいたくないような気がするんだよ」
 お姉ちゃんの声はわたしを説得するというより穏やかに響いた。
「それは存在しないものなんだよ、お姉ちゃん」
「そうだね。でも、偽物でもたった5秒の宇宙を取り繕う偽りの出来事と記憶でも、それでもいまわたしは楽しかったと思えるし、大切だと思えるんだ」
 わたしはいちおう反論する。でも戦い疲れたのか声にあまり力が入らなかった。すこし眠たいような不思議と落ち着いた気さえした。
「お姉ちゃんは“悲観”を与えられていないから。わたしは宇宙を終わらせるのが最善としか考えられないよ」
「わかってる。あんたは頑固だしね」
「それはお姉ちゃんも」
 わたしたちは同時に笑った。
「そうだね、わたしも頑固だ。だから、わたしはあんたと違ってこの宇宙を続けた方がいいように思っちゃうんだ、どうしても。ね。たとえ、」
 お姉ちゃんは言葉を切った。わたしはその言葉の続きを知っている。
 お姉ちゃんがいうべきは、“たとえあんたを殺しても”。 
 お姉ちゃんは最後の瞬間を引き延ばすように話し始めた。
「ねえ、昔、お父さんとお母さんがあたしたちを置いて一瞬だけ車の駐車場所を移動させて帰ったフリをしたの覚えてる?」
 わたしはお姉ちゃんの引き延ばしに付き合う。
「覚えてるよ。なんでお父さんとお母さんが怒ったかはもう覚えてないけど、二人そろって、それならもうジャスコに住みなさい! って怒鳴って」
おおかた、わたしたち姉妹がなにかお父さんとお母さんに駄々をこねて怒らせたのだろう。本当に呆れるくらいたくさん作った偽りの出来事の一つだ。
「そう、なんかどうしても買ってほしいものがあったから、帰りたくないってわがまま言ったかなんかだと思うんだけど、まさか本当にお父さんとお母さん帰っちゃうとは思わなかったから、すっごいあせったよね」
「確かにお姉ちゃんのあのときのテンパり方はやばかった。お金のない身寄りのない子供としてジャスコの食べ物を少しのあいだでもいいからタダで食べさせてもらえないかレジの店員さんと交渉してみるって、とにかくわたしの前で意地貼って」
「そんなこと言ったっけ? でも、あの瞬間はあたしたち姉妹だけで本気でジャスコで生きていくしかないって、それでなんとかジャスコで生きていこうって真剣に考えたよね」
「すぐに心配になったお父さんとお母さんが30分もしないうちに戻って来たけどね」
 そう、そんなこともあった。きっと。なかったとしても、あったんだ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 わたしはそばにお姉ちゃんがいて、安心して目を閉じた。そしてもう、“思い出す”ことを否定しなかった。
 このジャスコであったけど、なかったこと。なかったけど、あったこと。そのすべてがあまりにも日常で、それはあまりにもあたりまえのことすぎて語るにも値しないことだけど。
 小学校の3年4年になって、お母さんに許可をもらって初めて国道の裏道を自転車で走って車を使わずに二人だけでジャスコにきたこと、夏休みにほかのクラスメイトの子たちと遊んでいたら他のクラスの子がデートしているのを目撃したこと、思い切って転校するクラスの男子に告白したらフラれて気まずくて送別会に出れなくなってお姉ちゃんにレインボーハットでシングルコーンをおごってもらって慰められたこと、さきに中学受験するお姉ちゃんが夕方まで勉強するのに付き合っていっしょにフードコートで結局ダラダラしただけだったこと。 
 それらすべてが語るに値はしないけど、いつでもすぐに手元にあって取り出して眺めることのできるなにかだった。
 それらすべてが存在しないけど、わたしたちが過ごした出来事だった。5秒で作った5秒以上の5秒前の存在しないわたしたちにとってかけがえのないものだった。
 きっと5秒後のわたしたちにとっても。
 風に舞うきれいな羽を持つ鳥はレジ袋だった。でも、そのレジ袋は確かにきれいなのだ。 
 無限の宇宙とジャスコの偽りの出来事とその記憶がいまわたしとお姉ちゃんの周りを確かに存在する恒星のように瞬いている。
「お姉ちゃん」
 わたしはそう呼びかけて、拳銃を腰に突きつけ続けるお姉ちゃんに促した。わたしはいまようやくお姉ちゃんがこの戦いに勝ってよかったと思った。お姉ちゃんが勝って、この意味も理由も価値のない宇宙が続いてよかったと思った。意味も理由も価値もなくてもジャスコで、意味も理由も価値もなくわたしたちのような姉妹がなにかを演じ続けるなら、それも悪くないと思った。
「リオ、それじゃあ」
 お姉ちゃんが最後にそう言った、お姉ちゃんは泣いているかなと思ったが、そんなことはなかった。
 バイバイ、お姉ちゃんの小さな囁く声がして、それから掻き消すように拳銃の破裂音がした。
 一人の宇宙を造った姉妹が銃弾を受けて膝を折った。
 宇宙が再び始まるようなそんな破裂音だった。
 そしてわたしは気がつく。
 わたしは振り返った。
 それから地面に頽れていくお姉ちゃんを見つめた。撃ったのはお姉ちゃんだった。でも、撃たれたのもお姉ちゃんだった。
 わたしではなかった。

「お姉ちゃん!」
 妹はすぐに立体駐車場のコンクリートに剥き出しの膝をついてわたしの側に顔を寄せた。
「なんで? どうして?」
 お姉ちゃんが妹を殺せるわけないだろ。
 大きな正円の黒い瞳がすぐそばで見える。あたしの妹で、天使で、宇宙を造った創造主で、それからやっぱり妹の、そのいつもの瞳だった。あたしは妹の問いかけに、笑いながら、ばかもん、とおでこを力なく叩いた。
 あたしは妹の前で手を振って、宇宙に再び生命を造り戻す。妹はもうわがままを言って、 “力”で宇宙を消そうとはしなかった。店内で誰の声かわからなかったけど人の気配がした。この宇宙に、このジャスコに、ちゃんと人が戻ってきたようだ。よかった、意味も理由も価値のない宇宙の生命存在だけど、それでも妹を一人にすることはないだろう。
 妹が必死に“力”を使って治そうと手をお腹に当てている。しかし、宇宙を造った天使の妹の力でも、宇宙を造った姉の自らを“殺した”という出来事はキャンセルできない。それ、ちょっと痛いだけだから、あたしは妹にツッコんだ。しかし、妹は決してやめない。どうやらあたしの声は声になってなかった。
 立体駐車場にあたしを中心にした赤い円がどんどん拡がっていく。
「わけわかんない、勝ったのはお姉ちゃんでしょ?」
 妹が喚く。まったく。わたしはこの駄々を何年聞いてきたことやら。
 わたしは妹の駄々に軽口を返してやろうとする。でも、喉が音を言葉にしない。わたしは代わりに15年で妹が本当に傷ついているときにいつでもそうしたように、ゆっくりと腕を持ち上げて、目の前の妹の頬に触れて、瞳からこぼれるものを拭った。
 妹は血が噴き出すお腹を抑える手を離して、小さな身体であたしを抱き寄せる。
「ねえ、お姉ちゃん」
 なに。
 あたしは妹の呼びかけに応える。
「お姉ちゃんはお父さんとお母さんから何を授かったの?」
 やっぱり気になるか。だから最初にちゃんと聞いておけばよかったのに。
 どうしようかな、本当のことを言おうか。いや、その必要はない。そんな本当のことは。でも、たしかに最後になにかを言ってやりたかった。少しでもこの声を忘れさせないために。なにかいい答えはないかな。わたしは本当のことの代わりになるものを探した。
 目蓋が下がってきて、だんだんと妹の顔が見えなくなっていく。ああ、もう少し見ていたいな。そういえば、お父さんはお前たちは全然似てない姉妹だねえ、と少し嘆きながら言ってたけど、お母さんはよく似た姉妹だって笑いながらしょっちゅう言ってたな。実際のところはどうだったんだろう。
 そんなことを思い返しているとあたしは妹の質問に答えを見つけた。本当のことの代わりは、最後の答えは、本当のことの代わりの本当のことは、すぐそばに、いまあたしの目の前に会った。あたしの目蓋はあと数ミリで閉じる。でも、もう一度だけ。もう一度だけ、最後に一言だけでも。
 あたしの唇の振動のような震えに妹は気がついて、あたしの顔に耳を寄せた。あたしは広い宇宙のなかで唯一一人にだけに聴こえるように囁いた。あたしがお父さんとお母さんから貰ったものはね、
「かわいい妹だよ」
 というわけで、宇宙をよろしく、あたしの天使さん。けど最後のお願いは声にならなかった。
 それでも妹はばかもんと少しだけ微笑んだ。

文字数:25823

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