嫦娥KnoCkOut!!

印刷

梗 概

嫦娥KnoCkOut!!

集合意識が織りなす巨大なVR都市<嫦娥>の住民アバターたちは誰かの記憶コンテンツを追体験し、刺激的な意識を求めて、都市を巡回スクロールする。「チャンネル登録お願いします」のポップアップが都市中で明滅し、嫦娥で展開された記憶は多くの住民によって追体験され、都市は巨大になっていく。

嫦娥の広告検閲者チェッカーズである林范リンファンの現実の身体は東京の雑居ビルの一室に置かれたVR装置の内にあった。だが数週間前に、嫦娥を量子演算された無数の侵入者が襲撃して以来、范は装置を出て、ヨガに没頭している。ヨーガ、古代インド発祥の瞑想。心身を統一して、感覚器官を制御する。VR都市で感染拡大する「没入障害」の治療プログラムの一環として、担当医のニケルから精神療法として提案されたものだ。

「VR都市住民の半数以上が没入障害に罹患した今、仮想世界の住民は現実に立ち戻るべきなのです」と誰かが語る。だが、人生の大半をVR都市で過ごしてきた范が現実世界で何ができるだろう?今の職場では役立たず扱い。まともな求人はVR都市にある。何としてもVR都市に戻るべく范はヨガに没頭し、太陽礼拝のポーズを取る。

范は担当医のニケルがあまり好きではないが、他に頼るものもない。ある日、ニケルに誰かの記憶ログを渡され、一日の終わりにVR装置で再生するよう告げられる。記憶ログからは意図的に情報が削減されており、今のあなたでも再生できるはずですよ、とニケルは言う。帰宅した范は記憶ログを再生するも、真っ暗で何も見えない。暗黒の空間が広がる。

ヨガ、職場、暗黒空間。その往復を范は繰り返す。電車に乗る。車内に漂う人間のにおい。強すぎる香水。体臭。他者からの性的な視線をアドインは指摘。階段を登る。息が切れる。VR都市なら排除されるべきものたち。現実世界の身体はしんどい。范はトイレで考える。VR都市にアップロードされる記憶は加工編集されてるから、こんな一幕は記憶から除外されているのに。

日々の繰り返しの中で嫦娥が再び襲撃される。量子演算された無数の襲撃者は、キョンシーのアバターを身にまとい、嫦娥の住民を狙撃する。襲撃者たちは現実からの侵略者で、仮想都市に流入した富を現実の社会へ還すため、仮想都市の住民を撃つのだという。VR都市はロックダウンし、現実の都市へと人間たちが帰ってくる。現実都市の混雑が増す中、范はヨガを続けていた。
 一日の終わりに再生した暗黒空間が実存を伴ってくる。范はこの記憶を知っていた。記録ログは范の幼時期の記憶。没入障害は感覚神経に過大な負荷がかかった結果、感覚が失われる障害だ。幼時期の意識獲得過程を繰り返すことで范は没入障害を克服する意識は統合され、范の記憶は「没入障害」に対するワクチンの1つとして機能し、VR都市<嫦娥>を再生させる。
 再生した嫦娥に帰る前日、范はニケルとの診療中に食事に誘われるが、これを断る。范は立ち上がり、ニケルに診療の礼を言い、拳を構える。次の瞬間、右腕を大きく振りかぶる。だが現実の拳はニケルに届かない。拡張現実による仮想の拳が伸びていき、ニケルの顎にクリーンヒットする(痛みはない)

「この拳一個分の距離が私とあなたの距離なのです」と言って范は嫦娥に帰る。

 

文字数:1353

内容に関するアピール

「VR都市を認識できなくなった主人公が再びVR都市を認識できるようになるまで」の話です。逆異世界転生というか、あるいはヨガSF。VR都市に移住する逆の話があると面白いかなと思って書きました。ヨガも意外と運動不足の人がやるとアクションになるのだな、と思いました。結末を補足すると、主人公は、わりとニケルのことが(現実世界の住人の中では)嫌いではないのですが、主人公は仮想都市に生きていきたく、ニケルは現実に生きたいので、思いを断ち切るために仮想の拳で殴りました。

文字数:230

課題提出者一覧