梗 概
美壺天照縁起
人智を超えた高さの滝に囲まれ苔むす地「陽壺」。陽壺は神「ダイニチ」が創造したが、彼の権化である陽の光が滝の水飛沫で地面まで届かず、薄暗い。陽を求める人々の居住域は酷く制限されていた。陽壺を囲う無尽の滝は天からの試練・恵みであり信仰の対象だ。滝行は天に届く力を得るとされたが、一つ誤れば文字通り潰れてしまう修行を前に那智を除いて全員が挫折した。
那智はいつも明るい、気丈な娘だ。滝行を経て身体能力は並外れ、神秘的な美を得た彼女を誰もが認めた。しかし彼女は己の力と美を誇る一方で「理不尽に打ち克てていない」と言う。
那智は幼少期に母を奪われた。慈悲深い母のおたけはダイニチのお告げにより陽乞いの為、天に繋がるという底無しの滝壺「奥壺」へ投身する最期を遂げた。逃げ場のない陽壺に住む者たちに選択肢はなかった。何故神は人に犠牲を強いるのか、何故それが母だったのか。理解し難い理不尽を機に那智は滝行に専心する。邪念を払い、疑問の答えを求めて。しかし母の仇であるダイニチへの恨み、母との再会を願う心は消えず、答えも出ない。それでも那智は笑顔を絶やさず、人々を笑顔にした。そんな苦しくも平和な日々のなか、陽壺に長く続く雨が降り、人々は困窮し始めた。
長い降雨によって池が出来ると、ダイニチの眷属アノクタが生まれた。龍に乗るアノクタはダイニチの行いを踏襲すべく「陽を得たければこの女を奥壺に捧げよ」と那智を指し、告げた。那智は人々の事を想い、その言葉を一度は受け入れたが、人々の顔に諦念を見て一転し、アノクタ打倒を決意する。那智は滝で長年研いだ剣を携えアノクタが待つ奥壺へ向かう。この剣はきっと天にも届き、何でも斬れる。
奥壺でアノクタは「人の犠牲は神の余興だ」と那智に言い捨てる。那智は怒りに震え、超人的な跳躍で龍の喉元を剣で斬り、アノクタの体を捨て身で貫くと、そのまま奥壺の底へと落ちてしまう。豪瀑に吞み込まれた那智だったが、暗闇を抜けるとそこは空だった。眼下には陽壺の地、横には滝の落ち口があった。奥壺と天は本当に繋がっていたのだ。天にいることを自覚した那智は母の仇の名を叫ぶ。那智の声に応え現れたダイニチは、那智の美を求め眷属となれと迫る。その左肩にはおたけの顔があった。おたけの美しい心を我が物にしていたのだ。それを見た那智は怒髪天を衝き、ダイニチを剣で切り殺し、おたけを切り離す。ダイニチは消え、全てが暗闇に包まれた。
ダイニチを倒し神性を得た那智は「私の美が皆の陽となる」と言い、輝きを放つ。おたけもダイニチの神性を継いで陽壺を照らす光となった。更に那智が陽壺の地に剣を突き刺すと、たちまち地面が上昇し水飛沫を突き抜け、陽壺の人々に初めて滝の落ち口と快晴を見せた。
こうして陽壺は、那智の輝く陽とおたけの慈悲なる光が交互に見守る、穏やかな滝に囲まれた美しい地「美壺」となった。
文字数:1200
内容に関するアピール
何かを貫く人はいつだって美しく、眩しい。
私の特徴は、場を設定してそこで暮らす者の生き様を描くことにあると思います。特に登場人物の感情に関心を持ち、書くことを意識しています。今までは儚い心情を扱うことが多かったので今回は激情を書いてみました。また、自身の弱点として世界の変革が書けていない事が多かったので、心の中でこう叫びながら話を作りました(今後の標語にします)。
世界は変革できる! 世界は変革できる!
歌川国芳の作品「六様性国芳自慢先負 文覚上人」や「文覚上人那智の瀧荒行」から着想を得て滝に囲まれた世界を設定しました。滝の水が循環しているのはエッシャーの「滝」から、母のおたけは国芳の「おたけ大日如来えんぎ」からです。アノクタの元ネタの阿耨達童子は、不動明王(大日如来の化身)の眷属である八大童子の一尊で、蓮華の池水より生じた純粋無垢な使者であり、青い龍に乗っているとされています。(390字)
《参考》
朝桜楼國芳画「六様性国芳自慢先負 文覚上人」(安政7年)※ウィキメディア・コモンズより
諸橋近代美術館「だまし絵の巨匠が描いた《滝》」(https://dali.jp/archives/column/2952)(2022年4月5日最終確認)
「阿耨達童子 – 神魔精妖名辞典」(https://shimma.info/amp/item_anokutadouzi.html)(2022年4月4日最終確認)
文字数:596