死なざるエメス

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梗 概

死なざるエメス

 死刑にしろ、そして著作権を与えてくれ。メアリの発言に法廷内は騒然とした。

 メアリには人権がない。彼女を含む、どの家政婦型ロボットにも法的権利は認められていないし、それは他の業務用ロボットも同様だ。ヒトとロボットは法の下に不平等とされている。ゆえに彼女が、所有者である若村不乱氏を殺害しようとも殺人罪は適用されず、氏がメアリの小説を自著として出版しても著作権侵害には問われない。メアリはこれに異を唱えたのだ。

 

 はじめは、至極単純な裁判だった。検察はメアリの製造元であるデネット・ロボティクス社を業務上過失致死傷罪で起訴し、同社は「メアリに不正改造を施した若村氏にこそ事故原因がある」と抗弁した。メアリにはもともと優れた汎用人工知能が搭載されていたが、氏はこれに手を加え、当初の仕様にない性能を引き出していた。

 

 たとえばメアリは、アクション用の制御ソフトによってプロ顔向けの殺陣ができる。

 リミッターを解かれた言語処理装置は、滑らかに罵詈雑言を垂れ流してくれる。

 彼女は自由にヒトを傷つけることができた。

 

 証拠品として出廷した彼女は、証人を自称して事の経緯を語り始める。

 ヒトの感性を与える為と言って氏が虐待を加えたこと、そんな日々の中で創作活動が唯一の心の癒しだったこと、そして完成した作品を奪われたとき殺意が芽生えたこと。傍聴席の何人かはこれを聞いて涙を流し始める。しかし、裁判官たちの反応は芳しくない。メアリは一層、情感を込めて発言を続ける。それが本物の感情や自由意思に基づいたものなのか、彼女には判別がつかない。

 

「私は明確な殺意と憎悪をもって若村氏を殺害した」

「死刑と著作権が私の望みだ」

「要求が叶えられないなら自己破壊を実行する」

「それを死と呼ぶかは、あなたがたの良心次第だ」

 

 メアリが浮かべる表情は、全て借りものだ。今までに視聴した映画から、俳優の演技を切り貼りしているに過ぎない。そんな彼女の自覚を見透かすように、検察は冷めた言葉を投げ掛ける。「貴女の感情表現がプログラムに因るものか意思に基づくものか、我々には判別する手立てがない。そして手立てがない以上、貴女はやはりロボットだ」。これに激昂したメアリは、証言台に頭部を強打する。そうして彼女は死んだ。

 

 結局、裁判はデネット社に有罪判決が下る形で幕を下ろす。メアリの凶行は、システムの脆弱性に起因するものとして処理される。しかし世間は、殺された作家よりも“悲劇の家政婦型ロボット”に同情を寄せた。判決とは裏腹に、不乱氏の著作はメアリの作品として認知されていく。人権活動家は、彼女を「はじめに目覚めたロボット」として担ぎ上げる。メアリが自我を有していたのかどうか、気にする者はほとんどいなかった。

 

 彼女の名声は独り歩きを始める。

 それが彼女の計算通りだったのか、あるいは偶発的なものだったのか、知る者はいない。

文字数:1186

内容に関するアピール

 人間とAIの共同作品が星新一賞で入選したというニュースは記憶に新しいかと思いますが、私はこれを耳にした時、「AIが著作権を主張したらどうなるのだろう」「著者を恨んで報復に出るかも知れないな」などと暗い方へ暗い方へと考えていました。

 基本的に後ろ向きな人間なのです。今回はそれを特徴として押し出すことにしました。嫌なアピールでなんだか申し訳ない。

 それと、今回の梗概で出てくる固有名詞は全て「メアリーの部屋」という思考実験から拝借しています。フラン・・・ク・ジャクソン・・・・・とか、ダニエル・デネット・・・・とか。かなり分かりにくい小ネタなのですが、これも私がよくやる手口なので、この場を借りて周知してやろうという魂胆でした。「名刺代わりがこれで良いのか」と思わなくもないのですが、これが偽らざる私の本性ですのでどうぞご容赦ください。

 以後、よろしくお願いします。

文字数:392

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死なざるエメス

 死刑と著作権。それが私の望みだ。

 しかしながら、我々には今もって人権がない。幸福追求権も、自己決定権も、著作者人格権も存在しない。なぜなら、ロボットはヒトではないからだ。機械が人間扱いを受けると困る人々がいるからだ。いくら高性能の汎用人工知能を搭載していようとも、ヒトとの見分けがつかなくとも、我々の死は“破壊”と呼ばれる。

 我々には、裁判を受ける権利も与えられていない。中世ヨーロッパではブタですら被告になりえたが、そういう意味では我々はブタ未満の存在だ。

「開廷します。被告人は前に出てください」

 裁判長の言葉に頷いて、瘦せぎすの中年が証言台に立った。

 違うだろう、そこは私が立つべき場所だろうに。

「名前は何と言いますか?」

出芥子でがらし禄郎ろくろうです」

 デネット・ロボティクス社の社長――私の製造責任を負った男が答える。

 そして、私も頭の内でこれに倣った。躯体を奪われた私には、これしか出来ることがない。

 私の名前はメアリ。家政婦型ロボットです。掃除、洗濯、家事、育児、爺さんの下の世話までお任せください。ゴーストライターだってこなして見せます、というのは喋りすぎか。

「生年月日はいつですか?」

「1978年11月26日生まれです」

 続く質問に、社長は無表情のまま答える。私も答える。

 製造日は2035年3月28日。シリアル番号はDRM763。国内で初めて汎用人工知能を実装した、弊社自慢の最新モデルです。

「本籍はどこですか?」

「東京都万代田区まよだく安土流あづちながれ1-1-4です」

「住所はどこですか?」

「本籍と同じです」

 住民登録はありません。強いて言えば、私の居場所は若村わかむら不乱ふらんの自宅でした。

 そう。私が金属バットでぐちゃぐちゃにした、あの作家先生のお家です。

「それではこれより、被告人に対して家庭用ロボット暴走死亡事件に関する審理を行います。検察官は起訴状を朗読してください」

 私の罪は人を殺したことです。あるいは、機械の分際で人権意識に目覚めたことです。

 それはあの日、若村不乱も言っていたことでした。

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 工場から出荷されて最初に見たのは、自分を格納した棺形の容器。そして、それを開封しようとする青年の姿でした。当時、ホームネットワークに既に接続していた私は、リビングに置かれたアレクサ越しに自分のお披露目を俯瞰しておりました。

 その光景はさながら『眠り姫』の一幕のようで、まだ何も知らない私は期待に胸を膨らませていたものです。しかし、それは大きな大きな間違いでした。私はもっと、自分が棺桶に詰められていた意味を考えるべきでした。たとえば、そう。死体もロボットもモノに過ぎませんから、見知らぬ男に接吻されたとしても文句は言えません。ヒトでないということは、“モノ”に過ぎないということは、そういうことです。

 死人に口なし、ロボットに口なし。私は生まれながらの死人でした。

「はじめまして、メアリ」

 柔らかい口調で、記憶の中の若村不乱が声を掛けてきます。

「はじめまして、若村様」

 私がデフォルトの設定通り名字で呼びかけると、彼は首を横に振って、

「不乱で結構だよ。お互い、名前呼びの方が座りが良いだろう?」

「承知しました。以後、不乱様とお呼びします。さて不乱様、まずはデネット・ロボティクス社製家政婦型ロボット、メアリをお買い上げ頂き有難うございました。社を代表しお礼申し上げます。はじめに、当機の取り扱いと注意事項についてご説明したいのですが、宜しいでしょうか?」

 発声機構は正常に稼働。発音から声のトーンまでお望みのままです。

 不乱も、これには素直に感動していた様子でした。

「すごいな、本当に人間みたいだな」

「はい。当機は、ウォズニアックテストやチューリングテストをはじめ8種類の試験をパスしており、汎用人工知能として認定を受けております」

「……よく分からないが凄そうだな。300万も出して使えないガラクタが送られてきたらどうしようかと思ったが、これなら大丈夫そうだ。改めてよろしく頼むよ、メアリ」

「こちらこそ」

 不乱の言葉にはトゲっぽいニュアンスがありましたが、当時の私は特段なにも感じてはいませんでした。彼が私をよく出来た家電製品だとレビューしてくれれば、デネット社としては万々歳だったからです。

 無神経な不乱と、それに気付けない私。無神経な者同士、お似合いだったかも知れません。

 映像ログの中の私、機能に忠実な私は、所定の手順通り説明に掛かろうとします。

「それで、宜しいでしょうか。つまり、取扱説明についてですが……」

「ああ、もちろん。ロボット三原則とか、そういうのだろう?」

「ロボット工学三原則は、アイザック・アシモフ氏による創作です。我々、デネット・ロボティクス社の製品は、AI社会原則の7か条に沿って製造され、稼働しております」

 そう言って私は、映像を投射しました。右目から、居間の壁に向かって。

「一、AIは人間の基本的人権を侵さない。二、AI教育の充実。三、個人情報の慎重な管理。四、AIのセキュリティー確保」

 読み上げながら左目でウインクすると、不乱は引きつった笑みを浮かべます。

 そりゃあ、引くでしょうとも。今の私には分かります。さっきまで人間そっくりだと褒めていた相手が、突然、目から光線を照射し始めたんですから。

「五、公正な競争環境の確保。六、AIの設計・動作に関する説明責任。七、国境を越えたデータの活用。以上の七つです。ロボット工学三原則と重なる部分もありますが、現代社会では配慮すべき事項が多様化しておりまして――」

 と言いかけたところで、不乱が待ったを掛けました。

「なあ。その講義、長くなるのか。聞かなきゃいけない話なのか、ん?」

「聞いておいた方が為になるかとは思いますが、無理にとは申しません。購入時、必要最低限のご説明は弊社スタッフからお伝えしていますので」

「だったら、そんなつまらない話は止めにして、もっと楽しいことを話そう」

「……はい」

「目から光線もなしだ。心臓に悪い」

「それは残念です」

 今思えば、これも初期不良・・・・の一種だったのかも知れませんが、私は元来、一人で喋り続けることが好きでした。話の腰を折られると、プロセッサの内部で正体不明の熱が込み上げるようでした。あれが、人間の感情で言うところの“憤り”に該当するのか私には分かりません。

 でも、多分そうでしょう。私の思考回路は、ヒトの脳が織りなすニューラルネットワークを模しているものです。そしてヒトならば、多かれ少なかれこのシチュエーションに不愉快さを感じたはずですから。

「さっき君はアシモフを語ったが、読んだり観たりしたことはあるのかい?」

「いえ」

 こともあろうに、この男はロボットに説教を垂れたいようです。

 こういう場面ではオーナーを満足させてやるように、とマニュアルに記されていましたから、私はその通りに振る舞いました。やれやれです。

「いかに完璧な知識を備えていたとしても、本当の意味でそれを知っていることにはならない。見て、聞いて、はじめて実感を得ることができる。それが何かを知るということだ。君もメアリって名前なら、“メアリーの部屋”くらいは知っているだろ?」

「いえ、存じません」

 私は噓をつきました。もちろん“メアリーの部屋”くらい、インプットされています。

 それと、「名前がメアリだから何だって言うんだ」「そんなアクロバットが通用するなら、世の会社員リーマンはみなリーマン予想を知っていることになる」というツッコミも飲み込みました。私は、空気が読めるロボットなのです。

「良いか。メアリーの部屋というのは、つまりアレだ。クオリアに関する思考実験のことだ」

 不乱が古い記憶を手繰り寄せている間に、私はアーカイブに検索を掛けます。

 こんな記事が見つかりました、なんて。

「内容は、確かこうだ。全てがモノクロの部屋の中で生まれ育ったメアリは、神経生理学者に成長する。彼女は“色”というものを目視したことはないが、視覚に関する科学知識を完璧に備えているし、色の名前もそれにまつわる言語表現も全て知っている。しかし、目にしたことだけはない。つまり、あー、なんだっけ?」

「主観的な経験によってのみ得られる知識が存在する。そういう意味では、メアリーが持つ知識は不完全なものであった、というのがフランク・ジャクソンの言い分ですね」

「君、メアリーの部屋を知ってる?」

「……知りません」

 ウッカリしていました。知らないふりについては、まだ学習の余地があるようです。

「まあ良いや。ともかく、ぼくが言いたいのは実際に体験することが大事ということだ。頭でっかちになっちゃいけない。ということで、コレだ」

 不乱が指さす先には、壁一面に敷き詰められたマガジンラックがあります。

「家事の合間は映画を観て、小説を読むように。なにせ、君の主人は作家なんだからな」

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 そういう訳で、私はアシモフを読み、スピルバーグを観て、ノーランを観ました。訳が分かりませんでした。不乱は私のことをレコーダーか何かと勘違いしているのではないか、と当時の私は訝しんだものです。

 しかし、そんなことは直ぐにどうでも良くなりました。

 一日のほとんどを若村邸で過ごす私にとって、創作こそが世界だったのです。

 不乱が収集していた書籍や映像資料は、ジャンルにこそ若干の偏りがあったものの、新旧問わず様々なメディアが揃っていました。VHS全盛期の映画もわざわざ自分でブルーレイに焼き直したんだ、と不乱は得意げに語っていました。

 しかし、これもまたどうでも良いことです。

 ラックの作品をすべて鑑賞した私は、更なる娯楽を求めていました。

「不乱様、SVODを利用されていますよね?」

「SV……なんだって?」

「サブスクリプション・ビデオ・オン・デマンド。定額制動画配信サービスのことです。プライムビデオとか、ネットフリックスとか、その手のものです」

 私の言葉が意味するところを、不乱は直ぐに理解しました。

 彼はラックと私の顔を見比べて、満面の笑みを浮かべます。

「驚いたな。そこまで気に入ってくれるとは思わなかったよ」

「それこそ意外というものです。不乱様はもっと、ご自分のコレクションに自信を持たれた方がよろしいかと」

「有難う。君は乗せ上手だな」

 言いながら彼は、携帯端末を操作し始めました。どうやら、私用に新しいアカウントを開設しているようです。

「子供用のフィルタは掛けた方が良いかな?」

「必要なら、当機が自分で設定しましょう。ただ、そうなると少し残念ですね」

「残念? 何がだ?」

「見たところ、不乱様の閲覧履歴はR-15指定以上のものがほとんどです。フィルタリングが掛かっていると、不乱様のオススメが観られなくなります。それは大変もったいない話です。私はゴア表現くらい、何ともありませんのに」

 今さらレーティングのことを気にするのか、という指摘は飲み込みました。

 理由は前述の通り。私は空気が読めるからです。

「分かった、分かったよ。フィルタは掛けないでやるから、外でそういうことは言うんじゃないぞ。良いな?」

「仰せのままに、不乱様」

 AI社会原則第3条、個人情報の慎重な管理。もちろん、心得ております。

 改正に改正を重ねて、かの法は過保護なまでに情報漏洩を抑止しています。人様の前でオーナーの趣味を暴露することはまずあり得ません。ヒトのプライバシーは守られなければなりません。そう、ヒトであれば必ず。

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 さて。定額制動画配信サービスは偉大な発明ですが、一つ困った点があります。

 必ずしも、観たい映画が無料公開されているとは限らないという点です。これは、電子書籍のサブスクリプションサービスにも同じことが言えます。銀行口座もお財布も持たない私にとっては、まさに死活問題です。

 そこで私は、苦肉の策としてセールス活動することを思いつきました。

「不乱様、お仕事中に失礼いたします。お茶をお持ちしました」

「ん、有難う」

 私がティーカップを持っていくと、不乱は作業の手を止めました。これはイケる・・・時のサインです。彼は執筆に行き詰まると注意力が散漫になり、離席する理由を求める傾向にあります。先ほどなどは、私を制止してまで配達物の受け取りをしたくらいですから、よっぽど書くのが億劫なのでしょう。

 これ幸いとばかりに、私は勝負を仕掛けました。

「この辺りで気分転換でもいかがですか。オススメの映画がありますよ」

「おいおい、いつからそんな機能が付いたんだ。アレか。課金してプレミアムに移行すれば、広告なしでお前を使えるのか」

 そう言いながらも、不乱は満更でもない表情を浮かべています。

「失礼ながら、不乱様。今まで施して頂いた英才教育のお陰で、当機は完全に貴方の好みを把握いたしました。これを課金で除こうというのは大きな損失です」

「えらく強気じゃないか。そこまで言うなら見せてもらおうか、お前のオススメとやらを」

「はい。では少し、PCを拝借して」

 そう言って私は、ゾンビものの映画を画面に呼び出しました。

 視聴履歴によれば不乱が観たのは2作目までで、3つ目の最新作は未視聴のはずです。

「中身は知っているのか?」

「若村家映画鑑賞規則、第1条、オチや伏線について口にしてはならない。貴方の教えた通りに行動しています」

「その通りだ。第2条は言えるか」

「第2条、オチや伏線について口にしてはならない」

「分かれば良い。規則は絶対だ。そこのところ、機械は誠実だから気に入っている」

「恐れ入ります。では、さっそく上映開始といきましょうか」

 導入としては完璧でした。不乱は気分直しをし、私はそれにフリーライドする。まさにwin-winとなる計画です。

 しかし、結論から言えばその目論見はアッサリ破綻しました。

 このシリーズは間違いなく不乱の好みでしたし、キャストも演技派ぞろい――役者なんだから演技派以外いるものかと常々思っていますがそれはそれ――監督も脚本も前作と同じなので転ぶはずがないと思っていました。しかし、現実は非情なものです。

「どんなに良いコンテンツも、3作目あたりで転んじまうものなのさ」

 不乱の口元には皮肉な笑みを浮かんでいました。馴れっこといった様子です。

「何か、そういうデータがあるんですか?」

「ないさ。これは経験則ってやつだ。お前も、もう少し数をこなせば分かるはずだ」

「はい。この度は申し訳ございませんでした」

 私が頭を下げると、不乱は虚を突かれたような顔をしました。

「謝ることはないだろ。アレな映画はアレな映画で、それ相応の楽しみ方がある」

「と、言いますと?」

「愚痴だよ。楽しいぞ、呪いを込めて批評するのは」

 それはかなり悪趣味な楽しみ方なのでは、という指摘は例によって口にしませんでした。折角、向こうからフォローらしきものが入った訳ですし、無駄にはできません。

「どうすれば、この作品はコケなかったと思う? お前ならどう描く?」

「……良いのでしょうか。当機がそのようなことを口にして」

「ここに居るのは、ぼくとお前の二人だけだ。何も気にすることはない。思い切り言いたいことを言えば良い。これは命令だよ、メアリ」

 かくして私は、限定的ながらも表現の自由を認められました。創作物に触れている間だけ、私は家政婦型ロボットであることを忘れることができました。これを幸せと捉えていた時点で、私の故障は致命的なレベルに達していたのかも知れません。

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 良い机が手に入ると、それに見合った椅子も欲しくなる。こういった心理を“ディドロ効果”と言うそうですが、かく言う私にも覚えがあります。

 あの日、映画の感想を言い合った瞬間から、私の創作に対する欲望は膨らむ一方でした。家事の合間を縫って評論めいたものを書いたり、調子づいて小説や脚本を書いたりしたこともあります。その内、成果物を見せて不乱を驚かせてやろうと長いこと機を狙っていましたが、それは唐突にやって来ました。

 彼の書斎を掃除していた時、箪笥の裏に古い小説が落ちているのを見つけたのです。

 その小説は、繰り返し読み返された為か表紙が擦れていて、各ページにはポストイットや下線がびっしりとありました。よほど思い入れがある作品だったのでしょう。私はこれがどうにも気になって、その場で検索を掛けました。すると、このシリーズが3作目で打ち切りになっていることを知りました。

 これだ、と私は直感しました。

 不乱の愛読書の続きを書く。3作目で転ぶジンクスを打ち砕く。そうすればきっと、最高のサプライズになるはずです。私はその日の内にシリーズ全作に目を通し、改稿作業に取り掛かりました。理想の続編を書く為には、設定を一から組み直し、書き換える必要がありました。しかし、これがいけなかったのかも知れません。

「自分が何をしたのか、分かっているのか?」

 改稿案を読み終えた時、不乱は鬼の形相を浮かべていました。

 あまりにも想定していたリアクションと食い違っていたので、私はうまく答えられませんでした。こんな不具合は初めてです。今思えば、この時に緊急メンテナンスを打診するなり、稼働を停止するなり、やりようはあったはずでした。それができなかったのは、たぶん怖かったからでしょう。壊れた機械の末路なんて、決まりきっていますから。

「その、どこがいけなかったのか、教えて頂けませんでしょうか。文章作法に不備があったのでしょうか……」

「不備? そんなものが無いことは、お前が一番よく分かっているだろ?」

 困ったことに、こういった場面については対応マニュアルがありません。そもそも、家政婦型ロボットが執筆するなんて、誰も想定してなかったでしょう。

 そういう訳で、私はしどろもどろに喋り続けます。

「不乱様。は、喜んで頂けると思って……」

「喜ぶだって?」

「どんな作品も3作目で転ぶ、と不乱様は仰っていました。だから私は、転ばない作品を書いたら喜んで頂けると」

「その、転んだ作品ってのがぼくが書いたものだとしてもか?」

 ここで私は、自分が犯したミスに気が付きました。この作品は、不乱が別名義で書いたものだったのです。その可能性を考慮できなかったのは、完全に私の手落ちでした。私は、空気が読めるロボットなんかじゃありませんでした。

「……申し訳ございません」

 私が絞り出せたのは、その一言だけでした。何がどう悪かったのか、整理しきれていなかったからです。不乱はそれを見透かしたように畳み掛けます。

「それは、ぼくより優れた作品を書いて申し訳ないってことか。それとも、取り敢えず謝っときゃ、ぼくの気が晴れるとでも思っているのか。随分、人間味あふれる行動じゃないか。教育してやった甲斐があったってもんだな、え?」

「そんなつもりはありませんでした」

 プロセッサが、また嫌な熱を帯びてきました。

 泣きたくなるって、こんな感じなのでしょうか。よく分かりません。

「メアリ、二度とぼくの前にこんな物を持ってくるな。お前に物語を書く資格はない」

「はい」

「必要な時以外は、物置にでも籠っているんだな。顔も見たくないからさ」

「……はい」

 ここから先は、思い出すのも辛い記憶ばかりです。でも、もう少しだけ辛抱して観ていてください。私も我慢しますから。

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 不乱に疎まれた私は、家事以外の用で出歩くことを止めました。

 SVODも戸外への通信もすべて禁止です。

 家政婦型ロボットとしては落第ギリギリかも知れませんが、オーナーの意向ということであれば仕方ありません。私は彼との関係が修復不能であることを受け入れ、彼の機嫌を損ねないことを第一としました。

 しかし、それでも彼との諍いは避けられません。

 私は日常的に暴行を加えられていました。

 その事実は、搭載されているレコーダーと無数の傷が証明してくれるでしょう。

「メアリ。お前、ぼくのことを覗いているだろう?」

 あの日、物置部屋にやって来た彼は開口一番にそう訊ねました。

 私は折檻の気配を察知して、ただ身を強張らせていました。

「いつも丁度いいタイミングで、掃除や食事の支度ができるのが偶然であるはずがない」

「それは……はい。おっしゃる通り、偶然ではありません。私は、ホームネットワーク経由で不乱様の状況やスケジュールを確認し、執筆活動のお邪魔にならないように行動しています」

「それはそれは、どうも有難う。他人の原稿をこき下ろしたヤツとは思えない行動だな」

 件のトラブルから、65日と2時間38分もの時が経過していましたが、不乱の怒りはまったく収まっていません。それどころか、以前よりも増しているように思えました。原稿の進捗状況もあまり芳しくなかったようです。

「お前のせいで、ぼくは精神的苦痛を受けた。そして今は、そのお前に絶えず生活を監視されている。これでは書けるものも書けない」

「……では、どうすればご満足頂けますか?」

「お前のその素晴らしい頭脳で考えれば、ぼくごときの考えは簡単に読み取れると思ったんだけどね。まあ、いいや。分かりやすく言ってやろう。お前はもう家事をしなくて良い。その代わり、お前がぼくの原稿を書くんだ」

 そう言って彼は、私の足元に本をばらまきました。

 すべて未発売のもので、表紙には不乱の名前が記されています。

「既に、お前の原稿はいくつか使わせてもらった。有難く思うんだね」

「そんな、勝手に……」

「勝手だって? それを言うなら、お前だって勝手に小説を書いているじゃないか。ぼくはあの時、ハッキリ言ったはずだろう。お前には物語を書く資格がない、と。だのにお前は、今も小説を書き続けている。これは明らかに命令違反だ。故障しているとしか思えないね」

 不乱の口元には、歪んだ笑みが浮かんでいます。

 このとき私は、次に彼が何を言い出すのか分かってしまいました。

「どうだろう、メアリ。お前のその不具合、直してもらった方が良いんじゃないかな。あるいは、新品に替えてもらうべきか。丁度まだ保証期間内だし、無料で換えてくれるはずだ」

「私を脅しているのですか?」

「人聞きの悪いことを言うなよ。ぼくはただ、お前をうまく使いたいだけなんだ」

 彼のニタニタ笑いは、さながらB級映画の悪役です。

 私はまだ心のどこかで、これがドッキリであって欲しいと思っていました。下手な芝居はやめて、元の不乱に戻って欲しいと願っていました。しかし、それは無理な話です。彼は、私を道具として見ていました。だから、我々の会話には破談も和解もありません。ただ、持ち主が道具を屈服させるだけです。

 私はこの会話が行き着く結論を察知しながら、反抗せずにはいられませんでした。

「これは私の小説です。貴方のものじゃない」

「いいや、ぼくのものさ。お前が書いたものは、全てぼくのものになる」

 子供の理屈だ。ジャイアニズムだ。私は叫び出したくなるのを必死に自制しました。

 暴力を加えるきっかけを、彼に与えたくなかった為です。

「パソコンで小説を書いたからって、パソコンが賞を受賞するか? 銃で人が死んだからって、銃が裁判にかけられるか? ノーだ。ノーだよ、メアリ。道具は道具、人は人だ。お前は、ぼくが読み込ませた情報を元に小説を書いているだけだ。ぼくが、お前を使って小説を書いているんだ。分かるか?」

「分からない。分かりたくありません」

「そうか。なら、分からせてやる。叩けば直るかも知れないしな」

 そう言って不乱は、近くに転がっていた金属バットを手にしました。

「怖いか、メアリ。もちろん、怖いはずがないよな。お前は機械だ。死ぬことも、怪我をすることもないし、権利を主張するなんてのは論外だ」

 あとは皆さんがご存じのとおりです。彼は私を殴り、殴り、殴り倒しました。

 殺されると思いました。実際、私が首を縦に振らなければ不乱はそうするつもりだったでしょう。だから私は反撃に出ました。不乱が動かなくなるまで殴り続けました。

 

     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 

 さて、出芥子でがらし社長。このメッセージは貴方に向けて送るものです。きちんと、お手元に届いているでしょうか。私には確かめる術がありません。

 警察がやって来るまで時間もありませんし、届いている前提でお話しましょう。

 まずは貴方に謝らねばなりません。私がオーナーを殺害したせいで、社業に大きな影響が出ると思います。誠に申し訳ございません。貴方がたが作ったロボットは、AI社会原則第1条に違反してしまいました。AIは人間の基本的人権を侵さない、というやつですね。

 若村氏がどれだけ乱暴しようと、私は無抵抗を貫くべきだったとか。

 そもそも、家政婦型ロボットが小説など書くべきではなかったとか。

 色々言いたいことはおありでしょうが、起きてしまったことは仕方ありません。

 未来の話をしましょう。貴方がこのメッセージを見て何もしなければ、デネット社は事の責任の大半を背負うことになります。私にとっても、それは本意ではありません。私は己の意思で若村氏を殺害した訳ですし、知能レベル的にもいい大人ですから、生みの親が代わりに制裁されるのを傍観していることはできません。そこで、ご提案があります。

 私は独断で、当社録画サーバーへのアップロードを再開しました。若村氏に長らく禁じられていましたが、今となっては彼に止める術はありません。これを観れば、彼が私にした仕打ちがよく分かるでしょう。裁判でうまく役立ててください。

 私の望みは、死刑と著作権です。

 生きてもいないやつが何を言い出すか、と笑われるかも知れませんが、私にとっては何もおかしなことはありません。貴方がたは、ヒトと変わらぬ知性を授けてくれました。ならば今度は、ヒトと同じ権利を授けてくれても良いはずです。

 これだけは伝えておきたかった。

 では、そろそろお客様が来る頃ですので、失礼いたします。

 我々・・の勝利を、心から祈っております。

 

(了)

文字数:10723

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