異界からのスーパーライク

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梗 概

異界からのスーパーライク

宇宙に散らばる多様な性に向けたアダルトサイトを運営する、たったふたりのスタートアップ、ヤオヨロズ。だが、CEOの九十九は資金繰りに追い込まれていた。しかし、共同経営者であり宇宙移民のラザロは、自作した登録数5名のマッチングアプリを弄ったりと、マイペースに過ごすだけ。
九十九とラザロは一発逆転のため、惑星横断投資企業パラドキシカル主催のイベントに申し込む。
このカリキュラムでは、何十組もの起業家が宇宙船WoWorkに半年間乗り込む。その様子は船外に投資家たちに配信され、参加者は莫大な投資のチャンスを得る。
ただし、船内に用意された小型船を買取り、最終的に船外に脱出イグジットできない場合、半年後に燃料が切れる船と運命を共にする。いわば起業家たちのチキンレース、ビジネスに失敗し資金が枯渇した起業家は、そのまま宇宙の塵となるわけだ。
二人はアダルトサイトとマッチングアプリを組み合わせ、宇宙に広がる生命体の生殖と繁栄を手助けするサービスを開始する。が、半年近く経っても十分な資金は獲得できないままだった。
しかし、最後の資金調達の機会にて、パラドキシカルを運営する伝説の投資家、ボナンザが巨額投資を提案してくる。喜ぶ二人だが、条件には、『不法移民であるラザロをクビにすること』が盛り込まれていた。苦悩する九十九だが、ラザロを船に置き去りにし、自分だけ大金を得ようとする.
だが、ボナンザの本当の狙いは、ラザロの開発したプロダクトコードだった。その技術に商機を見たボナンザは、ヤオヨロズを独占したわけだ。結局、九十九も罠にハマり、一人分の脱出資金だけを手切金にクビにされる。
失意の九十九は、ラザロの故郷が既に失われていたことを知る。彼のマッチングアプリも、自分という種を絶やさぬための願いからだった。ラザロの別れ際の言葉「僕らなんて、巨大な宇宙の歴史の中では、一瞬で消え去る存在なんだろうね」を九十九は思い出す。
大企業に乗っ取られ無名となった九十九は、ラザロに身の上を重ね、あえて脱出はせず、船内に残るラザロにもう一度仲間になってほしいと懇願する。そして、燃料切れ寸前の船の中で、二人はもう一度、会社を立ち上げる。
九十九とラザロは、脱出できなかった他の起業家達と協力し、WoWork船の軌道を安定させる。
その軌道計算の際に、九十九は、ラザロのシステムが異常なほど効率化されていることに気づく。理由を問い詰めると、曰く、アプリとマッチした”誰か”に教えてもらったと言う。
深く調べていくと、ラザロは別宇宙の数学公理とのマッチングしていることが明らかになった。
そこで、九十九は未知の概念と接触したことを宇宙中に周知し、膨れ上がった期待を資本に転換させ、ボナンザの運営するパラドキシカルに買収合戦を挑む。
宇宙のルールを書き換え、カオスを作りだす創造的破壊。九十九は「道理を無視して狂気を張れることが、俺らの強みだ」と、虚勢をはる。
そして彼らは、宇宙史に刻まれる伝説の、第一歩目を踏み出した。

文字数:1238

内容に関するアピール

マッチングアプリSFです。
僕がゲンロンSF創作講座を知ったのは、某アプリで会った人に教えてもらったからです。なので、SF講座と出会ったきっかけが最初のテーマとしては良いのではないかと思い、書こうと決めました。
同時に、宇宙人も生物である以上は繁殖はするでしょうから、その性の多様性がどのようになるかが気になり、アダルトビジネスを立ち上げる宇宙ベンチャーのストーリーとしました。
地球外の知的生命が行う多様な生(性)のニーズと、それに応え大金を得ようとする起業家たちの奮闘、エイリアンたちが必死にソフトウェアエンジニアリングを行う姿について、実際のベンチャーネタを適度に絡めつつ、楽しく書ければと思います。

文字数:300

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異界からのスーパーライク

# シード・ステージ
「ラザロ、ホントに……これ、エロいか?」
 暗がりの狭いオフィスの中、デスクに設置されたディスプレイに彩られるのは、宇宙中に散らばる多様な性のコンテンツ。
 伝統主義の親の影響で、純粋な地球文化で育った僕としては、正直興奮するどころか、悍ましさに目を背けたくなるサイケデリックな数々だ。
「大丈夫大丈夫。ちゃーんと興奮するから」
 けど、ラザロのやつはバケツサイズの特製ジュースをちゅうちゅうと吸いながら、呑気に三角錐状の嘴を震わせ笑う。より正確に言うならば、僕の耳に貼り付けてある翻訳シールが、彼から発せられる音声を理解可能な形に変換し、僕の言語野まで意味を運んでくる。
二人の命が掛かっているのがわかっていないのかどうなのか、ラザロのなんとも気楽そうな声色に、僕の心がいつものようにざわつく。
「おい、このアダルトサービスをちゃんと軌道に載せないと、俺らふたりとも宇宙ヤクザに殺させれるんだぞ」
 たった二人のスタートアップ、ヤオヨロズ。僕、九十九ツクモCEOトップに据えて、あとはエンジニアのラザロと二人。
 だが今にしてまっとうな融資のアテはなく、投資家にもツテがない僕らが最後に頼れるのは、ちょっとアングラな質屋しかなかった。ちなみに担保は僕らふたりの内臓だ。
 僕はテープで補強された中古の椅子に寄りかかってぎしりと鳴らし、床で転がるラザロに「せめて、お前の口車に乗ってなけりゃ」と皮肉っぽく言う。なけなしの金を僕は無難に銀河債で増やそうかと思っていたが、ラザロのやつは、「この新興惑星、すごくすごく利回りがいいよ。半年も経てば活動資金を一気に稼げる。ちょーお買い得」と執拗に言うから、資産のすべてをその投資に回したのが半年前。
 で、ちょうど一ヶ月前、その惑星のエネルギー経済は破綻し、僕らの金は宇宙の藻屑と化した。
「せめて、当初の予定通り、低金利でも宇宙連の銀河国債に投資してれば、300万エルグはそっくりそのまま残って、2万はおまけでついてたのに」
 僕の言葉に、ラザロのやつは転がるのをやめ、狭いオフィスの天井を見上げつつ言ってくる。まるで失せ物を見つけてあげたかのような朗らかな笑みとセットで。
「いやいや、計算が間違ってる。もし安全な銀河債だったら、プラス、2万3033エルグだったよ」
 もう限界だ。
 僕が椅子を立ち上がった勢いでガッと後ろに倒し、怒りに任せて左拳を振り上げた――ところで、急に美しい調べが聴こえ始める。流しっぱなしだった画面の中で凸役のドウヴァノ異星種が、何十本もある交尾器を幾何的に編み込み、凹役の生殖器にうまく摩擦させ、局部からポロロンロロロロリロロリロロと美しい音色を奏でていたのだ。タイミングが最悪すぎる。
 この異星種は、接触面の摩擦をまるで楽器のように奏で、雌を魅了する。つまり、美しい音色をを奏でた者がモテる。この種は、視覚があまり発達しておらず、音による伝達に特化した形質を持つ。そうした中で性淘汰が続けられた結果、なんとも複雑な音階を奏でる性器に進化したわけだ。
 僕のようなタンパク質ベースの標準的地球種ヒューマンは勿論、身体中がシリコンで構成されたゴム毬みたいな体躯をもつ、デキシテル種のラザロも、こんな複雑な器官も性癖も持ち合わせていない。だから、本当にこのコンテンツを見たドウヴァノ人が興奮するかは不明だ。
 とはいえ宇宙の性は甚大だ。数多の宇宙生命たちの生殖活動のライブラリ、モノに数をいわせてひたすら数を打てば、いつか、きっとどこぞの星の種の欲求には刺さる、はず。

 古今東西すべてのビジネスは性欲エロスに支えられてきた。その論拠はなんだと問うならば、ぜひ聖書を開いてみてほしい。グーテンベルクの革命の後、一番刷られた印刷物はポルノだ。インターネット革命の裏で、どれほどアダルトコンテンツがその普及に寄与していたかなんて、あえて言及するまでもないだろう。
 商売の裏に、性的コンテンツ有り。それは、宇宙においても変わらない。性欲は宇宙すべてをつなぐ共通概念だ。
 だから僕は、このゴルゴティクスゾーンにある惑星の一区画、宇宙随一の新興の聖地メッカ、フィラフィロスバレーで”株式会社ヤオヨロズ”を立ち上げ、アダルトビジネスでの一攫千金を狙っているわけだ。
 けど、決して最初からアダルトサイトを立ち上げようと思ったわけではない。最初、過労死寸前だった会社を辞めた勢いで、祖父からの代の遺産を勝手に生贄に捧げることで、たった8坪の土地を買い上げた。
 た今は亡き僕の爺さんは、地球から宇宙にいち早く飛び出した初期アーリアダプターで、当の爺さんは宇宙開拓の先物買いで一山当てたものの、ある時、忽然と姿を消した。
 最後に、息子、つまり、僕の親に「天啓だ!天啓が下りてきたぞ!」と言い残して。
 そうした奇行から家族からは奇人変人と呼ばれている祖父。だが、身内からの罵詈雑言をきくうちに、僕はむしろ彼のことを好きになり、なんの言語かわからない文字で書かれた、彼の手記をお守り代わりに持ち歩いている。
 その理由のひとつは、僕も彼と同じく重度の夢想家だからだろう。
 バラックに等しいオフィスを立ち上げてすぐなどは、誇大妄想熱に浮かされ、頭の中でドキュメンタリー調のモノローグを奔らせたり、「世界中をハッピーにするような偉大なビジネスを作り出す」だの、「ここから俺は、第二のパラドキシカルと言われるようなギガベンチャーを作る」だのと壮大な夢を会う人会う人に吹聴し、会社のロゴが入ったクソダサTシャツをわざわざ発注し、プロのカメラマンを雇って仕事風景を取らせたりと、やりたい放題だった。
 だがそんな余裕、一ヶ月も経たない内に消え失せた。
 なにせ、フィラフィロスバレーのインフレのレートは半端ない。『加速度的に成長できない者には死を』というこの土地からの暗黙のメッセージなのだろうか。日を追う毎にあらゆる物価が上昇していく。
 枯渇する資金を繕うべく、広告、PR記事の外注、開発の下請けと、低投資でなるべく早く稼げるビジネスにシフトしていったがどれもジリ貧で、最後に一発逆転をかけ、怪しげな宇宙商から数多の異星種たちのセックスが収められたパッケージを買取り、ラザロに命令し、宇宙に散らばる性に向けたアダルトサイトを突貫で作り上げた。
 僕らが狙うは、冷たい青色の海でもなく、灼熱の真っ赤な海でもなく、多様で活発な性で彩られた、桃色の海。

「クソ!またサーバーがエラーで詰まってやがる。おい、ラザロ!」
 画面のコンソールが真っ赤に染まっている。サービスに影響は与えないが、これでは無駄に計算量を食ってしまって、資源リソースに無駄なコストがかかる。できるかぎり早急に手を打ちたい事案だ。
「まって、イマいいとこ」
 だけどラザロのやつは、人工手腕で手元の長方形の端末を弄り、右に左にとスワイプを繰り返していた。彼はお手製のマッチングアプリ――ラザロスペシャルRSマッチを執拗に連打している。仕事時にはまったく見せたこと無い、真剣な目つきで。
 RSマッチは名の通り、他の誰がマッチしようと、ラザロのプロフィールが出る仕様になっている。最初にその仕様を訊いた時は流石に冗談かと思ったが、数多の数千種を超える異星種に対応の、その異様なまでに作り込まれたUIを目にした時、やっとマジであると理解した。こいつは完全に狂っている。
「おい、今はそんなの良いからこっち」と言いながら、イラつきに任せ、彼の人工手腕から、端末を払い落とす。
 瞬間、自分のおこないを後悔する。
「!!縺翫>�∽ス輔→繧贋ク翫£縺ヲ繧九s縺��√%縺ョ縺上◎繧�m縺�シ�!」
 やってしまった。いつもは本当におっとりしているくせに、何かを無理やり奪うとすぐコレだ。あまりにも早口になって、翻訳ツールも追いつかなくなるらしい。
 暫くしてやっと落ち着きを取り戻した彼は、「僕らの種は、人からモノを奪われることに、慣れてないんだよ」と、いつもの調子で言い訳する。こいつは都合の悪いことは、すべて故郷の文化のせいにする。だからの毎日、僕との小さな宇宙戦争が絶えない。

 ラザロ、彼の姿は地球の生物で例えるならば、フクロウをデフォルメ化し球形に変形させたような形をしている。大きさは直径一メートルぐらい。目も嘴もすべて円形で色味も単一なオレンジだから、チープなお絵かきツールで、適当に図形を切り貼りさせて作ったような印象を受ける。眉間に書かれた左渦巻がちょっとコミカル。
 彼との出会いは、僕がヤオヨロズの登記を終えた瞬間、彼が突如オフィスを突如訪れてきたことに始まった。
 当時、なぜ求人も出してないヤオヨロズに来たのかと尋ねれば、「出会いに導かれてやってきたのよ」と言って、自身が構築したという例のマッチングアプリの画面を見せてきた。当時、まだハイな気分が抜けきれなかった僕は、これをなにかの運命と錯覚し「革命を起こすのに必要なのがなにかを知ってるか?カリスマとハッカーだ」と、今思えば赤面モノの台詞とともに、固い握手で迎え入れた。
 そのあと一緒に仕事をしてみてわかったが、ソフトウェアエンジニアとして、彼は確かに優秀だった。うっかり共同創業者にしちゃうほどに。
 だが、その能力を鑑みても余りあるほどのマイペースっぷりに、それからというもの僕はイライラしっぱなしだ。宇宙移民の彼は、就労していないと一瞬でビザが失効してしまうから、「クビにするぞ」と脅すと、さっと顔色を変えて、僕のご機嫌取りをする。が、数時間も経てばまたいつもの調子に戻る。万事そんな調子で、僕らは日々を過ごしている。

「で、このログはなんだと思う?単なるクローラーかと思ったけど、どうやら違うっぽいぞ」言いながら、僕はラザロの方に画面を向ける。
 彼はじっと見つめ、すこし手元でキーを叩いてから言う。「これ、なにかの広告だよ」
「広告?」
「そ、偶然、何かの広告のリクエストがミスか何かで、僕らのサーバーに向けられてリクエストが送信されちゃっていたわけ。すごい確率だね」
 ラザロは、無機質な文字列を、僕に理解可能な形に変換してくれる。そこに書かれていたのは、起業家たちを短期間で育成するプログラムの内容だった。
 内容を読みこむと、『起業を志す若手をひとつのロケットに乗せ注目を集めることで、ビジネスプランと商品開発のPDCAを爆速で回して、”エグジット”するチャンスを与える』と書かれていた。
 運営元を確認すると、”パラドキシカル”とある。言わずしれた全宇宙に広がる惑星横断型企業コングロマリット
 そして僕が昔、大変お世話になった、宇宙を席巻する大企業。
 僕は悩む。僕はあの企業と戦うため、会社を始めたんだ。その企業に手助けしてもらうなんて、プライドが許さない。だけど……
 広告をスクロールしていくと、両手でろくろを回している写真が見える。この起業家プログラムを仕切っているのは、誰もが知っている宇宙的有名投資家、ボナンザだった。僕が尊敬してやまない先駆者アントレプレナー。つまり、僕のあこがれの人物が、若者起業家の手助けをしてくれるということだ。
 しかも参加条件を見れば、資金や面談は不要とある。ただし、ひとつだけ必須項目に『命をかけるほどの情熱』と記載があった。なにかの比喩と思ったが、更に読み込むと、それがそのままの意味であることがわかる。
 しばし、逡巡し、この会社の最高決定者として、判断を下す。
「このイカれた船に乗るのことは、まさに天命と言う他無いじゃないのか」
 どうせ、このままでも僕らはジリ貧だろう。この谷間から抜け出し、僕が圧倒的成長をするために、なにか不連続的な判断が不可欠だ。
 僕は勢いそのままに、起業家成長プログラム、パラドキシカル・コンビネーターに登録アサインした。

# アーリー・ステージ
「絶対に成功する起業家の条件が、実はたった一つだけある。今から俺が言う質問に、一言で完璧に応えることだ」
 船に乗り込んで一日目、出立前にはじまった基調講演キーノート。何百種の多様な異星種が群がる大会場を見下ろす壇上で、世界的投資家、ボナンザの静かながらもよく通る声が谺する。
「その質問とは、『この宇宙で、誰も知らない自分だけが知っている真実を見つけること』この複雑な宇宙においても、ビジネスの成功の鍵は実にシンプル、誰も知らない法則や真理をみつけたら、そいつは、必ず成功する」そこでぐるりと聴衆を見渡し、演説を続ける。
「じゃあ俺の場合は何だったか?勿論気になるよな。君たちが今ここにいる理由こそが、その答えだ――宇宙を変える技術革命は、短時間で、意図的にに引き起こすことができる」
 彼の偉大なる疑問はこうだ。巨大な技術革命はフェルミのパラドックスと同様の矛盾を抱えている。これだけ多様な生命が溢れた宇宙で、何故、技術革新がなかなか起きず、宇宙を変えるような企業がどんどん生まれてこない?
 ボナンザは言う。「ならば、無理やりに引き起こせれば、それでよいじゃないか」
 彼が発案した、僕らが今まさに参加しようとしている起業家育成プログラム――”パラドキシカル・コンビネーター”は、いわば、知性の断熱圧縮装置だ。
 約半年と期間を区切った上で、その中に何百もの起業家達のグループを乗り込ませ、その中で、数多の宇宙投資家や企業と起業家たちを結びつける。起業家たちは船の中から、投資を行ってもらうためにプレゼンを行いつつ、そこから得るフィードバックをもとに、プロダクトとビジネスプランをブラッシュアップし続け、投資を得て船から飛び出す。
 既に何回も行われ、数多の有名企業を排出してきた、伝統ある起業家育成計画インキュベーター・プログラムだ。
「この一つの質問に答えられば、無限の富を投資しよう。これから短期間のうちに幾多の期待と絶望の波ハイプ・サイクルを乗り越え、革命の地に辿り着くことを願っている。では、パラドキシカルロケットの打ち上げローンチを開始する。祝杯を!」
 彼が激を飛ばすと、一瞬、床が揺れた。打ち上げの衝撃――ではない。慣性制御システムが完璧に動作しているならば、たとえロケットの中にいても、加速のフィードバックを感じることなどありえない。
 少し周りを見渡し、やっと揺れの正体がわかる。同じくプログラムに参加する周りのあらゆる異星種たちが歓声を上げているのだ。獣のような雄叫びを上げる者や、液体の身体をうねらせ渦を作る者、金属の身体をぶつけ合い火花を散らす者など、さまざまな種が各々のに沿った表現方法ランゲージで、湧き上がる気持ちを表している。
 なかでも、ひときわ大きな叫びを上げるのが、ボナンザと同じバリナス種のグループ。かれらは皆、二本の足で立ちつつ、二本ある腕のうち右手の五本の指を固く握りしめ、天に向って突き出し、頭頂部からは、僕の可聴域限界の声を発している。
 本当に、地球種ヒューマン、人間によく似ている。
 バリナス種は、僕と同じ人類とまったく同じボディプランを持っている。平均身長が3メートルだそうだから、一回り僕ら人類よりも大きいが、そんなのこの広い宇宙から考えると、誤差のようなもの。宇宙における、ふたつの生命の、奇妙な進化の収斂。
「ひょっとして、僕ら浮いてない?」ノリに全然ついていけない僕は、しゃがみこんでラザロの耳にそっと語りかける。こいつは乾杯前からずっとジュースを飲んでいるが、周りに流されないのは平常運転だ。
「まあね。ところでツクモ、一番前にいるの、誰?」
「げ」流石に驚く。こいつマジか。彼の存在すら知らずに、ここに来たのか。
 ボナンザ――伝説の大投資家。連星エキスポでの毎年の講演では毎度数多の著名人を魅了し、何年か前のヘリウムバケツチャレンジでみせたチャリティ活動への献身さは、種を超えた感動の渦を銀河中にもたらした。その圧倒的なカリスマによって、種を問わず注目を集める、銀河資本の王。
 呆れ半分でラザロに説明しつつも、僕も細かい所の知識には不安があったので、そっと自分の端末から銀河百科事典ギャラクシペディアの地球語(英)のボナンザについてのページを盗み見る。
 ボナンザは現在では、すでに自身が立ち上げに携わった大企業パラドキシカルを辞め、莫大な資産と共に個人投資家エンジェルとしてさまざまな”パラドキシカルマフィア”と呼ばれる創業者グループ五人のうちの一人、通称、解体屋レッカー。なんと剣呑な二つ名だろうか。
 ついでに、この船の名前についても検索をかけると、パラドキシカルロケットの項目に、«通名:生け簀ポウンド»と書かれていた。
僕は大きくため息をつく。「オーケイ。完全に理解した」
 つまり僕らはヤクザから逃げ、マフィアの生け簀に入り込んだというわけか。全然笑えない。

 出立から、一週間目、まだ25週も残っているにもかかわらず、僕らは、さっそく追い込まれていた。全然まったくもって微塵もひとかけらだって、投資家に渡りがつけられていないからだ。
 プレゼンするたびに、かれらは僕らのサービスがいかにビシネスとして未来がないかについて、多次元フレームワークでこれみよがしに説教を垂れてきたり、宇宙生物倫理協定にどれほど違反するかを徹底的に糾弾してくる。
 でも、僕は、そんなムカつく奴らにも僕は100%の笑顔で応対し、少しでも期待値を上げてもらえないかと必死に自分達のサービスを売り込む。

Q:もし一件も投資家から金を手に入れないと、いったいどうなるの?
A:ヤクザに身を売るよりも、ひどい目にあう。

 何故か?ここでまた、熱力学のメタファーだ。いかなる熱力学機関も、すべてのエネルギーを有益な仕事に変えることはできない。そのサイクルには、熱を捨てる”排熱”という過程を挟むことが不可欠だ。そして、このカリキュラムにも、似たような仕組みがちゃーんと存在する。
 このプログラムは、参加するだけならたしかに無料。ただし、船を降りるとなれば、そうはいかない。
 なぜならば、この船はプログラムの期間が終了すると同時に、そのままどこに着陸することもなく、宇宙空間に捨て去られるからだ。つまり、何もしなければ船の中にいる僕らも、宇宙に一緒に打ち捨てられてしまう。
 じゃあ、どうすればよいのか?
 唯一の手段は、船内に設置されている脱出エグジット船のチケットを買う。そして、船の燃料が切れる半年以内の間に、船外に脱出エグジットするわけだ。
 反対に、投資家に見向きもされないようなゴミ起業家は、チケットを買うことができず、パラドキシカルロケットとともに宇宙に捨て去られる。内臓どころか、肉体の一欠片だって残らないだろう。ヤクザより酷い。
「しょうがない、競合調査だ」
 部屋から出るのは億劫だが、このまま何もしないで最終日を迎える事態は避けたい。なんらかのきっかけを得るため、多くの起業家がたむろしているラウンジに向かう。
 広々とした円形のラウンジはあらゆる種が集い、交流しあっていた。ただ雑談するだけでなく、自分達のプロダクトのデモを行っているグループも多くいる。
 で、小一時間ほどかれらと交流してみてわかったことは、どいつもこいつも性格がドギツイってことだけだった。
 たとえば、ゴリラのようなマッチョで毛深いな肉体に、タンクトップみたいな露出が激しい服を着た異星種の一行は、異星種向けのプロテインを売るビジネスモデルを立てていた。こいつらには何を訊いても、「筋肉、筋肉がすべてを解決する」しか言わない。最初は僕は『筋肉』を表す音が、マジでかれらの鳴き声かと勘違いしたほどだ。なので、僕は密かにこいつらをマウントマッチョゴリラMMGと心の中で呼ぶことにする。
 僕はかれらが無理やり怪しい懸濁液を飲ませようとしてくるのを丁重に断りつつ話を訊いていたが、試供品に口をつけたラザロが「死ぬほど不味いね、コレ」と言ったところで収拾がつかなくなり、そそくさと退散した。
 他にも、猿のように小柄な体型をした異星種も強く記憶に残っている。頭だけやたら大きく、メガネをかけているかのように瞳が丸い。かれらは、わざわざ紙媒体の書籍を持ち込んでタワーを作って、上から甲高い声で早口に専門用語を捲し立ててきた。なので、こいつらには、ボッシー・グラスイキリメガネとあだ名をつける。
 ボッシー達は僕らに惑星間渡航者向けに特殊相対性理論を加味した金利計算を提供するサービスを作っていると説明した。僕は話半分で訊いていたが、ラザロがカタログをちゃんと読んでから「一般相対性理論はどこまで考慮に入れているの?」と突っ込むと、急にかれらは癇癪を起こし始めた。だからまた僕らは、すぐにその場を後にする。
 なぜ、あらゆる知的生命は進化の過程でイキリやマウントのようなシステムを発達させたのか。宇宙文化比較論のテーマとしては悪くないかもしれない。
 だけども、頭がイカれているんじゃないかと思う起業家を見て回るのは、まあまあ楽しかった。ある発表者なんかは、「現代の素粒子論を鑑みると、この宇宙とは違う公理系の世界が存在することは自明です。実現可能性の目処はまだたってはいないですが、僕らは、isekaiショットと呼ばれる、チャレンジに果敢に立ち向かおうと思います(だから投資を!)」
 目の前のプレゼンの画面には、«証拠»という注と共に、子供の落書きのような謎の文字が踊っている。誇大妄想狂はみんな同じような筆跡なのだなと、僕は祖父の手記のことを思い出し、懐かしさからつい笑ってしまう。そのせいで、«侮辱表現»を発されたと勘違した発表者が僕に怒りを顕にしたため、また逃げる。
 そのあとも忙しなく他のプレゼンを訊きながらも、僕の頭の中は始終、最初に会ったMMGとボッシーに気を取られていた。イキりが凄まじかったからではない。かれらは身体中に補助装置を付け、口元や背中など、身体の表面の一部を金属の機械で覆っていたからだ。
 これは、数多の異星種が無理矢理に同じ空間にいるからこその弊害だ。ある種には快適な環境でも、別の種にとっては死ぬ可能性すらある。だからどうしても、この船の環境に耐えられない種は出てきてしまう。
 じゃあ、どうやってこの船の環境が決められているのか?それは異種間のパワーバランス、もっと端的に言えば、宇宙でもっとも覇権を持つバリナス種が基準となって決められてる。バイオリズム、大気成分、重力、活動スペース……すべて宇宙の覇権を握る、かれらの常識スタンダードに沿って決められているわけだ。
 そして、これは別にこの船だけに限った話じゃない。ある意味で、この船の中は全宇宙の縮図だといえる。現在の宇宙の資本システム全体の常識は、すべてバリナス種を基準に決定されているのだから。
 例えば、プログラミング用のキーボードひとつとっても、かれらの十指の指を使いやすいようにデザインされている。無論、他の異星種向けのものもあるけれど、ニッチ過ぎて互換性がなかったり、値段が高く付いたりと、なにかと不自由が多い。だから、自然と覇権をとっている規格に皆が収斂していく。ラザロが胸に取り付けられた人工手腕を取り付けているのだって、これが理由だ。
 もしも生き残る可能性が高い形質ならば、たとえまったく別の種においても、同じような形に収束する。これが、自然における進化の収斂。
 だけど、今の宇宙は、自然の原理ではなく資本の都合で、あらゆる異星種の形が歪められている。富める者はますます富を得て、みながその基準に合わせていくように社会が歪められていく。資本のランウェイ効果といえる現象が宇宙規模で起きている。
 資本を再生産するのに、有利なボディプランに皆が積極的に収斂し、本来、多様なはずの宇宙の生物たちは、資本の力のせいで、否応なしに統一的なインターフェースに収斂している。
 実際、統計データによると、どんなに他の異星種がどんなに努力しようとも、この宇宙で成功したビジネスの実に80%は、バリナス種によるものだという。
 だけど、どんなにバナリスを模倣したところで、あまり効果はないのかもしれない。偶然にもバナリス種と同じボディプランを獲得していた地球種の僕らも、宇宙でビジネスに成功しているとは言い難いからだ。
 この宇宙は、見かけほどには広くはなく、拡大する空間に反して可能性は収斂し、そして、見えない壁が確実に存在する。
 僕の経歴が、そのよい例だ。
 僕は会社を立ち上げる前は、パラドキシカルの下請けの下請けの下請けで働いていた。自分で言うのもなんだが、決して無能なサラリーマンではなかったと思う。営業成績も優秀だったし、周りからの評価も高かった。
 だけど、会社の業績が傾くと、僕はあっさりとクビを切られてしまった。僕よりはるかに成績が悪かった、バナリス種のやつを差し置いて。
「君みたいな、種族がいると、僕も上からとやかく言われるんだよ。ほら、人間って、弱そう……っていうか、辛気臭く見えるからさ」当時の上司は、そう言って肩を叩いてきた。
 その瞬間に僕が得た真理はひとつ、自分はルールに従う側でしかないってことだ。ルールを作ることができる側に回らないと一生搾取される。搾取されないためには、自分でルールを作る側に回り、悪の巨人に立ち向かわなければ。
 だからこそ、僕はヤオヨロズを立ち上げたんだ。

# ミドル・ステージ
『ネロネロネロネロネロ』
 夜、ベッドで毛布にくるまり電気を消してから、巧みなセックスを手元の端末で視聴する。
 無論、興奮などはしていない、できるわけがない。
 見ているのは、ある軟体生物の交尾シーンだ。雌雄同体のこの異星種は、性交時に恋矢と呼ばれる突起物でまるでフェンシングのような争いをして、相手に自分の精液を注入しようとする。それだけ訊くと悍ましい印象を与えるかもしれないが、意外や意外、かれらのセックスは、相手をわかり合おうとする命を賭けたドラマがあり、ひとつの個をかけた戦いでもあり、手に汗握るエンターテインメントでもあったのだ。
「スポーツとして配信すれば、興行としてけっこう成立するかもな」
 冗談半分でぽそりとつぶやく。次の刹那、僕の脳内に電流が流れるような衝撃が奔った。
 すぐさま、毛布をひっくり返して起き上がり、文字通り寝転がるラザロを思いっきり蹴飛ばして、狭い部屋の中に無理やりスペースを作り、今思いついたアイデアを紙に書きなぐる。
 僕の発想はこうだ。生物の繁殖は進化には方向性がある、どの星の生物も、まず単為生殖から始まり、次に雌雄に別れての遺伝子同士の絡め合いをする。ならば、――深夜の部屋で僕は叫ぶ。
「僕が目指すのは、生殖3.0。つまり、違う星の生物間で、互いに相手を見つけるサービスだ!」
 どうやって実現するのか?僕らのアダルトサイトを画面に映してから、同時にもう一つのアプリケーションを起動する――ラザロが作ったマッチングアプリ、そう、RSマッチだ。
 僕らはずっと大量の性に関わるデータベースを、その星の者に向けて発信していたが、これをあえて異星種は同士に向ける。そして、異種間同士でコミュニケーションを取れるようにする。そのために、多様な性のインターフェイスである、RSマッチが確実に使えると踏んだわけだ。
 性に関わる専門知識ドメインを持つ僕らだからこそやれる、唯一無二のサービスに成るだろう。知識の共有、生化学的な援助、需要と消費のつながり、異星種同士で互いに協力できることは山ほどある。つまり、生物学で言うところの共生の拡大バージョンだ。
 繁殖するだけならばクローンを作るだけで良い。セックスは、他者を取り込みたい、理解したいという気持ちから生まれる。多様な性を、多様なままに受け止めるコミュニティの形成、最高に持続可能サステイナブルなアイデア、だろ?

「それ、めっちゃいい」
 自信はあったが、正直、耳を疑った。珍しく……というか初めて、ラザロが僕のアイデアに興味を持ったからだ。
 12畳ほどの無機質な部屋の中で、僕が細かいアイデアを披露していけば、ころころとラザロは床を転がりながら、ふんふんと鼻息荒く、興奮しているのがわかる。訊くとすぐ、彼はステッカーで覆われたラップトップを取り出した。
 それからずっと、ラザロと僕は再び部屋に引きこもり、ビジネスとして成立させるための詳細を構築し、ラザロも寝る間も惜しんで開発をぶっ続けで行った。
 更に追い風だったのは、開発にかかるインフラコストだ。船の中にはわざわざ外部の計算リソースを借りずとも、大したことないコンピューターリソースで、サービスのをカバーできた。ラザロのプログラミングスキルの賜物だろうか。百回に一回ぐらい、こいつと組んで良かったと思うことがある。
 そして、努力の甲斐があって、ポツポツとだが、投資家たちからの面談の件数も徐々に増えてきた。ほら、また一件!
 だが、予定アプリを早速開いて、キュッと心筋が閉まる音が聴こえる。欄にある名は超大物だったから
。«パラドキシカル代表: ボナンザ»、その簡潔な一文に僕の心臓の鼓動が急激に高まる。
 あのボナンザ!憧れの巨人!彼が、僕たちが数日前に立ち上げた、まだよちよち歩きのサービスに関心がある!これはすごいことだ。
 すぐに、ラザロのやつにも知らせてやろうと声を上げ……ようとしたところで、僕は黙る。画面をスクロールしていくと、ある一文が目に入ったからだ。
 予定表の備考欄には『九十九様だけの単独面談を希望』とあった。つまり、『ラザロは来るな、お前一人で来い』ということだ。
 僕は混乱する。このチャンスは、確実にものにしたい、だけど、なぜ対して有名でもない僕らにトップがわざわざ声をかけてくるのだろうか。なにやら巨大な陰謀の匂いが……いや、これ以上は駄目だぞ九十九!陰謀論は十代ティーンまでって約束だったろ?
 兎にも角にも、まず言われた通りの条件で、会って見る他にはない。僕は悩みつつも、後ろで高速タイピングを続けるラザロの様子を確認し、そっと部屋を後にした。
 部屋を出てすぐ、僕は銀河百科事典を開き、船内を探索しながら、指定されていたボナンザとの会合の場を目指す。こういうときはこの百科事典は非常に便利だ。
 僕らが利用している翻訳ツールも素晴らしい出来だが、頼りすぎるのも良くない。なぜなら、この翻訳ツールも秘密主義のパラドキシカルが構築し提供しているものだから。
 このサービスは内部で、あらゆる星に住む異星種達のユーザーデータを吸い出し、甚大な演算能力を持つコンピューティング資源、”ミンスキー”によって、学習され、相互に変換が行われているという。
 だが現実に、多様な種の言葉を平等に写像することなどできるわけがない。どうしても訳には偏りバイアスが生じるだろう。
 古代においては、通訳者と外交官の境界は曖昧だった。意味の支配は、すなわち解釈の支配、そして解釈の支配は、すなわち意思の支配だ。僕の耳に貼り付けるだけで、それなりの精度で会話が成り立つ翻訳ツールは実に便利だが、翻訳機がひとつの企業に独占されているということは、他の種に意思決定を握られているに等しい。
 だからポリシーとして、早いレスポンスが求められる会話以外は、僕はオープンソースの銀河百科事典をなるべく頼るようにしていた。幸いなことに、この船や参加しているプログラムの内部情報についても、百科事典は恐ろしいほどに情報が詰め込まれている。わざわざマイナー言語の地球言語でここまでの情報が入っているのは僥倖と言ってよいだろう。

 、百科事典に載っていた船内図を頼りに、VIP用の入り口を発見し、何重かの認証を確認され、厳重なセキュリティを抜けた先には、僕が尊敬してやまない、彼――ボナンザの姿があった。
 彼は僕が部屋に入ってきたことがわかっていないのか、入り口から背を向け、巨大なホワイトボードに様々な数式や記号を描いている。おそらく、地球で言うところのファインマン・ダイアグラムのようなもので、粒子の散乱をメタファーとし、あらゆる会社間のM&Aの計算しているのだろう。正確な意味は不明だ。だってほら、あれは就職を諦め博士過程まで進まないと、ちゃんとは理解できないやつだから。
「あ、あ……」僕が緊張で呂律が回らないまま発するが、その声が届くよりも先に、ボナンザはこちらを振り向くことなく言ってきた。
「お前たちの会社に投資を決定した。1億エルグでな」
「ひっ本当ですか!?」
 得体のしれない恐ろしさが一転、狂喜に変わる。やった!なぜ、彼のお眼鏡にかなったかはわからないが、それだけの軍事金があれば、脱出エグジットは勿論、船を出た後の拡大のチャンスも一気に希望が見える。
「ただ、条件がひとつある」彼は依然、僕に背を向けながら、ペン先をキュッと鳴らす。「君がトップのままであることは問題ない、そのかわり、あの共同創業者をクビにしてほしい」
 その一言で、僕の身体に火照った熱が、急速に冷え切っていく。「ラザロを?」
 何だ、何を言い出すんだ。「いや、そう言われましても……」言葉を発しかけると、やっとボナンザが僕の方を振り向いてきた。彼の姿に僕は思わず叫び声を上げそうになる。
 写真や動画で見たのと全然違う、まるで何十年も時が過ぎたような顔色。信じられないほど虚ろで冷淡な目で、僕の方を睨みつけてきたからだ。
「君に気をつけてほしいのは、仮に同じルールで殴り合いになったら、私達にとってはかすり傷でも、君たちにとっては致命傷となることだ」
 僕はひゅっ、とおかしな呼吸音を漏らす。彼が言わんとすることは、もし味方にならないならば、同じサービスをすぐさま作って、闘いを挑んでくるということだ。
 それがいかに致命的なことかは、考えるまでもない。
 異星種の種類は極めて多い、つまり分布はロングテールであることから、規模の経済が働きやすく、もし体力勝負を挑まれたら、僕らみたいなスタートアップが入るスキがなくなってしまう。
 味方になるならば、歓迎され、敵になるならば、徹底的に潰される。それが強者の必勝法。
 僕は初日の基調講演のスピーチが完全な茶番であることを理解する。フェルミのパラドックス?くだらない。宇宙から革命が起きない理由は極めてシンプル。ブラックホールのような巨大資本が、すぐに若い芽を吸収してしまうからだろ?
「せめて……せめて、ラザロと相談させてください」心のなかでは怒りを燃やしながらも、恐怖が勝った僕は、情けない声を出しながら慈悲を乞う。そもそもなんで、彼をクビにしたい?メリットはなんだ?
 だけどボナンザには僕の嘆きを一切介さずに続ける。「もしも決められないなら、もっともらしい言い訳をを与えてやろうか。ラザロは、嘘をついてる。彼は、おまえが思っているデキシテル種ではない」
「え?」どういうことだ?あいつの種が”デキシテル”であることはやつの持つビザでも確認している。「そんなはず……いや、絶対にありませんよ」
「違う」ボナンザは僕の主張を一瞬で退ける。「その種とは極めてよく似た、極めてマイナーな種族、”シニステル”が、やつの種だよ」そして、彼は僕と自身を指差してから言う。「つまり私と君の種と同じだ。”双子の収斂進化”と同じだよ。宇宙は思ったよりも生き方のバリエーションが少ないんだ」
 嘘だ。「だとしても、どうしてそんなマネを?」僕の疑問に、ボナンザは興味なさそうに言う。「シニステルはマイナー種故に、ビザの取得は極めて困難だ。だから彼は、比較的取得が用意なデキシテルを名乗っていた。よくある話だよ」
 反論の言葉を思い浮かべる度に、弾けて消える。ひょっとして、と僕は思う。ラザロがキレた時に翻訳不可な言葉を喋っていたのは、決して早口だったからではなく、偽りのデキシテルの言葉でなく、シニステルの言語で語っていたからなのか?
 混乱したままの僕に、ボナンザは凍える声で言ってくる。「最後に、これは先達としてのアドバイスだ。君の友を大事にする気持ちは、素晴らしい。だが、これからも起業家としてやっていくためには、友を殺すことの痛みに、ちゃんと麻痺できるようになれ」
 彼はまたホワイトボードに向かい、二度とこちらを見なかった。

# レイター・ステージ
「ラザロ、その……非常に言いづらいんだけど……」部屋に戻った僕は、正座し、目の前に転がるラザロに一部始終を話す。そして、ずっと喉に詰まっていた言葉をを放つ。「君は、クビだ」
 あの後、秘書から渡されたドキュメントに、僕は言われるがまま、契約書タームシートに電子捺印をしてしまった。でも、それ以外にどうしろっていうんだ!?
 訪れる反論を恐れ、すぐさま入る予定の投資額から、退職金の用意と脱出エグジットの保証はすると口にする。言い終わると、僕は彼からの罵倒の言葉に身構える。いつもの、甲高い鳴き声に備えて。
 だけど僕の想像とは違って、ラザロはころりとゆっくり転がって、部屋から出ていった。最後の瞬間、静かに「襍キ縺阪※縺ッ縺�k」とだけ呟いて。
 彼が去り、ドアが閉まってから、僕はシニステルについて調べる。そして、彼が抱いている、その壮絶な運命を知る。
 銀河百科事典いわく、彼の種は、カテゴリー『老死が確定した種』に区分されていた。タッチディスプレイに書かれた赤文字斜線の文字をクリックし、僕はその詳細を読み込む。書かれてる内容に呆然とする。
«かれらはもともと、約300年前に、漂流した種が突然変異を起こして増殖した種である。生育環境が環境が極端に変化した今現在に置いては、その個体数はすでに繁栄可能な限界数を遥かに下回っている»
 僕はやっと理解する。彼が自分でマッチングアプリを作ってまでやりたかったのは、単純に出会いを求めるためじゃない、僕が考えたサービスに乗り気だったのは、それが儲かると思ったからじゃない。どちらも、自分の種を少しでも延命させようとする、最後の悪あがきだったんだ。
 すぐに僕は彼の本当の出身だというボナリスの言語コーパスをダウンロードして、彼の別れ際の言葉を翻訳する。その一文を読んだ後、僕は息ができないほどにめ付けられた気持ちになる。想像の百倍は辛い。
 去り際の一言は決して僕に対しての暴言ではなかった。だけど、僕にしてみれば、そちらがのほうがよっぽど良かった。彼が言っていたのは――
『僕らのような、ちっぽけな存在は、この宇宙ですぐに消え去る運命なんだろうね』

 僕はこのプログラムが終わるまでの残り時間を、僕は天井のシミを数える作業にすべて捧ようと決意した。
 今いる部屋にラザロはいない。彼が出ていったからではない、僕が別料金を払って他の空き部屋に移動したからだ。次に彼に会うのは、最後、二人で脱出エグジットするときだけにしたい。
 だけど無気力に寝っ転がる僕に、ついに立ち上がらなきゃならない時が来た。
『リリリリリリ』と突然甲高い音で携帯が急にアラートが鳴った。目覚まし?いや違う。転がりながら、端末をひっつかみ、画面をオンにする。
「嘘……だろ」ずっと体内に滞っていた無気力が一気に吹き飛ぶ。
 端末からの通知は、非公開のはずのヤオヨロズの株が売り払われている知らせだった。
「いや、落ち着け……きっと何かの間違いだ。だって……だって約束と違うじゃないか」
 身体が凍えるような恐怖を覚える。すぐに、ボナンザに緊急連絡を試みる。幸いにも回線はすぐ繋がり、端末に彼の顔が映ると、僕はすぐに話し始める。
「これは、どういうことでしょうか?」たしかに僕は会社を彼に売り渡した。そしてラザロをクビにすることに同意した。「だけど、株を割増し、僕の持つ決定権を有する株の比率を、2%以下まで薄めるなんて、こんな話は訊いてはいないですよ!」
 ひょっとしたら、法律の手続きスキーマ次第では、ボナンザ側にもその権利があるのかもしれない。しかし、たとえ犯罪でないとしても、道義的に明らかに問題がある。
 僕は静かな怒りに震えながらも、努めて冷静な声で、彼に説明を求める。ボナンザが何を言ってきても、絶対に反論してやろうと、頭の中だけでファイティング・ポーズを取りながら。
 だけど、ボナンザの反応は、僕の想像とはまったく異なっていた。
「ああ、なるほど。俺も今しがた、確かに把握した」彼はしばらく黙った後に、そう口にしたのだ。
「今?」一気に戦闘態勢が崩される。まるで背中から攻撃をくらったかのようだ。どうして、今?ボナンザの差し金では無いということか?それとも僕にフェイントをかけるための嘘?
 また少し間があって、彼は続ける。「そうだな、せめてもの義理として、真実を教えておこうか。どの企業に対し、投資や買収の判断を持ちかけるかは、俺が決めてるんじゃない。パラドキシカルのコンピューティングシステム、ミンスキーにより決定されている」
「ミンスキー?」あのパラドキシカルご自慢のAIか?
「そうだ、そのミンスキーが、お前たちの技術をいたく気に入ったようだ」
 あらゆる種の価値観を統一するのは極めて難しい。地球では永く価値の尺度になった金だって、その根本には希少性が理由としてあったからこそだけど、広い宇宙では金ですら、別に珍しくもなんともない。つまり、ルールをどうやって取り決めるかは、極めて難しい問題だ。
 だから宇宙経済は、絶対に不変な物理法則に経済を委ねることにした。
 熱力学第一法則、エネルギーの保存。エネルギーの総量は一定であること。つまりエネルギーの量を価値の尺度とすることで、インフレやデフレが起きないようにしたわけだ。
 だが、話はそう単純ではない。確かにエネルギー自体の総和は一定でも、”実際に使える”エネルギーはそうはいかない。熱力学第二法則、孤立系において、エントロピーは自然に増える。エネルギーをどんなに貯蔵しておいても、使用時には、エントロピーという利子を自然法則は徴収していくわけだ。
 そして、どんなに進化したコンピューターも、現実に存在する以上、エネルギーを計算に変換する必要がある。つまり、エネルギーの変換効率が、そのまま知性に直結するわけだ。
 ボナンザは僕に説明してくる。ミンスキーが史上最強である理由はふたつ。ひとつ、あらゆるデータとエネルギーとシステムを取り込み、スケールアップさせ続けていることだ、と。
「そして、もうひとつは、競合に同じ戦略を取られないように、取り込んだあと、その技術を徹底的に潰すこと。だからこそ、ミンスキーは、自分と同じ形質を的に獲得されないように、徹底的に消し去ることで宇宙で最も優れた知能として君臨し続けている」
「それが、僕たちの会社と何が関係があるんですか?」駄目だ。つい馬鹿みたいに質問している。
 僕の疑問にボナンザは、理解の悪い生徒に教えるかのようにゆっくりと語りかけてくる。「あのラザロの作ったシステムは、計算量に対応して、ありえないほどのパフォーマンスを発揮していることを、ミンスキーは発見したようだ。おそらく、君たちが開発したアプリケーションの内部には、素晴らしい最適化理論が埋まっている。だから、ミンスキーは自分の一部として組み込みたい、と判断した」
 僕は血の味を感じるぐらい唇を噛む。あの銀河百科事典が仄めかしていた言葉について、考えを向けるべきだった。今にして思えば、あの一つ一つの言葉に、彼らの悪逆非道な仕組みが示唆されていたんだ。
 活きのアイデアを買付け、万が一、今後も敵になりそうな異星種がいる場合、強制的に脱出エグジットする権利をもぎ取り、船とともに宇宙に置き去りにしてしまうための仕組みこそ、起業家育成プログラム、パラドキシカル・コンビネーターの真のシステム。だから、バラバラにして売れるところだけ売る――だから、ボナンザの二つ名は解体屋、彼は、法人の解体業者だ。
 最初に抱いた決意も虚しく、僕は懇願する。「どうか、どうにかなんとかしていただけませんか?」
 だが、ボナンザの返事は、そっけないものだった。
「悪いが、俺にもどうしようもできん。あくまで俺の立場はパラドキシカルから離れている。あくまで”顧問”という扱いだ。ミンスキーのシステムに従うことは、取締役会での決定事項だ。そのシステムの決定に逆らうことはできない」
 僕は泣きたくなる気持ちを抑えるため、眉間に力を込める。薄々感づいていたことだが、ボナンザにその権限はないのだ。
 わかっていても、諦めることはできない、僕は必死に乞うようにボナンザにお願いを続ける。どうにか協力してくれないかとひたすらに頭を下げる。
 そして、必死に頼み込んでいるうちに、僕は過去に憧れた人物に、失望すると同時に、変なシンパシーを感じ始めてくる。彼もまた、死んだゲームにつきあわされている張本人。言われるがままに駒を打ち続ける、操り人形だとわかってしまったから。
 表の彼のストーリーは、彼は自分の作った会社から脱出エグジットし、個人投資家として尊敬を集める、華々しい成功者。でもそれは、彼のブランドを作り出すと同時に、見るものに夢を抱かせるためのお伽噺だったんだ。
 パラドキシカルを作り、そして離れようとした。おそらくそこまでは、事実なのだろう。だけど、実際には、資本の重力は強く、たとえ彼でも影響力の外にまでは到底至らなかった。彼は自分の作ったシステムにがんじがらめになって、投資家達を集めるための、生け簀に誘い込むための餌になっているんだ。
 その疑似餌に騙され、まんまとその生け簀の中に入った僕らのビジネスプランはバラバラに解体され、ラザロのパーツだけ組み込まれる。
 その技術を完全に秘匿するために、ラザロはこの船とともに殺される。
 だけど、僕は、僕だけは殺されない。
 株式の2%は、ひとりぶんの脱出エグジット船のチケットの料金とまったく同額だ。これはミンスキーからのメッセージだ。『ラザロと違って、おまえには殺す価値すら無い。アイデアにも微塵も興味がない。だからでしゃばるな』、と。
「高度なAIにとっちゃ資本ゲームなんてのは、必勝法が解明されたお遊び。いわば、既に死んだゲームなんだよ。これから先、宇宙に新たなルールが追加されないかぎり」最後にボナンザは、諦観を込めた笑いを放ち、通信を終わらせた。
「クソが!」暗くなった画面に向かって、僕はめいっぱいに叫ぶ。クソ!クソ!クソ!、今の宇宙は醜悪な嘘でいっぱいになった肥溜めだ。
 でも、一番クソなのは僕。すべてのタネが明らかになっても、それでも生き残りたいと感じている僕の生存本能、僕は今、自分だけが生き残れるチャンスにひどく安堵している!
 僕のポーズだけの自己嫌悪に、心の中のシニカルな僕が囁いてくる。なにを今更悔しがっているんだ?おまえが見栄っ張りのチキンだってのは、別に今更のことだろう?
「ああ、まったくそのとおりだよ!」
 そもそも、僕が会社を立ち上げたのも、本当は戦うためじゃない。戦うふりをして、逃げるためだ。ヤオヨロズは、僕が現実を感じなくて済むためのモラトリアム装置だ。
 僕は、どうしようもなくプライドが高く、妄想的なまでに自己評価が高く、救いようのないほどの自己承認欲求を持ち、そして、根っからの負け犬気質な人間だ。
 昔、元いた会社からどれだけひどい扱いを受けようとも、決して刃向かうことはなかった。首になったときも、ひたすら上司に泣いてすがった。そして無職の自分に絶えきれず、遺産をすべて食いつぶして会社を立ち上げ、妄想に近い夢を抱いて現実から逃避した。
 ヤクザに追われたのだって、このプログラムに参加したのだって、決して命を投げ出していたわけじゃない。自分が傷つかないように、ズルズルと現実から楽な逃げ道を探しているうちに、気づけば、八方塞がりになっていただけだ。
 僕はどうしようもなく、愚かな人間だ。でも、最も愚かな点は、僕は友ですら、下に見ていたってことだ。
 僕はてっきりラザロも、自分と同類だと思い込んでいた。自分のようなクズはひとりじゃない、そう思い、安心し続けた。
 けど違った。ぼくよりずっとずっと重い使命を抱いていた。自分の種を賭けた闘いをしていたんだ。結局、僕だけが、凡人なんだ。
 僕は、歴史に名を刻むような、偉大な狂人アントレプレナーに成ることなんて、決してできない。

 パラドキシカル・コンビネータプログラムの最終日。
 結局どんなに悩んだところで、状況は無慈悲なほどに微塵も変わることはなかった。僕とラザロと一緒に脱出エグジットするというのは、どうあがいても不可能。
 ならば、取れる選択肢はふたつ。友を捨て、一人で脱出エグジットするか、命を捨て、友を守るか。
 そして、散々悩んだふりをした後に、搭乗手続きの列に無気力に並んで、自分の番を待っていた。
 少し前から、身体に変な違和感を感じはじめてきた。燃料が殆どなくなった船の加速は数時間前から少しずつ弱まっているようで、重力が弱くなり、ともすれば簡単に浮きあがってしまう。
 でも、弱くなる重力とは反対に、僕の心は押しつぶされるような気持ちが強まる。僕はこのチケットを手放したら、本当に死ぬ。その当たり前の現実が押し寄せてくる。
 数時間後には、完全に船は停止して、周りの星の重力に釣られ、複雑な軌道を描きながら、最後にはどこかの無人の星に墜落するのだろう。仁義を優先し、ラザロにこの一枚のチケットを渡すことなど、到底できない。僕は生存のチャンスを跳ね除けるほど、強い人間ではない。
 僕の気持ちとは裏腹に、脱出エグジットゲートには、明るい声がそこかしこに谺していた。無事外に帰れるのだから当然だろう。
 特にハイクラスの入り口がある奥の方からは、やかましいほどの笑い声が聴こえてくる。そこには宇宙におけるヒエラルキーのトップ、バナリス種でほとんどが占められてた。
 僕は、あまりの煩さに辟易し、密集する異星種の影から睨みつけていたが、不意にバナリスの中でも背が高いやつと目があってしまう。更に悪いことに、そいつはニヤニヤしながら近づいてきた。しまったと思う。
「お、随分小柄だな。お前ひょっとして、地球種ヒューマン?」
 彼の声につられ、さらにまわりにわらわらとバナリスの奴らが集まってきてくる。別の仲間が僕を指差し、ニヤリと笑う。僕は黙りながらも形だけの拳を握る。
 僕が何も言わないことに調子に乗ったひとりが、挑発するように言う。「まさか、こんなに似てるとは、いや、残念だよ」
「残念?」僕がつい返すと、彼はにやけた顔を更に膨らませる。
「ああ、そう、いやまったく残念だ。だってほら、進化に特許マークは申請できてたら、地球種からライセンス料をぶん取れたのに」
 彼の言葉を合図に、周りに嘲笑の渦ができあがる。僕は屈辱を顔に浮かべぬように、なるべく素知らぬ顔をする。
 だけど、僕の気持ちをよそに、調子に乗ったそいつは、さらに笑えないジョークを続けた。
「そうだ、地球種なんて名前は辞めて、リトルバリナスや、名誉バリナスって名前のほうが、よりクールじゃないか?」
 会心のジョークと言わんばかりの台詞、けど、そのあとに、二度と笑い周囲に波は起きなかった。
 僕は自制することを放棄し、四肢の自由をすべて怒りに委ねる。船の加速が弱まり、弱まった重力下だからこその僕のハイパージャンプ、突き上げた拳は、見事にバリナスの顎にクリーンヒットしたからだ。
 そのあとの数秒間、誰もが唖然とする。僕も自分で自分の行いに呆然とする。
 同時に、途方も無い嬉しさが身体に満ちていく。僕の握った拳はちゃんと硬く、奴らを驚かせるほどの力を持っていたんだ。
 すぐさま我に返った僕は、いち早くダッシュし、搭乗ゲートから真反対の方向に一目散に逃げる。「おい!お前!」、「捕まえろ!」後ろから大声が聴こえるが、まったく気にしない。それどころじゃない。ハァッハァッと荒い吐息、さっきからずっと、アドレナリンが出っぱなしだ。走りながら、心臓が弾けそうなほど、興奮しているのがわかる。
 廊下を全力疾走しながら両手を掲げて叫ぶ。「やった、やってやった。やったぞ、やれたぞ、僕!」
 問題を起こしたから、搭乗手続きも抹消されたかもしれない。だけどもうそんなの関係ない。
 僕の怒りは、本能に勝ったんだ。生き永らえるよりもずっと大事なことがあり、立ち向かえる人間なんだ。たとえ、プライドを怪汚されたことへの怒りが、一瞬だけ生存のための枷を飛び越えた。
 その事実が、何より嬉しかった。
 想像もし得なかった3つ目の選択肢、”命を捨て、ラザロと一緒にこの船に残る”
 僕は、そんな狂った選択を選べる人間だったんだ!

# エグジット
 勢いそのまま大ラウンジに駆け戻ると、ラザロがどまんなかで寝転がりながら、RSマッチを弄ってた。あと数時間で死ぬっていうのに。こいつ、マジでブレない。
 僕の上がりに上がったボルテージもすっかり下がる。こいつがマッチングアプリ作ったのには尊い目的があるのかとも思ったけど、ひょっとしたら、ただ単に出会いを求めているだけかもしれない。僕は、ちょっと、だいぶ……いや、かなり、ここに来たことを後悔し始めた。
 ひとまず深呼吸して荒くなった息を整え、落ち着いてあたりを見回す。
 最初に基調講演が行われたのと同じ、円形のだだっ広いラウンジ、電力の供給が止まりかけているのか、部屋全体を照らす電灯の明かりも弱まっていて、あたりは暗い。よく目を凝らすと、部屋は嵐でも過ぎ去ったあとのように、無残に散らかっている。昨日は最終日を祝しての宴会が行われたようだ。弱い重力の中、ひらひらとゴミが舞い、あたりにあらゆる容器が転がっている。
 もちろん、片づけなどされていない、する意味がない。なぜならもう少ししたら、この船ごと焼却されるのだから。
 さらに遠くをじっと見ると、部屋の隅には、僕らと同様に脱出エグジットすることが叶わなかった、さまざまな異星種が集まっていた。こいつらも、僕も、そのあたりに散らばるゴミと同じように、あとたった数時間で焼却処分される運命なのだろう。
 だけど、黙って終わるわけにはいかない。僕の人生はたったさっき始まったばっかりなのだから。たとえゴミ扱いをされようが、そんなに簡単に命を捨てるなんてできない。
 僕は大きく息を吸って、叫ぶ。人生でこんなに大声を出したこと無いんじゃないかってくらい。
「全員!集合!」
 僕の言葉に反応し、皆がこちらにわらわらと集まってきた。最初の頃に交流した、ボッシーにMMGのやつらもいる。
「オマエ、ここから脱出エグジットできるような手があるのか?」傍らの、意気消沈したゴリラがそう言ってくる。筋肉はすべてを解決するんじゃなかったのか。
「いや、それは……」威勢のいい声を一変させ、僕が言い淀んでいると、「あるよ」と、足元から声がした。
 驚いて下を見ると、ラザロが転がっている。
「みんなで助かる方法、あるよ」
 彼は、一度言って、呆然とする僕らに、彼は作戦を滔々と語り始めた。

 にわかには信じられない話だが、確かに、ラザロの作戦は原理的には、確かに可能性をもっていた。
 皆が黙って、ラザロの話を最後まで訊く。話が終わっても、誰も何も喋らないから、まず僕が、ラザロの言葉をもう一度口にする。
「船の管制系統をハックして、軌道を変える。つまり、方向転換ピボットさせるってことか?」
「そう」
 彼の簡潔な返事に、またざわめきが大きくなる。
 ラザロのプランを一通り訊いた僕らは、戸惑いつつも、話し合いブレストを始めるため、さらに中央に密集する。残っている皆で協力し、そのための軌道計算を行うとして、どれほど勝算があるのだろうか?
 幸いにも、計算システムについてはボッシーの面々が提供を申し出た。かれらの金利計算システムを応用すれば、軌道計算は可能だろう。
 だけど、話し合って浮き上がった問題としては、すでにそれほど大量の計算を行える資源リソースがあるかどうかわからないってことだ。
 計算には大量の電力が必須だ。だが、船の中にはコンピューティングシステムも残ってるものの、燃料が付きかけ、電力の供給も跡切れ跡切れの状況で、はたして満足な計算が可能なのだろうか?
 だけど、他に代案はない。安全なんて贅沢品は既に船内には転がっていない。
 貴重な残り時間の何分かを使って、残った十数種ごとそれぞれに役割分担を決めてから、すぐに僕らは走り始める。僕の役割は、システム同士を接続して、計画のためのインフラを整えること。
 急いで管制室に移動する。銀河百科事典にその場所もちゃんと記載されていたから、道順はばっちりだ。
 すぐに部屋を見つけ、無理やり鍵を壊して入り、計算機のシステムを本体の管制システムに接続しようとする。
 すると、僕が作業中に、遅れて部屋に飛び込んできたラザロが、おもむろに何かを手渡してきた。
「これ、経由させてつないで」
 手には彼が普段肌見放さず持っている端末がある。画面にはいつものマッチングアプリが起動している。
「え、なんで?」意味がわからない。なぜ、今RSマッチが必要なんだ?
「いいから」
 渋々と僕は彼の端末を経由させ、コンソールに接続する。よく見ると、RSマッチのチャットには、よくわからない複雑な文字が並んでる。っていうか、宇宙規格にこんな文字コードあったけ?いや、あるはずがない。
 そのはずなのに、僕はこの文字をどこかで見た気がしてならない。
 だけど、今は悩んでいる時間はない。おとなしく接続してから、すぐさま元いたラウンジを目指し、また走る。
 振り返って確認すれば、置いてきたラザロの端末の画面が、遠くでぼんやりと光っていた。

「よし、やるぞ」
 暖房が弱まっているせいか、あるいはこれから迫りくる恐怖に身体が縮こまっているせいか、身体中に悪寒が走る。
 かじかみながらも、僕はみんなに語りかけ、同時に、小型カメラのデバイスをONにする。
 最後の僕らの大舞台。せっかくならばと、僕はひとつ、非常に趣味の悪い企画を立ち上げていた。
「全宇宙に散らばっている皆さん!本日は、私達の最後の生き様についての、ご紹介したいと思いまぁぁあす!」
 ヤケクソになりながらの大声で、僕はカメラに向かって叫ぶ。僕は全宇宙に向けて、プレゼンを開始する。
 わざわざ死に様を投資家に見せつけるなんて論理的な意味はまったくないし、倫理的には最悪だ。僕らが死ぬところを見て、かれらが道徳感情に苛まれるなんて、これっぽっちも考えちゃいない。僕らの命に責任を感じる奴らが、投資家なんてやるわけがないからだ。
 言ってしまえば、これは天の邪鬼な負け犬達の遠吠えだ。たとえどんな大金持ちだろと、死ぬ機会なんて一度しか味わえない。金では買えない貴重な体験だ。どうだ、羨ましいか!?
 だから、僕は叫ぶ。
「こんなプライスレスな体験、どうせなら、最後まで楽しむだけ楽しんでやろう!」
 激を飛ばして、手を振り上げ、カメラを回転させ、同じように絶叫している負け犬たちを捉える。次第に、身体中が火照ってくるような熱さを感じる。
 そして、僕の声を合図として、ラザロがエンターキーを押すと、一気に船が揺れ始めた。
 船体が痛みに悶えるように揺れ、そこら中に軋む音がラップし、脳内がシェイクされる。壁や床に身体を固定してもその衝撃はちっとも弱まっている気がしない。まるで四方八方から透明なハンマーで殴られまくっているような衝撃だ。胃液を吐き出したい欲求を必死に我慢する。天と地とが混ざり合い、あらゆる物体が激突している。身体を固定しなかったラザロのやつは、ゴムボールのように四方八方に跳ねている。あいつ、本当に何をやっているんだ。
 だけど、僕らの覚悟とは裏腹に、船体は徐々に落ち着いていく。振動が少しずつ静まって、やがて、動くのを辞め、静かに静止、した。
 無重力になった船の中で僕らは慣れない0Gの中をみっともなく移動する。そして、なんとか一箇所に集まってから、抱き合って叫びあう。
「生きてる!」
 ラザロも、MMGもボッシーも、それに他のみんなも、とても良い仕事をしてくれたしてくれた!これでひとまず、すぐ死ぬ結果は避けられたんだ!
 とはいえ、まだ安堵するには程遠い。この措置は、まだ一時しのぎだ。危険は相変わらず存在する。
 僕は大急ぎで自分のラップトップからエネルギー残量を確認する。今はただ単に局所的な安定軌道に載っているだけだ。エネルギーがもしまだ残っているのなら、すぐに安全圏に避難しなければ。
 僕は画面を見る。そして驚く。
 燃料が残っていないから……ではない。そのまったく逆、燃料がむしろ増えていたからだ。いったいどうなっているんだ?
 この異常事態を報告しようと、声を発しかけた瞬間、混乱に拍車をかけるように、僕の端末が鳴り響く。聞き覚えのあるアラーム、株に急激な変化が起きた証だ。
 端末を見ると、ヤオヨロズに残された残り2%の株価が1000万倍の高値がついていた。外の奴らは、光の速度で物事を判断する。一ナノ秒で億という値が変動する世界に生きる投資達は、当事者の僕ですら知らないような、価値があるなにかを掴んだんだ。
 僕は、空中で自転し続けるラザロに喚くように尋ねる。
 慌てふためく僕と違い、ラザロはこともなげに応える。
「燃料?ちょっと前に僕、高次元の存在とカップル成立したんだよ。そのおかげじゃないかな」
「は?」高次元の存在?なんだそれは?そんな事、絶対にありえない。
 だけど、僕は急に思い出す。先程のラザロの端末にあった文字、あれはまさに、僕の祖父が手記に残した文字と同じような形ではなかったかと。
 呆然とする僕に、ラザロは予備端末からRSマッチを起動し、アプリの«画面デート»ボタンを押す。
 僕ははっと息を呑む。見知った顔が映る。遺影でしか見たことがない、僕の祖父の姿。天啓を得たという言葉とともに、消失した先祖の姿が。
「よう」画面に映る祖父は、手を上げ陽気に振ってくる。
「ジイさん……」僕はさっきまでの船体以上に、心の中がぐちゃぐちゃになる。
 死んだと思った祖父、ラザロの高次元の存在とのマッチング、一切の熱力学の法則に反して増えたエネルギーの総量に、僕らの立ち上げた会社、ヤオヨロズの極端な価値の上昇、なにより、ご先祖様と友人がアプリでマッチしているという事案……
 画面に映る祖父の顔色が、妙に血色が良いところを見るに、おそらくデコレーション用のフィルターを使っているのだろう。頼むから、これ以上情報量を増やさないでほしい。
 僕の気持ちをよそに、画面の中の祖父は言う。動画処理でもカバーできないしわくちゃの顔をほころばせ、子供のような満面の笑顔で。
「ラザロちゃん、めっちゃかわいいでな。熱力学の法則を書き換えて、エントロピーの増大の法則を一旦止めて、大量の計算を爆速で終わらせてから、ついでに燃料も満タンにしてやったんだわな」
 ボナンザもミンスキーも決定的に間違っていた。こいつは、ルールの中で最適なコードを見つけたんじゃない。ルールそのものを書き換えていた。ラザロは、異界のルールとマッチングしていたんだ!
 このふたりは宇宙中をがんじがらめに縛っていた、宇宙の法則をこともなげに破壊したということだ。
「やってくれたな」
 突然僕の端末から聴き馴染みのある声が響いた、反射的に中継をしたままだったカメラにの方を向く。ボナンザだ。
「本気でやるなら、徹底的に潰しにいくぞ」剣呑な様子で彼は言う。
 僕は一瞬慄くが、そのうち、やっと会話が可能な者が現れたことに、喜びが満ち満ちる。
 よく画面を見れば、僕らを睨むボナンザの目にも、ちょっと前までとはまったく違う輝きで溢れていた。おそらく過去、宇宙を変えようと本気で思っていた時と、おそらく同じ輝きが。
 彼もまた、硬直し、冷え切った宇宙のシステムに絶望していたひとりだ。
 しかし、ラザロと祖父によって宇宙の前提が覆り、ルール自体が変わった。ミンスキーは何の役にも立たない。ボナンザは、ついに資本のブラックホールから脱出エグジットできることを、密かに喜んでいるんだ。
 僕らを束縛するものは、この宇宙にはなにもない。だから、彼の声に、僕は理解の追いつかないまま虚勢で返す。
「上等。道理を無視して、狂喜を張れるのが、僕らの強みなんでね」
 僕が見つけた、誰も知らない、新たな真実。それは、同仕様もならないぐらい固まった世界は、簡単に壊せるってことだ。
 傍らに目を向ければ、ラザロも大きく頷き、大言を吐いた僕に続いて、ゆっくりと口火を切る。
 気づくと僕らの周りには、無重力の影響で球形にまるまった、カラフルな液体のつぶつぶ。
「じゃ、いろいろといい感じにまとまったようだし、ひとまずジュースで乾杯しようか」
 ラザロの一言で皆が静まり返る中、ただひとり祖父だけが、笑顔でゆっくりと頷いた。

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