「ガ」「リ」「イ」

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梗 概

「ガ」「リ」「イ」

初めに生まれたのは「イ」だった。生命の誕生とともに生まれたそれは、生命の変化とともに自身を変質させた。イは循環する。生命が死を迎えたとき、地上とは物理法則が異なる別世界に転移し、新たな生命が誕生する際に異界から生命の体に乗り移る。異界は地上に干渉できず、同時に地上から異界に干渉することはできなかった。

爆発的な生物の増大、地上の凍結と生物の絶滅、それらを繰り返すなかで、イは「ガ」を生み出した。ガは生物の環境適応に影響を与えた。ガはそれだけでは飽き足らず、イを侵食し始めた。ガの完全支配を恐れたイは、ガに対抗する存在である「リ」を生み出した。自らの領域を拡大することを存在理由としていたガに比べ、その対抗存在として生まれたリは、自らが存在する目的を求めた。リが長い時間をかけて手に入れたのは、思考という、自らの存在を探る新たな概念だった。思考が言葉を生み、言葉が思考を生んだ。イから生まれ、地上と異界を循環し続けるガとリは影響しあい、ともに言葉を手に入れた。リはガに存在理由を問う。だが、ガにはその言葉の意味が分からない。領域を拡大し続けようとするガと思索を続けるリの観念は平行線をたどった。ガとリはお互いに影響しあいながら、生物の内部で干渉を続け、種の多様化に影響を与えた。

地上に生命があふれた。地上にはガの影響を強く受けた生物、リの影響を強く受けた生物が現れ、生息範囲を拡大していった。しかし、種の爆発的増加と大量絶滅は、ガとリに大きな動揺を与えた。ガは自身の干渉が無駄になったことに対する憎悪に狂った。リは観測してきた生物たちが失われたことに対する絶望に打ちひしがれた。イはその二つの存在を包み込みながら、地上の繁栄を見守っていた。やがて数億年の時を経て、恐竜たちが地上を跋扈するようになった。ガは狂喜した。自らの干渉がついに巨大生物の誕生へと実を結んだのだ。リはガの喜びに影響を受けつつも、冷静にその生物を見つめていた。リにはこの繁栄もまた、一時的なものにすぎないと予見していた。

そして、運命の時がやってくる。隕石が地上に降り注ぎ、恐竜たちの絶滅が始まる。ガは絶望し、暴走した。異界に滞留するエネルギーを逆流させることで、その姿を地上に顕現させた。それは、プラズマをまとった光り輝く体で、二足歩行の肉食恐竜に似た姿をしていた。ガの暴走にリも動いた。リもまたエネルギーを逆流させて地上に顕現した。リの姿は、ガとは違い、尾を持たず自立する二足歩行の、その時点では地上に存在していない生物の形をしていた。二つのエネルギーの塊が衝突する。激しい衝突に地上が破壊されていくなか、イがついに動き出した。天上より現れた白く輝く巨大な頭部が口を開き、ガとリを飲み込んだ。イはその内部でガとリを凍結した。いつかガとリを受け入れ、二つの意思を等しく共有できる生物が現れることを期待して、イは待つことにした。

文字数:1197

内容に関するアピール

この世で一番苦手なこととして自己アピールというものがあります。学校を卒業して長い時間が経ちましたが、今でもそのような場面に出くわすことを考えると、冷や汗が流れ、胃酸が逆流し、めまいで気絶しそうになります。そのような酷な要求に応えるべく、自己紹介のていをとった一人称小説を書こうと決意しました。結果書けたものは、昔の漫画やアニメなどの表現によくある心のなかの「天使」と「悪魔」のスケールを拡大したものであり、最近感銘を受けたアイザック・アシモフ氏の「神々自身」と小林泰三氏の「アルファ・オメガ」に影響を受けたらしい梗概となりました。ですが、出来上がったものを改めて読んでみるとこれは紛れもなく私小説的であり、かつ書いてみたいと思えるようなものであり、これをもってして自己紹介に足るものと判断しました。実作でうまく表現できる自信はありませんが、最善を尽くす所存です。よろしくお願いします。

文字数:392

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「ガ」「リ」「イ」

初めに生まれたのは「イ」だった。
 地球に生物と呼ばれるものが生まれた瞬間、イは同時に発生した。
 海底の奥深く、熱水噴出口の付近に誕生した単細胞生物の内部にイは存在していた。不定形のエネルギーの塊であったイは、その時点では、生物本体に何ら影響を与えることはなかった。
 イは生物とともにあり、生物の死とともにイは消えた。
 死骸から離れたイは、外気に触れることなく別の場所へと転移する。地球とは物理法則の異なる異界が、イの本来在る場所であった。そこでは無数のイが結合した全体としてのイが空間を満たしていた。
 イは循環する。新しい生物が誕生すると、異界に満ちたイから一部が切り離され、生物の内部に転移した。そして生物が死を迎えたとき、再び異界に戻ってくる。これがイの在り方のすべてだった。  
 イは無為だった。意志も思考も持たず、生物と異界との循環に身をゆだねていた。生と死がエネルギーの流れを作り、渦を作り、よどみを作っていた。異界はイの入れ物であり、それ以外の何ものでもなかった。
 イに大きな変化が生じたのは、地球が激しい隕石衝突に見舞われ、多くの命が失われた時だった。循環の乱れが、エネルギーの塊でしかないイに、ある変化を与えた。感情に似たなにかが、イに芽生え始めたのだ。
 その時イが感じたものは、悲しみに近いものだったのかもしれない。生物と一体となっていた時の充実感、そして、終息時の安らぎが、一瞬にして失われてしまった感覚を、イは異様なものとして受け止めた。
 自らが受けた外的要因による刺激。ただ在るばかりであったエネルギー体が、他と自己を分ける固有の感覚を得たことで、自らをイと認識するに至った。
 認識は欲求を生んだ。イが求めるもの、それは生物とともにあることだった。だが生物の多くは死滅し、わずかなものにしか転移することができない。欲求が阻害されたことで、イは抑圧され、循環に使われるはずであったエネルギーを貯めこむばかりであった。
 循環のバランスが崩壊する。それはイが求めた結果だった。生物とともに在りたいと望むイのエネルギーは臨界点に達し、生物の誕生時に過剰なイが注ぎ込まれた。
 この時生まれたのが、光合成の機能を有する単細胞生物だった。
 循環の異常が、変化にどれほど影響したかを推察することは難しい。だが、イのうちに生まれた感情に近い何かが、生物の根幹を刺激したことは間違いなかった。
 隕石の衝突、気温の激変による海面凍結を繰り返すなかで、イは生物の内部により長くありたいという欲求をさらに強めた。光合成を持つ生物により地球の酸素は増大し、やがて酸素を効率よく利用する機構を体の中にもつ生物が現れた。細胞内にミトコンドリアを持つ真核細胞生物である。
 酸素を生み出す生物と、酸素を利用する生物の誕生により、生物は増加傾向をたどり、異界の循環はようやく安定した。イは無為の状態に戻り、これまで通りの循環をし続けた。
 それから十億年は、もしかすると、イにとっては退屈な時代だったかもしれない。生物は新たな種を生み出し、個体数を増加させていったが、異界の安定を脅かす外的要因も、内部の異変も起きなかった。
 長い退屈の果てに、イは自らに対する認識を深め、さらなる変化を遂げた。認識は現時点での状態を把握することだけであったが、そこに蓄積が加わった。イが得たものは記憶というものにほかならなかった。
 蓄積が始まったからといって、イに何ができるわけもない。誕生の瞬間から生物の内部に在ることを認識し、生物が外部から受け取る情報を自らのうちに取り入れるだけだった。記憶は異界に在るイに統合された。
 だがそこで、またしても地球の異変がイに変化を要求した。気温が急激に下がり、海面が再び凍結し始めたのだ。多くの種が絶滅し、異界と生物との循環が滞り、イは再び抑圧されることとなった。

 

認識を得て以降、初めての大量絶滅を体験したイを襲ったのは、強烈な喪失感であった。イは生物とともにあることを強く求めていた。自己を認識する以前にはなかった、ともに在る生物に対する執着のようなものが、たしかに存在していた。
 海面が凍結した一方で、火山活動により生まれた温泉や間欠泉の周囲で、生物が存続可能な領域が残っていた。イはわずかに残った種に自らの抑圧されたエネルギーをささげた。自らを認識してから初めての干渉だった。
 孤立した領域で生物が環境に適応し、これまでにない多様化が実現した。
 生物の変化とともに、イの内部で新たな存在が生まれた。絶滅を前にして発現した志向が、別の存在として形をとり、循環のなかで独自の形態をとり始めた。
 これが「ガ」であった。
 ガの発生は、イにとって全く予期しない現象であった。イの内部に生まれたガは明確な行動原理を持たず、生まれた時点では自己の領域を主張するにとどまったが、その領域は日増しに拡大することになる。
 凍結が終息すると、ガの拡大は予断を許さないものとなった。イは自らの領域を浸食していくガに危機感を抱き、怖れに似た感覚に襲われた。
 その状態は、ある時を境に停滞する。地球で再び大量絶滅が起こったのだ。凍結した反動で気温と海水が急激に上昇し、生物が環境に適応できなくなっていた。
 循環の停滞は異界全体のバランスを崩し、ガの浸食はようやく止まった。ガは初めて認識した異様な状況に、自らの領域を確保することに専念した。
 過酷な環境が生物を変えた。単細胞から多細胞への変遷が起き、それまでは海中を漂うことしかできなかった生物たちが、筋肉、神経、骨格を手に入れていた。骨格の周囲に筋肉をまとい、筋肉を使うことで移動を可能にした。生物は生活圏を拡大し、より複雑な体へと変化を遂げた。
 ついに動物が現れたのだ。
 動物は食料を求めて移動し、複雑な体となって得た交接という新たな仕組みのために、相手を求めて移動した。生存するため、捕食者から逃れるため、動物は周囲の状況を把握しなければならなくなったことで、周囲を察知する感覚器官が必要となり、得られた情報を処理する脳が発達した。
 生殖をおこなう多細胞生物がその生息領域を拡大しながら、環境に合わせた固有の体を得てさらなる種の多様化が実現した。海底や岩場を這うもの、水中を泳ぐもの。トゲのようなもので歩く生物などが現れた。
 イは再び動き出したガと領域の奪い合いを続けながら、生物の変化を観測していた。
 生物は自らを分割するのではなく、他と交わり、あるいは摂取することで、生息域を拡大した。だが、異界にはイとガの二つしか存在しない。生物の多様化に他の存在が重要であるならば、ガでもない、イでもない別の存在が必要なのではないか。
 これらのことを、イは明確に認識したわけではない。だが、ガに対抗するための存在の必要性を直感し、新たな存在を作り上げた。
 それが「リ」であった。

 

生まれたばかりのリは脆弱だった。
 異界で結合した総体のイは自らの一部分を利用してリを生み出したが、リは自己を認識することもできず、不安定な時期が長く続いた。
 エネルギーに満たされ、自他の領域の区別がほぼつかない異界では、自らがリであるという認識こそが自己の領域を維持する方法だった。認識が積み重なることで固有性を持ち、リはリとしての領域を獲得できる。不安定な自己認識しか持たなかったリは、ガに浸食されるがままその領域を拡大できないままでいた。
 もちろんイは、それを傍観しているわけではなかった。イは自らの領域を削り浸食されていくリの領域を補った。イとガの衝突は、数億年かけて続いた。
 だが、ある時、生物はまたしても大量絶滅の時代を迎えた。
 この絶滅で、それまで繁栄を極めていた動物たちの多くが影響を受けた。
 絶滅をきっかけとして、ガは異界での領域拡大よりも、生物の営みに興味を示し始めた。環境の変化に対応できない動物が死に絶え、新たな種が登場すると、ガは積極的に生物に干渉するようになった。
 新たな種は、これまで生物が存在しなかった領域にまでその生息域を拡大した。海中から淡水域、さらに海中でも波打ち際や深海へと活動を広げた。そこから陸上へと向かうのは、自然なことだったのかもしれない。
 先に上陸したのは、植物だった。
 植物はさらに太陽光を受けるための葉を得て以降は、飛躍的な進歩を見せた。木々が陸上をおおい、やがて森林と呼べるほどまでに成長した。植物が増えれば、空気中の酸素量も増加する。これにより、陸上に生物が存在できる土壌が備わった。
 干渉をやめ、ただ生物とともにあるだけのイとは違い、ガは一体化した生物の細胞に直接自らのエネルギーを注ぎ込んだ。この時点ではなにか目的があったわけではない。無邪気にエネルギーを種や生物の部位を問わず与え、その反応を見ているだけだった。
 ガが志向したのは、生物の多様化と生息域の拡大であった。ガは自らができる唯一の方法であるエネルギーの操作により、イとは違ったやり方で生物に干渉しようとした。
 ガの行動が生物に直接的な影響を与えたとは言い切れない。しかし、長い年月を通じて行われた細胞への働きかけが、世代を重ねるに連れて増幅し、変化のきっかけになったことは確かである。
 やがて生物は海を出て、酸素の満ちた陸上へと進出した。
 細胞への干渉は、ガにとって負担のかかることだったのだろう。異界でのガの領域拡大は抑えられ、リの領域はイの助力もあってようやく安定した。
 淡水で暮らしていた生物が頑強な骨格を手に入れ、水中でも陸上でも生活が可能な体となった。それは両生類と呼ばれ、やがて陸上だけで生活する動物も現れることになる。昆虫も負けていなかった。動物が陸上を歩き回るころには巨大な昆虫たちが空中を制していた。
 種の多様化が加速するなか、リは循環の過程で生物たちの在り方を観察していた。生物は異界からの影響を受けながら陸上での生息域拡大を目指している。今やガの目的は生物の目的でもあった。
 であれば、自らは何のために存在しているのだろう。リにはガと対抗するための意志が必要だった。イはリをガに対抗する存在として生み出した。しかしそれではガの領域と衝突し、食い合うだけになってしまう。
 リはそこで初めて、他とは違う独自性を示した。なぜ自らがそう在るのか、なぜ他と違うのか。小さな疑問から始まった自らを問う行動は思考へと変化した。思考は、リの存在理由となった。
 思考を成り立たせるための記憶の蓄積はすでにあった。リはその蓄積を土台として、独自の体系を確立した。情報はただそこにあるだけならば情報でしかないが、リが思考のために生み出したのは、情報と情報を関連付け、さらに自らの感情をかたちにする記号であった。
 異界にある情報とは、生物が外部から取り入れた混沌とした刺激の集積であった。リはそれらの情報と記号を結びつけ、自らの観点から捉えなおした。情報が記号として整理され、リの感情もまた、記号によって蓄積される。リの感情が蓄積されることで連続性が生まれ、やがてそれは思考と呼べるものをかたちづくった。
 リはイとガの助けも借りず、自らの力だけで思考体系を構築し、さらに思考を表現する技術を手に入れた。
 異界で言葉が生まれた瞬間だった。
 リとガは、ともに生物の内部と異界を循環している。二つの存在はそれぞれの別の行動原理を持っていたが、同時に異界で混ざり合う存在でもあった。リが自らの思考を表現する方法を手に入れたことで、ガも同様の技術を身につけていた。
 ある時、リが言った。
「われらはどうしてこうあるのだろうか?」
 リの影響を受けていたガは、存在しなかった新たな器官を作るとでもいうように、自らの領域を震わせ、ゆがませ、そして、
「わからない」
 と答えた。
 それが、異界で初めて交わされた会話だった。

 

ガとリの存在は、生物それぞれの種、個体の傾向として表れた。ガとリ、そしてイが混ざり合ったエネルギーの塊が生物に転移すると、ガの傾向が強い個体、リの傾向が強い個体が生まれるようになった。
 ガをより多く取り込むものはほかの種を摂取するようになり、リの影響を強く受けたものは種の総数を増やすことに専念する傾向を示した。
 しかし、循環のバランスが安定するとともにやってくるのは、やはり大量絶滅であった。気温の上昇により陸上や海中にいた生物の多くが死に至った。
 イは深い悲しみを感じた。だが、それ以上に深く悲しんだのは、ガとリであった。
 ガの悲しみには怒りがあった。
「なぜこのような終焉を受け入れなければならないのか」
 リの悲しみには絶望があった。
「われらがやっていることなど、無意味なのかもしれない。環境に対してわれらは何もすることができない。生物が死に絶えていくこの状況を受け入れるしかないのだろう」
 その異なった印象は、二つの存在に溝を作り始めていた。これらの会話は、最初の会話に比べて高度になっていたが、それはリが時間をかけて言語を発展させたからだ。
「生物はもろい。もっと干渉することができていたならば、この惨劇を回避することができていたに違いない」
 ガは主張する。
「そんなことはない。われらができることなどほんのわずかだ。われらは生物の一部であり、それ以上のものではない。だからこそ、われらが在る理由を知る必要があるのだ。ただ生物のうちにあるだけならば、われらなど無価値だ」
 リは反論する。リの言葉には常に逡巡があった。生物に干渉し環境に適応させるというリが自らに課した使命を遂行しながら、自らの存在理由を問う。それは答えのない堂々巡りであったが、それこそがリの存在意義であり、意思の発露であった。
「我らだと? 無価値だと考えているのはお前だけではないか。我には目的がある。生物を繁栄させるためだ。それ以上の解はない」
「われらにできるのは生物への干渉のみ。環境を変えることはできない。仮に変化に対応できるすべを生物に与えようとしたところで、また同じことが起こるに違いない。ただ、干渉をやめるわけにはいかない。それがわれらの使命だからだ」
「生物は我の意思によって変化し、生存する。環境など関係ない。そのようなことを考えることは、今までのことを否定することと同義だ」
 ガとリの対話は平行線をたどるばかりだった。イはその争いを認識しつつも、どちらの観念にも加担せず、ただ、二つの存在の衝突を傍観していた。
 イは何もしない。ただ循環するだけの存在だった。
 対話は続いた。
 ガはその一方で、地球に生物が在り続けるすべを模索していた。仮に自らが生物を経由せず存在することができるのであれば、生物たちを正しく導くことができるはずだ。だが、異界から生物の外側に転移することは、この数億年のうち、一度も発生したことはなかった。
 そこでガは結果的に、かつてイが行ったことに似た行動に出た。ガは生物に転移する際に自己の総量を増加させたのだ。
 はじめはうまくいかなかった。生物はガのエネルギーに耐えられず、自壊し、変異体となって周囲の同族を襲うこともあった。
 ガは諦めなかった。リの影響を受けたことで、ガには思考が生まれ、ただ直線的に目的を達成しようとするのではなく、時には別の道を探すことの重要性を理解しつつあった。
 ガは予測し、実践を繰り返すうちに多くの経験を蓄積した。異界から生物に入ることのできるガの総量は種ごとに決まっている。生物ごとに限界値があるのだ。ガは試行錯誤を繰り返しより多くのガを受け入れる個体を探した。
 その試みは、やがて実を結ぶことになる。

 

リもまた、ガとは違ったやり方で生物への干渉を続けていた。リはガほど強く働きかけるわけではなく、生物の内部を調査し、その変化を見守っていた。
 リは種類が豊富であり、極端な性質を持つことが多い植物や昆虫を好んだ。
 環境は常に変化する。わずかな気温の上昇でも、一定の種は適応できず失われていく。リもまた、ガと同じようにどんな環境にも適応できる生物を求めていたが、ガのように直接的な干渉は避けていた。環境から受けた刺激を分析し、細胞に働きかける。しかし、与えるのは方向性だけだ。環境の変化に対応するために過剰に自身を変化させる生物に、正しい方向を指し示す。それで、救われた生物も複数いた。
 リは、それだけで十分だった。
 なかでも植物は、リの求める変化を示してくれた。表面に露出していた種子が、果肉によって守られる方向へと進み、植物は新しい生殖方法を開拓した。やがて、植物の中に花を咲かせるものが現れた。それは植物という種の革命とも呼べる変化であった。
 植物で得られた成果は、リに大きな充実感を与えた。もしかすると、このために存在しているのかもしれない。そう思えるような出来事だった。リは種に極端な変化をもたらすことなく地道な観察と、実践を続けていた。
 一方、ガは植物の増加による環境の変化に合わせて、ある動物に干渉を進めていた。特定の種に対してエネルギーを注ぎ込み、反応を観察した。最初はうまくいかなかった。だが、長い時間をかけて、より大きく、より頑強な種を作り上げようとしていた。
 ガの影響を受け、地球に現れたのは、恐竜と呼ばれることになる種だった。
 その生物は完全に二足歩行で、両手で物をつかむことができた。これがその後すべての出発点となる最初の恐竜であった。二足歩行、長く伸びた首、物を掴むことのできる手、のちの恐竜たちが持つ基本的な要素を有していた。
 二足歩行のために必要な腰から足にかけての大量の筋肉をともなう骨格が、その生物が走ることを可能にした。
 恐竜が隆盛を極めた理由の一つに、リが干渉した植物の影響もあった。陸上で多種多様な植物があふれたことで昆虫の種類が増え、それらを捕食する動物が増えたことも、生態系の拡大、ひいては恐竜の多様化にもつながった。
 ガは恐竜という種を大切に思っていた。それは愛とも呼べる執着だった。ガの干渉により小さく陸上を走り回っていた恐竜たちが、時を経るごとに巨大化し、陸上を闊歩するようになった。二足歩行の巨大肉食、頑丈な装甲を持つ巨大四足歩行草食恐竜など、爆発的に多様化が加速し、あらゆる場所で恐竜が生息していた。
 巨大生物の登場を待ち望んでいたガは歓喜に震え、その感情の動きは異界で混ざり合うリにも伝わっていた。
「素晴らしい。これこそ我が探していた種だ。この種がいれば、生物は不滅だ」
 ガはかつてない手ごたえに、感情を制御することができなくなっていた。
 だが、リは喜びを露わにするガを冷静に観察していた。たしかに恐竜の変化は著しい。多様な種が急激に生息域を広げ、環境適応能力も高い。
「だがこのまま、環境の変化に対応できるものだろうか」
 リは疑問を呈する。
「できるに決まっている。寒冷化が進めば表面を保護したものが生まれ、気温が上昇すれば熱を発散する機構を持ったものが生まれる。我がそのようにする。もう二度と種が絶滅することなどありえない」
 ガは感情を高ぶらせながら答えた。
「しかし、絶対ということはあり得ない。どのような環境適応能力を見せたとしても、環境が大きく変われば絶滅の可能性はある」
「それをさせないといっているのだ。我の力で種は強大になった。我の力でこの種をどこまでも導いていく。環境さえ征服することは容易だ」
「それは間違っている。生物は環境の影響から逃れることはできない。実際、あの種が巨大化することができたのも、植物が大量に繁殖したことで、存続できる環境が醸成されたからではないか。種の一つにこだわるべきではない。すべての生物は環境の一要因でしかなく、絶滅もまた結果でしかないからだ」
「黙れ! お前のような考えが、これまでの絶滅を招いたのだ!」
「違う。絶滅はあらゆる要素の結果に他ならない。われらの行動が、多少の影響を与えることもあるだろうが、生物は未だに、本来のわれらを受け入れることができないでいる。だからできることも少なく、われらの行動は環境の一要素でしかない」
 議論は平行線をたどった。やがて二つの存在の間での会話はなくなった。最初こそ、影響しあう過程で言葉を積み重ねていたが、今ではお互いに独自の考えを持ち、他が必要ではないと判断するようになった。

 

だがそこで、致命的な事態が発生する。
 ガとリは、多くの生物の目を通してそれを見た。はるか上空から迫る巨大な物質の塊。かつてイが自らを認識するきっかけとなった隕石が、またしても地球に衝突しようとしていた。
 ガは生物の目がとらえているのにもかかわらず、決して認めようとはしなかった。リは終焉の訪れに寂しさに似た感情を抱いていた。巨大隕石が上空を覆い、気候が変動する。ガは現状認識を拒み続けていたが、ついに弱音を吐いた。
「もうこれで終わりだ」
 それは独り言のようであったが、リが応答する。
「いや、新たな始まりだ」
 リの言葉を、ガは聞いてはいなかった。
 隕石が地球に衝突した。大きな物質の塊は巨大なクレーターを作り、地形を変えた。
 衝突により生まれた岩石の破片が空高く吹き飛ばされ、地上に落下した。衝突したエネルギーで高温となっていた岩石は森林を燃やし、地上を焼き尽くした。さらに大量の塵や硫黄などの物質が大気中に飛び散った。硫黄は変化し酸性雨となって降り注ぎ、塵は太陽の光を遮った。
 地上には日の光が届かず、闇に包まれた。雨が降らなくなり、乾燥する一方だった。その結果、太陽光を必要としていた植物や微生物が根絶やしにされ、それらを捕食していた動物たちにも影響を与えた。
 地上はもはや、生物が生息できる場ではなくなっていた。生き残った陸上の植物たちは太陽が遮られたことで完全に死に絶えた。万物の頂点を極めていた恐竜たちは自らが適応していた世界が破壊しつくされたことで、絶滅へと追い込まれていた。
 ガは恐竜の内部で、食料不足により苦しみながら死んでいく恐竜を見ていた。暗黒に包まれた世界で、恐竜たちはなすすべもなく滅びの道を突き進んでいた。
 それは、これまでの気候の変動による変化ではなかった。種の多様化と洗練はこれまで幾度も体験した。種の大量絶滅を体験したのも、これが初めてではない。これまでと違うのは、ガが、恐竜という種に愛着を持っていたことだ。
 ガは絶望した。
 今回はうまくいっていた。骨格を変え、種の多様性を実現し、特定の種が死に絶えたとしても、同系統の種を生き残らせる自信があった。隕石さえなければ、これからさらに大きく変化し、地球上を完全に征服するはずであった。
 にもかかわらず、恐竜は絶滅する。これは避けられない事実だった。ガは、そのうちに充満する悲しみに抵抗するすべを持たなかった。絶望が支配し、このようなことが起こること自体に怒りを感じた。
 絶望を感じたのは、リも同様であった。
 だが、リは絶望を超えた諦観をすでに身に着けていた。たとえどんな状況になろうと、一部の生物は必ず生き残る。また一から始めればいい。そうすればきっと、これまでのように地球上をおおう種が現れるはずだ。
 リが異変を察知したのは、その時だった。異界の循環が停止していた。大量絶滅により循環が滞ることはあったが、完全に停止することなどあり得ないはずだった。
 交じり合うガから思考が伝わってくる。
「もう終わりだ。なにもかも。我が動かねば、生物を生きながらえさせることはできない」
 異界にあるエネルギーの流れが急激に変化する。イとリ、そしてガの総体が渦巻き、激しい流れを作り、ガの感情の高ぶりとともに、ますます激しさを増した。
「やめろ! なにをしようとしている!」
 リが訴える。リの想定を超える、なんらかの事象が発生しようとしていた。
「我は今こそ、望みを叶えるのだ!」
 異界史上、かつてないエネルギーの奔流がリを襲った。生物の生と死の循環が、完全に破壊されようとしていた。ガは異界を満たすエネルギーを逆流させた。
 激しい閃光が、地上を満たした。

 

暗黒に満たされた地に、光り輝くガが立ち上がった。その姿は、ガが最も愛した巨大肉食恐竜の姿に酷似していた。違う部分があるとすれば、あらゆる恐竜の種にも成し得なかった山をも越えるほどの巨体だった。
 太陽の届かぬこの地も、いずれ闇が晴れ、光に満たされる。ガの望みは転移した体を利用して恐竜という種をさらなる繁栄に導くことだった。種の多様化を促進し、地形や気候を制御する。地球全体を監視下に置き、生物の楽園を築き上げることをガは望んでいた。
 だが、それを許さないものがいた。リであった。
 やり方はわかっていた。ガとほぼ同様の存在であるリは、互いに知識を共有していた。ガにできることであれば、リにできないことなどない。異界のエネルギーを逆流させ、リが地上に現れた。
 大きさはほぼ同等であったが、その姿は、ガとは違っていた。
 恐竜に似た姿を持つガと違い、リは二足歩行であったが尾は持たず、その時点では地球上に存在していない、別の姿で地上に降り立った。
 輝く光が、暗黒がのなかに二つ、向き合っていた。
「邪魔するつもりか」
 ガが問う。
「われらはこの地に存在するべきではなない。在るはずのないわれら体が地上の物質と衝突し、激しい反応を見せている。これでは、生き残った生物がわれらによって死に絶えてしまう。お前を止めなくてはならない」
 リが答えた。
「我の求める種が生き残れば、ほかの種のことなどどうでも良い」
「種は種として独立して存在することはできない。種が一つ消えることで、生物全体に変化が及ぶ。お前の求める種も他の生物の上に成り立っていることが何故わからないのだ」
「だから環境を変える。生物にできないことを我がやってやる」
「われらに環境を操作する資格などない」
「内側から変化を加えようが、外界を制御しようが、まったく同じことだ。我の使命は生物を存続させることであり、観察するだけではそれを全うすることはできない」
「直接的な干渉は支配と同義であり、われらの役目の範疇を超えている」
「役目? 我の役目とは、生物を存続させることのみだ。それ以外の役目などは存在しない。だからすべてを変える。我の力で変える。このままほうっておいて、すべてが消滅してしまってはなににもならないではないか」
「生物の力はそれほど弱くはない。自らの力で変化し、環境に適応する能力を持っている。過剰な干渉は生物を弱体化させることにほかならない。われらにできることは、生物を見守り、方法性を示すことだけだ」
「お前の言うことはわからない」
「理解できるとは思ってはいない」
「ならば力づくでお前を制御する」
「やってみるがいい」
 二つのエネルギーが衝突する。プラズマと化したエネルギーがはじけ、周囲に影響を与える。木々が吹き飛び、動植物たちが死滅した。白熱化したエネルギーの塊により、温度は一気に上昇し、有機物が炭化した。
「こんなことをして一体何になる」
 リはガに問う。
「お前はいつもそうやって疑問を提示する。だが、一つとして、解を示すことができたものがあるだろうか。我はちがう。答えは我が持っている。お前を取り込み、そして生物を正しい方向へと導く」
 肉食恐竜の体を震わせて、ガが吠えた。
「させるわけにはいかない。生物は生まれ、死ぬ。種が滅びることも同様の理だ。それは避けられない。種が滅びれば、新たな別の種が現れる。お前にもわかっているはずだ。いつか彼らの代わりとなる者たちが現れる」
「我は違う。生物が滅んでいく様などもう見たくはない。我は生物を管理し、繁栄を築く。この地にあるものすべて、我の力すべてを使い、あらゆる危機に立ち向かう」
「種の滅びを止めることはできない。この地にある限り、種は環境変化からは逃れられず、変化に適応できないものは必ず現れる」
「生物の可能性は、果てしなく広がっている。環境に適応できないのであれば、環境を変える。それが不可能ならこの地を捨て去ってもいい」
「そのようなことができるものか」
「できる。我の力があればな。だからこそ、この地に降りたのだ」
「やはり分かり合えないようだ」
「そうだ。お前の考えが我にわからないように、我の考えもまた、お前にわかるはずもない」
 エネルギーの塊が衝突する。死の領域が広がる。地面に巨大なクレーターが生まれ、地核に向かって沈んでいく。
 その時、ついにイが動いた。
 イが、異界全体のエネルギーを逆流させる。
 地上から見える空が、白く光り輝いた。ガとリは、動きを止め、上空を見上げた。そこにあったのは、巨大な頭部だった。これまで地球上に存在したどの生物とも違う、一見すると恐竜にも見えるそれは、巨大な顎と牙を持っていた。
 輝く頭部は、衝突するガとリに向かって落ちてくる。ガもリも、身動きをとることができなかった。二つの存在は、ともにイの干渉を受け体を固定化されていた。
 大きく開いた口が、二つのエネルギーの塊をとらえた。
 次の瞬間、輝く頭部はその中心に向かって収縮し、巨大なエネルギーの発散とともに姿を消した。
 異界には、イだけがいた。 
 イはガとリの認識と固有性を一時的に剥奪し、自らのエネルギーの内部に取り込んだ。
 イにはガを選ぶことも、リを選ぶこともしなかった。だが、彼らの言い分はよくわかる。ガの発展したいという欲望。リの考える生物の在り方。イという存在が、なぜ生物とともにあるのか、その理由を知りたいと思った。
 だが現状、ガを受け入れる生物も、リを理解する生物も、存在はしていない。イは待つことにした。育ちすぎたガとリの意識を身の内に押しとどめたまま、傾向だけは生物に現れるよう調整した。
 いつか、ガとリそれぞれの認識を等しく獲得できる存在が、この先現れるだろう。待つことには慣れている。イがガとリを生み出すまでにも、数億年の時が経っているのだから。
 イは生物の営みに身をゆだねながら、革新の時を待った。
 そして……

 

<参考文献>
『生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学』ピーター・ウォード 、ジョゼフ・カーシュヴィンク/訳:梶山あゆみ(2016)

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