オヴィンの秘密

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梗 概

オヴィンの秘密

30世紀初頭、広大な砂漠を擁する内陸国オヴィンで食糧の輸入が急増していた。世界食糧機関の女性調査官ジェスターが実態把握のため現地に赴く。警護兼案内人として同国出身のエークが同行した。

オヴィンは資源を求めて周辺国と1世紀前戦争に至ったが、化学兵器メディウを散布され敗戦した。戦後、除染地域に再び人が暮らし始めたが、砂漠を含む一部は除染が遅れていた。

しかし除染研究の過程で、砂漠が希少金属アンジウムを含んでいると判明した。砂漠の鉱物が高温乾燥の気候下でメディウと反応した結果だった。アンジウムの輸出が復興を後押しした。人口は爆発的増加を辿り、20年前に食糧危機のため食品・食材の輸出が禁止されていた。

オヴィンでは、子どもが生まれると臍の周囲に刺青を彫り、衣服の下に布を巻いて覆う。もとは健康を祈る辺境民族の呪術的風習だったが、辺境への戦時疎開を契機に、戦争を生き延びるという意味に転化して国民に広まった。今や刺青は戸籍と紐づけられ、出生数は刺青施行件数で数えられていた。

外国人には高級輸入食材で作られた飲食物が安価で提供されるが、ジェスターは現地の味が気になって、視察を兼ねて市場に出かける。市場は様々な卵が多く売られていて果物や野菜は少ない。彼女の目の前で店頭の卵の殻にヒビが入った。割れ目からひな鳥の嘴が見える前に、有精卵だねと店主がすぐ回収した。果物を買おうとすると、不衛生だからとエークに止められる。

農場では、多忙を理由に充分に案内してもらえないが、確かに農地の広さに比べて飼育数は多そうだ。ウシのいる牧草地を歩いていると、足元に何かが走ってきてすぐ茂みの中に消えた。手のひらに乗りそうな小さなウシに見えた。慣れない国で疲労がたまっているのだろう。

合間に人口動態統計を眺めていて、出生数の増加の鈍化にジェスターは気づく。しかし、それに比べて食糧の消費量の増加は著しい。

休日にジェスターはアンジウム精製施設を見学する。砂漠に埋められた巨大な漏斗が内部のスクリューの回転によって砂を呑み込んでいく。漏斗に続く複雑にうねる管を通って希少金属が精製されていく。

その帰路、2人は盗賊団に襲われる。数名がエークの銃弾に倒れ、一味は退散した。その中の同年代と思しき女性の死を悼んで、ジェスターはその体に手を置いた。衣服のすぐ下に腹を触れ、不審に思い服をめくると、刺青も臍もなかった。見ていたエークは無言で遺体から彼女を引き離した。

帰国する朝、ジェスターはエークに問う。

ここではメディウが食物を通して影響を与え、哺乳類が卵生になっているのではないか。卵生が過剰な多産を導き、捨てられた孤児が盗賊になっているのではないのか。

エークは否定も肯定もせず、我々はあの巨大な漏斗で世界とのつながりを確かめたいだけ、と呟く。

帰りの機内からジェスターは眼下の砂漠にあの漏斗と思しきくぼみを見て、オヴィンの臍の象徴だと悟った。

文字数:1199

内容に関するアピール

臍帯はお産の現場に携わる人間にとって、とても悩ましい構造です。胎児に絡まりやすく、お産のゆくえを大きく左右します。それでも我々の祖先は胎生を選びました。

日本の出生証明書には母の名前の記載欄はありますが、父の名前の記載欄はありません。胎児は母のみとつながっていて、母は物理的に確かな親だからです。臍帯がヒトの、他者との最初の、そして生涯その痕跡を残すつながりです。臍は、ときに困難なお産を乗り越えて生まれてきた証です。

その原初のつながりの喪失感を埋めるように、オヴィンの人々は臍の形成術を受け、刺青で臍がないことをカムフラージュします。一方で、砂漠に復興の基盤となる漏斗を建設し、国家の尊厳の回復を目指します。漏斗は、失われた胎生性を取り戻したい彼らの儚い願望も反映しています。不条理な環境の変化の中、科学で生活を支えながら生物の限界を抱えて生きる人間の卑小さと強かさを表現できたらと思います。

文字数:396

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月のない星

ジェスターはやけになっていた。

 

今月のはじめ、彼氏から急に返信が来なくなった。

今度の連休どうする?どっか行く?と聞いたら、それ以来音沙汰がなくなって2か月。

もともとまめに返事をくれるやつなのでひとり心配していたが、しばらく経つとメッセージに既読がついている。読まれているが、返事は来ない。

理由はわからない。5年もつきあっていたのに急になに。最近は心配より不信が募っていた。

 

その連休初日の朝まだ夢の中にいたジェスターに、ようやくメッセージが届いた。

 

実はいま別の銀河にいる。異動したんだ。ここは通信状態も悪いし、しばらく戻れないから、残念だけどおしまいにしよう。いままでありがとうー

 

ただそれだけだった。寝ぼけていた頭が一瞬で沸騰した。

異動なんて寝耳に水だけど。別の銀河ってどこの。ていうか、この5年の締めがこれ?通信状態ってなに、言い訳のつもりなの。よく見たら受信してるの7時00分00秒じゃん。ほかの銀河からこんなぴったりに地球時間で届かないでしょ、絶対予約送信じゃん!!

 

2か月放置されたのも謝罪がないのも癪だったが、予約送信設定のメッセージをよりにもよって連休の初日に無神経によこしてきたのも納得がいかなかった。

こんな人だと思わなかった。友だちからよく聞かされた言葉をジェスターもまたひとり口にした。ひとしきり涙を流し、部屋に置いてあるものに当たり散らしたが、怒りは収まらない。こっちこそ地球になんていられない!

気づけば夏のボーナスをまるまるつぎこんで、直前キャンセルでたまたま空いていた星間旅行を予約していた。

 

予約した旅行は一人用の遊覧ポッドで、宇宙船舶免許がなくても高度な自動運転機能が目的地に運んでくれる。居室はひとりなら充分寛げるホテルの一室の広さが確保されていて、その代わり空調や重力制御にエネルギーを割いているから、推進力は落ちる。だから航行速度はゆっくりだが移動中の快適さを重視したポッドは、特に急ぐ必要もないこんな傷心旅行にはぴったりだった。

 

――時計は目的地まであと5時間を指している。エウロパの氷を浮かべたロングカクテルはもう何杯目かわからない。部屋の隅に備え付けられた小さなアクアリウムの名も知らない小魚が気まぐれに泳ぐのはとうに見飽きていた。ソファに体を預けながら、窓の外をぼんやり眺めた。静寂の暗黒を背景に、ときどき観測可能範囲に入った流星や名の通った星々が自動で拡大表示される。解説用音声は切ってあった。黙々と映される色鮮やかで複雑な模様の星は、行ったこともなかったがかえっていろいろな思い出を呼び起こした。頬を涙が伝った。

 

あぁもうどうでもいいやと思った瞬間、耳に拳をねじ込まれた感覚が襲った。警報が鳴り響いている。同時に起動した非常用の座席に慌てて駆け寄る。アルコールで手がおぼつかない。なんとかシートベルトを締めた。

 

「スペースデブリ接近中!スペースデブリ接近中!非常席にお座りいただき、シートベルトを締めて衝撃に備えてください。当船は回避モードに移…」

アナウンスの途中で床の裏から巨大な指で弾かれたような衝撃が来た。収納されようとしていたカクテルグラスからエウロパの氷が滑り飛んできて、こめかみに直撃した。痛みを感じるより先に、意識が遠のいていった。

 

生理不順だから大丈夫だろ。男の声が聞こえる。あいつの声だ。大丈夫か。別の声、弟だ、弟の声が聞こえる。うん、大丈夫と自分が答える声が聞こえる。何が大丈夫なんだろう。何が。

 

はっと目を開けた。

「大丈夫ですか」

ポッドの居室が問いかけている。

「ジェスター・ルフォンさま、ジェスター・ルフォンさま、大丈夫ですか」

「えぇ……なんとか大丈夫よ」

右のこめかみから出血しているかと思ったが、冷たく濡れているだけだった。氷が当たったらしい。大した怪我はなさそうだが、気持ち悪かった。飲みすぎをこんな形で反省するとは。

問いかけを止めて、ポッドは現状報告を始めた。

「現状を報告します。現在より5時間32分前突如現れたスペースデブリを回避できず、推進部に重大な損傷を認めました。そのため所定の航行継続不能と判断し、緊急避難信号を地球の管制塔に送信しました。周囲を探索し12分前未登録の星に緊急避難しました。外気温は華氏59度。酸素濃度は……」

ポッドは報告を続けているが、耳に入らなかった。知らない星に来てしまったという焦りと緊急避難保険かけといてよかったという安堵が交互にやってきていた。

よりにもよってこんな日に。厄日だわ。でもツイてる。未登録の星ってことは航行禁止区域かもしれないし、遠くの星団まで飛ばされたのかもしれない。でも緊急着陸したってことは、少なくとも大気と重力は地球に準じた星だとポッドが判断したからのはず。

少し安堵を覚えたジェスターは、ポッドがまとめたこの星のレポートに目を通した。

肌寒く乾燥しているほかはあまり地球と変わらなさそう。こんな星なら昔入植していてもおかしくなさそうだけど、まだこんな星が残っているのね。まあ、ゆっくり救助を待つことにしますか。遭難から5時間だからすぐ来れるでしょう。一応非常食も確認しておこうかな、1週間はあったはず。

非常食の格納庫を開くように居室に問いかける。しかしアラームが鳴って、開かない。「どうしたの。開けてほしいんだけど」

「格納庫内部の現在の映像が確認できません。安全を保証しかねますので格納庫を開けることができません」

居室からは各室の様子をモニターでうかがえるようになっているが、確かに格納庫の内部の映像は映っていなかった。ほかにも船外の映像もすべてではないがいくつか映っていない。衝突で扉の向こうは吹き飛ばされているのかもしれなかった。

しかし意気消沈している暇はないと現状の機材の動作確認を進めていく。ポッド周囲のモニターが不十分ということはさっきのスペースデブリのように何かに襲われる可能性を否定できないということだった。

観光用のポッドは、遭難時の乗客の安全に重点を置いた設計であり、探査・開拓用の機材は搭載していない。さしあたり船外からの記録撮影用のドローンは稼働するようだと判明した。

ふと見ると今まで動転して気づかなかったが、窓の向こう側に縦に長く伸びた細い毛髪が密集したような緑がほとんど窓を覆っている。エメラルドグリーンの絵具に浸したばかりの筆先に小さくなってしがみついている自分をジェスターは思い浮かべた。植物であれば何か食べられるものがあるかもしれなかった。

早速ドローンを飛ばして上空から見ると、まさしく草いきれが香りそうな広大な緑地に見えた。よく見ると緑の絨毯のなかに散在する円錐状の樹木にあざやかな黄色の実がいくつもなっている。動物の気配はなかった。

ドローンはちょうどサイコロの全ての面にプロペラを配置したような形状で、上下左右のない宇宙空間で、人間の指示に添うように各推進力を自動制御して飛ぶ。ひとつくらいプロペラが損傷しても自動制御の飛行だから問題はない。ジェスターは一翅のプロペラのプロテクターを取り外して、プロペラの回転を利用して黄色の実をひとつ切り落とした。その実を成分分析にかけてみる。成分分析キットは旅行先の飲食物が摂取可能か、自分の体質に合っているかを教えてくれる星間旅行の必需品である。糖分、タンパク質、電解質、等々ずらずらと成分が一覧で表示された。総合判定は可食と出た。食べられる!

とはいえ怖いので、アクアリウムの餌やりを手動に切り替えて、実のかけらをぱらぱらと撒いた。群青の魚は目の前に落ちてきたものを反射で飲み込んだが、特に変化らしい変化はない。涼しい顔をしてこっちを見ている。

充分観察してからおそるおそる一口かじると、とても芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。マンゴーの甘味にイチゴの酸味にチョコレートの苦みに、濃厚なミルクののどごしが付け加わったような果汁だった。純粋においしい。こんな植物が自生することがあるだろうか。もうひとついただこうとドローンを操作しようと画面をのぞくと、人の顔がこちらをのぞいていた。

あまりに驚いて、せっかく飲み込んだばかりの果肉をせき込みながら、必死にドローンを退避させようと操作した。焦ったジェスターの指示通りドローンは覗き込んだ生物の頭に突進して、ドローンからの画像は途絶えた。

 

なんだ今のは。生物がいるのか。この星はまずい。襲われるかもしれない。そうひとり焦燥にかられていると、ポッドの扉をこじ開ける音がする。

「え、ちょっと、待って待って!」

止める暇もなく扉を開けて入ってきたのは、少し背の低い人々だった。

「にん…げん…?」

ジェスターは襲い来る混乱の中でようやく激情に任せて一人旅に出たことを後悔しはじめていた。

 

なにか話しかけられているが聞き取れなかった。イヤーカフ型の自動翻訳機を使ってみると、解析可能だった。地球に昔あった言語と同系統らしかった。

 

彼らの話によると、ここは千年前の大移星時代に入植した星のひとつのようだった。当時大国の横暴に辟易し、地球環境悲観論に染まり移星を決意した人々は、銀河のピルグリム・ファーザーズを自認して、燃料が安価になった時期を狙って、次々飛び立っていった。大気や温度変化が調節可能な範囲だったことと、近傍に恒星が新しく生まれたばかりだったことから、居住環境は最適とばかりに入植したらしかった。歴史の授業で習う植民星はいくつもあったが、この星のオヴィンという名は聞いたことがなかった。どうやら予測していた軌道をそれて通信不可能な宙域をめぐっていたために見捨てられていた星らしい。当初は通信困難な宙域の星を追跡調査した時代もあったが、どれも星ごと滅んでいたため、それ以上の探索は打ち切られたと習ったことを思い出した。

一見本当に地球人のようである。大型観光船に乗り合わせていれば不思議に思わないだろう。少し背が低いようだったが、栄養状態のせいだろうか。しかしここは異星だとジェスターは自分に言い聞かせた。申し訳ないが、外見が似ていて、言語が解析可能で系統が近いというだけでは信じられない。頼み込んで口腔粘膜や毛髪を採取して成分分析にかけてみたが、確かに地球生まれの自分とほぼ同一の組成だった。ポッドが警告を出さないので、危険な擬態生物の可能性もない。本当に大移星時代の地球人の末裔、自分と遠縁の親戚だとしか思えなかった。彼らが言うにはこの星の資源は少なく、地球に帰還する必要な燃料はなかったので、降り立って以来人々はつつましやかに暮らしていたようだった。彼らから敵意は感じ取れなかった。むしろ好奇と尊崇が入り混じっている眼差しだった。

 

ジェスターはオヴィンの人々に歓待を受けた。誰も植民以来1000年の間この星に到達していなかったのだ。しかもその生物が自分たちと共通の祖先をもつ現在の地球人であることは彼らの関心を否応なく呼び起こした。ほどなく首長に面会した。首長は最初あまりの感動にしわくちゃのその顔によりしわを寄せて、人目をはばからず、おいおいと泣いた。首長の名の発音は難しかったが、ケィウレスと聞こえた。首長はさまざまなことを惜しみなく説明してくれた。その資源の乏しさから農作物は豊富には取れず、人口はわずか数十万人規模であり、国家のような形式の共同体もどうやらひとつしかないようだった。居住できる範囲が限られているために共生を第一として暮らしてきたようであった。ただ牧畜は冷涼な環境には適していた。移星の際は、多様な動物の受精卵や植物の種子を携えていく。その生命の源から高度な繁殖技術で生まれたオヴィンのウシ、ブタ、ニワトリは農場で見る限り人間同様何も変わらなかった。ほとんど地球と変わらない、牧歌的な生活がそこにはあった。首長は救助が来るまで、と女性の案内人エークをつけてくれた。

首長に食糧がないことを相談すると、食事に招待してくれた。しかし、食事の場で突然小さな白い錠剤を渡された。ジェスターは途端に警戒した。

「あなたがこの環境に適応するための薬剤です。少しここの環境は特殊なので食べ物にわれわれもあたったりするんです。そのための薬です。毒ではないですよ、ほら」と首長は目の前で飲んでみせた。ジェスターは少し不気味に思って、飲んだふりをして陰で吐き出した。

「私も最近薬を飲むように言われたんですよ」

見ると隣に座ったエークも白い錠剤を粉末にしたものを飲み物に混ぜている。ジェスターはエークが食事中席を立った隙を見計らって自分の情報端末をテーブルに置くふりをして食卓の上にあったエークの錠剤を自分のものにすりかえた。現地の人間が飲んでいる錠剤は少なくとも毒ではないはずだ。

 

その錠剤の一件以外はなにごともなく、むしろこんなに楽しくてよいのだろうかというほど食事の時間は過ぎた。食事になにか仕掛けがあるかもしれないと最初は注意を払っていたがどれも大皿から取り分ける形式で、毒が混入されている余地は考えにくかった。ましてや危害を及ぼそうとするならもっと簡単にできるはずだった。首長は寛大で、宿まで用意してくれた。気分は高揚していたがあまりの怒涛の展開に体は疲労を訴えていた。ジェスターはベッドに倒れこんでそのまま眠りについた。

 

翌朝、朝食が運ばれてきた。朝食は一人にしてくれと言ったら彼らは快諾してくれた。ひとり部屋で念のため運ばれてきた食事を成分分析にかけた。やはり毒物は入っていなさそうだった。こんなに疑い続けて申し訳ないとジェスターは思いはじめていた。技術者でも科学者でもない自分には何の利用価値もないのだ。脅す意味もないし殺されるいわれもない。安心して食べているうちに、ふとおなかが重いことに気づいた。そうだ。そういえば今月まだ来てない。そろそろ来るかも。忘れかけていたあの愚かな男にこの2か月悶々としていたせいで、もともと乱れがちなリズムは一層狂わされていて、しばらく月経が来ていなかった。

ポッドから持ってきた荷物の中にナプキンを探すが、ない。怒りにまかせて荷造りしたから忘れてしまったようだった。しまった。買わなきゃ。エークを呼ぼう。

 

「エークさん、わたし、ちょっと、ナプキン忘れてしまったの」

「ナプキンってどういうもの?」

「あー女の子の。ほら、あなたも女の子ならあるでしょう。あれに使う。出てきたら困るでしょう」

「それなら薬を飲んでいるんで大丈夫です」

「薬?」

「排卵を抑える薬ですよ」

どうやらピルで排卵も月経も止めているようだった。排卵を止めれば月経は来ない。

「わたしはそれ飲んでないのよ。飲んでないと起こるでしょう。それが来そうなの」

「排卵ですね、困っているならこの薬を飲めばいいですよ」

「いや、そうじゃなくて。もういいわ。買い物に行きたいんだけど案内してくれない?」

埒が明かないと悟り、ジェスターはとりあえずドラッグストアを行先にリクエストした。

「もちろん」

エークは二つ返事で地球人の案内に楽し気である。誇らしげにも見えた。

 

ジェスターがオヴィンに来たことはもう人々に知れ渡ってはいたが、パニックを避けるため、身なりや顔立ちは一切非公開だったので、特に騒ぎにはならないで好きなように店を見て回れた。ジェスターはこのときとばかり首長の配慮に感謝した。そしてこの星の人々に見間違われる外見の偶然も幸運だった。ナプキンを求めているのを民衆全員に知られたくない。しかしドラッグストアに類する店を何店舗も回ったがどこも目的の品は売っていなかった。売り切れなのかと思ったが、そもそも店員がナプキンがなにかわかっていないようだった。うまく翻訳できていないのかもしれなかった。

今はおなかの張りは少し落ち着いている。歩き疲れて空腹になったので市場に向かうことにした。

 

市場は混雑していた。一見すると卵が多い。色とりどり、形も細長いものから球体のものまで多様な卵が並んでいる。まるで拡大された星々の映像のようだなと思いだして、いまはそのどれでもない星だが地球に似た星に少し戸惑う。

「卵が多いわね」

「あぁ農業はなかなかこの星では難しいんですよ」

「そのようね」

最初に首長から聞かされた説明を思い出しながら、目の前の手のひらの大きさの卵の前の札を指して聞いた。

「これはなんの卵?なんて書いてあるの」

「この卵は」とエークが言いかけたそのとき、その卵のひとつにひびが入った。小気味よい音が鳴った。

どんな雛鳥が生まれるのかと見ていると、次の瞬間殻を破って出てきたのは細い茶色の脚だった。脚の先に蹄がついている。どう見てもウマの前脚だった。二本の脚が卵の中でもがいている。瞬時にぎょっとして彼女は後ろに飛びすさった。

「ひっ、こ、これは」

背後で果物を運んでいた老婆にぶつかって、果物がこぼれおちる。悪態をつかれた。

「ご、ごめんなさい」

とっさに謝るが、目の前の卵の中からは小さな脚がまだ何かをつかもうとしているように空中をかいている。いまにも頭が見えそうだ。

「おや、また有精卵が紛れていたね、失礼」

にこやかに店主は慣れた手つきでその卵を店頭から回収した。

驚いたジェスターの横に立っていた子どもは不思議がった。

「お姉ちゃん、なに驚いているの、ウマだって卵から生まれるでしょ」

「ど、ど、ど、どういうこと」

エークも落ち着きはらっている。

「どうしたんですか。まぁ生き物ですから、有精卵が混ざることくらいありますよ」

「いや、そ、その、卵から生まれるってどういうこと」

「……生物が卵以外から生まれる方法があるんですか」

「そ、それは……な、なにを言っているの。からかわないで」

「変なことを言いますね。ご存じないわけないでしょう。われわれ人間だってそうでしょう。さっき排卵が困るとおっしゃってたのに」

「いや、わたしは生理が、月経が困ると言おうとしたのよ」

「なんですか。それは」

「なにって。それじゃあ人間だって卵から生まれるとでも、あなたたちも卵から生まれているとでもいうの」

「えぇ、もちろんです」

エークは怪訝そうに、しかし確信をもって言葉を切った。

 

「ここがそうです」

エークが指をさす。

巨大な無機質なサイコロがそびえている。正面には大階段と柱廊があって、一見すると古めかしい神殿のようでもあり、石造りの銀行のようでもあった。施設本体はシンプルな直線的なデザインで厳かさが際立っている。

人間が産卵するなんてありえないと抗弁するジェスターに、エークは実際ご覧になれば納得しますよと連れてきたのだった。

階段を上がってすぐ検問がある。持ち物をスキャンされる。その先に穏やかな物腰だが明らかに警備員と思しき人員が何人も並んでいる。

中央ホールは広く明るい。天井から3本のチューブが寄り合い捻じれて垂れ下がっている。その先にひとつの島の立体模型のようにも見える点対称ではないかさの照明があって、目が眩むほどにホールを照らしている。奥から白髭をたくわえた老人が出てきた。よく通る声がホールに響いた。

「所長のリクシャムです。いらっしゃると思っていました。私がご案内しますよ」

 

「向かって左が産卵センター、右が孵卵センターです。左から右に洗浄と乾燥と刻印の機器が並んで、卵はそこを順に通っていきます」

ジェスターは孵卵器を見上げた。何層にも積み上げられた板の間に卵が所狭しと並べられている。一瞬、現代のアレクサンドリア図書館があったらこんな形だろうかと頭をよぎった。

右から卵が静かに運ばれてきて格納されていく。格納された箇所には光が当たり、加温しているらしかった。ときどき卵をその場で少し転がしている。

「あれは、なんですか」

「転卵です。ずっと動かさないでおくと育ちにくいので転がしてやるんですよ」

 

孵卵センターから産卵センターへの連絡通路を歩いていると、産卵センターに女性たちがおしゃべりしながら入っていく。

「あの方たちは」

「ここに卵を産みにいらっしゃったんですよ。家庭用孵卵器では温度が安定しないんです。孵化率が低いんで、基本皆さんここでお産みになります」

「産むって妊娠しているわりにあまりおなかが出ていませんが」

「卵は一度にひとつですから。受精から産卵まで4か月です。そんなにおなかは大きくならないんですよ」

ふと重い自分のおなかに手をやる。そろそろ月経かな。4か月か……短期間にこの人たちは子どもを持つのかと思うと、生きているリズムの違いに悲しみが込み上げてきた。

月経って無駄だよなと思いを強くする。妊娠しなかったら、今回も失敗しましたのサインだ。わたしには今相手もいない。そもそもそれを忘れるために地球を出たのに。結局こんな場所にいる。それでも興味はあったからここに来たのだ。

「産卵って見学できるんですか」

「それはそれは。向学のためですか。感心なことですが、残念ながら産卵や孵卵の様子はプライバシーがあるので見せられません」

産卵センターは、お産の場にしては静かだ。弟の分娩の現場に立ち会ったことを思い出す。扉の向こうで母は獣のように叫んでいて母の声だとわからなかった。赤ちゃんだった弟の泣き声とそれを口々に祝う声はいまでも耳に染みついている。それに比べればここはずいぶんひっそりとしている。生命が誕生しているというのに。

 

産卵センターから目の前をケースに入って卵が流れていく。卵の殻に何か文字が記されている。解説が続く。

「親の前で生年月日と日時と母の名前が印字されるんです。個人識別です」

「なるほど」

「珍しいですか。あなたがこの星に来たと聞いたときから、もしかして胎生の方なのではと思っていました。ここでは胎生については古い文献に残るのみで学校で教えもしません」

はるかな昔話が始まった。

「この星に来たわれわれの祖先も、もちろん当初はあなたがたと同じ胎生でした。一緒に持ち込んだ動物たちももちろんそうでした。しかし、この星は一見人間が住みやすいように見えてそうではありませんでした。寒すぎるのです。軌道が計算とは異なっていたこともあって、思っていたほど快適な生活は望めませんでした。ストレスもあったのでしょう、流産も増え、長い年月をかけて哺乳類たちは卵生に進化、いや選択的退化とでもいいましょうか、冷涼で乾燥したこの気候に適応するために卵を産むことになったようです。1年のほとんどをかけて1人を産むために自らの身体的制限を課すよりも、毎月産卵した方が生存効率が高かったためのようです。研究は続いていますが、この星特有の細菌が影響しているという話もあります。正確なところはわかりませんが」

所長はこちらの反応をうかがっている。

おなかの重みが増しているような気がする。

あぁついに来たか、久しぶりね、もうこんなに気分が下げられるの癪なのよ。むしろフェスよ、フェスのつもりでいないとやってらんないわよ、月一回のフェスと毒づいてみる。痛みはそんなに感じない方だったが、ふだんより憂鬱になるのは感じる。ジェスターはなければないでせいせいすると思っていたが、あればあったで女性であることを実感するという友だちもいた。このありふれた現象にも、思いはばらばらだなと思っていたが、やはり家族を持つという実感のない今は特に意味を感じられなかった。

 

「しかしもちろん人間だけが変化したわけではありません。最初の卵生の報告はウシでした。小さな動物たちもほぼ同時期に変化していましたが、あまりに小さい卵は気づかれなかったようです。それに、気づいたきっかけは卵を産んだからではなくて、けいれんでした。乾燥に耐える卵殻の形成にはカルシウムの過剰な分泌が不可欠だったのです。当時の動物のメスは軒並みカルシウム不足に陥ってけいれんを起こしたという記録も残っています。なんにせよ、そういう苦境を乗り越えて、私たちは卵生として生きてきました。しかしなってしまえばそれに適応するだけです。卵生といっても、言ってしまえば、体内で排卵していたものを少し育てて殻をつけて体外に出すというだけです。胎生でも同じだと思いますが妊娠したくない場合は、排卵を抑えればいい。排卵を抑えていなくて妊娠を希望していれば、産卵すればいい。卵を孵卵器にかければおのずと受精しているかどうかはわかります。もちろん改良を重ねても孵化率は70%程度ではありますがね。この星に月経はないんですよ。月経は受精卵を体内で育てる準備の一環ですから、胎生動物の、それも一部しかないことです。むしろ生物全体としては珍しい現象です――――」

 

長い昔話を終えるともうとっくに夜だった。礼を言って帰路についた。エークはずっと黙っている。エークもまた別の衝撃を受けていたようだった。

この星に月経はない。その言葉が頭から離れなかった。用意されている宿に帰ると、おやすみとエークに言って、すぐ自室に入った。

下腹部の痛みが強まっていた。いよいよか。この星で唯一の月経が始まろうとしている。持参薬の中から鎮痛薬を口に放り込み、冷えた水で飲みくだした。

ああ、早く過ぎ去ってほしい。そう思いながらベッドに倒れこんだ。今日はあまりに驚くことが多すぎた。妊娠期間は4か月です。所長の声が頭の中で繰り返される。

産卵も麻酔下で少しいきむだけですから。麻酔が切れればその日に帰ります。胎生では大量に出血する場合もあるようですが――――

 

いつのまにか眠りに落ちていたジェスターは右足がつって目が覚めた。

痛い!

あまりの痛みに起き上がって、部屋の中を歩き回ってみたが逆効果だった。力が抜けていくようだ。疲れているのかしら、と残っていた水を飲もうとコップを持ち上げた。その右手が突如誰かに動かされているように大きく震えて、コップを取り落とした。コップは派手な音を立てて砕けた。なに、なに、これ。

おなかの痛みはジェスターを責め立てる一方だった。物音に気付いて隣室からエークが飛び出してくる。

「どうかしましたか」

腹痛はいや増すばかりだった。冷汗が流れる。ぎゅうっとゆっくり引っ掻き回されるような痛みで、ジェスターの意識は遠のいていった。

 

起きると弟が横にいた。清潔なシーツ。柔らかなカーテン。カーテンの奥の光。

弟は神妙な面持ちでいる。姉さん、大丈夫かい。大丈夫よ。いや、どこが大丈夫なの。

 

飛び起きた。エークがのぞき込んでいる。

「起きましたか」

「ごめん、生理痛なんかで倒れちゃって」

「それなんですが」

「急に強くきて、それで倒れちゃ」

「そうじゃないんです」

「なにが」

「それは月経じゃないんです」

どういうこと、と問おうとしたそのとき、忘れかけていた痛みがまるで遠くの海原から響いてくるのを見た。くる。やってくる。

暗い海の映像に爆音と喧騒に満ちたクラブの扉の前に立っている錯覚が重なる。

扉の向こうから不穏な空気を感じ取る。開けないで。しかし扉は内側から否応なく開かれようとしている。

海が呼んでいる。低く重いうなり声が聞こえる。

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ

子宮がしぼられるような声を上げている。声にならない声をあげる。気づくとかけつけた数人がかりで分娩台に乗せられている。エークが呼んだようだった。

落ち着いて、とスタッフが声をかけるがそのスタッフもまた落ち着かない。みんな何かを見守っている。息をゆっくり吸ってー吐いてー。こちらに必死に呼びかける声もかすむ。

 きりきりと腹部全体がまた強い悲鳴をあげた――と、痛みの波が急速に引いていった。刹那、するりと滑らかになにかが体の外に出た。

おめでとうございます!口々にお祝いの言葉が飛び交った。

エークが制す。

「違うんです。違うんです」

 

生体反応計をチェックして安定していることを確認すると、スタッフたちは部屋を去って行った。

「わたし、産んだの……卵を」

「その、よう、です、ね」

 

 医師は言った。

「どうしてあなたがそうなったのかわかりませんが、急速な変化ですね。ただでさえ生殖効率はよくないので定着させるためにそのサプリを飲むようにはじめたところなんです。あなたには抗生物質をお渡ししましたが、お飲みになっていなかったのですか」

ジェスターは医師の診察を受けている。事の次第がわかってきた。

「そのサプリは急速に増殖する細菌のプロバイオティクスなんですが、それを誤って飲まれたりしてませんよね。最近の研究結果で、この星のある種の細菌が子宮内膜の細菌叢を変化させて卵生を導いていることがわかったんです。食事はあなたには殺菌したものをお出ししていたんですが、この星の食べ物で出されたもの以外を何か口にしていませんか」

 

ジェスターは自分に訪れた変化を半ば予感していた気がした。そして話に聞いていた毎月卵を産む可能性に悩みぬいた。あまり自分の体に介入したくなかったし、今まで月経が自然に来たり来なかったり気まぐれなのは、それはそれでリズムが乱れているなりに、乱調のなかの、コントロールされない生の不安定さ、不安定であるからこその生を感じていたからだった。

 

確かに月経はわずらわしかったが、このような無くなり方は本意ではなかった。ここでは排卵抑制をすることが一般的で、毎回低カルシウムの症状が出てもいられないからやむをえずそうすることにした。ここのひとびとはもともと月経がない。ないもののなかで生きている。あったことも忘れているし、もう手に入らない。何世代も連続してこの形質は固定化されている。月経があるからこそ女性らしいと思えると言っていた友だちを思い出す。わたしはまた月経を取り戻せるだろうか。妊娠期間も短くて、分娩時間も早いここの女性たちは働きやすそうだった。お産のあとすぐ復帰できる。出血もない。ここで暮らすのもいいかもな。少しそう思う自分もいたが、自分の中で命を育てることをやはり夢見る。

 

救難信号はようやく気づかれたようだった。地球に帰るための船が向かっているという。ジェスターはここにとどまるかどうかその選択を迫られている。

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