腐乱死体と妖精軍団、あるいは忘れられた叫び

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梗 概

腐乱死体と妖精軍団、あるいは忘れられた叫び

2050年代。東京23区から分離した玉川市は、人口200万を数えていた。

青年ミハイルの仕事は、孤独死した老人の部屋の整理だ。その日も男の死体とゴミの山を片付けていると、壁一面が緻密な絵と膨大なテキストの書かれた紙で埋め尽くされているのを発見した。妖精に似たハイブリッド(サイボーグ)少女軍団の絵物語のようだ。興味を覚え、業務中に義務付けられているコンタクトレンズの記録とは別に、規則違反だが個人端末でも撮影する。

ミハイルは、チームリーダーで年下の恋人の想一と、市内のマンションに同居している。想一も彼の記録に惹かれるが、量が膨大で一夜では解読できない。しばらく昼は仕事、夜は解読の日々が続き、やがて二人は内容を理解する。

10年前、自らハイブリッドとなった研究者が制御不能となり、玉川橋を破壊する事件があった。男はその場で警察に射殺されたと、報道されている。

妄想を広げただけに見えた絵物語には、真相の告発が隠されていた。ハイブリッドは別の女で、暴走というのは嘘。差別に苦しむ移民と共に蜂起した行動だったが、陸軍の出動より制圧された。国民に銃を向けた事実を伏せるため、政府が偽情報を氾濫させることで隠蔽したのだ。事件以降、国際的な圧力で移民の人権に最低限の改善がなされ労働人口が増えた一方、日本人はハイブリッドを忌避し、技術は他国へ流出した。部屋で亡くなっていた老人こそ犯人とされた男で、薬物に依存させられ、職も家族も奪われたのだ。

ミハイルは自分が処理した男の真相解明にこだわるが、想一は現実に向き合わず娯楽としての絵物語にしか興味を示さない。考えの違いが感情的な口論になったある夜、絵物語を改変したデジタル作品が、AI製作のアートとして高値で売られていると知る。会社が業務記録を使って商売していると見抜いたミハイルは、想一との仲の悪化もあり憤って部屋を飛び出す。

翌朝、ミハイルは帰ってこなかった。想一は会社に彼の休みを伝えるが、業務規則違反により本日解雇したので問題ないと言われる。さらに絵物語の販売について尋ねると、以前からやっていることで違法性はない、業務記録が売れれば報酬を出すと返される。

急すぎる会社の対応に疑問を持ち、想一はミハイルを探すが、月日が経っても発見できない。警察への捜索依頼も相手にされず、会社に咎められ、逆に監視されていると気づく。しかし会社と警察を疑いながらも、惰性で仕事を続ける。

ある日、借主が失踪した部屋の整理を命じられる。だが現場には死体があった。ミハイルの死体だ。自分たちが掴んだ情報は、外国人の命ならば躊躇なく奪う程なのだと悟る。彼を発見したことは、業務記録から会社もすぐ気づくだろう。むしろ、ここの仕事を敢えて与えられたのだ。報酬つまり口止め料を受取るか否か、選択を迫るために。

想一は会社との接続をすべて断つ。敵が誰なのか不明だが、真相を求める決意をして街に潜る。

文字数:1200

内容に関するアピール

サンプリングとリミックスという単語が流行語だった時代に、思春期をすごしました。今では自明すぎて透明なものになっている気がしますが、意識的にそのようにして書かれた小説が好きで、自分でも書いています。

すなわち、歴史や神話などのさまざまな世界と先端科学技術を混淆した小説をよく書きます。また異国を旅することが好きなので、見知らぬ街や遠くの国、遥か彼方の惑星を舞台にすることを好みます。

しかし、取材旅行に出かけるのもままならぬ昨今です。外国を舞台にするのはちょっと難しい。それならば今住んでいる土地を歩いて、近未来を舞台にした作品を書こうと思いました。日本の人口が1億人を下回り、単身世帯が半数を超えた超高齢化社会となるなか、一極集中と移民受け入れで人が集まる未来の街、(世田谷区が23区から分離独立した想定の)玉川市が本作の舞台です。また、作中登場する妖精軍団の物語は、ヘンリー・ダーガーを意識しています。

文字数:400

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ゆがんだ王国で、或いは忘れられた叫び

In the Domain of the Distortion, or the Forgotten Flame

 

腐乱死体をじっさいに目にしたのは、その時がはじめてだった。
 蠅と妖精が、腐った有機物のうえを乱舞していた。

1.
「5月15日、9時30分。ミハイル、作業開始します」
 ミハイルの目の前には、今日の現場のドア。玉川市内によくある集合住宅の一階、廊下の突き当たりの部屋が今日の現場だ。会社に清掃の依頼があったのは昨晩、夜9時すぎだ。警察が死体を運び出したので、部屋を早急になんとかして欲しいと管理人から連絡があった。
 表札のない、ドアノブと覗き穴以外に何の装飾もないドアだが、居住者の氏名が視野にオーバーラップされる。
「辺里崇:Henri, Takashi」
 以下、詳細な個人情報がスクロールされるが無視、非表示に。
 管理人から預かった鍵でドアを開ける。中は、ゴミの山、そして虫だ。外に出さないよう、ドアを閉める。外の光が入ってこないと、室内は暗い。頭に巻いたランプを灯す。壁の黒いものが蠢く。1LDKの部屋の間取りが表示されるが、床が見えないような場所では意味がない。表示を消して、玄関に溢れるゴミの排除に専念する。
 玄関から廊下に積み重なるゴミを袋に放り込んでいき、空間を作る。先に、腐っているものを始末したい。廊下のすぐ右にある扉が寝室だ。手袋で守られた手でノブを回し、扉を押す。障害物にじゃまされずに開くことができるのは、警察が一度開けているからだろう。部屋に足を踏み入れる。ベッドが部屋のほとんどを占めていた。そのベッドの真ん中が沈んでいて、人型の、黒いシミがある。腐って濡れたままのそこに、蛆が群れている。
 腐臭がひどい。否――

再生映像は臭いまで再現するわけではない。でも、幻臭だとわかっていても、脳内で再現されるのをとめられない。さんざん、自分も嗅いできた臭いだからだ。僕は、コンタクトレンズに業務記録を映したまま、口元を押さえてミハイルに聞いた。防護服とマスクを着用して自ら現場に臨んでいるのとは違う、不意打ちがきつかった。
「ベッドで亡くなっていたんだ」
「うん。想一、ぜんぶ再生するのはキツいと思うよ」
 再生を止めて、僕は視界を自分の現実に戻した。ソファに寛いで虚空を見ていた僕は、映像の暗さからリビングの明るさに目が慣れるまで少し時間がかかった。ミハイルと僕が、ふたりで暮らしている部屋だ。大柄な体に似合わず、というか、きれい好きな彼のおかげで室内はいつも片付いている。虫なんか入ってこない。
 僕らは、同じ特殊清掃の会社で働いている。卒業後の仕事を見つけられなくて困っていたころにミハイルに出会って、かれも仕事を失って困っていたところだったけれど、運よく二人で今の会社に潜り込めた。ミハイルは僕より二つ年上だけど、大陸からの移民に与えられるポジションは一作業員で、いっぽう、僕はいちおう大卒だからという理由でリーダー候補ってことになっていて、ミハイルと、あと三人のメンバーの仕事の割り振りを任されている。と言っても、僕自身も作業員として現場に出るし、受ける仕事量を調整する権限もない。上司から命じられた現場すべてに対応できるよう、やりくりするだけだ。たいへんさは現場によりけりだけど、まあ、全体的にけっこうキツい。たいてい、住んでいた人が死んだ部屋の後始末だし。そこに、責任が増えただけだ。
 だからミハイルとは仕事の上下関係というよりは同僚で、それから、パートナーだ。
 手渡してくれたペットボトルの水を飲んで、一息ついた。
「ありがとう」
「見てくれとは言ったけど、記録をぜんぶ再生する必要はないよ」
「もちろん早回しにはしてるよ、自分も加速して。そのまま見てたら朝になる」
「そういうことじゃない。業務記録のあとに、ほかにも見て欲しいものがあるし」
「じゃあ、なおさら急ぐよ」
「前半は飛ばしていいよ」
 錠剤スピードを二錠口に放り込んで、もう一口、水を飲む。
 一錠で二倍、二錠で四倍。三錠で八倍、そのさきは試したことはない。清掃中の部屋へ戻る。午前中の作業分を飛ばして、四倍速再生。薬が効いてきて、普通の再生スピードに感じられてくる。再生速度をさらに上げる。
 リビングのゴミの地層が崩されていく。いくつものゴミ袋にまとめられ、床と、机と、壁が見えてきた。まだ床から積まれている残りは本や雑誌で、机に近づくと、その上の一角にも埃とともに積み上がっている。本だけでなく、何冊ものノートとスケッチブックが机の上に重ねられていた。いちばん上には薄いPC、そして綿ぼこり。これらが机の上に地層のように重なっている。
「ここから注目して」
 ミハイルの声が聞こえる。僕の空間に入ってきて、スピードも同期している。ということは、同じだけ錠剤やってるんだ。そこで無理しなくていいのに。
 映像の中のミハイルは、PCを埃が舞わないようにそっとよけて、一冊目のスケッチブックを取り上げた。厚い表紙をめくる。
〈ゆがんだ王国で〉
 一枚目には、流麗なカリグラフィでそう書かれていた。ミハイルはページをめくる。
 次の紙には矩形の枠で囲まれたカラフルな幾何学模様。左の枠線が下に伸びていて旗のようだ。めくると次は西洋のドラゴンの図柄。これも旗だ。そして、細かな文字で埋め尽くされたページがあり、ミハイルは読めないからだろう、すぐめくって次へ進んだ。蝶の羽らしきものを背中に生やした、古めかしいフリルとレースのワンピースを着た少女の全身像。素朴な絵柄は、ていねいに水彩で塗りわけられている。
「ここの住人が描いたものか」
「おそらく。スケッチブックが机に積み上がった分と、ほかにもあって」
 ミハイルはそう言うと、映像のコントロールを奪ってスキップする。作業中の彼は、一冊目のスケッチブックを最後まで見たところで閉じると、部屋の中を見回した。壁には蠅の群れが固まっていたり、ムカデが走り回っていたりしたが、その下には色あせた絵が四方の壁すべてを埋め尽くしていた。スケッチブックと同じような画用紙だろう。虫食いや色が落ちているところも多いが、やはり水彩と思われる絵と、ときにびっしりと日本語やアルファベットの文章が書かれた紙がある。
 フリルのワンピースを着た少女の集団がいる。裸で描かれている子供を見ると、少女だと思っていたのは両性具有の妖精で、裸の上から中世の鎧をつけたり、もっと現代的な武装をまとっていたりする。踊っている少女、列を作って行進する少女。剣を持つもの、銃を持つもの。
 ほかの紙には、ドラゴンと戦っている少女、空を飛んで迫ってくるクジラから羽を広げて逃げる少女。高い塔が並ぶ城壁の街を飛びまわったり、倒されたり、腕や脚を引きちぎられた残酷な絵もあった。
 壁を埋め尽くす画用紙は一枚ではなく、ピンを外すと、その下にも紙があって、三層から四層は重なっている。
 一枚一枚の絵の前で立ち止まっては一枚剥がし、となりの絵の前でまた立ち止まっては一枚剥がす。ミハイルの視界を再生するそのテンポは、遺品整理としてもゆっくりすぎると気づいた。
「これさ、自分の端末でも撮って――」
「黙って」
 ミハイルは僕の質問を奪うと、空間から消えた。僕も映像の再生を止めて、コンタクトの視界をクリアにする。隣に座っているミハイルを見る。だいたい、察しはついた。
「そこから先は、会社のコンタクトを外してからだ」
 そう言って、嵌めている会社支給のコンタクトを外した。ケースにしまって、代わりに、プライベートのコンタクトを嵌める。僕も立ち上がって自分のケースを見つけるとコンタクトを外し、隣に並んでいるケースから、やはりプライベートのコンタクト取り出した。錠剤がまだ効いてて、歩くとふらつく。作業中の記録を義務付けられている僕らは、仕事用には会社支給のコンタクトを使っている。自分のものに会社のアプリケーションをインストールして、会社のサーバーに接続することもできるけれど、セキュリティが心配だ。会社のほうから、自分個人の領域にアクセスされるのではないかという意味で。
 コンタクトを嵌めてミハイルとの共有空間に入る。自分たちの室内のネットワークだけで閉じた、安全な空間だ。
「作業現場や遺品を個人的に記録するのは、ルール違反だって前にも言ったよね」
「このままゴミになる可能性が高いだろ。もったいないと思ったんだよ。自分でじっくり見たいしさ」
「現場ではどうしたの」
「ほかに出てきた書類やなんかと一緒に、整理して管理人に引き渡した。興味はなさそうだったけど」
「遺族とかはいるの」
「わからないって言ってた。いても、遺体ともども引き取り拒否じゃないかな。いつもどおりだ」
 独りで死んでいく人たちは、たいてい子供も配偶者もいない。警察が辿っていけば親戚に連絡が取れることはあるが、何十年も会っていない、顔も覚えていない叔父や叔母の遺骨や遺品を引き取ってもらえることは稀だ。よほど、手付かずの遺産が残っているとかでない限り。僕らや同業者が毎日忙しくするていどには、大勢死んでいく。僕らは、人口が減り続けるのを目の当たりにしている。ミハイルたちのような移民が、子供が生まれるのと同じくらいに毎年何十万人入ってきたって、合わせた以上の数が死んでいくのだから。
「そうなると確かに、燃えるゴミだね」
「だから端末でも撮影しておいた。壁とスケッチブックの全部」
 ミハイルは自分の視界に入らないように、つまり業務記録に残らないように自分の端末を取り出して撮影していた。動きでなんとなく想像はついたが、今のままなら会社が把握できる証拠はない。遺族がいなければ、仮に何かが流出してもほとんど問題にはならないし、会社も特に咎めたりはしないが、リーダーって立場としてはちょっと困る。
「また、共犯者かよ」
「いや、本題はこれから」
 ミハイルは空間内に撮影した画像、不思議な絵とテキストを展開した。亡くなった辺里氏の部屋の壁のように。ただし蠅やムカデはいない。クリーンな空間だ。
「日本語を全部読んで欲しいって言いたいの」
「それで、この絵が何を語っているのか、明らかにしたい」
 両性具有の幼子が全裸で群れて、地を這う蜥蜴を取り巻いている絵を映しながら、ミハイルが答えた。無断撮影した記録なんてことはすっかり忘れて、夢中なようだ。
 じつのところ、童話的というには、なにか原初の昏さや凶々しさを隠しているような絵に、僕も惹かれていた。絵柄だけではない。何十冊、何千枚にもなりそうなボリュームと、それが一人の部屋の中に遺されていたという不思議さにも惹かれて、僕は同意した。
そんな理由づけより、仕事の合間を埋める娯楽を欲していたというのが、本当のところだ。先のことなんか何も考えていなかった。

2.
 翌日からは、一日中忙しい日々が続いた。朝から仕事、帰宅したら、〈ゆがんだ王国にて〉と題名をつけて辺里氏の遺したものの、データの整理と分析だ。
 画像ファイルが約2000個、自室のサーバーに共有した。バックアップの方は容量オーバーで、有料設定は月に一万円と表示されて諦めた。インフラの料金が円建てだと年々上がってる。スケッチブックのページや壁に貼られていた配置を再現しながら、ミハイルが順番を整理していく。僕のほうでは、日本語と英語の文章を自分でも読みつつテキスト化と英語翻訳を進めていた。テキストだけのものが400枚近く、ほかに絵の中に書かれた文章や、登場する妖精や怪物の固有名詞らしきキャプションもあるので、これを画像へタグ付けしていく。自動的なテキスト化はすぐできても、それを自分たちが読まないと意味がない。
 両性具有で背中に蝶々のように羽まで生やした少女たち(?)は、武装して、ドラゴンや、空飛ぶクジラや、大人の兵隊と戦っている。配信される流行りのドラマのスピーディーな展開を、再生速度と脳の両方を倍速にして浴びるのとは違うテンポ感で、違う肌触りのものを浴びているのが楽しい。先は長いけど。
 さいわい、季節的にまだ仕事量は少ない。これから本格的に暑くなるにしたがって、孤独死する人も増えて、仕事も増えてくる。しかも熱気と腐臭の中で防護服を着ての作業は、ものすごく体力を消耗する。真夏になるまでに、〈王国〉のすべてに目を通したい。あと二ヶ月くらいのうちに。
 僕らの働いている会社は、小規模ながら全国各地に事業所が点在していて、それぞれの地区の作業員が清掃を担当するようになっている。遠くまで支援に駆けつけることは滅多にない。住んでいる甲州街道沿いの地区からは少し遠いけれど、同じ玉川市内の、多摩川沿いにある事業所の所属で、毎朝そこまで行って、トラックに乗って現場に向かうのがだいたいのルーチンだ。作業に向かうエリアは、東京の区部のおもに西側、多摩地区、対岸の川崎市あたりだろうか。でも、やはり多いのは玉川市内だ。何しろ、都内有数の人口密集地域だ。東京23区から、ほぼ世田谷区にあたる地区が分離して一つの市になったのが十数年前だ。それからの人口流入が激しく、全国的には減っているのに、市の人口は百万人から二百万人にまで増えている。そして増えた人口の大半は移民の若い世代か日本人の老人で、老人たちの多くは独りで暮らしているはずだ。近所で買い物や食事をすれば、すぐ実感できる。
 裕福な人はそれでも、管理や介護が行き届いたところに住んでいるはずだが、そうでない人ももちろん多いので、誰にも気付かれずに亡くなっていく。孤独死するのは老人ばかりとは限らないけれど、おおむね、僕たちはそういう人たちが亡くなった後の部屋を整理することを、日々の仕事にしている。
 僕らは何歳で死ぬことになるのか。それはまちまちだろうけど、同い年が六十万人いるとすれば、平均的には年に六十万人が無くなることになる。いや、今の老人世代は、僕らの三倍いるのだっけ。どっちにしろ、その中の何割かは死後何日も経ってから大家や警察に発見されて、僕らのような業者が後始末して、生涯を終えるようになっている。
 その日は、午後六時に上司から連絡があって、今日中にもう一件回って欲しいと頼まれてしまった。頼みといったって、業務命令だ。ちょうどミハイルと僕のふたりで二日がかりで担当した現場が片付いたところだったので、帰りたかったが許されない。チームのメンバーは、作業中か仕事が終わって端末をオフにしているかのどっちかで、仕方がないので、二人で赴くことにした。
 到着すれば、明日にはリフォーム業者を入れて改装してもらうから、今日中に清掃して汚れを落として欲しいということだった。ミハイルが、その業者にやってもらえよとか、リフォームじゃなくて解体して建物ごとゴミにしろとか、母国語で憤慨していたが、身勝手な段取りに文句をいっても変わらない。
 防護服に身を包んで室内に入る。運よく、ゴミが溢れて積もっているような部屋ではなかった。ただ、猫だろうか、小動物の死体があった。警察は人間の死体しか興味がないらしい。手を合わせて、それから片付けをはじめる。すると、猫の霊が幽体離脱したようにふわりと黒い影が浮かび上がってきた。蠅の群れ――ではなかった。猫の霊のアニメーションは顔を僕の方に向けて笑い、四散したかと思うと、黒い影が蝶のような形をとり、カラフルな、非現実的な模様の羽を持った蝶が羽ばたいて、胴体がメタモルフォーゼして人間の少女の姿をとって飛び回ったかと思うと、空気に溶けていった。
「不謹慎だぞ」
 ミハイルを叱る。〈王国〉の絵を加工して、メッセージ用のキャラクターに流用したのだろう。個人間のチャットの映像だから、手間かけて調べないと業務記録といってもすぐバレるわけではないが、目をつけられたら面倒だ。それに、動物でも人間でも、僕は死者を弔う気持ちをもって作業しているつもりだ。奥には住人が最後の時に寝ていたらしい布団が敷かれていた。
 今のところ警察が対応したあとに現場に入ったことしかないので、僕は人間の死体を直接見たことはない。今回も死者はいないけど、さっきと同じように手を合わせて黙祷した。
 隣で、ミハイルも十字を切ってくれたいた。

なんとか片付けると深夜を回ってしまったので、会社のトラックでそのまま帰った。途中で夕食とアルコールを買って、店員に嫌な顔をされる。自分たちの鼻は麻痺しているが、きっと臭いがあるのだろう。部屋の近くに路上駐車して、三階まで階段で上がる。ふたりでシャワーを浴びて、昼の臭いを落とす。ようやく、これで食事にありつける。残念だけど、今日は〈王国〉を見る時間はないだろう。
 夜風と共に、外から騒ぎ声が聞こえてきた。日本語ではない。ここに住んでいる日本人はほとんどが静かに暮らす老人たちで、僕のような若い世代も積極的に他人と交わろうとするものは少ない。夜遅くに広場や駐車場に集まって騒ぐのは移民ばかりだ。
 ベランダの窓を閉めようとソファから腰を上げたところで、床に敷いたクッションに座っていたミハイルが悪態をついて先に立ち上がり、屋外にも持ち出すゴツいスピーカーに「Immigrant Song!」と命じて、外に音を響かせるように窓際に置いた。もちろん大昔の原曲じゃなくて、ミハイルが好んで聴くコサック・ガイノイズとかいう大陸のグループのものだ。部屋の中ではプロジェクタが壁にビデオを映す。ハイヒールを履いて、メタリックで黒ずくめのドレスで踊るガイノイドに扮したボーカルが、キングコングを繋いでおくような鎖を手に振り回しながら甲高いテノールで叫ぶ。
 俺たちは氷雪の大地からやってきた!
 ボリュームはMAXだ。
 鳴り響く爆音の隙間を破って、外の連中の罵声が届く。ミハイルは意に介さず、リキュールを缶から直接飲んだり、曲に合わせて頭を振ったり奇声をあげたりする。
 網戸になにか当たって、ベランダのコンクリートに金属が跳ねる音がした。空き缶だろう。僕はスピーカーの音を消して、窓を閉めた。外の騒ぎは聞こえなくなる。幸い、二投目は来なかった。空き缶ならまだいいが、ガラス瓶でも放ってこられたら後が大変だ。最悪、窓が割れる。
 ミハイルは不満げな顔を僕に向けて、音楽の続きを再生させる。会話ができるくらいの音量に調整されて、次の曲が室内に流れる。僕はソファの上で俯せになって伸びた。座面を背もたれにしているミハイルの頭と、顔が近づく。
「あいつら、ハイブリッドだな。全身じゃないとしても」
 ぜんぜん、気づかなかった。というか、周囲にハイブリッドがいるという発想がなかった。
「なんで、わかるんだ」
「三階のこの部屋の窓まで、あそこから何十メートルあると思う。ボールじゃないんだ、生身だったら普通は正確に飛んでこない。金回り、いいんだろうな」
「ハイブリッドになんか、なりたかったのか。キモチ悪くないか」
 まさか自分のパートナーがハイブリッドに憧れを抱いているとは思ってもいなかったので、詰問口調になってしまった。そういえば、海外では日本と違って裕福な国では一般人、民間人にも浸透してきていると聞いたことがある。
 しかし普段、話題にしたことはほとんど無かった。国内には、存在しないも同然だから。
「民間人のハイブリッドなんて、見た目も未改造の人間と変わらないよ。特殊な環境で働く人や、軍隊なんかはまた別だけど。怖いの?」
「うん。あの事件当時は、中学生だった。ニュース映像も覚えてる。ミハイルも、日本に来てた頃だよね」
 十年前までは、日本もハイブリッド技術を推進していたのだ。しかし、研究中のハイブリッドの男が暴れ出して、玉川橋を破壊する事件があった。男は、橋の両側から機動隊に囲まれ、その場で銃殺された。その時の痕跡は、いまの玉川橋には残っていないけど、多摩川近辺の住人からしたら、忘れられない恐怖だろう。
「研究の初期に何かあったって、今、他国のハイブリッドで暴走事故なんて起きてないよ」
「身体の中を機械に置き換えるのも不安だよ。絶対安全なんてないだろ。自分の身体がコントロールできないどころか、機械に振り回されるんだ」
「事件なんてその後起きてないって。それにハイブリッドの方が、仕事でもなんでも有利だよ。CPUも交換するし、OSもアップデートする。ちゃんとやれば、技術革新で古びたりしないし、バグは早期発見で潰される。生身の人間なんて、そのうち置いてかれるよ」
「どこから?」
「世界から。身体の中に、機械が入ってくるのは嫌なのか」 
「なんか、異物じゃない、機械って。身体の中にインサートされるわけだ。普段の生活で意識しないとしてもさ。異物を嫌うやつ、異物が侵入してくるのを嫌いな奴が多いんだよ、この国の人間には」
 移民だって同じだ、と思った。総人口九千万人のうち、移民は一千万人を超えているはずだ。国際的な定義では。ミハイルのように肉体労働で働いている人だけじゃない。都内のオフィスも、地方の畑も工場も、接客業、研究者、スポーツ選手、芸術家、なんなら政治家。あらゆる場所で移民とその子供が活躍していても、多くの人にとって余所者だ。
「想一は、異物が嫌いなのか」
 ミハイルの大きな手が僕の背中に触れて、臀部へ降りてくる。
「好きだよ、ばか」
 その手は機械じゃないし、そういう話をしてるんじゃないよ。でも、もしかしたら同じことなのかもしれない。

翌日は、広めのゴミ屋敷にチーム全員で乗り込んだ。
 じっさいにそこは立派な門構えに広い庭と蔵まである屋敷で、市内に点在する、二十世紀の戦争よりも前からずっと続いている家系の邸宅だった。人口二百万人の玉川市だ。僕らみたいな狭い集合住宅に住んでいる人ばかりではない、豪邸だって存在する。その、今ではすべての部屋を使っているわけではないらしい屋敷の、先日亡くなった曽祖母の部屋をきれいにして欲しいというのが今日の依頼だった。ホスピスで医療スタッフに見守られて亡くなったそうで、部屋に汚物があるわけではないのが幸い。ただ、模型に本にぬいぐるみに人形に今では再生手段がない円盤、さらに山のような衣装が、八畳の部屋三つと蔵から溢れている。
 それらは今さら金銭価値を勘定する気もないのでゴミとして始末して構わないということで、四人で一気に片付けてトラックの荷台に放り込み、ゴミの重量で壊れたアンティークの家具と、親族にも未知な証書類をその下から発掘した。家具も荷台に詰め込んで、発掘した書類だけを手渡して引き上げた。
 その日は他の仕事が無く四人で作業できたおかげで、日が沈む前に終えることができた。廃棄物処理場を回ってから多摩川沿いにある会社に戻っても、まだ明るい。
 事務所を出てから、ミハイルと僕はそのまま帰宅せずに、多摩川の河原を西日を背にして下流へと歩いた。夕方の散歩で、犬を連れて歩いている人が目立つ。草地がドッグランになっていて、犬たちが楽しそうに走り回っている。
 今日は、帰ってから〈王国〉のための時間がとれそうだ。
「いつから、描いていたんだと思う」
 並んで歩くミハイルに訊いた。まだまだ目を通せていない絵が多いけれど、〈王国〉どれも素朴な線の上から丁寧に塗り分けられていて、作成にかなりの時間がかかっているはずだ。
「一日中描いていたって、何年もかかるボリュームだよ。ゴミ屋敷になる前でないと、室内で描けるとは思えない」
「それか、描くこと以外を放棄して、描きながらゴミの中で埋もれていったか。ストーリーもあって、一枚一枚、構想していくんだから時間かかるよね」
「壁に貼っていただろ。それなりには片付いてないと無理」
 それもそうだ。数年かけて〈王国〉を築き、数年かけてゴミの城を築いていったのだろうか。すべて、独りで。
「ぜんぶ、頭の中で考えたのかな。部屋の中で」
「参考にしたものは、あっただろうけどね」
 たとえば、漫画や映画、既存のアート? 詳しくはないが、独特すぎて思い当たるものがない。あるいは、モデルになっている少女がいたりする? そういえば、スケッチブックには、いろんな写真や絵を切り貼りしただけのものもあった。雑誌、書籍、絵葉書、雑多なスクラップ・ブックだ。特定の何かを模倣したのではなく、寄せ集めて、自分の妄想を組み立てたのだろうか。
「すごい、想像力」
「うん。いや、そうじゃない。ちょっと待って」
 ミハイルは立ち止まった。直立したまま、何か探しはじめる。今、視界から多摩川の風景は消え去り、別の何かが見えているはずだ。待っていると、僕の視界に〈王国〉の絵が一枚オーバーラップしてきた。
「その絵、ここから見た風景だ。画角、調整して」
 送られてきた画像は、ゆったりと流れる大河の左岸からの風景で、下流に尖塔が何本も伸びる街が見える。対岸の遠くにも同様に尖塔が林立している。大河には橋が掛かり、子供たちが行列をつくっている。空にはあのクジラ。
 正確なパースで書かれた絵ではないから、そのままでは重ならないけれど、ミハイルの言いたいことは分かった。
「二子玉と溝ノ口? 」
「おそらく。他の絵の風景も、この辺りのものかも。帰ったら、そういう目で調べてみよう」
 ひとつ調べ方のヒントを得て、今晩の作業が面白くなってきた。
「近所から、どこまで広がるかな――部屋にあったやつ、全部は撮影できてないよね」
「時間も限られていたから。壁に貼られてたのは剥がしながら撮ったけど、スケッチブックは諦めたのもある。そうだ、管理人に聞いてみようか。もう捨ててしまったかも知れないけど」
 ミハイルが端末を取り出して、管理人に連絡を入れる。仕事で入手した情報を、個人端末に残すなって。連絡がついたらしく、スピーカーの音量を僕にも聞こえるようにして、話し始めた。
「あのスケッチブックですか、警察の方が来られまして、たしか清掃いただいた二日後ですか。証拠物件ということで、持って行かれましたよ。なにか事件に巻き込まれていたんですかね」
「遺体を運び出した時の方は、名刺もらっていたんですけどね。その時の方は、名前も忘れてしまいましたね、私服の方でしたけど。そういえば、清掃業者についても聞かれたので、おたくの会社の名前、伝えておきました。そちらにも訪ねて行かれるかもしれませんよ」

3.
 会社に、警察のことを訪ねてみたけれど、とくに何も連絡は来ていないということだった。何もなければ、僕たちが忘れるのは速い。昼の仕事をいかに早く終わらせるのかが、二人の関心ごとになり、そのあとの時間をいかに確保するかが重要事項になった。
 市内の地図と〈王国〉の画像データを比較する作業がはじまった。
 何枚もの絵に登場する大河は多摩川であり、近くの、妖精少女たちが飛びまわる緑豊かな渓谷は等々力渓谷、空を貫く尖塔が立ち並ぶ街並みは、二子玉川と対岸の溝ノ口。地上を戦車が、空を武装した妖精少女が列をなして行進する街道は、246と首都高速だとミハイルは見抜き、左右の風景から場所まで同定させた。この左右にも街道が伸びているのは環状七号との交差点だ。
 また、ローマ水道のような地上から見上げる位置の石造りの水路と、地下水路が交差する土地の物語が何枚も続く連続した絵物語では、それぞれに魚や人魚が泳ぎ、鮫と思しき凶暴な魚が遡上してくるのを少女たちが銛を持って退治しようとしていた。これもミハイルが下北沢ではないかと言い当て、地図の画像とマッチングさせたら周囲に描かれている市場や劇場まで、ぴったりだった。私鉄が二路線交差して高架と地下に走る、元気なお年寄りの憩いの街だ。街の風景を借りてきているというよりも、正確な再利用という気がしてきた。
 下北沢の鮫との戦いは十五枚の絵と三枚の文章で語られていたが、もっと枚数がかかっているのが、大河で橋をめぐる攻防だった。兵隊と少女たちの骸が画用紙いっぱいに横たわる絵があったりする、激戦だ。多摩川にかかる橋は何本もある。玉川市と川崎市を結ぶ橋だけで何本あるんだったか。
「この戦いが一番長そうなんだけどさ」
 極薄のディスプレイを、テーブルの上に二枚広げたミハイルが言う。左に地図に市街地の立体画像を表示させて、右に〈王国〉の画像。横に座って、問いかけた。
「多摩川だろ。場所、分かりそうか」
「おそらく特定できた。玉川橋なんじゃないかな。河幅の広さ、対岸のドラゴンや怪鳥の群れ」
「河幅は分かるけど、怪鳥って」
「飛行機だよ、羽田。ドラゴンと怪鳥って軍用機なんじゃ」
「ずいぶん具体的な話だな。ほかの、246の行軍や、砧公園の空中戦も、実際の日本軍や米軍だって話になる?」
 ものすごく急に、現実的な話になってきた。
「うーん。あのへんで、軍事パレードがあったとか、戦闘があったとか、なんか記録ある?」
 そんなものは無いだろう。軍事パレードは見にいったことあるが、都内の、それも本当の中心部でやってたと思う。まして国内、都内で戦闘なんて、世界史で習ったニューヨークじゃないんだ。
 ミハイルは細かい文字の並んだ紙を表示した。数字やアルファベットの羅列。文になっているところは基本的に英語のようだ。さらに僕がテキスト化したデータをその上に重ねてきた。おおむねデータ変換はできているようだ。
「この絵と一緒になってる三枚のテキストの一枚だけど、これだけぜんぜん物語じゃない」
 物語を楽しむ方向とは真逆な話になってきて、僕はこの話題にあまり乗り気ではないけれど、最後まで付き合うつもりで、拡大されたテキストを見た。
「数字、2042って年号かな」
 数字を読む。
 204210030005 ――10月3日の0時5分? 
 10.3が何の日かくらいは、僕でも知ってる。
「シリアスな話かもしれない。玉川事件だ」

そこからは、複数のテキストを跨る暗号解読だった。複雑な暗号ということではなかったと思う。ただ、物語の中に埋め込まれたテキストを発掘して、読める言葉にして、正しい順番に並べる。自宅のAIの言語処理では非力だったので、ネットワーク接続して抽出したテキストデータだけを渡して解析した。
 辺里崇氏が〈ゆがんだ王国で〉の中に埋め込んだ裏の物語は、こういうことだ。僕たちが学び、信じている玉川事件は虚構で、隠蔽された真実がある。
 辺里氏はこう書いている。一年間の虚偽の報道を流し続け、真実を知るものを逮捕するか消すかして、三年かけて人々に事件の記憶を薄れさせ、四年間の教育と放送、報道で真実はこの世から消されてしまった。この文章を書いたのは、事件から足掛け八年後ということだ。
 2050年。2年前までの辺里氏は、しっかりと意識を保ち、〈王国〉に向き合っていたのだ。彼の語る真実というのは、こういうことだ。
 自らを改造したハイブリッド研究者である男の、制御機構が壊れ暴走したというのはまったく嘘で、そこで暴れたのは一人ではなかったし、ハイブリッドは少数であり、リーダーは女で、そして外国人だった。2020年代後半に始まった、世界的な人の移動の加速は移民や難民の受け入れに消極的だった日本にも、抵抗し難い外圧となって押し寄せ、徐々に、受け入れが進んでいった。かつて、二百万人を超える程度だった人数は、今や一千万人に達している。それに対して、もともとの日本人人口は一億を割り、九千万を割り、今や八千万人である。労働力を欲する勢力と外国人を排斥する勢力は対立しているだけでなく、重なってすらいたのだが、今や日常生活を維持するためには一千万人の移民の活力、労働力は必須となっている。それでも排斥を求める人々の気持ちを反映した政策が生み出したのは、20年代までの収容所や集合住宅のゲットーのように、外国人労働者を隔離、収容することだった。
 そのために作られた街のひとつが、玉川市だ。人口二百万人という都内有数の密集地域は、高齢化した以前からの住民をそのままに、他地域からの貧困層の高齢者と東京都内や川崎市で働く移民労働者の多くを収容した。
 自由な選択として住処を決めたのではなく、そこに住まうように促されてきたのだ。市制が始まったばかりの頃の街は急速な人口増で従来の住民との対立もあり、治安も悪化していた。
 そして、2042年に暴動が起きた。
 これが、単に一部の移民労働者の暴動ならば、警察が動員されて鎮圧しただけのことだ。しかし、暴動の首謀者はハイブリッドの女性で、某国の(辺里氏の記述でも、ここは明らかにされていなかった)雇った軍人であったため、警察の武装では対応できないため、軍隊の出動が必要となった。軍は鎮圧にあたって、移民労働者も対立していた日本人も無差別に銃殺し、それでも制止できなかったハイブリッドを外交ルートを用いて武装解除した。
 設立間もない軍としては、市民に銃を向け、無差別に殺害したという事実は公表できない者だった。報道管制などあらゆる手段を用いて隠蔽し、偽のニュースを政府自ら大量にばらまき、海外の報道をネットから遮断し、教育を徹底した。
 この隠蔽工作に同盟国も協力したが、その見返りとして、ハイブリッド研究の第一人者である、辺里晃――私の弟――を国外へ亡命させること、研究中のハイブリッド技術の権利も合わせて移管することが要求された。
 玉川市の治安も、移民の扱いも改善され、より一層多くの移民を受け入れられるように日本もなってきたが、「いつ暴走するか分からないハイブリッド」を忌避する感情を植え付けられてしまったのが、50年代の日本ということだ。

辺里崇氏の〈王国〉作成の裏の動機を知ってしまってから、僕たちの関係はぎくしゃくしたものになっていった。ミハイルは、知ってしまった事実を周囲の移民たちや日本人にも、伝えるべきだと主張した。自分と縁のある人間も、その時に殺されているかもしれない、こんな不正義を許すなということだ。
 対する僕は、もともと惹かれていた辺里氏の絵物語を、単純に楽しめばいいじゃないかと言って、ミハイルの不興を買っていた。いまさら十年前のことをほじくり返しても、無関心か、せいぜい陰謀論にハマる可哀想な人扱いしか受けないと思ったし、自分でも、そういう感心しか向けられなかったからだ。
 お互いに、まだ見切れていない〈王国〉の物語は最後まで見て理解したいという気持ちはあったから毎晩の分析を続けていたけれど、これが終わった時に、ふたりの関係が終わりそうな気がしていた。
 読んでいくと、〈王国〉の物語には、まだ辺里崇の予言のような言葉が残っていた。

私が死んだ時、〈ゆがんだ王国で〉に描かれた物語は、現実世界へ浸出していくだろう。人々の視界の中には少女たち、兵隊たち、ドラゴンやクジラが現れることだろう。トリガーが掛かったら、誰にも止めることはできない。

そして、その言葉どおりになった。

僕の視界には、いつも〈王国〉を守るために戦っている少女たちが走り回り、武装妖精が飛び交うようになっていた。トラックを作業現場にむけて運転していると、対向車がロケット砲を構えてきた。信号待ちで何気なく上空に目をやると、クジラが浮いていた。作業中は会社のコンタクトで業務記録を撮っているが、作業現場以外では、仕事の移動中でもプライベートのコンタクトを嵌めている。休憩中に見たものまで、会社に取られたくないからだ。
 ニュースでも扱われるようになった。ミハイルと僕だけの現象ではなかった。予言の言葉は本物だった。
「日本中、少なくとも都民が日常的に見ているんだ。この現象の意味を伝えれば、みんな聞く耳持つぞ」
 ミハイルはそう主張する。でも、そんなのは、みんなが理解するようになれば政府がぜんぶ隠蔽するに決まっている。世の中そういうふうに出来ている。
「過去にこだわって、面倒を増やすなよ」
「過去にこだわって何が悪い。過去と戦って何が悪い?」
 〈王国〉のデータもだいたい目を通してしまって、今では玉川市のどこを描いたものか(ときには対岸の川崎や、東京の別の区や市も描かれていた)、どのような含意があるのか、テキストを読まなくても想像できるようになっていた。でも、僕はその仕組みの複雑さを楽しむだけで、何か行動を起こそうとはまったく思っていなかった。
「戦うって、何と戦うんだよ? 〈王国〉の武装妖精みたいに、この国と戦うか?」
「ああ、それもいいね!」
 そう言い捨てて、端末などの大事な私物と、飲もうとしていた酒だけは忘れずに手にして、ミハイルは部屋を出て行った。

4.
 翌朝になっても、ミハイルは帰ってこなかった。
 しかたなく、僕は会社に連絡を入れ、ミハイルは今日は休みだと伝えた。現場は、チーム全員で取り掛かる予定だったので、ミハイルがいなくても大きな支障はないはずだ。自分も休んで探しに出掛けたかったけれど、それを許してもらう余裕はなかった。ところが、意外な答えが返ってきた。
「ミハイルとの契約は本日付けで終了することになった」
 契約終了って、要するに解雇だ。移民の首はいつでも切れると思っている。
「突然すぎますけど、理由はなんですか」
「業務規則違反」
「クビにするような違反って、何です」
「チームメンバーの管理はリーダーの責任だ。他にも何か出たら、君の責任も問われると思っておけ」
 説明抜き、これ以上追求するなら同罪だとほのめかされる。さっさと今日の現場へ向かえと言われて、了解する。
 夜になってから、ミハイルを探し回ることになった。仕事がなくなったからといって、姿を消すことはない。何か、消える理由か、消えた理由があるはずだ。
 私鉄で新宿へ行く。繁華街を歩いていると、視界に〈王国〉の妖精が飛び込んでくる。もちろん、ミハイルのいたずらではない。先日から空間に漂ったまま、むしろ増えつづけている。ローカル・ニュースで取り上げられてもいる。日常的に僕らが使っているコンタクトは、一般のネットワークにそのまま接続している。フィルター無しで無防備に街を歩けば広告が山ほど飛び込んでくるし、対面での会話も、付加情報を視界にいれながら話している。〈王国〉の妖精やドラゴンは、今のところフィルタで非表示にはできなかった。
 よく二人で飲みにいっていたバーに顔を出す。店長や顔見知りの男に訊いても、顔を見たものは誰もいなかった。
 その日、ミハイルからの連絡はなかったし、こちらからメッセージを送っても応答無しのままだった。見てもいない。
 脳裏に「トラブル」という言葉が浮かぶ。移民の命なんて、何とも思っていないものもこの国には多い。個人でも、組織でも、だ。
 ミハイルが業務規則違反が問われるとしたら、現場の撮影くらいで、外部に公開していなければ発覚しないし、もし業務記録を調査したとしても普通は問題にもならないだろう。ただし〈ゆがんだ王国で〉の少女たちが、ネットを乱舞して、視野に日常的に割り込んでくる今は、そうはいかないかもしれない。ネットに撒いたのはミハイルでも僕でもないけれど、間違いなくミハイルが整理した辺里崇氏の部屋にあった遺産のようなもので、では、誰がやったのかということになる。

その日も、同じバーに顔を出した。明日は仕事がない。一晩中、思い当たるところを訪ね歩くつもりだ。しかし、どこにもミハイルの情報を持っているような者はいない。
 深夜を回ってから、スポーツバーに入った。ヨーロッパのサッカーを生中継していて、週末だからか大勢の客が入っている。生身の人間がボールを奪い合い競い合う姿を日本人も外国人も一緒になって盛り上がっている。よく見れば、外国人の中にハイブリッドがいることが分かる。入国審査にハイブリッドを拒否するルールはないはずだが、東京ですら、メンテナンスは高価なはずだ。僕よりは、よほど稼いでいるのだろう。それにしても、かれらは、アスリートたちの戦いの何をを楽しんでいるのだろう。
 ミハイルと来たことはあったけれど、周りを見渡して知った顔はなかった。一緒に騒げる気分ではないので店を出ようとしたところで、モニタに映っていた中継が止まった。
 政府の緊急メッセージだ。ただの臨時ニュースとは異なることが、画面を囲む真紅の枠線と「緊急」の文字でわかる。客は皆ブーイングで答えるが、強制的な流している放送だから、消えたりはしない。全ての衛星、ケーブル、地上波に流しているのだろう。

先日からネットワーク状に発生している少女、妖精などのグラフィックによる空間汚染を排除するために、一般回線によるアクセス、特にコンタクトレンズの使用を72時間禁止します。ネットワークの利用は、企業等のプライベート回線に限定してください。プライベート回線も一般回線上に展開されているために、一般回線を停止させることはできませんが、個人的なアクセスは全て監視されています。緊急措置に従い、一般回線の利用を72時間行わないでください。

つづいて英語によるアナウンス。北京語、韓国語、ポルトガル語等々がサブ音声で同時に流されてくる。各自でフィルタをかけて、自分の聞きたい音声だけを聞くようにしているが、おおむね外国人たちは無視している。
 しかし、日本人客はおとなしくコンタクトを外した。放送の再開を黙って待っている。中継を見ながら、細かいデータを見たり、仲間とチャットしたりしているものもいると思うが、全部中断して、従順に従うらしい。
 冗談じゃない。僕は〈王国〉のものたちと一緒に、街を歩いた。

72時間後、まだ〈王国〉はネットワーク上に存在していた。緊急事態は継続中で、結果的に日本社会は半分麻痺したような状態になっていた。会社支給のコンタクトを使えと言われて、仕事以外の時間も受け入れるお人好しはあまりいない。自分がどこにいて、何を見て、誰と会ったのか、記録されたくはないだろう。だからといって、一般回線の使用禁止に素直に従っていたら、生きていけない。多くの住人はコンタクトを装着したままにはしないものの、適度にアクセスしていた。
 〈王国〉は広がりを見せていた。空高くには大型の生き物――ドラゴンやクジラが浮かぶようになり、低いところを妖精が飛びまわり、地上を兵隊が闊歩する。広告のように、自分のフィルタ設定で排除できるものではないから、生き物たちの姿は見ないわけにはいかない。
 周りに聞いた感じだと、都内よりも玉川市内のほうが〈王国〉の密度が濃い。ミハイルと描かれた場所を探った絵が、そのまま現実世界と重なって見える。技術的には、ネットワーク上に分散しているウィルスの類だと思う。最初の発生から一週間経過しても駆逐できないということは、出所が分からないとか、未知のものなのだろう。
 そんな中でも、仕事は途切れることはなかった。ミハイルが切られた分は補充されずに、残りのメンバーでやりくりしている。行方不明のミハイルの情報を街中とネットの両方で追いながら、仕事は続いていた。
 梅雨の雨が降りしきるその日、僕は、借主が長年失踪中だという部屋の整理を依頼された。一人で対応することになった僕は、現場で大家に鍵をマスターキーを借りて、念のため防護服に身を固める。ドアを開けると、嫌な予感がした。
 長年失踪していての依頼であれば、なまものが腐っているようなことは無いと思っていたが、むしろ、死の予感がした。蒸し暑い、梅雨の季節だ。何かあればすぐ腐っていく。生ゴミや糞尿の類は何もなかったが、衣類とか、ペットボトルが乱雑に積まれているのを避けながら、奥に進む。
 部屋に入ると、腐った肉の臭いがした。防護マスクがあってもフィルタから侵入してくるかすかな臭いは慣れることができない。
 黒い塊が、そこにあった。肉は人の形を留めていないが、人間の骨格をしていた。大柄で、おそらくがっしりした体躯だったのだろう。
 腐乱死体をじっさいに目にしたのは、その時がはじめてだった。
 蠅と妖精が、腐った有機物のうえを乱舞していた。
 服を着ていた。胸のポケットにカードケースが入っている。金属製のそれを取り上げると、中身を確認した。確認する前に、見当はついていた。原型を留めていなくても、分かるものだと、状況を俯瞰して醒めた目で見ている自分がいた。
 IDカードが入っていた。ミハイルのものだ。
 もちろん、僕が今見ているものは全て業務記録として撮影中だ。ミハイルを発見したことは、会社もすぐ気づくだろう。
 そうじゃない――むしろ、この部屋の仕事を敢えて与えたのだと悟った。ミハイルの死を、謎の? 不慮の? いや、何者かに殺されてしまったミハイルを見せるために。僕への警告として。
 会社が、殺したとは思えない。利益にならないからだ。ならば?
 今の僕には想像することしかできないけれど、想像の向かっている方向は間違いない。〈ゆがんだ王国で〉の広がるきっかけを作ったのは、たまたま部屋の清掃を担当しただけだが――ミハイルだ。僕らのやっていた分析が、それ以上に何かトリガーになっているのか、まだ分からない。つまり罪があるのかどうかも不明だし、今のネットワークの状態が罪なのかも不明だが、ミハイルはまちがいなく殺されたんだ。警察か軍かもっと他の組織か、何もかも想像だけど。

最後まで、この部屋を片付けたい。そして、ミハイルの遺体を、できるかぎり、きちんとした形で葬ってもらいたい。しかし、そのための呼ぶことになる相手は、おそらく敵なのだ。
 僕は白いタオルを一枚取り出して顔に掛け、手を合わせて祈った。
 形見のIDカードだけを持って部屋を出た。防護服を脱ぎ、会社のコンタクトを外し、トラックの中にすべて置いてそこを離れた。会社との接続はすべて断った。
 自分のコンタクトを装着すると、〈王国〉がそこに広がっていた。妖精たちが誘っているようだ、ミハイルのところへ来いと。行くよ。ミハイルの待ってる天国ではなく、ここを、かれの望んだ世界にすこしでも近づけられうように、街の中へ。
 誘いにしたがって、僕は戦場へ向かった。

(了)

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