果てる星

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梗 概

果てる星

 まえに調査員が「植民可能」と連絡のあった星に移民船が近づいた。それまでの植民予定星が、実際には条件が厳しく残留者が多かった。
 その調査員はしばらく星に滞在することを選択し、定期報告があったが、徐々に連絡は途絶えていた。
 上空からの観察でも活動はなかったが、町のようなものがあった。調査係の中年男マートが着陸艇で降り防護服で町を歩き回るが、動くものはいない。
 まえの調査艇には誰もいない。ひとりで来た、まえの調査員エドムが、映像記録では数人の女性や子供といる。
 調査艇を出ると人間のような形のものが集まってきた。防護服のマートをみるうちにどんどん人間らしくなっていく。質問するとオウム返しするのみである。男のようでも女のようでもある彼らは町の廃墟に動いていく。やがてすっかり人のようになった彼らは道路をきれいにし店を開けた。マートに、自分たちはあなたのためにいるという。
 エドムの映像をはじめから確認する。もとからいる生物について語るが、人間にしかみえないものたちが多く映るにつれ語ることが少なくなり、報告もしなくなっていく。やがて、女性と子供たちが映りこみ、自分の家族だと言っておわった。
 もう人間にしか見えない町の者たちは、会話や行動も非常に共感力が強く、マートも、人間を相手するように相手し、防護服も脱いでしまう。好みの女性形にアンと名付けた。移民に似た娘がいたが口もきいていない。
 移民船からは報告の要求がくる。着陸艇に入り込んだアンが邪魔でまともに報告できない。別室に隔離して載せたまま、着陸艇を帰還させる。防疫隔離されながら報告するマートに地上の観察映像が示される。町は動きをやめてしまっている。
 あらためてマートを含めて数人の調査係が町に降りた。町はふたたび動く。非常に愛想いい町の者たちは、ひとりの調査係には愛想がない。その調査員係」は大動脈解離で急死する。
 つよい探索装置で町はずれの丘の斜面からエドムの反応があった。死骸にレコーダが残り、死にそうだ誰も寄ってこないここに放置された、とあった。
 マートは推定する。この生物はそのときで最もすぐれた生物を擬態し、その環境まで作ってしまうが、モデル生物がいなくなると姿や動きを保てない。死の近いモデル生物は排除される。
 町の者たちは妨害するがマートたちはなんとか移民船に還る。
 アンを解析して、この生物は、モデル生物からの肉体的刺激を利用して単為発生するもので、人間と子供など作れないのがわかる。アンは検査室から逃げ出し顔も変わり、移民たちに町が待っていると呼びかけていた。船内にうんざりしていた多くが、状況を説明されても、町に降りて行った。アンの似た娘もそのなかにいた。
 それから後の調査では、移民は残っていなかった。移民たちは移民同士で子孫を残すことなく、生物に利用されてしあわせに高齢化し、死に絶えたのだった。

文字数:1190

内容に関するアピール

 書けるものしか書けないのですが、宇宙にでたら変な生き物がいたというのは書きたくなってしまう題材です。スタートレックのファンなので、何度もやってしまいます。私の特徴のひとつのようです。
 擬態して単為発生する生物、から考えたものです。相手が人間でないので、ドラマが人間側にしか発生しないあたりをどうしようか実作時に考える必要はあると自覚はしています。
 シチュエーションを限って、人間がどう動くか理屈で考える、むかしふうのお話の作り方ですが、いまでもそういう話の需要はあるに違いないと思ってこの話を作りました。

文字数:253

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果てる星

マートはゆっくり周りを見回した。
 この仮想空間に入ってしばらくは、眩暈がとまらない。視覚聴覚、主要部分の触覚のほか、位置感覚のために内耳をいじくるせいらしい。
 仮想の彼がいるのは塀に囲まれた、学校の校庭である。いつも、日に当たりながらゆっくり校庭を横切って、簡単な建物構造の廊下に入る。平屋の校舎のおおきな窓のなかにおおくの人影が見える。
 マートは自分自身、小柄で痩せたを20代の実際よりちょっと老けて大柄に設定している。黒い服を着て、顔はもとがわかる程度に手を入れた。目の前の扉を開けて中に入ると、教室になっている。定時の集合で、生徒に設定されたひとびとがたくさん、机について座っている。教室のうしろのほうは暗く霞んでわからない。
 ひとびとは本来年齢はばらばらなのだが、ここでは10代なかばに本来の容姿を修正されている。
マートは、彼らに、マートの教えられてきた、「本国」の歴史や制度の正統性を、すこしづつ教え込むのである。「学校」で、「主観的にその年齢」なら受容もしやすいだろう、ということだ。その「歴史」が本当のものかは、マートにもわからない。
 生徒に設定された彼らは、実際にはこの長距離移民船で人口冬眠している。冬眠は、かなり低い体温でずっと仮死状態なのだが、ときどき体温をすこしあげなければならない。その間、移民たちは寒さに凍えながら半覚醒で夢を見る。その意識をここにあつめて、夢の中で「再教育」しているのである。
 夢の中であるから、覚醒後はあまりよく覚えていないだろう、それでもいいので、意識下で彼らを従順にしていくのが目的であった。それが本当に可能かはマートにはわからない。移民が強制移住先で「本国」に対する反抗心をみせることがあまりに多いので、その対策法としての仮説に、上の人たちが飛びついたということだったらしかった。
 この移住者たちは、「西の区域」に住む民族であった。マートも民族としては同じなのだが、マートは親とともに、子供のころからその本拠地を離れて「本国」で教育を受けた。母親が「本国」出身だったからだが、「本国」で再婚した母親はマートをあまりかまうことがなく、マート自身は人付き合いも、あまり成績もよくなかったため、技術系の早期教育学校を出て、そのまま移民船の技術者になったのである。移民船には彼も含め、出身の違う三人の乗組員がいるだけである。
 強制移民の直接管理を、「本国」に同化したおなじ民族に担当させるのは、こういう移民集団の制御に、よく用いられる手法であった。マートは、あまり疑いもなく、「本国」による「西の区域」の統治の正統性を語り、おそらく意識としては夢うつつで寒くてたまらないだろう人々は、マートの話を聞き続ける。マートは教室をみわたした。
 髪の短い、きつい目の、鼻の高い女生徒が窓際からマートをみていた。マートは彼女が気に入っていた。冬眠観察システムで顔を見たこともある。現実のデータベースと比べても、彼女は容姿年齢ともにほぼその通りの筈であった。アンという名前であることも知っていた。彼女と目があったのですこし微笑んで、マートは語り続けた。誰にも遮られず話し続けるのは気持ちがよかった。

移民たちがまた冬眠の底に沈み、マートは仮想空間に入るための装具を全身から外して、現実の、狭い接続室から、これもまた狭い船内通路に出た。
 右側には移民たちの固められた冬眠ブロックへのハッチが閉じられ、ハッチのよこに冬眠状態を管理するコンソールがある。マート同様に灰色の船内服を着た、がっしりした体格で中年のキャスが、パネルについた画面で状況を確認している。肩までの黄色い髪の女性だが、肉体的にはマートより強靭にみえる。キャスは顔を動かさずに言った。
「ブランのところに来いってさ」
「揃ってですか」
 返事はなく、軽く肩をすくめるだけである。キャスがマートとあまり会話しようとしないのはいつものことである。彼女が黙ってコンソールから離れ、マートの横を抜けるので、マートは体を壁に寄せなければならなかった。連れだって、その先にすぐある、操縦ブロックのハッチを抜けた。
 前方に立体画面の拡がる、二席が二列の狭い空間である。ふたりがうしろから入っていくと、前側の席の一つに座って画面をみながら、振り返りもせずブランが話しはじめた。
「行先の星が、居住好適という報告を受けているのは君たちの知っている通りなんだが」
 ブランは、やや高齢で、すこし太り、短い髪は白髪である。
「重力やら温度やら大気組成なんかの居住性データはもらっていたんだが、その報告映像が、委員会からやっと回されてきた」
「いまさらそんなものが」
「重い情報は回したがらないんだが、けっこう変な情報で、実際の移民前にいちど調査を入れておけということらしい」
キャスは腕を組んだ。
「調査を入れて、移住の可否の判断はこっちでできるんですか」
「そういう姿勢を見せるのが、記録の上では必要ということだよ」
「あんまりなところにひ弱な連中を放り込むのはいい気分のもんじゃないからね」
 言葉のあまり丁寧ではないキャスは、にやにや笑いながらマートをちらっと見た。キャスは、「北の区域」出身で、「西の区域」の出身者に比べて、体格もずっとよく体力もあった。
 彼女も技術者ではあったが、移民の管理業務が主業務のマートとはちがい、保安警備に仕事の重点があった。マートは、「北の区域」の民族が、「西の区域」に対し、よくわからない歴史的優越感をもっているのはわかっていたが、いちいち反応はしない。何があったかなどやりとりをしたところで、それが本当かもわからない。
 この船の航宙全体を統括するのが「本国」の生え抜きのブランである。彼は、下のふたりの心理的な反発には関心がなかった。距離を置いて牽制しあってくれているほうが面倒がない。
 それ以前に、二人に対する関心自体が、あまりなかった。しょせん「本国」のものではないから、業務上のやりとりが問題なければ十分であり、気分によって距離感が変わる程度のありようでかまわなかった。
 ブランが操作すると、かれらの前に映像が現れた。
 中年の、ずんぐりした男があらわれた。今回の目的星を報告した調査船の中である。かなり前のものになる。
「調査員エド、報告する、この星は、データを見ればわかると思うが、居住には全く問題がない、現住生物も問題がない」
 そこで画面が切り替わり、少し角度がかわった。エドのそばに、町に買い物にでも行くような格好の、やや若い女性がたっている。キャスは訊いた。
「ブラン、エドは家族連れで行ったのかい」
 ブランは苦い顔で応えた。
「そんなわけないだろう」
「現住生物は」
 エドが話している。
「人間に非常に似た形をとることができる、というか、人間だよ」
 女性はにこっと笑い、エドの背に手を回した。
 そしてまた画面がかわった。船内から外にカメラを向けているようだ。
 少し高いところからみている。
「町じゃないか」
 キャスがつぶやいた。
「ここの人々は、俺と一緒にこうやって暮らしている、ずっとここにいる予定だ、ここにいれば何も問題はない」
 エドの声である。平屋が連なり、空は青く、埃のあがる道路を、年齢も容姿もばらばらな人々が歩いている。その前に、さきほどの女性と、ちいさな子供に引っ張られて、エドがあらわれた。3人揃ったところで映像は切れた。
「これで全部だ」
「すでに移民がいたということなのかな」
「そういう報告はない、それに、現住生物とはっきり言っている、まったく変なものをあとから送り付けおって。これがつく少し前に、調査船の発進機構が不可逆的に損傷したという自動報告があったのだよ」
「それについてはなにも言っていないのですか、編集はしてるんだろうけど」
「これでぜんぶで、ここではなにもわからん、まずは、君たち二人がおりて、確認するしかない」
 ブランは、現実的な問題を目の前にして、珍しく歯切れがいい。マートはいつものことだが、口をはさむことはせず、2人のやりとりをみて、最後にうなずいて同意するだけだった。
 ほどなく、移民船は、その星の周回軌道に乗った。

その星でのエドの調査船のありかはすぐにわかった。干上がった海からとおく、まわりからすこし盛り上がった灰色の平地にあり、上空から見る限り、その周辺にはうごくものはなかった。生えているものもないようだった。
 離着陸に差しさわりのない程度に調査船から離して、キャスは平地に着陸艇をおろした。気象に乱れもなく、自動着陸で済んだ。着陸艇は、本来くっついているはずの巨大な移民ブロックは母船にのこし分離しておりてきたので、身軽である。
 外気条件を確認し、防護服を着て頭部シールドをつけたまま、キャスとマートは着陸艇のハッチをあけた。雲一つない青い空だった。
 平地からみわたす。ずっと下りて行ったところに、不自然な凹凸があるようだった。
「くずれた建物に見えませんか」
 マートがささやいた。キャスはなぜか鼻を鳴らし、調査船にむかって歩き始めた。調査船は外からみても問題はなく、調査船の損傷というのは内因性のもののようだ。ハッチは信号に応答した。開いたので、中に入る。誰もいない。
「ブラン、モニターにつなぎますよ」
 マートは、頭部シールドについたカメラをオンにした。ブランに見えているはずである。
「マート」
 耳元にブランの声がきこえた。マートやキャスの頭部に張り付いたモニターから、ブランにもこの状況は見ている。
「これからいうとおりに操作してくれ」
 マートはいわれるままに、操縦席に動いていき、腰の緊急電源をつないで、限定された回路を生かし、マートの知らないコードをいわれるままに入力した。
 ブランは、
「よし、受け取った」
といった。
「何か送ったんですか」
 返事はなく、調査船の奥のブロックから、キャスが戻ってきて、ブランに通信した。
「誰もいない」
 ふたりで調査船の外に出た。灰色の大地が白い恒星の光の下にひろがっている。おなじような高い平地が、むこうにも、いくつもなだらかにつながっている。
「そりゃ大気は大丈夫だし掘れば水も出るんだろうけど、ここを地球化するのか、移民はご苦労だな」
 キャスはそういいながら、頭部シールドをはずした。
「変なにおいもない」
 空を見てキャスは深呼吸し、そのまま防護服の前もあけた。ぴっちりした防護下着が、隆々とした筋で盛り上がっている。船に乗ったはじめ、キャスに、口のきき方が悪いと軽く頬をなぶられたことをマートは苦く思い出した。体力では到底勝てない。
 勝つ必要があるのかまでは考えないまま、目を下の平地にやり、やや遠い地面の凹凸が揺れ始めたのに、マートは気づいた。
「動いていますよ、あれ」
 カメラはオンのままである。
「ブラン、見えてますか」
 キャスはだまって目を下にやった。
 ゆっくり植物が生えるように建物が生える。そして、そのまわりの地面から、いくつもの人影が立ち上がり始めた。
キャスはだまって、着陸艇のそばまでゆっくり後退した。マートは、キャスと、立ち上る人影を見比べながら、ついていった。キャスの方が指揮権上位者なのである。
 ぼんやり立ち上がった人影は、やがてくっきり形をとった。中年や若い男女が、灰色の作業服や、原色の上下をつけて、坂をあがってきた。なかの一人を見て、キャスは息をのんだ。
「父さん」
 そして、表情を戻した。ちらっとマートを見て言った。
「そんなわけないよな、なんだあれは」
「そう、私たちはあなたを歓迎したいのです」
 先頭に立つ老人は言った。
 町はみるみるうちに形を整え、キャスは、人々に向かって歩いて行った。
「父さんにしかみえない」
「キャス、ここにようこそ」
 マートは防護服のまま、キャスが、湧いて出た人々と話をする様子をみていた。

生えあがった町は、前からずっとそこにあったかのようだった。店や居住区が並び、人々が道をあるいている。エドからの画像のものとはあきらかに印象が違った。エドからのものは、もっと木が使われていたし、屋根が低かった。
 キャスは、町におりていき、建物のそばのオープンエアカフェの、パラソルの下に座り込んで、人々と話し続けた。どうやら、キャスの知人や家族、という人達がつぎつぎと現れるようだった。
 マートは、カフェのはずれから、座りもせず、防護服のままそれを見ていた。マートには誰もかかわらない。
 キャスは、もともと感情の起伏がはげしかったのだが、表情の変化は今までよりもさらに大きく、笑い声は響き渡った。
 どうしたものかもわからないままマートが見守っていると、キャスの笑い声はしばらく続き、それは泣き声に変わった。
「なんだよ、あんたらは」
 「北の区域」の言葉である。「本国」と言葉が少し違うのだが、だいたいはわかる。取り巻く人々は、あいまいな笑顔でそれを見守っている。
「あんたらみんな、死んだじゃないか」
 大声を出し、キャスは、目の前の父親をみつめた。
「そう、死んだのだよ、お前のおかげでここにまた在ることができた、お前のおかげだ」
「何者なんだい、あんたらは」
「お前の家族や、友人たちだ、お前の思うままにわれわれはここにいるのだよ」
 父親は、落ち着いてキャスに語りかけた。
 キャスのつくテーブルにコーヒーカップがおかれ、キャスは三極解析端末を、前を開けたまま着ている防護服の腰から取り出して向けた。さすがに無防備に飲むような真似はしない。
「鏡像異性体が多いが問題のない組成だな」
「キャス、召し上がれ」
 キャスは、カップを盆にのせて持ってきたウェイトレスを見あげて、息をのみ、名前を呼んだ。ウェイトレスは頷く。父親がキャスの肩を叩き、キャスは立ち上がってウェイトレスに顔を近づけて、なにかを囁き始めた。そのまま、建物の中にふたりは入っていった。
 これはさすがにまずいのではないかと、マートはパラソルの下に入ってふたりに向かったが、無言のまま人々が背中を向けて並び、マートはその先に進めなかった。
「ブラン、見えてますか、どうしましょう」
 シールドの中でマートは呼びかけた。
「とりあえず着陸艇に戻ったらどうだ」
 力が抜けた。マートは、町を背にして斜面をあがり着陸艇に向かう。いくつかの人影が、ずっと距離をおいて、マートについていった。

着陸艇のなかでマートは防護服を脱いだ。映像を出さず声だけで、母船のブランに話しかけた。
「どうしましょうか」
「いま、エドのデータを解析中だ」
「エドはみつかりませんでしたけれど」
「あの着陸艇のデータだよ、決まってるだろう」
 各宇宙船には、乗組員の動きに関して簡単なログがとれるようになっている。さらに、問題が起こった時は連続記録が残されるのである。あとから変更されないよう、それらを呼び出す仕組みは船によって異なりなかば隠され、権限がないと手が出せなくなっている。ブランがはじめにマートにさせた操作はそれに関することだったのかと、今更にマートは気づいたが、何も言わない。下っ端の乗組員はそれについて何も言わないのが伝統のようなものだった。
「エドといっしょにいたのは、キャスを相手にした、あの連中だろう」
 当たり前のことをいうので、マートは落ち着いた。
「生存に問題がないのもその通りのようだ」
「キャスが行きっぱなしになってしまいましたが」
「まあ、彼女にも、むかしいろいろあったんだろう」
 「北の区域」そのものに何かがあったようにしかみえなかったが、ブランは何も言わない。
「そこでは、そういう、かかわりのあったものが姿を現すようにできているんだな。マート、君にかかわるものはなにもなかったのかい」
「ないです」
「ふむ、いくら君の人生になにもなくても、かかわるものはあるだろうし」
 余分な台詞もいつものことだが、そのあとブランは、すこし考え込む気配があった。
「ともあれ、船外カメラをあの町に向けておいてくれないか」
 夜になり、町は明るかった。
 並んでいるのは、あまり見慣れたつくりの建物ではなかった。マートが子供のころの「西の区域」にも、その後移り住んだ「本国」の都市にも似ていなかった。
 夜が明けても、キャスは帰ってこない。モニターをみると、限られた面積でしかできていない町は、その狭い範囲で、あいかわらずの賑わいのようである。
「キャスのいた建物を拡大してくれ」
 ブランに言われて、マートは光学系をズームアップした。そして気づいた。建物のまわりにいる人たちの形は、微妙にくずれている。
 建物の戸口から昨日のウェイトレスがでてきた。と、そのウェイトレスはあっというまに齢のいった男に姿を変えた。テーブルについている若い男が、ウェイトレスに姿を変えた。
 戸口からキャスが出てきた。防護服はもう着ていない。建物のまわりの人影は、いきなり、輪郭がくっきりした。バスローブのようなものをひっかけたキャスは、ウェイトレスを建物に引き込んで姿を消した。
母船でモニターしていたらしいブランの音声回線が開いた。
「いまのところ身の危険はないようだな、もう一度マートもあちらにいってくれないか」
 これは命令である。マートは防護服を手にもった。
「それはいらないだろう」
 マートからはブランの声しかわからないが、ブランは船内も見ているようだ。
「身軽な方が動きやすい。船内服でいけばいい、装具はつけていくんだ、カメラはもうすこし全体が見えるようズームダウンしておいてくれないか」」
 承知しましたと返事をして、軽い恰好でマートは外に出た。恒星は斜めに輝いている。
 着陸艇のすぐそばにうずくまっていた人影が立ち上がった。
「マート」
 マートはあっけにとられた。仮想の中でしか目をあけて動くのをみたことのない、アンが、笑って立っていたからである。地味な色の布を体に巻き、頭にも回していた。
「ブラン」
 マートは手元の連絡端子に話しかけた。
「私にも、出ました」
「昔の知り合いか?」
「いえ、冬眠してる移民の一人です、その、印象に残った」
「なんでもいい、ちょうどいい」
 最後までマートに話をさせないまま、ブランの声が続いた。
「エドのことをきいてみてくれ」
 なにがちょうどよいのかわからなかった。
「アン、だね」
「そうよ、あなた、マートでしょ」
 本物ではないから何を言っても驚かない。
「アン、エドがどうなったか知っているかい」
「エド、あなたの前に調査船で来た人ね」
「知ってるんだね」
「あなたが知ってることは、私も知ってるわ」
 この言葉をマートはやり過ごした。
「どうなったか知っているかい」
「知らないわ、あなたの知らないことだもの」
「聞こえましたか」
 マートはブランに話しかけた。返事はなく、しばらく待ってマートは接続を切った。
「こっち向いて」
 アンの姿のものが声を張り上げ、マートはそちらに顔を向けた。
「ねえ、いっしょに町にいきましょう」
 アンはぐっと体を寄せ、おなじくらいの背丈のマートは一歩ひいた。マートの期待する、果物と汗のまざったような匂いがした。アンはけらけら笑いながらマートの手を引いた。
 坂をおり、キャスの引きこもってしまったカフェにつきあたって、右にまがって路地に入ると、建物の作りが少し違い、「本国」の様式になっていた。狭い路地の両側に入口が並び、ところどころに、いろいろな年齢の女性が立っていた。
「マート」
 そのひとりに呼びかけられて、マートは心が冷えた。地味な花柄の衣を巻いた中年の女性が呼びかけていた。
「母さん、、、母さんの姿のひとだね」
「そう、よく来たわ」
 右腕にアンがぶらさがるのを意識しながら、マートは答えた。
「ごめん、母さんの姿の人、僕はあまり母さんに会いたくないんだ」
「知っているわ」
 母親の姿の者はやさしく答えた。
「でも、ここなら、あなたにやさしくしてあげられるの、本物のあなたのお母さんじゃないんだから、甘えてくれてもいいの」
 マートはどぎまぎし、アンは、
「ねえ、あとでゆっくりお話すればいいわ」
と耳元でささやいて、また手を引いた。
ちょっと奥の建物は、「本国」で、早期教育学校に加えて移民船にむけた技術研修をうけに通う途中、たまに入り込んだ建物に似ていた。同じ研修を受けるものの中に、そこでは金で相手してもらえると、大声で話しているものがいたのだった。
 中から、母親よりすこし若い姿の女性が戸口に現れた。
「マート、久しぶりじゃないの」
 横ではアンがにこにこ笑いながら見ている。マートは、いくらなんでもここは、と思った。
「久しぶりに、私に相手してほしくて来たのかい」
「今日の相手は私なのよ」
 アンは言い放って、マートの手を引いたまま、その建物のわきの階段を上がり始めた。手入れの良くない木造で、床はきしむ。
 かって何度か通った場所に似た、3階のベッドしかない一室で、二人はすごした。
 ことが終わるたびにアンは外へ出て、しばらくして帰って来た。それを繰り返した。

夜明けごろ、マートがベッドから這い出すと、横に寝ているアンが声をかけた。
「どこにいくの」
「喉がかわいたんだ」
「待って」
 じっとしていると、階段を上がってくる音が聞こえ、ドアがノックされた。
「お茶が入ったよ」
 盆に、深いサーバーをのせて、母親が入ってきた。
「お願いだから母親の姿でこういうところにこないでくれないか」
「大人になったマートの姿がみたいのよ」
 言いながら、母親の姿のものは、サーバをベッドわきの床几においた。そして、空になったサーバをかわりに盆に戻した。
「私は、あなたの心の求めた母親なのよ」
 マートに笑いかけて、部屋を出て行った。
 アンの姿のものは静かにマートに訊いた。
「そんなに違うの?」
 マートは黙って首を振った。アンはベッドから抜け出して、マートを後ろから抱きしめた。
一瞬恐ろしい力で体中が締め付けられるのを感じ、マートはぞくっとした。
 気が付くとマートは、ベッドに横になっていて、アンが、マートの頭を胸に押し付けて寄り添っていた。ゆっくりその顔に目を向けると、アンは、
「ずっとここにいたらいいの、あなたは仕合せに暮らせるわ」
 ここに、連れてきた100人を超える移民を下ろすとどうなるんだろう、とマートは思った。
「そうか、ほかにもいっぱいいるのだったわね」
 アンはおきあがった。

アンとつれだって路地から出ると、カフェにはキャスがいた。おもてに横顔を向けて、何人ものひとたちと大声で話をしては笑っていたが、マートに気づいて真顔になった。
「おい、マート」
 いきなり不機嫌になったな、と、うんざりした気分でマートはキャスに顔を向けた。
「やっぱりお前か、お前の趣味だなそっちの路地は。変な連中がうろうろしてる、せっかくいい感じの町になっていたのに、あんまりこっちに出てくるんじゃないよ」
「戻らないんですか」
「いいんだよ、私はここで楽しく暮らすことに決めたよ」
 キャスはマートに背を向けた。マートは、手元の連絡端子を操作した。すぐにブランにつながった。
「キャスは戻らないと言ってます」
「移民を運ぶのが仕事で、そのあと自分もそこに移民するのは禁止されていないからな、だいたい、帰るだけなら私一人でも大丈夫なのはわかっているだろう、とりあえず放っておいてもかまわない」
 ブランは、あいかわらず取り付く島のない応答である。
「私の仕事も、移民護送官の身辺管理までは含まないからな、マート、すくなくともそこにいる君たちに、命にかかわることもないようだから移民業務を進めようか、君ひとりでいいから戻ってくれ、この仕事に君たち二人もいらないからね、本来、ひとりはバックアップだから、どっちかがいなくなってもいいのだよ」
 余分なブランの注釈をききながらマートは坂を上がり、着陸艇までアンはついてきた。
 さらに、アンは、艇内に入ろうとする。
 マートが外にいる限りは動かないのだが、乗り込もうとすると、その前に足を置いて自分も乗り込もうとする。マートが身を引くと、アンも身を引いた。
 数度これを繰り返し、乗船ハッチの上り口の横に立ちはだかるアンに背を向けて、あらためてマートは連絡端子に話しかけた。
「いっしょにそちらに行くと、その、こっちの人が言っています」
「そうか、まあそうだろうな」
 ブランは驚く様子もない。
「母船まで上がってきたらいい、ただ、すまないが私は解析で忙しいから出ていけないんだよ」
 なんだろうと思ったものの、文句を言うわけにもいかない。
 アンは着陸船に入り込み、操縦席のうしろの席に座り込んだ。
 ハッチにロックがかかり、艇は浮き上がった。町の上空をまわると、ひろい平地の一部だけが町になっていて、移民たちをのせる移送ブロックはその裏におろすことができそうだった。
 そのまま上昇し、視界の地上が球体になったころに母船につながって、連絡ハッチをあけた。通路に入り込むと、ブランのいるはずの操縦ブロックはしっかりと隔壁がおりていた。
「マート、その、お連れをだな」
 壁のスピーカから声が出た。
「医療ユニットに連れていけ」
 全身スキャンとサンプル採取、自動マニュピレータによる各種手術のできるユニットが、遠隔航路船にはおかれる決まりになっているのだった。大き目の人間と、必要な場合介添助手が入れるようにはなっている。アンをそこに入れて、マートが出ようとすると、アンはマートを離さない。
「出ないで」
「一緒にいたらいい」
 スピーカからまたブランの声がした。
「君らのサイズならふたりともそこにいて余裕だろう、おさえこんでおくのにいい」
 ブランの言葉は、つねに命令に相当するのである。マートは仕方なく、アンの体に手を回した。アンは衣を落として嬉しそうにマートに抱き着き、ふたりは直立する狭い寝台の足台に立った。寝台はそのまま横になり、円筒がまわりを包んだ。
 どういう検査をブランが入力したのかはわからない。アンの全身をくまなく調べ、時間がかかって、せまい円筒の中でアンを抱きしめているマートは、すこし眠くなった。
「起きて、ねえ」
 円筒はすでに収納され、もとの直立に戻りつつある台の上でアンに体をゆすられ、さらにキスされてマートは目覚めた。アンはゆっくり体を離して足台から床に立ち、布をまとってマートに微笑んだ。マートは息がつまりそうになった。
 スピーカからブランの声があった。
「ユニットから出て、移民の覚醒に移れ」
 ブランはここを見ているのだろう。マートも床に立って、ユニットから通路に出てから気づいた。冬眠から覚醒させる移民のなかには、本物のアンがいる。
 マートがそう思うとほぼ同時に、こちらのアンは通路を小走りになって、冬眠状態管理コンソールの前に立った。マートがあっけにとられたことに、アンは、コンソールを操作し、冬眠ブロックでの移民たちの覚醒と、彼らを輸送するための移送ブロックの凍結解除を手際よく入力した。
「なんで、できるんだい」
 マートに、アンは振り向いて頷いた。
「あなたの知っていることは、私はすべて知っているの」
 移送ブロックに空気がゆきわたり、冬眠ブロックで移民たちが覚醒するまでかなりの時間がかかった。アンはコンソールを操作して、各移民の全身状況までくまなくチェックし、マートはやることがなかった。
 よほどのことがない限り移民する運命からは逃れられなかったようで、全身状態にまったく問題のない移民の方が少ない。
「本国」にいてよくわからなかったのだが、彼の本来の故郷である「西の区域」からのこの移民たちが、自分たちがもとめて移民になったのではないらしいということは知っていた。ずっと「本国」にいた自分を、すこし後ろめたく思った。情報は「本国」がきびしく制御しており、詳しいことは知りようがなかったのだが。
 移民たちの覚醒が終了し、接続が切られて、冬眠槽から排出される。そこからその数百人が移送ユニットの各人の区分に移されることになる。
 アンは、すっと立ち上がって冬眠ブロックのハッチの前に立った。マートが止める隙もなくハッチが開いた。そのむこうは、数メートル下に冬眠ユニットがずらずら並んでいるはずなのだが、移民が覚醒した今、こちらの足元のレベルに移民たちの頭が数え切れなく並んでいた。全員が固定されているのである。覚醒したばかりの顔が、一斉にこちらを見た。
「諸君」
 アンが太い声を出した。
 驚いて、マートはアンを見た。それはいま、アンではなかった。白い衣をまとった、髭面のがっしりした中年男が、移民たちの視線を集めていた。
 あちこちからその名前らしいものをつぶやく声が聞こえた。
「、、、死んだはずだ」
 そういう声も聞かれ、なんだそれは、などという反応がじわじわひろがっていくところに、中年男は声を張り上げた。
「そう、私は死んだ、しかし君たちの中では死んでいない。君たちのはこばれたこの星は、私にもふたたび命を与えた、君たちとともに、あの忌まわしい「本国」から離れて、ここで生きていこうではないか」
 ドアのそばの、痩せた男が泣き出した。
「あなたとまたやっていけるのですね」
 それは「西の区域」の言葉だった。中年男はひざまづき、黙ってその男の頭をなでた。そして、コンソールに向かった。マートは動かず、呆然と状況を見守っている。
 痩せた男の体が引き上げられ、そのまま男はこちらの床に移ってきた。固定器を外れた痩せた男は、冬眠外装を体にへばりつけたまま、中年男にすがりついて泣いた。中年男は痩せた男の肩をたたき、マートに目をやった。そして男は、ふたたびコンソールに向かって操作した。
 痩せた男をこちらに残したまま冬眠ブロックのハッチが閉じた。移民たちはここから移送ブロックの各人のユニットに運ばれるのである。中年男は痩せた男をつれて歩き始めた。マートは声をかけようと思ったが、どう呼びかけていいかわからなかった。
「マート」
 ブランの声でマートは我に返った。
「各移民はすぐに収容されるから、着陸艇の準備にかかれ」
「状況が理解できません」
「防護服を着られるか、今なら大丈夫だろう」
 通路の端で話し合っている中年男と痩せた男のそばを抜けて着陸艇に入り込み、マートは防護服にもぐりこんで、頭部シールドを閉めた。
 耳元からブランの声がした。
「どういう仕組みかわからん、遠隔共感能力の高い生き物で、目の前の相手の求めるよう姿まで変えてしまうようだ、その地域もそれにあわせ姿を変える。思考も知識も、こいつにはだだ漏れになってしまう。エドからの家族ぐるみのあの報告は、下の星で彼につがった生き物が、勝手に編集して送信したというところだろう、調査船そのものに残された記録からはその程度しかわからんが。君のつれてきた生き物の中には、相似形の単体がべつに入っていた、構造や組織成分から考えて、繁殖のために相手を利用してるんだろう、相手にあわせて自分を変えながらたぶん増えるんだ、マート、君もうまく使われたんだ」
「姿をかえました」
「移民どもの数が多いから、移民の前ではそちらにあわせたんだろうな、思わぬところで防護服を着る余裕ができてよかったんだ、移民どもを運んだあと、そのまままた上がってこれるからな、地元から切り離されてきた連中を放り出すのにちょうどいい場所だ、よかったじゃないか」
 ブランにしては珍しくまともな話が長く、これは説明ではなく、状況を把握したという自慢話であった。
 すこしまだぼうっとしながら、マートは着陸艇のハッチから、防護服のまま、あらためて通路を見た。痩せた男がこちらを見ているので、マートは呼びかけた。
「下の星に降りるから、あんたは、こっちの操縦室に乗ってくれ」
 幼いころに話していた「西の区域」のことばでなんとか声をかけると、あなたもそうですか、と、痩せた男は乗り込んできた。中年男になったかってのアンも、黙って乗り込んできた。
「もうそいつは君のことはわからないんじゃないか、防護服があるとつながらなくなるようだ、だからここからの作業は防護服のままやるんだ、君も移民する気があるなら別だ」
 防護服を脱がせたり着せたりしたのはその確認だったのかと、マートは気づいたが、腹を立てる気力はなかった。ブランのことばに軽く吐き気を覚えながら、マートは操縦席について、移民が搬入されたあと移送ブロックが着陸艇に接続されるための、確認作業を始めた。

まえに見下ろした、「町」の裏の広い区画に、移送ユニットはゆっくり着陸した。
 着陸艇を移民ユニットから分離させてすこし離れたところにうつし、防護服を着たマートと、あと二人が着陸艇を出て、歩いて移送ユニットに向かった。進むほどに、キャスのためにできていた町の裏側に町が生え、人影が立ち上がり始めた。痩せた男は、これはなんなのですかと、つぶやき続けた。
 移送ユニットは100メートル四方あって、移民用の初期立ち上げキットとともに、数百人が雨露だけはしのげる仮説収容所にもなっている。初期の住居になるのである。マートが端末を操作すると、移送ユニットのあちこちのロックが解放された。
 ゆっくり、中から人々が出てきた。灰色の移民服である。
 それに応じて、周囲に町並みがつぎつぎ生えた。その中から人々の影が現れ、マートといっしょにいるかってアンだった中年男は、移送ユニットに足早に向かって、ひとびとに声を張り上げた。
「ここが、あたらしい私たちの町だ、会いたいものに必ず会える、ここが私たちの故郷だ」
 町からはおおくの人々が形をもって、色とりどりの服や姿で移送ユニットに向かい、移送ユニットの人々は、みな、一瞬立ち止まってから走り始めた。あちこちで人々は抱き合い、涙を流していた。
 マートの周りは、いつのまにか建物の取り巻く広場になっている。人々は移送ユニットのほうに群がってしまい、町そのものはあまり人影がない。百をこえる移民に、ここの人々、というべきかわからないが生き物が群がるのだから、数が足りないのかもしれない。
 町並みは、灰色のブロックが数層積みあがった、「西の区域」の典型的なものになっていた。マートも幼いころはその中で走り回ったものだった。その後暮らした「本国」より、よほど自分の場所である気がした。
 まえからあった町のほうから、キャスが現れた。ぴっちりした上下は「北の区域」によくみる装束である。キャスは、マートの防護服を見た。
「なんだこれは」
 声を張り上げた。
「いきなりこんな町があらわれて、俺の町が半分消えたじゃないか」
すこしうしろから、ウェイトレス姿のものが追いすがっている。マートはシールドはあけないまま、キャスに言った。
「ここらは、こちらの移民のためにできた町だから、西の区域の建物になっているんです」
「目の前でどんどん町が消えた」
 キャスは怒っていた。
「そんなのは、もう見たくなかったんだ」
 マートは、自分でも驚くほど、平静になった。今更丁寧に言う必要もないかもしれないとは思いながらマートはさらに、いつもなら言わない調子で言った。
「仕方がない、あなたは一人なのに、こっちは人数が多いですからね、たぶんもう、ずっとこうですよ、あなたは狭いところでやっていくしかないでしょう」
 キャスは立ち止まり、マートに向かって言った。
「俺は帰る」
「キャス、だめ」
 ウェイトレスは、キャスの背後からキャスに抱きつき、手を前に回した。
「あなたは帰ってはだめ」
「うるさい」
 キャスは怒鳴った。
「すぐなくなってしまうようなところにいつまでもいられるか」
「だったら私も連れて行って」
 返事もせずキャスは体を動かそうとしたが、後ろから抱きしめられたまま身動きが取れない。ウェイトレスの方がよほど細いのだが、キャスは呻いた。
「あいつらは棄民だぞ、帰る、こんな、西の連中の町の隅っこで偽物となんか」
 ウェイトレスは、悲しそうにいった。
「それ以上言ってはいけないの」
 キャスの顔の紅潮が褪せ、全体の力が抜けるのがわかった。ウェイトレスは涙を流していた。
「帰るなんて言ってはいけないのよ」
 ウェイトレスの後ろからついてきていた数人の、老人や子供が寄ってきた。ウェイトレスは力を緩め、キャスは地上に横たわった。ウェイトレスも老人も子供も泣いていた。
「ずっとここにいればよかったのに」
 子供がつぶやいた。子供のように見えるそれは、徐々に輪郭がくずれつつあった。
 彼らは、キャスの体を持ち上げた。キャスの出てきた町の形もゆっくり新しい町の形にかわっていくようだった。

町から外れ、調査船とは違う、やはり町を見下ろせるところに、彼らはキャスの体を運んだ。マートは防護服のまま、だまってついていった。
 キャスの体を下ろすころには、キャスを運んできた数人の人々はすっかり、もとの姿を失っていた、というより、もとの姿に戻ったというべきなのかもしれない。人影はそのまま離れていき、背の高い人影がひとつ、斜面に横たわるキャスの頬をもうぼんやりとした腕で撫でた。
 人影たちはそのまま、マートには見向きもせず、そろって町の方に降りていった。
 マートはキャスのそばに屈んで三極解析端末を向けた。死んでいた。どうしようもない。マートは立ち上がり、見回した。
 少し離れたところに灰色の船内服が地面にひろがっている。近づくと、干からびたむくろがつつまれている。船内服のまま放置されたようである。これにも三極解析端末を向けると、IDは、調査船にみつからなかったエドのものだった。あの、家族とやらが、ここまで運んでくれたのかもしれない。ここはそういう場所なのかもしれないが、確かめようがなかった。
「エド、ここにいました」
 マートは、防護服経由でブランに話しかけた。
「調査員はレコーダを離さないものだが、身の回りのどこかにないか」
 胸ポケットにあったレコーダを、感染症等の問題がないことを確認してサンプルホルダーにいれて、マートも、斜面を降り始めた。まえの影たちはもうみえない。新しい姿になって町に溶け込んだのだろう。
 キャスの町ももう完全に変わっているようだった。防護服で相手されないまま、マートは、町を横切った。
移送ブロックからゆっくりこちらに移動してきた移民と、ここのものたちで、あたりは騒がしかった。
いまは移民がみな、移送ブロックの各人のユニットで配布された灰色の移民服を着ているからどちらがどちらかわかるのだが、すぐわからなくなるだろう。
 まわりを「西の区域」の言葉が飛び交い、建物は、さらになつかしいものになっている。マートは、「本国」にいたころ、自分がそこに属する人間だと思えたことはなかった。
 見回して、アンによく似た女が、ほかの女たちといっしょに、街角でここのものらしい若い男たちと話をしているのがみえた。アンそっくりと思ってから、あれが本物のアンだと、マートは思いなおした。
 いまそこで話をしている本物のアンより、まえに自分の前にいたこの町のアンのほうがかわいいように思われて仕方なかった。アンは、男たち相手にしゃべり、笑っている。
「船内服じゃないその男たちは偽物だぞ」
 心の中でいいながら、マートは賑わいを抜け、町を外れて移民ブロックに向かい、着陸艇にあがった。
操縦ユニットに座り込んで、船外カメラをオンにした。おなじ平面なのでみおろす形にはならないが、ずっとむこうににぎわう町が見えた。
 マートは、自分がこの町のアンとずっと過ごしたことを思い返し、本物のアンのことをふたたび思い返した。防護服のまま、レコーダをサンプルホルダーから出して機器につなぎ、ブランに呼びかけた。
「再生しますよ」
 エドの声だけの再生である。
 この星についての内容は、ブランが語った通りだった。
「これをだれかが拾ってくれるかはわからないが」から彼の声が再生されていった。ゆっくり、絞り出すような声だった。
「気が付くともう彼らは俺から離れなくなっていた」
「むかしの知り合いも、死んだ家族もやってくる。残念なことに、それが俺にはうれしいんだ」
「奴らは、たぶん、俺の前で同じ姿でも、入れ替わっている、でもそれはもういい」
「子供というのが生まれてくる、俺にできるはずのないものたちだ」
「奴らを連れて帰るわけにはいかない、だから発進装置を破壊するしかなかった、帰るということを思いついたとたん操縦をはじめそうになった、穏当に機能停止させる余裕はなかった、連れて帰ればそこでまた目の前の人間をどんどんとりこにしては、増えていくだろう」
「この星でたぶんかれらは、すべての種を利用尽くしたのだろうが、すべての種が彼らに、俺のように甘やかされ、自力で存続できず滅びたのじゃないのか、ひょっとしたらこの星でつくられた最終兵器だったのかもしれない」
叫び声が入った。
「おい、なんでそんなにかわいいんだ」
少し間が入る。
「発進装置を破壊して、電源がもたなくて医療ユニットが使えない。調子が悪い。体がどんどん動かなくなっているが原因もわからない、もう、もたないように思う」
「この星の連中を連れて帰るわけに行かないと思ってここにとどまったが、ここにいるうちに、死ぬまで楽しく暮らせたらそれでいいと俺は思ってしまった、本物と区別のつかない偽物は本物と同じだし、不快な現実にはもう疲れた、この星で俺は楽しく過ごせたんだ、ありがとう」
 ブランの声が、防護服の中にきこえた。
「そろそろ帰投したまえ、そこにいても仕方ないだろう」
 マートは我に返り、思わず口に出した。
「でも、帰ってもなにがあるんでしょうね」
「本物の、現実だよ」
「私があっちでは手に入らなかった、これからも手に入るかわからないものがすべて、偽物であってもここにはあるんです」
 すらすら出てきて、マートは内心驚いていた。エドの言葉につられて出てきたに違いなかった。感じたことを相手の顔色を気にせず言葉にする習慣があまりなかったから、自分の言葉の勢いを抑える能力もあまり持っていない。
 ブランは何も言わない。やがて低い声が耳に聞こえてきた。
「ここの生き物は、いったん寄り付くと離れようとはしない、そして、どう考えても、連れて帰ってはまずいことになる未来しか見えない。それでは私の立場というものがある。だから私は出ていかなかった。君にも防護服を着せてやったろう」
「そうですね、このまま戻っても、私には大した未来が見えません」
 マートは、勢いに乗ったまま、防護服を脱いだ。
「私の離れたくない本物も、ここにいるんです」
 着陸艇から出ると、すぐに自動操縦で、着陸艇は舞い上がって、上空へ去った。もう戻れない。
 マートは町に向かいながら思った、アンを探そう、なんとかして彼女としあわせになろう、本物同士でやっていくのだ。
 さきほどのところにアンはいた、うしろから肩をたたくと、アンはマートを見て、悲鳴を上げた。マートは呆然とした。そばの女の子がアンに訊いた。
「どうしたの」
「悪い夢に出た、へんな男そっくりで」
 違和感にあふれるまなざしでアンはマートを見た。何も言えないまま立ち尽くすマートからアンたちは足早に立ち去った。
 背中に手のおかれる感触があった。
 振り向くと、アンの姿をしたものが、抱き着いてきた。

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