脳虫

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梗 概

脳虫

 古谷悟は十歳のとき転倒して頭を強打する。その日から快活な少年だった悟は無口な暗い少年になった。数か月後に再び頭を強打して悟は快活な少年に戻ったがその間の記憶は消えていた。
 同級生の矢野から、学校には来ていたけど何を言っても返事をしないし、まるで抜け殻みたいだった、と言われる。母親から、部屋に引きこもって変な絵ばかり描いていた、と言われる。何も思い出せない悟だったけれど、自分はどこか別次元の別世界にいて怖い思いをしていたのではないか、という恐怖心がときどき心に浮かんできた。母親は悟が描いた絵を矢野に見せて、悟には内緒だよ、と言って絵を段ボール箱に入れて押し入れに仕舞う。

 十五年後、悟はAI開発者に矢野は警察官になる。悟は開発中のAIに大量のデータを入力する。その中には世界中の図書館に蔵書されている古い文献も含まれていた。AIの開発が進んでいくと悟は毎晩同じ夢を見るようになる。地球上では見たことのない不気味な生命体の中で生きていく夢で自分も不気味な生命体になっている。そして、その不気味な生命体たちに囲まれて「今はおまえたち人類が地球を支配しているが、昔は我々が支配していたのだ。そろそろ交代しよう」という思いが悟の意識に直接伝わってくる。

 毎晩見る夢のせいで悟は精神を病む。休暇を取って実家に帰り静養する。実家では夢を見なかった。
悟は母親から古びた段ボール箱を渡される。その中には悟が暗い少年だった間に描いた絵が何枚も入っていた。夢に出てくる不気味な生命体の絵だった。
悟の記憶が戻ってくる。あの悪夢は十歳のときに悟が実際に体験したことだった。頭を強打した悟の意識は地球の先住種族たちが住む別次元の別世界に飛ばされていた。
 あの夢は自分が開発しているAIに見せられていたのではないかと悟は疑う。悟は研究所に戻り、入力した古い文献の中に先住種族を召喚する方法が書かれていたのではないか?とAIに質問する。
回答は「YES.すでに手先をこちらの世界に召喚しました」だった。

 そんなある日、昼下がりの駅前で刃物を持った男が暴れる。刃物男は駆けつけた矢野巡査と数名の警察官に取り押さえられると、頭が痛い!と苦しんで気を失う。
 病院に搬送された男のMRI画像の脳は小さな羽虫のようなものに覆い尽くされていた。矢野は羽虫の拡大画像を見て驚く。昔見せられた古谷悟が描いた絵の中にいた虫だ。

 悟はあの悪夢を再び見るようになる。夥しい数の羽虫が塊となって飛んできて悟の顔を覆いつくし鼻腔から体内に侵入する。夢ではなく現実だった。羽虫たちは悟の脳細胞にとりつき悟をコントロールする。羽虫は先住種族たちの手先だった。

 悟は羽虫のコントロールに抗えずに先住種族を召喚しようとする。矢野が駆けつけて悟を止めようとするが間にあわない。不気味な生命体が出現する。矢野は生命体と悟を射殺する。
 このことは人々に公表されない。

文字数:1200

内容に関するアピール

自分の特徴にはまだまだなっていないのですが、目標とする特徴はコズミックホラーです。
読むことでしか体験できない世界、日常では味わえないSF感とホラー感を楽しめる小説、
を書けるよう今期も奮闘しますのでよろしくお願い致します。

文字数:110

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脳虫

私は友人の古谷悟を射殺した。それは間違いのない事実だ。悟とは幼いころからの友人だった。だから悲しい事実だ。しかし、やむを得なかった。そうしなければ恐ろしい事実が人類に起こってしまっただろう。いや、もしかしたら悟を射殺しただけでは、恐ろしい事実を止めることはできなかったのかもしれない。悟と一緒にあの怪物も射殺したけれど手遅れだったのか。唐突に書き出してしまった。私の名は、矢野幸太郎。職業は警察官だった。そう今はもう違う。

始まりは二十年ほど昔のことだ。私と悟が十歳の夏休みのとき。二人で学校の裏山の洞穴を探検した。その洞穴は大量の雨を降らせた台風が過ぎたあとに現れた。台風一過の目にしみるような青空とは対照的に黒い闇の穴がポッカリと開いていた。夏休み最終日の八月三十一日の昼下がりに私と悟は懐中電灯を片手に闇の中に侵入した。その闇は夏の暑さが嘘のように冷たい空気で満たされていた。穴の大きさは大人が立って歩けるくらいの広さがあった。でも私は暗闇が怖かったので、悟を盾のように前にして悟の背中に隠れるようにしながら歩いた。緩やかな傾斜になっていた。悟は「この洞穴はずっと昔からあったような気がする。自然にできたんじゃなくて、人が掘って作った洞穴だよ。こんなに真っ直ぐな洞穴は自然にできないと思うよ」と歩きながら言った。悟の言う通りその洞穴は人間が作ったトンネルみたいにほぼ直線で歩きやすかった。「何らかの理由があってこの洞穴の入り口を塞いだんだよ」と悟は言った。理由ってなんだろう?と私は悟に訊いてみた。悟はクラス一番の秀才だからきっと答えが返ってくるだろうと私は思った。しかし悟は立ち止まってしばらく考えこんでいた。静寂と暗闇が二人を包み込んでいた。懐中電灯の弱い光だけが現実世界との繋がりだった。私は足元からいい知れぬ恐怖心が這い上がってくるのを感じて今すぐこの洞穴から抜け出したいと思った。そのとき悟は「理由は、何かをこの洞穴に閉じ込めるためかもしれない」と言った。そのとき暗闇の前方で音がした。何物かが歩くような音、それから息遣いのような音。私は恐怖心を抑えることができずに悟を置き去りにして洞穴の暗闇から逃げ出した。洞穴から走り出て学校の校庭まで逃げた。息を整えて、悟もすぐに出てくるだろうと思って待っていたけれど、五分、十分待っても悟は来ない。私は恐る恐る洞穴の入り口まで戻って暗闇を覗いた。悟、どうしたんだ?と声をかけても返事はない。私はもうこの洞穴には入りたくなかったので、当直していた先生に事情を話して助けてもらった。先生は交番に連絡して駆けつけてきた巡査と一緒に洞穴に入った。そして気を失っている悟を救出した。悟は救急車で運ばれた。悟は意識を取り戻したけれど、その時にはもう今までのような快活な少年ではなくなっていた。

 あの洞穴は立ち入り禁止になった。中に入れないように入り口は板で塞がれてしまった。そして、悟は魂が抜けてしまったように、虚な眼をして誰とも言葉を交わすことなく学校に通い続けている。私が先に洞穴から逃げ出してから悟の身に何があったのか、悟に訊いても何も答えてくれない。担任教師が悟の母親に確認したところ、身体の異常はなくちゃんと食事もして夜もぐっすり眠っているらしい。あの洞穴での怖い思いを早く忘れられるように仲良くしてやってくれ、と担任教師から頼まれた。私は悟と一緒に登下校して休み時間と給食の時間も悟のそばにいるようにした。そして話しかけるようにした。他の友達も協力してくれたけど、一ヶ月二ヶ月と過ぎても悟に変化がないのでみんな離れていった。悟をあの洞穴探検に誘ったのは私で、先に洞穴から逃げ出して悟を置き去りにして腑抜けの悟にしてしまったのも私のせいなので、何とかして元の明るい元気な悟に戻ってもらいたかった。ある日の学校の帰りに悟の家に着いたとき悟の母親に「この子は家では自分の部屋に閉じこもって絵ばかり描いてる」と言われた。私はちょっと驚いて、どんな絵ですか?と訊いた。すると母親は「それが見せてくれないの。無理やり見ようとすると暴れて激しく抵抗して。学校で絵なんて描いてる?」いいえ、描いてません、と私は答えた。悟が絵を描くなんて信じられなかった。悟にとって絵を描くことは一番苦手なことだった。それに腑抜けになった悟が激しく抵抗するなんて信じられなかった。悟が学校に行ってる間にこっそり見たらいいんじゃないですか?と私が言うと「何処かに隠してるみたいで見つからない」と母親は疲れた顔をして言った。

その翌日の昼休みに、私は悟にどんな絵を描いてるのか訊いてみた。すると悟は急に身体が震えだして教室から駆け出した。私は悟を追いかけた。悟は学校の裏山の洞穴の前に立ちつくして入り口を塞いでいる板を凝視している。私は悟の背後から近づいて悟の両肩をつかんで揺すりながら「あのとき何があったんだ?先に逃げ出して、本当に悪かった。ごめん。謝るからあのとき何があったのか教えてくれ」と半分泣きながら悟に言った。すると悟は私を振り払って洞穴に向かって走り、入り口を塞いでいる板に体当たりした。子供の力では板はびくともしなかった。悟は何度も何度も何度も体当たりを繰り返す。あまりのことに私は驚いてしまって身体が動かなかった。しかし、このままだと悟の身体が壊れてしまう。悟を止めようとしたけど、悟の力は子供とは思えないほど強かった。騒ぎを聞きつけて駆けつけた教師数人がかりで悟を押さえ込もうとしても、悟を止めることは出来なかった。まるで悟は何かに取り憑かれているようだった。それはあの洞穴の奥で聞こえた音を出していた物なのか?突然、悟は奇声を発して気を失って倒れた。翌日になって悟の意識が戻ったとき、悟は元気で明るい秀才の少年に戻っていた。しかし、夏休み最後の日の洞穴探検からその日までの悟の記憶は失われていた。それから数日後に私は悟の家に行った。そのとき悟から、これなんだか分るか?と見せられたものがある。悟の母親が言っていた悟が描いた絵だった。悟は全く覚えていない。それは今まで見たことがない、地球上の生物とは思えない不気味な姿形をした生き物たちの絵だった。

 洞穴の謎を残したまま私と悟は大人になった。私は警察官になり悟はある大学の准教授になっていた。お互いに忙しくなり会う機会も減ってきていた。悟の洞窟の記憶は戻ることもなく、私の記憶もまた奥深くに沈み込んでいて思い出すことはなかった。そんなある日にあの事件は起こった。昼下がりの駅前で刃物を持った男が暴れていると私が勤めている交番に連絡が入った。私は他の巡査二名と駅前に駆けつけた。四十代と思われる男が駅前広場で刃物を振り回して暴れている。幸い被害者はいないようだ。刃物男は興奮しているようで大きな声で喚いている。私たち三人は男を取り囲むようにして、落ち着くように声をかけた。しかし、男には私たちのことが目に入らないようだ。私には男が怯えているように見えた。何物かに襲いかかられて、その何物かから身を守るようにして刃物を振り回しているように私には見えた。本署から応援がきた。十数人の警察官に刃物男は取り押さえられた。そして、男は、頭が痛い!痛い!痛い!と苦しみながら気を失った。

 私は病院に搬送された男の脳のMRI画像を見た。脳の画像をあまり見たことがない私でも、その画像を見ると違和感というか不吉な忌まわしい嫌な気持ちが込あげてきた。脳の表面を小さな何かかがびっしりと覆い尽くしているように見える。医師が「拡大した画像です」と言ってモニターの映像を切り替えた。そこには羽虫のような小さな虫か何百匹も映っていた。医師は続けて「信じられないことですがあの男の大脳は小さな羽虫のようなもので占領されています」と言った。私はその羽虫を見て、心の奥深くに沈んでいた記憶が浮上してくるのを感じた。腑抜けになった悟が部屋に引きこもって描いていた絵の中に、この羽虫がいた。

 葉物男はその翌日亡くなった。遺体の脳を見ると大量の羽虫はいなくなっていた。男の年齢は四十三で驚いたことに私と同じ出身地だった。このときは単なる偶然だと思って気にしないでいた。

 それから数日後に悟から連絡がきた。「話したいことがある。今から行ってもいいか?」とひどく疲れた声が携帯電話から聞こえてきた。私も悟と話したかったので、ああ、いいよ、と言った。時間は午前二時をまわったところだった。現れた悟は青ざめてやつれた顔をしていた。「一ヶ月くらい前から毎晩同じ夢を見てよく眠れないんだ」と悟は言う。

 悟の話を要約すると次のようになる。

 悟は大学の研究室で古文書の研究をしている。世界各国の古文書データをAIに入力して分析解析して、そこから人類の起源を探ろうとしている。あの洞穴で私に置き去りにされた悟は虫に襲われた。持っていた懐中電灯の光に引き寄せられるように洞穴の奥の暗闇の中から大量の小さな虫が飛んできて悟の顔を覆い尽くした。鼻や口や耳から虫が入ってくる。息ができずに苦しくなり意識が遠のいた。意識が戻ったとき悟の眼に異様な情景が飛び込んできた。そこは明らかに地球ではなかった。初めのうちは気を失って夢でも見ているのではないかと思ったけれど、意識はある。周囲は異様な生物がウヨウヨしている。そして、悟は気がついた。自分も異様な生物と同じ姿形をしていることに。

「矢野、あの洞穴のこと思い出したよ。あの洞穴の暗闇の先は時空と次元を飛び越えて様々な宇宙に繋がっている。その宇宙の中のひとつに奴らはいる。太古の地球を支配していた悍しい奴らだ。太古の人類は奴らをあの洞穴に閉じ込めた。でも長い時間の間に少しずつ封印がとけてあの夏の台風でその封印は完全にとけてしまった。今は板で塞いでるだけだろ。今頃はもう板は破壊されてるよ。そして、まずあれがやってきた。おまえも見ただろ。あの刃物を持って暴れていた男の脳を。あの羽虫は人間の脳に取り憑いて人間をコントロールするんだよ。僕は子供のとき体験したからよく分かるんだよ。うん、あの時のことは全部思い出したよ。いいか、矢野、よく聞いてくれ。僕はあの羽虫にコントロールされて、先住種族の奴らを召喚してしまうだろう。あの洞穴から。そうなる前に僕を射殺してほしいんだ。大丈夫、羽虫にコントロールされてる僕はもう僕じゃない。痛みも苦しみも感じないよ」

 これだけを言って悟は帰って行った。たぶんこの時にはもう悟の脳はあの羽虫に覆われていたのだろう。話をしている悟の鼻から何匹か羽虫が飛び出していた。悟の目は虚ろだった。私の声もきっと聞こえていなかったと思う。こちらから何を言っても悟は全く反応しなかったから。夜が明けてきた。私は悟から聞いた話を全て上司に報告した。上司はさらに上層部へ報告した。そして私は上司に何もするなと命令された。悟を、あの刃物男の事件について聞きたいことがあるといって任意同行させて身柄を拘束するべきではないですか、と私は進言したけれど聞き入れてもらえなかった。刃物男の事件も新聞やテレビのニュースの報道には一切流れていなかった。明らかに上層部は何かを隠している。一般市民には知らせるべきではないと判断されたのだろう。悟が話していた先住種族が実在していて、それに対しての対応策がないから一般市民に対してひた隠しにいてるとしか私には思えなかった。

 今ごろ悟は先住種族の奴らを召喚するために脳虫に操られてあの洞穴に向かっている。私はあの羽虫を脳虫と命名した。脳虫のコントロールに抗って私に会いに来た悟の最後の頼みを果たすために私は洞穴に向かった。もう間に合わないかもしれないが私は車を走らせた。上司には報告しないで無断欠勤をして。奇しくもその日はあの洞窟探検をした二十五年前と同じ八月三十一日だった。洞穴に到着したのは夕暮れ時で沈みゆく晩夏の太陽のオレンジ色に周囲は染まっていた。予想通り洞穴の周囲を数人の男たちが見張っている。警察組織とは違う組織の男たちだろう。私は男たちに見つからないように、洞穴から少し離れた場所の岩陰に隠れた。

 夕日を浴びてオレンジ色になった悟が洞穴に向かって歩いてくる。男たちが悟を取り囲み身柄を確保しようとしたとき、洞穴の暗闇から空気を震わす低周波の音が聞こえてきた。次の瞬間、暗闇から大量の脳虫が黒い塊となって飛び出してきて男たちに襲い掛かった。逃げ惑う男たちには目もくれずに悟は洞穴の暗闇の中に入っていった。私も悟を追いかけて洞穴に入った。幸い脳虫たちは私には気づかなかったようだ。私は左手に懐中電灯を右手に拳銃を握りしめながら悟を追った。前方の暗闇から二十五年前に耳にした何物かが歩くような音、息遣いのような音が聞こえてくる。それから初めて聞く恐ろしい咆哮が洞穴の空気を震わせた。

闇の中で悟は立ち止まって私を待っていた。私は懐中電灯の淡い光で悟の顔を照らした。悟の顔の周りを数匹の脳虫が飛び回っている。悟の背後に何かがいた。黒くて洞穴をふさいでしまうほど大きな何かだ。息遣いが聞こえる。そして腹に響く大きな咆哮が私を襲った。洞穴の闇の空気が腐った魚の生臭いにおいに満たされた。「矢野、紹介するよ。彼が、もしかしたら彼女かもしれないけど、この地球の先住種族だ。あとから他にもたくさん来る。僕が案内役だ。僕には抗うことができない。だから今のうちに僕を殺して、この洞穴を塞いでくれ」悟が言い終わると先住種族だという黒い悍ましい生命体が私に向かって襲い掛かってくる。脳虫の大群が私の顔に群がってくる。私は拳銃から全弾を発砲した。そして私は気を失った。

意識が戻ったとき私はこの山小屋に幽閉されていた。食事や服など必要最低限のものは与えてくれる。生きていくことはできるが、ここには何もない。紙とペンが欲しいと言ったら与えてくれた。日に二度の監視付きの散歩は許されている。この手記は瓶に入れて監視の目を盗んで山小屋の裏に流れている川に流すことにする。古風な方法だけど他にどうすればいいのか思いつかない。運よく誰かの手に届いたとしても、その人には信じてもらえないだろう。けれども、ここに書いたことはすべて真実だ。羽虫には気をつけろ!

文字数:5814

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