梗 概
特定月来生物の保護等について(承認)
ササキはあっと声を上げた。洗濯物を干そうとアパートの狭いベランダに出たら、物干し竿にうさぎが引っかかっていたのだ。
まだ小さく、月から飛来したばかりの個体のようだ。ササキは急いで捕まえるが、うさぎは疲れているのか暴れもしない。慌てて特定月来生物の保護についてスマホで検索し、許可申請フォームに情報を入力していく。添付写真も様々な角度から撮影するが、生まれて初めてうさぎに出遭ったササキは、その可愛さに舞い上がる。うさぎは都会にほぼ降りてこないため、本物を見る機会がなかなか訪れないのだ。
うさぎの幼体は月から飛来し、多くは亜高山帯に降り立ってそこで植物を摂食して成長する。そして耳の長さが一定以上の成体になると、その耳をピンと立てて月に帰っていき、微細な被毛で太陽光を反射させ月光の一部になる――それがうさぎについてササキが知っている凡そ全てだ。
うさぎの保護許可は1週間程で降りた。仕事もうさぎの世話も、責任感をもって完璧にとササキは張り切る。ササキの職場は第126次感染症対策の補助金対応に追われていた。緊急要員として一時異動したはずが、いつの間にか正規担当になっていたササキは非正規職員を監督しながら、自分の受け持ち案件も大量に捌かねばならない。ササキだけが頼りだ、と言っていた上司は転職を決め、年度の締めまで欠員補充がないことを告げられる。毎日終電まで残業し家と職場を往復するだけの生活を続けるうち、ササキは徐々に追い詰められていく。うさぎのケージ掃除も、当初の3日に1回から6日に1回になり、やがて2週間に1回になる。それでもササキは毎日の水替えと餌やりは怠らず、持ち前の生真面目さで懸命に日々をこなすが、状況は一向に良くならない。
ある日変わらず真夜中に帰宅したササキは、うさぎが後ろ脚でケージの床を叩き鳴らす音を聞く。驚いてケージのドアを開けると、うさぎは部屋中を跳ね回り、いつもは垂れていた両耳をレーダーのようにピンと張らせ始めた。飛ぶ準備だ、と気が付いたササキが焦って窓を開けると、うさぎはそのまま振り返らず、空に勢いよく飛び出していってしまった。
ササキは一連の唐突な出来事に茫然とし、動けなくなる。帰宅中気付かなかったが、今夜は満月だった。開きっぱなしのケージの中には何もおらず、部屋はすっかり静かだ。うさぎが月に戻ったことを申告しなければ、とササキが震える手でスマホを起動すると、目に入ったのは待ち受け画面のうさぎの写真だった。眩しい月光の一部が今後「あの子」になるのだと思っても、ササキはちっとも嬉しくなかった。涙が止まらなくなり、ササキは嗚咽しながら、スマホをケージに何度も投げつけて叩き壊す。もう仕事に行けない、行きたくない!例え朝にアラームが鳴らず、目が覚めなくても、どうでもいい。散らかった服をどかして何とか布団を敷くと、ササキは無理やり目を閉じた。
文字数:1190
内容に関するアピール
SNS等で、うさぎが亡くなった際に「月に帰った」とする表現をよく見かけます。うさぎが本当に月からやって来る生物だったらそれも可愛らしいなと思い、お話を膨らませました。月から来て大切に育てられ、成長すると月に帰るという流れは「かぐや姫」のイメージも混ぜ込んでいます。生真面目な若手職員ササキの頑張りとすり減り、挫折の一連を自業自得と切り捨てずに、優しく書きたいと思います。
名刺代わりということで悩んだのですが、シンプルに大好きなうさぎをモチーフにしました。我が家にも一匹いますが、深夜に暴れだすなど、何かと交信しているような突飛な動きをすることがあります。そんなすこし不思議なところも魅力です。
何やら可愛さと不思議さについて考えながら、1年間書いていきたいと思います。宜しくお願いします。
文字数:344