梗 概
KANKYŌ ONGAKU
「僕は、強いこころの持ち主なんだ」
それが「僕」の口癖だった。
精神科医として順風満帆に暮らす「僕」は、ウイルス感染をきっかけに不安神経症を発症した。原因不明の微熱と体重減少に翻弄される様子をみかねた妻は、研修医時代の同期であり、精神科医でもある伊礼のクリニックへ夫を連れて行こうとした。けれど「僕」は頑なにそれを拒んだ。伊礼はかつて共に精神病理学を志し、最後の青春を謳歌した友人だった。いつしか「僕」は結婚して子供を授かった。一方、伊礼は何も変わることなくひたすら学問に没頭していた。「お前もいつか、生きるってことのリアリティを味わえたらいいな」。伊礼と袂を分かってもう10年の時間が流れた。床に伏せていたところに伊礼から偶然電話がかかってきて、弱っていた「僕」は現状を正直に彼に告白した。
「情けない話だ。僕は強いこころの持ち主なんかじゃなかった。取り巻く環境が変化してしまえば、この有様だよ」
「だったら環境をまた変えてしまえばいい」
「環境を変えるだって?離婚でもすればいいか?」
「もっとミクロで、ささやかな手段がある。環境音楽を聞いたことはあるかい?」
しばらくして伊礼から何枚かCDが送られてきた。最初は半信半疑だった「僕」もすがる気持ちで再生してみると、長らく忘れていた安らぎの感覚が蘇ってくるのを確かに感じた。こころが日々ととのえられてゆき、とうとう復職するまでに「僕」は回復した。
伊礼に感謝を伝えるためにクリニックを訪ねると、臨時休診の張り紙が貼ってあった。「先生がどこかに行ってしまったんです」。困り果てた看護師が「僕」に鍵を渡した。伊礼の部屋は10年前と変わらない場所にあった。室内はとても小さな音量で環境音楽が流れ、10年前と変わらず膨大な数の書物で溢れていた。書物の大半を占めていたのは古今東西のSF小説で、最近の伊礼がSFを愛読していたことを知った。盗み読んだ伊礼の日記の最後にはこう書かれていた。
「現実は、私には大きすぎるか、小さすぎることばかりだ」
大量のMDを「僕」は伊礼の部屋から持ち帰り、再生した。
“I’m here.”
“I’m glad you’re there.”
“We are St. GIGA.”
MDにはかつて存在したセント・ギガという衛生ラジオが録音されていた。セント・ギガの番組は潮の干満と月の運行に連動したタイド・テーブルに沿って放送されていたそうだ。番組冒頭のナレーションがカート・ヴォネガットの「タイタンの妖女」からのサンプリングだと知り、興味を惹かれた「僕」は初めてSF小説を手に取った。BGMとして聞き流していた環境音楽が人間の不在を強くイメージさせることに、小説を読み進めながら「僕」は気付き、伊礼の日記が遺言であると確信を深めてゆく。極端に巨大なものか、極端に微小なものにしかリアリティを感じられなくなりそうになって、「僕」は妻と娘を強く抱きしめてキスをした。
文字数:1198
内容に関するアピール
セント・ギガのチラシ
藤子先生の名言を言い訳にして、ハードなSFからずっと逃げてきた。思い立って、ごりごりのSFを買ってきて読んだ。よく分からなかった。向いてないと思ったけど、もう一冊読んでみた。よく分からなかった。また一冊買って、よく分からないのに読んでいた。読み終わった時の、頭が麻痺している感じは、徒労感だと気付いた。巨大すぎるものに触れると、人間は諦める。小さすぎても、そんな気がする。数年前、日本の環境音楽が海外で再発見されて、僕も夢中になった。芦川聡、吉村弘、廣瀬豊、etc…。St.Gigaもその時に見つけた。小さすぎるものに触れても、人間は諦める。SFも環境音楽も両極端の方向から僕を諦めさせて、最終的に精神をととのえてくれる。そんな作品が書けたらいいなと不遜にも思います。
そして、やっぱり、僕は藤子先生に育てられたので、非日常に日常がしれっと忍び込んでいるような、そんなSFが書きたい!
文字数:400