梗 概
レザレクション・エンジン
月に一度、施設で暮らす曾祖母に面会することを約束していた。齢は百二十歳、医療技術の進歩により、人の限界を超えて生きながらえている。富士山が望める海辺の施設の最上階フロア。しかし、部屋に曾祖母の姿はなかった。背筋に衝撃が走り、なすすべなく部屋に倒れこむ。案内した医師の顔を見上げる、初めてみる男の顔だ。
相沢弥勒は生まれながらにして脳性麻痺を患い、体を蝕まれていた。指一本として動かすことは叶わないが、侵食型BMIにより、情報空間では自在に振舞うことができた。
十八歳の成人を迎えるころ、情報空間に自身の意識情報を複製する技術、転生が確立し、障害を抱える人々が救われるモデルケースとなった。
「手術の際、人格の複製を防ぐために人体を破棄することから、転生を自殺幇助の一つとしている国家もあることを知っているか」
弥勒を廃工場へ誘拐した医師は、胸元のロケットを握りしめながら続ける。「奇跡的に自由を得た英雄に憧れ、未成年でありながら違法に転生手術を受け、失敗し亡くなっていく若者がどれだけ多いか知っているか」
弥勒が転生に抜擢された理由として、人気のVRFPSのプレイヤーとして活躍していたことが大きかった。転生後の最大の事業は、最大規模の情報空間を運営するNICO社と提携し、宇宙空間を舞台にしたVRFPS”ENGINE”を三十歳で開発したことだ。”ENGINE”は転生することで、自らがキャラクターと一体となり遊べる体験を提供することで、世界中の若者から支持を集めた。
神経系への電磁攻撃は生身の人間以上に、意識情報を疑似身体に仮置きした弥勒には効果的だ。糸の切れた人形のようになり、かつての自分に戻ったようだった。身体は動かせない、けれど、あらかじめ仕込まれた動作であれば稼働する。”ENGINE”の人気キャラクターの一人、シャドウというサイバー忍者の動きをトレースした鉤縄銃での回避行動を起動し、手首の先から噴出されたワイヤが窓枠に噛み付くと、瞬時に身体を振り上げそのまま壁の一部を破壊しつつ外へと放り投げた。
投げ飛ばされた先では、警備員の男性と一人の女性が口論しているところだった。女性は弥勒の背筋に張り付いた昆虫のような装置を取り外すと、車に乗るように促した。
女性は医師の娘でレイといった、昆虫機械の開発者だという。姉が違法な転生手術で亡くなってからは、転生に関わる研究を続けており、昆虫もきっかけは、電磁ノイズを除去するための医療器具だという。
レイは今回の一件は父親は主犯ではなく、依頼され、断り切れなかったのだという。依頼内容も、今日一日、弥勒を病室に近づけないでほしいという奇妙なものだった。
病院へと戻ってきたのは、深夜となった。
この約束を守ることに大した意味などない。転生するとき、反対した曾祖母に条件を提示したのだ。転生しても、月一度は会いに来ると。
病室の前で、呻き泣くような声が聞こえる。「――おかげさまで、今月は曾孫の亡霊を見ずに済みました」
文字数:1357
内容に関するアピール
方梨もがなです。一年間よろしくお願いいたします。
自己紹介的な作品を書くならば、自分の好きなもの/嫌いなものを詰め込みしていこうという試みです。
メタバースに自分をインストールできてそのなかでゲームしたいという欲望と、
認知症で苦しんでいる父方の祖父母と父親の関係性を目の当たりにしていて、記憶という情報の脆さに感じ入ることがあり、
そんな気持ちが悪魔合体した結果が上になります。
ここ最近の人々の生活と情報技術革新は加速度的でありながら、一方で人類全体をみるとそのマインドはこの数十年であまり成長のないようにも思えてしまう。
そのコンフリクトを描くこと、テクノロジーと人間性の衝突が私のテーマの一つだと考えています。
ルビの分だけ文字数超過しております。お許しください。
参考文献:メタバース さよならアトムの時代 著:加藤直人
文字数:358
レザレクション・エンジン
ゲームは人間の能力を極限に引き出してくれる。
そういったデザインになっている。絶妙な設計、攻略の難度そののすべてが、人を適度な集中へと誘うのだ。
それは古来より人間が、世界各国どこの文化であっても遊戯を生み出し、発展させてきたことからも明らか。
相沢弥勒ことMi666は、いま、精神を極限まで研ぎ澄ましている。戦場のただ中にいる兵士と盤上を前にした棋士とその両方を併せ持っているといってもいい。舞台は直径約3000キロメートル、月と同程度の規模をもつ異星。そこに無法的に建造された市街地。アマゾンの奥地のような熱帯の空間と上海の中心地のような超高層建築が共存する、地獄と地獄が背中合わせになったようなフィールドだ。フィールドの安全地帯は極限まで狭まり、背後には立入負荷区域を示す空間が広がる。赤いオーラが空間を包み、そこを通過すれば耐久力がごっそりともっていかれてしまう。舞台上に生き残っているのは全部で6名。相棒のエリオットとともに、ビルの三階で息をひそめ、じっと固唾をのんでいる。
警告が唸る。最終のゾーン収縮。背後にあった立入負荷区域の壁がじりじりと迫る。このビルの中に身を潜められるのもあと10秒もない。動くべきか、いやまだだ。じっとドアの隙間から外を見定める。
瞬間、しびれを切らした愚か者が姿を現す。戦闘技能を駆使し、安全地帯の中心に1メートル程度の円形の城壁を展開する。だが、それこそが命取りだ。別チームのスナイパーがビルの屋上から頭部を射貫く。これで残り5人。盤上の敵の位置はつかめた。
エリオットにチーム間チャットで合図を出す。「スナイパーを叩く、頭は任せた」「Okkkkkkkkk」「ありがとう、助かるよ」「礼はいい、俺は相棒のためだったなんだってやる男だ」エリオットは親指を立ててジェスチャーしてみせる。
できる限り物音を立てないように、背後の出口から出る。光学迷彩のスキルを発動し、スナイパーのいたと思われるビルに向けて鉤縄銃を打ち込む、こうすることで音も姿もなく後方を確保できる。
ビルの中層階にがっちりと噛み込み、蹴り上げとフックの巻き込みによって、慣性の法則に従い、4階建てのビルの屋上に躍り出る。着地音に反応したスナイパーがこちらを振り向く。すでに間合いを詰めた弥勒の脇差しによる近接攻撃が直撃、これで残り4人。
主をなくした武器を拝借し、下方を見る。エリオットは善戦しているが、膠着中のようだ。上方から丸見えのスナイパーの相方と思われる男を狙撃、あと3名。残る1名に向けて、弥勒は飛び降りる。
落下中にワイヤーフックを相手にぶつけ、自分の側に引き込む。体制が崩れたところに一撃をあて、ゲームセットだ。
ファンファーレが流れ、視覚画面上に”WON”の文字が表示される。
エリオットとハイタッチをかまし、たたえ合っていると、ゲームリザルト結果の表示、ヒーローインタビューのスペースへと転送される。
かつてのレジェンドプレイヤーKnockOutがちょうど解説をしているところだ。
「”ENGINE”はゲームに革命を起こしただけじゃない! 情報空間での生き方すべてを変えさせた。偉大なるチャンピオン、MVP! Mi666! 転生によってすべてを手に入れた。このゲームの栄誉だけじゃない、人生すべてを変えちまった。かく言うおれも転生をするきっかけをくれたのがMi666さ。まさに神のようなプレイだったよ! そして、その相棒にして偉大なる”ENGINE”の生みの親、もう一人のチャンピオン、エリオット!」
二人の登場により会場がざわめく、そこから先は、まあ、中継映像が全世界に流れたんだから、もう十分だろう。
†
神奈川県横須賀市にある”ENGINE”の運営会社、”STARRING”の日本法人の本部では、国内でも数少ない民間の疑似身体の管理センターを有している。
これは、米軍の横須賀基地との関係がなにより大きいが、そのおかげで、弥勒もこの施設を利用することができる。魂の情報体を管理サーバーから一個体に呼び出すのは情報喪失の危険性を有しているため、国家機関若しくは国家の認可を得た施設にしか許されない。
“ENGINE”で得た人体駆動の技術を、疑似身体の制御に流用することで軍事方面ではトップシェアを有しているのが、”STARRING”のもう一つの稼ぎ頭となっている。
弥勒の疑似身体もまた”STARRING”製であり、”ENGINE”の広告塔でもあるため、軍用モデルと比較しても劣らないフラッグシップモデルとなっている。擬態筋肉繊維と軽量機械骨格でかたどられた肉体に、”ENGINE”の人気キャラクター、シャドウをイメージしたフォルムとなっている。
忍者をイメージした体操選手のような筋肉質の肉体に、数千人の俳優のデータベースから最適化され、”ENGINE”のデザイナーによって加工された顔面があてがわれている。髪型は数万通りのカスタマイズがあるが、デフォルトの短髪としている。
人間の脳に当たる箇所に置かれている記憶領域に魂の情報を転送し終え、3度のシステムチェックの後に起動させる。
手術台のように簡素な寝台で、弥勒は1日ぶりに目を覚ます。手術着のような布を一枚着せられているのが、なおのこと病院で目覚めたような感覚を想起させる。病院で目覚めたような雰囲気を出して、疑似身体をメンタル面で補助する。本来自身ではない人造の身体を動かすためのおまじないのような習慣である。コラボ商品のシャツとパンツに着替えれば、完全にただの人間だ。
弥勒は社用車を借り、海岸線を走らせ、横須賀星環病院へ向かう。ここは”STARRING”が経営し、医師、看護師から清掃スタッフに至るまで、すべてが完全自立型の人形によって運営されている。受付の案内機で生体認証IDを照合し、病室直通のエレベータを呼んだ。
数秒でエレベータが到着し、ドアが開く。ドアが閉じる。その直前のところで体がドアに挟まれながら、スーツ姿の女性が滑り込んできた。ドアは安全のため一度完全に開き、その後ゆっくりと閉じた。
「ああ、すみませんすみません。ようやっとエレベータがきたもので、ぼうっとしていたら乗り過ごすところでした」
「ここのエレベータ生体認証制です、僕の病室にしか停止しないですよ」
「いいえ。大丈夫ですよ、相沢弥勒さん。ですよね。大分思っていたより印象が違いましたが。私、相沢さんのひいおばあさまにお話があるんです」
「知り合いなんでしょうか。いえ、これまであの人の見舞いの方とお会いしたことがなくて、なにぶん歳ですから」
弥勒はつい、彼女をまじまじと見てしまう。一見は20代から30代程度に見える。スーツは質の良いものに見えるが、使い込まれてくたくたという感じだ。
「申し訳ないのですが、疑似身体の方ではありませんよね?」
「あはは。なんですかそれ、とうぜんですよぉ、どうぞよろしく。名波といいます」
名波はすっと弥勒の手をつかみ、握手を交わす。とっさによけることも考えたが、その手を握り返すことで疑似身体であれば判別がつくため、そのまま触れさせることにした。結果として、彼女は普通の人間だ。
「おや、そういうあなたは疑似身体なんですね。ということは、やはり本当にあの相沢弥勒で間違いないんですね」
「よくわかりましたね。なかなか普通の人は気づかないものですが」
「いえいえ、なんというか、触れた感じが違うんですよね。かんかくです、かんかく」
名波は手を離すと、エレベータがちょうど停止し、開いたドアから弥勒と並んで降りる。病院の最上階フロアはホテルのような作りになっており、ガラス張りの廊下には絨毯が敷かれ、部屋は電子ロックで閉じられた入り口が一つだけだ。
「名波さん。僕はあなたのことを知らない。悪いけど、身分を示すものはないかな。信頼できると判断できないと、中に入れるわけにはいかないよ」
名波は名刺を取り出し、弥勒へ差し出した。週刊文夏。記者、名波奈々と記載されている。
「古い習慣ですけど、こういうときには役に立ちますね。記者をしています。実はある団体について調査してまして、もう引退されて長いので、直接の関係は無いと思いますが、40年前の話を聞きたいんです」
「40年前、ですか。」
「ええ、相沢さんはまだ20代ですもんね、まあ、私もそんなに変わらないんですけど。100歳をきっかけに引退されましたが、相沢先生は医療機関などに対して強い発言権をもっていた大物政治家でした。その中でも当時最も近い存在だったのが、「いのちの会」の鵠沼という男です。この人物を私は追っているんです」
「すみません。あのひとの仕事なんて考えたことがなくて。そういうことでしたら、大丈夫だとは思いますが、念のため、確認をとらせてください」
弥勒は名波を入り口で待たして病室に入る。
彼女の好きな緑を基調としたデザインの病室だ。見慣れぬものはない。ただそこに、曾祖母の姿だけがなかった。
†
「はあ、140歳の女性、ですか。行方不明と言いますが、重度の認知症ともありますね。なるほど、こちらでも調べてみますが・・・」
警察の態度はなんともいえない様子であった。それに対してくってかかったのは名波だった。
「ちょっとまってくださいよ。ただの140歳じゃないですよ? 相沢千賀子は大臣経験もある元政治家です。誘拐だってありえます、調べる必要はおおいにありますよ。それだけじゃありません。ここに相沢弥勒はーー」
「いえ、僕のことはいいですから。とにかく、捜索をお願いします」
名波から詳細を聞いた警察は、相沢千賀子の名を検索し顔を青くした。
去り際に、弥勒は警察に呼び止められる。サインを頼まれたので、依頼料だと思うことにして応じることにした。
病院の来賓室での取り調べを終えたところで、名波は弥勒に注意する。
「相沢さん、ああいうときこそお名前をバッチリ前に出してやってやるべきですよ。まあ、相沢千賀子の名前の時点で、これがマスコミに漏れれば大変なことになりますけど」
「あの人たち、僕のことには最初から気づいてましたよ。これでも有名人なんですから」
「それはサイバースペースでの話でしょ。相沢さんが現実世界で生活していたなんてスクープは聞いたことないです」
「それは、月に一度曾祖母のお見舞いに来ることのほかには、こっちに予定なんてありませんから」
「そうだったんですか。ひとまず、私たちでも探しましょう。当てがあるんですよ。一人、ここの勤務医が数日前から休んでいるそうです。怪しいでしょう?」
名波に指示されるまま、弥勒の運転する車は葉山の閑静な住宅街に停車した。
庭付きの一軒家が並ぶなか、一軒、玄関や庭の手入れがおろそかになっている建物が目につく。
表札をみると、名波がこの家だと告げる。しばらく中に人がいないか外から様子を見ていると、隣の家の住人が早足で出てきた。
「雨宮さんの知り合いですか?」
「ーーええ、まあ、久々に近くを通りがかったので寄ってみたんですけど、この様子ですと引っ越されたんでしょうか?」
息をするように嘘を吐く名波に唖然としつつも、弥勒は黙っている。
この家の様子を見るに、ただ事ではなさそうだった。
「いいえ。まだ暮らしているみたいだけど、今日はまだ帰ってきてないみたい。雨宮さん、1年前に息子さんを転生の手術で亡くされているじゃない。それ以来おかしくなっちゃったのよね、不憫ですけど、ちょっとねぇ」
「そういうことでしたか、親切にありがとうございます。残念ですが、挨拶はまたの機会にしようかと思います」
雨宮さんに対する愚痴を話したそうにしていたお隣さんは、残念そうに家へと戻っていった。名波はその背中を営業スマイルで送り届ける。
転生手術は、肉体年齢が一定段階まで発展していなければ失敗するリスクが高まると言われている。
しかし、いじめなどがきっかけとなり若いうちから転生手術を受けたいという話は枚挙にいとまがない。
法的には禁止されていないため、親の同意が得られれば16歳以下でも転生手術は受けられる。事実、弥勒が転生手術を受けたのは16歳の時だった。
弥勒は生まれながらにして脳性麻痺で体を動かすことができず、機械補助がなければ会話も困難であった。当時の先端医療であるブレイン・マシン・インターフェースを利用することで、VRFPSゲームをプレイすることが唯一の楽しみであった、これであれば、誰とでも対等に戦えた。いや、対等どころか、弥勒は抜群のセンスと努力から一気にトッププレイヤーとして名を馳せた。その活躍を目の当たりにし、弥勒に転生手術の全額補助を申し出たのが、当時、VRFPSゲームを運営していたエリオットであった。だが、誰もが弥勒のようにうまくいくわけではなかったのだ。
未発達な身体の情報変換は失敗、死傷事故につながることは少なくなかった。この問題は、若者の自殺問題と並ぶ社会問題として近年では話題になっている。
「ブレイン・マシン・インターフェースをこえた、脳の代替処理、転生か。ここにきて、少しばかり相沢さんの存在が見えてきたか」
「まあ、ご存じですよね。僕が日本最初の転生者だってことは」
転生というのは通称であり、本当に生まれ変わるわけではない。個人の脳をスキャン、電子情報として変換し、超大型量子コンピュータの演算能力と管理サーバを利用することで、人間の意識、魂を複製する技術である。
一般的には、同一人物が存在することは問題となるため、転生手術後は肉体は処分される。これを殺人として問題視する声を上げるような組織も存在する。
「雨宮と相沢千賀子をつなぐ線は転生というわけ、か」
「どうしますか?雨宮の位置がわからないとどうしようもないですよ」
「いえ、そうでもないわ。たとえば、こういった人でも昔は社交的だったりするわけ、ほーらあった1年前で更新が止まっているけど、SNSのアカウント。えーと車種とナンバープレートに、保険会社は・・・有名どころから総当たりすればなんとかなるでしょ、あとはGPSで位置情報をもらうだけね」
「手慣れてるなぁ」
「どうやって相沢千賀子にたどり着いたと思っているの? こういう細かい作業の積み重ねよ」
デバイスを操作し、当たり前のように個人情報を収集し、管理会社に連絡。
家族と偽り盗難車の位置情報を教えてもらうと、人差し指と中指をたてて名波はピースをする。
雨宮の車は港区にある「いのちの会」の関連病院の駐車場にあることが判明した。
高速道路を走らせながら、弥勒は名波に尋ねた。
「「いのちの会」っていうのはどんな組織なんですか?」
「その発起人の一人はあなたのひいおばあさま、相沢千賀子なんだけどね。本来なら相沢さんのほうがくわしいはずなんだけど」
「恥ずかしながら、ゲームしかやってこなかったもので」
「それ一本で世界の頂点にいるんだから、ちっとも恥ずかしくないでしょ。むしろ、転生した人たちの希望なのよ、相沢さんはね」
一息おいて、名波は続ける。
「それとは逆に、それで一番危機感を覚えたのが「いのちの会」ともいえるかな。「いのちの会」は、もともとは日本の超高齢化社会での医療問題に対して取り組むことを目的としていたみたい。けど、転生が認知されてくると、その方向が歪んでくるの。「いのちの会」は人々がどんどん医療を必要とせず、サイバースペースに生きるようになるのではないか。そうなると、今後の医療は、私たちの生活はどうなるのか。そういったことにおびえるようになった。まあ、現在の日本国内での、後期高齢者の転生の普及率は20パーセント程度、これを高いとみるか低いとみるかは人それぞれだけど、「いのちの会」は高いと思ったのでしょうね。『転生とは自殺である。データ化した命に魂はない。』といったキャンペーンの発端は「いのちの会」なの。そういったわけで、今の「いのちの会」はすこし変わったやばい集団ってわけ。暇だったら私のウェブ連載でも読んでみてよ」
一通り話し終えて、名波はふぅと息を吐く。
「ま、ついでに話ちゃうんですけど。私の母はね、難病を患っていたの。当時は政府としても転生を推進していた。私の母は、少なくとも、私が大人になるまではってね。でも、それは叶わなかった。突然、母の両親が、反対してね。母は家に連れて帰られちゃってね。それが最後だった。で、色々調べていたら、奴らに行き着いたってわけ、そしたら誘拐が発生でしょ、もう大問題よ」
これが聞きたかったんでしょうと言わんばかりに、名波は弥勒を見る。
「そういえば、なんで誘拐なんてしたんでしょう。あの人は「いのちの会」の創設メンバーだったんでしょ。それなら、誘拐する理由なんてどこにあるんでしょうか」
「確かにね。私の調べでは定期的に連絡を取り合っていたのは間違いないから、険悪ってことはないと思う」
「僕と会いたくない、会えない理由でもあったんでしょうか」
「相沢さんと会うことによる問題か」
「あの人が自分の意志で僕の前から去ったとして、なにをすると思いますか、「いのちの会」と一緒に」
「「いのちの会」からしたら、あなたは疫病神そのもの。関係者を引き離したいという気持ちもわかるかなあ」
「実はさ、僕の友達に一人、すごい奴がいるんだ。そいつに聞いてもいいかな?」
「知恵は多いほうがいいし、相沢さんがいいなら。私は勝手に首を突っ込んでるだけだから」
†
近隣の超高層オフィスビルとも引けを取らない大病院が見えた。
ウェブの情報が正しければ20階建ての巨大病棟で病床も1000近い。
一部屋ずつ忍び込んでいったら日が暮れてしまう。そもそも、生体認証ではじかれてしまうだろう。
「相沢千賀子にあわせろーって殴り込めば行けると思う?」
「それは無理だろうけど、きっと、あの人は最上階にいるよ。昔からそうだから」
「「いのちの会」の関係者なら、部屋を手配することも無理じゃないか。誘拐じゃなくて招待なら、ありえる話かもね」
弥勒は右腕を伸ばし、子供が遊びで指先を銃口に見立てるように、病院の最上階を指さした。
「ひとつ、悪いことをしようと思うんだけど、見なかったことにしてもらえない?」
「何をしてもいいけど、一人で行動しないようにね」
「これはこういう使い方はしていけないって決まりだし、そういう誓約書だったんだけど。緊急事態だから」
病院の周囲で人気の少ないところに移りながらも、右腕は病院を指さしたまま。左腕で名波の肩を抱き寄せる。
「怪我をすると危ないから僕にしっかりとつかまっておくように」
名波が最初に感じたのは炸裂音。打ち上げ花火を想起させる。次いで、視界が白む、蒸気が弥勒の右腕から吹き上がった。そして衝撃波が叩きつけられる。蒸気が晴れると、弥勒の右腕から先が無くなっていた。
よく目を凝らせば、それは見えてくる。細いワイヤーが病院の屋上まで伸び、指先が鉤爪となり、建物の上部にがっしりと噛み付く。
「嘘でしょ、死なないよね」
「任せて、僕は自分の家族がどんな人とか、自分がどんなことをやらかしたのとか、考えたこともなかった。ただ、これだけには絶対と言える自信があるんだ」
ぎゅいんと身体が持ち上がる。浮遊感。ジェットコースターやフリーフォールで感じるのと同じ感覚。
疑似身体を構築する右腕は通常であればこのような駆動はしない。これは、「STARRING」が本来は「ENGINE」のリアルイベント用に制作した、「ENGINE」の人気キャラクターの一人、シャドウの動作を再現したもの。
本来なら華麗に着地するはずだが、今回はあらかじめセットされた演出とは異なるため、引き上げられた身体はそのまま最上階の強化ガラスを突き破る。
通常の人体であれば衝突の衝撃で体中の骨を折ってしまいかねないところだが、弥勒の身体は今この瞬間はゲーム内のヒーローと遜色ない、着地までは完ぺきとはいかなかったが、名波に怪我のないように抱きかかえて転がり込む。
「死ぬかと思った!」
「予定とは違ったけど無事で安心した」
「なんだろう、交通事故に遭った時ってこんな感じなんだろなって走馬灯が駆け巡ったよ」
即座に警報が鳴り響き、院内放送で部屋から出ないように、不審者が侵入した恐れがあります。とアナウンスされる。
そのアナウンスで冷静さを取り戻した名波はあたりを見渡す。見るからに豪奢なつくり、怪我がなかったのは敷かれた絨毯が柔らかかったおかげもあるかもしれない。
その部屋のわきで、一人の男が倒れている。弥勒には見覚えがないが、名波にとってはよく知った顔だ。
「鵠沼!」
「いったいどこの誰だ。お前は、相沢の疫病神め、よくもこんなところまで!」
鵠沼は弥勒を見つけると、顔を真っ赤にして叫ぶ。
その鵠沼の頭を、名波が床に押さえつける。護身術でも習っているのか、それとも感情に力の枷が外れたか、鵠沼はうめき声をあげてうごけない。
「相沢千賀子はどこにいるの!」
「この部屋を出て突き当りだ、この階にはこの部屋のほかには部屋は一つだけだ。お前の家族はその先にいる。別れの挨拶をしてくるといい」
「相沢さんは先にいって、この男は私に任せて」
鵠沼の部屋を出て向かいに、もう一つ扉がある。
部屋までの通路は、どこか横須賀の病院に似ており、ガラス張りの廊下から地上が見下ろせる。パトカーのサイレンが見える。大変なことになってしまったが、今はそれどころではない。
扉を引くと、介護用のベッドが一つ置かれている。そのほかに大したものはないが、ベッドに横になっている曾祖母を見つけて、弥勒は胸をなでおろす。
「もう、会うつもりはなかったのだけど」
そう言って、彼女は身を起こして弥勒と向き合う。
「それは、僕が転生したから。僕のことをどう思っていたの。毎月、会いにきていた僕を」
「罪の証。罰。あのとき、弥勒を見殺しにした私への」
そういいながら、千賀子は頬に涙を伝わらせる。
「そう、僕としては約束を守ってきたつもりだ。こうして月に一度会いにくるのも、結構命懸けだ」
「それも、今日で最後よ」
名波が慌てた様子で部屋に飛び込んでくる。その拳が赤くなっているのを見るに、何をしたのかは想像に難くない。
「まずい、こいつら、医療ネットワークを介して、ハッキングを仕掛けてる。量子コンピュータを全てクラッシュさせるつもりだ!」
「今更遅いわ、あとは待つだけ。ここから全てを見ているわ。さようなら、弥勒」
その言葉とほぼ同時か、一帯が一斉に停電した。
弥勒のいる部屋も、暗闇に包まれる。パトカーのサイレンの光だけが、地上から照らす。
自家発電を持つ病棟の明かりがつく、だが、弥勒は無事だ。
「僕は、なぜだろう、わかっていたよ。うまくいったみたいだ、ありがとう、エリオット」
「礼はいい。俺は相棒のためだったらなんだってやる男だ。」
スピーカフォン越しに、エリオットが返事をする。
「どうなっているの? 量子コンピュータは全て破壊したはずでしょう!」
「YES!」
弥勒のかわりに返事をしたのはエリオットだった。
「日本の量子コンピュータは全て沈黙してるのを確認してる! だから、我らがアーミーの権力をちょっとばかし借りて、全て我が社「STARRING」のメイン量子コンピュータ「チャールズ・バベッジ」によって補完させてもらっている! 「STARRING」はその名の通り、元々は、惑星の完全なるシミュレーションを可能とすることを前提にマシンを作った。今は最高にハイなゲームマシンとして輝いているけど、日本の転生者のフォローくらい、どうということはないね!!」
陽気な声で、エリオットはいう。すぐに日本のマシンも復旧する、それまでは任せろ。と残してエリオットは通信を切る。
「俺は、あなたに救われてここにいる。この世界に。だけど、それが苦しみしかないというのだったら、俺は、俺のいるべき世界に帰るよ。ここでお別れだ、さようなら」
弥勒は千賀子を残して部屋を後にする。弥勒にとって、この現実に縛られるものは、もうなにもかもなくなった。
文字数:9856