梗 概
ゲノム撩乱
バイオテクノロジーが発達した近未来、金魚の育種家の父のもとに生まれたゼロは繊細で神経質な少年だ。古びた生家の屋上にはコンクリート池があり、そこで幼い頃から金魚の世話をしている。ゼロの家への日光を遮る向かいの高層マンションには、同い年の美しく快活な少女・マチが母親と暮らしている。マチの母親は資産家であるが、めったに人前に現れず、醜い容姿の人物だと言われている。そのため美しいマチは遺伝子改変を受けた「デザイナーベビー」ではないかと噂されている。親の望む能力や容姿を子供に与えるデザイナーベビー技術は急速に普及する一方、富裕層にしかアクセスできないため、妬みの対象でもあった。
ゼロはマチとの格差や、それとは裏腹に美しい彼女に惹かれる気持ちからか、マチのことを「ミュータント」と言ってからかい、いじめていた。マチはそんな言葉を気にする様子もなく「きれいな金魚ができたら見せてね」と笑う。
時は経ち、ゼロは下級労働者であるバイオインフォマティシャン(生命情報技師)として働きながら、その技術を活かして自宅で金魚の新品種の作出に取り組んでいた。ある日、より一層美しくなったマチと出くわす。成長した二人は惹かれ合い、秘かに愛し合った。しかし、マチは同じく富裕階級の男と結婚し、ゼロのもとを離れる。ゼロは失意のなか、マチの姿を重ね合わせるように、唯一の美を携えた新品種の作出に没頭していった。
数年後、ゼロは仕事も辞め、私財を投げ出して金魚の遺伝子改変に取り組んでいた。この春に生まれた金魚を選別しながら「今年もまた失敗か―」そう呟く。ある日、お腹の大きくなったマチがゼロのもとを訪れ、「金魚を育ててみたくなったの」と言う。ゼロは選別を終えた失敗作をマチに手渡した。
五年後、破滅の道を行くゼロはあるニュースを目にする。それはある期間に向精神性の遺伝子改変を受けたデザイナーベビー達が、予期せぬ遺伝的相互作用のために若くして死亡する事例が報告されているというものだった。嫌な予感がしたゼロはマチのもとを訪ねる。そこにはマチの遺影とマチの面影を残す娘の姿があった。マチからの遺言には、自身が双極性障害を持つ母親の意思によってストレス耐性に関わる不安遺伝子を取り除かれて生まれてきたこと、自身の前向きな性格がおそらくはその結果によるもの、そしてそれ故に自分にはない繊細さを持つゼロに惹かれたことが記されていた。混乱の中、マチの家の片隅に置かれた水槽を見たゼロは驚愕する。そこにはゼロが理想とした金魚の姿があった。
「きんぎょ。わたしとおなじ、5さい」とマチの娘は言う。
ゼロの生み出した金魚もまた予期せぬ遺伝的相互作用によって、通常よりも大幅に遅れたタイミングで最後の変色を遂げたことをゼロは理解する。見切りの早いゼロとは違い、大らかなマチのもとでゆっくりと大切に育てられたが故に、実現した姿であった。掛け替えのないものを失うと同時に、自身が追い求めたものの予期せぬ結末を見たゼロは、その場を静かに立ち去る。
文字数:1247
内容に関するアピール
岡本太郎の母・岡本かの子の小説『金魚撩乱』をオマージュして、SFに仕立てました。
『金魚撩乱』は大正〜昭和初期を舞台に、新品種の作出に偏執的に取り組む金魚師・復一とその幼馴染であり資産家の娘・真佐子の半生を描いた物語です。
本作では舞台をバイオテクノロジーが発達した近未来に置き換え、遺伝子操作による金魚の新品種の開発に取り組む男・ゼロとデザイナーベビーと噂される美しい女・マチの二人を軸に、遺伝的決定論と環境、運命と偶然いったテーマを描くことを試みました。
自己紹介代わりの一作ということで、生物学を学び、金魚の研究に取り組んでいたため、得意分野を活かしたアイデアにしたく、このような形となりました。
一年間どうぞよろしくお願いします。
文字数:315