梗 概
あがない
『聖テレジアの法悦』を模した彫刻には、ローマにかつて存在したベルニーニの真作と同様に計算しつくされた照明が背後から当てられていた。ナハラが彼女たちを見上げながら肩に食い込む雑嚢を背負い直したとき、銃声が鳴り響き、テレジアと天使の頭蓋を粉々に砕いた。「《ギリシヤ》だったらどうするんです」とエルは銃口を下ろして言った。ナハラは破片から視線を動かさぬまま「そうね」とこたえた。
惑星を覆い尽くした文明が崩壊し、更に長い時間が過ぎ去った未来、逃亡兵士ナハラは一丁の強力な銃で身を守りながら旅を続けていた。流行性の肺病に冒された孤立した集落で妹を救けたいと少年エルに泣きつかれ、はるか下層の廃棄領域へと二人で向かうことをナハラは提案する。廃棄領域はギリシヤ――近寄る人間を無差別に攻撃する白い写実彫刻――の巣で、エルたちの集落が数世代かけて上層へと移動してきたのもギリシヤたちに追いやられてのことだった。しかしある区画にいるクロスというギリシヤは人間に友好的で、訪問者の病気を治療することすらあるという。クロスを連れ帰れば妹を救けることができる。野営地でそう説明したあと「私はクロスに治療されたことがある」とナハラは続けた。興味深そうなエルに、彼女はそれ以上語ろうとはしなかった。
廃棄領域にやってきた二人は、クロスがいるはずの赤い十字架の掲げられた区画へと辿り着く。首尾のよさに上機嫌だったエルは索敵を誤ってギリシヤたちと近接戦闘になり、頭部に攻撃を受けて即死する。すべてが終わり、静寂の中でナハラがエルの死体を見下ろして佇んでいると、背後から女性型のギリシヤがあらわれる。振り向いたナハラは、そのギリシヤの誇張された美そのものとでもいうべき細長い首や、床まで届かんばかりの腕に視線を配って銃を下ろした。「治せるかな、クロス」とナハラが旧知の友人に対するような声色で呟くと、『ナオセ、ルカッ……ナー』とクロスは低い声で繰り返した。
区画の奥でエルを治療台に載せると、クロスは巨大な機械で処置をはじめた。エルの肌に生気が蘇っていくのを見て、ナハラはほっと息を吐く。クロスはナハラの胸を差して、「コワレル、スグ」と言った。ナハラは裸になり、自ら治療台に横たわった。クロスが笑みを浮かべたあと、その口が大きく裂けて複雑な器具が体内からあらわれ、ナハラの胸部に次々と差し込まれていった。目を閉じたナハラが顔を赤く染め、愉悦を抑え込むような声を上げた次の瞬間、クロスの頭部に巨大な穴が空き、砕け散った。ナハラが目を見ひらくと、治療を終えたエルがナハラの銃を手に荒い息をついていた。エルは涙をこぼしながらナハラに抱きついた。彼はギリシヤがクロスだとは気づかないまま、ナハラが襲われていると思い込み、唯一の希望を自ら壊してしまったのだ。すべてを悟ったナハラは、何もかもを飲み込んで、赦しを与えるかのようにエルの頭に触れた。
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内容に関するアピール
銃が出てきてかっこいいみたいな話を考えました。動かなさそうなものが動いたらおもしろいかなと思って彫像がとつぜん動きだす話になりました。
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