スタッフロール

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梗 概

スタッフロール

 スタッフロールが流れ終わる頃、良人よしひとの周りの観客の多くはすでに席を立っていた。少しでも時間を節約しようと考える人々を、良人は軽蔑していた。何事にも時間をかけて取り組むことで見えてくるものがある。親から教え込まれた信念を思い返したのは、館内の静けさのせいだろうか。軽く目を閉じ、気持ちを落ち着かせた。  

 2119年、東京。良人は都内で災害予測システムの開発・運営を行う企業に勤務している。50年前に都心を襲った震災を教訓にして、人々は脅威への意識を変化させつつあった。全国の地表や海中に設置されたセンサーから常時取得される力学的・電磁気的エネルギー変動データから、今後数日以内に発生すると考えられる自然災害を予測し警告を発する。政府主導で始まった取り組みだが、現在では多くの民間企業が独自の技術を開発しながら災害への取り組みを進めている。 

 数年前から映画館は新しい上映形態のサービスを開始した。上映前に観客に骨伝導方式のイヤホンと視線追跡用メガネが配布される。この形態の上映では、本編上映前にスタッフロールが流れる。その際にスタッフの名前を視線で選択することにより、本編上映中にそのスタッフのコメンタリーを聞くことができるというシステムである。同じ映画でもどのスタッフの話を聞くかという選択肢がある。

 震災から50年の節目に、ドキュメンタリー映画が公開されることになった。スタッフロールに流れる名前を見て驚いた。9年前に亡くなった母の名前を見つけたからだ。母の記憶に触れるうちに、震災以降、母が様々なデータを集め災害への対応策の多くが無意味に終わっていたことを暴こうとしていたのだと知った。  

 良人は気づいた。災害を予測し、回避しようとする者がいる一方、不確定な予想が社会に混乱を招くと考え、情報を削除しようとする勢力も存在する。そのどちらの意見も理解できる。ドキュメンタリーの本編を見ながら、良人は決意を固めた。映画館の新しい上映システムはなぜスタッフロールと本編の上映順を逆にしたのか。製作者という「原因」と映画作品という「結果」の因果関係を強化することは、災害のような不確定なものと相性が悪いのではないか。 

 良人はそれからの人生を災害予測システムの概念を更新することに捧げた。「原因」から「結果」を予測するのではなく、「結果」を仮定した場合に考えられる「原因」を特定することで、現在と未来を接続する。 

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 スタッフロールが流れ終わる頃、わたしの周りの観客はまだ席を立たなかった。時間に余裕のない人々は、もう生き残っていないようだ。何事にも時間をかけて取り組むことで見えてくるものがある、そう言ったのはわたしの祖父だっただろうか。記憶は曖昧だが、問題はない。何度でも対話できるのだ。この神殿シアターで。 

文字数:1171

内容に関するアピール

 2Dから3D、3Dから4Dへと次元の拡張に取り組んできたのは物理学者でもNASAでもなく、映画館であるという発想を元に、100年後の映画館がどんな役割を果たしているだろうかと考えました。スタッフロールは本編の後に流れるという前後関係が未来では逆転することが起きるとすると、それは観客にどんな影響を与えるでしょうか。また、スタッフロールに製作者の擬似人格が刻まれることによって、映画という文化が「碑」としての機能を持ち始めるという点が人類の歴史にとって大きな転換点になるのではないでしょうか。 

 地震にはP波とS波という伝達速度の異なる2つの波が存在するからこそ、P波が到達した瞬間から数十秒の未来が確定する瞬間が訪れます。それは一つの例ですが、「原因」があってから「結果」があるという当たり前だけでは立ち向かえない未来に、人類はどう動くべきなのかを考えるための寓話として描きたいと思っています。 

文字数:399

課題提出者一覧