いずれ不幸になる子どもたち

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梗 概

いずれ不幸になる子どもたち

 紛い物の海やジャングルをその内に抱えた巨大シェルターの中には、歳をとらず、死なない少年少女が長い間暮らしている。子どもたちは自分たちがシェルターの中にいると走らない。ただ茫漠たる日常を楽しく暮らしている。どれだけ長い間この日常を送っているのかは誰も知らない。

 ヴィクターもほかの子どもたち同様にシェルターの中で暮らしている。鳥の卵を盗み、魚を捕まえる。調理して食べて寝て、その繰り返し。たまに子どもたち同士で戦いの真似事をする。相手を殺すつもりで飛びかかり、でも本当に殺すことはしない。重症を負わせることもない。だから滅多に子どもは死なない。
 だけど戦闘ごっこでも偶に死ぬことがある。事故みたいにして、あっという暇なく死んでしまう。子どもたちはそれが自殺であることを知っている。だから誰も何も言わない。ただヴィクターはヴェローナと彼ら彼女らがなぜ自殺したかを考える。不幸だと思ったから死んだのだろうか。

 ヴェローナはほかの子どもからすれば理解不能な女の子だった。戦闘ごっこに加わることはなく木の上からそれを眺める。空想好き。ヴィクター以外誰も相手にしない。ヴェローナはヴィクターの姉だった。だが二人には姉弟という意識はない。長い年月を経てその感覚が失われた。

 そんな折、シェルターの空に穴が開き、そこから集団が入ってくる。武装した部隊の中から女性が現れて『子ども兵心理社会支援グループ』のカサンドラだと名乗った。そして子どもたちが何者であったかを説明した。曰く、

 子どもたちは七十年ほど前には民間軍事会社お抱えの子ども兵部隊だった。会社は介入していた戦争がひと段落すると、優秀な子ども兵たちのノウハウが失われないように遺伝子操作で「不死化」しシェルターに閉じこめた。また子どもの部隊が必要になるまで。だが暫くして会社自体がなくなりシェルターに子どもたちが残った。

 だからなんなのかと子どもたちは思った。カサンドラたち学者はあなたたちを調査してどのようにすれば幸せになれるかを決めるのだと言った。このままシェルター内に留まるか、社会復帰を促すか。いずれにせよ子どもたちには関心のないことだった。だがヴィクターとヴェローナは違った。
 二人が注目したのは子どもたちの過去ではなく、それを忘れていたことだった。二人は忘却がこの延々と続く日常を作ったのだと知る。幸福でも不幸でもない暮らし。そのなかで自殺する子どもたち。

 カサンドラは二人の生活について回り、言葉を交わす。カサンドラは子どもたちを理解しようと努め、ヴェローナも空想話を聞いてくれるカサンドラに気を許す。カサンドラも自身が爪弾き者であることや、本当は子どもたちをそっとしておきたいことを告げる。だが二人はカサンドラに外に出たいのだと告げる。カサンドラはきっと不幸になると二人に返す。
 

 ヴィクターは言う。僕たちは不幸になるために外に出るんです。

文字数:1200

内容に関するアピール

 ある日突然空がパカッと開いて、「やあ君たちの知る世界というのは実はちっちゃかったんだね」という人が登場する、みたいな妄想をよくします。学校にテロリストが襲撃するとか、そういった類の妄想ですが、しかしもしそんなことが起こったらどうしようとよく思うのです。そんなことはないだろうと思ってはいるのですが、もし、もし本当にそんなことが起こったら、ニュースなどで見かける不思議な出来事が起きたわけが一挙に判明してしまいそうだと思うのです。

 本作では通常死なない子どもが日常に倦んで死ぬ風景が出てきて、主人公はなぜと問います。人が亡くなったときに、なぜという疑問が湧くことがままあると思いますがたいていはその疑問が解消されることはありません。それでもなぜと問うてしまう人間の性質とは不思議なものだなと思い、このような形のものになりました。実作ではキャラクターの対比を具体的にしたいと思います。ヴィクターの対局にいるのがカサンドラで、裏面がヴェローナとか、そんな感じで。

 選ばれてもなくても実作を提出するを目標に一年間よろしくお願いします。今期は芽を出したい。

文字数:474

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いずれ不幸になる子どもたち

    1

 僕を起こしたのは僕の自慢の鼻だった。
 空気中の匂いの変化の一切を嗅ぎ分ける自身が僕にはあって、だから僕には喧しい誰かの声もまぶたの裏を真っ赤に染める太陽もいらない。
 キイチゴの囃し立てるような甘酸っぱさ。卵をさっと炙って半生にした鼻のおくに吸いつくような香ばしさ。たっぷりの時間のなかで焼かれた鳥の猛々しさ。
 僕のことを起こしてくれるのはそんな匂いたちだ。
 僕にはそれらが一本の太い糸みたいに感じられて、それを辿っていけば食卓が待っていることを知っている。
 退屈なものなんてない道を僕は進む。小枝を踏みしめながら。
 今度は僕の類まれなる聴覚の出番だった。
 葉と葉が重なる音で、今日がどんな一日になるのかがわかる。
 その音は木の根がどれだけの水分と養分を吸い上げているのかに繋がっているし、それは次の雨がいつ来るのかを予報している。雨の予報が森の鳥たちの飛び方を決める。どのように羽根を広げるのか。そしてそれは虫が土から這いでる瞬間を規定するし、僕らのあいだで交わされる会話の内容も決める。
 僕は歩きながら耳に入る音に満足した。地面は昨晩のスコールでぬかるんでいるけど気にしない。足と泥水が衝突する音からもいろんなことがわかる。
 どうやら今日はいい日になると僕は結論づけた。概ね平和、それで充分だ。
 そのまま進むと潮の香りが徐々に強くなって、最後には脳天を突き抜けるほどになると、森を抜けて砂浜にでた。
「ヴィクター」
 鳥肉を焼いている火元にいたヴェロナの笑顔がこちらを向いた。「おはよう! 今日はどう?」
「上々だよ」
 僕に今日一日どうなるのかを訊ねるのは、ヴェロナの日課だった。
「それならよかった」とホッとしたトーンで言った。
 ヴェロナは首を落とした鳥の羽根を毟っていた。落ちた羽根が、風が運ぶ砂に埋まっていく。ヴェロナの手は羽根毟りでたいへん忙しい。リズミカルに手を動かして、脂の焼ける音も相まって、それはダンスのように見える。
「卵の匂いもしてるけど」
 僕がそう訊ねるとヴェロナは少し離れたところにいたルイを顎で示した。
片面焼きサニーサイドアップかな」
「当然」
 いいね、僕は頷いて、ほかのやつらは、とまた訊いた。
「まだ寝てるんじゃないかな」
「こんないい匂いがしてるのに、よく眠れるな」
 ヴェロナがこちらに顔を寄せて笑った。
「みんながみんな、ヴィクみたいに鼻がいいわけじゃないよ。何度も言ってるけど」
 わかってると、僕も笑った。ジョークなのだ、ヴェロナの反応も含めて。
 二人でよくやる遊びだ。想像力を種にする類の。
 僕が真面目な顔をして真剣なのかそうじゃないのかわかりづらいジョークを吐いて、ヴェロナが弾けたように笑う。ヴェロナの笑顔に頼った形なのは間違いないが、二人の完璧な形のコミュニケイション。
「起こしに行かなきゃ」
 僕がそう言ったのは、ルイたちの焼く卵の匂いがいよいよクライマックスを迎えようとしていたからだ。官能の予感がする匂い。蕩ける白身と黄身。
「そうね」ヴェロナは手を止めずに言う。「今日はダンスもあるんだしね」
 ヴェロナはそう言って口をへの字に曲げる。
「呼んでくるよ」
 僕はそうしてまた森へ入った。
 グウェンとパトリック、ターはすぐに見つかった。三人は普段から樹上生活者みたいに振る舞っているから、丈夫そうな木の上を調べていけば簡単に見つけることができた。
 問題なのはリゥ姉妹だ。
 僕はうんざりするくらいに森のなかを歩かされていて、むかついている。毎朝、食事前の散歩というには歩きすぎるくらいに歩かされて、僕の足に葉が作った無数の細かい切り傷ができる。
 リゥ姉妹は、早い話がクソガキだ。僕たちを困らせる災厄の種はたいてい姉妹のうちのどちらかが持ちこんでくる。二人は僕をむかつかせるためだけに毎晩寝床を変えているのだ。もしかしたら今も眉が中央に寄っているであろう僕の顔を覗いてクスクス笑っているかもしれない。リゥ姉妹の悪いところは――間違いなく良いところでもあるんだろうけど――呑みこみが早いことだ。おかげで僕の鼻と耳からもうまく逃れる術を学んでいて、厄介なことこの上ない。
 もういい加減呆れた僕は、作戦を変えることにした。
 普段は森のなかを徹底的に探すのだけど、今日の朝食では久しぶりに片面焼きが食べられるのだ。僕は黄身に火がほとんど通っていないくらいのものが好きだった。決壊したダムみたいにあふれる黄身は僕の原風景みたいなものだ。
 リゥ姉妹みたいなクソガキというのは相手にすればするだけ調子に乗る犬みたいなものだから、無視してしまえばこちらに対する興味なんて失うに違いなかった。
 僕は浜辺へ戻って、ヴェロナやルイたちと朝食を摂ることに決めた。リゥ姉妹たちが朝食にありつけるかに関して僕は一切の関心を持たないことにしようと。
 浜辺へ戻ると、グウェンたち寝坊組が木製の器に朝食を盛っていた。
 僕がルイの元へ向かおうとすると、ヴェロナに呼び止められた。
「ちょっと、姉妹は」
「さあ」僕は肩をすくめた。「その辺りにいるに決まってる」
「見つけてこなかったの」ヴェロナが少しヒステリックな声をあげた。
 ヴェロナは食事をなるべく全員で摂ることを重要視していた。でも僕はそういったことには拘らなかった。きっとほかのみんなもこだわらないだろう。ここではヴェロナだけが、コミュニティのなかで生活している人間特有の絆みたいなものを信じていた。
「僕たちが食べてたら我慢できずに飛び出してくるよ」
 僕はなるべく明るい声で言う。
「それは、そうかもしれないけど……」
 ヴェロナはそう言うのを横目に、僕は枝が刺さった鳥が焼かれている火元を覗いた。
「焦げかけてる」
 ヴェロナは慌てて鳥を火から遠ざけた。鳥は無事だった。けれど一部が黒くなって、嫌な色の煙がでた。ヴェロナの眉が下がった。
「大丈夫だと思う」僕はフォローをする。「大方無事だし、そこさえ避ければ」
 ターの野太い声が上がった。食事の合図の銅鑼だ。
 僕たちは順に森の木がせり出して影になっている場所に座った。
 目の前には山盛りのナッツとベリー。一人ひとりに片面焼きに鳥をまるごと焼いたものを。黄身は僕の狙い通りにルイが焼いてくれた。頭上の葉の隙間から洩れる日が、君を覆う透明な膜に反射して目が潰れるのではないかと思ったくらいだ。完璧な切れ味のナイフみたいな光だった。
 鳥は口中の水分を総動員しなくちゃならないくらいにパサついていたが、僕としては問題なかった。ベリーがなぜ予め用意されているのか、誰もが答えを知っていた。焦げた部分を丁寧に避ければ、何も問題がない。だがヴェロナは眉を下ろしたまま一番黒い割合の多い鳥を取って口に運んでいた。
 薄い胴体から、寝ぐせみたいに飛び出した四肢を器用に折りたたむこの少女を見ていると、昔どこかで見た死の舞踏みたいだなと僕はいつも思う。
 ほかのメンバーは各々好き勝手に食事を摂っていた。グウェンが僕に、
「姉妹を見つけられなかったんだって?」
 とニヤニヤしながら訊いてきた。陰険で卑猥な蛇みたいな目だ。
「いや」僕は食事に集中しようと鳥の骨を抜き取る努力で忙しかった。「探すのをやめたんだ。馬鹿馬鹿しくなって」
「そう? 向こうの方が数段上手だったってだけじゃない?」
 安い挑発だった。いつもなら殴りかかっていたかもしれない。だが今日は片面焼きにありつけて、僕の予想通り良い日のはずだ。ここで手を出すことが良い日につながるか僕は考えて、無意識に握りしめていた拳を解いた。代わりにルイに、
「よく卵を調達できたね」
 と言った。「おかげで良い日だ」
 無口なルイは、ああ、と言っただけで口をつぐんだ。だが、ルイの声は乱れた波長を馴らすように響いて、グウェンもようやく僕から視線を外した。
 やがてリゥ姉妹が飢えきった猿みたいな仕草で僕たちの円に割りこんできた。冷え切った片面焼きと鳥を貪って、二人そろってげっぷをした。ヴェロナがまるで聖母みたいな目で姉妹を見て、二人の汚れた口元を手で拭ってやる。
 一瞬、姉妹が優越のまなざしで僕を見た。瞬時に僕の拳が締まったが、すぐに解いた。理由は明快だった。
 今日は良い日だからだ。

 僕たちはもうひたすら長い時間をここで過ごしている。
 何日。何か月。何年……。数えるのが億劫になった先の世界だ。
 僕たちはこの海に囲まれた、ジャングルじみた森と砂浜で暮らしていて、どこに行くこともなく一日一日を楽しんでいる。
 歌を歌ったり、踊り倒れるまで踊ったり、ベリーの早食い競争をしたり、狩りに勤しんだり、尽きることのない話題で味わい尽くしたり、したり、そういった楽しみ方だ。
 海の先には一度みんなで行ったことがある。でもその果てにあったのは巨大な壁だけだった。どうやら僕たちは箱庭のなかの子どもであるらしいことがそこでわかったけど、それだけ。もし壁の代わりに門があったとして、誰もここから出て行くことは考えなかっただろう。
 出て何になる?
 つまりはそれだけの話だった。
 僕たちはこの箱庭で満足し切っていて、出る手段さえ講じなかった。そんなことよりも貯蔵したベリーやナッツを猿や鳥から守ることの方が何千倍も大事なことだし、それに僕たちはそれなりに忙しかった。子どもはいつだって、決して暇ではない。
 僕たちは子どもだと言ってしまっていいと思う。大人のいない世界でそんなことを主張しても仕方がないのだけど、僕たちが子どもだ。
 毎日ヴェロナの死の舞踏みたいな身体を見るたびに、発展途上だと思う。それは僕やルイたちも同じことで、もし空から僕たちのいる浜辺を眺めることができたら、僕たちのことを、波に流されてきた流木だと思うだろう。

 食事がすむと、それぞれが身体を捻りだした。これから行うダンスについての、入念なストレッチだ。ヴェロナはもうどこかにいなくなっていた。多分、森へ入ったんだと思う。けれど始まればどこかの木の上から眺めるに違いなかった。
 パトリックが号令をかけて、僕たちは緩く集まった。
「さて、今日は誰からだ?」
 パトリックは手を広げて僕たちを見回した。彼は僕たちのなかでは一番背が高くて身体もしっかりしていた。偏屈に縮れた黒い髪を雑にまとめて、どこかの門番みたいに気難しい雰囲気をまとっていた。けれど、目と声は優しかった。僕たちから一人リーダーを選べと言われたらパトリックになるだろうと僕はいつも思っていた。
「じゃあ、わたしが」
 グウェンが手をあげた。
 僕はため息をついた。パトリックがこちらを見たからだ。気づかないふりをしてもよかったけど、それでは終わらないことがわかっていたから僕も手をあげた。
 パトリックが深く頷いて、大きく二歩後ろに下がると僕とグウェン以外もそれに従った。すると僕とグウェンを中心に大きな円ができた。
「いつでもいいよ」グウェンが腕を頭の後ろで組んで伸ばした。「さ、構えて」
 僕は腰を落として両手を胸の前で構えた。それから足を摺るように動かしてゆっくりと近づく。砂浜で足を摺るのは簡単だが、やりすぎは禁物だった。砂に足が埋まっていざというときに素早く動けなくなる。
 だから僕は止まって、かかとを浅く上げた。これで前後左右どこにでも動ける。
 グウェンの方でも僕とまったく同じ動きで僕の正面に構えた。だいたい一歩半。お互いに初撃を躱せる距離だ。僕よりも頭ひとつ小さいグウェンは、当然僕よりも一歩が小さい。僕が有利なはずなのだ。
 数秒の間。焦れる数秒だ。
 グウェンが誤って口を開いた。「こないの?」
 焦れて口を開いたらいけない。それは先行を相手に譲ることを意味する。
 僕は足を縦にスライドさせるように近づいて右の拳をまっすぐグウェンの鳩尾に向けた。
 これは避けられるだろう、と僕は思った。だから重要なのは次にグウェンがどう動くかだ。その動きを予測して一気にリードするつもりだった。
 だがグウェンは僕の初撃を避けずに、少し膝を曲げて胸で受け止めた。
 僕の額から冷や汗が噴き出してすぐに消えた。
「馬鹿なことをするね」
 僕は跳ねるように後ろにステップを踏んで、グウェンにそう言った。彼女は肩をすくめただけだ。
 グウェンは自分から僕の拳を受けいれたのだ。それはさっきの朝食の席での挑発に対しての彼女なりの謝罪だった。道理で真っ先に手をあげたわけだ。彼女は自分が手をあげたら、僕も手をあげざるを得ないことを知っていた。
 彼女の胸の感触は奇妙なものだった。薄い胸の先にある肋骨を僕の手はたしかに感じた。手と手を組んでお祈りをするみたいに、僕の指がグウェンの肋骨の隙間に滑りこんだのかと思ったくらいだった。そしてそこに彼女の気持ちが僕を待っていた。
 彼女はそこで僕にこう言ったように感じた。
 ごめんなさい。少し悪ノリが過ぎた。
 目の前のグウェンはもう構えなおしていた。明らかにさっきとは違う構え。前傾姿勢で僕の腰あたりを狙っていた。
 そのプレッシャーに僕がわずかに足を引いた。
 グウェンはそれを見逃してくれない。大振りの目潰しがまばたきのあいだに僕の目の前まで来ていた。
 僕は上体を反らしてそれを躱す。もしその攻撃を食らっていたら、という映像が僕の頭のなかで流れだした。そのときはきっと、僕は永遠に視力を喪って、砂浜の上で無残にのたうちまわっていただろう。
 よろめく僕の右脚にグウェンの左脚が槍になって向かっていた。僕は強引にその左脚の射程範囲の外を回ってグウェンの背後を取って、彼女のうなじを思いきり殴る。
 だがグウェンの方が速かった。
 彼女は首を左にずらすと、僕のまぬけな腕を掴んで、背負い投げをした。
 景色がぐるんと回り、僕は砂浜に背中から緊急着陸した。
 周囲から指笛が飛んだ。

 次に行われたのはターとルイのダンスだった。
 僕とグウェンのあいだには明確に力関係があったから無様な喧嘩みたいなダンスになったけれど、この二人は文句のつけるところがなかった。お互いに考えていることが即座にわかるから、の勢いで手足を繰り出しているのにそのすべてが空を切る。その音を伴奏にして、二人は見事なダンスを楽しんでいた。
 リゥ姉妹のダンスはより雄大だった。
 クソガキのくせに姉妹で踊るダンスは、理路整然としている。大いなる誰かによって調整されたプロポーションみたいだった。僕は、きっと彼らはどちらがどちらなのか、わからなくなっているだろうと思った。一体の不定形な生物が美しく蠢いているように見えたのだ。
 誰も勝敗について言うやつはいない。これはダンスだ。それがペアの相手に対して殺気を向けるものであっても。そういうダンスなのだ。
 だから周りで見ているときのリアクションも特にない。指笛がときどき聞こえるくらいだ。
 僕は上手くダンスができなかった。
 ほかのみんなと比べて、僕が人の気持ちを理解しづらいことが原因だ。誰もそんなことは言わないが、僕自身がそうだとわかっていた。
 もう途方もなく長いあいだ、僕たちはダンスをしていて、みんなのダンスが完璧に近づいているのは、単にその期間の長さに依っている。どんな人間でも何千、何万とダンスをしていれば、誰にどんな癖があるのかわかる。充分にデータがあれば、相手が次どう振る舞うのかがわかるわけだ。でも僕にそれは通じなかった。
 何故かはわからない。
 僕の頭には足りないパーツがあるのかもしれない。それを僕はどこで落としたのだろう。

 最後にグウェンとパトリックがダンスをした。一人あたりだいたい七回か八回くらいダンスをした。みんな僕と踊るのはやりづらそうだった。どうしても喧嘩みたいになってしまう。
「ペアとの連携と自身の殺意との均衡をとるのがコツ」
 ダンスが終わって、みんなで畑へ向かう森のなかで、グウェンが僕にそう言った。
「え。ごめん、なんて?」
 僕は目を閉じて、木が全身に養分を巡らせている音を聞いていたから、グウェンがなにを言ったのか最初はわからなかった。
「だから」グウェンはもう一度同じことを繰り返してくれた。「ヴィクターは相手のことをもっと見なきゃ」僕の目を覗きこんでくる。「わかる?」
「わかってる。それを言われるのにも飽きたよ」
「憶えるよりも先に? 飽きちゃったの?」
「そう」
 僕は転がっている枝を蹴り上げた。空中で旋回して草むらへ墜落していく。
「目を見れば、相手がなにをやってくるかわかる、でしょ?」僕はわざとゆっくりしゃべった。「僕にはわからないけど」
「でもさっきは私がなにを考えていたか、わかったでしょ」
 例の初撃のことを言っているのだろう。
「あれは偶然だと思うよ」
「本当に?」
「うん――ああ、そうだ」僕はちらとグウェンの顔を覗いた。目を丸くした彼女が僕のことを見上げた。「攻撃を受け止めるのは、その、なんていうかな」
「感心しない?」グウェンがあとを継いだ。
「そう、それだ」
「でもそうやって私はヴィクターに伝えることに成功したんだよ」
「それでも」僕はあのとき感じた、腹の底が抜けてしまったみたいな感覚を思い出した。「よくないんだ」
 グウェンは肩をすくめて、先頭を歩くリゥ姉妹のところへ行ってしまった。

 魚とイグアナの食事を摂って、今日の終わりを堪能した。あとは寝るだけの時間――暗闇の時間。言葉の焼け落ちた、繊細な感覚の時間だ。
 僕はいつも通りの場所で身体を横にした。傍らにはヴェロナがいた。メトロノームみたいに精確な寝息が聞こえて、僕は今日がどんな日だったかを反芻した。うん、おおむね良い日だった。
 最高ではなかったかもしれないが、高望みは決してよい結果にならないことを僕は知っている。高望みするようなやつにろくな人間がいなかったことを憶えていた。でも具体的にどんな人間がいたか思い出せなかった。それだけの人間たちだ。
 突然、人肌くらいに温められた毛布みたいな視線を感じた。
 いつの間にかヴェロナの寝息が聞こえなくなっていた。
「起きたの」
 僕から先に声をかけた。なにか、そうしないといけないような気がしたのだ。それはきっと気のせいなんだろうけど、それでも僕が声をかけるのが適切だと思った。
「うん、いや――最初から寝てないよ」ヴェロナが珍しくジョークを言った。「それより、ヴィクは眠れない?」
「そんなことはないんだ」
 辺りの気温が少し下がった気がした。風が吹いたせいだ。その風が甘い匂いを僕に運んだ。
「少し考えごとを」
「ダンスのこと?」
「うん」僕は頷く。「ヒヤリとさせられた」
「知ってる」ヴェロナが僕の方に身体を寄せてくる。甘い匂いが強くなった。「木の上から見てたから」
 やはりそうだった。
「グウェンが避けないとわかったとき、今日は良い日のはずなのにって思ったんだ」
「わかるよ」
 ヴェロナは僕とは正反対の理由でダンスが苦手だった。あまりに相手の情念を認識しすぎてしまうのだ。そのせいで、ダンスをしようとすると、処理しなくちゃいけない情報が頭のキャパシティを超えて動けなくなる。繊細な少女。複雑に加工しすぎたガラス細工みたいな少女だ。
 きっとヴェロナからは、僕がグウェンに殴りかかるときには既に、ヴェロナが避けないことを知っていたんだろう。彼女の情念認識力はそれほどまでに高い。いまこの場でも、僕がどんなことを考えているか、彼女には筒抜けだ。
 それでもグウェンは僕の頭のなかについてなにも言わない。僕がそれには触れられたくないことを、彼女は知っているから。理解のある少女なのだ。
 柔らかい沈黙が僕たちを照らしてくれる夜だった。
「ハットはどんな気持ちのなかで死んだと思う?」
 ふいに、グウェンがそう言った。
 ハット。
 僕たちと一緒にここで暮らしていた子ども。
 もうここにはいない少年の名前だった。
「さあ」僕はそう言って、ハットの死の瞬間を思い出した。
 パトリックの手刀がハットの喉を徹底的に潰した。その勢いは雨に濡れた砂浜みたいに素っ気ない威力で、ハットの呼吸が止まったとき、ハットの頭はほとんど胴体から千切れていた。
「さあ」
 僕はもう一度言う。なにかさっきまでの心地良い沈黙とは別種の空気が生まれてきていた。
「わたしたちはここで幸せだと思う?」
「さあね。幸せが何を指すのかにもよるし」
「わたしたちはいつまでここにいるのか、考えたことがある?」
「そんなことを考える必要がもしあるなら、そのときに考えるよ」
 今夜のヴェロナはとてもお喋りだ。何があったんだろう。
「わたしは常に考えてる」
 そう言うと彼女は僕に照準を合わせていた視線を地面に落とした。だからか、僕は無意識に空を見上げていた。全身の毛が逆立つような厭な風が僕たちの頭上を静かに荒れ狂っていた。
「ここでの暮らしになにか問題があるの」
「ううん。そうじゃない。そうじゃないけど――なんだろう……。わたしはときどき、自分がどこに立っているのかわからなくなるの」
「そんなときは逆立ちでもするといいよ」僕はなるべく明るい声で言った。だがヴェロナはこのジョークを無視した。
「ヴィクにはないの? 自分の身体が急に浮遊するみたいな――それか落下するみたいな感覚」
「どうだろう」
「葬られたみたいな気分になるの……本当に知らないの」
「葬られたって……いったい誰に」僕は笑った。どんな種類の笑いかは自分でもわからない。
「さあ、自分自身に、かな」
 それと、ハットの話とどうつながるんだろうと僕は思った。少し考えて得心がいった。ヴェロナは、ハットが死んだのは彼女みたいな気分になったからだと思っているんだ。もしかしたらハットみたいに死ぬことを怖れているのかもしれない。
 僕はハットが死んだときになにを思ったんだっけ。
 確か、不思議に思ったんだと思う。ハットのときも、その前のシドゥンのときも、そのまた前のウォタのときも。ユーリのときも。ドアレのときも。僕は不思議だった。なぜ彼らは死ぬんだろうと。僕たちは最低限の食事と休眠をとりさえすればいつまででも生きていられるのに。そう思ったんだ。
「ハットは不幸だと思ってたわけじゃないと思うよ」
 僕はそう言った。ハットの考えなんて僕にはさっぱりわからない。僕は情念認識に自信がないから。それでも彼女の気休めになればいいと思って言った。
「そうじゃなくて」
 ヴェロナはそれだけ言って口をつぐんだ。僕が横目に彼女を見ると、なにかを言いたいのにどう言えばいいのかわからないという顔をして俯いていた。
 やがて彼女は僕に背を向けて横になった。もうこれ以上話すことはないというわけだ。僕は彼女の寝息が聞こえるようになるのを待とうと考えて、まだ身体を起こしていた。でもその音は長いあいだ聞こえなかった。焦れた僕が横になろうと身体を揺すると、
「ハットは幸福だったから死んだのよ」
「もうおやすみ」
 僕はそれだけ言って、眠った。

    2

 船がやってきて、僕は舌打ちをした。
 朝目が覚めたときに匂ったり、聴こえたりしたものから、今日がなにもせずにやり過ごした日だってことはわかっていた。昨晩感じた、厭な風は強くなっていた。
 でも朝食は完璧だったし、リゥ姉妹も今日は僕の言葉にある程度素直だった。卵が旨い鳥の巣も見つけた。誰とも衝突せずに昼を乗り切った。文句のつけるところのない日に思えて、僕は自分の鼻や耳にがっかりするとともに、僕の悪い予報が外れるという意外な幸運をよろこんだ。
 だが僕の鼻や耳は優秀だった。きっと僕自身よりも優秀な頭脳を持っているのだ。
 僕たちがいつものようにダンスをしていると、海の向こうから闖入者が現れた。こんなことは僕たちの誰の記憶にもない出来事だった。
 暗いブラウンの棺桶みたいな船から、まず長身の女性が出てきた。パトリックよりも頭一つ分も背が高かった。背筋がまっすぐに伸びていてカカシみたいな印象だ。彼女は浜辺の僕たちに向かって、両手を広げて近づいてきた。武器は持ってなくて、だから敵意もないですよ、とその行動は言いたげだった。だが、女性に続いて船から出てきた集団は明らかに武装していた。僕が知っている銃とは似ても似つかない形をしていたけれど、形状からは拭いきれない暴力性が歯を剥き出しにしていた。
 僕たちは後ろに数歩下がって、距離を保つことにした。瞬時に森の方を見て目測で退くのに最適なルートを探す。リーダーの資質があるパトリックだけがその場から動かなかった。
 問題は相手の銃だった。幸いにして女性が武装集団の前に立っている。いざとなれば、彼女の身体を盾にするようにして退くことができる。
 女性が背後の集団に船へ戻るように言うと、集団は素直に従った。だが刺すような不快な視線はそのままだ。見えない銃口が僕たちに向いていることは明らかだった。
 間があって、女性が口を開いた。
「はじめまして」はっきりとした声であえてゆっくり発音をする。「わたしの名前はカサンドラ。ええと、その、あなたたちのことを教えてほしくてここに、います」

 まずパトリックがヴェロナを伴ってカサンドラと話をした。僕やルイたちは一度森へと入った。僕たちの砂浜に異物が混じったのは、大きな魚を丸呑みにしてしまったみたいに、息苦しいことだ。それでも、これがお互いにとって賢いやり方だと僕は思った。カサンドラと名乗った女性の目的が僕たちであることは明白だったけれど、どういう類の興味なのかが問題だった。
 僕たちを殺しにきたのか。それともただ単に観光なのか。
 僕たちはそれを見極める必要があった。でもそれに僕は貢献ができない。むしろヴェロナ向きの用件だった。高性能の嘘発見器として。
 カサンドラとその武装集団は、僕たちが久々に見た大人だった。いったい何時ぶりだろう。もしかしたら初めてのことかもしれない。それくらい、昔のことだった。だから僕は大人がどんないきものなのかわからなかった。そんな不可思議ないきものには近づく気になれない。

 僕が森の声を聴いていると、砂浜のパトリックから号令がかかった。
 もう日が傾いていた。つまり、今日はもうダンスはなし。それだけは喜ばしいことだ。
 行ってみると、さっきまでいた暴力的な船がいなくなっていた。僕は思わず息をついたけれど、それは無駄だった。カサンドラは残っていた。
 僕たちが近づくと、カサンドラはまたハグを求めるみたいなふうに手を広げた。僕はダンスのときみたいに、反射的に距離をとってつま先に体重をかける。
 カサンドラがしばらくここにいることになったと、パトリックは言った。信じられないことだ。僕は喚こうか悩んだけど、それよりも先にリゥ姉妹が悲鳴みたいな声を洩らした。
「なぜ」
 ルイが珍しく口を開いた。すると今までは口をつぐんでいたカサンドラが、
「わたしはここに調査をしにきたの。あなたたちはその、珍しい例だから」
 調査。
 嫌な言葉だった。最悪だと言っていい。誰だって自分のおもちゃ箱のなかを荒らされたくはないはずだ。それをこの女は調査だって? 僕たちが何をしたと言うのか。心のなかで悪態が嵐みたいに暴れまわった。くそったれめ。
 周囲を見れば、みんな同じようなことを考えていることはわかった。ターに至っては悪態が口から出ている。それを聞いたカサンドラがびくりと身体を一瞬ふるわせた。でも、すぐに微笑んだ。それがまた僕たちを苛つかせると知らずに。パトリックでさえ、くしゃみするように顔をしかめる。
 この空気に終止符を打ったのはヴェロナだった。
 でもなにかを喋ったわけじゃなかった。濃密な情念が彼女の身体から溢れたのだ。僕にもわかるくらい大胆に。ときどきあることだった。ヴェロナは情念で緻密な風景を伝えることさえできた。
 僕たちの苛立ちは急速にしぼんだ。カサンドラに真っ直ぐ向かっていた苛立ちや嫌悪が散漫になって中空で塵になった。彼女にはなにが起こったのか、理解さえできなかっただろう。そんな表情をしていた。大人は情念が認識できないのだと僕は学んだ。
 怒りの軍勢はヴェロナによって腰を折られたから、それから先は誰も喋らなかった。やがてパトリックが――きっと彼はそうするのがリーダーの役割だと思ったのだろう――その場から離れた。続いて、ルイが抜けた。リゥ姉妹はなかなか離れなかった。ずっとカサンドラを睨みつけていたのだ。僕が感心するほど、大した熱量の感情だった。それでも、結局は森へ戻った。
 僕はヴェロナがカサンドラから離れるのを待っていた。大した時間待ったわけじゃなかったはずだけど、僕にはあまりに長い時間に感じられた。地球がもうひとつできるんじゃないかと思ったほどだ。
 ヴェロナもとうとう動いた。森へと歩いていく。僕は慌てて彼女についていった。もう、背後のカサンドラは気にならなくなっていた。あんなの、放っておけばいいんだ。
 僕はヴェロナに言った。多少声が荒かったかもしれない。
「どういうつもり?」
「どう?」彼女は澄ました顔で歩きつづけた。僕の方を見ようとしない。「どうって、なに」
「さっき、パトリックと、三人で何を喋ったんだ」
「大して喋ってないよ。あの人は私たちの生活を調べにやってきたって言った。パトリックは不快だから帰れって。でも私が、いいんじゃない、って」
「なぜ」
「さあ」ようやく僕に顔を向けた。感情を押し殺したきった顔だった。僕には、なにも読み取れない。完璧だ。いままで見たなかで、一番美しいヴェロナの表情だった。「強いて言えば、シンパシを感じたから」
 卵を取ってくると言って、ヴェロナは森の深くに入っていった。だからついてこないでね、という意味だということくらい、僕でもわかった。

 夕食の時間になっても、ヴェロナは砂浜には現れなかった。カサンドラも砂浜からいなくなっていた。
「ぶっ殺してやりたかったな」
 魚を頭からかぶりついたターが唐突にそう言った。
「駄目だ」すかさずパトリックが咎める。「あの武装集団を見ただろう」
「わかってるけどさ」
 なんだか急にこのシェルターのなかが狭くなったような気がした。やつらは僕たちについてなにかを知っているようだったし、このシェルター内のことだって自分たちの手のなかにあるような振る舞いをしていた。我慢ならない現状だ。食事の円のなかの誰もが拳を固く握っていた。
 僕は少し、カサンドラの頭蓋を僕の拳で砕けるかを考えた。余裕だった。一撃で仕留めることは間違いない。相手が痛みを感じる暇もない速度で殺すことができる自信がある。
「駄目だ」パトリックがもう一度言った。「さっき話しあったときにな、俺は見たんだ」
「なにを」とグウェン。
「ここのな」パトリックが自分の心臓あたりを大きなイモムシみたいな指で叩いた。「あの女はパッチを貼っていた。たぶん、心電デバイスだ。あの女が死ねば、船のやつらに通信が行く」
「それ、本当?」グウェンが果物の種を口から吐き出して言った。すごい勢いだ。脳天も貫けそうだった。「確信があるの? ブラフかも」
「試してみようぜ」ターが言って、リゥ姉妹が同調した。
「駄目だ」
「万が一は考えなくちゃね」と僕が口を挟んだ。
 みんな驚いたような表情をした。僕が慎重な意見を言ったからだ。だが、本当に驚いていたのは僕だった。さっきまであの女を殺す想像までしていたのに。
「――とにかく駄目だ」パトリックが一段大きな声を出した。「ほっとけばいい。どうせ少しのあいだだけだ」
 それでお開きになった。誰も議論なんてしたくなかったから。僕だってそうだった。
 寝床に戻ろうと森に入ったとき、僕の耳がふたつの声を捉えた。一つはまだ聞きなれない声。そしてもう一つは、僕の一部みたいに馴染んだ声だった。その二つは会話をしていた。楽し気だった。僕の足が枝を踏んで、声がやんだ。
「楽しそうだ」僕から先に声をかけることにした。
 カサンドラはベリーで口許を汚していた。
「妬いてるの?」
 ヴェロナがジョークを言った。いつもより、機嫌がよさそうだ。僕はそれを無視して、カサンドラの方を向く。
「みんなあんたのことを良く思ってない。僕もね。できるならはやく出て行ってくれないか」
 カサンドラの目に一瞬、恐怖の色が広がった。だがすぐに戻る。さっきと一緒だ。よく訓練されているんだな、と僕は思った。
「わたしはカサンドラ。昼のあれで偉そうに見えるかもしれないけど、よろしくね」
 なんでいま自己紹介をしようと思ったんだろう。僕はそれには応えなかった。ヴェロナがカサンドラのどこを気に入ったのか、全然わからなかった。シンパシとか言っていたな。大人にどんなシンパシを感じるんだろう。
 でも改めて見るカサンドラは、昼には気がつかなかった隈が、目の下にはっきり刻まれていた。一度気がついてしまうと、そこが浮かびあがるような気になる。
 僕は黙ったまま、二人に背を向けて横になった。しばらくして、二人は離れていった。僕に気を遣ったんだろう。いや、僕に気を遣いたくないから出て行ったんだ。
 僕はいつの間にか寝ていた。
 夢を見なかったことは幸いだった。

    3

 例の厭な風はまた強くなって、もう突風と言ってよかった。昨日以上になにが悪くなるのか、疑問だったけれどそれはすぐにわかった。
 ダンスの時間に、ルイとグウェンが踊った。ヴェロナとカサンドラはいなかった。
 相変わらず綺麗なダンスだった。心臓が凍えるくらい鋭い突きや蹴りが、風を喚ぶみたいに鳴っていた。なにも問題のないように見えた。
 実際、なにも問題なかった。
 けれど、堕落は一瞬だ。
 グウェンの手刀がコンマ一秒前にルイの顔があった空間を切った。避けたルイは距離を取らずにさらに一歩を詰める。ルイのいつもの手だった。フィナーレが近づいていることを意味する。
 下から蛇の形をした化け物が起き上がるみたいに、ルイが拳を突き上げた。
 これもまた、ルイの得意な形だ。
 得意な形だからこそ、誰もが予測できる形だった。グウェンも避ける素振りを見せた。
 でも、なにを思ったのか、避けなかった。
 グウェンの薄い胴体を、ルイの腕が貫いた。
 グウェンの身体が、魚が絶命する瞬間みたいに一度跳ねて、それきりだった。
「これで」――六人目
 パトリックの小さなつぶやきがやたらと大きく聞こえた。その声を聞いて僕は、真っ白になった頭の片隅で、僕の耳はやっぱり優秀だなと思った。
 ハットのときと同じ、シドゥンのときと同じ、ウォタ、ユーリ、ドアレのときと同じ、死なない僕たちが死んだ。
 パトリックが言う通り、これで六人目、つまり僕がこんな最悪の気分になったのも同じく六回目ということだった。
 ルイがゆっくりグウェンの身体から自分の腕を抜いた。ルイは確か二回目だった。ユーリもまた、彼に心臓を貫かれた。
 誰も慌てることはなかった。当たり前だ。僕たちはもう慣れていた。ある日突然、こういう日がくる。避けられないし、避けようとも思わなかった。僕たちはダンスをして、そしてときどき死人がでる。ダンスをやめる選択肢はなかった。人が毎朝目を覚ますのをやめられないのと同じように、習慣ではなくて、それよりももっとプログラムみたいなものだった。僕たちはそういうふうにできているのだから、それはもう、しょうがないじゃないか。僕たちは自分が死なないことに、ダンスをすることに、どうやって責任をとればいい?
 森の奥から声が聞こえた。きっと僕しか気づかないくらいかすかなものだった。ヴェロナの泣き声だった。
 僕はパトリックに目で訴える。彼は黙ってうなずいてくれた。
 僕は森へ駆けた。なんだか僕は走ってヴェロナの元に向かわなくちゃいけないと思った。これも僕に実装されたプログラムだろうか……。わからない。はっきりとそうだとは言えない。でももしプログラムならなんで僕だけに搭載されたんだろう。僕だけがヴェロナの泣く声が聞こえるんだろう。
 ヴェロナは寝床にいた。悪いことに、カサンドラもそこにいた。さらに悪いことに、ヴェロナはカサンドラの胸のなかでしゃくりあげるように泣いていた。
 カサンドラが僕に気づいて、言う。
「仲間が死んだって、急に泣いて……」
 カサンドラの声は少し動揺していて、僕は可笑しくなってしまった。少しだけだが、最悪の気分から抜け出す。
「ヴェロナは人一倍、情念を感じとっちゃうんだ。仲間が死ぬと、いつもね」
「これって初めてのことじゃないの」カサンドラがヴェロナの頭を柔らかく撫でる。ヴェロナの乱れた声が落ち着いてきていた。
「うん。六回目だ」
「六回目? 待って、お願い。少し待って」
「六回目。仲間が死んだ数」僕は容赦なく言った。
 カサンドラが自分の額に手をあてて、必死になにかを思い出そうとした。
「いまここにいる子どもって、どれくらいかしら」
「このシェルターのなかってこと?」なんでそんなことを聞くのか、僕には当てがなかった。「さっきまで七人。いまは六人」
「それだけ?」
「いまはね」
「最初は? 何人いたの」
「十二人かな」僕は頭のなかでひとつずつ数を数えてから言った。「数字は苦手なんだ」
「そう……」
「どうして?」
 カサンドラの視線が揺れた。
「なんで死ぬの? あなたたちは死なないんでしょう」
「なんでって……。そんなの僕は知らないよ」
「どうやって死ぬの?」
「ダンスの最中にね。事故だ――」
 僕が最後まで言い終わらないうちに、ヴェロナが急に口を挟んでくる。
「自殺よ」カサンドラの胸に顔を押しつけているから、声がくぐもっている。「あれは、自殺よ。事故じゃない」
 カサンドラが一度、ヴェロナを見て、また僕に視線を戻した。
 自殺と事故。
 その二つの違いが僕にはよくわからなかった。
「どっちでもいいよ。どっちにしろ、なんで死んだかなんてわからないんだから」
 自殺だって事故だろう。一昨日の夜に、ヴェロナの言葉が思い出された。わたしたちはここで幸せだと思う? わたしたちはいつまでここにいるのか、考えたことがある? 自分がどこに立っているのかわからなくなる。ハットは幸福だったから死んだのよ……。
「まさか、グウェンは幸せだから死んだって言いたいの?」
 ヴェロナが顔を上げて、僕を睨みつけた。
「みんな事故だよ。僕たちは理由なく死ぬんだ。きっとそういうプログラムが組まれているんだ」
 僕はこの話題が厭だった。だから吐き捨てるように言う。
「いいえ」
 はっきりとそう返ってきた。初めはヴェロナの声だと思った。でも違った。カサンドラの声だ。
 ヴェロナでさえ、驚いている様子でカサンドラの顔を見上げていた。
「あなたたちにそんなプログラムは施されていない」
 カサンドラは鋭利な口調でそう言った。瞬間、なにかを諦めた表情をして、またゆっくり話しはじめた。
「あなたたちは憶えていないと思うけど」そう前置きを言うと、一度彼女は両手をひらひらと動かした。降参の合図に見える。「あなたたちは初めから不死の子どもだったわけじゃない。七十年くらい前までは、あなたたちは普通に歳を取って死ぬ子どもだったの。七十年前、あなたたちは民間の軍事会社が違法に組織した子ども兵部隊のメンバーだった。
 あなたたちはとてつもない精度を備えた部隊だった。六十人以上の子どもで構成されていたそうよ。そんな大所帯でも、誰もあなたたちには気がつかなかった。なにせ存在そのものが国際法に違反していたから、あなたたちを目撃した人間はひとり残らずあなたたちによって殺された」
「僕たちが? 信じられるものじゃあ、ない。面白い筋だけどね」僕は腰を下ろした。なにか、長くなる匂いを嗅いだからだ。でも、カサンドラの話よりも、僕がカサンドラの話につきあおうと思ったことの方が不思議で面白い謎だと思った。
「嘘じゃない。証拠はあなたたち自身。あなたたちがここで暮らしていること自体がその証拠よ。
 その民間軍事会社は自分たちが介入していた戦争がひと段落すると、あなたたちを持て余した。子ども兵の活躍が自分たちの会社を大きくしたことは、わかっていたけれど、同時に自分たちの首を絞める破滅的な証拠でもあったから。だからあなたたちを、その、処分するって案が出た。でもそうしなかった。また次の戦争へ会社が参加するときに、あなたたちが必要だって声が上がったのね。だから一ヶ所に集めて隠そうということになった」
「それがここ?」僕はほとんど笑っていた。「面白くなってきたね」
 ヴェロナはずっと黙ったままだった。カサンドラに留めたまま、視線を動かそうとしない。その表情は歓喜と緊張で白く凝っている。
 カサンドラがつづける。
「あなたたちを不死化させようって。会社はそう考えた。子ども兵部隊をそれから先ずっとお金を生み出すシステムにしようって。遺伝子をひたすらこねくり回して、多くの子ども兵が死んで、ようやく十二人が一応の成功例として生まれた。でも完全じゃない。普通から考えたら物凄くゆっくりではあるけれど、あなたたちの遺伝子も老化する。けどそれすら、恒常的な薬物投与で緩和することができた。この――」カサンドラが両手を広げて、シェルター全体を抱くように空中を抱擁した。「シェルターはあなたたちを閉じこめる箱だけど、薬物生産の工場でもある。あなたたちが食べる鳥やトカゲやナッツは、実質的に薬なの」
 いよいよ暴走の様相を呈してきていた。
「もう少し現実的な話をしよう」
 カサンドラは苦笑する。少し傷ついているように見えた。
 これで一区切りという感じだった。僕は拍手をするべきか悩む。僕が話を楽しんだのは事実だったから、叩くべきかとも思う。でも、しないでおいた。代わりというか、ヴェロナが口を開いた。
「なるほど。わたしたちに自殺するプログラムが実装されていないって言ったのはそういうこと。わたしたちの身体を弄りまわした会社が自殺なんてさせないってこと……」
 ヴェロナがそう言ったのを聞いて、僕はようやくカサンドラの話の世界を抜けて、現実に戻って来たように感じた。
「じゃあ、あんたはその民間軍事会社の人間ってことだ」
 僕の言葉をカサンドラは首を振って否定する。
「あなたたちの会社はもうなくなっている。わたしは……」そこで言葉を詰まらせる。その沈黙は想像以上に雄弁だった。本当に言いたいことはこの後らしい。「わたしがここに来たのは、ユニオンがあなたたちを今後どうするかを決めるため。あなたたちは知らなくて当たり前だけど、いま世の中は大騒ぎよ。森の奥深くにシェルターが発見されて、そのなかには七十年前から変わらない姿の元・子ども兵がいるなんて……」
「僕たちをどうするかって……。殺すかどうかってこと?」
 カサンドラは曖昧に頷いた。
「世界からしたら死なない子ども兵なんて、脅威でしかない。少しでも危険だと判断されれば、このシェルターを丸ごと超重元素弾で吹き飛ばすことも決まっている。そのときはわたしも一緒に。もちろん、あなたたちの身体を隅から隅まで調べて、ノウハウを得ようって考える一派もシェルターを出たところで、待ち構えているわ。
 でも、わたしとしてはあなたたちをそっとしておきたい。まだ調査を始めたばかりだけど、そこまであなたたちが危険だとは思わない。あなたたちはここでならあと数百年は生きられる。ユニオンにはそう進言しようと思っていた」
 カサンドラの声はどんどん歪んでいって、最後には泣きだした。
「でも、数名が亡くなっていたなんて……。それも仲間の手で。このことがシェルターの外に漏れれば、あなたたちは殺されてしまうわ」
「だから、あれは事故――自殺でもいいけどさ……」
「世界はそうは思ってくれない!」喉が裂けたんじゃないかと思うほどの声が出る。その声に何匹かの鳥が飛びたった。「あなたたちが仲間の死をどう捉えるかは問題じゃない。世界がどう捉えるか、よ」
 カサンドラは力を使い果たしたみたいに、ヴェロナにもたれかかる。
 ヴェロナが僕のことをまっすぐに見た。それは僕のことを確実に捕らえて離さない。ここにきてようやく僕は考えることが目の前に急に現れたことをやっと理解した。
「世界が僕たちをどう思っているかなんて、僕はどうでもいいよ」
 僕は気がつけばそう言っていた。
 カサンドラが起き上がって、僕になにかを言おうとした。でも、結局彼女はなにも言わなかった。ただ、僕の顔を見て、雨が降り出す直前の海みたいな顔をして伏せた。
 カサンドラは僕の顔になにを見たんだろう。
 僕はそういうことを考える。
 それから、グウェンやハット、ユーリたちのことを考えた。避けなかった子どもたち。彼らはなぜ避けなかったんだろう。彼らを絶命させた一撃を、彼らはどんな気持ちで迎えたんだろう。
 森が唸り声をあげた。
 祝砲のようにも、死刑執行のブザーのようにも聞こえた。

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