ハンデキャップ

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梗 概

ハンデキャップ

あの森の奥に妖怪がいるらしいぜ。そう言ったのはサガラだった。そんなわけないだろ。シュウは言った。行ってみなきゃわかんねえだろそんなの。行くべ行くべ。夏休みなんだしよ。

いつものようにサガラは赤、シュウは青のチェアバイクを身につけていた。
 森は当然ながら未舗装だ。四輪全てにメタモルタイヤを装着したので問題ないだろう。サガラは最高速で木々を縫って走る。枝や邪魔な草はトリマーが次々に払ってくれた。シュウは後を追う。振り返るともう町は見えない。鬱蒼とした樹々の世界に足を踏み入れたことを実感し、シュウは若干後悔した。

立入禁止の金網がサガラの前を塞いでいた。こんなことだろうとおもったよ。ほれ。サガラはバイクの左アームでグラインダーを差し出す。円板状の刃は簡単に金網を切り落とした。

森の切れ間に、丘が姿を現した。斜面を登ると瓦屋根が見えてくる。地図に家の存在は記されていない。待て。こりゃ探知機があんな。近づくと警報あるかも。サガラは言う。引き返すか、そうシュウが言いかけた時、サガラはもうバイクを降りていた。金属しか探知しねんだあれ。そう言って四つ這いで進む。

窓が見えた。なかには少女がいた。え、まじかよ。そう呟きながらサガラがすこし眉を顰めたのが見えた。瞬時に自分も近しいことを感じているとシュウは思った。気持ち悪い。小さな女の子が、二本の足を伸ばして垂直に立っている。縦に長く伸びた体は妙にのっぺりとして見えた。バイペダルは何十年か前に生まれなくなったんじゃなかったのか。白く透きとおるような肌。紺色のワンピース。赤い靴。いまや誰も靴なんて履かない。
 サガラは顔を背けて引き返そうとした。シュウはどうしてか少女に引き込まれた。少女のことを美しいと感じている自分がいた。そして開いた窓へと近づき隙間にあたまを差し入れた。

なにしてるの。
 シュウの口からひとりでに声が出ていた。少女は目を丸くしてこちらを向く。

わたしのこと?ここで暮らしてるの。
 ここで?
 ここで。
 こんなに町から離れたところで?
 そう。…わたしは脳細胞の異常、とかいうので町にいちゃいけないんだって。
 え。
 ほしいものならなんでも持ってきてあげるから。ってお母さんはそれしか言わない。でも知ってるの、わたしが異常だからなの。足で立てると人間じゃないみたいに見られる。お母さんはそれで。
 そう、なのか…
 町でもバイクで歩けばいいじゃん、って思うんだけど。もっと小さかったときにね、大勢の前で立ち上がっちゃった事があったみたい。だってたぶんそうした方が楽だったの。それでお母さん除け者にされたんだって。こっそり聞いた話だけど。

わたしと話さないほうがいいよ。…でも、
 ん?
 なんでもない。

じゃあね。もう帰って。

二人は丘を後にした。サガラはうつむいて、何か考えているようだった。なにかを、頭のなかで振りはらっているように見えた。
 連れ出そうぜ。そうサガラが言う。うん。でも。そうしたら彼女はもっとつらくなっちゃうかもしれない。だから、たくさんここに来よう。そうしながら、いい方法を考えよう。シュウは言った。そうだな。サガラは言った。

文字数:1292

内容に関するアピール

<二本足で歩ける子ども>が生まれなくなってしばらく経った未来を描いています。

人類の直立二足歩行(バイペダル)時代は幕を閉じようとしており、四足歩行者(クオペダル)たちは、マイクロバッテリーと組み合わせて超高馬力を実現した電動車椅子(バイク)を体の一部として生活しています。

二本足で立ち/歩く我々(バイペダル)が超少数派/異常となり、それを気持ち悪いと感じる大多数(クオペダル)からの目線を想像できる点が魅力だと思っています。

チェアバイクのギアの多様性や個性化についてはもっと書けるので、全人類がバイクに乗って過ごす街や生活の様子と合わせて、短編ではもっとディテールを広げたいです。また、この少女の葛藤を、家での過ごし方などを通してもっと描写できると思っています。そうすることで、少年たちの心の変化をもっと自然なかたちにしたいです。

文字数:365

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ハンデキャップ

-Prologue 躰
 
 は今夜19時!お見逃しなく!
 2020年7月6日!本日のトップニュースはこちら!
 立ち上がれない子どもたち!
 どういうことなのでしょうか見てみましょう。
 なんとですね、自分の子どもが立ち上がれない、と訴える親が病院に殺到しているらしいのです。
 「またモンスターですか?」
 いえ、これはモンスターペアレントではなく、実際に、自分の子どもが、立ち上がれるはずの年齢なのに立ち上がれない、と。
 「ん〜どういうことでしょう。ちょっと待てば解決する問題なのでは」
 そういう子どもが沢山いるのだそうです。
 「うーん、原因などは見つかっていないんですかね。」
 原因はですね。現在調査中だとのことです。
 インタビューがありますので、どうぞ。

はい。そうですね。
 最初は、はい、半年ぐらい前ですね、
 えっと「一歳半くらいまでは大丈夫だから様子をみましょう」というようなことを言われて。
 はい。それで、頑張って見守ってたんです。うちの子、去年の一月生まれなので。じゃあ今年の六月か。でも七月までは我慢しよう。うるさい親にならないように、と思って、でも…
 そうなんです。それで今日、予約がとれたので。予約とれないんですよ、ぜんぜん
 不安です。でも同じ病院で同じ日に生まれた男の子も同じ状態で、その方と情報交換しあってます、はい。どうなるんでしょう。

と、こういう感じの親御様がたくさんいらっしゃるという。
 「よくわかりませんね。医学的にどうなんでしょう。」
 「でもやっぱりこれはね。親御様は心配でしょうねえ。子どもってやっぱり少しでも他の子と同じように成長しないと病気なんじゃないかって、そればかり考えてしまうものなので。どうにか原因か解決策がはやく見つかることを願います。」
 そうですね。この女性がおっしゃっていたように、親御様同士で連絡をとりあえるとすこしは励まし合えるのかもしれないですね。
 「そういう場所を自治体がはやく設けるべきですよ。」
 そうかもしれませんね。次のニュースまいりましょう。アイド

これが日本ではじめて<立てない子ども>についてメディアが取り上げた際の映像だという。

「ニューヨークの柏木さん。」
 はい。現地に来ています。
 街ゆく人にインタビューしてみます。
 エクスキューズミー。子どもが立てないというニュースについてどう思いますか?
 「信じられないことだよ。全世界でだって?何が起きてるんだ?子どもを持った家族はどんな気持ちだろう。どうにか早く原因を見つけてほしいよ。」
 そうですよね。サンキュー
 このようにニューヨークでも多

このころ、地球規模で緊急編成された調査チーム『QAR』は、2019年以降の誕生児は全員立ち上がれていない、という調査結果を伝えている。小さな島やジャングルの奥地も含め全人類に同様の事象がふりかかっていることに、人々はさぞ驚いたことだろう。

なことで今日は番組を進めていきたいのですが。久留米さん。どう思われますか。
 「これはもう災害のようなものですよね。いや、正直わかりません。ウィルスかなんかじゃないですか?でもこれじゃね。子ども減っちゃうでしょ。それに、これから、そのクオペダル、っていうの?」
 はい、クオペダルというのは、立ち上がることのできない子どもたちの総称ですね。ちなみに、あ、これは皆さんもご存じかと思いますが、それ以前の我々のような者たちを学術的に政府見解として二足歩行者バイペダルと呼ぶことになったと発表がありました。
 「そうそう、そのクオペダルのキッズたちは立ち上がれない/歩けないまま生きてくわけでしょう?彼ら彼女らが、生きやすい世の中にしてかなきゃねえ。」
 そのとおりですね。治すという

2019年はクオアルケと呼ばれるようになる。四足歩行クオはじまりアルケー。バイペダルからクオペダルの時代へ。原因は不明。そんな状態で医学的な治療の施しようなどあるはずもなく、次々と現れた宗教家や祈祷家のような存在に身をあずける者が急増したそうだ。

「さて!クオアルケから六年。こんな動画が話題です。ご覧ください。」
 小学校低学年くらいの男の子が金属の椅子にちょこんと乗っている。椅子は前進しては停止し前進しては停止する。動くたびに体が揺れるのか、男の子はそのたび楽しそうに笑う。リビングルーム。ぎこちない部分はあるが男の子は電動車椅子を手元のレバーで操縦していた。
 「かわいい〜」アイドルの高い声。
 「これはいいねえ。いろいろ解決できるんじゃないの。これで。」男性コメンテータの太い声。
 この動画の佐々木純くん。動画を撮ったころは遊びだったそうですが、操縦にも慣れ、いまではすっかり体に馴染んでいるそうで。お母さんに付いてスーパーマーケットに行くときもこれで移動していくのだとか。

次第にクオペダルたちは治すことを考えるのではなく生活を変えるほうを選ぶようになっていく。電動車椅子ウィルを利用して生活する者が増えてゆくのだ。これは革新であった。ウィルムーブメントは衣服や自宅の改造と合わせてファッションとなり数年で爆発的に世界へ拡散する。それはクオペダルだけでなくバイペダルをも巻き込んで。2119年。あのころには、すっかりウィルは人類の体となっていた。

 

-1 天日てんぴ

二人の少女が川原で背もたれを横たえ空を見上げている。紅色のウィルがサガラ、紺色がシュウだ。放課後のことである。サガラは膨よかで恰幅の良い体をしていて、その誰もが羨むプロポーションは、愛らしい顔と相まって他校の生徒にも人気があった。シュウは病弱そうな体をしていたが、なびく黒髪と切れ長の一重まぶたが静謐さを感じさせる。なによりウィルが似合った。

「それやっぱいいよなあ。」
 「ん」
 「オーバーオール。」
 「ああ。」
 「sachiko wakabayashi ?」

シュウはうなずく。そのオーバーオールはディープシルバーで、体全体を手から足先まで一枚で覆ってしまうようなデザインだった。マットなビニル風素材で、金属的な装飾がところどころ体に沿うように施されている。手足の五本の指は分けられておらずスノーマンのように一体だ。

「似合ってる。あたしじゃ似合わんべ。」
 「うん」
 「うん、て。なあ。」
 「暑くないの?」
 「感じようとおもってさ、夏を。」
 「あー、いつも言ってるね、それ」
 「ミメットあるからどんな服でも着れるけどさあ。よくわかんなくなるじゃんか。生きてる感じっつーのかな。生きてる!って。だからこういうときぐらいは、ね。断ミメット!シュウもやんない?」
 「やらない」

川面が日差しで白くはじけている。シュウのミメットはUVフィルターとクーラーギアを起動/調整してくれている。だからシュウは涼しい顔だ。ミメット-micro monitoring escortor-とは、超高解像の観察眼をもつ執事のようなものだ。ウィルに設置されたカメラやマイク、心拍計やジャイロスコープなどを感覚器官のようにしてリアルタイムに主人りようしゃの精神状態を先読みし、行動を補助/実行する。ミメットは主人が幼児期のころから観察データを集め、主人の身体的シグナルと行動の関係性を学ぶので、彼女らの年齢くらいになれば指示なしで多くの行動をしてくれる。手をパタパタさせて、サガラは顔を扇ぐ。顔が赤くなってきていた。

「え、ミメットに汗拭わせてるじゃん。」
 「はは。ぜんぶはな、むずいやろ。小さいこといいなさんな。ほれほれ。それよりさ。美術。課題どこいくべよ。よ。」
 「飛鳥寺でいんじゃない。」
 「行ったことあんの?」
 「うん」
 「そか。シュウについてけばいいや」
 「釈迦如来久阿像とかたしか六世紀らへんでちょうど、」
 「そーかー」

二人が午後二時に川原で寝そべっていられるのは学校が平日でも2〜3時間しか開講されないからだ。学校という制度は縮小し、人数や広い場所が必要な身体知関連の科目だけが学校で行われるようになっていた。他の学科目はパーソナルスクールで個別コーチングされる。

ここは奈良県明日香村。地面に両手両膝をつけ目を閉じる仏像ー釈迦如来久阿像ーが保存されている土地。奈良県には先進性があった。西暦2050年前後、つまりクオアルケから三十年経った頃には、国という枠組みは力を失い都道府県や市町村がその内側を仕切るようになっていた。そのころ県知事であった大奈章だいなあきらが「クオペダルがストレスなく暮らせる街」をスローガンに、クオアルケ以降最速でウィルの全県民配給を実現したことが先進性のはじまりだった。それは無謀だと方々から言われたが、知事は決行する。結果的に、県民は飛躍的に増え、税収に加えて寄付も集まった。他県より経済状況が良くなり、奈良県は古くゆったりした風景とクオペダライズされた現代的な街並みが混じり合う街に急速に変化してゆく。
 県がクオペダルファーストを加速させてゆくなか、明日香村は極端な方向に舵を切ってしまっていた。階段の禁止をはじめとする段差の一掃、メディアの閲覧制限や戒厳令による二足歩行者バイペダルの痕跡の隠滅からはじまり、ついにはパーソナルスクールでバイペダルやクオアルケという歴史について教えることまで止めてしまうようになる。この極端さはそれまでこの村を覆っていた過疎化が原因の一端でもあった。2020年に約5500人いた村の人口はクオアルケの影響も受けて2050年には2000人以下にまでなっていた。そこへクオペダルファーストに熱心なクオペダル集団がどっと流れこみ実権をもつに至る。最も象徴的だったのは飛鳥寺の坐像を他国へ売り飛ばし、釈迦如来久阿像を納めたことだ。そこから一気に他地域からもクオペダル原理主義と名指されるようになる。村への出入りは今でも管理されていた。

「そーいやさ、あの森あんじゃん。あの森。」
 「ん」彼女らはクオアルケ以降入村したクオペダルの四世代目である。
 「龍福寺りゅうぷくの奥にある森よ。」
 「ああ、うん。サガラちょっと変顔して」
 「え?」カシャ。シュウのドローンが上空から二人を撮影した。
 「いまのブスでしょ絶対、わたし、顔。」シュウの家は大規模農家で小型ドローンが捨てるほどあった。
 「へ?そんなことないよ? それでなんだっけ話」
 「なんだっけ、えっと、ん、ああ、森森、そうそう。栢森かやもり。」
 「それが?」
 「入ったことある?」
 「ないよ。だって、」
 「なんか奥にさ。いるらしいよ。」
 「なにが」
 「妖怪が」
 「はあ。」
 「えー、わくわくしない?わくわくしません?」
 「…。」
 「すこしぐらいつられろや。この勢いに!」
 「そもそもダメでしょあそこは。」
 「そういうとこに行くのがさ。夏やん。そういうとこに入るのがさ。冒険ですよ」
 「うーん。」
 「行くべ行くべ。夏休みだしさ。時間あるだろ。な。」

 

-2 風鈴

遠くに光る物体が見える。サガラだ。ピンクのレーザービームが時おり彼女の周囲で明滅していた。足元からスモークを炊き、そこへ制御された照明を当て放っている。
 「おっせーよー。」手を大きく広げてそう訴えるサガラ。
 「まだ11時なってないじゃん。メッセもしたし」
 「そうだけど。待ったんだよ!」とへんな声で言うサガラはブルーの半袖パーカーを着てフードを被っていた。パーカーの着丈は短く、へそ出しルックだ。シュウが近づくとレーザービームは止んだ。
 柵。栢森かやもりは柵で囲まれていて、立入禁止の紙が貼ってあった。「うっし。」円形金属刃の回転音。サガラのグラインダーギアだ。「はいはい。切る気ですねえ。」金属刃は鉄柵に触れ騒々しい音を発すると思われた。直前、大きなパラボラアンテナのようなものにギアが包まれ、にぶい音が連続するだけであった。あっけなく完了。「いくでー。」断ち開いた箇所をくぐり、二人の少女は森へと踏み入る。シュウは柵の断片を見た。つたが絡みつき、ところどころ錆びついていた。

「さっきのは?」
 「ん?」
 「傘みたいなやつ。」
 「防音ギア。兄が仕事でつかってるの見たことあって。んで借りてきた。無断だけど。うちなら子どもでも仕事手伝いみたいので登録して制限緩和できちゃうし」
 「土木だもんね。」
 「んだんだ。誇り高きブルーワーカ!お・か・げ・で、ギア放題!ギア放題!」
 「はいはい…」
 「じいちゃんは明日香村の改修を先頭切って仕切った建設職人なんだぞ。」と自慢げだ。サガラは祖父以前の具体的な時間を知らない。それはシュウも同じだ。
 「サガラのおじいちゃん目がちょっとこわいよね。笑うとかわいいけど。」

ウィルはサガラの目線やちょっとした重心を読み取り全力疾走する。間を取り持つのはもちろんミメットだ。邪魔な枝や草は前方のトリマーギアで払ってしまうから道は開いてゆく。シュウは後ろをついて行くだけ。二人は特殊なメタモルタイヤをはめているため森の起伏も進むことができる。ウィルは長い年月かけて様々な試行がなされ、基本は六輪に落ち着いた。四輪で支え二輪を持ち上げることで、階段くらいの段差なら滑らかに登ることができた。

「シュウちゃんと充電してきた?」
 「したよ」
 「よしよし。シュウ忘れっぽいかんなあ。」
 「そんなことないよ。サガラだって」
 「え、本気?本気で言ってる?いつもなんか忘れてんじゃんか。何回アーム貸したと思ってんのよ。なんでアーム忘れんの、家に。なんもできないじゃん。どうやって玄関のドア開けたのさ。ここ森だからね?チャージできないからね?」
 「あー、あー、ああー。というか街中なら勝手にチャージされるし」
 「シュウよくチャージ切ってるじゃん。だから。」
 「電気って汚ないから。」
 「お、おお。それね。わたしには全然わかんないけど。見えないじゃんか電気。どこらへんが汚ないんよ」
 「うーん。いやなものはいやなんだよね。母からもチャージは最低限に、って言われてる。」
 「そうだったな。」サガラはそれ以上聞かない。

二人は前後しているので、互いの音響システムを通じて会話している。風でサガラの頭からフードはとっくに脱げており、耳たぶから胸のあたりまで伸びたピアスがシュウには見えた。枝葉にひっかかりやしないかとシュウはひやひやするがミメットがいるから本当はそんな心配しなくていいことも知っている。背後には、もう森の外は見えなくなっていた。鬱蒼とした樹々の世界に足を踏み入れたことを実感し、シュウは若干後悔する。樹木と土の匂い。 

ウィルの隆盛はマイクロバッテリーの登場によるところも大きかった。従来のバッテリーは一日充電しても、丸一日疾ると電力が失われるようなものだったという。それが小型化によって汎用タイプのウィルにでも10パックでもそれ以上でも搭載できるようになった。充電効率も上がっているし、基本的に街であれば意識せずともいつだってワイヤレスにオートチャージされる。最緊急時なら近くのウィルから自動で電力を共有してもらえる仕様にもなっていた。
 ただ、エネルギーの未来は明るくなかった。このまま行けば100年経たないうちに資源が枯渇するだろうと言われている。このままではウィルを人々が使うほど、短期間でウィルを使えなくなってしまう。最近ようやっと、自宅やインフラ・工場や広告などの、大規模節電条例が世界規模で発令された。が、その遵守率は国や州、都道府県のようなコミュニティ単位でまちまちである。

「サガラ、タップ増やした?」
 「おう。20タップよ〜。」サガラのピアスとシュウの長い黒髪が風に流されている。
 「20?!重くない?」
 「まあね。けどまあ左右バランスとか考えて、兄と相談しながら配置したから大丈夫」

ウィルには普通10前後のタップがある。ギアをはめ込む受け口だ。馬力に関してだけ、子どもや大人、業務用などで差があるが、ミメットの登場で、安全はほぼ保証されるようになったので、サガラやシュウのような小学校高学年くらいの子どもでも所有者の許可を得れば、工具や精密機械を使うことが可能だった。シュウも言うように、だいたいギアの数に比例して重量が増し、同じ馬力では速度が下がる。

「なんもねーなー。」
 「だからべつになんもないって」
 「それじゃなんで立ち入り禁止なのさ。」
 「知らないよ」シュウの方がかなり軽いので余裕をもってついて行くことができていた。
 「ふーん。…なんかあやしいとおもわない?シュウは」
 「まあねえ。でもま、地面デコボコだし危ないってことなんじゃない?」
 「それならあんなに囲まなくても」
 「もう戻ろうよ」
 「えー、もうすこし。」
 「…。」なに言ったって納得するまで止まらないからなあ、シュウは呆れつつも面白がっていた。
 「うっひょー」
 「え、なに、」
 「止まれ!止まれ止まれ!」そこには大きな溝が。木々の向こうが突如として、崖になっていたのだ。
 「なんだこれ。殺す気か!こっちに絶対なんかあんな。絶対に、なにかあるぞ!」あと一歩で命を落とすところだったという胸の震えを、振り払うようにサガラはそう言う。
 「これ、どうなってんだ?」溝は左右に広がっていた。

堀だった。向こう岸までだいぶ距離があってアームでも全然届かない。
 「んじゃお先。」サガラは飛ぶ。いつものことですが躊躇なく突っ込んでいきますねあなたは、とシュウは思う。もう向こうの地面から、はよこいよ、というようにジェスチャーしている。サガラが使ったのはジャンプアームだ。サガラはそれを兄から奪い、それを見たシュウは珍しく欲しがってお小遣いをコツコツ貯めて自分で購入していた。シュウのギアは歯科用工具のように細く軽量なものばかりだったが、これは違っていた。シート下部から左右に現れるレバーアームは、東京タワーの足のようにがっしりしていた。5〜6メートルくらいの幅なら飛び越えられるが、自重を跳ね飛ばすほどのレバレッジなので電力を大きく消費するし、なによりインディーズギアであるため全国でもまだ使用データが少なく最適な設定を自分で見つける必要があった。大人でも使っている者は少ない。

「メンテしようぜ」着地したシュウにサガラが声をかける。
 「うん。そろそろしといたほうがいいね。お腹も空かない?」すでに小さな指のようなメンテナンスギアは動き出し、冷却とオイリングのために細々こまごまと立ち働いている。

「できたよ」コンパクトな調理ギアから箸で盛り付けるシュウ。
 「ほへ〜!うまそう!」さっそく水ナスをかじるサガラ。歯がプリプリの繊維を貫いていく食感。ほどよい冷たさも。ああ、たまらない、サガラは死んでもいいというような呆けた顔をしている。 
 「いいよなあ。いつもこんなもん食ってんの?」
 「レシピあげるよ、いつも言ってるけどさ」
 「わわっ!」こんどは海老の天ぷら。油が染み渡っていながらも、カリッとしている。口の中でパリパリするのも気持ちがいい。味は香ばしくクリーミィ。
 「うまー」
 「レシピいれてミメットに頼むだけでしょ」シュウはあっさり言う。
 「でもさ。いい食材仕入れんのも微調整もシュウがやってるじゃん」

掘から、奥へと進む。樹々はいっそう深まっていった。空が暗くなってきた頃、森の切れ間に丘が現れた。サガラはドリンクを飲みながら斜面を登ってゆく。すると瓦屋根が、一瞬見えた。地図に家の存在は記されていない。「待て。こりゃ探知機があんな。」サガラはすこしバックする。「近づくと警報あるかも。ありゃりゃ。しかもオフラインじゃんここ」「…。そろそろ引き返そうか。サガラ」そうシュウが言いかけた時、サガラはもうバイクを降りていた。「金属しか探知しねんだあれ。」そう言って手足を着き四つ這いで進む。

窓が見える距離に到着。
 あかりが点いている。
 二人はそこに目をやった。「ん?」。なかには少年がいた。
 「え、まじかよ」。そう呟きながらサガラがすこし眉を顰めたのが見えた。瞬時に自分も近しいことを感じているとシュウは思った。気味が悪い。少年は、二本の足で地面に垂直に立っていた。「人?」。縦に長く伸びた体は、ゆらゆらとしており、妙にのっぺりとして見えた。少年は二本の足を一本ずつ交互に前方へと運び、テーブルまでたどりつくと、二本の足で立ったままピッチャーからコップに水を注いだ。サガラとシュウは人類が足で立っていたことを知らない。コップから水を飲むとき、少年の体は後ろにすこし反る。足には赤い靴。いまや誰も靴なんて履かない。
 サガラは顔を背けて引き返そうとした。シュウは少年から目を離せない。そして開いた窓へと近づき隙間に体を差し入れた。

「なにしてるの。」

シュウの口はひとりでに声を発していた。窓の上で風鈴が揺れている。少年は目を丸くしてシュウの声にふりむく。少年はジーンズ素材のパンツを履いているのだが、臀部のところで生地の切り換えがなく、シュウにはパンツが変形しているように見えた。

「だれ?」
 「…。」シュウは一瞬戸惑ってから名前を言った。
 「…シュウ。」少年は耳にした名を小さく声にだす。
 「あなたは、ここでなにを?」
 「シュウ。あなたはここになにをしにきたの?」
 「わたしは…。森に入ってみたの。」
 「この森は入っちゃいけないんじゃないの?」
 「そう、そうなんだけど。うーん。」
 「…。」
 「冒険、かな。禁止にされたら入りたくなって、奥まできてみたら、あなたがいたの。」
 「じゃあ、ぼくになにかしようとしているわけじゃない?」
 「なにか?ぜんぜん。ここにだれかいるなんておもってなかった。」

少年はシュウから一度目を逸らす。手に持っているコップを口に運ぼうというそぶりを見せるがそうはせず再びシュウへと目を向ける。

「ここで暮らしてるんだ。」
 「ここで?」
 「ここで。」
 「こんなに村から離れたところで?」
 「そう。…ぼくは脳細胞の異常、って言ってもよくわからないんだけど、とにかくそういうので村にいちゃいけないんだって。」
 「え。」
 「ほしいものならなんでも持ってきてあげるから。ってお母さんはそれしか言わない。でも知ってるんだ、ぼくが異常だからなんだ。足で立てると人間じゃないみたいに見られる。お母さんはそれで。」
 「そう、なの」
 「村でもさ。バイクで歩けばいいでしょ?って思うんだけど。もっと小さかったときに、人前で立ち上がっちゃった事があったみたい。だってさ、たぶんそうした方が楽だったんだ。それでお母さん罵られて、除け者にされたんだって。こっそり聞いた話だけど。」

シュウは次に出す言葉を見つけることができない。少年はクリーム色のTシャツの裾をギュッと右手で掴んでいる。

「ぼくと話さないほうがいいよ。…でも、」
 「ん?」
 「なんでもない。」

「じゃあね、もう帰って。」

少年は背中を向ける。シュウは少年の姿にすこしのあいだ目を留め、窓から離れる。全身に力が入っていた。
 二人は丘を下っている。サガラはうつむいて、何か考えているようだった。なにかを、頭のなかで振りはらっているように見えた。
 「連れ出そう。」そうサガラが言う。「うん。でも。そうしたら彼はもっとつらくなっちゃうかもしれない。だから、たくさんここに来よう。そうしながら、いい方法を考えよう。」シュウは言った。「そうだな。」サガラは言った。

 

-3 金属

サガラはヴォイザーだ。それは趣味か思想のようなものである。ヴォイザーたちは地声を人に聴かせない。自分好みの音を自分の声として会話するのだ。
 「ココ、ブルーミースって知ってるか」サガラは言う。二人は少年ココの家をしばしば訪ねるようになっていた。だからココはもう何度かサガラと話をしているのだが、まだ完全にはその声に慣れていなかった。
 「知らない。それはなに?」
 「アイドルだよ。アイドルグループ。すっげーかっこいいの。わたしそれ目指してんだ。」
 「サガラは受かるよ」シュウは当然のことだという口ぶりでそう言う。草花が布地から飛び出した緑色のTシャツと黒いショートパンツをサガラは着ている。ウィルで水を運びながら手入れはミメットが行うので植物は常に瑞々しい。
 「ブルーミースのライブこないだ行ったんだけどよ。そりゃもう歌もウィルダンスもキレッキレだけどさ。今回は照明がキマってたなあ。それぞれのウィルにたっくさんぶわ〜って照明がついててさ。それが踊りと音に合わせてこまかく色を放つの。のの。」
 「そうなんだ。ぼくも見てみたいなあ。」サガラとシュウは顔を見合わせて唇を閉じる。ココの家にはネットすら通っていないのだ。平面で見せることもできない。こんどハードに落として持ってこよう、そう二人は思った。

「きょうはふたりに見せたいものがあるんだけど。」ココはサガラとシュウの気持ちを取り戻すようにそう言う。
 「え!なになに?」シュウは目を見開いて、声を高くする。
 「こっち。…だれにもみせたことないんだけど」
 そこにはバスケットボール大の物体が無数に浮いていた。「人形?」中途半端に切断されたおもちゃたちが、歪につなぎ合わされた球体だ。
 「ん、んん?彫刻?」すべての方向が正面であるように感じられサガラは目が回った。
 「お母さんにさ、なんでも欲しいものは言ってって言われても、なかなかおもいつかなくて。はじめはいろんなさわりごこちのおもちゃを届けてもらってたんだけど、飽きちゃって、おもちゃをギアで中途半端なところで切ったり、ミルギアで細かく粒にしたりするのが面白くなって。」
 「うんうん。」
 「それをワイヤーで吊りながらひっつけて丸くしていったんだ。」
 「花束ブーケみたい。」
 「結婚式でキャッチしてもどうしようってなるけど。」二人の少女は笑う。
 「やることないからさ。あ、そうそう。この部屋にぼくのミメットが居るんだ。ミメットに言って、その、彫刻のひまつぶしに、この部屋のいろんな場所におもちゃの切れ端をワイヤで吊ったり下ろしたりして遊んでたんだよね。こうやって。」
 床一面に散逸していたカラフルなおもちゃたちが動きだす。
 「磁石をとりつけたりとかけっこう時間はかかったけど、」
 おもちゃの切れ端や粒は、宙を、ときにはジグザグに、ときには流線を描いて舞った。シュウの鼻をかすめていく。サガラの体を取り囲む。色とテクスチャがXYZ方向に重なり合って、それに包まれるのは、まるで別の物理法則の世界に放り込まれたようだった。
 「…。」
 あの口うるさいサガラでさえ、息を飲んで一言も発さない。どうなっているのか。少年はミメットと協力し脚立を使って天井や壁面に途方もない数の極細ワイヤを取り付けていた。それが四方八方からおもちゃを無作為にパスし合う。「な、なにこれ。こんなの見たことない。」「すごいよ!」ふたりの少女はココを挟んで左右から見つめる。彼らは彩り豊かな質感に包まれていた。

世界は揺れていた。どう揺れていたか。クオアルケの原因ウィルスが発見されたというニュースで揺れていたのだった。しかしそんなこと、二人の少女と少年には今関係のないことだった。そもそもこの村にそんなニュースは届かない。そしてさらに先のことを話せば。そのウィルスの発見は間違いであったことが発表されることになるのだった。それだって、彼らには関係ない。彼らの外側が発見のニュースに勝手に揺すぶられ、間違いであったという報道に期待を裏切られ憤ったりなどした。ニュースがうつす科学者の像を殴る者が多発し、その拳が、電車のホームで前に並ぶ者のウィル背部に直撃し乱闘騒ぎになるという事件まで発生した。

「おーい、そっちはあぶないぞー。」適当なことを言ってココを惑わそうとするサガラ。ココは相手にしていない。森。三人は追いかけっこをしていた。森のなかでココに追いつくのは至難の技だ。シュウはドローンを使ってココを探す。木々を縫うように小回りして走ることがココにはできた。サガラもシュウも、人が垂直に立つ姿にはとっくに慣れていた。むしろ、そうやってココが走る姿に力強さを感じていた。シュウはココが駆ける姿になんども見とれる。「どうして私は走ることができないのだろう」。そのようにすら思い、憧れの気持ちすら生まれているほどだった。サガラもシュウも、ココから逃げる分には、かなり良いゲームになったが、ココを追いかけるとなると全く勝負にならなかった。

そんなある日。
 「ココッ!」ハスキーだが甲高い声音。
 「えっ?!」ココが驚く。
 「だれ?」シュウが尋ねる。家の外で話をしていた時だった。
 ココの母である。母は大きかった。大きなウィルを足にしていた。
 かつて彼女はココを産み、ココが二本の足で立つことを知った時、家の中に息子と隠れつつ、村の外に逃げるべきかどうか悩んでいた。母は村の外に住んだことがなかった。悩んでいるあいだに事件は起きる。親族が家に押し入ってきたのだ。そして抵抗する母から引き離し、ココを栢森の奥に隔離する。彼らはココを呪いだとして、祈祷師が結界を施した掘の内側へ封じた(と信じた)。そしてその呪いの生みの親を檻に閉じ込め暴力を振るうなどして奴隷以下に扱った。
 「ココなにしてるの?あなたたちはだれ?村にチクる気なの!?」母は問いを子どもたちに捲し立てる。「わたしが悪いの?そんなことないわよね。わたしが悪いの?ココ。私が悪いのよね。私は悪くないわよね。ね?ココ。呪い。呪い?はは。あなたが悪い。ココ。あなたよね。悪い子なのは。そうやって。わたしを。わたしの居場所を壊そうとする。あなたの足よすべては。ぜんぶ。わるいのは。」
 母はココに向かって突進するようにウィルを駆る。ココは母の言葉に体を硬直させていた。迫りゆく母。瞬間、ナイフを持ったアームをココへと向ける。風を切る音。刃がココの足へ。鋭い音。ナイフが何かに弾かれる。サガラのアームが辛くも跳ね返していた。
 母は朧な目をサガラ越しにココへと向け、ぼそりと呟く。
 「足を出しなさい。ココ。」

 

-4 カタチ

「自在にうごかせる足がほしい」。そうシュウが思わされたのはココが樹の頂上に立って風を受けている姿を見たときだった。ココは追いかけっこで追い詰められると樹にするする登ってシュウを見下ろした。そして得意げな顔を見せる。枝を手で抱き、足をひっかけて、軽やかに高いところまで行けてしまうココの体がシュウには羨ましかった。疑うことなくウィルを自分の足のように思ってきた。が、それは違っているのかもしれない、と肌で感じていた。

「ココ!」。母がココを追う。サガラのアームがさっきの打撃で一本根元からひしゃげていた。「走れ」。サガラが叫ぶ。ココはサガラに押されるようにして足を蹴り出す。森へと二本の足で駆ける。母はサガラが広げた二本目のアームもかんたんにひねり飛ばしてしまう。シュウも母子のあいだに入るが、母はそれをボロ切れのように弾き飛ばし、サガラとシュウのあいだを暴れ馬のように疾り抜けた。子どものウィルには出力制限がかかっているため、パワーで大人に敵わない。男女差はほぼなくなっていたが、年齢差は段階的に残っていた。母に強い加速度で押し飛ばされたが、後部タイヤ節のクッションによって地面すれすれのところでサガラとシュウは倒れずに済んでいた。起き上がる反動によって人だけが飛んでいかぬよう、瞬時にシートベルトがはめられた。
 「くっそ」
 「行かないと」顔を押さえてシュウはつぶやく。
 「あいつおかしくない?セーフティロックどうなってんのさ!!ココ殺されちゃうぞ。」
 「レバーで操作してた。マニュアル操作だよ。」ちいさくかすれた声でシュウは言う。ココの母はミメットを禁じられていた。だからギアも何もかも手動制御なのだ。安全性を評価する主体が無かった。
 「え!シュウ!血出てるぞ。血!」
 「追って!はやく!」シュウの額はぱっくりと切れ顔を血が覆っていた。普段はこんなに血が出ることなく縫合は終わっているはずだが、ミメットがリソースを割かれていたため縫合ギアの出足が遅れていた。
 「おいおい大丈か?」サガラはシュウに近づく。
 「はやく!行けって!」シュウは森を指差す。「待って!これもってって!」
 「ん?お。ほいほーい。んじゃ先行くぞ」
 サガラは要らないギアやアクセサリーをごっそり脱ぎ捨てながら疾る。

「不吉だ。ルナミ。お前は人間以下。非人だ!虫けら。虫けら以下だ。魔女め。魔女め!おれは関係ないぞ。お前は今日からうちの人間ではないからなあ。おっとっとー、そもそも、人間ではないんでしたねえ!」そう言ったのは彼女の夫という立場にあった人間だ。彼はルナミの髪をひっぱって外に放り出す。
 「こんな低俗な物が家と関わっていたというだけでも<恥>なのだ。外へ出ることを禁ずる。」これはルナミの祖母が発した言葉だ。祖母はクオペダル第一世代であった。ルナミは「家の人間でない」と言われながら外へ出ることを許されなかった。自宅監禁のような状態でこれまで何年も過ごしていたのだ。これからも…。そのことをルナミは思い返していた。思い返していた、というより、今現在も続いていることとして全身で反芻していた。せざるを得なかった。
 今日は年に数回あるかないかの祖母のきまぐれ。ルナミの外出許可日だった。

強い風が吹くような音とともに森が真っ赤に染まる。
 「なんだ?」サガラは急ブレーキをかけた。
 「え、まさか。火つけた?!おいおいおいおい。アウトアウトアウト。モンスターだわ。でも、あっちだな、方向。やりすぎやろ!あのばばあ」

ココは足で木々を縫うように逸走する。かすかに薬品の匂いがして、一拍のち、背後に熱気を感じる。振り向くと、そこまですりぬけてきた林が無くなっていた。いつの日か家を焼くためにルナミが外出日のたびに準備してきた装置だった。灰が舞っている。地面には、さっきまでそこで生きていたはずの樹木が粉々の木炭となって落ちている。
 母子のあいだに障害物はもうない。
 「ココ。あなたの足がなければ、わたしは幸福になれるの。」そう呟きながら、母はココを見ない。ボサボサの長い髪が顔を覆う。そのままゆっくりと息子へ直進する。
 閃光。ルナミは眼を押さえる。サガラは照光ギアを投擲していた。その隙に、残っていた二本のアームでルナミのウィルを背後からつかむ。横たえようとするが微動だにしない。ルナミはアームで地面に飛び出ている切り株をつかんでいた。そして力任せに、ウィルを腰から反転するように捻った。その勢いにサガラは手を放してしまう。大人の馬力である。
 スウェーバック。ルナミのナイフが顔をかすめた。追撃はとまらない。サガラは後方に下がるばかりだ。木にぶつかる、というところで。母はなにが起きたのかわからない。停止してしまう。それは虎の咆哮のような音の爆撃であった。「目がダメなら耳ッ!」サガラが大型スピーカから巨大な音を轟かせたのだった。ルナミは頭を抱えている。ココへと疾るサガラ。ドン。サガラが消えた。一瞬で転倒していた。ミメットが補助する隙もなかった。ルナミはふらつきながら無差別攻撃を仕掛けていた。二本のアームを組んで伸ばし何度も高速回転したのである。サガラは、無防備なままカウンターを食らって後方に吹っ飛んだ。だらんとして、起きあがる気配はない。ルナミのアームはひん曲がっていた。
 「ココ。」母は白い顔で目の前まで近づく。そしてあっさりとココの足にナイフを振り下ろした。ココはナイフを見ていた。切れる、と思われたが、アームは停止していた。ルナミは目を泳がせて、周囲を確認する。遠くにシュウが見える。「どいつもこいつも!」ルナミは吐き捨てる。シュウはドローンを飛ばしていた。4台のドローンにはイノシシ避けの高電磁波。それが母のバッテリー部に自爆テロのように突き刺さっていた。ウィルに供給する電気がショートしたのである。
 母はシュウとサガラのウィルを指さす。ミメットに指図しているのだった。しかし遠隔共有バッテリー機能も働かない。二人の少女が遮電シートをバッテリーに巻き付けていたからだ。電気嫌いのシュウはいつも遮電シートを携帯しており、それを別れる直前サガラに手渡していた。緊急時の電力共有機能も絶たれ、母にはもう動く術がなかった。

シュウとココは、起き上がろうとしているサガラのもとへ。
 背後には掘が。三人は固まって母の方を向く。
 母はココを見ている。口を少し開き、眉間に力が入っている。
 サガラがココを抱えて堀を飛び越えた。シュウも続いた。
 「待って。」
 ココはそう言ってサガラから離れ立ち、対岸の母を、やわらかな表情で見つめる。ココは目を瞑った。サガラとシュウは、ココを挟むように居て、なにがきても守れるような配置をとっていた。
 ココが目を開く。
 「サガラ。ぼくの足を切って」
 「え?」
 「グラインダー。持ってるでしょう?ぼくの足を切って。」
 サガラはそのふっくらとした顔に浮かぶ大きな瞳でココを見る。
 「どうして。」サガラが言う。
 「…。」ココはサガラを見返す。
 「できないよ。はしれなくなるんだぞ。のぼれなくなるんだぞ。」
 「いいんだ。」
 「…。」
 「おねがい、サガラ。」
 「なんで」
 「ぼくはずっとこのままなの?いつまでこんなままなの?」
 「できねえよ、」
 「…そっか。そうだよね。」
 アームが伸びる。サガラのグラインダーをつかんで取り外す。そして自分のウィルにはめ込む。シュウがグラインダーを起動する。そして振り下ろす。赤。
 三人の縫合ギアが、我先にとココに腕を伸ばす。「シュウ」。サガラが言う。

 

-Epilogue 継受

ココはバザーにいた。ウィルアームでクレープを受け取る。地域一帯がウィルローでうめつくされていた。ウィルローとは、安直ではあるがウィル露店のことだ。バザーという語は、特別な時間に開かれる露店街というような意味ではなく、ショッピングモールくらいの意味になっていた。バザー以外のほうが少なくなってしまったからだ。ココは髭の剃り残しを触りながら店と店の間を通りすぎていく。ウィルが浸透していくにつれ、個人商店は必ずと言っていいほどウィルローで出店したし、デパートに出店するような高級店舗も次々に露店化していた。
 貸し倉庫に着いて、クレープを口に運びながらココはある写真集を眺めている。それは百年以上前の資料だった。橙色。初日の出ツアーをとらえた写真だ。燃えるような色の空をバックに、海岸にずらっと、二本足で立つ人の群れ。人々はみな陽光を正面から受けて影となっていた。
 ここはジェット機を停めておけるほどに広い貸し倉庫だ。ココは村を出てこの場所でいま彫刻をしている。浮遊点描彫刻。そう誰かが名指すようになり、作家として名が知られ始めていた。トレイには、いまから一粒一粒注意深く置かれていくことになる極細の粒が敷き詰められている。それはよく見ると、足を象ったものであった。ココ自身の失った足だ。顕微鏡でみなければわからないようなサイズのものもあった。それぞれの足は色とりどりのスニーカーを履いている。極細の足粒を積層させて製作しているのは、巨大な仏像樹である。遠くから見ると、倉庫の重心位置からブロッコリーのような構造物が放射状に茂っているように見える。近付くにつれブロッコリーの繊維ひとつひとつが仏の立像であることが分かってくる。それらは、中途半端な位置で裁たれ、繋がれる。頭が出ているものもあれば、腰や足が飛び出しているものもある。それらはすべて、クスクスの一粒ほども小さな足を宙で積み重ねることで、形成されていた。もうあと半年ほどで完成する見込みだ。ココはそれをウィルの上から見上げていた。

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