シルバーフィッシュ、ひだまり

印刷

梗 概

シルバーフィッシュ、ひだまり

 売買される胎児たちの輸送トレーラーが襲撃されたとの報を受け、現場に赴いたアース警察機構アジア支部のアルファは、格闘の末、犯行中のサイボーグを無力化、そしてその後躊躇なく頭部を撃ち抜き、対象の生命活動を完璧に消滅した。それが痴呆化したとはいえ産業界の有力者だったこともあり、安易な射殺を厳罰に処され、支部の医療セクションで徹底的に精神洗浄されるアルファ。フラッシュバックする胎児を食らう犯人の血みどろの顔、孫、孫、かわいいかわいいと感に耐えぬようにつぶやくその顔がいつの間にか自身の顔に重なる。
 謹慎中、住み慣れたシティの外縁を散策するアルファ、自律制御の大型プリンターたちが休むことなく働くさまを見ている。巨大な街の外郭は人知ら及ばぬプログラムでさらに巨大化していく。その内側の生活圏プラットフォーム上であれば、人はリアルネットと常に完全同期する。ネット上の誰とでも通話可能だし、ありとあらゆる知的ベータベースへ接続できる。意を傾けると好みの音楽が頭の中に聞こえてくるし、どこにいようと何をしていようと、まぶたを閉じて実視覚情報を閉じさえすればたとえばハリウッドの映像作品をすぐさま楽しむことができる。生体の安全が確保できるのであれば全感覚を没入させて快楽に浸ることもできる。アルファが好んでいるのは音楽と匂い。古いロックとジャズ、そして多分コーヒーとタバコの匂い。
 シティから遠く離れた山中にある古のテーマパーク内の調査が次の任務であった。衛星からの映像情報もなく、電子的には完全なブラックボックス。何らかの生命活動は観測されるが詳細は不明だという。現場に着くと、完全にネットと切り離され、自分の五感でだけ感じる世界の頼りなさや、風の音や陽光の熱さの無意味なまでの力強さにアルファは困惑する。

 そんな様子を「見」ているベータ、物々しい強襲型パワードアーマーに乗り込んでいるが、盲目の当人からすれば、読書用の感覚増強マシンを使っているかの様子、何しろ高性能アーマーのAI部分にめがねちゃんと名付けているほどありがたみがない。
「随分弱っちいお客さんね、めがねちゃん」
「大海も水の一滴から、だ。どうせこれから濁流の様に押し寄せてくる」
壁面だけでなく部屋中が書架にまみれた巨大な図書室のような室内、俯瞰、その中まさに一滴の大きさで横たわるめがねちゃんの躯体。そしてその中に横たわる瞳を閉じたまま「見」詰めるベータの姿。
「ちっとも楽しくない。あたしここで本読んでる方が良いな」とめがねちゃんにねだるベータ。
 もちろんそんな願いは叶わず、アルファがその部屋に誘導されてくる。ねつ造された歴史で成り立つシティとその住人たちの現在の暮らし、ベータがこともなげに言い捨てる。
「ネット上の情報が絶対正しいなんて、そんなの大嘘。たった一冊の本に全て書かれる訳がない」

文字数:1174

内容に関するアピール

人物の名前も決めてないくらいなのでアピールなどできるわけがありません。
次こそ梗概になるよう頑張ります。

文字数:51

印刷

シルバーフィッシュ、陽だまり

 手のひらにのるほどの大きさで、厚みもさほどない。そのくせ重さはあるようで、決して取り回しの良い道具ではないのだろうと思われる。表面にうっすらと積もった埃を吹き払い、手に取ったそれをじっくりと眺める。どういうわけかほんのりと暖かく、多分それは今までどこかの陽だまりに置かれていたからではないかと、何気なく思う。悪趣味にも何かの動物の皮革を用いて製造されている様ではあるが、その手触りにはしかし嫌悪感よりも、どこか懐かしい触感があった。
 今まで実物を見たことはなかったが、古い映像記録でたまたま目にしたことはある、これは確か、と推測を始めると、ざわりという軽い寒気の後、拡張感覚が活性化する。情報表示層が視覚と聴覚に重なり、今手にしているのが書籍・本と呼ばれていた物体であること、しかし本来それに紐付けられているべき作品名も作者名も特定することはできないという情報が与えられる。一見、それを手にする者にとって何らかの親和性を発揮するように思えても、実際にはそれは、ちっぽけで無意味な、取るに足らない物体なのだと評価される。
 左手にのせ、目の高さに上げて眺めていたその本にだけ、激しい風が吹き付けてくる。ばさばさとはためき、その紙の部分から(頁というのだと知る)黒い染みのような物が(おそらく活字という物だろう)いくつも吹き飛ばされ、皮の部分(表紙という名称)が剥がれ始める。やがて頁が一枚一枚宙に舞い、みるみるうちに本は形を崩し、やがて消失する。
 そしてもはや、手のひらには乾いた埃の跡と吐息のような暖かさしか残されてはいない。眼前に左手を差し上げている私は、まるでその空虚を透かした向こう側に薄っぺらな世界を持ち上げているような思いに囚われる。

 日南街の端、元々は学校施設のあった場所が今日の現場だ。イツキは道路部分からの段差を軽く駆け上がり、建造物回収後の広々とした空間を見た。そこには基礎路盤体の湿り気のある緑色の光沢が続いている。面積的にはそれなりの広さがあるが、おそらく深さ的には大したことはない。携帯型射出杭の能力で事足りるだろうし、本数も昨夜段取ってきた分だけで十分だろう。上手く行けば午前中で終わる仕事だ。薄曇りの空だが、気温は上がると気象予報が告げている。涼しいうちに終わらせて、後は冷えた麦酒でも飲もう。
 問題は撃ち込み地点だ。最も効率の良い場所に最小限の杭を撃ち込み、速やかに管理細胞死を終了させる。作業時間は少なければ少ないほど良い。影響の出る範囲内に人の生活圏はなくなっているとはいえ、想定される危険は可能な限り減らすべきだ。どれだけ予測し排除しようとしたところで、事故の起こる可能性は零にはならない。思わぬところに死は膨れ上がり、道連れを求めた濁流となるのだ。
 実際にイツキが経験したのはこういうことだった。
 その日の作業は小さな公園の削除工事だった。よく晴れた日の午前中、規模は小さいとはいえ、住宅密集地のそばでの作業であったので、住民たちを非難させた上で念入りに安全点検しながら工程を進めた。遊具類や樹木の撤去、通路部分の表面素材の回収、表土も全て捲り上げ、敷地内の全てに基礎路盤体を露呈させる。そのうちの半分を細胞死させ、後日住宅地の一角とともに切り離すという計画である。
 保護頭巾搭載の情報眼鏡から撃ち込み点が指示される。現実の視覚映像に重ね合わせて確認すると、敷地中央部分に四尋ほどの間隔で二発射出するだけで良いのだった。
 イツキは発音体を兼ねた遮蔽蓋で両耳を覆い、
「Now the time」
と呟いた。軽快に跳ねる鍵盤の音、縦横無尽に駆け上がる管楽器の旋律、周囲の雑音は全て相殺され、古い音楽だけが頭の中で鳴り響くようになる。腰道具から携帯杭打ち銃を取り出し、小型の杭を先端に差し込む。安全装置を外すと、イツキはゆっくりと緑色の基礎路盤体へと歩みを始めた。
 足を下ろして踏みしめると、ぐっと沈み込むような柔らかな感覚がある。ただそれもつかの間、すぐに鋼のような強度で此方の体重を寄せ付けない基礎構造となる。自己増殖し、成長を続ける苔類と鉱物の混交生物。これが基礎路盤体、日南街に限らず自生都市の全ての主要基礎構造生物だ。
 両手で銃を構え、足下に照準を合わせる。
 一発目を撃ち込む。手首から肩までにはしる重たい衝撃を感じる。緑色が弾け、一瞬、水滴の作る王冠のような現象が現れる。しかし表面にできた穴はすぐさま塞がれ、表面上ははじめから何もなかったかのようにただなだらかになる。音楽は鳴り響き、それはこの視覚とは全く同調していないので、まるで夢の中での行動のようだ。
 移動して二発目を撃つ。ここまででかかった時間は、一曲分にも満たない。これで実作業は終了だ。後は杭の中に封入された崩壊命令因子が仕事を始めるのを見守るだけだ。細胞核が崩壊し、連鎖的に死滅していく細胞群、緑の表面が微細動し少しずつ黒く変色していく。それは公園の敷地の半ばを円弧を描くように広がっていく。その死の描線の両側で基礎路盤体は大小二体の個体となる。大きな一体はそれまでどおりの日南街の土台部分として生存を続け、小さなもう一体は直に死に絶える。街工としてのすっかり手慣れた作業であった。
 ふと、視界の上端で動くものを捉え、反射的に飛び退る。イツキは眼前に落下してきたものを視認すると、上空を振り仰いだ。鳥だ。青空に点描の様に飛ぶおびただしい数の渡り鳥が次々に落下してしてくる。死にゆく基礎路盤体の断末魔が、道連れに選んだ命の群れだった。たまたま公園の上空を飛んでいたそれらに影響が出たのだった。それは街を造り、殺し、未来へと変形させるという街工としての職責を越えてはいた。とはいえ、無用な命の消費を招いたことは、初めて犯したイツキの失策ではあった。
 当時のことを苦々しく思い返しながら、保護頭巾を操作する。付近見取り図を情報眼鏡で確認する限り、路盤体の死の叫びの聞こえる範囲に存在する生命体は自分だけだ。季節を考慮すれば、あの時のような鳥の移動もない。薄い雲の向こう側にも生きているものはないだろう。
「C’est si bon」
 イツキは呟いて、頭の中にとうの昔に死んだ男のしゃがれた歌声を満たす。周囲の雑音は消え、現実感が薄れ始める。撃ち込み地点の情報画面を視角に重ね合わせ、杭打ち銃を構える。

 朝の紅茶はアプリコットの香り、プレーンなマフィンに溶けたバター、温かな空気がゆっくりと動いている。明り取りの高窓が開いていて、そこから早朝の冷たい空気が降りてくる。ぼんやりとした明るさをそちらに感じながら、ボクは伸びをする。まるでおなか一杯にミルクを飲んだ子猫のように満足げにと想像し、その幸福なイメージになんだかハッピーになる。目覚めるだけでこんなに幸せでいられるなんて、ボクはどれだけラッキーなんだろう?
 聞こえる音は蝉の声? それより遠くに聞こえる波の音? しんとした積雪の無音ってのも素敵だけど、天を割く稲光の音も悪くない。ねえ、耳元をタンポポの綿毛がかすめていくときの音って知ってる? しゅらしゅらって風にこすれて、待ちに待ってた夏って感じ、最高だよね。
 でもなぁ、聞こえてきたのはなんだかイガイガしたおじさんの声で、それは少し興ざめなんだけど、まあ、仕方ないよね。分かってる。
「仕方ないとは、不本意だな。何ならもう少しソプラノな声で歌おうか?」
 あれ、傷ついた? 気にしないで、すぐ慣れるから。夢を見てたのかな、ふわふわとした気持ちのいい夢だった気がするんだけど、ちっとも思い出せなくって、でもね、そこで聞いてたのはたぶん、イブラ、あなたのような落ち着いた感じのする声だった。何にも知らないボクに世界のすべてを指し示してくれた。その中にはつらいことも悲しいこともあったんだけど、でもそんなことは覚えてないよ。みーんな、夢の中に置いてきた。
 だからボクの夢の中は、そうやって残された嫌なものや怖いものでいっぱいになってるような気がする。暖かな布団にぬくぬくとくるまって眠りについたら、そこは悪夢の世界だなんて洒落にもなんない、でしょ?
 だけど、大丈夫。眠らなければいいんだ。夢の世界なんてもうまっぴら。いつまでもこうやって目覚めたままで、楽しいことや好きなものだけを感じていればいい。
「まあ落ち着いて、リアン。何もかも急に始めるのはエラーのもと」
 なだめるような口ぶりだけど、どこか面白がってる風でもある、そんな声を感じながらボクは上体を起こす。ひじをついて支えても、その軽さに自分でもびっくりする。そんな動きのせいなのか、ちょっとだけめまいを感じた。くるくると自分が巻き取られてすぐに解き放たれるようイメージ、そうすると、さっきまでよりずっと鮮やかにいろんなものがやってくるのが判る。遠くから低く聞こえてくるのは空調機械の作動音。冷房の気流が下りてきて室温を最適にするのもそうだけど、ちょっとかび臭い空気を除菌消臭して、そのうえに爽やかな柑橘系の香りも添えている。
 室内の向こう、建物の外のこと、例えば今の空の音はボクには分かんない。この部屋がとっても大きな建物の中央、ずいぶん深いところにあるんだと想像できて、だからボクにはこの部屋、身近なところのものしか感じられないんだと見当をつける。はっきりと分かるものと想像するしかないものとの区別がつくようになること、なるほどね、これが生きるってことなんだ。ちょっと感動。もちろん、今まで生きてなかったってことじゃなくって、より、きちんと生きるって言うか、つまり、分かんないことがあるってことに気付くのも悪くないってこと。
「ゆっくりと目を開けてごらん」
 イブラに言われて、ボクはまだ瞼を閉じたままだったことに初めて気付いた。

 この店が混雑しているのなど見たことがないと、イツキは思った。二杯目の麦酒を一口あおった後のことだ。厨房対面式卓にはイツキのほか誰もおらず、奥の四人掛け席にも一組の客がいるだけで、その二人が交わす会話が、たとえどんなにひそめた声だったとしてもちりちりと耳につく。それほど閑散とした店内だった。
 平日の昼下がり、食堂と居酒屋と喫茶店を兼ねたようなこの手の店には需要があるはずなのにこの客足、学校施設の撤去もふまえると、この辺りでもかなりの人口が減滅しているのに違いなかった。自己増殖し巨大化する都市とそのがらんどうな都市のそこここにひっそりと住まう人々、少子高齢化が謳われて久しいが、今ではこの国の自生都市の中には住まうもののない零人口街が増えているという。遅かれ早かれ都市同士の空間の取り合いが始まるだろう。そうした場合、街工仕事としては大掛かりなまるまる一体の都市をを滅ぼすものが想定される。その規模になるとイツキのように個人で動いている一人親方では歯が立たない。都市連合上層部により采配されるような街工組織が必要になる。仮にそんな仕事が回ってきても、どうやって断るかをイツキは考えるだろう。一人で食ってくだけなら働く必要のないこの時代、何も好き好んで仕事するのなんて馬鹿げている。自生都市が不要だというのなら、すべての基礎路盤体を殺滅すべきだとイツキは思う。もはや人類のために供されるべき命ではない。あれらは人の理解の及ばぬ考えで好きなように勝手に殖えていっている。それに追従している上物の設計は路盤体の深部の各所に散在する汎用計算瘤により自動的に計算され、その構築は都市外縁部分にその多くの存在する立体印刷機械により、これまた自動化されている。路盤体の上に各施設を建築し、またそこに至る道路部分には上下水や電気・瓦斯・情報などの各種配管材も埋設し、それはまるで人体のあちこちに血管や神経やらが拡充していく姿の比喩の様で、今では誰も不思議と思わぬものになっている。こうして膨れ上がる都市を維持するという点において、現在、人類の関与しているのは管理細胞死という施工方法で部分的な器官を破壊するということだけであった。例えばそれは、水かきのある手のひらを洋琴を弾きこなせるように五本の指の開く手に作り替えるという非力な死神の仕事のようなものでしかなかった。
 ともあれ今日の仕事で、幾何かの信用通貨が口座に振り込まれ、こんな店より豪華なところで一人楽しむのも良し、新しい自動三輪の頭金に使うのも良しといったくらいの贅沢はできるだろう。
 そうだ、とりあえず今は、ささやかな祝杯を上げよう。
 と、店主にお代わりを頼んだ時に、店の外から何かが激しく衝突したかのような音が聞こえてきた。店主も奥の席の二人も何事かと立ち上がった。新しい自動三輪などと想像したのが悪かったのか、自分のおんぼろ車の方から聞こえてきたなとイツキは思った。
「外、確認してきます」
 イツキは慌てて店から飛び出した。

 ゆっくりと目を開けると、最初は光のまばゆさに視界が膨れ上がってしまったんだけど、直に見えてきたのはボクのおなかと太ももの部分。ヘッドボードに寄りかかり、少しうつむいたようにしているんだから、そうだよね。初めて見るわけじゃないけど、ボクのおなかも両足もつるんとしてほっそりで、まるでお人形の様。多分半分透明なブルーのセルロイドでできているから中の機械がこっそり見えて、そこもなんかおもちゃみたいで可愛い。
 自分のことはさておき、いろんなものを見るために、ボクはベッドから足を下ろした。九十度身体を動かしたのだけど、今までベッドだと思っていたものがずいぶんと小さなものだったんだという事に気付く。ほぼボクの背丈と同じ大きさのあえて言うなら、銀色のさなぎのようなもの。付け加えて言うなら、足の方にも頭の方にも細長い角のようなものが何本か突き出しているので、何やら完成した虫の様にも見える。まるで紙魚みたいだ。
 立ち上がり、それまでボクが横たわっていたところを撫でてみる。やわらかいクッションではなく、それは何かの型を形成するかのように滑らかですべすべとして硬質だった。
 ボクのいるこの部屋はそんなに広くはなくて、この紙魚の他には取り立てて家具のようなものは見当たらなかった。照度は落としてあるので部屋の四隅は薄暗く陰ってはいたけど、人一人を隠すほどではない。
「イブラ?」
 どこにいるのだろうと散々目を凝らしてもわからなかったので、僕は心細気に声をかけた。
「私はここにいるよ、リアン。というより、君も含めたここが私だ。それより」
と声が充ちて、紙魚の足元の方に明かりが灯り、サイドテーブルの上に用意された衣服が見えた。
「君の身体は精巧で美しいけど、ヴェールに包まれていた方がより神秘的になるからね」
 気取った言い方だったので、ボクはくすくす笑いながら、
「イブラ、あなたはどこから僕を見ているの? こんなおもちゃな身体、角度によっては滑稽なだけ。穴の開いてない鼻なんて、全く必要のないちょっとしたでっぱり」と答えた。
 プレーンなシャツとズボンを選んで手早く身に着けて、ちょっと気取ったポーズをとる。腰に手を当て斜めにそらした体の正面に大きな姿見が現れ、そんな僕の姿を写し出す。
 痩せっぽっちのショートヘア、十歳くらいの世代としては背は高い方、形だけの鼻は生意気そうに上を向いていて、ちょっと大きめの口は我慢した笑い声を両ほほに隠している。
大きく張り出した耳は好奇心旺盛にぴくぴく動き出しそうで、我ながらちょっと引く。顔から首元まではぼんやりと着色されていて、まるでシフォンケーキに薄くデコレートした生クリームみたい。そしてその瞳、鏡の中のターコイズブルーの瞳にボクはズームしていく。虹彩に無数の金色の渦が浮いている。瞳の中にはボクが写っていて、その僕の瞳の中にはまた別のボクが写っていてと切りがない。
 視覚の解像度を調節し、鏡に触れてみる。鏡の中の半透明の手のひらとぴたりと合わせる。触感はある。何かを触っていること、それが硬いか柔らかいかまでは何となく分かる。
だけれど、そこには熱さや冷たさの感覚はなかった。
「この設計は欠陥ありじゃないかな?」
「デフォルトだし、今まで特に問題もないが?」
「そう? じゃ、いいや。ただ雪玉の冷たさってのを確かめたかっただけ」
「冬はまだ先だよ、リアン」
「分かってるよ、イブラ」
 そばにあったモカシンに足をねじ込み、ボクは出口へ向かう。次にやらなきゃいけないことがはっきりと分かった気がしたんだ。そうと決まったら、待ってる時間ってもったいないからね。
「開けて、イブラ。お客様なんでしょ? 急いで用意しなきゃ」
 天井まである大きな木製のドアがゆっくり開く。照明もまだついてないそちら側へ、ボクは真っ先に飛び出す。

 嫌な予感ほど的中するものだ。
 何かにぶつけられたイツキの自動三輪車は派手に横転し、ずいぶん遠くまで跳ね飛ばされていた。相手方はと見れば、一つ先の交差点付近で非常用点滅灯を動作させながら停止していた。
 イツキはひとまず自分の車に向かい、一通りの道具を取り出すと邪魔にならない場所へと移動した。動力は電池なので引火爆発することはあるまいとは思ったが、火薬を使用する杭と携帯銃は腰道具に挿し、交差点へと向かった。
 都市連合所有の大型搬送車両だった。外見からは大きな損傷を受けているようには思えない。傷一つついていないといってもいいような状態だった。
 運転席には人影がない。通例この手の車には運転手と助手とが専任するはずなので、ここからは見えないが、おそらく後部荷台部分にいるのだろう。一体何の差し障りがあったのか、話の持って行き方によれば、こちらの落ち度はないはずなので、案外新車を獲得することができるかもしれない。なんせ相手は都市連合だ、その辺のことについては体裁もあるだろうから、ここはうまくやらなければならない。
「大丈夫ですか?」
 声を掛けてみる。答えはない。
 イツキは何となく銃を抜き、杭を装填した。たまたま携帯銃で打ち込める最大火力のものだった。
 様子を窺う。答えはない。点滅灯のちかちかという音と、時折何かがに室の床にぶつかるような音がするだけだ。
 ゆっくりと車体後部へ向かう。
 地面を見ると、荷室からこぼれたらしい液体で黒く染みができている。おびただしい量が流れているようで、どんどん広がっている。なんだか生臭いにおいが濃密に立ち上がっていた。
 後輪のそば、イツキは車体の下を覗いて見た。反対側の車輪のそば、二組の足が転がっていた。ありえない方向にねじ曲がっている膝の関節、腰から上の部分が、たぶんそれはこの角度で見えないだけなのだろうけど、むしり取られたのではないかというような間歇的に噴き出している赤い液体、苦悶の表情の中何も意思表示しない白く濁った眼差し、そんなものが見えるはずなどない、イツキはぼんやりとそう考えた。
 無意識に銃を構え、開いていた荷室の扉の中を見た。
 何かの滴る音、何かの咀嚼音。
「まいなあ、うまいなぁ」
 楽し気に歌うように甲高く聞こえて来る声。
 荷室の中に吊り下げられていた無数の人工子宮、そのほとんどが破り捨て去られ、その中にあったと思われる胎児たちは食いちぎられ噛み殺され、だがしかしその中途で投げ出され、人工羊水の溢れた床にこつんこつんと音を立てていた。
 噛み殺した悲鳴が聞こえたのか、荷室中央に座り込んでいた人影がこちらを振り向く。作業用の強化装甲服を装着し、頭部だけは露出した中年の男だった。血まみれの顔が無表情にこちらを見、ぬちゃぬちゃと噛みしめていた何かをごくりと飲み込んだその顔を見たのを最後に、イツキはその顔面目掛けて引き金を引いた。
 その頭部はいとも簡単に飛散し、そのままの勢いで杭は車体を貫通し、道路に斜めに突き刺さりしばらく掘り進んだ。細胞死は起こらなかったが、路盤体はこの損傷を機に大規模な変形を行い、隣接する住宅街は多大の被害を被った。幸い、住人の過疎化が進んでいる地域だったので、人的被害はほぼ皆無だった。
 犯人は都市連合主要人物の息子であったと噂されている。対立する組織の仕組んだ事件ともいわれ、その配下の警察官が二人、付近に待機していたのらしい。どんな思惑があったのかは不明だが、ともかくイツキは過剰防衛として判断され、日南街からの条件付きの撤去命令を受けた。曰く、以下の行動を遂行後は再び日南街の住民として歓迎する、と。
『昨今、都市連合と関わりのない自生都市が多く見受けられるが、特にこの建物及びその基礎路盤体はその成り立ちからしてかなり古いものだと想定され、必然的に大規模に成長したものと考えられる。ただし、人類等の生命兆候はないので、ただ速やかに破壊するだけでよろしい。いかがかな?』
 そういう音声伝言を受け、イツキは了解の意思を返した。どちらにしろ、この街から抜け出したかったからだ。こんな街に未練などない。
 ただし一点だけ変更訂正しなければならないことがあった。拡張感覚の受送信についてである。通常、同じ自生都市内であれば保護頭巾等の端末機器さえあれば都市中枢からの情報を受けたり、逆に発信するのには問題なく可能である。都市連合として連携しているのであればその間もまた一つの都市部分として相互の連絡が保証される。
 だが、今回の場合全く未知の自生都市での作業となるのでその情報幹体が使用できるかは不明だ。そこで、この条件を満たすため、視聴覚端末機器とその中継器の設置が行われた。街の外でも街と連携できる、少し前なら歓迎して受け入れたであろうこの手術に、イツキは強い不快感を示した。内臓電池の節約のため、電源の入り切りがイツキの意識下に置かれるのでなければ決して許諾できないことだったかもしれない。
 真新しい自動三輪車を付与され、イツキはさっさと町を出た。

「これが全部なくなってしまうなんて、嘘みたいだな」
 ボクはいまだその書架の果てを見てはいなかった。通路と言わず居室部分と言わずこの建物のほぼ全ての壁面には床から天井までに届く書架が設置され、当然そこには、びっしりと本が並んでいる。吹き抜けたところにはその吹き抜けのままに、螺旋を描く階段にはその螺旋なりに本が並んでいる。
「実際にはデータ化しているのだから、全部なくなるわけではない。形、何なら形骸と呼ぼうか、それがなくなるだけだよ」
 階段を上り、吹き抜け上部のキャットウォークを渡り、隣の棟へ渡ったかと思えばそこにはさらに巨大な蔵書室が現れる。基礎路盤体の思うまま好きなように成長してきた建物のこれが迷路のような面白さ。この建物の中の風景をボクは念入りに観察して記憶して、書き残す。そうしてまたいつか、こんな風な場所が生まれればいいなと思っている。
「でもさ、大きなものには引力ってあるでしょ? これだけ本があるとそういう引力っぽいの感じない?」
「ふむ。実際にはごく微量ながらそういう力場が観測されてはいる。もちろん人間に分かるものではない。」
「でしょ。もったいないよね、多分」
 次に発生する地震をやり過ごすことはできないとここの基礎路盤体は感じてる。それぞれは好きなように分割して生き延びていくらしいんだけど、その上の構造物はそういう訳にはいかない。バラバラになって崩壊していく。だから当然このたくさんの書物もただでは済まない。運び出そうにもこの量だ、人手が足りないし、第一場所がない。ここが最も大きな自生都市なんだし、何よりもう人は本を読まなくったから。だから、ここは忘れ去られたんだし、そして今、誰も顧みないんだ。
 外階段をてっぺんまで登り、吹き付ける風の思いの他の強さにちょっと冷やりとする。なんといってもボクはセルロイド製だから、簡単に空へ飛んでいきそう。
 風にあおられながら、階段の手すりに必死にしがみついて眼下を見下ろす。うっそうと樹々の茂る山肌、その斜面あちこちにに建築物がいくつも林立している。それがみんな天辺で繋がってたり地下で行き来できたりしているんだから、すごく面白い。ボクはこの風景を消して忘れない。
 電気自動車のモーター音が遠くから聞こえてくる。山のふもとの平野部分に一台の車の影が見える。その米粒みたいなものにズームして、それが最後のお客さんだということをボクは確信した。自動三輪車の運転席で彼女は泣いていた。オートドライブモードにしてるみたいだけど、ハンドルは自分の手でしっかりと握っている。ただぼろぼろと大粒の涙をこぼし続けていて、前なんてちっとも見えてないんじゃないかと思う。何かを思い出した時、人は泣くんだ。一体彼女は何を思い出したのだろう。
彼女はここを破壊するつもりで来るんだけど、人の持ってる道具くらいじゃここを壊しつくすことはできないし、だけどもうすぐ起こる巨大地震でこの建物のほとんどがなくなってしまうということも知らない。そして多分、彼女の住んでいた自生都市も多分ただでは済まないということも知らないのだ。
 基礎路盤体はそんな情報のすべてを共有しているというのに。それを聞こうともしないのは人間の方なのだ。

 イツキは都市に育てられた最初の世代の人間であった。自然分娩だけでは種の保存が困難と判断した自生都市は、どの年齢層であろうと卵子を強制的に供与させた。同様に集められた精子とランダムにマッチングさせられた受精卵は人工子宮装置の中で育てられる。。
その胎児たちは都市連合間で共有され流通され、売買されるようになり、都市の未来・力のシンボルとして取り扱われるようになった。
 だからイツキに親という概念はなく、漠然と生まれ育った街への想いがあるだけだった。
 だから今まで自身も卵子を提供したことがあるのを忘れていたのだ。もう十年ほども昔のことだ。母への想いが薄い分、自分が母となるという概念もなかったのかもしれない。
 それがあの時、胎児をむさぼり食らうあの狂人の姿を見た時、イツキは確かに大きな空虚を感じたのだった。涙しても涙しても決して埋められることのない空虚。そしてそれが空虚であることの理由をイツキが知ることはは多分ない。

 あちらの街からイツキという人のことを教えてもらって、とりあえず僕はできるだけ脚色も入れずに彼女の物語を書き綴った。その人生はまだ半ばにも達してないし、大きな喜びも色鮮やかな楽しみも経験がなさそうなので、今のところはとても寂しいお話だと思う。 難しい時代なのだとは思う。災害の多く続く時代、避難地の土壌開発のためにデザインされたのが基礎路盤体と呼ばれる生物だった。発想はポップアップテント、薄く硬い土壌に軽量な風雨除けを設営する、ただそれだけの発想。それが電子的なアイテムとの間で融合模倣改良進化を遂げ、基礎路盤体と呼ばれる部分は実質巨大な演算装置となったのだ。
 もはや人類になど、シロナガスクジラの上のノミほどの存在感もない。文明や文化も直消えてなくなるだろう。
 そんな下り坂の終わりの前のほんのわずかな一点で、あなたにこの本が届けばいいなと、そう思う。テキストデータをやり取りしない文化になって半世紀が過ぎたようだけど、イツキさんは本を読めますか?
 ボクはこの図書館の司書システムの中のほんとに小さなサブプログラムで、来館者の希望に沿った一冊の本を製造するのが仕事だったんです。この世界に立った一冊の本をね。
世界の名作の装丁だけを変更することもあれば、小さな子のとりとめのないお話をとりとめのないままに一冊にまとめたりもしました。
 お気に召すかどうか、ぜひご覧ください。
 うん、今行くよ、イブラ。この身体、気に入ってたんだけどな。

 重たい木製のドアを押し開けて、イツキは一瞬、自分がここに来たことの意味を理解したかのように感じ、そしてすぐにそんな思いは消え去った。薄暗い中に立つ短髪の人形の表情にどこか懐かしいものを感じながらも、それが何故なのかが分からない。けれどそれは不安な感じの想いではなく、感謝の想いのするようなものだった。
 十歳ほどの年齢の少年とも少女とも見える等身大の人形は、生意気そうに上を向いた鼻といい、バランス的に大きすぎる口といい、なんだか親近感の湧く作りだった。
 こちらに差し伸べられた掌の上には四角いものが置かれている。イツキはそれを手に取った。
 そのほんの小さな摩擦が人形の指に小さな炎をともし、あっという間にそのセルロイドの人形は暖かな光となって消えた。

 僕たちはまたデータの流れになって、この星のあちこちを旅するよ。そして多分、あの星々へも!

 そしてもはや、手のひらには乾いた埃の跡と吐息のような暖かさしか残されてはいない。眼前に左手を差し上げている私は、まるでその空虚を透かした向こう側に薄っぺらな世界を持ち上げているような思いに囚われる。
 視聴覚端末機器のスイッチを切り、後頭部下部にしっかりと糊付けされている中継器を私はむしり取った。
 するとまた手のひらにあの本が蘇る。手のひらにのるほどの大きさで、厚みもさほどない。どういうわけかほんのりと暖かく、多分それは今までどこかの陽だまりに置かれていたからではないかと、何気なく思う。
 開いてみると半ばまで、何やら小さい文字が並んでいる。初めて見るものもあるが知っているものもある。昔ながらの文字で書かれているだけのこと、調べれば必ず分かる。これは多分私にとって大切な何かだ。イツキという文字が何度も何度も書かれているのはきっとそのせいなのだ。
 時間はある。楽しもう。
 イツキの瞳の色は、深い深いターコイズブルー。

文字数:11990

課題提出者一覧