カンベイ未来事件

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梗 概

カンベイ未来事件

〇舞台
「正義」という感情が、ウィルス性の疾患であることが科学的に判明した未来。いきすぎた「正義」が人を虐殺者や独裁者にするとして、人類はそのウィルスをほぼ駆逐し、世界から「正義」を駆逐した。

〇物語

ナナミ。正義に感染している数少ない人類のひとり。
この世界がシミュレーション上の世界であることを、オカルト雑誌『カンベイ』の記者から告げられ、自身のやるべきことに迷いがでる。海底にしずんだとされる古代都市カンベイの火力コンピュータのシミュレーションという、オカルト記事。


サジ。政治に感染している数少ない人類のひとり。
正義をもっているのに、正しさを信じられない。オカルト雑誌『カンベイ』の記者から、未来の社会で世界的な大火災が起きるのを防ぐように告げられるが、彼はその事実を受け止められない。


ナナミ。命をかけて、一人の男の子を火災から救う。それは少年時代のサジだった。力尽きてナナミは死ぬ。その志が、暗黙的にサジにうけつがれる。


サジ。この世界がシミュレーション世界でないことが科学的に証明される。「正義」ウィルスは、古代都市カンベイの人びとの思念がウィルスとなったものだとされる。その目的は、未来の大火災を止めること。サジはその事実を受け入れる。自分の死後の火災を止めるために、サジは思いを強くする。自分はあまりにも途中で、それでも、途中であることをうけいれ、次につないでいくことを決意する。

文字数:596

内容に関するアピール

今書くべきは「火」の物語だと思うので「火」の物語を書きました。
この物語において「火」は過去であり未来であり物語であり絶望であり希望です。
「正しさ」とはなにかを僕は一言で言い表せません。
それでもこの物語は「正しさ」についてのお話です。
この物語は、耐えることと生きることと繋ぐことです。
「正しさ」をなすことはただただ苦しいことですが見返りは残念ながら得られないかもしれません。
でもいつかどこかの誰かに何かを与えることはできるかもしれません。
もしも「正しさ」に「答え」があったとしたらどれほど楽だったかと思わずにいられません。
でもそれはないのだと思います。
だから僕はごちゃごちゃした〈物語/祈り〉を書きたいです。

中途半端ではあるけれど、かきあげたので、煙草を一本吸って、次を書きます。

文字数:339

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カンベイ未来事件

■目次

第一部:過去 秘儀的浪漫譚

◇人類が〈正義〉を手放した歴史

第二部:現在 壱岐島服忌

第三部:予言 カンベイ未来事件

 

 万人にとって同一のものたるこの宇宙秩序は、いかなる神が造ったものでもなく、人が造ったものでもない。それは常にあったし、今もあり、これからもあるだろう。それはとこしえに生きる火であり、一定の分だけ燃え、一定の分だけ消える。

〈断片〉ヘラクレイトス

 

 第一部:過去 秘儀的浪漫譚

 

1.正義について

 

 今日RLS(恋愛症候群ロマンティック・ラヴ・シンドローム)の名で知られる疫病は、二十世紀全般に蔓延した業苦であり、あらゆる社会的障壁を突破し、あらゆる年齢・階級・社会的集団に属する人々に感染していった。
(…)
 研究ノートに、コートンは素朴な情緒表現に任せて以下のように記している。「わたしはRLSウィルスから解放された――たぶん、幾世紀を通じて最初に開放された人間だと思う。いま、はっきりと回想することができる。過去の恋愛を、そしておかしなほどゆらぐ奇妙なあの感覚を……。わたしは氷河の心をもって全世界を眺めている。無情なほど明快に、鮮明すぎるほど鋭く対象を捉え、苛烈なまでに冴え渡った理解力をもって認識するのだ」

「ロマンティック・ラヴ撲滅記」パット・マーフィー/小谷真理訳

 

 火について書かれた物語のうち、まだ人が正義を手放していなかった時代の作品として、村上春樹の小説は特に評価された。人類の最古の物語として作中で提示される火に、現生人類が捨てた正義が重ね合わされているという解釈が、今日の文学研究では主流である。村上春樹の文学は、今ではオカルティックロマンの古典的な作品として扱われている。
 オカルティックロマンは、二十一世紀後半においては傍流の文学といえる。それは正義の撲滅以降に提唱された文学であり、もはや人類の誰もその実態を知らない正義について書かれた作品群のことを指す。2050年代にそれらの作品や作家のことはメタロマン主義と呼ばれていたが、大衆や主流文学には大きな影響を与えることなく、徐々にその影響力は狭いものとなり、人類の失った概念を秘儀的に扱うことから、揶揄的に秘儀的浪漫譚オカルティックロマンという名称が定着した。
 1999年に書かれた村上春樹の「アイロンのある風景」という短編のなかには、焚き火をつくる場面がある。村上は焚き火の火と、自身の書く寓話的物語を重ね合わせている。火は「あらゆるものを黙々と受け入れ、呑みこみ、赦していくみたい」と書かれる。時代背景的には、1995年の阪神大震災とオウムサリン事件の数年後に書かれた短編であるため、「アイロンのある風景」は村上が自分の書く小説と災害やテロの暴力との関係を再定義しつつある期間に書かれた作品と言える。そこで村上は登場人物にこう言わせている。
「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。(…)でも、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こるためには、火のほうも自由やないとあかん。ガスストーブの火ではそんなことは起こらん。ライターの火でも起こらん。普通の焚き火でもまずあかん。火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえたらなあかんねん。そしてそれは誰にでも簡単にできることやない」
 村上にとっては、火=物語が自由になる場所としての小説を書くことこそが肝要だった。その取扱い方を誤れば、火はテロにもなるということを村上は知っていた。サリン事件への作家としての応答として村上は「アイロンのある風景」を書いた。
 オカルティックロマンの作家たちは、村上の書く火=物語と、自分たちが手放した正義との関係性を考えた。正義もまた「かたちが自由」なものであり、人によってその解釈は千差万別だった。そして取り扱いの危険性もまた火によく似ていた。
 そして人類は、取り扱いの危険な正義という火を手放す決断をした。人生や生活の一部としてそれによりそうのではなく、幼い子どもから危険物を取り上げるように、永久にそれを手放した。
 21世紀前半で亡くなった村上が知る由もないことだが、人類の正義の発祥は、事実として火から始まっている。
 人が心に抱く正義という概念が、ウィルス性感染病の一種であることを示す研究結果が科学誌に掲載されたのは2035年だった。メタゲノム解析によって人体内の細菌を調査した結果発見されたウィルスであり、感染した人間とそうでない人間では義務感や倫理観に統計的に優位な差異が認められた。原因となったクロレラウィルスの一種であるATCX-9は、人には無害な存在だとながらく思われていた。ウィルスが人の意識に影響を及ぼしていることは、21世紀初頭には発見されており、2015年には思考機能を低下させるなどの影響を人に与えるウィルスが発見されている。
 2040年代にATCX-9のルーツと治療の方法が確立された。ATCX-9は動物にも寄生するウィルスだが、動物の体内にいる場合は潜在性ウィルスであり人にも無害だが、活性化した状態で人に宿るとその意識に強い影響を与えるのだ。
 ATCX-9が活性化する条件は、火によって焼かれることだった。
 火を使った動物性の食事を摂取することによって、人は正義に目覚めるということだ。すなわち人類の正義の起源は、人が火という技術を用い、動物の肉を火で料理することをはじめた時代までさかのぼることになる。
 火と正義の人類史的な接点は、オカルティックロマン読者にとっては村上作品の価値をより高めることとなったが、そうでない者には逆にオカルト的な論理に捉えられ、オカルティックロマンへの賛否はより強まった。
 しかしウィルスのルーツは、もう一つの問題に比べれば些細と言える。
 それはATCX-9による病状の治療、つまりは正義の根絶治療を行うかどうかという問題だった。
 人類社会の始まり以前から、人は正義という概念を保有していた。正義と社会は不可分ではないはずだ、というのが根絶治療反対派の主論だった。正義をもたない人類に、倫理や道徳を理解することができるのかは、当時は誰にもわからなかった。しかし世界の状況はその判断を悠長に待つことはできなかった。
 根絶治療賛成派は、正義を治療することによって、人が暴力性や利己性を減衰させる事実を重要視した。各地で紛争やテロは続いており、多文化共生は理想と現実の軋轢を生み、国際社会は徐々に疲弊の色を増していた。そのような苦しい社会情勢が後押しし、各国政府や多くの大衆は賛成派にまわった。
 結果として、人類は正義を永遠に手放すことを選択した。
 グローバル化が進んだ世界において、各国の後押しを受けた正義根絶治療は人種や貧富の差を超えてすぐに広がることとなった。治療法の確率から約十年後の2050年には、人類の九割の治療とウィルスへの耐性付与が完了し、人類は実質的にほぼ完全な正義の撲滅を完了した。
 撲滅の結果は、賛成派の思い描く社会を作り出すことに成功した。
 世界各地から紛争やテロは徐々に減少していき、人びとは個々の出自や人生を超えて対話を交わすことにも前向きとなった。医療とは別の学術的アプローチによって、人類史の英雄や独裁者たちは特に強い正義の適正を持っていたことも少しずつ明らかとなった。2050年以降の21世紀世界では、戦争は一度も勃発しなかった。人びとはようやく悟った。正義とは、人類社会にとって手に余るものだったのだと。
 しかし、根絶治療賛成派の思い描いていたユートピアはそこで頭打ちだった。
 反対派による懸念もまた正しかった。
 人類は争いから遠く離れることに成功したが、同時に発展の道を歩む足も止めてしまったのだ。
 2060年代にはほぼ統計的に明らかだった。世界は文化的経済的な発展を止めていた。その事象と、正義撲滅との因果関係までは誰にも証明できなかったが、人びとはその証明が必要ないほどに肌で両者の関係を実感していた。
 しかしもはや人類は後戻りにできなかった。一度ウィルスへの耐性を備えた人間が産む子どもは、生まれながらにして耐性を備えていた。人類と正義との接点は既に途絶えていた。
 そして事実として、平和な社会は到来していた。
 人類には戦争の歴史へと後戻りする理由もなかった。
 社会の多数派はその停止したユートピアに順応した。
 かつて根絶治療に反対したわずかな少数派も、違和感をもちながらもこの新たな時代を受け入れざるをえなかった。
 オカルティックロマンは、そのような少数派によって支持を得ていた。
 前世紀にオカルトへと熱をわかせていた人びとのごとく、彼らは失われた人類の遺物に想いを馳せた。
 その想いは、2077年の壱岐島火災を引き起こすこととなる。

 

2.アンダー・ザ・シー(海底の世界)

 

「インド西部グジャラート沖カンベイ湾海峡にて世界最古の都市発見
 九五〇〇年前の遺跡と測定 政府発表」

 二〇〇二年一月十七日××新聞一面記事

 

「数千年より前の大規模な遺跡というのは、今は海底にある。
 海面変動で沈んでいるからだ」

 奈須紀幸(元東京大学海洋研究所所長)

 

 アトランティスについて、最初に言及したのはよく知られているようにプラトンだ。プラトンは『ティマイオス』および『クリティアス』という著作のなかで、次のように述べている。
《九〇〇〇年前の昔(現在からは約一万ニ〇〇〇年前)、ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の西方に、アトランティスという大きな島があった。アトランティス島からは他の島々へと渡ることができ、またその島々からは対岸の大陸(アメリカ大陸?)へ渡ることもできた。アトランティスは本来、海神ポセイドンに与えられたものであったが、ポセイドンと人間の娘クレイトウから生まれた一〇人の王の子孫たちが代々支配していた。
 アトランティス島の大きさは、リビア(北エジプト)とアジア(小アジア)を合わせたよりも大きく全体が高い山岳状の島となって海面からそびえていた。この島はまた、陸地環状帯と海水環状帯が交互にとりまくような巨大な環状構造になっていた。そこには世界一美しく豊かな平野があり、温水と冷水が湧き出す二つの泉によって、あらゆる作物を豊富に実らせていた。鉱物資源、森林資源も豊かだった。家畜のほか、象のような野生の動物も多数生息していた。
 アトランティスの支配域は、大海原に浮かぶ多数の島々だけでなく、エジプトやイタリア付近までの地中海世界にも及んでいた。海外諸国から莫大な富や物資が集められ、アトランティスの港には世界各地からやってきた船舶や商人が満ち、昼も夜も大変な賑わいを見せていた。
 一〇人の王統のもとで、このように何代にもわたり繁栄したアトランティスだったが、長い歳月がたち人々の中から神性が薄れるとともに、アトランティスの人びとは堕落していった。そして、野心をもってギリシャに侵攻するに及んだが、そのさなか大異変によって滅亡した》
 アトランティス伝説の出所について、プラトンは、古代ギリシャの賢人ソロン(前六世紀)が、エジプトの神官から伝え聞いた話としている。しかも、エジプトの神官によれば、エジプトとギリシャの起源はそれぞれ、当時の八〇〇〇年前および九〇〇〇年前だというのだ。エジプトよりもギリシャのほうが古いというのである。エジプトの神官がいう、この太古のギリシャ人は、アトランティス軍の侵入を食い止める偉大な戦いに勝利したが、アトランティス滅亡のさいの大異変で一緒に大地に呑み込まれたともいう。
 なんとも信じがたい話だが、「とにかく、聞いたことはお話せねばならない」というのがプラトンの姿勢である。
(…)
 プラトンが伝えているのは、あくまでプラトンの想像の範囲内にあるアトランティスではないか、そう思えるのである。
(…)
 しかし、である。プラトンの記述に限界があるとしても、彼がアトランティスという未知の文明を伝えていることは、やはり何かを暗示しているのではないだろうか。
 大切なのは(…)我々には知られていない太古の文明が、どこかの(おそらく大西洋の)海底に眠っているとプラトンが伝えていること、それ自体にあるのだ。
 我々が過去数千年かけて築いてきた文明のルーツには、何か母体となる文明があるのではないか。あるいは、我々の文明以前に何か別の文明のサイクルがあったかもしれない。そんな可能性をプラトンは示唆している。しかも、太古の未知なる文明の痕跡は、今では海の底にある、とプラトンはいう。そのこと自体が重要なのだ。

「アトランティス大陸を科学する」倉橋日出夫

 

 現れの空間は潜在的に存在する。しかし潜在的にであって、必然的にでも永遠でもない。

『人間の条件』ハンナ・アーレント

 

3.とこしえの火が僕らの前に暴き出したもの

 

「カンベイ湾古代遺跡 火子計算機の痕跡発見
 自然界にあり得ない燃焼痕」

 二〇六六年五月二十日××新聞一面記事

 

 火子という物質の存在は、21世紀初頭から理論的には指摘されていた。
 ニック・ボストロムのシミュレーション仮説は歴史が進むほどに信憑性を強めた。もし人類が宇宙の完全なるシミュレーション世界を計算機の演算によって構築できる技術力を手にしたならば、過去や未来の検証のために必ずその技術を利用するだろう。そして、その人類が作り出したシミュレーション世界のなかの人類もまた、同じことを繰り返すだろう。そうだとすれば、現実世界がひとつであるのに対して、シミュレーション世界は無数に存在することになる。その場合、シミュレーション世界内に生活する者にとっては、自分が現実にいるのかシミュレーション世界にいるのかは確実な判断を下せない。だから我々は、自分がいるこの世界が本物なのか偽物なのかを知ることはできない。
 火子はシミュレーション仮説を検証するために理論的に提唱された。もし現実世界の人間がシミュレーション世界を構築した場合でも、そのシミュレーション世界のなかにそこが現実ではないと気付くことのできる痕跡を残すという可能性を根拠とし、我々の物理世界に何か痕跡を敢えて残すのではないかというのが、その仮説の要旨だ。そして現実世界でシミュレーションを始めた計算機のことを、他と区別するために火子計算機と名付けた。
 実のところ、この火子計算機仮説は、オカルトの研究者たちの間で生まれたものだったため、学術的にはあまり信じられてはいなかった。ところが、2066年にカンベイ湾古代遺跡で本当に我々の世界の物理では説明のつかない燃焼痕が発見され、火子計算機仮説はにわかに脚光を浴びた。
 オカルト論者たちは勢いにのって様々な持論を展開し、議論を白熱させた。そこで特に話題にあがったのが、この世界は古代文明が火子計算機によってシミュレーションした世界かもしれない、という論だった。
 古代文明は、自分たちの世界の未来を検証するために、今も火子計算機による演算によって世界をシミュレートしており、我々が現実と思っているこの世界はシミュレーションで、本当の現実世界ではいまだに紀元前数千年の時代であるという。つまり人類の歴史はいまだ西暦すら始まっていない世界が現実だとする論だった。
 無論、この仮説の検証もまた究極的には不可能と言えた。しかしこのようなオカルト論は、特にオカルティックロマンの作家たちに喜ばれ、古代文明をモチーフとした作品群が多く発表された。本当の人類世界は海の底にある。我々が生きている時代も見ている風景も、かりそめのものにしか過ぎない。
 オカルティックロマンに少なくも根強い読者がついたことには、正義が撲滅され、人の多様性の脅迫的受け入れ状態が沈静化したことも無関係ではなかった。人びとは「世界はこうあらねばならない」という思いを抱かなくなった。この世界が現実でもシミュレーションでも、人びとには受け入れる余裕が生まれていたし、事実とオカルトが共存する余地も作られていた。
 誰がどのようなことをしてもいいし、誰がどのように生きてもいい。
 人類が手にした自由は、ゆるやかな歴史の終わりと同義でもあったが、それを人類は人類史の新たな発展として粛々と受け入れた。
 だが皮肉なことに、そのような発展のなかで、壱岐島火災は起きた。

 

4.2077年7月18日の朝に何が起こったのか?

 

 壱岐島は日本の長崎県北西にある無人島である。
 統計では2088年に住人が0人になっているが、その頃にはすでに日本が中央から離れた地方の正確な情報を重視していなかったため、それが事実であるのかは誰にもわからなかった。不思議なことに、多くの無人地帯と異なり、国内外の不法居住者が住み始めるといったこともなかった。
 島には縄文時代の遺跡も発見されており、その頃から人が定住していたことがわかっている。長崎県内では最大規模の古墳である双六古墳など、数基の古墳も発見されており、古代の歴史の痕跡を残している。
 中世にはモンゴル帝国の侵略を受け、戦火に襲われ島民の虐殺という悲劇も起こっている。
 第二次大戦以降は、葉タバコと肉用牛の生産が盛んだったが、徐々に人口が減り過疎化していく。
 そのような歴史が引き寄せるのか、21世紀に入ってからの壱岐島は何度となくオカルト団体の注目を集めることとなる。複数の団体が壱岐島で大会を行ったり、新興宗教の信者たちが集団移住を計画するなど、不思議とそのような界隈から関心を呼ぶ島となった。
 そしてオカルティックロマンの作家たちも、その島に吸い寄せられるようにして集まった。彼らが仕事場とした木島館は、島北東部の旧日本軍海軍見張所のほど近く、海の見張らせる場所に2061年に建てられた。建物全体が白く塗られた二階建ての建築で、一階が仕事場、二階には住居スペースが設えられ、作家たちがこもって仕事をする場所として利用された。
 木島館を建てた小説家の三浦嗣治と加納瞬は、まずは自分たちが仕事をするうえで快適な環境を目的にしていたが、その場所はすぐに同業の作家たちの話題となり、ひとりまたひとりと木島館に集まってくる人間は増えた。当初、壱岐島に住んでいたのは三浦と加納の二人だけだったが、最終的には小説家や芸術家、音楽家などの多様な職業の人間が壱岐島に移住し、木島館に通って仕事をするようになった。建設時は倉庫程度に使えればと考えられていた地下スペースには防音設備が整えられ、アトリエとして離れが増築された。
 もともと仕事のキャリアの長い三浦と加納以外は、20代や30代の人間が集まっていたので、最年長は2061年当時55歳だった加納瞬ということになる。
 彼らはそこで旺盛な仕事ぶりを見せ、傑作や怪作が多く作られた。島外との接触は減っていったが、彼らの仕事は21世紀後半のオカルティックロマンの分野にとって重要な作品をいくつも残すこととなった。
 三浦と加納が残した最後の公式発言の記録は、2076年に行われた対談だった。木島館二階の部屋で、彼らはこんな言葉を残している。

加納「壱岐島は忘れられた場所だし、にせものみたいな土地なんだ。この島に歴史がないとか嘘くさいという意味じゃない。というよりも論理的に説明できる感覚じゃない。人が手放したものを書く作家として、ここでなら新しいものが書けるという直感があった」

三浦「僕らが移り住んでからも、人はどんどん減っている。やがてここは世界から忘れられていく。その後どうなるのかは知らない。というよりも、そうして忘れられていく場所から物語を書いてみたかった」

 三浦と加納は小説家として、木島館で仕事をした十数年の間に、それぞれ数十冊の作品を書いている。それらの木島館時代の作品はファンの評価も高い。その頃に書かれた二人の作品は幾つかの文学賞も受賞している。
 そのように順風満帆なキャリアを築き上げた彼らを突如として襲ったのが、2077年7月18日に発生した壱岐島火災だった。
 その日に木島館で何が起こったのかは定かではない。出火原因は不明であり、放火なのか失火なのか、あるいは集団自殺だったのかも判然としない。
 18日の朝。壱岐島の住民は木島館へ行く三浦の姿を目撃している。その証言によれば、特にいつもと変わった様子はなかったようだ。普段と同じように挨拶を交わし、別れたとされる。そして畑仕事をしている午前中に、森の向こうの木島館の方角から黒々とした煙が上がるのに気づいた。何かがあったことは明らかであり、車で木島館へ急行しようとしたが、すぐにその必要すらないことがわかった。炎が森までを呑み込み始めていたのだ。木島館まで行くまでもなく、彼は消防署へと連絡をした。
 壱岐島の消防本部は木島館から数キロほど西へ行ったところにあり、距離はそう離れてはいなかったが、なにしろ火の手が強く、消防本部からの救援の手に余る大火災となっていた。なぜそこまで燃え広がるまで島の誰も気づかなかったのは不明だった。
 その頃には付近の住民たちの多くが炎に気づき始め、近隣民家の住人はすぐに避難を開始した。幾つかの民家が炎に呑まれて全焼、あるいは半焼した。火は一昼夜燃え続けた。
 島の北東部に広がった壱岐島火災は、その規模の大きさにも関わらず、死傷者は七名のみだった。すなわち、木島館に当時いた七人の作家のみだった。

 その後、オカルティックロマンの読者たちのなかで奇妙な噂が流れた。
 曰く、壱岐島火災跡で発見された燃焼痕が、カンベイ湾古代遺跡にあった謎の燃焼痕と同一のものであったと。

 

◇人類が〈正義〉を手放した歴史

 

約12000年前:アトランティス文明が海底に沈む
約9500年前:カンベイ文明が海底に沈む

2031年:正義が病気であることが科学的に証明される
2044年:正義の治療法が確立される
2050年:正義撲滅完了
    以降、生まれてくる人々は正義をもたない
    ウィルスの起源は謎のままとなる
2060年:宗教戦争・紛争の鎮静化
    以降、21世紀に勃発した戦争はない
2065年:人類の文化的経済的発展が止まる
2066年:火子計算機シミュレーション仮説の提唱
2067年:オカルティックロマンの隆盛
2077年:壱岐島火災事件
2099年:現在。世紀末。

????年後:カンベイ大火災

 

 第二部:現在 壱岐島服忌

 

 大蛇!
 大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。

「魚服忌」太宰治

 

5.私たちはなぜ火から目をそむけたのだろう?

 

 壱岐島に興味をもったのは三浦嗣治という作家の書いた『宇宙に遍く火』という小説がきっかけだった。調べてみると、それは三十年も前の作品で、作家本人は僕が生まれる前に亡くなっていて、しかも死因となった事件は歴史的な大火災であり、事件の原因すらも詳細不明らしい。
 その小説は父の書棚から発見したものだったので、まず父に話を聞いてみようと軽い気持ちで訊ねた。ところが、父は何か嫌なことでも思い出したのか、顔をしかめると、無言で私の質問を拒否した。
 それで僕は気分を削がれてしばらくそのことを忘れていたのだけれど、数日経った頃、父が夕食の後に話があると言って僕を呼び出したので父のところへ行くと、父は、自分は壱岐島の火災現場に行ったことがあると話した。
 それは今から20年前、つまり2079年の出来事だった。
 父は話し始める前こそ、どういえばいいのか言葉を探っている様子だったけれど、ひとたび話し始めてからはとても聞きやすい話しぶりで語ってくれた。まるで、これまでずっと誰かに話すために言葉をためこんでいたように感じられた。
 父の話はとても奇妙だった。
 それはこんな内容だった。

 ――実際に壱岐島の土地を踏んだ時、とてもおおきな違和感を覚えた。
 初めて来る場所のはずなのに、とても見知った風景が目の前に広がっていたからだ。
 人のいない港。いつからそこにあるのかわからない、駐車場に放置された電気自動車。森と畑が広がる風景。無人の商店の壁に描かれた落書きまでが記憶と一致する。
 壱岐島が無人島となるのはもう少し先のことだったが、2079年の時点で壱岐島にほとんど住民はいなかった。だから道を歩いていても人の姿を見ることはなかった。
 私の降り立った港は印通寺港といって、島の南西部に位置していた。目的地の一つである木島館跡は島の北東部で、そこまでは十数キロ程離れていた。そもそも壱岐島はそれほど大きくない島だったので、私は特に移動の手段を調達していたわけでもなく、徒歩で木島館跡まで行くつもりだった。
 北へと歩き始めても、最初に感じた違和感は消えなかった。ほどなくして、それが小説で読んだ風景と一致することに気づいた。三浦嗣治や加納瞬の書く作品の多くは舞台設定をはっきりと書いてはいなかったが、そのほとんどはこの土地を想定して書かれていたことを私は知った。
 私はそれで寄り道を思いついた。幾つかの場所、神社や学校など、それらの場所も何かの作品で描かれている可能性に思い当たったからだ。事前に地図にひいていたマーカーの線から外れて、私はまず熊本利平の生家である碧雲荘に立ち寄った。港から北上する国道を左手にそれていくと、すぐにその場所が見つかった。
 熊本利平とは20世紀前半に活躍した人物で、壱岐島の産業や教育などに広く貢献した人物として、ここでは尊敬を集めた人物だったらしく、生家がそのままの形で残っている。日本的な立派な和風家屋で、少し高いところに建っているため、そこからは私のいた印通寺港も見下ろせた。そこから眺める港や海の風景は、やはり三浦作品で読んだ場所の印象と一致する。細部が、というよりも印象が似ている。彼の作品に海が頻出するのは、こういった土地で仕事をしていたからなのだと理解できた。
 私は国道に戻ってさらに島を北上した。歩いている間、車は一台も見かけない。民家や畑にも人の気配はなかった。もしかしたらもうこの島には私以外の人間はいないかのようだった。三浦や加納が、この島を「忘れられていく土地」と呼んだことを私は思い出した。
 道すがら、やはり幾つかの寄り道をした。小学校。神社。固有名に馴染みはなくとも、やはりその場所の風景は奇妙なほど見知った印象を私に与えた。
 小説に限らず人間の作る創作物は、当たり前だが人間が作っている。それはコンピュータが演算によって出力するものとはやはり違う。いや、人の手で始められた制作でも、コンピュータを道具として利用することは普通なのだけど、要は、人間はどこかの空間でその作品を作っているのであり、その作家がいた場所のリアリティと、作品の中に流れるリアリティの間には密接なつながりがあるのだと思われた。
 もし三浦や加納を始めとした木島館の作家たちが、壱岐島以外の場所で仕事をしていたら、きっと彼らはこの現実に残した作品とはまったく違うものを作ったのではないかと感じる。
 風景や場所が人を作り、作品を作っていく。そのような過程は実際に起こり得るのだろう。
 近づくほどに、火災の跡が目立つようになった。おそらくかつては緑が生い茂っていたのだろう森は、見るも無残な風景になっている。
 太陽が南中をまわったころ、私は目的地の木島館跡にたどりついた。
 主要な道路から離れた場所に建っているため、そこまで行くには舗装されていない道を通る必要もあったし、幾つかの寄り道のために私はだいぶ歩かされていたので、多少足が疲れていたが、その建物を見たときにはそんな疲れなど忘れるほどに衝撃を受けた。
 火災以前は白く統一された色合いだったはずの木島館は、壁も屋根も深く黒い焦げ跡で塗りたくられていた。二階のバルコニーの手すりが微妙にへこんでいるのが、火災の影響なのか判断できなかったが、その様が私には異様に生々しく感じられた。
 ここに彼らは集い、ここで創作を行い、そしてここで亡くなったのだという実感が強く私の中に起こった。言葉にならなかった。とても悲しい気持ちになった。それでも泣くわけでもなかった。ただ目の前の光景を目に焼き付けようと思った。この場所に再び訪れることは二度とないと思ったからだ。
 義憤、というものをかつて人は持っていたらしい。あるいは強い怒りのようなものを。けれど今を生きる人びとはそういったものを持ち合わせていないし、私もそうだった。何かとても大きな哀しい事件が起こった時、人はただ深く悲しむ。個人差としてあるのはただ悲しみの深さだけだ。悲しみについて相応に社会的理解があるので、仕事や雑事から離れることで人びとは悲しみを受け入れるようにしていた。
 追悼をするという気持ちにうまくなれなかったのが意外だった。そもそも、そのために私はこの島に来たというのに。
 わからないけれど、おそらくこの島の風景の印象が原因のような気がした。この島はどこへ足を向けても見知った印象のある場所で、特別な事件の現場という気持ちがそがれるのだ。普通に人が生活し、森があって、海がある。そのような土地で、本当にこんな大変な事件が起きたのだろうかと、焼け跡の残る木島館を目にしてさえもそのような違和感を覚えてしまう。
 火は現実に木島館を呑み込み森を焼き払ったという事実と、空想の世界とつながりすぎたこの島の風景とのミスマッチ感が堪えがたい。
 火は三浦嗣治の作品に頻出するキーワードだった。彼はオカルト的な火子計算機仮説に強い関心を持っていたので、自作のなかで何度となくそれについて書いている。この私たちのいる世界が現実ではなく、計算機の演算上に発生したシミュレーション世界であるという仮説は、彼の創造意欲をわきたてたとファンの間では言われているが、実際のところは、彼にはそもそもこの世界の風景をシミュレーションの風景だと理解することが自然な感覚だったのではないかという気がする。今の私のように、現実と空想の風景が重なっていたのではないか。彼はただ、そのことを小説に書いていただけかもしれない。
 木島館から少し離れたところにある旧日本海軍見張所にも足を運んだ。そこは『宇宙に遍く火』にも登場していたことを私は知っていたので、もともと見ていく予定だった。水平線が視界に広がる開けた丘にその白い建物はあった。私はその建物の近くで、持参していた食料を少し食べた。それから少し物思いにふけった。木島館のそばでは、うまく思考がまとまらない気がした。
 小休止くらいのつもりだったが、気づけば日は傾きつつあった。私は今日の寝泊りの場所を探すことにした。
 帰りの船は明日の夕方に来る。
 明日はそれまでに、もう一つの目的地を巡る予定だった。

 

6.私たちは何をすればいいのか? そして手を動かすこと

 

 ――翌日。
 私は朝早いうちに行動を始めた。
 前日は島の東側を移動していたが、今日は西側まで足を延ばした。ちょうど木島館から見て島の反対側の位置にある岬に、壱岐島火災の慰霊碑があるのだ。そこが二つ目の目的地だった。
 私はそこでやりたいことがあった。
 前日のうちに少しだけ移動していたこともあって、昼過ぎには目的地にたどり着いた。木島館同様に、海の見渡せる場所にそれはあった。丘ではなく、森に囲まれた小さな山の頂にある。
 その辺りは黒崎半島呼ばれていて、第二次大戦時には陸軍の施設などがあったことから民間人の立ち入りを禁止された区画が多かった。戦後は一般にも開放され、幾つかの名所などを観光するために人びとが訪れるようになったと聞く。
 昨日とは異なり、足場が舗装された坂を上り、頂きに着くと唐人神展望所がある。かつてこの地の海に唐人の水死体が流れ着き、その死体の下半身を山に葬ったらしい。ところが、その辺りを通る人間に悪霊が悪さをするという話が広まり、その唐人を冥福を祈る祠を人びとは建てた。軍によってこの土地が要塞化された際に、その祠は移設され、今の場所に移されたということらしい。
 山道は途中から石を切り落とした足場に代わり、そこを登ると屋根のある休憩所のような場所に出た。ここが展望所らしい。見晴らしがよく、外へとつながる広い海が一望できる。木島館のまわりとは異なり、樹々の緑は豊かだ。遠目には観光名所である猿岩が視界に入る。
 そこから少し離れると、明らかに新しい感のある舗装された小路が続いていて、私はそこを歩いていく。この向こうに壱岐島火災慰霊碑がある。
 私が三浦嗣治や加納瞬の作品に出会ったのは、まだ十代のころだ。
 ちょうどオカルティックロマンの小さなブームが始まった時期だった。たまたま読み始めた三浦作品がとても面白く、感動した私は同様のジャンルの作品を浴びるように読み漁った。様々なオカルティックロマンの作家を読んでいったが、やはり三浦嗣治は私のなかで別格だった。
 人類はかりそめの現実を生きていることを自覚し、しかしそれに露程も諦念を感じさせない世界観は、何者でもない自分の人生を鼓舞されるような感覚を私に与えてくれた。三浦作品の多くは、SF的であり、アトランティス大陸が舞台の作品や、宇宙の果ての神秘に触れる作品などがある一方で、そんなかりそめの世界の日常をただ淡々と登場人物が楽しんで生きるような作品もあり、私はどちらの作風も好きだった。そういえば、三浦作品のアトランティス大陸の文明は、不思議と農業に焦点があたることが多かったのは、もしかしたらこの島の風景が影響していたのかもしれないと思うと、妙におかしかった。
『宇宙に遍く火』を読んだとき、主人公のカナミ・キドという人物の生きざまに憧れた。彼が生きる世界の人びとも私たちの世界と同様に、正義を手放していたがカナミは偶然にも正義を伝播するウィルスに感染し、正義の人として物語で活躍した。私にとってそんな彼は、あまりにも現実離れした存在だった。他人のために激情や慟哭に震え、さらに自分の人生のためにも深い情熱を燃やしている。いまを生きる私たちが忘れた概念だった。もっと私たちの社会はうまくやっていた。たとえ発展はなくとも、世界は平和だった。私も、ほとんどの人びともそれでいいと思っていた。しかしカナミは違っていた。彼は、私たちとは似て非なる生き物で、そのように自分と異なる現実を生きる存在に、当時の私はとても強い感情を刺激された。彼は空想上のキャラクターだったが、私とは違う現実を生きる人間だった。
 壱岐島火災が起きた時、私はとても混乱した。その日の夜に同好の知人と会って酒を飲み、これから一体どうなるのだろうかと話し合った。変な話だ。すでに事件は起こってしまっていて、その後に何がどうなるわけでもないはずなのに。
 その知人と壱岐島に行く予定も立てたが、互いにプライベートが忙しく結局実現はしなかった。このタイミングで私がこの島に来たのは、結婚を控えている身として、自由な立場のうちにやり残したことを消化していくような気持ちだった。
 小路を抜けると、そこはわずかに樹々の開けた空間になっていて、そこには七つの慰霊碑が身を寄せ合うようにして並んでいる。慰霊碑は石でできていて、私の背丈よりも少し高いくらいの細長い形をしている。
 慰霊碑には、「2077年7月18日」と日付だけが刻まれていて、名前はない。だからどの慰霊碑が誰のものなのか、判別はできない。
 正義撲滅以降の慰霊碑としては世界中でそれが普通だった。人が正義を手放し、個人の多様性が受け入れられやすくなるとともに、個人の我の強さというものも減衰していった。科学的にはっきりとした相関関係は示されていないが、文学や哲学のなかではそこに現代の人間の倫理を読み取ろうとした人物もいるらしい。あいにく私はその方面には疎いので詳しい議論の内容は知らないが。
 名前がないことには、私自身、あまり違和感はなかった。何か人びとが悲しむべき悲惨な事件があったとき、人びとは死者以上に生者のケアを第一に考えた。事件から離れたいという気持ちと、語り継がなくはいけないという相反する感情の落としどころが、死者の名前に対するこういった対応だった。
 けれど私がここへ来た理由のひとつは、まさに名前に関することだった。
 慰霊碑に作家の名前が刻まれていなことは事前に調べて知っていた。
 そして、それを知ったとき、ここへ来たら必ずそうしようということがひとつだけあった。
 壱岐島というこの忘れられていく島のなかで、名前すらも忘れられていく死者たち。
 ここからは海が見える。海と森に囲まれていることが実感できる静かな場所。木島館の周囲の風景が変わってしまったこともあって、慰霊碑はここに建てられることになったらしい。その方が、死者たちが落ち着くのではないかという配慮だったそうだ。
 私は手元の荷物から端末を取り出して、三浦嗣治の小説データを空間ディスプレイで表示させた。

 ――カナミ・キドは憤っていた。

 それが、『宇宙に遍く火』のなかで最初に彼の名前が登場する一文だった。
 私は、これも荷物から取り出した電動ドリルを慰霊碑に当てた。
 ドリルのスイッチを入れる。ドリルが石にあたり表面を削る、耳をつんざく高い音が響く。
 私は慎重な手つきでドリルを操作し、幾つかの線を時間をかけて慰霊碑に掘っていく。慌てずにゆっくりと、私は手を動かした。やがて線は、慰霊碑の表面にひとつの固有名を浮かび上がらせた。

 カナミ・キド

 私は同じことを、他の6個の慰霊碑にも行った。どれが誰の慰霊碑であるかは、一応決まりがあるらしく、調べてきたその並びの通りに、私は作家にゆかりのある空想の人物たちの名前を刻んでいく。
 やがて七つの慰霊碑に、七つの名前が刻まれた。
 最後に、カナミ・キドと刻んだ慰霊碑に、『宇宙に遍く火』の一文を刻む。

 ――すべは火子の演算のなかで、起こり、消えていく

 手を動かすことの不思議さのようなものを私は実感していた。そうした作業をすすめいてくうちに、私のなかで、空想のキャラクターたちの息遣いや存在、それに思考までが流れ込んでいくような感覚があった。私のなかに、その名前をもった架空の存在がいまもまだ息づいているのを感じる。
 仮に小説に描かれた架空の世界が、演算上に現れたシミュレーション世界だとすれば、その演算はいまもどこかで続いているのかもしれない。誰かの心のなかで。あるいはそれこそ、火子計算機のなかで。
 私という生き物とは違うルール、異なる時間を生きる存在が、動き続けていくということ。変な言い方で、とてもしっくりこないのだが、でもそうとしか言いようのない感情なのだが、私はそれを信じてみることにした。
 この世界が現実かシミュレーションなのかということなど、どうでもいいと思った。どちらでも受け入れてやろうという気持ちが芽生えた。カナミ・キドのように。そうすることで、私の生きる時間が、カナミ・キドの生きる時間とつながり馴染んでいくような感覚がある。

 私のした行為を許さないという人もいるはずで、それはまったく正当な批判で反論の余地もない。だから私はこのことをずっと誰にも言わなかった。島を出る際に乗せてもらった船の船長は、無口な人物で、私が島で何をやっていたかなど何ひとつ訊ねなかった。

 ……父は、これで話は終わりだ、と僕に言った。

 

 

 第三部:予言 カンベイ未来事件

 

7.未来に

 

 2199年に僕は生きてはいないが、そのころに何が起こるかだけは知っていた。
 大きな火災が起きて、たくさんの人が亡くなり、そして巨大な悲しみが世界を覆う。
 そしてそれは誰にも防げない。人類がこの世界を前に進めていく限り。あるいは、火子計算機が止まらない限り。
 カンベイというインドの港町が燃えていく。それは起こるべくして起こる。なぜならこの世界は有限な物理法則、あるいは有限な計算資源のなかにあるのだから。人の意志すらもそうなのだ。誰が何を講じたところで、起こるべくして起こることは起こる。
 火が街を襲う。その火はいったいどこから来るのだろうか。僕たちは、というより僕が死んだあとの世界を生きる人びとは、ということだが、その火からなぜ逃げられないのだろうか。受け入れるしかないのだろうか。
 日々、悲しいことが起こる。小さな悲しみから、大きな悲しみまで。心を打ち砕くような、あってはならないことが起こる。そういう世界で僕たちは生きている。それは現実の世界も、計算機が出力する世界も、文字で書かれた世界でも同じことだ。火が迫ってくる。
 人類は楽しさも悲しさも生活に馴染ませて営みを続けてきた。世界を発展させてきた。現実に向き合うことは、その事実を生活に馴染ませることだ。無力な個人をなげく必要はない。無力であることを認める必要もない。無力であることを、僕たちは忘れていくほうがいいのだ。
 奇妙なことを言うようだが、出来事は起こるべくして起こると覚悟した瞬間に、そうではなくなる場合がある。絶対という概念を人類は使い切ることができない。絶対を覚悟した瞬間に、なぜか絶対は絶対ではなくなる。だからこれは外れるかもしれない予言であって、未来は定まっていない。
 どちらにしろ、そのような現実に僕たちは生活を続けていくことで対抗していくしかない。そして生活のなかでほんのわずかに仕事をしていく。誰かは言葉で仕事をし、誰かは身体で仕事をし、誰かは手で仕事をするだろう。そこに本質的な差異はない。
 来たるべき火というものはない。ただ現実と地続きの未来があるだけだ。そこに僕たちは、無力な僕たちは、何らかの希望を抱かずにはいられない。だから予言をする必要がある。
 こうして語ることが、未来とどんな関係があるのか、現在の人類には誰もわからないし、おそらく未来の人びとにも理解はされないだろう。それでもやはり、僕はこうして、何かを語っている。それが何なのか、わからなくとも。
 食事をして、人と話し、仕事をして、家に帰る。
 それが人間のもっとも尊く力強い能力かもしれない。
 そういう風に僕は思う。
 今も昔も未来でも、カンベイの火災は止まることなく燃え広がっているだろう。
 海底に沈んだ古代遺跡の火が消えていると誰にわかるだろうか。
 僕たちの宇宙は遍く火に包まれている。
 その意味がいつか僕たちにもわかるときがくるかもしれない。

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