女の子から空が降ってくる

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梗 概

女の子から空が降ってくる

その島では、数十年にひとり、集落から『柱の娘』と呼ばれる特別な女の子が産まれる。柱の娘は驚くべき早さで育ち、すぐに大人を飛び越して、やがて山々よりも遙かに高く成長する。島の言い伝えには『柱の娘は天を支える 娘の支えを失えば たちまち空は崩れ落ち 破片が地へと降りそそぐ』とある。柱の娘は言い伝えに従い、頭のすぐ上に広がる天蓋を両手と肩で支えている。そうして島の平和を守っている。

アットラは柱の娘だ。実の母親よりも慕う先代の娘と交互に天を支えているが、その人生を退屈だとも感じていた。ある日アットラは、世話係を言いくるめて独りで散歩に出かける。興味本位で『禁じられた森』へ足を踏み入れると、見たことのない柱の娘――エルクが這いつくばって木々に隠れていた。エルクは島の有力者の息子で、つまり男の子だった。言い伝えと齟齬が生じるため森に隠されていたのだ。エルクは「自分も柱の娘としての使命を果たしたい」と願う。アットラはエルクと衣服を交換することを思いつく。足もとの人々には顔なんて見えやしない。

先代の娘とも話をつけたアットラは、島の外へとこっそり旅に出た。他の島々にも天を支える柱の娘がいて、彼女たちもまた現状に不満を抱いていた。ふとアットラは、地元の島とはわずかに天の高さが異なることに気づく。もしかして、天というものはお椀を逆さにしたような形をしているのでは。世界の果てでお椀の端っこが地面にしっかり着いていれば、私たちが天を支える必要はないのではないか。

この仮説を基に、柱の娘たちは連携して検証を進める。様々な地点で天を計測し、模型を造り、その強度を確かめる。足もとの人々にも繰り返し説明し、理解と協力を求める。

調査団によってついに『お椀の端っこ』が発見され、アットラの説はほぼ立証された。足もとの人々も、天蓋の構造を応用した頑健な住まいが得られたこともあり、アットラたちの主張に耳を傾けるようになった。これで言い伝えから解放されると思いきや、最後にエルクが反対する。僕は天を支えられて幸せだった、どうして僕から使命を奪うんだと泣きながら訴える。

アットラはエルクに語りかける。誰かの役に立てると嬉しいし、自分に価値があると感じられる。でも私は、自分の役割は自分で選びたい。できればエルクにも、使命ではなくて自分のやりたいことを見つけてほしい、と。

エルクはしばらく考えてから言う。

「立ち上がって、思いっきり伸びがしたかった」

それを聞いたアットラは、自分たちがまだ囚われていることに気づかされる。頭上に天蓋さえなければ手を伸ばすことができるのだ。こんなお椀、本当は必要ないのではないか。安全に天蓋を壊す方法があるのではないか。それに何より、天の外がどうなっているのかが気になる。

かくして新たな仮説の検証がはじまる。アットラは、突き上げた拳の先から空のかけらが降り落ちる光景を夢想する。おそらくエルクも。

文字数:1200

内容に関するアピール

まずタイトルを思い付き、そこから内容を膨らませました。

アットラは、他人から与えられた役割に縛られず、自分のやることは自分で選ぶという意志の強さと、きちんと仮説を検証したうえで意見を主張するという正しさを持っています。一方エルクも、誰かを助けるために実直に使命を果たすという強さと正しさを備えており、アットラの身代わりになったり、アットラ自身も気づいていなかった固定観念の呪縛を取り除くきっかけになったりと、ある意味ではアットラにとってのヒーローといえます。二人のどちらかでも欠けていれば世界はずっと変わらないままだったでしょうし、二人とも救われなかったでしょう。

天蓋は、はじめからこの作中世界にあるものです。天蓋の外に悪いやつがいて、アットラたちを閉じ込めているわけではありません。そもそも天蓋の外なんてものがあるのか、アットラたちにはまだ分かりません。それでも手を伸ばしたいのです。

文字数:392

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女の子から空が降ってくる

 柱の娘は天を支う
  娘の支えを失えば
  たちまち空は崩れ落ち
  破片が地へと降り注ぐ
 
          *
 
 アリリは地上のにおいが好きだった。
 そっと両膝をついて、頭を地面のきわにまでゆっくりと近づけ、つとめて静かに鼻で呼吸する。すると、草木や土、流れる水や小さな生き物のにおいが入り混じる。まるで鼻の奥に小さな島ができたような心地がした。どれだけ嗅いでも飽きることはなかった。
 幼いころは、いつでも地上のにおいを嗅ぐことができたらしい。アリリ自身はほとんど覚えていないが、産まれて間もないころはまだ他の子らと同じくらいの大きさだったのだ。それがみるみる育ち、あっという間に子供たちの誰よりも大きくなったかと思うと、驚くべき早さで大人の背丈を飛び越して、膨らむからだは家に入らなくなり、やがて木々よりも、山々よりも高く成長した。天を支える〈柱の娘〉としてこの世に生を享けたアリリは、同じ年ごろの娘が八百人ほど縦に積み上がったよりも大きく育ったのだ。
 産まれてから十五の寒期と十五の暖期が過ぎたいま――すなわち十五年が経ったいま、〈柱の娘〉のアリリが嗅ぐのはもっぱら雲の上のにおいだ。つんと鼻を突くような鋭さがあってそう悪くはないが、異なるにおいが何層にも重なった地上に比べると、すこしものたりない。だから、休みのときはよく地上の嗅ぎだめをしている。特に山肌の青いにおいは念入りに嗅ぐ。〈柱の娘〉たちによって日頃から念入りに踏み固められている真下の地面よりも、もっと複雑なかぐわしさが感じられるからだ。
 今日もアリリは、いつものように無心になって鼻で山肌をなぞる。こんな遠くの山まで出向くのはアリリくらいのものだ。
『アリリ、そっちはだめ。またくしゃみが止まらなくなるよ』
 そんなアリリに注意を促したのは、世話係のスクズズだ。アリリが鼻を向けようとしたその先に、ひときわ濃い緑をした細く尖った葉が広がっていた。ここら一帯の木々は暖期のはじめごろになると花粉を放つのだが、それが〈柱の娘〉には刺激が強すぎるらしい。いつだったかにアリリも、においを嗅ごうと思い切り吸い込んで酷い目に遭っていた。
 スクズズは普通の大きさのひと――〈柱の娘〉からは〈足もとのひとびと〉と呼ばれている――で、アリリと同じ暖期に産まれた女の子だ。胸から足首まで、自分で染色した亜麻の布を纏っていて、飾り櫛を頭につけているおしゃれな子だ。対するアリリが身につけているものと言えば、足の小指に巻かれた綱飾りと、下唇を貫通する石造りのピアスだけだ。それには大きな身体を包み込めるだけの布が調達できないという事情もあったが、〈柱の娘〉は全身のほとんどが硬い鱗状の皮膚で覆われているため、そもそも衣服を必要としないのだった。
 世話係をしているあいだ、スクズズはアリリの下唇のピアスの中にいる。緻密にくり抜かれた石細工の隙間から、長い槍でアリリの柔らかい唇を突き刺すことにより信号を伝えるのだ。
『それに、もうすぐお役目の時間だよ。早く戻らないと』
 畳みかけるようにスクズズは忠告した。彼女は彼女で、アリリの世話係としての役目を果たそうとしているようだ。
「……分かったよ。スクズズ、いつもありがとう」
 そうアリリは肉声で応える。スクズズの全身を震わせる、重低音の唸り声。使う言葉は〈足もとのひとびと〉同じでも、それを正しく聴き取れるのは〈柱の娘〉か世話係くらいのものだ。そもそも他の〈足もとのひとびと〉は、普段から両耳に綿を詰め込んでいる。
 アリリは大地を這うように進んで、手頃な場所で顎をついてスクズズを降ろした。いくらスクズズが鍛えられているとはいえ、お役目の高度と温度にはさすがに長時間耐えられないからだ。スクズズと別れたアリリはおもむろに立ち上がると、大陸の中心で役目を果たしていた別の〈柱の娘〉と立ち位置を交代した。
 立ち上がったので、当然のことながら地上は遠く離れていく。〈柱の娘〉のいる地域。〈足もとの人々〉の暮らす地域。足もとから全方向に広がる大陸と、その大陸を囲むさらに広大な海原。もはや地上のにおいは届かず、曖昧な色味だけが目に映る。
 その一方で、空はアリリのそばにある。いや、真上にあると言ったほうが正しいかもしれない。透き通るような薄い青の天蓋が、頭のすぐ上に広がっている。天蓋に張りついている光り輝く平べったい小円――太陽は、大陸の中心軸からだいぶ遠ざかりつつあり、ほどなくして天蓋が橙色に染まるのを仄めかしていた。
 その天蓋を、アリリは支えている。両手と肩を押しつけるようにして。先ほどまで別の〈柱の娘〉がやっていたのと同じように。大陸に昔からある言い伝えのとおり、空が崩れ落ちてこないように。
 太陽の通った軌跡にあたる箇所はまだ熱かった。だが、夜が来ればじきに氷のように冷たくなる。これからやって来るだろう月も、太陽ほどは明るくない。雲の上は暖期も寒期も関係なく、夜は冷えるものなのだ。それでも両手と肩を押しつけて、天を支えなくてはならない。
 そうして〈柱の娘〉は、この大陸の平和を守っていた。
 そのお役目が、アリリにはたまらなく退屈だった。
 
 〈柱の娘〉は、およそ十年に一人産まれてくると言われている特別な女の子だ。実際、この大陸には世代の異なる〈柱の娘〉が五人いた。アリリより上の世代が三人、下の世代が一人で、多少のずれはあるもののおおむね十年刻みだ。五人の〈柱の娘〉たちには血のつながりはなかったが、実の家族よりも仲睦まじく、彼女たちはともに暮らしていた。
 本来ならアリリの上にはもう一人、二十五歳くらいの〈柱の娘〉がいるはずだったが、大陸にはいなかった。おそらくは〈柱の娘〉だと気づかれぬまま、産まれてすぐに死んでしまったのだろうと推測され、アリリはそれを悲しく思った。どこか遠くの小さな島でひっそり産まれているのではと夢想するときもあったが、この世でひとが集団で生活しているのはこの大陸ただひとつきりであるため、つまらない夢に過ぎなかった。
「悲しむことはないよ、アリリ。その子はきっと、自分の人生をまっとうしたのだから」
 最年長の〈柱の娘〉、ルデが言う。
「人生をまっとうするって?」
「この世界での役割を果たしたということだよ」
「大きく育つ前に死んじゃったのに?」
「その子の役割は、私たちとは違っていたのさ」横臥していたルデは、上目遣いでアリリを見つめた。「それに、長生きしすぎるのも考えものだ」
 ルデのように五十年以上生きている〈柱の娘〉は、大陸の歴史上なかなかいなかった。〈足もとの人々〉でも、これほど長く生きている者は少ないだろう。足腰の弱ったルデは天を支えるお役目から外されており、一日中、流れる川に沿うようにして地面に横たわっていた。もし天を支えているときによろめかれでもしたら大惨事だ。
 いまの時間は、二番目に年上の〈柱の娘〉が天を支えている。三番目は、まだ五歳になったばかりの五番目の子へ言葉を教えていた。
「それよりも早いところ食べさせておくれよ。年寄りでも腹は減るんだよ」
「あっ、ごめんなさい」
 四番目のアリリは、海底から掬ってきた土をルデの口に含ませた。ときどき自分でもつまみ食いする。スクズズもピアスの中でお昼ご飯を食べている。食事が終わったらルデの寝ている周りを掃除して、土を掬ってきたのとは反対側の海に捨ててこないといけない。
「ねえ、ルデが子供だったころは〈食の海〉と〈肥の海〉が逆の位置にあったって本当?」
「いま食事中だよ」
「あっじゃあ、これも前から気になってたんだけど……」何かを察したアリリは慌てて話題を変えた。「海の向こうって、どうなっているのかな?」
「どうなっているって、ずっと先まで海が続いているに決まっているじゃないか」
「ずっと先まで見に行ったことがあるの? わたしも行ってみたいな」
「わざわざ行かなくても、ここからでも見えるだろう」
 そうルデは言うが、大陸から見える景色はアリリを満足させるものではなかった。足もとの大地はすぐに海へと変わり、そこからアリリの目の高さくらいまで海が続いているように見える。頭上からは天蓋が広がり、こちらもアリリの目の高さくらいまで続いている。立ち上がってもしゃがみこんでも、変わらず目の高さだ。よっぽど遠くまで続いているらしい。しかし、その境界近くはぼやけており、いったいどうなっているのか分からないのだ。いつまでも永遠に続いているのか、それともどこかで途切れているのか。もし途切れているのだとしたら、海と空のどちらが早く途切れるのか。最初はその場しのぎに訊いただけのつもりだったが、考えれば考えるほど気になる問いだった。
 だから別の日に、アリリは他の〈柱の娘〉にも同じ質問をした。
 二番目のザーニェはこう答えた。
「海が途切れているはずないよ。それってつまり、海底ごと途切れているってことでしょう。そしたらそこから海の水が全部流れていってしまうじゃない」
「ほら、もしかしたら山がぐるっと周りを囲んでいて、海の水を堰き止めているのかもしれないよ」
「アリリったら、この海がどれだけ広くて、どれだけの水を湛えていると思っているの。山なんてあっという間に押し流されてしまうよ。そうだ思い出した、あなたまた山のにおいを嗅ぎにいったんですって。あなたも世話係も危ないんだからやめなさい」
 このように、ザーニェはとても心配性だった。
 一方、三番目のエンリクはこう答えた。
「空が途切れているわけないよ。それってつまり、天蓋に端っこがあるってことだろう。そしたらそこから雲やら何やら全部飛んでってしまうじゃないか」
「ほら、もしかしたら山がぐるっと周りを囲んでいて、天蓋の端っこをまんべんなく塞いでいるのかもしれないよ」
「アリリってば、山というものがどれだけ低いと思っているの。辺りを見渡してごらんよ、〈柱の娘〉より高い山なんてひとつもないじゃないか。そうだ思い出した、お前また山のにおいを嗅ぎに行ったんだろう。お役目に関係ないんだからやめなさい」
 このように、エンリクはとても使命感が強かった。
 どうやら、二人ともアリリが山に行くのを快く思っていないようだった。自分では一度も行ったことがないくせにどうしてそこまで嫌うのだろう、とアリリは不満に思った。
 五番目のリェルモは、まだ天に手が届かないこともあって、アリリの質問の意味がよく分からないようであった。
 
 山へ行くのを禁じられたアリリは、こっそり海へ行くことにした。
 見ての通りの大きさなので、昼間に人目を盗むのは難しい。だから真夜中に抜け出すことにした。適当に言い訳して世話係のスクズズを遠ざけたのはすこし心苦しかったけれど、好奇心には抗えない。
 夜中に〈柱の娘〉が用を足しに〈肥の海〉へ出ることは多々あり、〈足もとの人々〉も慣れっこだから、移動するときの振動はあまり気にしなくてよい。いつものように、月の光をむやみに遮らないよう注意した。
 大陸を囲う海は、その方向によって名前が異なる。〈柱の娘〉が天を支える地点を中心として大陸を四分割し、各部に接する海域ごとに異なる用途が宛がわれているのだ。お役目を果たしているエンリクの目をごまかすため、アリリが入水したのは〈肥の海〉の方向だったが、向かう先は〈肥の海〉でも〈食の海〉でもなく、ましてや各所に網の張られた〈漁の海〉でもなく、残された〈禁じられた海〉であった。どうせあとから怒られるなら一番危ないとされている海に行こうという考えだった。以前はこちらの海域も〈漁の海〉だったのだが、あまりにも危険だからと、アリリが産まれるすこし前に改名されたのだ。今や〈足もとの人々〉でさえ航海を禁じられている、悪い噂ばかりの海域だった。
 ところが、聞いていた話とは違って〈禁じられた海〉はとても静かな海だった。天候が荒れることもなく、波も穏やかで、要するに面白みがない。潮のにおいも単調だ。ただ、どんどん底が深くなっていくだけだ。いっそのこと飛び跳ねてみようかとも思ったが、そんなことをして大陸の方まで大波が来てはたまらないので、アリリはひたすら沖へと進んだ。できるだけ遠くまで行ってみたかった。
 海はさらに深くなり、すでにアリリは腰まで水に浸かっていた。振り返ると、大陸の影が小さな点になって見える。海はまっすぐ平らに広がっているのだから、見えるのは当たり前だ。その海も頭上の空もいっこうに途切れる様子はなく、この月明かりだけで海と空の境界はまるで分からない。
 そろそろ引き返さないと、太陽のほうが先に大陸の上に来てしまう。そうアリリが考えはじめたころ、ふと、潮とは異なるにおいがした。すこし離れたところに小島の影が見えた。
 アリリの頭と同じくらいの大きさしかないが、大陸以外の陸地を見たのは産まれて初めてだった。この世に陸地が少ないのは〈柱の娘〉たちが歩く振動で平らに均されるからであり、何かの弾みで新しい島ができたとしてもすぐに崩れてなだらかな海底になってしまうのだと何かで聞いた覚えがあった。一方、大陸には人為的に踏み固められて造られたという経緯があった。
 アリリは小島の上に立ってみようと考え、両手をついて体重をかけた。すると驚いたことに、小島ががくっと沈んだかと思うと、うめき声とともに下から大量のあぶくが浮かび上がってきた。
「なにするんだよ!」
 文句を言いながら水上に姿を現したのは、アリリと同じくらいの大きさをした人間だった。アリリが小島だと勘違いしていたものは、巨大な人間の頭頂部だったのだ。もしやこの大きな人がもう一人の〈柱の娘〉なのでは。とっさにアリリはそう期待したが、相手の顔を一目見て、判断に迷ってしまった。
 アリリと同様に、硬い鱗状の皮膚で覆われている顔。
 しかしその口元には、もさもさと髭が生えていたのだ。
 
          *
 
 海に潜んでいた巨人はマプコーヤと名乗った。
 マプコーヤは裸で、股の間には見慣れないものがぶら下がっていた。また、全体的な身体のかたちも、アリリや他の〈柱の娘〉とはかなり異なっているようだった。
「僕はシャイトミアの隠し子だ」
 マプコーヤは海底に尻をつけて両膝を抱え込む姿勢に戻り、顔だけ水面に出してそう告白した。シャイトミアというのは大陸の有力者で、アリリも聞いたことのある名前だった。たしか、三年前に亡くなっていたはずだ。そのことをマプコーヤに教えると、ほっとしたような、それでいてどこか悲しそうな表情をした。
 マプコーヤも、二十数年前に産まれたころは、他の子らと同じくらいの大きさだった。それがみるみる育ち、驚くべき早さで大人の背丈を飛び越して、やがて木々よりも、山々よりも高く成長した。他の〈柱の娘〉とまったく同じだ。見た目が男の子であること以外は。
 マプコーヤの存在は大陸の言い伝えと齟齬が生じる――そう思った父親がマプコーヤを隠したのだという。そう大きくないうちは森の中に隠され、いよいよ大きくなってからは海の底に隠された。海域が〈禁じられた海〉と改名されたのもシャイトミアの仕業だ。
 大陸の言い伝え。
 ――柱の娘は天を支う。
 ――娘の支えを失えば、たちまち空は崩れ落ち、破片が地へと降り注ぐ。
「君たちの低い声は、ここからでも聞こえていたよ。でも、誰もお前を〈柱の娘〉だと認めないって、父さんが言ってたんだ。僕が〈柱の娘〉に見つかったら、きっと殺されてしまうだろうとも」
「そんなことしないよ!」
 アリリはきっぱりと否定した。たしかに最初は驚いたが、殺すなんて考えもしなかった。シャイトミアが我が子を恥じる気持ちを勝手に〈柱の娘〉に押しつけているのだと思い、むしろそちらのほうが腹立たしかった。
「そうなんだ、良かった……。てっきり、とうとう殺しに来たのかと」
「わたしはただ海の向こうを見に来ただけだよ……そうだ、ちょっと頭貸して」
 言うが早いか、マプコーヤの両肩にアリリは手をかけたかと思うと、頭の上に乗っかった。「ぐえ」というマプコーヤの声など気にも留めずに、そのままマプコーヤの頭上で直立する。丸いので、釣り合いをとるのが難しい。勢い余って天蓋にごつんと頭をぶつけそうになった。あやうく衝撃で大陸のエンリクに感づかれるところだった。
 こうやってマプコーヤの上に乗れば見晴らしが良くなってさらに遠くが見渡せるかと思ったが、あいにく景色はさほど変わらなかった。まだまだ果ては遠いのだ。
「…………ん?」
 漠然と違和感があった。
 この違和感はなんだろうと思って、アリリはその場で足踏みをしながら考える。下では「しぬしぬ」という声やぶくぶく泡の弾ける音がするが、やがてそれも静かになる。
 そうして、ようやくアリリは違和感の正体に気づいた。
 大陸の中心よりも、こちらのほうが天蓋がだいぶ低いのだ。
 
「僕も〈柱の娘〉としての使命を果たしたい。どうか僕を大陸に連れて行ってくれないか」
 一息ついてから、そう、マプコーヤはアリリに頼み込んだ。
 大陸に行くだけならマプコーヤ一人でもできる。大陸の見えるほうに向かって歩くだけだ。マプコーヤが言いたいのは、自分を〈柱の娘〉として迎え入れてほしい、ということなのだろう。
 アリリにとっても、マプコーヤを大陸へ迎え入れるのは当然のことだと思っていた。他の〈柱の娘〉たちに話を通すのはおそらく大丈夫だろう。〈足もとの人々〉たちへの説明も、世話係のスクズズに協力してもらえば安心だ。問題は、いかに円滑に上陸するかだ。説明する前に〈足もとの人々〉たちに見つかって大騒ぎになってしまっては、迎え入れられるものも迎え入れられない。
 悩んだあげく、アリリは入れ替わり作戦をとることにした。
 アリリが身につけているものとマプコーヤが身につけているものを交換して、アリリのふりをしてマプコーヤが先に上陸するのだ。正確には、マプコーヤは素っ裸だったので、アリリが足の小指に巻いている綱飾りをマプコーヤが身につけるかたちになった。〈足もとの人々〉はこの綱飾りの色で〈柱の娘〉を区別しているし、立ち上がったら顔なんて見えやしないので、入れ替わるにはこれで充分だと思ったのだ。
 ところが作戦は大失敗だった。
 あっという間にアリリの企みは露見した。二人で海岸に近づいているところからすでに目撃されていたのだ。むしろ、ここまで早くばれるものなのかとアリリは妙に感心した。慌てて森の中にマプコーヤを隠そうともしたが、それも無理な話だった。閃いたそのときは最良に思える案も、いざ実行しようとするとなかなか上首尾にはいかないものなのだな、とアリリは一つ賢くなった。
 あらゆる人々からこれ以上ないほどに怒られたアリリだったが、最終的にマプコーヤが大陸に受け入れられたのは不幸中の幸いだった。アリリとは対照的にマプコーヤが真面目な人柄であったことと、父・シャイトミアとの確執が悲劇的に映ったことが功を奏したらしい。およそ一年の指導を経て、めでたくマプコーヤも六番目の〈柱の娘〉として天を支えることとなった。
「……それで、マプコーヤの代わりにお前が抜けたいと」
「はい」
 三番目のエンリクの冷ややかな視線を、アリリはさらりと受け流す。
「お前……、この大陸の言い伝えを、〈柱の娘〉のお役目をなんだと思って……」
「いえ、わたしはまさにこの大陸の平和を守るため、〈柱の娘〉のお役目を果たすためにこそ、ふたたび海に出てみたいと考えているんです」
「なんだって? どういうことだよ」
 訝しげなエンリクに、アリリは一年前に自分が体験したことを流暢に語った。すなわち、大陸の中心と旧〈禁じられた海〉のある地点とでは天蓋の高さが体感で異なっていたことを説明し、もし天蓋が斜めに傾いているのだとしたらそれは大陸にとって危険な状態であること、改めて海に出て各地で天蓋の高さを調査する必要があることなどを大げさに主張した。
「そんなの、単に足もとの高さが違ってただけじゃないか? マプコーヤの頭の上に乗っかってたんだろう?」
「それが分からないから調査しに行くんですよ」
「それにしたって、アリリ一人で行ってもなんにもならないだろう。どうやって空の高さを測るんだよ」
「ご心配なく。この一年間でわたしも勉強しましたし、〈足もとの人々〉と一緒に調査団を結成しました。準備は万全です。いつでも出られます」
「お前、いつの間に……」
「すでにルデ大姉さんやザーニェ姉さんの承認も受けています。あとはエンリク姉さんだけですよ」
「…………」
 年上の〈柱の娘〉の名を出すと、使命感の強いエンリクもさすがに黙った。一つ賢くなったアリリは根回しというものを習得していた。実は、意外にもルデがアリリの冒険に一番難色を示していたのだが、それは黙っておくことにした。
 もちろん大陸の平穏を守るためというのは方便で、アリリはただ海の向こうを見てみたいだけだった。
 その一方でこんな思いもあった。
 ――もしかして、天は平らではないのでは?
 
 その年の寒期の終わり、調査団は大陸を出発した。
 アリリと好奇心旺盛な〈足もとの人々〉二十名とで調査団は構成された。アリリは移動手段そのもので、〈足もとの人々〉は計測班、設備班、食糧班、調理班など役割ごとにいくつかの班に分けられた。調査団には世話係のスクズズも在籍しており、アリリと他の〈足もとの人々〉との調整役を担うこととなった。いまだかつてない長旅になるだろうからと初めはアリリも遠慮したのだが、スクズズの『アリリって、私がいないとすぐに無茶なことするじゃない。それに、アリリと一緒にいるのが世話係のお役目でしょ』という唇の刺激に押し切られたのだ。
 また、旧〈禁じられた海〉の計測地点までは、マプコーヤも調査団に同行した。
「アリリに初めて会ったときは本当に殺されるかと思ったよ」
「最初っから違うって言ってたじゃない。わたしはただ海の向こうを見に来ただけだって」
「いやそうじゃなくて、急に乗っかってきて沈めようとするから」
 そんな軽口を交わしたあと、一年前よりはいくらか慎重に、アリリはマプコーヤの頭上に上った。右手の人差し指は真っ赤に染まっていて、左手には、木の幹と綱と石細工で造られた、巨大な正方形の枠のような器具を持っていた。
 天蓋の高さは次のようにして計測された。まず、計測したい天蓋のある点に染料で印をつける。その印の真下に頭が来るようアリリが座り込み、そこから水面に沿ってまっすぐに腕を伸ばす。腕の上には離れた二ヶ所に計測台が設置されており、それぞれの場所で計測班がアリリと同じ正方形の枠を持っている。枠の各辺には等間隔に目盛りが刻まれていて、ひとつの頂点からは石でできた重りが糸で吊り下がっている。この正方形の、糸のついた一辺を天蓋の印に向けて傾ける。そのときに糸が示す目盛りを二ヶ所の計測台で比べて計算することにより、天蓋から水面までの高さを求めることができるのだ。
「ようし!」
 この手法を考案した、計測班班長のアリバドプが声をあげた。〈足もとの人々〉には幾何学に強い者が多く、アリバドプもそのうちの一人だった。なんでも大昔、〈柱の娘〉がよく河川を踏み抜いて氾濫させてしまっていたらしく、洪水に流されてどこがが誰の所有地だか分からなくなってしまった土地を正しく計り直すために計測技術が発展した、という事情もあるらしい。
 アリバドプはもともと大工で、家だけではなく〈柱の娘〉の綱飾りやピアスなども造っている。アリリが持っている巨大な器具もアリバドプが造ったものだ。計測手順から分かるように、アリリの持つ器具にはまったく使い道がないのだが、どうしてもとせがまれたのだ。「用もないのにこんなもの造ったらもったいないじゃない」というスクズズの文句も、アリリの好奇心にはまったく通じなかった。
 ともあれ、こうして天蓋の高さが無事計測された。大陸にいる〈柱の娘〉の振動で波打つ水面を基準としていることもあり、念のため同じ地点でも時間を変えて何度か測る必要があるが、とりあえずは成功したと思って良いようだ。このようにして、ときどき食糧を調達しつつ、大陸を中心に渦巻き状に離れながら測定していく、というのがアリリの計画だった。
「僕がいなくなったら、どうやって天蓋に印をつけるの? 手が届かないんじゃない?」
「まあ、なんとかなるでしょう。ちょうどいい島が見つかるかもしれないし」
 マプコーヤの問いに、アリリはあっけらかんとした顔で答えた。
「不安だな……。それじゃあね、アリリ。大陸のことは僕らにまかせてよ」
「うん。まかせた」
 こうしてマプコーヤとも別れ、調査団はさらに大陸から離れていった。
 
 アリリが一人で海底を歩くよりも、調査団の進みは遅かった。〈足もとの人々〉のことも考えて、ゆっくり船を動かさないといけないのだから当然だ。幸いにも海上には無人の小さな島がぽつぽつと点在していて、計測自体は順調だった。
 ある時から、調査団は渦巻き状に進むのをやめた。
 なぜなら、これまで測ってきたすべての地点で、天蓋の高さが低くなっていたからである。アリリの体感は間違っていなかった。それだけではなく、大陸から遠ざかれば遠ざかるほどに、ゆるやかではあるが天蓋はますます低くなっていった。
「おそらく、わたしたちの頭上にある天というものは、お椀を逆さにしたような形をしている」
 そう、アリリは団員に語った。海はあまりに広くそれに比べると天はやや低いので、お椀にしては浅すぎるが、そう伝えるのが一番分かりやすいと思ったのだ。
 天蓋がお椀型をしている。このアリリの仮説からさらに推測できるのは、この海の向こうにはお椀の端っこがあるのではないか、ということだった。もし、海の向こう――この世の果てでお椀の端っこが海底にしっかり着いているのなら、天は傾いているのではなく、むしろ安定しているのでは。そんな考えがアリリの中に産まれた。
 天がそれだけで安定している。
 それはつまり、〈柱の娘〉が天を支える必要はないということだ。
「そんなの信じられない。言い伝えはどうなるの?」とスクズズは言う。
「だが興味深い」アリバドプは舌なめずりをした。
 協議の結果、調査団はこの世の果てを目指して直進するよう進路を変更した。仮説検証のための最短距離を進んでいるのだが、それでもアリリは待ちきれず、ずっとそわそわしていた。一刻も早くこの仮説を大陸に伝えたくてたまらなかった。みんなどんな顔をするだろうか、きっとびっくりするだろうな、という純粋な好奇心がそこにはあった。
 大陸への連絡手段として、月を使う案があった。天蓋に張りついて移動する月になんとかして手紙を括りつけることができれば、どんなに遠く離れていても一日で大陸に届けることができると考えたのだ。残念ながら、大陸から遠ざかるほどに月の移動速度は速くなっており、とても目では追えない速さになっていたためこの案は却下された。
 月と言えば、月や太陽の経路が明らかになったことも、お椀説を補強することとなった。以前は月も太陽も、その軌跡は大きな円を描いており、そのごく一部が大陸の真上をかすっているのだと考えられていた。しかし現在では、軌跡はほとんどまっすぐであり、おそらくはお椀の端から底――大陸の中心――を経由して反対の端へと移動し、それから海底に潜って裏側に回っているのだという説が濃厚だった。
 調査団がこの世の果てに向かうほど、天蓋は低くなっていった。もはや誰が見ても一目瞭然だった。アリリはすこしずつ身体を海中に沈めるようになったが、それでも歩みを止めようとはしなかった。
 
 ――そして、ついにそのときは来た。
「ここが……海の向こう……」
 アリリたちはこの世の果てに到達した。いや、正確には到達していない。天蓋は海に入り込んでいて、そこから先には進めなかったのだ。
 それでも、アリリが海に潜って確認したところ、天蓋はすっかり目の前に立ちはだかる壁となっており、その端っこは確かに海底にしっかりと着いていた。
 アリリの仮説は立証されたのだ。
 
          *
 
 アリリたち調査団が大陸に帰還するころには、丸三年が経過していた。団員はみな無事で、アリリも含めて二十三名に増えていた。大陸の人々は、〈柱の娘〉も〈足もとの人々〉も、アリリたちを大歓声で迎えてくれた。
 帰ってきて早々、最年長のルデがこの三年間にあったことをひとつひとつ嬉しそうに教えてくれた。まだ新しい〈柱の娘〉は産まれておらず、一番下のリェルモがかわいくてしかたがないようだった。
「今ではリェルモも天を支えるようになったんだよ。まだ肩が届いていないから、真上ばっかり向いちゃって。太陽が眩しいんだってさ」
「あのね、そのことなんだけどね、私たちすっごい発見をしちゃって……」
「まあまあ、アリリや。今日のところはゆっくり休みなよ。こっちにもたくさん話したいことがあるんだよ」
 そうルデに言われてしまうと逆らえないアリリだった。大発見についてはまた今度、正式な場で報告するようにしよう。そう思い直して、アリリたち調査団は帰還を祝う大宴会をひたすら楽しんだ。久しぶりの地元の土はいいにおいがして、とても美味しかった。
 
 帰還から五日後。
 それは夜明け前のことだった。
 アリリは、三年ぶりに天を支えていた。なんでも、夜中の当番だったリェルモが寒さで体調を崩してしまったらしく、急遽お役目を交代することになったのだ。いくら〈柱の娘〉でも、やっぱり夜中のお役目はつらいよな、とアリリは幼いリェルモに同情した。ようやく太陽が近づいてきて暗闇は明るくなり、すこしだけ暖かくなってきたけれど、アリリの胸元辺りに広がる雲が邪魔で〈足もとの人々〉のところにはまだ陽の光が届いていないようだった。ここ数日はくもりばかりで、やっぱりお役目は退屈だった。
 しかし、そんな日常ももうすぐ終わりだ。
 なぜなら〈柱の娘〉が天を支える必要はないのだから。
 娘の支えを失っても、空が崩れ落ちることはないのだから。
 どうやってこの事実をみんなに告げようか。胸元に広がる雲を眺めながら、アリリはそんなことをぼんやり考えていた。いきなり本質的なことから話してしまうと、さすがに衝撃が強すぎるだろう。順序立てて話さないと、ルデなんかはごろんとひっくり返ってしまうかもしれない。
 ――そうやって、よそごとを考えていたせいだろうか。
 アリリは、不意に真上から降ってきたものを視認することができなかった。
 反射的に顔を上げる。海と空とのぼやけた境界線。
 その境界を越えてまた降ってくるものがある。薄い何かが。
 さらにアリリは顔を上げる。
 天蓋。
 そこから何かが、はらはらとはがれ落ちている。
 アリリの手のひらよりも小さい、薄くて白い何か。
 まるで早朝の空のような白さ。
「うそだ……」
 そう思わず口走ったが、アリリには天蓋の欠片が降り落ちているようにしか見えなかった。
 
 その雲の上の現象を目撃したのはアリリだけではなかった。
 横臥していたルデとリェルモを除く、他の〈柱の娘〉たちも見ていたのだ。心配性の二番目のザーニェも。使命感の強い三番目のエンリクも。そして六番目のマプコーヤも。三人は皆、「アリリの上から空が降ってきた」とそのときのことを話した。
 また、雲の下でも異変は起こっていた。
 大陸の中心――アリリがお役目を果たしていたその真下に、薄くて白い石の破片が大量に転がっていたのだ。それらはアリリが雲の上で見た破片よりも粉々になっていた。上から下に降ってきたのだから当然だ、とアリリは思った。薄いと言っても、それはアリリのような〈柱の娘〉から見たときの話であり、〈足もとの人々〉にとっては恐るべき大岩だった。お役目の場所だったからこそ良かったようなもので、もし〈足もとの人々〉がいる地域に降っていたら、大惨事になっていただろう。
 否、大惨事どころじゃない。
 この世の終わりだ。
 スクズズを通してで、アリリから事件について知らされた調査団の団員たちは、みな、あの旅で目にしたものを一切誰にも教えないと誓った。アリリの仮説に対して「興味深い」と舌なめずりをしていたあのアリバドプさえも、完全に口を噤んだ。団員の誰もが、自分たちは測ってはならぬものを測り、見てはならぬものを見てしまったに違いないのだと思っていた。
 〈柱の娘〉たちによって破片は片付けられ、すべては〈肥の海〉へと葬られた。その後で〈柱の娘〉たちだけにはアリリがこの世の果てで見たものを教えたが、誰もアリリの言うことを受け入れてはくれなかった。特にマプコーヤは、信じられないという顔をしてアリリを睨みつけるのだった。
 マプコーヤは泣きながらアリリに訴える。
「ひどいよ。天を支えなくてもいいかもしれないなんて、どうしてそんなこと考えるの。僕は天を支えたいのに。〈柱の娘〉になれて幸せだったのに」
 どうして君は、僕から使命を奪うんだ――
 
          *
 
 それから十日が経った。
 その間アリリは、お役目を果たすでもなく、かと言って他に何をするでもなく、ただその場にしゃがみ込んでずっとぼうっとしていた。ときどき思い出したかのように土を食べるだけだった。しかし十日後の朝、アリリはついに立ち上がり、二人の〈柱の娘〉と話す約束を取り付けた。
 一人はマプコーヤで。
 もう一人は最年長のルデだった。
「まさかマプコーヤと一緒に来るとは思わなかったよ。いったい何の話だい」
 横向きに寝たまま、ルデはアリリに問いかける。
「僕も何も聞いてないんですよ。どうしたの、アリリ?」
 時間が経って冷静になったのだろう、マプコーヤの口調も落ち着いていた。
 アリリもまた、ゆっくりと口を開く。
「ルデ大姉さん。わたしとマプコーヤに、本当のことを教えてほしいんです」
「本当のこと? 遠回しに言うのはよしてくれよ」
「ルデ大姉さんは、ずっと前から知っていたんでしょう」
「何をさ」
「海の向こう、この世の果てのこと。天がお椀型になっていること。本当は〈柱の娘〉が天を支える必要なんてないってこと」
「アリリ、まだそんなこと言ってるの……」
 マプコーヤは呆れ顔だったが、一方ルデは神妙な表情だった。
「昔、わたしが海の向こうを見に行ったことがあるかって訊いたとき、ルデ大姉さんははぐらかしたよね。わざわざ行かなくても、ここからでも見えるだろうって。本当はルデ大姉さんも見に行ったことがあるんじゃないの? お椀の端っこがしっかり海底に着いているところを見たんじゃないの?」
「…………」
「ねえ、答えてよ!」
「……そうだよ」諦めたようにルデは頷いた。「大昔、私もアリリのように冒険したい年ごろがあったのさ」
「そんな……、それじゃあ、本当に……」
 マプコーヤが天を仰ぐ。
 この前の事件が嘘みたいに、青い空が広がっている。
「どうして私が今までずっと隠していたのか、それも聞きたいかい?」
「うん。聞きたい」
「もうアリリには予想がついているんじゃないのかい」
「マプコーヤにも聞かせたいの」
「そうかい……。きっと、私だけじゃないんだよ。アリリの前に私が海の向こうを見たように、私の前にも別の〈柱の娘〉が海の向こうを見に行った。その前にも、さらにその前にも。誰も何も言わなかったのは、言い伝えの真の意味に気づいていたからだろうね」
「真の意味……」
 無意識に呟くマプコーヤ。
「あの言い伝えはね、きっと〈柱の娘〉たちが自分たちで考えたんだよ。わざわざ〈柱の娘〉に役割を持たせるためにね。だってあのお役目がなかったら、私たちはいったい何をすればいいんだい。こんなに大きな身体、持て余すばかりじゃないか。持て余すだけならまだいいが、何かの間違いで戦いだしたら大変だよ。〈柱の娘〉も、〈足もとの人々〉もね」
「わたしはそうは思わない」アリリは強い口調で言った。「昔の人たちはそう考えたのかもしれないけれど、わたしは違う。わたしは、自分の役割は自分で決めるべきだと思う。マプコーヤもね」
「僕も……?」
「確かに、〈柱の娘〉のお役目は立派だよね。誰かの役に立てると嬉しいし、自分に価値があると感じられる。でもわたしは、できればマプコーヤに、知らない誰かが決めた役割じゃなくて、自分のやりたいことを見つけてほしい」
「でも……実際、天は降ってきたわけだし……」
「あれは空の破片じゃないよ」
 逡巡するマプコーヤに、アリリは断言する。
 いや、マプコーヤのみへの発言ではない。
 にも語りかけているのだ。
『……どうして分かったの?』
「やっぱりそうだったんだね、スクズズ」
「ちょっと、ちゃんと説明してよ! 僕にはスクズズが何を言ってるのか分からないよ」
「私にも何がなにやらさっぱりだよ」
「あはは、ごめんねマプコーヤ。ルデ大姉さん。……十日前のあの日、降ってきたのは空の破片じゃない。あれはリュエルの鼻水とつばが凍ったものだよ。太陽が近づいて、天が暖まったから降ってきたというわけ。マプコーヤは知らなかったかもしれないけど、〈柱の娘〉がにおいを嗅ぐとくしゃみが止まらなくなる木があるんだ。そして、それを知っているのはね、わたしとスクズズだけなんだ……」
「じゃあ、地面に落ちていたのは……」
「たぶんアリバドプの石細工を造ったときに出たゴミだろうね。ピアスといい、〈柱の娘〉のものはとにかく大きいからね。ひょっとすると、アリバドプや他の〈足もとの人々〉も協力していたのかも。いくら雲で隠れていたとはいえ、ひとりであの量を運ぶのは大変だろうし」
「でも、どうしてスクズズはそんなことを……」
 
『ごめんね、アリリ……』
『私ったら、もし〈柱の娘〉のお役目がなくなったら、ずっと私はアリリのお世話のすることになるのかな、すっとピアスの中なのかな、って……』
『アリリのことは大好きだよ。これは本当』
『でも……、私にも、世話係の他にやりたいことがあるの』
 そのようなスクズズの告白を、アリリはマプコーヤたちに教えなかった。
 
「そんなことより、マプコーヤは何がしたい?」
 そう、アリリはマプコーヤに促す。
 マプコーヤは、しばらく考えてから、ふと思いついたように言った。
「そういえば、僕、地面の上に立ち上がって、思いっきり伸びをしてみたいな」
 
           *
 
 かくして新たな冒険が始まる。
 アリリは、自分が突き上げた拳の先から、空のかけらが降り落ちる光景を夢想する。
 いや、その拳はもしかしたらマプコーヤのものかもしれないし、ひょっとするとスクズズのものかもしれない。

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