生きている方が先

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梗 概

生きている方が先

 お盆もお彼岸もお墓参りも体調やタイミングが悪かったら無理して行わなくてもいい。生きている人間の方が先だ。

 家訓というほどでは無いが、祖母から言われたと母がよく口にする言葉だ。たぶん他の家よりは信心深い我が家ではその教えを守りながらゆるゆると毎年の行事を執り行っている。

 7月のお盆も終わり、8月のお盆という名の連休は何をしようかと母と相談していたところ、不意にこんなことを言い出した。

「お父さんの部屋ね。どうしても入れないの。なんかまだ居る気がして」

 わたしの父は4年前に亡くなった。亡くなる前に離婚していたため父の私物などはとっくの昔に処分され、現在は物置みたいな扱いになっている。父の部屋にモノを運び込むまでは良いのだが、母はその空間に長居ができないのだという。

「誰か居るのか、家鳴りかはわからないけど、たまに床鳴るよね」

 我が家は建耐震云々よりも前に建てられた木造の一軒家で、どこもかしこも歩けば足音がするわ水道の音は響くわで、母子二人、家に居れば互いの位置を把握出来るくらいにはボロい。そんな人が歩けば軋むような家で、足音無しに床板だけが鳴るのだ。ポルターガイストのようにはた迷惑ではないし、悪いものという感じもしないけれども、”この家に何かがいる”とわたしに考えさせるには充分だった。幸い霊感みたいなものも無く、ボロ家の家鳴りと思えば普通に生活できた。

 

 答えづらさにお茶を濁して、お茶のおかわりを持ってこようと立ち上がる。台所にやった目線の先に、燃えるような赤い髪に整った顔立ちの少女が無表情でこちらを見ていた。

 自分達に縁深い人に違いない。台所から居間まで彼女を引っ張って座らせた。

「ご先祖様ですか?お名前は?」

 こちらの問いが聞こえていないかのように彼女は手を伸ばす。

 わたしの首が絞まる。

 意識が遠のく中、頭に浮かんだのは神社にお参りするときの唱え言葉だった。

 3回目を思い返している間に、わたしの首は解放され、少女もいなくなっていた。

 息も絶え絶え、放心状態で本来の目的であるお茶のおかわりをしにもう一度台所に行ってみると、少女がいた場所に”竈三柱大神”と書いてあるお札が貼ってあった。

 

 竈神の逸話をネットで検索してみたところ、なかなか我が家の境遇と似ているじゃないか。出ていった男が凋落、女は安定した暮らしを手に入れる所とか。最終的に女が男を供養して火の神として奉るそうだが、似たような話がアジア圏に広く分布していて、かなり原始的な神様らしい。

 しばらくして、目をつけていた取引先の近所にある竈神を奉った神社で、打ち合わせにかこつけてお札を買った。父の部屋でホコリを被っていた棚を掃除して、買ってきたお札と水、酒、米、塩を供えて手を合わせる。柏手を打った瞬間に、部屋の空気と色が変わったのがわかった。母を部屋に呼んで簡易な神棚に手を合わせてもらうと、一気に崩れ落ち泣き始めた。

 あの時、どんな気持ちで母が涙を流したかは聞けていないけれども、父の部屋はキレイになった。母はもう父の亡霊に怯えてはいない。この家の住人は、生きているわたし達だ。

文字数:1280

内容に関するアピール

 人の家って謎のルールとか、用語みたいなものがあったりして、それ何?って思うことがよくありました。

 他人には理解出来ないルールも、その家の人間にとっては絶対的な正義です。それを正しいと思うには、そのルールを作った人の考えに納得しなければいけません。

 「生きている方が先」は私の家のルールです。母の体が弱かったせいか祖母に耳にタコが出来るほど聞かされたようで、我が家はそれを都合よく解釈して、ゆるゆるとご先祖様に手を合わせています。

 

 梅雨明け後の急な暑さに寝付きが悪くなったのか、夢をよくみるようになりました。

台所から赤い髪の女の子を居間に引っ張って、首を絞められて、お祈りをしたところで目が覚めました。目が覚めた瞬間に、なぜかこれで行こうと思っていました。

ぼんやり台所を見遣ると女の子が立っていたところにお札が…本当にありました。

 よくよく見てみると氏神様のものでしたが、竈神信仰の逸話の方が真新しかったので、そちらを組み入れてみました。

文字数:419

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生きている方が先

 お盆もお彼岸もお墓参りも体調やタイミングが悪かったら無理して行わなくてもいい。生きている人間のほうが先なんだから。

 小さいころから病弱だった母に祖母から言い聞かされた言葉だそうだ。家訓というほどではないが、母が折々に口にするのでわたしにまで深く馴染んでしまった。
 お正月、近い親族の命日、春と秋のお彼岸に、お盆……あとは卒入学とかの報告があった時、我が家は一年のうち、少なくとも5~6回はお墓参りに行く。友達の話を聞いている感じ、お墓参りなんて田舎に帰った時くらい、家に仏壇も神棚もないらしい。ひどいやつはお葬式だかで家に来たお坊さんが飼っている猫に威嚇されていたのを見て大爆笑したという。
 文化が違う。いや、そうじゃない。うちの家古い。めっちゃ古い。
 三つ子の魂百まで。いつ頃定着したのかは定かではないが、小さいころからの習慣というのはなかなか抜けない。たぶん余所の家よりは信心深い我が家では、祖母の教えを守りながら、家の中のものも含めてゆるゆると毎年の行事を執り行っている。

 7月のお盆も終わって、8月の連休は何をしようかという話になった。
 東京のお盆は7月らしい。他にやっている人に会ったことはない。けれども、スーパーにはお盆飾りセットとか”おがら”が並んでいて、当日にはナスとキュウリが売り切れるから、7月のお盆というものは実在して、どこかのご家庭でも同じようなことをしているのだと毎年ちょっと強引に納得している。
 世間は平日なので仕事帰りにバタバタと準備を始める。慌てて仏壇をきれいにして、梅雨明けのむせ返るような熱気に纏わりつかれながら玄関先で迎え火と送り火をする。正直、ミソハギにつけた水を回しかけるのは苦行でしかない。熱さの原因を消してやりたい気持ちをなんとか抑えてローソクに火を移し、エアコンの風でローソクの火が消えないよう慎重に仏壇まで運ぶ。運んだ火でお線香をあげて儀式終了。家とか宗派によってあげるお線香の本数は違うらしいが、我が家では故人の分、ご先祖様の分、無縁様の分と3本あげるのが習慣になっている。故人とご先祖様のボーダーなんて考えたこともない。

 7月が慌ただしかったかわりに、8月は世間様の定めた休日をのんびり過ごすことができる。と、思っていたが、最近は田舎に帰らないで旅行に行く人も多いらしい。ニュースを見ても先祖の”せ”の字も出てこない。それを見るたびにますますお盆やらお墓参りをしている我が家の習慣が浮いたもののように感じられる。しかしサボる気にもならない。
 8月の連休は何をしようかと毎年話し合っている気もするが、連日の暑さにうなだれながら仕事仕事の日々を過ごすものだから、気分転換をする体力も残っていない。結局「サボりがちな部屋の片づけ」という名目の何もしない日々。人生がときめく魔法?結構です。
 何もするつもりはない。と言おうとしたところで、母が不意にこんなことを言い出した。

「お父さんの部屋ね。どうしても入れないの。なんかまだ居る気がして」

 わたしの父は4年前に亡くなった。亡くなる前に離婚していたため父の私物などはとっくの昔に処分され、現在は物置みたいな扱いになっている。父の部屋にモノを運び込むまでは良いのだが、その空間に長居ができず、移動させるより先のことができないのだという。

 父はどんな人間だったか。というと、正直記憶がない。結構小さい頃から別居していたため、“父親の人間像”はほとんどが母から吹き込まれたもののように感じている。自分の家庭を客観視したこともなく、友人たちが自身の父親の話をするたびに、不満があってもなくてもいるだけましだと思いながらただ聞いていた。父親なんていないも同然の生活だが、まだわたしの人生の1/3には存在していて、この先の人生で1/4、1/5と圧縮されていってもぼんやりとした欠落感が1点のシミのようにずっと付きまとうのだろう。
 一方、母にとっての父というのがよくわからない。どれだけ悪し様に言っても結婚して子供までもうけている。よくわからない。吹き込まれたところによると、ヒステリックですぐ物にあたったり、大声を出したりと恐怖の対象だったという。しかし、母が感じている恐怖というのは、どちらかというと父が出て行った後に残していった部屋の有様なんじゃないかとわたしは勝手に思っている。
 一口に別居といっても種類がある(んじゃないかと思う)。我が家の場合、父は気に入りの品物を新しい居城に移して帰ってこなくなった。残された部屋の惨状たるや、ハイカロリーな作業が待っているのが目に見えていたので、10年間入れなかったくらいだ。どこがどうヤバイかなんてのは枚挙に暇がないが、あえて一番を挙げるのなら、タバコの吸い殻だ。缶ビールの空き缶に水を張った灰皿(仮)が床から、ベランダから、どかした雑誌の陰から、とにかく色んな所から出てきた。父の部屋を片付けてから5年は経つのに、部屋に入るとなんとなくタバコくさい。
 匂いは記憶に直結しているという。母にとっては部屋の空間そのものが父なのだろう。想像してみたらわたしも入りたくなくなった。

「誰か居るのか、家鳴りかはわからないけど、たまに床鳴るよね」
 答えづらさのあまり自覚的にお茶を濁した。けれども音が聞こえるのは事実だ。
 我が家は建耐震云々よりも前に建てられた木造の一軒家で、どこもかしこも歩けば足音がするし、水道を使えばすぐにわかり、母子二人、家に居れば互いの位置を把握出来るくらいにはボロい。人が歩けば軋むような家で、足音も無しに床板だけが鳴るのだ。ポルターガイストのようにはた迷惑ではないし、悪いものという感じもしないけれども、”この家に何かがいる”とわたしに考えさせるには充分だった。幸い霊感みたいなものも無いので、ボロ家の家鳴りと思えば普通に生活できた。

 話の重さに耐えきれず、お茶のおかわりを持ってこようと立ち上がる。台所にやった目線の先に、燃えるような赤い髪に整った顔立ちの少女が無表情でこちらを見ていた。
 ちょっとファンシーなTシャツに、ショートパンツ。低い棚があるせいで足元は見えない。
 何がどうしてそういう思考に至ったかは分からない。けれども自分達に縁深い人に違いない。わたしは彼女の腕をつかんで台所から居間まで引っ張ってきて座らせた。とくに抵抗はない。そして無表情。なんだかよくわからないけれども、すごくうれしくて彼女に詰め寄る。
「ご先祖様ですか?お名前は?」
 こちらの問いが聞こえていないかのように彼女の両手がこちらに伸びてきた。

 わたしの首が絞まる。息、が、できなく、な、る。

 意識が遠のく中、頭に浮かんだのは神社にお参りするときの唱え言葉だった。
 祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え。祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え。祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え…

 3回目を思い返している間に、彼女の輪郭がぼやけていく。消え入りそうな意識で、なんとか踏ん張って目を開けた。首が涼しい。空気がおいしい。
 どうやらわたしの首は解放されたらしく、彼女もいなくなっていた。咳き込むわたしの横で、母が空中で手をバタバタと振り回している。輪郭がぼやけていったように見えたが、間違いではなかったようだ。酸欠でヒートアップした脳とはうらはらに、冷たい何かが背筋を駆け上った。
 息も絶え絶え、なんとか落ち着こうと本来の目的であるお茶のおかわりをしに、もう一度台所に行ってみると、彼女が立っていたところに柱があって、”竈三柱大神”と書いてあるお札が貼ってあった。高さもちょうど彼女の顔くらいの位置だった。

 ”竈三柱大神” かまどの神様だということはわかるが、どうにもピンと来ない。ゲームでは、ヴェスタとかヘスティアとか西洋の神様なら見かけたことはあるが、日本の竈神というものには馴染みがない。
 不思議な体験をしたら、とりあえず何かにこじつけないと気が済まない。「キーワード:日本 竈神 逸話」でネット検索してみたところ、なかなか我が家の境遇と似ている話が出てくるじゃないか。出ていった男は凋落して、女は安定した暮らしを手に入れる所とか。最終的には女が男を供養して火の神として奉るそう。父の葬儀もわたしと母が取り仕切った。似たようなパターンの話がアジア圏に広く分布しており、人間の生活に密着したかなり原始的な神様のようだが、ここまでシンクロしていると深読みせざるを得ない。父への供養がまだ足りなかったのか。それとも、もう囚われなくていい、ということなのか。

 しばらくして、出張での打ち合わせにかこつけて、ネットで調べた時に目をつけていた、取引先の近所にある竈神を奉った神社でお札を買って帰った。父の部屋でホコリを被っていた棚を掃除して、買ってきたお札に水、酒、生米、塩を供えて簡易な神棚を作った。
 柏手を打った瞬間、タバコのヤニでくすんでいた部屋が一気に明るくなって、空気もきれいになったのがわかった。わたしにはあまり感じられなかったが、父の気配みたいなものはこの部屋にはなくなっていた。母を部屋に呼んで、簡易な神棚に手を合わせてもらうと、一気に崩れ落ち、泣き始めた。

 あの時、どんな気持ちで母が涙を流したかは聞けていないけれども、父の部屋だった部屋は、整理されてキレイになった。壁紙も塗り替えられて、前の住人が使っていたときの面影はなくなった。母はもう父の亡霊に怯えてはいないし、これから先もその影に脅かされることはないだろう。
 生きているほうが先。この家で生活をしているのは、生きているわたし達だ。

文字数:3927

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