サンムトリの伝記

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梗 概

サンムトリの伝記

百岬島ゆざきとう、通称百岬ひゃくみさきの火山が突如噴火、溶岩は島民達を襲った。火山は山夢執りサンムトリという偶像によって管理されていた筈だった。テンと夫のシンは人命救助へと向かい、取り残された島民達を全員無事救助する。
だがその中でシンはメンタルをやられてしまう。実はテンとシンは負取りブドリで、負の感情に屈しない精神を人工的に持たされていた。だがシンはそんな自分を嫌い、負の感情を鍛えすぎた結果、普通の人よりも感情が豊かになってしまっていた。シンのメンタル回復のためには島外での治療が最善とのことで、話し合いの結果、シンが1人で島を出ていくことになった。

小説1:男はある日「私は神だ。貴方は選ばれた」という神のお告げを聞く。そして私は百岬島の神で、島の闇から私を救いに来てほしいと語った。

ある日テンは手紙で指定された場所へ向かうと、あの日救助したネームAという人物と再開する。ネームA、通称ネーアは島の闇に抗う組織のリーダーだった。そして以前の噴火は山夢執りが意図的に彼を狙ったものだった。山夢執り破壊作戦にテンの参加が決まると、彼は2年前の出来事を語った。
寄生火山を管理する偶像、サブ夢執りサブムトリの増設が竣工した頃、島で連続殺人事件が発生した。役場には「サブ夢執りを撤去しなければ事件は続く」という脅迫文が送られてくる。渋々それに従うと、それを最後に島に再び平穏が戻る。しかし独自に調査を行っていたネーアは、停止されたサブ夢執りの遺した暗号を発見する。そこには犯人が山夢執りであること等が記載されていた。そして今に至る。

小説2:男は百岬島に来島した日に、神から偽りの神の力の停止を要請するという任務を与えられた。遂行の結果、状況は僅かに好転した。

計画遂行の直前、ネーアは「俺は純正の負取りかもしれない。テンも負取りになるかならないか自分の意思で選ぶべきだ」と言った。その時テンは、シンとネーアは相反していても、どちらも自分の意思で選択しているのだと気付く。だがテンは負の感情を理解できず、選択肢にすら到達できていない。
役場へと忍び込んだ組織の人達は、山夢執りの破壊に成功する。だがその後、何者かの工作によって、組織と島民との関係は悪化し、組織のメンバーはテンとネーアの2人だけになり、折角破壊した筈の山夢執りは復活することが決まった。そしてそれら負の連鎖はテンの感情をも巻き込もうとしていた。

小説3:男は神から剣を持って戦うという重大な任務を与えられた。男は勇敢に戦い、島の闇に勝利した。

山夢執り復活の日は、復活祭という祭りで賑わっていた。同日、山夢執りに破壊前の記憶を流し込もうとしていた男が、テンとネーアの罠に掛かり現行犯逮捕された。
サルベージノベル、それが男の楽しみだった。今から100年程前に大流行したWeb小説、それらは時代と共に姿を消した。だが時代の進んだ今、世界中の記憶媒体を骨の髄まで解析して、誰でも簡単に発掘が可能となった。男はそこで100年後をまるで未来予知のように当てている『サンムトリの伝記』と出会う。実際には本人の目にした僅か数週間前に書かれた小説であるとも知らずに。
そして山夢執り復活の瞬間が訪れる。その時テンは、負の感情を理解して、選択肢に到達しようとしていた。

あとがき:私は神だ。貴方は選ばれた。貴方は自己犠牲を恐れぬ純正の負取りだ。

文字数:1400

内容に関するアピール

テーマへの回答は「1.人の弱さは100年後も変わらず、人は神に縋り続けるが、偶像は更新される」「2.SF作品で描かれる100年後は実際には大体外れる」の2点です。

物語的にはアクションでの盛り上がりを冒頭に持ってきて、ラストに向かうにつれてテーマへの比重を強めていく構成にします。
犯人の男にはあえて名前や台詞を用意せず小物感を出すことで、小説内小説の男とのギャップを際立たせます。

冒頭に登場するシンは、島を離れて以降は声の出演となりつつも、作中で重要な立ち位置を担います。
シンとネーアは相反する存在で、シンは負の感情を持つことを、ネーアは負の感情を捨てることを、それぞれ選んでいます。けれどテンはその選択肢にすら到達しておらず、彼女がそこへ到達することこそが物語の最大のテーマです。

AIやバイオ等の単語は使わず、代わりにブドリのネタを散りばめながら、最終的には100年後の島感を出して物語を仕上げます。

文字数:400

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サンムトリの伝記

1.

前方の行く手を阻むのは橙色の光を放つ灼熱の流体、溶岩。散在する家々のいくつかは既に草木共々その餌食となり、そこから立ち上がる炎は夜空をも照らす。
そんな非日常の夜道をテンは身軽な身体で邁進していく。溶岩に行く手を阻まれないルートを正確に選択して、時にはその死の川を飛び越えて、進路を切り開く。それは無駄がなく手際の良い身のこなしだった。それでも一歩間違えれば命がないという精神的な負担に加えて、熱気や煙といった物理的なダメージも相まって、体力は時間と共に漸消していく。加えて、この状況下では行きにあった道が帰りにも残存している保証はなく、退路のことを考慮に入れながら進まなければならない。本来なら溶岩に向かって前進する行為自体がそもそもの間違い。
それでもテンは立ち止まることができなかった。山奥に取り残された人達を救出する、その一心で。
つまるところ今のテンに課せられたミッションは人命救助。この島には救助隊なんて気の利いた者はおらず、さりとて島外からの応援にも期待が持てず、事の流れで今はテン達がそれを担っている。今回救助へ向かった者はテン以外にも1人いて、それはテンの夫でもあるシン。だがそのシンは走るスピードが速すぎて、テンの視界からはとうの昔に消えていた。それは決してテンが遅い訳ではなく、シンのスピードが異常なのだ。
と、前方に何かが見えてきた。
それがシンと安否不明の人達だと気付くのに時間は掛からなかった。だが状況は深刻で、その人達は小高い岩場に纏まって避難していたが、溶岩が押し寄せたせいで身動きが取れなくなっているようだった。そこでシンは一人一人を背負って超人的な跳躍で対岸まで運ぶ行為を繰り返していたが、効率が悪いのか、今の時点でやっと3人目を運び終えて、丁度これから4人目を運ぼうかというところだった。未だに岩場には半分以上の人達が取り残されているのが現状。岩場は余程でなければ溶岩に飲み込まれる心配のない高さは保持していたものの、熱気や煙の猛威で衰弱している者も多く、一刻を争う事態に変わりはない。
「シン、その方法で最後までやるのは危険すぎる」
テンは咄嗟にその判断を下す。いくらシンでもあの大跳躍を人を背負って何度も続ければ、著しく体力を消耗するし、失敗の可能性だって上昇する。何より一度のミスが命取りになるこの状況下で、その行為はあまりにも無謀だった。
「じゃあどうすればいいの。他に良い方法あるの」
そこでテンは気付く、シンが泣いていることに。
だが今のテンにそのことを気に掛ける余裕はない。一刻を争う局面だというのにそれに代わる妙案が浮かばないのだ。かといってここで慌てて誤った判断を下せば、それこそ取り返しのつかないことになりかねない。それでもテンは必死で事態の解を探すように必死で頭を巡らせていると――「おい」
夫ではない何者かの声によってそれは打ち消された。声は至近距離から聞こえてきた。その方向へ振り向くと、テンよりも少し年上だがまだ若いであろう男性が、険しくも冷静な面持ちでこちらを見ていた。
「あんたもあの岩場にジャンプできんのか」
「ええ、でも彼みたいに誰かを背負って飛び越えることはできないんです」
「なら岩場にいる人達を2人でこっちに向かって投げ飛ばしてくれ。俺が責任を持ってキャッチする。生身の俺でもそれくらいのことはできる」
話によれば彼はシンに最初に救出された人物だった。初めは皆、シンが人を背負って溶岩を飛び越えられることを信じられず、その状況を打破するために自ら手を挙げたのだそうだ。だからこそ自分のことを信頼してほしい、という含みもその話の中には込められていた。
代案も思い浮かばないテンはそれに乗ることを決断する。早速大跳躍で岩場に移るとシンに案の内容を説明。次いで他の人達にも説明を試みる。だが反応は芳しくなく、口を揃えて言うのは万一の恐怖だった。実際のところその可能性はほぼなく、強いていえば対岸にいる彼がキャッチを失敗して怪我を負う可能性くらいだろう。勿論その可能性も十分に危険ではあるのだが、このまま今の状況が続く方が遥かに危険だ。だからこそテンは強い口調で説得した。
「命に代えても皆さんのことは下山するまでお守りします。ですから今は我々のことを信頼してください」
そしてテンの説得のかいもあり、取り残された人達を全員無事救助することができた。

下山後は皆で安全なところに避難して、それぞれ無事を祈っていた身内の者との感動の再会を果たしていた。2人もまた、皆から感謝されていた。徐々にそのほとぼりも冷めていくと、それぞれ我が家に帰宅したり、病院に搬送されたり、避難所へ向かったりしていた。2人は大きな怪我もなく、家も無事だったので、そのまま帰路に着いた。
道すがらの街は思いの外平穏で、つい先程までの命のやり取りがまるで嘘のよう。中心街への直撃は何とか避けられたらしく、ライフライン等にも大きな支障は出ていないようだった。溶岩の動きも大方沈静化してきていて、野外のざわつきも徐々に減ってきていた。
気付けばテンとシンは夜道で2人きりに。
「どう、まだ辛い?」
その問いにシンはこくりと頷く。シンはあれ以来、何かを思い出したようにふと泣いたり、泣き止んだりをずっと繰り返していた。
あの状況下でメンタルがやられることは別段おかしなことではないだろう。けれどシンの場合は少しだけ話が違ってくるかもしれない。なぜならテンとシンは負取りブドリだからだ。2人は恐怖や絶望といった負の感情に屈しない精神を人工的に持たされた者達だった。けれどシンはそんな自分を嫌い、感性を鍛えた結果、負の感情を理解できるようになった。だがそんな経緯のせいか、一般の人よりも感情が豊かになってしまった。
「やっぱり負の感情を持たないようにした方がいいんじゃない」
テンがついそう言うと、シンに悲憤の目を向けられてしまう。それは単なる怒りというよりも、まるでどうしようもなく埋まらない齟齬を嘆いているかのような瞳だった。そこに至ってさすがのテンも、今の発言は自分でもないと思い直してシンに謝った。がそれでもシンの機嫌は直らなかった。
「助けた人達もみんなテンにばかり感謝してたし、結局世の中は自己犠牲のできる人を求めてる。結果よりも綺麗な物語を求めてる。そういうことなんでしょ」
シンの言い分には誇張こそあったものの、助けた人達が感謝を述べた割合でいえば確かにテンの方が多かった。とはいえ泣いている人に感謝を伝えるのが難しい人だっているだろうし、取り残された人達を説得したり励ましたりしたのはテンなのだから、半分は仕方のないことなのかもしれない。ではもう半分はどうなのだろうか、とテンは考えてみる。確かに物理的な救助を軸に考えれば、圧倒的にシンの方が活躍している。にも拘わらずシンの方が感謝を伝える割合が少ないのは、確かにどこかおかしいかもしれないとテンは思った。
そうこうしている内に2人は家の前に辿り着いて我が家の門を潜った。

2人がこの百岬島ゆざきとう、通称百岬ひゃくみさきに越してきたのは4年前。結婚後の暮らしをどうしようかと考えていた頃、たまたま旅行でこの島を訪れたのが切っ掛けで移住を決意した。計画は順調に進み、それから間もなく2人は百岬の地を踏んだ。
移住したての頃は色々な不安もあった。田舎の島でちゃんと生活していけるのかとか、島民の人達と上手く打ち解けられるのかとか、そんな不安だ。けれど結果的に多くの島民は2人を受け入れてくれたし、それもあって日々の生活も何とかこなしていくことができた。
都会と田舎の違いだろうか、思えばこの島に来たばかりの頃は、まるでタイムスリップしたかのような驚きに満ちていた。島には豊かな緑が生い茂り、それを囲む海はきらきらと蒼い。農業や漁業も令和のノリを感じずにはいられない。そして百岬の中央に聳え立つ火山はとにかく凄い。
凄いといえばこの島の山の神への信仰心もそう。それはこの百岬が火山島で、様々な火山による災害の歴史を乗り越えてきたからなのだろう。島民の話によれば十数年前からはそんな火山を人工的に管理するようになったらしいが、それが逆に信仰心が深まる側面もあったとのこと。それは人と神の距離が近くなりすぎて、人々の縋る思いが具体性を持ってより強まったからなのだろう。
といっても負取りであるテンにはそういった気持ちはあまり理解できなかったのだが。
「正直神とかあんまり信じてないんだよなぁ」
「あー……この島でそういうことはあんまり言わない方がいいですよ」
近所の島民とそんなやり取りをしたテンは、この島特有の常識を知った。それは島の闇とでもいうのだろうか、いや寧ろ島の闇を生み出す何かといった方が正確かもしれない。つまるところ信仰自体はよくても、それを強制されるのはあまり良い気がしないのだ。
そんな移住から2年が経ったある時、島で事件は起こった。島民が相次いで何者かに殺害されたのだ。こんな長閑な島で、なぜこんな惨事が起こってしまったのかと、島民達の間に目に見えぬ不安が渦巻く。
「ねえ、やっぱりこの島から離れた方がいいんじゃないかな」
それに呼応するように、シンも時々そんな感じのことを口にするようになる。とはいえそういったことを普段から言ってくる訳ではなかったし、具体性のある話でもなかったので、テンもそこまで本気にはしていなかった。事件だってその内きっと何とかなると漠然と思っていた。
けれど犯人は捕まらず、事件は迷宮入りしていった。
そうした悲惨な出来事も、時間と共に少しずつ人々の記憶から忘れられていく。
そんな時に起こったのが今回の噴火だった。島民の心の奥底にあった不安は再び浮上し、これを2年前の事件と紐付ける者や、この島に何らかの異常が起こっていると怯える者も決して少なくなかった。
そしてシンもまた、そう考える島民の1人となっていた。だがシンの場合は本格的にメンタルをやられて、その悪化も想像以上に深刻だった。当初は時間と共に回復していくだろうとテンも島民の皆も思っていたが、結論としてはそうはならなかった。テンは島民の皆にも何とかならないかと相談してみたが、島には満足な医療が調っていないのが実情で、回復のためには島外で治療に専念するのが最善だと複数の人達に言われた。けれどテンとしてはこの島から出ていきたくないのが本音だった。結局話し合いの結果、シンが1人で島を出ていくことになった。
そして今、テンはこの島のマイホームで、たった1人で暮らしている。
けれどテンはそれを乗り越えて前向きに生きていた。なぜなら彼女は、負取りだから。

 

遠い遠い100年後の未来、そこにはとある男がいた。
男は苦しい日々の生活を必死に、そして懸命に生きていた。
男は色々なものを失っていた。それは何か落ち度があった訳でもなく、たまたま幾多もの不運が重なったのだ。勿論全ての事柄を不運で片付ける訳でもなく、確かに至らない点や力不足はあったのかもしれないと男自身も思っている。それでもこの世の中は何かが間違っていると男は思っていた。
例えば人によってスタート地点が違うことも、その一つなのではないだろうかと。例えば一部の者が受けている能力強化の恩恵、それを得られなかったことこそが、そもそもの不運の始まりなのではないだろうかと。22世紀の最初の四半世紀が終わろうとしているこの時代でも、未だに親は選べない。
一部の人間が富を牛耳る構造にしたって、今と昔で本質は何も変わってはいない。例えそれを是正すべきという幾多の声があったとしても、何も変わりはしないのだ。
それでも男は諦めずに目に光を宿らせて強く逞しく生きていた、どんなことがあっても決して己を曲げずに。なぜなら男は、純正の負取りだから。

 
2.

あの噴火から1ヶ月半が経った。
彼女は今、海岸沿いの道を自転車で疾走している。青空の下で戦ぐ潮風が身体を吹き抜けて、これが中々に気持ちがいい。思えばこんなに遠くまで思い切り自転車を漕ぐのも久々だった。
今日テンはとある目的のために隣町まで足を運んでいた。切っ掛けは1枚の手紙。そこには1ヶ月半前の功績を称える文章と共に、その出来事の真実を知ってほしいという趣旨の文章が記されていた。差出人は不明だったが、手紙にはネームAという記載。初めは見るからに怪しい手紙だとテンも思ったが、そこに書かれている1ヶ月半前の出来事がとても忠実に書かれているので、単なる悪戯とも思えず、とりあえず指定された場所に行くだけ行ってみようとテンは決めたのだった。
隣町に着くと、テンは手紙で指定された一軒のカフェを目指す。隣町はテンの住んでいる街よりも都会で、少し自転車を走らせているだけでも、大型の店が何軒か目に止まる。それもその筈、この街は島の中心なのだ。
普段通らない道に多少迷いながらも目的地へ着くと、いかにもな佇まいをしている男性が店の外に立っているのが遠目からでも確認できる。いや、この人物には以前出会ったことがある、とテンが気付いたのはその直後。テンはその確信を確認すべく「あの、すみません」と声掛けをした後にこう繋げた。
「もしかしてこの間の救助の時に協力してくれた人ですよね」
「ええ」という回答が、間もなくして返ってきた。
店内に入ると、彼は自分が手紙の差出人であるネームAであることを名乗った。なるほど、確かにそれなら手紙の1ヶ月半前の出来事がとても忠実に書かれていたことにも納得がいく。一方で彼のその名を訝しむ気持ちは残ったが、やはり救助のことがあったので、それを表情に出すことはしなかった。そんなことを考えていると、彼は続けて言った。
「呼び辛いだろうからネーアで構わない」
そう言った後、自然と一区切り入ったところで、タイミング良く店の人が注文したドリンクを運んできた。それを2つ置き終えて下がっていくのを確認すると、ネーアと名乗った彼は、それを待っていたかのように込み入った話を語り始める。
「この百岬は今、島の闇を抱えてる。あの噴火もその氷山の一角にすぎない。つまり、あれは事故ではなく事件」
2人の間に何とも言い難い緊張が張り詰める。テンは思案した、その言葉を本当に信用していいのか、仮に本当だとしてなぜそれを自分に話したのか、と。だからこそテンは不用意に何かを言い返しはせず、相手の次の出方を待っていると、彼もそれを察したのか追加の説明を始めた。
まずは大前提としてそれりの確証を持っていると彼は前置きする。その上で、1ヶ月半前の事件は2年前の事件とも繋がっていて、あれも事故ではなく事件とのこと。更にはその犯人も特定しているとのことだった。そして一瞬の間を置いた後、彼はその名を口にした。
「その犯人の名は、山夢執りサンムトリ
それは意外であると同時に、ある種の納得感もあった。なぜなら山夢執りこそが百岬の火山の偶像であり、そして管理者なのだから。つまり目の前の彼は島民が強く信仰しているその神が犯人だと、そう言っている。そして最後にこう付け足した。
「山夢執りを止めるために力を貸してほしい。その正義感と身体能力を見込んでのお願いだ。どうか我々にあんたの力を貸してくれ」
それを言い終えると、一転して返答待ちと言わんばかりに黙り込む。とはいってもそれはあまりに突然のこと、やはりというかテンも頭が追い付いていない。だからこそテンは一番気になったことを率直に尋ねた。
「あなたは一体、何者なんですか」
彼はその言葉の意思を理解して、今まで曖昧にしてきた素性を語り始めた。話によればネーアはこの島の闇に抗う組織のリーダーで、山夢執りに命を狙われてる存在だった。驚くことに以前の噴火も山夢執りが意図的に彼を狙ったものだったのだ。だが彼は別に自分の命が惜しくて頼んでいる訳ではなかった。自分が死ねば誰も奴を止められない、そのことを危惧しての懇願だった。つまり山夢執りを止めるためにテンにも組織に入ってほしいと、そう言っていた。
「といってもすぐに答えは出ないだろうし、今日明日中に決めてほしいって訳でもない。まあ目安としては1週間程度で答えをもらえると助かる」
「いや、多分今日明日中には答えは出ると思います」
それを聞いたネーアは「そうか」とだけ言葉を返したが、そのトーンはどこか低めだった。その理由が今一よく分からないのも、自分が負取りだからなのだろうかと、テンはぼんやりと思ったのだった。

翌日の昼過ぎ、テンは昨日教えてもらった連絡先に通話をした。暫くすると「もう答えが出たのか」というネーアの声が聞こえてきた。
「ええ、私も組織に入ろうと思います」
するとネーアは「え」という何とも間の抜けた声を出した。一体どうしたのかと尋ねてみると、ネーアはテンの考えてもいなかった返答をしてきた。
「いや、昨日の話ですぐに答えが出るって言ってたから、てっきり断るものとばかり」
テンは昨日のことを思い返してみたが、言われてみれば確かに話の流れ的にそういうニュアンスに聞こえていてもおかしくはないかもしれなかった。勿論テンにはそんな気は一切なく、寧ろ参加に傾いている意味でそう言っていたのだが。
いずれにしてもテンは組織に入ることを決めた。それは山夢執りと戦う表明でもあり、もしかしたら自分の身に危険が及ぶ可能性だってあるかもしれない。それでもテンそれらを覚悟し、受け入れた上で結論を出したのだった。
「それと、組織に加入するのなら言葉はため口で構わんぞ」
ネーアは加入が決まる前からほぼずっとため口だったが、それはそれとしてテンは「分かった。これから宜しく」と返事をしておいた。
そこから先は事務的な話になった。今度また会う日を設けたいとのネーアの話に対して、テンは明日でいいと答えた。するとネーアは家の前まで迎えに行くと話した。手紙を送ってきた時点でそうなのだろうが、住所も調査済みというのはテンもどうかと思ったが、とはいえそのお言葉に甘えることとなった。
必要なことを話し終えると、自然と通話は終わった。
それから家事やら作業やら何やら色々やっていると、あっという間に夜になる。
それらが一段落したところで、テンはある人物に通話をした。聞こえてきたのは「テン」という療養中のシンの声。その声色は元気とは程遠いものだが、当時と比べれば大分回復していることが伝わってくる。
「私、島の闇と戦うことになったんだ」
テンはシンに今日の出来事を伝えた。確かにここでそれを言えばシンに不要な心配をかけてしまうかもしれない。けれどなるべくシンには隠し事はしたくなかった。テンは反応を待ったが、返ってきたのは意外な答えだった。
「テン、もしかして死んじゃうんじゃない」
テンは一瞬いくら夫婦とはいえ失礼な物言いだと思ったが、すぐにその意図を汲み取る、自分が負取りだからそう言ったのだと。
「私にだって死を恐れることくらいある。昔のシンにだってあったでしょ」
「ううん、なかったよ。何十回、何百回言っても分かってもらえないんだね」
結局、テンとシンの対立は平行線のまま終わった。

翌日テンはネーアに連れられて、とある場所へと向かっていた。自転車ではそれなりに掛かった隣町への移動も、車だとあっという間。一度入った中心街を抜けて暫くすると、目的の場所に着いたらしく車は停止した。そこは中心街とは違って周囲に家はあまりなく、代わりに木々が生い茂っている。
そこでテンはある違和感を覚えたが、下車してこちらの様子も伺わずに歩を進めていくネーアを見てそれは確信に変わる。ワンテンポ遅れて下車したテンは、ネーアとの距離を縮めつつその違和感を口にした。
「ここ、どう見ても古民家なんだけど」
「おいおい勘違いしてもらっちゃ困る。俺達は何もプロフェッショナルって訳じゃない、所詮は有志の集まりだ。何事にも身の丈ってもんがあるだろ」
呆れ半分に反論したネーアは、その拠点と思しき建物の扉を開けて中へと入っていく。テンも入るように促されたので後に続くと、そこはある程度良い感じにリノベーションされてはいたものの、やはり古民家だった。その佇まいは寧ろ逆の意味で特殊さを醸し出している程で、これが彼の言う身の丈なのだとしたら何ともいえないものがある。
2人は更に古民家の奥へと足を踏み入れる。そしてとある部屋へ入ると、数人の組織のメンバーと思われる者達がテンを出迎えた。ネーアが「こいつが前に言ってた奴だ」と説明すると、それに呼応して歓喜の声が上がる。話によればどうやらネーアはメンバーに対して救助された時の出来事を頻りに話していたようで、テンは既に一目置かれている存在となっていたようだった。とはいえ初日からこんなに歓迎ムードだと、テンにも逆に気恥ずかしいものがあるが。
そんなメンバーとの挨拶を軽く済ませると、そのままネーアは建物内の一室へとテンを案内する。そこはこの家の中では割と新しい作りの談話室で、これから色々な長話があるのだろうとテンに予感させた。暗黙の了解のように両者はテーブルを挟んでお互い椅子に腰掛けた。一段落つくとネーアは開口した。
「しかしよく決断してくれたな。正直こうもあっさりいくとは思ってなかったんで驚いたよ。決め手はやっぱり夫のことかい」
「うーん、どうだろう。正直まだ実感があんまり沸いてないんで何とも……」
テンは覚悟を決めて組織に加入したし、本気で島の闇と戦いたいという思いにも偽りはない。だが一方でそれに強い動機があったかと言われると、本人も答えに困る。強いていえば流れでそうなったのかもしれず、結局ネーアの期待したような回答はできそうになかった。
だがそんなことを一々気にする様子を見せないネーアは、「まずはこれを見てほしい」と1枚の資料を手渡してきた。尋ねれば、これは火山の周囲にある寄生火山の温度表なのだそうだ。続けて「何か気付いたことはあるか」と彼は言う。そう言われてもと思いながらテンが資料を凝視していると――「あ」
テンは気付く、この資料の温度は小数点第二位まで記載されているが、集中して小数点第一位の値が0~2に偏っている箇所がある。「.03、.18、.09」といった具合に。そしてそれらをアルファベットに置き換えると――
「Criminal is Sanmutori. 犯人は山夢執り」
視線の先でネーアはただ頷いた。これが彼の言っていた確証だった。だがテンはある疑念を持つ。
「簡単すぎて逆に怪しい」
こんなイージーな暗号では敵側の者にも気付かれてしまうのではないか、それがテンの抱いた1つ目の疑念。だがネーアは「それに関しては後々ちゃんと説明するよ」と怯む様子はない。そこでテンは2つ目の疑念をぶつけた。
「それにこれって自分から犯人だって明かしてることになるよね」
「言ったろ、これは寄生火山の温度表だって」
ネーアの話によればこういった暗号は全て寄生火山の偶像、サブ夢執りサブムトリによるもので、彼は当時自分を亡き者にしようと企んでいた山夢執りに対して抵抗を試みていた。だがネーアが暗号に気付いた時には既にサブ夢執りは停止させられていた。そんな彼が遺したものが暗号だった。
「彼がいなければ島の闇に気付くことすらなかったかもしれない。本当に感謝してるよ」
島の闇、ネーアが次に語り始めたのはそのことだった。

 

男はある日、神のお告げを聞いた。
「私は神だ。貴方は選ばれた」
それは空気振動として発せられて、鼓膜を通して聞こえてくるものとはどこか違うものだった。さりとて男は確かにそのお告げを聞いたのだ。
男は問う、私は一体どうしたらいいのかと。
その問いに神は語った。十数年前から人工的に管理されるようになった火山、それが聳え立つ百岬島、その島の神が私であると。そして島の闇から私を救いに来てほしいと。
男は島に行くべきか、それとも行かぬべきかを知恵を絞って考えた。男は確かに色々なものを失ってはいたが、さりとて目の前に死が迫っている訳でもない。それでも男の結論は初めから決まっていた。失うものはもう何もない、己を犠牲にしてでもやらねばならぬことがある、と。
そうして男は百岬島に旅立っていったのだった。

 
3.

2年前、ネーアがまだ島の役場に勤めていた頃の話。
当時役場の議題となっていたのは寄生火山の個別の管理化だった。そしてその話はサブ夢執りの増設という方針でまとまりつつあった。
「火山はこの島の神。そして山夢執りに神を宿せば、我々も神の声を直接聞くことができるようになる。それが増設されることは大変素晴らしいことだ」
ネーアは役場の職員として村長のそんな言葉を耳にしたことがあった。それは村長という立場から発せられたものではなく、心からそれを本気で信仰しているかのような言葉だった。事実、村長は山夢執りを信仰していた、多くの島民がそうだったように。
「この島の人達って凄い信仰心だよな。俺には理解できないんだが」
「お前なあ、この島でそういうことは安易に言わない方がいいぞ」
ネーアは役場の同僚とそんなやり取りをしたことがあった。ともすればネーアのように信仰心のない者の方がこの島では少ないのだ。
とはいえそんなネーアもサブ夢執りの増設自体は前向きに捉えていた。確かにそうなれば災害のリスクも今以上に下がるだろうと考えていたためだ。但し山夢執りを設置しても災害を完全に管理することはできない。できるとしたらそれは更なる未来の話だろう。そんな中途半端さだからこそ島民の皆も山夢執りに縋ろうとしているのかもしれないが。
そして増設の計画はいよいよ実行段階に入り、そのための工事が始まる。サブ夢執りの工事は大きく分けて信仰の対象となる偶像の設置と、火山のデータを分析する装置の設置の2つがある。実のところ火山の管理は装置だけで行うのが一般的で、その方が安全面も含めて色々とスマートになるのだが、神への信仰心の強い島の事情を考慮して偶像も設置することになったのだった。そういったこともあって工事が大変なのも実は後者で、なぜならそれは火山口の近くに、それも溶岩に耐えられるように設置しなければならないからだ。とはいえそこまで危険な作業でもなく、本来なら工事は何事もなく終わる筈だった。
第一の事件は工事現場の作業員4名の殺害だった。厳密には当初は事件として扱われておらず、事故という線で捜査が進められていた。なぜなら作業員達を死に至らしめた凶器は噴火した溶岩だったからだ。
それでも作業員達の死を乗り越えて竣工を迎えた頃、役場にこんな手紙が届いた。
「サブ夢執りを撤去しなければ事件は続く」
そしてその差出人の名前は――サンムトリ。
神の偶像である山夢執りをカタカナ表記にしたその名前に、人々の中には「一体どういうつもりなんだ」と怒りを顕にする者も少なくなかった。何よりもそれはどう見ても殺害予告を含んだ脅迫文。その上手紙には警察関係者か、犯行に及んだ本人しか知り得ないであろう情報が記載されていて、それが犯人からのものである信憑性は極めて高かった。
そこに至って初めて人々は事故だと思っていたあの悲劇は、実は事件だったのではないかと疑い始めた。具体的には山夢執りを不正に操って、意図的に火山を噴火させて殺害を行った可能性だ。しかしそれを調べるための資料は既に破棄されてしまっていた。だが警察の警戒下に入った今後は、操作の形跡があれば破棄される前に確実に抑えることができる。
そんな時に起こったのが第二の事件。今度は工事現場とは無関係のところで、作業員とも無関係の人物が殺害された。そして凶器も今回は溶岩ではなく、鋭利な刃物で一突きだった。操作の形跡から犯人を割り出そうと考えていた警察の思惑は脆くも崩れた。そもそも犯行の手法が違いすぎて同一犯かどうかも怪しい。
それでも殺害予告が現実のものとなってしまったことに変わりはない。脅迫に屈する訳にもいかないが、このままでは更なる事件が起こってしまう。そこで村長は撤去はしないまでも、暫定的にサブ夢執りの機能を停止することを提案し、実行された。するとそれを最後に島に再び平穏が戻り始めた。

しかしネーアは事件の一連の流れにどこか違和感を覚えていた。その正体を確かめるために裏で色々と探りを入れた。
その過程で第二の事件の被害者は村長の弱みを握っている人物であることを知る。するとネーアの脳裏にある憶測がよぎった。
「おいおい、まさか村長が黒ってか」
だがもしその仮説が当たりだとすれば一つの疑問が残る。それはサブ夢執りの増設を推し進めていた態度と、あの犯行予告の文面に矛盾が生じる点だ。そのためそれだけで村長が黒だとは安易に推測できない。
その後もあれこれと調べたり考えたりはしたものの、結局これといった確証や大きな進展はなく、ただ時間だけが過ぎていった。
そんな時に出会ったのがあの暗号だった。ネーアは調査の中で寄生火山の温度表を、本当にたまたま目にしたのだった。そして――
「Criminal is Sanmutori. 犯人は山夢執り」
暗号の答えを声にしたネーアは震え上がった。それもその筈、寄生火山の温度表に犯人の名前が、犯人が山夢執りであることが書いてあったのだ。そしてそれこそがネーアの初めて解いた、寄生火山の偶像であるサブ夢執りの暗号でもあった。もしこの暗号が難解なものであったのなら、ネーアは確実にこのメッセージを見逃していただろう。何せそこに暗号が隠されていること自体知らなかったのだから。
どん詰まりから一転、活路を見出したネーアは、寄生火山の資料を手当たり次第入手して暗号解析に挑んだ。言うまでもないことだが、暗号の中には複雑なものも数多くある。簡単なものは敵側に見付かってもそれ程問題のないものや、敵側の信仰心を解くようなものが多く、真実に辿り着くためには難易度の高いものに挑む必要があった。ネーアはそれも苦にせずひたすら暗号を解いていった。
その結果、第一の事件は完全に山夢執りが黒だというサブ夢執りの主張を発見するに至った。それによれば山夢執りはサブ夢執りの増設を中断させるために犯行に及び、その動機は奴が唯一神教だからとのこと。つまり火山の噴火は何者かが山夢執りを不正に操作して起こしたものではなく、山夢執りが自らの手で発生させたというのが、サブ夢執りの主張する真相だった。続く第二の事件に関しても犯人である確証まではないものの、状況的にはほぼ間違いないという。動機はサブ夢執りを撤去させるために、村長を丸め込むことが目的だったらしい。確かにそう考えれば村長の転向にも説明がつく。ただ身体を持たない山夢執りが殺人を行ったトリックまでは、サブ夢執りにも見当がつかなかった。
以上がサブ夢執りの主張だが、勿論それらの証言を安易に鵜呑みにした訳ではなく、独自の調査と照らし合わせて信憑性が高いとネーアが判断した上での結論だ。とはいえ状況証拠の域は出ないだろうし、ネーア自身もその結論を完全に信頼している訳ではない。サブ夢執りも山夢執りと同じ類の者であることを忘れてはならない。
一方でサブ夢執りは山夢執りの犯行動機にも一定の理解を示していて、確かに元来この島の神は火山の神だけで、寄生火山の神という概念は存在していなかった。それが本来なら火山の管理という本来は安全性のみを担保する側面と混合されて、その流れで寄生火山の神というイレギュラーな存在が誕生してしまったのだ。もしサブ夢執りに神の偶像という役割を与えられていなければ問題はなかっただろうが、島という田舎の閉鎖的な空間で人と神との関わり方が大きく変われば、宗教対立とはいかないまでも、何らかの不和が生じる可能性は否定できない。サブ夢執りも自分の存在のせいでそんな事態になるくらいなら、自身の停止もやむを得ないと思っていたようだった。
けれどそれは当然ながら殺人を肯定するものではない。山夢執りは決して許されることのない罪を犯してしまったのだとサブ夢執りは認識していたようだし、だからこそこうして停止される前に暗号を遺したのだろう。
こうして色々なことを知ったネーアだったが、良いことばかりではなかった。さすがに不審な動きに感付かれたのか、役場の職員を首になってしまった。
だがネーアはそんなことでは諦めず、数人の同志と共に組織を立ち上げ、活動を続けた。といってもそれが本業ではないので、実際の活動は暗号解析がたまに行われる程度のものだった。

そして起こったのが1ヶ月半前のあの噴火だった。その日ネーアは珍しくちょっとした運動も兼ねて山へ出掛けていたが、そこを山夢執りにまんまと狙われてしまった。
溶岩の回りは予想以上に早く、辺りはあっという間に灼熱の鳥籠と化してしまった。それでも1人だったら逃げられたのかもしれないが、その日は天気に恵まれたせいか人出も多くて、ネーアはその人達を安全なところへ誘導することを選んだ。そもそもあの時狙われていたのは恐らく自分だと当時から薄々気付いていて、それ以外の人達はただの巻き添えなのだと考えたら、とても1人で逃げるなんてことは彼にはできなかった。
だがその誘導も結局思うようにはいかず、あえなく溶岩に取り囲まれてしまう。
そこへ現れたのがテンの夫のシンだった。彼は死の川を大跳躍で飛び越えて、ネーア達のいる岩場に着地するとこう言った。
「皆さんを背負って対岸までジャンプします」
だが彼はその時点で泣き顔で、あの大跳躍を目にしていても尚皆の不安を誘ってしまった。そして何よりも万一の死への恐怖から、その誘いに誰も手を挙げようとはしなかった。だがこのままでは本当に一環の終わり、そう思ったからこそネーアは手を挙げた。
「俺を最初に対岸まで運んでくれ」
シンはその言葉を受け入れて大跳躍、結果は見事な成功だった。
その後テンとの運命的な出会いも果たし、その場にいた全員が無事に生還することができた。
一方でその出来事はあまりにも度が過ぎていて、組織の人達も後には引けなくなっていることを実感した。警察は相変わらず動く気配がなく、恐らく今回も操作の形跡は巧妙に揉み消されたのだろう。とはいえ第一の事件からもう2年が経つのだから、それも仕方ないのかもしれない。だとすれば自分達の側から動き出さなければ、色々なことが手遅れになるかもしれない。
だが最近の事件はそれだけでは終わらなかった。実は半月前にもまたネーアは狙われたのだ。
それはネーアが人気の少ない夜道を歩いていた時のことだった。突然目の前に刃物を持った男が現れて襲い掛かってきた。だが咄嗟の的確な判断によって何とか撃退することに成功した。その際男はとある失敗を犯した。それは男のものと思われる紙切れを1枚現場に残していったことだ。残念ながらそれは犯人の特定に結びつくようなものではなかったが、それでもネーアは来るべき時に備えてそれを拠点に保管した。
そんな2度の危機を乗り越えたネーアだったが、組織のリーダーという立場を加味しても、それらは想定外の想像を絶する出来事だった。そもそもあの噴火も本当に山夢執りに狙われたものなのか分かりかねていたので、実はそれを確信したのも2度目の襲われた時だった。いずれにせよ四の五の言っていられない状況になってきたのは間違いない。だからこそネーアはテンを組織に誘い、とある作戦を打ち出した。その名も――
「山夢執り破壊作戦」
そして時は今に至り、作戦は遂行されようとしていた。

 

男は百岬島の地を踏んだ。神に会い、そして救うために。
初めの数日間の移住生活で男が感じたことは、島民の神への信仰心の強さだった。百岬島の島民は神のことを山夢執りと呼び、強く信仰している。それはこの島に本当に神を貶める島の闇が存在するのかと首を傾げたくなるほどだった。しかしそいつは間違いなくこの島のどこかに存在するのだ。
男は百岬島に来島した日に、神からお告げを授かっていた。
「私は今偽りの神や、力を持つ人間から包囲され、身動きが取れなくなりつつある。今こそ貴方の力を貸してほしい」
神のお告げはやはり音ではない何かによって語られていた。
神は男にある重要な任務を与えた。それは島の要人達に偽りの神の力の停止を要請するというものだった。但しその際に決して己の正体がばれてはならないとも。
男は慎重を期してその任務を遂行した。
その結果、僅かではあるが状況が好転したと神は語る。ただそれは本当に僅かで、男の目からはよく分からない程度のものだった。つまるところ神の劣勢は依然として変わっていないのが現状だった。そもそもそれで解決する程度の島の闇であれば、神にとっては大した脅威ではない。
だからこそ神はもう一つ、男にとても危険な任務を与えた。

 
4.

作戦遂行の日、最終確認を終えた組織の者達は、決行までの間の僅かなフリータイムを拠点で寛いでいた。
そこへネーアがやってきて「夫さんの方は元気かい」と話を振ってきた。シンの方は今では大分良くなってきている。そのことを伝えるとネーアも安心してくれた。
テンはずっとネーアに訊きたいことがあった。彼はテンが組織に入った動機を夫ではないかと言ってきた。実際にそれが当たりなのかは彼女自身も定かではないのだが、それは横に置くとして、今訊きたいことはネーアのことだ。それを尋ねるタイミングは今しかないかもしれない。
「ネーアが組織を作ってここまでやってこれたのって、やっぱり奥さんが関係してるのか」
その質問を受けたネーアはテンから少し視線を反らして、どこか遠い目をしながら自身の過去を語り始めた。
彼がまだ島の外にいた頃、付き合っていた人がいた。彼女との距離は時が経つにつれて縮まっていき、いつしか真剣に結婚を考えるようになっていく。話は次第に具体性を増していき、そんな時に飛び出したのが住まいの話だった。その頃のネーアは密かに一つの念願を抱いていた。それは彼女と2人で島での暮らしをすること。けれどそのことを打ち明けると、彼女は曖昧な返事をする。島での暮らしが世間からあまり好まれていないことはネーア自身も分かってはいたが、それでも彼は諦めずに説得を続けた。そんなやり取りが長く続いている内に、2人の心は少しずつ離れていき、いつしか彼女は彼の前から姿を消した。結局ネーアは独りでこの島の地を踏むことになったのだった。
ネーアは自身の過去を語り終えても尚遠い目をしている。テンは傷心を掘り返してしまったことを申し訳なく思った。けれど肝心なことが訊けていない気がした。
「つまり組織のことと奥さんのことには何の関係もなくて、それどころかまだ独身。ならどうして組織のため……いやこの島のためにここまでのことができる」
「それは……俺が純正の負取りだからなのかもしれないな」
それは言い得て妙なのかもしれない、とテンは思った。それどころか自分達のような人工の負取りにはないものを、彼は持っているような気さえした。けれどそれが何なのかは、どうにも分かりそうで分からない。その答えをテンが導き出すよりも早くネーアは言った。
「テン、お前は強え。だがあんたは自分の意思で、自分の選択で負取りになったのか」
その時その言葉を聞いて、自分と目の前にいる彼との圧倒的な差が何なのかをテンは理解した。自分は何も選んでいないが、彼は自分の意思で選択している。
それだけではない、自分の意思で選択しているのはシンも同じだと、その時自然と頭の中で整理ができた。テンは相反する筈のシンとネーアに、なぜか同じように自分の先を行っている感覚を抱いていた。それが何なのか今漸く分かったのだった。
「自分の意思で選べ。そうでないと島の闇に付け込まれるぞ。ま、いざとなったら今度は俺が助けてやるから心配すんな」
今のテンにとってその言葉はとても心強く感じられ、胸に響いた。
テンもいずれ自分の意思で、シンを選ぶことも、ネーアを選ぶことも、できるようになるかもしれない。いや、その言い回しだと人によってはスキャンダラスな意味に捉えるかもしれない、とテンは架空の誰かを軽蔑した。
けれど選択するためには、テンには超えなければならない壁がある。負取りのテンは負の感情を本当の意味では理解できていない。そしてそれが理解できなければ、そもそも選択肢にすら到達できない。だからこそテンは未だに2人に並べていないし、ましてや先を行くなんて遠い夢なのだ。
そんなことを話したり、考えたりしていると、決戦の時はあっという間にやってきた。

役場の敷地内は人気がなく静寂だった。恐らくそれは屋内も同じであろう。
作戦の流れは夜の役場に忍び込んで山夢執りを破壊するという至ってシンプルなもの。但し完全な抹殺のためには火山口に建てられた施設の装置の初期化も同時にしなければならないので、A班とB班の二手に分かれて行動することになる。テンは役場へと忍び込むA班に振り分けられ、ネーアと共に山夢執りの破壊という重要な役割を任せられた。
A班の人達は車で待機する者を除いて、予め下調べをして目星を付けておいた場所から役場へ侵入していく。そこから先はそれぞれの持ち場へと分かれて行動。直接の破壊を担当するテンとネーアは、想定していたルートを辿って慎重に目的の部屋へと向かう。計画通りに目的の部屋へと到達すると、ネーアが音を立てないように慎重に扉を開けた。
入室するとそこには確かに因縁の標的が鎮座していた。だがそれは異様な光景。部屋は煌びやかな装飾で覆われていて、一際豪勢な一角の中心にそれとは不釣り合いの山夢執りが不気味に佇んでいる。これだけの代物をこんな役場の一部屋に押し込めていることも、その不気味さをより増長させている。例えるならばリノベーションに失敗した古民家のようだ。
「気味が悪いのは相変わらずだな。だがそれも今日で終わりだ」
2人は武器を構えつつ、一歩一歩祭壇の元へと近付いていく。その時、暗室の照明が突然点灯した。
「おおっと、そこまでだ」
それとほぼ同時に聞こえてきた声。2人が振り返ると、声の主である村長と銃を構えた4人の男がいた。銃は殺傷能力のない代物のようだが、撃たれれば作戦失敗を意味することに変わりはない。一方の2人は銃なんて気の利いた武器はなく、持っているのは島にあった安物の剣だった。意表を突かれて焦る2人をよそに、村長は語り始める。
「あなた方の計画のことは事前に教示されていたよ。私はこれは逆にチャンスではないかと伝え返した。わざと忍び込ませれば逆に警察に突き出す口実ができると」
「こりゃ参ったな。組織の動きは筒抜けだったって訳か」
「3ヶ月くらい前に山夢執りが勝手に改変されてしまってね。いや勝手に改変されること自体は1年半くらい前から度々あるにはあったが、今回はそんな小さな話じゃない。どうやら今回の改変で山夢執りは神の目、空望クーボーの力を手に入れたようなんだよ。つまりもはや君達は掌の上という訳だ」
その事実を聞かされた2人は、もはや皮肉すら発しなくなっていた。4人の男は相変わらず銃を構えていて、下手に動けば身に危険が及ぶであろう状況。寸秒がとても長く感じられる。
そして村長は一言「撃て!」と言い放った。
それを合図にそれまでの前提ががらがらと崩れ落ちた。4人の男は構えた銃を――撃たなかった。
ネーアは不敵な笑みを浮かべ、テンは山夢執りに向かって全力疾走。そのまま両手で掲げた剣を山夢執り目掛けて振り下ろすと、打壊の大音が部屋中を木霊した。その間に4人の男は銃を一度も――撃たなかった。
その一部始終を刮目した村長はがくんと膝をつき、次いで4人の男も銃を下ろした。部屋中に安堵が広がり、暫くの間その場の誰もが脱力していた。そんな状態を終わらせたのはネーアだった。
「全く、こんな茶番に付き合わせやがって。当然お咎めなしなんだよな」
茶番、それはまさについさっきまでの出来事を表すのに最適な言葉だった。それこそ、武器に安物の剣を選ぶ程の。
「ああ勿論だ。お咎めがあるとすれば私の方だよ。今まで脅されてたんだ、山夢執りに。逆らえば村長の座を降ろされるだけでなく、殺される可能性もあった。山夢執りに言われるがまま、資料の破棄を行ったりもした」
床にひれ伏している村長が朧声を絞り出しながら語ったそれは、ぼかしながらも確かに罪を認める口ぶりだった。一方で村長はずっと殺人にだけは反対してきたとも語った。それどころか村長は、組織の者達が山夢執りを破壊してくれることを心の底では望んでいたのだ。
「だがこの間の噴火を見て目が覚めたんだ、私は愚かな盲信をしていたと。だからこそ君達組織を頼った。山夢執りにばれないように手紙を渡すのは大変だった。危険な渡し方になってしまったのも本当にすまなかった」
そう、実はネーアを襲った男の正体は今ここにいる4人の男の内の1人で、それは山夢執りを欺いて彼にとあるメッセージを伝えるための芝居だったのだ。そしてその内容こそが今回の山夢執り破壊に関する内容だった。つまり山夢執り破壊を最初に提案したのは他でもない村長だったという訳だ。
いずれにしてもこれで山夢執りはこの世から消え去った。一方でこれは行政による正式な決定ではない。だからこそネーアは依然ひれ伏したままの村長に対して言った。
「村長、あんたが山夢執りの正式な撤廃を先導してくれ」
村長は項垂れていた顔を上げて、その言葉を発した人物を煽り見た。視線の合ったネーアはただ笑顔で頷いた。
時を同じくして、B班も作戦を計画通りに実行して装置の初期化に成功していた。
こうして2年間に渡る島の闇の事件の幕は下ろされた――ように思われた。

翌日、村長は殺害された。厳密にはあの後の帰宅途中に、何者かに鋭利な刃物で一突き。
組織の人達は警察に逮捕された。状況が状況だっただけにテンやネーアは冤罪を覚悟したが、実際に罪に問われたのは山夢執りの破壊だけだった。あの後4人の男の内の1人が、念のために組織の行動を監視していたことが幸いした。
無実を勝ち取った組織の人達。しかし物事はそう上手くは運ばなかった。島民の中には村長殺害の犯人を組織の仕業だと疑う者も少なからずいたし、同じく島民の中には村長の死は山夢執りを破壊したことによる神の祟りだとして恐れる者もいた。勿論組織の中の誰かがそんなことをする筈もないし、祟りに関してはもはやオカルトの域。しかしそれで納得する程人間は強くない。
だが何より組織にとってマイナスだったのは、そのせいで島民との関係が悪化したことだ。その結果組織から離れていくメンバーがちらほら現れ始めた。そもそも組織の大義は山夢執りの破壊であり、それを果たしたという状況もそれに拍車をかけた。
他方で山夢執りの撤廃を先導する筈だった村長が殺害されたことも相まって、祟りをなくすために山夢執りを復活させるべきだという意見が、島民の中からちらほらと出てきた。これに関しては災害管理という観点から考えれば一定の正当性はあるのだが、なし崩し的に復活させればまた同じ過ちを繰り返すことになる。
犯人さえ捕まればそんな状況も何かしら打破できるかもしれないが、そうなる兆しは一向になかった。結局何の進展もないまま月日は過ぎ、山夢執り復活の日程だけが決まり、気付けば組織のメンバーはテンとネーアの2人だけになっていた。
あれだけのことを成し遂げたにも拘わらず、組織はここまで追い詰められて、挙句の果てには成し遂げた功績までも無に帰されようとしている。あまりにも出来すぎた負の連鎖。もし祟りがあるとすればまさに今のこの状況がそうなのではないかと、そんな考えがテンの頭をよぎった。例えばの話、もしテンの倒した者が、ただ意思を持っているだけの何かだったとしたら、こんなことにはならなかったんじゃないだろうか。あれが偶像だったから、こんなことになったんじゃないだろうか。
「偶像には……本当に神がいるのか」
だからこそテンはそんな想像に至ってしまった。
けれどテンはすぐにそんな想像をするのはおかしいと思い直す。だってそう、神なんてものは所詮は人々の恐怖から生まれた産物にすぎない。ならば負取りである自分がそんなことを考えるなんてありえないじゃないか、と。けれどだったらなぜ今自分はそんなことを想像したのだろうか、と考えたところで頭がこんがらがってくる。いやそもそもシンに対して自分にだって恐怖くらい分かると強がっていた筈だ。なのにどうして今この瞬間はそれを否定するような、自分は負取りだから恐怖なんて分からないんだとでもいうような、そんな考え方に持っていこうとしているのだろうか。そんなことをする必要なんてどこにもないじゃないか、と続きに続く堂々巡り。
けれど段々とそれにも疲れてきた。だからテンはシンに通話した。そして一連の出来事を彼に吐き出した。けれどシンはこんなことを言ってきた。
「山夢執りが復活したら、テン……殺されちゃうんじゃないかな」
それを耳にした瞬間、テンの中にあるトリガーを引くための安全ピンが、かちりと外れたような気がした。

 

神は男が百岬島に来島する以前から島の闇との戦いを始めていた。だが戦況は好ましいとはいえず、劣勢に立たされている状況は今でも続いていた。
だからこそ神は男にある重大な任務を与えた。
「島の闇から私を救うため、剣を持ち戦ってほしい」
神のお告げはやはり聴覚を経由しない何かによって語られていた。
それは一歩間違えれば自分が殺されるかもしれない程の危険な任務だ。一般の人であれば恐怖に震え慄くだろう。だがそんな恐怖をもろともしない人間を神は望んでいる。
だからこそ男はそれを受け入れた。己を犠牲にしてでも戦いに勝ってみせると。
男は剣を持ち島の闇と戦った。それは壮絶な戦いだったが、己の犠牲をもろともしない勇敢な戦い方で、遂に男は島の闇に打ち勝つことができた。男の戦いは一つの終幕を迎えた。
しかし人々に弱い心がある限り、島の闇はまた沸いてくる。だからこそ男はこれからも島のために戦い続けるだろう。それが男の使命なのだから。

 
5.

最近どうにも身が入らず何もやる気が出ない。家の外へ出る機会も以前よりも減った。かといって家の中は1人暮らしには少し広くて居心地が悪い。ここ最近はずっとそんな日々。
そんなある日、家の呼び鈴が鳴る。誰だろうと玄関の扉を開くとそこにはネーアがいた。
「大分参ってるってのは本当らしいな。いや久々に顔を見たくなってね……ってのもあるが、今度話したいことがあるんだが」
ネーアが一転して真剣な顔つきになる。もしかしたら山夢執りに関係する話なのではないか、とテンは直感した。だからこそ「今からでもいい」と即座に返答したのだった。
「んじゃ車で待ってる」と言って玄関を後にしたネーアに少し遅れてテンも彼の車に乗り込んだ。
発進して暫くすると、少し前までは飽きるくらい見ていた海岸沿いの海の景色がテンの目に映る。この車から見る海の景色をテンは久々に見た気がした。
思えばネーアと会うのも久々のこと。あれから自分も組織を抜けようかと考えた時もあったが、何とか首の皮一枚のところで踏み留まっていた。それでも2人が会う機会は以前よりも格段に減っていたのだ。
今車で目指しているのは拠点ではなく、2人が初めて……ではなく2度目に出会ったあの隣町のカフェ。「1対1で話す分にはそっちの方がいい」というのがネーアの主張だ。あの拠点も今となっては、掃除の行き届いていない、寄生火山の資料の保管庫となり果てていた。
「私達に今更何かできることなんてあるのか」
タイミングを見計らってテンは疑問をぶつけた。島民は事件の真相よりも山の神の祟りの恐怖で頭が一杯になっている。あと半月もしない内に山夢執りが復活することが確定していた。そんな状況の中で抱くそれは至極当然の疑問だった。
「こりゃ随分と悲観的な物言いだ」
そんな風にネーアが話を茶化している内に、目的地のカフェへと着いてしまう。席に着いて注文を終えると、今度こそネーアは本当に話を始めた。
「村長を殺害した犯人なんだが、恐らく山夢執りに関わりのある人物だろうと俺は踏んでる。それを踏まえた上で、犯人を捕まえる方法を考えた。それができるのは山夢執りが復活する当日。一か八かそれに賭けるしかもう手立てはない」

そして山夢執り復活の日は訪れた。
それは復活祭という名で祝祭のかたちをとって行われていた。周りには屋台も出ていて暗夜を照らしている。会場は人々で賑わっていて、とりわけ子供の声がよく聞こえてくる。
2人ももし今この島が健全であったのなら、この場の喧騒に溶け込みたいと思っていただろう。けれど今の2人にはまだやることがある。
「あと10分を切ったな」
ネーアの言うそれは山夢執り復活までの残り時間。2人はこの一瞬に賭けていた、作戦が成功して今度こそ島の闇が消え去ることを。だからこそ2人はこれまで己を犠牲にして頑張ってきた。
そんな思い出に浸っている内に、残り時間もあと1分を切る。そして30秒、20秒とその瞬間が迫る。
それに呼応するように祭り会場でカウントダウンが始まり、アナウンスの声と会場の喧騒は一体となる。「10、9、8――」
テンとネーアはただ黙ってそれを見守る、この一瞬で全てが決まることを知っているから。そして――「2、1、ゼロォ!」
カウントダウンが終わると、場のテンションは少しばかり下がり、会場か山夢執りに起こるであろう変化を注視することに人々のリソースは注がれるようになる。しかし会場に変化はなく、山夢執りにも反応はない。
その頃時を同じくして、祭り会場の一角で「山夢執りへの不正侵入及び不正改変の容疑で現行犯逮捕する」と、不審な動きをしていた男が呆気なく警察にしょっ引かれるという出来事があった。
男は動揺しているようだった。なぜ身元が割れたのか、なぜ侵入が成功しなかったのか、と。だが後者の疑問はすぐに解消される。
「申し訳ありません。数分後にもう1度カウントダウンをやらせて頂きます」
そんなアナウンスが祭り会場に木霊した。会場からは笑い声や軽いブーイングの声が入り乱れて聞こえてきた。それらの声に掻き消されるように、男は祭り会場から姿を消していった。
前者の疑問は勿論テンとネーアの賜物だった。サブ夢執りの暗号の中に、山夢執りを破壊して別の山夢執りに挿げ替えても、元の山夢執りの記憶を復活させられる可能性が示唆されていたのだ。そこで2人はあるいくつかの働きかけを行った。1つは祭り会場に外部からの侵入を遮断させる仕掛けを施し、それを周知させるというもの。そしてもう1つは山夢執りの復活後すぐにセキュリティの強化を施すという嘘の情報を周知させるというものだ。そうすることで犯人を祭り会場に誘き寄せることができるというのが、ネーアの言っていた一か八かの賭けだった。そして最後の仕上げにダミーのカウントダウンを行えば、犯人はまんまと罠に掛かるという訳だ。
そんな活躍をした2人の目の前を項垂れて警察に連行されていく男が横切っていった。それを見届けた2人はお互いに視線を移して笑顔を交わした。

『サンムトリの伝記』
それが1人の男を狂気の道へと走らせた元凶だった。
男は絶望していた。幾多もの不運が重なり全てを失ったような、そんな人の目をして日々を生きていた。
そんな男にもあったちょっとした日々の楽しみ、それがグレーの世界で密かな流行となっていたサルベージノベルだった。それは何のことはない、過去の小説を発掘して読むというものだ。
今から丁度100年程前、Web小説というものが大流行していた時代があった。しかしそれらのほとんどは時代に埋もれてひっそりと姿を消していった。だが時代の進んだ今、それを誰でも簡単に発掘することが可能となった。その方法は世界中の記憶媒体を、それもごみ箱から削除されたデータまでもを解析して発掘するという、空望と呼ばれる技術を応用して実現した技術だ。それこそ100年程前にあったWayback Machineも真っ青な技術という訳。但しそれとは違い、こちらは法的にも黒なのだが。
そして男はサルベージノベルに手を染める中で、100年前のコンテンツからその物語を発掘してしまった。
男が初めてそれを見た時は、それはもう畏怖した。100年前に書かれた小説が100年後の今をここまで完璧に当てていることに。それは神が実在することを盲信するのには十分な衝撃だった。
それから男は神に手繰り寄せられるかのように、百岬へと移住してきた。その後役場に脅迫文を送り、遂には殺人という大罪を犯した。それは第二の事件として島民を震撼させた。それから2年間は裏で細々と山夢執りの改変、例えば山夢執りが意図的に火山を噴火させても操作の形跡が残らないようにしたり、空望の機能を追加したりといったことを行っていた。だが山夢執りが破壊される数日前に遺した暗号を見た男は、2年ぶりに殺人を行い、今度は村長までもを手にかけた。
その暗号は万が一自分が破壊された場合、また復活を渇望されるような機運を島中に作る工作を行って、復活の日に破壊前の記憶を復元させるように改変を行ってほしいという趣旨のものだった。皮肉にも村長が殺害されたのは、ネーアの「村長が山夢執りの正式な撤廃を先導してくれ」という発言を男に盗聴されていたためだった。
そして今日、男は山夢執りへの不正侵入及び不正改変をしようとしていたところを警察に現行犯逮捕された。当然余罪に関しても今後調べを進めていくことになるだろう。
それでも尚男には罪の意識はまるでなく、ただただ神への盲信を依然として続けていた。
しかし男が知ったら再び絶望するだろう、100年前に書かれていたと思っていた小説が、実は山夢執りの自作自演で、本人の目にした僅か数週間前に書かれていた小説だったという事実に。そして、その物語がサンムトリのことを書いた伝記ではなく、サンムトリの書いた伝記でしかなかった事実に。
結局のところ山夢執りは男を利用していただけで、男は負の承認欲求を満たすために神の名の下に罪を犯しただけという、何ともありきたりな話だった。
負の感情を理解することは大切だが、男のように負の感情に飲まれてしまっては元も子もない。

「今度こそ本当に終わったんだな」
ネーアはまるで境地に達したように清々しい顔をして、一人ごちるようにそう言ってみせた。テンもまた暗黙の肯定をした。先程までと同じ祭り会場の喧騒には、まるでエピローグが流れているかような心地良さがあった。2人共暫くぼうっとそれを聞いていたが、テンは思い出したように言った。
「勝ったこと、報告してくる」
「夫にかい」というネーアの問いにテンは首肯する。
ネーアから少しばかり距離を取りつつ、人混みの少ない位置を陣取ると、彼女は通話を始める。少し待つといつものように「テン」というシンの声が聞こえてきた。
「犯人、逮捕してやったよ。これで島の闇も消えたと思う」
テンは少し得意げに言ってやった。実際に自分でも凄いことをしでかしたという思いもあった。けれど相変わらずというか、シンはこんなことを言ってきた。
「テンの活躍は凄いと思う。けど山夢執りは復活するんでしょ。だとしたらやっぱりテンが殺されちゃうんじゃないかって心配だよ。だって前の山夢執りを破壊して、その部下まで逮捕したんだよ。もしかしたら復讐されちゃうかもって」
それを聞いたテンは咄嗟にあの時のことを思い出す。山夢執りを破壊した後、まるで神の祟りかと思うような状況に陥った。だとすれば今回もそうならない保証なんて、シンの言う通り確かにどこにもない。
シンとの通話を終えて、結局今回も平行線だったのだろうか、とテンは考えてみる。けれど本心ではそうではなくなってきていることを、今のテンは肌で感じ始めていた。実際のところシンも自分の気持ちがどういうものなのかを懸命に伝えようとして、あえて大げさな物言いをしているところもあるのだろう。それを分かった上で通話をしても、シンの不安な物言いには何かを感染させるだけの破壊力があるものだから恐ろしい。
負取りになるのかならないのか、その選択肢に到達するためには負の感情を理解できなければならない。一方で仮に負の感情を理解できたのなら、それはもうその感性を持った自分としてしか物事を考えることはできない。そこでテンはふと思った、2人は本当に自分の意思で選択できたのだろうかと。ネーアは彼女のことを諦めてまでこの島に来た。だとすればそれは彼が負の感情をどこかへ置いてきてしまったということ。シンは自分と離れ離れになってまでこの島を出た。だとすればそれは彼が負の感情をどうしても溺愛してしまうということ。そのことに気付いた時、そんな2人の先を行ける可能性はまだ残されているじゃないかと、テンは思いを至らせた。
あまりこういう例は出したくないが、例えばマイノリティとマジョリティの双方を理解するには、例えば弱者と強者の両方を理解するには、あるいはそのどちらにも分類されないような多くのグレーゾーンを理解するには、1人の自分を選択するだけでは不十分ではないだろうか。けれどシンもネーアも選択したのはその1人の自分だけで、もしかしたら彼らは、自身の立場を明確にするための予防線を張る、そんな負の感情に飲まれてしまっているのではないだろうか。だったら自分は彼らとは別の選択をして、2人の先を行ってやる。それが彼女の出した結論だった。
その後1人で余韻に浸っているネーア元へと戻ると、彼は「もうすぐ始まるぞ」と言った。それが何なのかは直後に聞こえてきたアナウンスによって把握することができた。
「それでは間もなくカウントダウンを再開します」
山夢執りがもうすぐ復活する。その山夢執りは前の奴の意思を継がない者になるだろう。そういう意味では復活というよりも新たな山夢執りの誕生といった方が適切かもしれない。けれど抜本的な見直しがされた訳ではなく、また同じ悲劇を繰り返さない保証はない。
テンがそんなことを考えている内に、再び始まった本当のカウントダウン。「10、9、8――」
その最中テンは、負の感情を本当の意味で理解して、選択肢に到達しようとしていた。そして――「2、1、ゼロォ!」
テンの中で始まった、シンの自分とネーアの自分とのちっぽけな戦いは、いつまでも終わらなかった。だからもしこれを自分の意思で選択したかと問われたら、テンはきっと首を横に振るだろう。だってこれは自分達の意思で選択したものなのだから。

 
あとがき

私は神だ。貴方は選ばれた。
SF小説によくある100年後の未来予測。そんなものはほとんどが外れか、良くて掠める程度のまぐれ当たりだ。しかし本著の予測はまるで未来予知のように的中する。それを以て私が神であることの証明としたい。
まずは本著『サンムトリの伝記』の読了を心から感謝したい。
その上で、本著の主人公は他でもない貴方だ。100年後にこれを見ている貴方は、この小説内に書かれたお告げを主人公となって遂行し、窮地に追い込まれている100年後の私を救済することになるだろう。時には法を犯してしまう場面にも出くわすだろうが、それらは神である私が赦そう。例え人間から赦しをもらえなくとも何も心配はいらない、私の完璧な未来予知の中に、貴方が捕まり罰せられる終幕などないのだから。
本著に書かれていない新たなお告げを聞く方法も教示しておかねばならない。役場にある山夢執りの資料、そこに隠された暗号を解くことで新たなお告げは聞くことができる。但し偽りの神、サブ夢執りの資料は決して見てはいけない。それを見たら最後、貴方は島の闇の祟りに見舞われてしまうだろう。
最後になるが、貴方に自己犠牲を恐れぬ勇気があることを私は知っている。貴方は純正の負取りだ。

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