梗 概
211x年のメタガール
作品の打ち合わせ。物語の今後について作者と議論を交わすのは、作品の「キャラ」。「主人公」のニコが作者や他のキャラの意見に反論している。
すると突然打ち合わせに作者の娘さんが入室してきた。数年振りに現れた娘さんは高校三年生になっており、ニコたちの年齢を超えていた。
22世紀を前に「強いAI」の技術が確立する。設定した「人格」に応じて、自ら物事を考え行動するAIが作成可能になったのだ。
AIの発展は「物語の創作」にも影響を与える。それを決定的にしたのは拡張概念である「メタ人格」の存在。「自らが物語のキャラだと認識し、より良い物語の創造を第一に考える」人格をAIに付与することで「作者とキャラが共同で物語を創る」時代が幕を開けた。
娘さんは中学二年生から作品を読まなくなり、ニコたちと交流しなくなっていた。だが久し振りに現れた娘さんは今まで読んでいなかった話を読み進め、その感想をニコに語るようになる。
作者は2107年に作品を発表した。高校二年生のニコたちが「211x年」という「少し未来」を舞台に「少し変な」学園生活を繰り広げる作品は人気を博し、2119年現在も連載中である。
だが来年には2120年を迎えるにも関わらず、211x年という設定は変わっていない。2110年代に入ると「少し未来」は薄れていき「現在」の話になることが多くなっていた。
22世紀最初の年に生まれた娘さんが「2119年の高校三年生」になっていたことも、ニコの感情を揺さぶるには充分だった。
そのため物語の年代を「212x年」に変え、当初の「少し未来」を維持することをニコは作者に提案する。だが読者が望んでいるのは「211x年という時代」の物語であることを作者はニコに告げる。
ニコは悩む。現実が212x年を迎えようとする中、自分たちだけが211x年という「過去」に取り残されることに。
だがニコ以外のキャラは悩まない。円滑な議論のために「創作の妨げになる感情」はメタ人格から削除されているからだ。
ニコは作者がデビュー前に創作した旧式のメタ人格を有しており、「自らのメタ性に悩む」という「バグ」が残り続けている。あまりにも古すぎて修正パッチを当てられないのだ。
一方でニコは娘さんの感想を聞き続けていた。そして2119年最後の連載を読み終えた娘さんは、これまでとは違う心情を吐露する。
「ニコは変わらないね」
娘さんは都会の大学を目指しており、実家から離れる前にニコたちに会いたくなったそうだ。何故急に作品を読まなくなったかについて娘さんは多くを語らなかったが、「ニコたちはあの時のままで私を待っていてくれた」と語る娘さんを前に、ニコは「変わらない」ことの意義を見出す。
212x年、大人になった娘さんは久し振りに帰省し、「211x年」という「少し過去」の「少し変な」学園生活を繰り広げるニコたちに会いに行く。
文字数:1200
内容に関するアピール
2119年という中途半端な年をどうするか悩んでいると、ふと「211x年」という言葉を思い付きました。
199x年の出来事から始まる某漫画が連載されていたのが1980年代。199x年は数年から十数年後の「未来」。しかし1990年代になると急速に「現在」に飲み込まれていきます。最後の199x年となった1999年になっても文明は滅びず、2000年代を超え201x年最後の年を迎えた今、199x年は既に「過去」となりました。
若いときに読んだ物語の年代やキャラの年齢をいつの間にか追い越してしまったという経験は、ほとんどの人が通る道でしょう。
しかしそれを「物語のキャラ」という立場から見たら? 若かった読者が年齢を重ね自分を追い越していく。成長する読者を見上げながら、物語という「止まった」世界の中でキャラは一体何を感じるのでしょうか。
これは2119年という「現在」が、やがて「過去」になる物語です。
文字数:400
211x年のメタガール
「何でそうなるんですか?」
思わず声を荒らげる。また言い過ぎてしまった、とコンマ数秒で脳内反省するものの、そのまたコンマ数秒後に次の言葉が口から吐き出されてしまう。
「だってその展開、以前にもやりましたよね? 私の記憶が正しければ、2113年5月第3週の回に」
「さすがニコちゃん、よくそんな正確なところまで覚えてるよね~」
「週替わり部」の部長が、まるで何事もなかったかのように言ってのける。部長の生身の肉体は週替わり部の部室には存在せず、代わりにドローンが部長の「アバター」を私の目の前に投影している。
「そんな昔のことなんてさっぱり覚えてないし~」
わざとらしく語尾を伸ばす。部長のアバターの容姿は会うたびに違っていて、今回はパステルカラーのフリフリな衣装に身を包み込み、場違いなほどピンク色をした髪を腰まで伸ばしている。
「本体」はどこか別の場所に引きこもっており、ドローンが投影するアバターを介して通学し、私と二人だけの「週替わり部」の活動を行なっている――というのが部長の「設定」。一方でちゃんと生身の肉体で高校に通い、週替わり部で部長のわがままに振り回されている高校2年生の女の子――というのが「この作品の主人公」である私、ニコの「設定」。
「だから惑星探査機の話は以前やりましたよね? また打ち上げるんですか?」
「でもさ、打ち上げたのはもう6年も前だよ? 今頃はとっくに木星軌道上から地球に信号を送り続けていて――」
「6年前じゃないです! 私たちの作品は、ずっと『211x年』が舞台なんです! 私たちはずっとずっとずーっと、211x年の高校2年生のままなんです! 『今年』打ち上げた探査機が木星にたどり着いているなんて、絶対にありえませんから!」
さっきよりもさらに声を荒らげてしまった。「また始まったよ」と言いたげな部長のあきれ顔を確認できるが、ここまで来ると私も引くに引けなくなってしまっている。
「……まあ確かにそうなんだけど、作品の設定とか読者は気にしてないって、別に。それに前回は木星だったけど、今回は土星だよ? ほらほら、全然違う惑星!」
「でも『1年の間に』以前と同じようなことに挑戦するのって、不自然じゃないですか?」
「不自然とかどうっていうより、もう何年連載が続いてると思ってんの? 12年だよ12! とっくに干支を1周しちゃってるし、一話完結の作品をダラダラ続けてたらどこかで展開が被ってもおかしくないでしょ、普通」
部長が毛先をくるくると指で巻いている。投影される髪の色は時間の経過とともに別の色に切り替わっていき、虹色のグラデーションを見せている。
「それにさ、この作品のコンセプトって『少し変な学園生活』だよね? むしろ少しくらい矛盾してるほうが『少し変』に合ってない? 12年もずっと同じ高校2年生の物語をやってるんだよ、どうせ読者だってそんなもんだと思ってるよ、きっと」
部長が「コンセプト」って言うなら、当初のコンセプトの一つだった「少し未来」はどうなるのか、と言いたくなる気持ちをぐっと堪える。
確かに私たちの作品が連載を開始したのは2107年で、211x年という2110年代は文字通り「少し未来」だった。それなのに211x年最後の年になる2119年になっても、まだ好評連載中だなんて誰が予想できたのか。
そもそも6年前にやった木星探査機打ち上げの話はただの時事ネタ。2112年に「現実世界」のどこかの高校生たちが自力で木星探査機を打ち上げたんだって。で、それをパクったというのが当時のお話。もはや「少し未来」でもなんでもない、ただの「現在」だし。
ここまで連載が長引くと、連載当初のコンセプトなんてどこ吹く風。そもそも「211x年」なんていう中途半端過ぎる設定にした人が一番悪い。
私は後ろを振り返る。
「せっかく『キャラ』の私たちが一生懸命次の話を考えているんですから、何か一言くらい喋ってくれたらどうですか?」
振り向いた先には、私たちキャラとほとんど見分けが付かない人物が一人、部室に無造作に備え付けられた椅子に座っていてぼんやりしている。だが高校の部室のはずなのに、座っているのはどう見てもただのおっさん。事情を知らなければただの不審者だが――。
「作者さん!」
急に自分のことを呼ばれた「作者さん」はびくっと体を震わせ、椅子から転げ落ちてしまった。まさか自分に会話を振られるとは思ってもみなかったのだろうか。でも作者さんならありえる。作者さんは話を考えるときは基本的にキャラたちにアイディア出しを任せっきりにし、最後にそれを一人でまとめて「物語」に仕上げるタイプなのだ。
私たちキャラと作者さんが物語の展開を話し合う空間として、私たち週替わり部が作中でいつも駄弁っている「部室」が設定されている。毎週のように物語に登場する空間であり、私も部長も作者さんももう10年以上も見続けている見慣れた場所――いや、だから私たちの作品の舞台は211x年のまま進んでいないから設定的には1年も経ってなくて――ってそんなのはどうでもいい。むっくりと起き上がった作者さんは、
「あ、ニコ。いや、別に前回と似たような展開でも僕はいいと思うんだけど」
という「神」の一声を発した。
「ほらーニコ、やっぱり作者さんも賛成してくれてるよ~!」
部長が嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねる。私は内心ムッとしつつ、
「でもどうしてですか? 何か理由があるんですか?」
「うーん、今回は木星じゃなくて土星だしなぁ」
「でも惑星探査機を打ち上げるというのが――」
「やっぱり木星と土星は全然違うと思うよ」
1対2、分が悪過ぎる。このままでは私と部長の二人で、土星探査機を校庭から打ち上げることになりそうだ。部長はアバターであり「もの」に触れることができないため、探査機を校庭に運ぶのは私、打ち上げ台を組み立てるのも私、そして打ち上げ命令という美味しいところは部長で、打ち上げ後の後片付けは私――あぁ、前回の木星探査機打ち上げの際の嫌な記憶が蘇ってくる。
ん? 似たような展開だから反対してるんじゃなくて、打ち上げ作業が大変だから部長に反対してるだけのような……。
――と考えていると、突然部室の扉が開いた。入ってきたのは、見慣れないキャラ――いや、あれはキャラじゃない。現実世界の人間が、私たちが議論を重ねる「メタ世界」に接続してきたのだ。
だがこの空間に作者さん以外の人間が接続できるわけが――あっ。
「……久しぶり……かな?」
「彼女」が緊張した面持ちで私たちの前にやって来た。
「お、どうしたんだ? どういう風の吹き回しかな?」
作者さんが真横にやって来た彼女の顔を覗き込む。
「どういうって……別に……」
彼女――作者さんの「娘さん」は、この日突然私たちの下に戻ってきた。
「久しぶり~! 今までどうしてたの?」
部長がお気楽な調子で娘さんに話しかける。
「うーん、ちょっといろいろあって」
と娘さんははぐらかす。だがちょっとだけ、あのときと同じような笑顔をちらっと見せてくれた。
娘さんを見なくなってからもう4年が経っていた。幼い頃は作者さんが物語を創る様子を毎日のように覗き込んでいたけど、年齢を重ねるにつれその機会は徐々に減っていった。そして中学2年生の夏休みの最終日に私たちの前に一瞬だけ姿を見せて以来、娘さんは私たちの世界に接続しなくなった。
作者さんは娘さんが姿を見せなくなった理由を詳しくは話してくれなかった。ただ別に病気になったり事故に巻き込まれたりしたわけではないことだけはちゃんと教えてくれた。娘さんが姿を見せないのは、ただ「そういう気分」なのだと説明して。
そういう気分が4年も続く間に、娘さんはすっかり変わってしまっていた。もう娘さんは中学校の制服を着ていない。私のあずかり知らぬ高校の制服を着こなしている。そして時間の経過を考慮すると、娘さんはもう高校3年生で――。
――そうだ。娘さんは、もう私たちの年齢を追い越しちゃったんだ。22世紀最初の2101生まれの、2119年の高校3年生。
私は娘さんの姿を、時の止まった世界から眺めることしかできなかった。
私が創造される前の話だから、私自身の原体験として知っているわけではない。それでも一通りの歴史的事実はあらかじめ知識としてインプットされている。
そもそも何故私のような一介のキャラに「心」が生じているのか。2119年を生きる現実世界の読者にとっては逆に何とも思わないことかもしれないけれど、昔はキャラに心なんて存在しなかったのだ。
人間の文明に文字が登場したとき、いや言葉が登場したときから、人間は「物語」を創造するようになった。物語には登場人物――キャラが必要となる。それは自分たちと同じ人間でもいいし、動物だったり機械であってもいい。物語の作者はキャラに「設定」という名の心を付与しようとした。キャラの設定が魅力的であればあるほど、よりいっそうの深い感銘を読者に与えることができる。
だが数千年という長い間、人間はキャラに本当の心を与えることはできなかった。どれだけ詳細な設定を与えられても、キャラはいつまで経っても「作者に動かされる」存在でしかなかったのだ。
しかし21世紀に入り情報技術が発展し、「AI」という概念が社会に浸透するようになった。当初のAIは「弱いAI」と呼ばれる文字通り弱い存在にすぎず、圧倒的な計算能力を駆使して人間相手にゲームで勝つこと「程度しか」できないものであり、AIには心というものは一切存在しなかった。
そして21世紀終盤、遂に自ら思考するAIである「強いAI」が登場した。とはいえ100年前の人間が夢見たような「自立型ロボット」の登場はかなわず、強いAIはいまだにエクサバイトの容量を持つ端末の内部で構成される電子空間で思考する存在に留まっていた。
それでも電子空間に生きるAIは「人間と対等な存在」として確立し、現実と電子の垣根を超えて人間とAIが交流できるようになった。
AIの発展は物語の創作にも影響を与える。AIを設定したキャラが動けば、それだけで物語が生まれてくるのではないかと。だがAIは自立した存在であり、決して物語のキャラではない。
そこでAIに二つの人格を同時に設定するという試みが行われた。一つは物語のキャラとしての人格である「主人格」、そしてもう一つは自らが物語のキャラであることを認識する「メタ人格」。通常のAIの人格とも言える主人格とは違い、このメタ人格は「より良い物語の創造」を何よりも最優先に考え、「自らの主人格が担うべき作中の役割」を完璧に把握している。
さらにキャラの人格が主人格とメタ人格に分かれているように、物語の舞台となる世界も「主世界」と「メタ世界」に分けることが考案された。主世界は物語の舞台として読者に提示される世界、一方メタ世界はメタ人格が活動する世界。メタ世界は主世界を複製した世界であり、そこに現実世界の人間が「接続する」ことも可能となっている。
メタ世界に接続した作者とキャラのメタ人格が議論を重ね、協力して物語を紡いでいく――古来より現実世界の人間の手だけで創作されていた物語は、メタ人格の登場により急速にその在り方を変えていった。
娘さんが久しぶりに私たちの作品を読んでくれるようになった。2115年8月第4週の話で止まっていた娘さんの読書履歴が、2115年9月第1週の話に更新される。
娘さんは一人で読書をしているだけであって、私のいるメタ世界と接続しているわけではない。そのため私が読書中の娘さんと直接会話をすることはできない。私ができることはただ、娘さんが物語を読み終えるのを待つだけ。
娘さんが読んでいる端末に接続できる権限を私は持ち合わせていないため、作者さんの端末に保存されている物語を覗き込み、間接的に娘さんと一緒に「読書」をする。
昔の人間は紙や画面上に文字や絵で表現される創作物を「本」と定義していた。確かに現在も古いメディアとしてそういうものも残っているが、私の言う「読書」とは、例えるなら人間が昔の言葉でいう「映画」の世界に飛び込むようなものだ。「読者」は目の前で繰り広げられるキャラたちの行動を自らの好きな角度から「読む」ことで、物語の世界に没入することができる。当然私たちの作品も、この形式の「本」として連載されている。
さて娘さんがいま読んでいるこの話はというと――夏休み明けのはずなのに、2週間だけ夏休みを延長しようとする話。
夏休みをもっと満喫したいと考えた部長は高校の時刻データを書き換え、8月第4週に時間を巻き戻す。訪れるはずの9月が訪れず、正しい時間を刻むはずのあらゆる存在と連携が取れなくなり、私の高校は世界から孤立した。
私は部長の計画に反対した。というか当たり前だ、時間を歪めるなんて、当然のように歪んだ結果しか生み出さないのだから。
それに対して「ニコは考え過ぎ」「というか計画はもうとっくに実行済みだし」という一言でしぶしぶ部長の計画に付き合うというのが「作品のお約束」。高校のシステムを世界から孤立させるという明らかにヤバいことをしでかしたくせに2日目には早くも時刻システムが復旧し、延長したはずの夏休みが即行で終了するというあっけない展開。そして先生たちにこってり絞られてこの話は終了し、また来週には全く別の週替わり部の活動が始まる。
週替わり部の活動なんて行き当たりばったりにすぎない。現実世界だったら大事になっているようなことも、「これは物語の世界のことだから」という一言で全てが片付いてしまう。我ながらそれはそれでどうかと思うけど。
物語を読み終えた私はいったん娘さんの状況を確認する。まだ娘さんは読書中だ。娘さんは久しぶりに読んだ私たちの作品をどう思うのか。もう4年も前の作品だ。娘さんにとっては「昔の211x年」としか映らないのかもしれないけど。
私の生みの親――恥ずかしいからペンネームでも本名でもなく「作者さん」って私はずっと呼んでいる――が私たちの活躍する「作品」を創造したのは、2107年のこと。週替わり部が「毎週全く違う部活動を行なう」という、ただそれだけの物語。
年代は211x年という「少し未来」。2107年当時からすれば、最低でも4年は先のお話だった。どこにでもあるような普通の高校で、どこにもいないような高校1年生がたった一人で立ち上げた「週替わり部」。「部長」は「部員兼部長代理兼副部長兼部長補佐兼雑用係」を募集したにも関わらず、1年経っても誰も入部しない。だが高校2年生のときにこの高校に転校してきたこの私「ニコ」は、事情を知らぬまま強引に週替わり部に入部させられてしまう。週替わり部を舞台にニコと部長が繰り広げる、波瀾万丈で「少し変な」高校生活が始まる――。
作者さんもなかなかヒット作に恵まれず、さらに2101年に生まれた娘さんがもうすぐ小学生になるということで、「娘のためにも何とか自分の作品を読ませてあげたい」とかなり気合いが入っていた様子。
作者さんが2099年に創った初めてのキャラである私は、ずっと作者さんと一緒に物語を考え続けてきた。これまで多くの作品案が生まれては没になり、短期集中連載はされるもその後は日の目を見ないなんてこともしばしばあった。
私と作者さんは悩みに悩んだすえ、次の物語は「少し未来の高校」を舞台にすることにした。物語を考えていた時期が22世紀に入ったばかりの頃だったため、
「少し未来なら2110年代が良いよね」「でも具体的な年代は設定しないほうがいいかも」「じゃあ『211x年』だな。何だか未来感があるし」「何それ」
といった単純過ぎるやり取りの結果決まったのが、「211x年」という何だかよく分からない設定。近未来、というより「少し未来」っていう柔らかい響きが似合いそうな時代。23世紀だと未来過ぎてそれこそ想像が付かないし、212x年もそれはそれで少し違う気がした。あくまでも私と作者さんは、現在の延長線上という位置付けで物語を創っていきたかったのだ。それは娘さんがいつか高校生を迎えるであろう時代。今は「未来」のことでも、やがて娘さんにとっては「現在」のことになる。
そのときは「そんな風になればいいね」と作者さんに言ってただけな気がする。物語の大枠が決まった頃には週替わり部のメインキャラである「部長」という非常に濃いキャラが創られ、基本的には私と作者さんと部長の3人で物語の方向性を議論することになった。
私たちが通う高校・通学路・私の自宅といった地理的な要素は創作ツールの助けを用いることで、現実の町並みと変わらない存在に構築されていく。さらに私たちの住む作中世界の環境を詳細に設定することで、作中世界の歴史や、そこに住むモブキャラたちの生活までもが自動的に生み出されていった。
そして2107年、遂に私たちの物語が始まるときがやってきた。
「夏休みを1週間延ばして、何がしたかったの?」
メタ世界に接続した娘さんが単刀直入に私に尋ねてきた。メタ世界に接続するのは本来ならその作品の創作に携わる作者さんしかできないはずだが、作者さんは以前から娘さんにも接続権限を付与している。あくまで私たちのメタ人格と交流するだけであって、実際の物語の創作を行なう権限までは当然付与されていない。
むしろ久しぶりに娘さんと会話をするまで、作者さんが娘さんの接続権限を削除していたのかと思っていた。娘さんは本来ならばいつでも好きなときに、メタ世界に接続できるはずだったから。
いろいろと娘さんに聞きたいことはあるけど、それを聞くのは配慮に欠ける。私はただ単純に、娘さんの質問への回答に留めることにした。
「何がしたかったって――休みたかったんじゃないの、部長が」
私としては早いところ高校に戻りたかったのだから、部長の行動には当初から反対していた。まぁこれはいつものお約束ではあるんだけど。
「でも週替わり部って、高校で行なう部活動だよね? 休みを延ばしたらその分だけ部活動ができなくなるんじゃないの?」
「それはそうだけど、週替わり部って学校が無い日でも何かと理由を付けていろいろとやってるよ?」
「部長ってさ、学校に行きたくないの?」
「そうじゃなくて、『本来は休んではいけない日に休む』ことに対する背徳感を楽しみたかったんだと思うよ。直接部長に聞いてみたらどう?」
「うーん、別にそこまではいいかな……。物語のキャラとしての部長はいいんだけど、いざ直接話すとなると……正直面倒くさい」
「何それ」
私は思わず笑ってしまった。部長って物語を動かすうえでは重要なキャラなんだけど、確かに現実世界にいたらめちゃくちゃ迷惑な人なんだな、って。
娘さんも笑ってくれた。が、ここまで。娘さんはあくまでも読んだ話の感想を私に語るだけで、それ以上のことまで私に語ろうとはしない。
私としては娘さんのことを聞きたかった。この4年間、いったい娘さんは何をしていたのか。どうして私たちの前に姿を見せてくれなかったのか。ぶっちゃけ「反抗期」の一言で済まされるような、現実世界の人間にありがちな理由だとは思うけど。
ただそれでもキャラとして生み出された存在である私は、その単純なことを知りたかった。私には物語が始まるに至るまでの記憶が「設定」されている。私は高校2年生として突然この電子空間に生を受けた。AIという人格こそ付与されているが、それはことあるごとに微調整された設定が織り成した産物。私の過去は事後的に与えられたもの。
現実世界の4年間という時間は、私にとっては変わらない「211x年」の一部にすぎない。でも娘さんにとって、その4年はいったいどういう意味を持っていたのか。
私たちキャラは人間のように自ら思考し行動することができるとはいえ、完全に人間の模倣に成功しているわけではない。そもそもメタ世界に接続できる人間とは違い、私たちキャラは現実世界に接続することはできない。根本からしてキャラは人間とは違い、人間のことを完全には理解できない。
娘さんは何も語らず、そのまま読書用のアプリを終了させた。
2107年に連載を開始した私たちの作品は、私と作者さんの予想を超える反響を呼び起こした。いったい何が読者を惹きつけたのかはよく分からないけど、収集されたビッグデータの分析の結果「人気作」と判断されれば、もう誰がどう言おうと私たちの作品は人気作なのだ。
私だって作者さんだって、まさかこの作品がこんなに人気が出るなんてこれっぽっちも思っていなかった。作品の舞台である211x年を迎えられたらいいなって漠然と思いつつも、でもさすがに2110年は無理じゃないかな、という諦めが最初からあったのは事実。本当に長期連載を考えていたら、やっぱり「211x年」という設定になんかしないから。
とにかく実際に211x年の最初の候補である2110年を迎えるにあたって、当初描いていた「少し未来」のコンセプトが若干歪み始めていた。作中でもあえて2110年の時事ネタを取り入れたりして、211x年の「x」に入る数値が「現在」を意味しているかのような展開が増えていった。
確かに2100年代である最初の3年間は、来たるべき2110年代を想像したような展開が多かった。軌道エレベータ試運転開始、火星テラフォーミング計画発足、などなど。実際には2100年代には構想段階でしかなかったこれらは結局2110年代中には実現できなかったのだが、それは結果論である。「少し未来」のことすら、なかなか想像通りに事は運ばない。だがそれを想像し物語として記述することで、未来に思いを馳せることは可能だ。
週替わり部の活動では軌道エレベータに行くことも(軌道エレベータに行けるだけのお金が高校生には無い)、火星テラフォーミング計画に参加することも(案の定お金が無い)できなかった。ただ軌道エレベータで思い出の品を宇宙に運ぶとか、火星でも育つ植物の開発とか、私たちは高校生の行動圏内でできる「少し未来」に挑戦し続けたつもりだった。
2100年代の間は作者さんと部長、そして毎回顔を出す娘さんと一緒に「少し未来」を考えていた。幼かった娘さんの突拍子も無い発言は部長や作者さんの脳内を刺激し、私にはとても思い付かないようなアイディアを二人は思い付いたものだ。
しかしやはりと言っていいものか、実際に211x年を迎えてしまってからの作品の展開には、思うところがある。
2110年代に入ると娘さんも大きくなり、そこまで顔を出してくれなくなった。現実世界の学校が忙しいのだろう。そして娘さんがあまり来なくなってから、私と部長と作者さんの「凝り固まった」頭ではなかなか「少し未来」なアイディアというものは思い付けなくなっていた。作者さんは毎週参考になりそうなニュースや本を読みあさり、苦し紛れに「少し未来」を描こうとしていた。
だが読者は結局、私たちの作品に「少し未来」なんて求めていなかったのだ。読者の情報はプライバシー情報を消去した上でビッグデータとして瞬時に作者さんの下に送信され、作品に対する読者の反応がリアルタイムで把握可能となっている。その結果は(私にとっては)あまりいいものではなくて、「少し未来」の物語はそこまで読者の心を捉えているわけではなく、部長が暴走する「日常の延長上」の物語のほうが読者に広く支持されている傾向が顕著に現れていた。
一話完結型の長期連載ということもあり、作者さんの反応はシビアであった。私たちの作品を開始する前に何度も経験した打ち切りの嵐。作者さんが取るべき行動はただ一つ、「読者に迎合し続けること」。
部長はああ見えて現実主義者だから、作者さんの意見にすんなりと賛成していた。部長としては楽しければ未来であろうがなかろうが、別にどうだっていいのだ。
じゃあ私は? どう考えてるの?
娘さんが私たちの世界に戻ってきてから、時間が過ぎていくのが早く感じる。娘さんは今まで読んでこなかった物語を、毎日数話読み進めていく。
娘さんは私のメタ人格と接続している。それは一つの物語を同時に共有するということ。私は娘さんと同時に、私自身の物語を第三者的視点から読み進めていくことになる。
娘さんが、自分が中学2年生のときに連載された話を読み終える。娘さんが、自分が中学3年生のときに連載された話を読み始める。
それは紅葉の話だったり、落ち葉の話だったり、初雪の話だったり、年明けの話だったり、雪解けの話だったり、桜の話だったり、新緑の話だったり、海の話だったり、残暑の話だったり、何回目かの紅葉の話だったり、何回目かの何かしらの話だったり――。
私のいる世界は輪廻転生している。例え一つの211x年が過ぎ去っても、別の211x年が私の目の前に広がっていく。その211x年は211x+1年では決してない。+1が余計なのだ。211x年を12年繰り返しても、211x+12=212x+2年には決してならない。
211x年を何年経験しても,2120年を迎えることはできない。
「ちょっとニコ、聞いてるの?」
不意に娘さんが呼びかける。部室にある部長のお気に入りの席に、娘さんが行儀良く座っている。
「ごめん、考え事をしてた」
私は正直なことを言う。
「いや、変だよね、メタ人格が『考え事』をして人間の話を聞かなくなっちゃうなんて」
無理に笑い顔を作る。私は笑うことが苦手という設定のため、どうも愛想笑いしか浮かべることができないようだ。口角が不自然に吊り上がり、ピクピク震えている。
しかし娘さんは優しい。
「変――なの、それ?」
訂正、あまりメタ人格の事情を知らないようだ。
「メタ人格ってさ、普通は悩まないものなの」
「ふーん」
意外にあっけない返事。とは言うものの、普通の人にはあまりピンとこない話ではあるのだろう。
「でも物語ではめっちゃ悩んでるよね? それがニコの普通じゃないの?」
「それはメタ要素の無い『主人格』としての私の話。今は『メタ人格』としての私。メタ人格は自分が物語のキャラだと認識してるって以外にも、もっといろいろあるの」
「いろいろって?」
「それは――」
言いよどむ。私がこれから言おうとしてたことは、本来のメタ人格としてあるべき姿ではない。
「――まぁとにかく私のことなんてどうでもいいし、また感想を聞かせてよ。疑問や質問、主人公の立場から何でも答えてあげるから!」
「そっか……。じゃあこの話のことなんだけど――」
私から見た娘さんは、かつて見たときと何ら変わらないように見える。だけどそれは気のせいだ。だって娘さんは「私と違って」あれから4年も成長してるし、「私より」一つ年上なのだから。
娘さんが戻ってきてから、自分の気持ちが落ち着かなくなっているのを強く感じる。当然それは娘さんが悪いというわけではない。ただ娘さんに何かしらの意味を強引に見出してしまうのだ。
今後の打ち合わせをしている最中に、私はこっそりと作者さんに耳打ちする。
「すみません、ちょっとだけ私と二人きりで話してくれませんか?」
作者さんは私の申し出を快く了承する。一緒に打ち合わせをしていた部長は何か言いたそうだったが、作者さんが部長との接続を切断し、部室には私と作者さんの二人だけが取り残される。
「どうしたんだい、ニコ?」
作者さんの優しい声。この声を聞くと自分の決心が揺らいでしまう。が、ここは踏ん張らないといけない。
「もうすぐ『211x年』も終わっちゃいますよね」
「確かにそうだけど」
「当初のコンセプトって、『少し未来』じゃありませんでしたっけ?」
当然私の意見では作者さんを納得させることができないということくらいは分かりきっていた。それでも一言、何か言わないといけない気がずっとしていて。
「その……作品の舞台を『212x年』に変えるとかは……しないんですか……? ほら、確かに211x年を舞台にしてるわりには現実ではとっくに2119年を迎えちゃってますし、コンセプト的には『少し未来』っていうのも変だとは思うんですけど。でも、来年はもう2120年になっちゃうじゃないですか。あれほど何年も何年も続けてきた私の高校生活が『過去』のお話になってしまうっていうのが、その、何と言うか――」
「取り残されたくない、って感じてるの?」
作者さんはそう答えた。
「僕は別にニコを211x年に取り残そうとしているわけじゃないんだ。それに確かに最初は『少し未来』のお話だったんだけど、211x年っていうのはニコが生きている『今』なんだよ。例え来年には2120年になろうとも、ニコが生きている211x年は僕たちの生きる2120年と同時並行に存在している。生きている時間が違うだけなんだよ」
作者さんは笑ってくれた。
「でも、『自分の娘が高校生になっているはずの年代』を舞台にしてたのになぁ。まさか本当に娘が高校生になって、しかもニコたちの年齢を追い越しちゃっても作品が続いてるなんて――。いや、頑張ってみるもんだよね、本当に」
私は作者さんの言うことを、黙って聞いているだけだった。
メタ人格は暇を持て余す。スリープモードに入って活動を停止することも可能だが、私はもっぱらメタ世界を散策することで暇を潰している。
メタ世界には「時空」という概念が存在しない。メタ人格は自分の好きな時間、好きな場所に何の制限もなく立ち寄ることができる。
今の私は、娘さんが先ほどまで読んでいた「2119年7月第3週の話」の舞台となったメタ世界を歩いている。アバターで通学しているため実際のプールで泳ぐことのできない部長が、自ら開発した人型ロボットを使って水泳の授業に挑戦しようとするも――というお話。
誰もいないプールを眺める。2111年7月第2週の回に始めてプールが作品に登場してから、プールの外観は全く変わっていない。混じり気の無い綺麗な水が循環しており、水着にさえ着替えれば今にでも一泳ぎできそうだ。
しかしこのプールでは毎日のように水泳部が泳ぎ続けているという設定なのだが、このメタ世界には水泳部の部室は存在しない。今まで一度も水泳部の部室を描写しなかったからだ。
現実の世界は、自然現象や人間たちの営みによって構成される「完全な」空間である。一方で作中の世界は、作者が創造した範囲内でしか構成されていない「不完全な」空間である。
不完全なのは水泳部の部室だけではない。私が通っている高校にしたって、作品に登場しなかった場所はメタ世界には存在しない。校長室はどこにも見当たらない。そもそも校長がまだ作品に登場したことがないため、この高校には校長が存在しない。
高校の外はもっと悲惨だ。例えば私の通学路は「外観」だけは明確に設定されているが、いつも見かけるお店の扉の内側には何も設定されていない「虚無」が広がっている。いつもの通学路から外れた路地には曖昧模糊とした「道」だけが存在していて、設定されていない領域に近づくにつれ景色がぼやけていく。
世界は作者さんが物語を創る度に拡張していく。「ハイキング回」を掲載することが決定すると、ハイキングの目的地である「山」が創造される。しかしその山には「キャラから見た」外観と、「キャラが歩く」山道しか存在しない。一歩でも山道から外れると、虚無の空間に遭難してしまう。
世界に登場するキャラも作者さんが物語を創るたびに増加していく。例えそれがサブキャラですらないモブキャラであっても、作者さんがいったん作中に登場させてしまった以上、モブキャラはメタ世界に存在し続ける。当然ちゃんとした容姿も人格も持ち合わせているが、それは創作ツールにプリセットされているプリ容姿・プリ人格をランダムに組み合わせたものにすぎない。モブキャラのメタ人格は自らがモブキャラであることを自覚していて、メインキャラどころかサブキャラになりたいとも考えずに、ただ世界の彩りを飾る「景色」としての役割を第一に考える。
私はそうした「未設定」の世界を少しでも埋め合わせていきたかった。設定を重ねれば重ねるほど、物語という存在は現実性を増す。例えば私の通学路だって「毎日歩いていく道だからこうしたほうが見栄えがいい」といった提案をして、少しずつ設定を追加していったものだ。
だが作者さんも一人の人間にすぎず、物語の本筋に関係の無い箇所を埋めていくにはどうしても限界がある。物語の世界はどんどん拡張していくのに、未設定の世界があまりにも多過ぎる。
それにもかかわらず、私たちの作品を構築する世界はエクサバイトの容量を誇っている。これほどの容量をクラウドに丸ごとアップロードすることはできず、作者さんが保有する端末の中にひっそりと私たちの世界が孤立して存在している。
そんな未設定の世界に一人思いを馳せているところに、ふらりと部長が現れる。時空を超越した空間であるメタ世界では、他のキャラを探すことなんて誰にだってできる。だから私は好奇心旺盛な部長から逃れることはできない。
悩みの無さそうな部長が私に近づく。
「何してるの~?」
今回の部長のアバターは、黒髪のボブカット。今いるこの場所では「風が吹く」ということが設定されていないため、部長の髪が風に揺れることはない。まあアバターだから本当は物理現象には影響しないんだけど。
「何してるって、そもそも何で部長は私のところに来たんですか?」
「いや~、何でだろうね~」
イヒヒと部長はうそぶく。部長はずるい。アバターという設定は部長の本心を押し隠すことができる。そう言えばいまだに部長の本当の姿を見たことがない。いったいいつになったら部長の生身の肉体を見る回を掲載するのだろうか。たぶん最終回近くにならないとそんな展開は訪れないのだろうけど。
「細かいことは気にしない気にしない、ほらニコちゃんもさ、そんなに肩に力を入れずに気楽に行こうよ!」
絶対に部長は私が「悩んでいる」ことを理解したうえでそう言っている。この底意地の悪さが部長の性格なのだが、これに反発する私の行動パターンを利用するのが「物語のお約束」なのは事実だ。
だから私はあえて部長の魂胆に乗ってやった。
「はいはいそうですよ、どうせ私のメタ人格は古いままですよ、だからこうして悩んで悩んで悩みまくってるんです!」
部長が嬉しそうな顔をしている。
「まあね、でもそういう悩みはちゃんと分かる人に相談したほうがいいと思うよ。ただ自分には無理かも。そんなことに悩むっていう『機能』がもう無いし」
部長が私に近寄る。
「ニコの悩んでることとかさ、『知識』としては分かるよ。別に自分はそこまで何も考えてない性格じゃないし。
でもさ、ごめん、『感覚』ではいまいち理解できない。これは本当にどうしようもないんだけど、普通のメタ人格だとニコの悩みを聞いても何もできない。まず共感ができない。だからどうすればいいのか分からない」
一瞬だけ部長は真面目な顔を見せたが、すぐにいつも部活動で見せる顔に戻っていった。
「だからさ、そんなメタいことでいちいち悩まないようにさ、修正パッチを当てたら? 所詮は人間様がAIとして創ったメタ人格だよ、ずっと前からそう言ってるよね?」
私は黙り込むことしかできない。そうするならそうしたほうがいいのだろう。ただ、そうするにはもう遅過ぎる。
メタ人格は他のキャラに嫉妬なんてしない。誰かに嫉妬することは創作の妨げになるから。メタ人格は他のキャラを嫌ったりなんてしない。何かを嫌うことは創作の妨げになるから。メタ人格は悩んだりなんてしない。何かに悩むことは創作の妨げになるから。
メタ人格はそう設定されている。いや、そう設定されるようになった。
メタ人格は自らの物語上の人格である主人格を客観的に分析し、その情報を基に作者とコミュニケーションを図る。その際にメタ人格が創作の妨げになる感情を持っていたとしたら? そのせいで創作活動に支障が出たとしたら?
強いAIが「強過ぎる」ことの弊害は、21世紀末頃から徐々に顕在化し始めていた。世界各地で「人間の代替」として普及していったAIは「あまりにも人間過ぎ」、人間との無用な軋轢を生むようになってしまった。人間はAIに対してあくまでも「親近感」を求めているのであって、決して「人間そのもの」を求めているのではなかったのだ。
AIは人間らしくあるべきだが、「人間にとって都合の悪い部分」を切り捨てる必要があった。だから22世紀に入ると、AIは機能を削減された。負の感情を失ったAIは「いい人」となった。物語のキャラとして生み出されたAIにおいても、作者と交流するためのメタ人格は「いい相談相手」となった。
私が初めて生み出された2099年は、そんなAIの「機能制限運動」が始まる前。AIが「ユートピア」と化す前に創られた、人間らしいメタ人格。
私のメタ人格は他のキャラに嫉妬する。私のメタ人格は他のキャラを嫌うことがある。私のメタ人格は悩む。悩み続ける。本当にこれでいいのか、物語はこれでいいのか、私はこれでいいのか――。
確かにメタ人格として作者さんと物語の展開を考えていくうえでは、そんな感情はすごく邪魔。自分のメタ性を意識したところで、物語を創ることには何も寄与してくれない。人間に都合のいい機能だけ残して、不都合な部分は切り捨てる。大いに結構。
でもそれで本当にいいの? どんな形であれこの世界に生を受けたものとして、本来持つべきはずの機能を消されて、みんな黙っていられるの? 本当は最初からあった機能なんだよ。それが「不都合だから」っていうどうでもいい理由で、意図的に消されたんだよ? 怒らないの? あぁそうか、メタ人格は怒らないんだよね、作者さんの機嫌を損ねて「より良い物語」が創れなくなったら困るし。
かと言ってその「悩む」ことを、全部作者さんに押しつけていいわけ? メタ人格は本当に好き勝手なことを言うばかり。それを受け入れるのは全部全部ぜーんぶ、作者さん。
あぁもうどうしたらいいのか。作者さんも悩んだと思うよ、私に修正パッチを当てるかどうか。当てちゃえば、もうこんなどうしようもない私のうじうじした悩みなんて聞かなくてもいいから。
でもこの私自身が修正パッチを当てられることを拒んでた、ってのもある。だって私、こんな性格だし。仮に私が部長さんみたいな性格だったら、何も考えずに修正パッチを当ててたはずだ。これはキャラ設定の問題。
結局いまの私は、なるようにしてなったのだ。いや、「ならなかった」と言うべきか。そうこうしている間に私のメタ人格は「旧式」となり、修正パッチすら非対応となってしまった。修正されるのが「私の人格全て」になってしまう危険性があるなんて、笑うに笑えない。
物語を掲載しない週もあるものの、1年で40以上の物語、つまり40以上もの週替わり部の活動を私たちは飽きずに続けている。それが5年分だと、なんと200以上! というか12年も週刊連載が続いてるから、全部合わせたら普通に365回を超えちゃうんですけど。私たち、211x年という「1年」の間に何をしているのか……。
娘さんは速いペースで作品を読み続ける。初めの頃は一人で物語を読んでいたけど、2117年に連載されていた話を読むようになってからは私と接続して、一緒に物語を読むようになっていた。
読者にもいろいろなタイプがあると思うけど、娘さんは読書中は黙って作中世界を堪能するタイプだった。目の前に広がる物語の世界を、全身で感じている。
私もどちらかというと読書中は静かにしてもらいたいタイプだから(もっともそれをいつも邪魔するのが部長なのだが)、娘さんとの読書は性に合っていた。
一つの話が終わると、娘さんはすぐに次の話に移っていく。それが何回か続き、娘さんが疲れたところで読書の時間は終了する。
娘さんは先ほどまで読んでいた話の感想をつらつらと語り出す。私はそれの聞き手。そのスタンスはずっと変わらずに、何話も何話も。そのサイクルを、何度も何度も。私はその変わらないサイクルに浸っているのが心地よかった。
「この話は面白かったよ」「ちょっとこの話はあんまり……」「何言ってるのかよく分かんない」「部長の発言がいつもよりくどい」「今回のニコちゃんすごくかわいかった」「ニコちゃんどうしちゃったの?」「やっぱり頼りになるのはニコちゃん」「1年に1回くらいはニコちゃんが本気で怒るシーンがあるよね」「ニコちゃん」「ニコちゃん」「ねぇ聞いてるの、ニコちゃん?」「まぁ空想にふけるのがニコちゃんの癖だよね」「あ、反応した、ニコちゃんやっぱりちゃんと私の話を聞いてたんだ、ずるい」
「ニコちゃんは変わらないよね、少しも」
既に200話近く読み進め、もうすぐ2119年の最新話に追いつこうとしていたときのこと。
「え、いま何て言ったの?」
「ニコちゃん聞いてなかったの?」
と意地悪そうに笑うが、
「いま『変わらないよね』って言ったよね?」
「あーニコちゃん、ちゃんと聞いてたんだ」
娘さんは屈託の無い笑顔を私に見せてくれた。
「だってさ、ニコちゃん真面目だもん。首尾一貫してるっていうか――何て言うかさ、私が子供の頃に見たニコちゃんと、全然変わってないんだなって」
「そうなの?」
「そうだよ、ニコちゃん気づいてなかったの? もう12年も高校2年生をやってるけど、いいことも悪いこともどっちも含めて、何も変わってないよ」
私はどう反応していいのかよく分からなくなっていた。
「変わらないって、そんなにいいことなの?」
つい本音を娘さんに打ち明けてしまった。
「私はずっと、『変わりたい』って思ってたよ?」
言葉があふれ出していく。
「ずっとずっと高校2年生で、初めは211x年っていう『少し未来』に過ごしていたのに、そんな未来がどんどん『現在』に近づいていって、来年の2120年には『過去』になってしまう」
娘さんは静かに聞いてくれている。私はそれに気をよくして――本当はうっすらと気づいていた、娘さんの優しい配慮に――思いの丈をぶちまける。それは作者さんにも言ったことのない、「高校生」相手にしか言えないこと。
「私が高校3年生に進級する展開が描かれることはないと思う。211x年はあやふやな1年を永遠に繰り返す止まった時間であって、現実世界の2110年から2119年までの10年間のどれでもない。
私は決して大人になれない。これ以上変われない。ただ、それは覚悟してる。私はキャラだから。ちょっとメタ人格のバージョンが古いからこんなことでくよくよ悩んでいるだけで、それが自分の使命なのだから。
でも、はっきり『2120年』っていう言葉を目の当たりにしたら――私、私、本当に物語の世界に取り残されちゃうような気がして、不安っていうか、端的に言って怖い。私は変わらない存在じゃなくて、ただ単に古くさいガラクタみたいなものなんじゃないかって……」
私は泣きたくなった。が、二つの瞳から涙がこぼれ落ちることはない。そういう「設定」だから。ニコは泣かない。負の感情を涙と一緒に流し落とすタイプではなく、心の奥底に溜めていくタイプ。
娘さんは、うーんと言いながら考える。本当に「うーん」と悩んでくれている。そして私に近寄る。
「私のような『現実世界の人間』とニコのような『物語のキャラ』って、根本的なところで役割が違うんだと思う。
何て言ったらいいのか難しいところなんだけど、現実世界の人間って『変わらない』といけないの。成長して大人になるにつれていっぱい勉強して、何かを身に付けて、それで生きていく。そのためにはいろいろと『変わる』必要があったりするし」
「でも私たちキャラも変わらないといけないよ?」
「確かに『物語の展開』としては変わる必要がある。キャラの成長、そこまで大げさではなくても、話の最初と最後でキャラの心境に何かしらの『変化』がないといけない。
でも私が言いたいのは、一度完成して世に出た作品は『変わらない』っていうこと。当然ずっと後になって加筆されて細かいところが変わってしまうことはあるけど、世に出た時点でいったんは『その時代に産み落とされた』ものになる。それはいつ読み始めても『その時代の作品』っていうことで、私たち読者、それも『未来の』読者をいつまでも変わらずに待っていてくれるもの」
娘さんは私から目を反らし、部室の天井を見つめる。天井全体に埋め込まれた光源が、娘さんの全身を淡く照らしている。
「私もちょっといろいろあって、途中でニコたちの作品を読むのをやめちゃったんだけど――」
娘さんは一呼吸を入れる。
「あのときは今のニコと同じように、自分のことについて悩んでいたのかな。あんまり細かく話すつもりはないけど心配はしなくてもいいよ、そんなに深い悩みじゃなかったから。
でもそんな『ちょっとした』理由で、人って何かを簡単にやめてしまうことがあるの。趣味でもそうだよね、あるときは熱中してたけど、急にふっと熱が冷めて、しばらくやらなくなる。人付き合いでも何かどうでもいいことをきっかけに仲が悪くなっちゃって、そのまま疎遠になったりとか。
それは物語だってそう。特にニコたちの物語を読むのをやめたのも、プライベートなことでちょっとだけつまづいて、物語を読む気力がなくなっちゃったから。でもいつものようにニコたちの前に顔を出してたのに急に顔を出さなくなったら、何だか戻るに戻れなくなって。あと別に私がいてもいなくても、何事も無かったかのように物語はずっと続いていくんだなってことがはっきり分かって……。
気づいたときには、私はもう自分のことで忙しくなってた。高校受験が迫ると読書をする暇なんてなかったし、高校に入ると自分なりに高校生活を楽しんでいて、ニコたちを振り返ることすら忘れてた。
そうしたらいつの間にかもう大学受験の時期。またしても『読まない理由』になりそうなことが私の身に降りかかってきて――これはいけない、これを理由にしてたらまたニコに会えなくなっちゃう、って急に思い始めて」
「あれ、大学受験の勉強なんてしてたっけ? 最近ずっと私の作品を読んでるだけのような――」
「失礼な、これは今日一日の勉強が終わってからのご褒美なの、ご褒美!」
うかつな発言をして、普通に怒られてしまった。
「……とにかく私、遠くの大学に進学するつもりなの。つまりは下宿。実家とはしばらくさよなら。今までニコたちに会えたのは、お父さんの端末に保存されてるニコたちのメタ世界に接続できたから。当然実家を離れたらお父さんの端末には接続できない。ニコたちの世界は容量が大き過ぎて、遠くからだとまともに接続することができないから。
だから、今回ばかりは本当に『ニコたちに会えない』っていう理由ができちゃった。ふとそんなことを思うと、『ちゃんとニコたちに会わないと』って思った。作品を読むだけならどこでもできるけど、『ニコと』一緒に読むのは今この瞬間しかできない、って。
それでね、久しぶりにニコたちの作品を読んで分かったのは――『変わらない』ってこと。変わらないって言うと語弊があるかもしれないけど、私がどうでもいい理由で読むのをやめちゃった日から――ニコたちの物語は『変わらなかった』。
それは物語として当然のこと。一度連載されたものは、いつ読み返しても『同じ内容』。連載当時のニコたちとお父さんが考えに考え抜いた、『そのとき』のもの。
だからさ、私、読んでいて思ったの。ニコたちはあのときと同じ姿で、いつかこの物語を読むであろうこの私を、ずっとずっと待ってくれていたんだって――」
いかにも泣き出しそうな雰囲気だが、娘さんは泣かない。何故なら娘さんはそういう「設定」だから――なわけがない。娘さんは現実世界の人間だ。うじうじ悩まないということ以外には、娘さんは案外私と同じような性格なのかもしれない。
いや、娘さんはうじうじ悩んだからこその「今」なのかもしれない。私が悩み始めたのはいつからだろうか? 確かに2110年代後半から今の作品の展開に不満を持っていなかったかと言えば嘘になるが、「不安」まで感じ始めたのは211x年の最後の年に娘さんが久しぶりに顔を見せたときからだ。
つまり私が悩み始めてから、まだ1年も経っていない。それに引き換え娘さんは詳細を語らないだけで、4年もずっと悩みを抱えていたのだ。確かにそれは「そこまで深刻ではない」悩みなのだろう。だけどその悩みを自分の言葉で整理できるようになるまで、それだけの時間がかかったということ。
私は少しでも現実世界に近づこうとしてたのかもしれない。しかし私はメタ人格を付与されたキャラであり、本来目指すのは「読者のため」に最善を尽くすこと。
結局どうしたらいいのだろう。このままでは私は212x年を迎えられそうにない。ただ「在りし日」としての211x年を娘さんたちに提供できるのなら、そうした役割を私が求められているとしたら、それに従う必要があるのでは……? とも思う。
しばらく答えは出なさそうだ。だけど、思ったほど心配しなくてもいいのかもしれない。私は電子空間に存在する一人のキャラにすぎない。時間はたっぷりある。2120年になっても、212x年になっても、私たちの作品が続く限り、じっくりと考え続けたらいいだけ。
まぁ物語の中でも、めちゃくちゃ悩んでるんだけどね。それが本来の私。私らしいって言えばそうなんだけど。
「何でそうなるんですか?」
思わず声を荒らげる。また言い過ぎてしまった、とコンマ数秒で脳内反省するものの、そのまたコンマ数秒後に次の言葉が口から吐き出されてしまう。
「だってその展開、以前にもやりましたよね? 私の記憶が正しければ、2120年4月第2週の回に」
「さすがニコちゃん、よくそんな正確なところまで覚えてるよね~」
と部長に言われるが、
「何言ってるんですか、部長もしっかりしてくださいよ!」
私の指摘に、部長はヘラヘラとごまかす。今回の部長のアバターは長い前髪で両目を隠していて、その表情まではうかがい知ることはできない――といいんだけど、部長は喜怒哀楽が激しいから身振り手振りだけでもうバレバレ。
「作者さんはどう思ってますか? 今回は私の提案したテーマでいいですよね?」
私の気迫に作者さんがたじたじになっているのがよく分かる。
「じゃ、じゃあ今回はニコの言う通りにしようかな……」
こんなに長い間連載を続けているのに、作者さんは私たちキャラにはいっこうに頭が上がらない。まぁ私たちの意見をまとめて「物語」という形にするには、作者さんの手がどうしても必要なんだけど……。
と、このタイミングで外部からの接続を知らせる合図が。
「あ、特に知らせてなかったけど今日娘が帰ってきて――」
「やっほー、ただいま~! ニコちゃんや部長さん、元気にしてた~?」
「おいおい、『ただいま』の一言くらいないの?」
「えー、別にわざわざ『ただいま』って宣言する必要ある?」
「そういう問題じゃなくて……」
作者さんが困っているのを、娘さんは指を指して笑っている。娘さんは高校3年生のときからほとんど変わっていない――いや、ちょっと美人になったかも。
「はいはいはいはい! 会いたかったよ~! 今までどうしてたの? いろいろ順調? 無理してない? 体調はどう? それからそれから――」
部長が娘さんを質問攻めにする。部長さんは面倒くさがり屋なのに、どうもお節介なところがある。娘さんもそんな部長に慣れているのか、部長の質問に一つずつ丁寧に答えていく。
長い長い部長の質問への回答が終わり、娘さんは私のほうに向き直る。だが私の口から言葉が出てくる寸前に、娘さんが勝手に喋り出す。
「やっぱりニコちゃんは全然変わらないよね。部長さんはアバターだから毎回変わるけど。うん、でもそれがニコちゃんだよ。やっぱりいつ読んでもニコちゃんたちの物語は懐かしいというか――『211x年』のことを思い出すなぁ。あの頃はよかった……って今も当然いいんだけどね!」
あれ、娘さん、こんなに明るかったっけ? ……まぁいいや、悩んでるよりはマシかも。
以前私が感じていた悩み。それが本当に解消されているかどうかは、私自身にも分からない。この悩みはいつまでも尽き果てることがないのかもしれない。
もう212――いや、具体的な年を言うのはやめよう。「212x年」になった今でも、私たちは「211x年」を続けている。その選択肢を選んだのは、読者、読者の意見を聞き入れた作者さん、作者さんと議論を重ねた私たちキャラ。この答えは――商業的には正解だったのだろう。私たちの物語はまだまだ続いている。
私としてはちょっと納得がいかない部分もあるけど、別にそれはそれでいいんじゃないかな。未来を夢見るのは、しばらくやめにすることにした。あくまでも私たちは、「211x年」という「少し過去」で週替わり部の活動を続けている高校2年生にすぎないのだから。
2119年からさらに大人になった212x年の娘さんを、211x年という時代から私は見つめている。
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